郊外散歩 再び

 台風が近づいているということもあって、その日は朝から雨が降り続いていた。今日はたぶんこれ以上天気が良くなることは望めないから、あきらめた方がいいのだろうかと一瞬考えたが、明日になれば天気が良くなるという保証もない。街中で買い物をしてもこの雨の中、荷物を持つのもうっとうしい。ってなわけで予定通り新界一周の旅に出た。

 ホテルの最寄りの九広鉄路「旺角駅」方面に向かって歩きながら、適当な店で飲茶の朝食。それから旺角駅から上水駅へ向かう。汽車に小一時間ほど揺られて、いくつかの町を通り過ぎ、海や山の風景を眺めているうちに到着する。上水という町は中国へ入るひとつ手前の町で、パスポートを持っていないとここまでしか汽車には乗れない。できることならこのまま羅湖、シンセンへ行ってみたいけれど今日は我慢してここで降りることにする。

 まずは上水探検。相変わらず雨、風の天気で、遠くへは行けそうにないので、駅周辺を一周するだけにしようということに。それでもこの駅周りなかなか楽しめる。駅の前にはショッピングセンターがあり、その中で客がたくさん席待ちをして、整理券まで配っているレストランを見つけた。店の前の看板を見ると「飲茶一律8ドル」と書いてある。

「せっかくここまで来たのなら上水で朝ご飯を食べれば良かったね。今はまだ食べる気になれないよ」

とか言いながらも、目に付く店は食べ物屋ばかり。あそこのお粥屋はお客が一杯だ、あそこにはパン屋さんがあるぞと騒ぎながらどんどん進んでいく。そのうちに街市が目に飛び込んだ。これは是非入らなければならない。

 街市とは簡単に言えばそれぞれの町には必ずと言っていいほどある市場のこと。でも一般の人も自由に入って買い物ができる。そしてたいてい街市の一番上の階では食事もできるのだ。同行のPOCHIは、初めての訪港時に北角という町の街市の中のレストランがとても気に入ってしまった。でも残念なことにレストランが開くのは夜なので、その頃には市場の方は閉まっていて見ることはできなかったのだ。

 私達がまず入ったのは野菜と果物、パン、調味料、乾物等を売っているフロア。奥の方には衣料もあるようだ。「何これ?」と思う珍しいものがあれば、「日本産エノキダケ」なんていうおなじみのものまである。一回りしたところで入り口近くのパン屋で売っていた蛋撻をひとつ買ってその場でほおばった。1個2ドル。つやつやとしたカスタードプリンの部分がやっぱりおいしい。

 次は下の階の肉、魚のフロアに降りていく。お肉は牛肉より豚肉のお店が多いようだ。お肉は頭から足まですべての部分がそれぞれに分けられて並んでいる。豚の頭だけが板の上に置かれて、それがこっちを向いてたりなんかして、おかしいんだか不気味なんだか。でもなぜか鶏肉屋は見えない。

 魚は生きたまま売られているパターンが多い。なぜかカエルやムツゴロウが魚屋に並んでいる。お値段は日本よりは断然安くてマナガツオ一匹50円くらい。店のおばちゃんが大きな網で魚をすくって、「活きがいいだろ、買わないかい?」ってな感じで目の前につきだしてくる。

 おいしそうだけど旅行者なので買えません。

 そんなことをしていると、ほんとに活きのいい魚が網から飛び出して、肉売場の方へびちびち跳ねて逃げていった。ぼやっと見ていると、店のおばちゃんが「とってきてや」とPOCHIに網を手渡すので彼は仕方なく魚を追いかけるハメに。肉屋のおじさんやお客が逃げまどう中、何とか網に魚を入れておばちゃんに返却したが、なんでおばちゃんは自分で取りに行かなかったんだろう?面倒くさかったから?

 その後、肉売場の写真を撮っていたら店の人に怒られてしまったので外へ逃げ出すと鶏肉屋を見つけた。これらは外にあったのだ。鶏肉屋といってもお肉の状態では売られていなくて、生きたままの鶏がカゴに入っている。店の中にメガホンのような形の機械が置いてあるので何なんだろうと思ってみていたら、店の人が、お客が選んだ鶏の首をつかんでその中へ…。その先は目を伏せてしまったけれど、あれはきっと羽をむしるか首切って血でも絞り出す機械なんだろうな。

 もう次の所へ行こうかと思ったが、POCHIがどうしても街市の上の食堂街が見たいと言うので見学することにした。ここはフロアの周りに小さな店が並んでいて、その間にテーブルが所狭しと並んでいた。席はほとんどふさがっていて、みんなわいわい賑やかにご飯を食べている。案の定POCHIが「食べたい」と言い出したので、フロアをぐるぐる回った末に麺のお店に向かい、牛の胃袋が乗った麺を注文して、私はお腹に余裕がないので冷たいミルクティーをもらった。

 いつまでも上水にいてもいけないので次の目的地元朗へ向かうためにバス停を探す。前日に買おうと思っていたバス路線図が載った本を買うのを忘れた上に、「地球の歩き方」までホテルに忘れてきたので何番のバスに乗ればいいのかわからない。バスターミナル近辺をうろうろしてようやく「元朗」の文字が入ったバス停を見つけた。念のため並んでいた人に聞いてみると「行くよ」とのことなのでその後ろに並ぶと間もなくバスがやってきた。天気が良ければ眺めもいいのだろうが、視界が悪いのでぼーっと外を見ているうちにいつしか眠ってしまっていた。

 目が覚めると街の中をバスは走っていた。元朗かな?と思っていたがどうも前に来たときと様子が違う。そのうちに「終点だよ」とバスまで降ろされてしまった。キツネにつままれた気分でしばらくうろうろしていると日本のスーパー、ジャスコを発見し、ここが屯門ということが判明する。どういうルートで来たのか全然わからないが、寝ているうちに元朗を通り過ぎてしまったのだろうか?

 特に元朗に行かなければならない用事はないのだが、まだ乗ったことのない屯門と元朗の間を走っている電車「軽便鉄路」にも乗ってみようかということになり電車の停留所を探しつつ、甘味屋のチェーン店の「仙跡岩」を見つけてしまったのですかさず入ってしまう。 今回の私の香港行きの目的のひとつは「珍珠[女乃]茶」を飲んでみること。これはミルクティーの中に親指の爪くらいの大きさの黒くてほろ苦いグミのようなものが入っている。ミルクティーといっても日本のものとは大違いでとっても甘くてミルクが濃厚。それを太いストローで吸い、口の中に飛び込んできたグミをムニムニしながら飲むのだ。「仙跡岩」は香港でこのメニューを広めた所らしいので、飲むのならここ!と決めていた。グミはきっとそんなに入ってないだろうと踏んでいたのだが、これが結構たくさん入っていて、それだけでお腹一杯になってしまった。

 電車に乗って元朗へ向かった。電車の中はとても綺麗なのだが、乗客が多くて座ることができない。ようやく座れたと思ったら元朗に着いてしまった。一年ぶりの元朗にうれしくなって、しばらく当てもなく歩いているとPOCHIがどこかで休みたいと言い出した。前日にたくさんお酒を飲んだのと、あんまり寝てないのと、食べ過ぎが重なったのか電車に酔ったらしい。電車を降りれば治るかもと思っていたらしいが、そういうわけにはいかなかったようだ。そんな状態なので食べるお店に入るわけにもいかず、雨は相変わらずで道端に座り込むわけにもいかないのでショッピングセンターの中の階段の隅っこに隠れるようにして座り込んでしばらく休んだ。

 POCHIの具合がちょっと良くなったので再び歩き出す。でも偶然見つけた元朗街市も入ろうとはしないのでまだあんまり本調子ではないようだ。街のケーキ屋さんで老婆餅という、パイの中にぎゅうひが入っているものと蛋撻をひとつずつ買い、「香港で干し果物が買いたい」と言っていたPOCHIのために、これまた偶然に見つけた「優の良品」というそれ系のお店に入った。私はあんまり干し果物は好きではないのでそのお店は見てるだけ。POCHIは店内を一回りしたところで干した梅の前で立ち止まった。干した梅と言っても梅干しとは違って甘いらしい。味の違いやお値段のランクも色々あるようで、それぞれ試食ができるのでいろいろ食べてみて、一番気に入った味のものを購入した。

 先ほど買った老婆餅と蛋撻だが、これは袋に入れてもらってホテルまで持ち帰った。夜食にと開けてみるとサクサクだったであろうパイ生地はぐずぐず、蛋撻も同じく。もったいないので全部食べたけど、こういうものは買ったらすぐに食べようね。

 その後しばらくぶらぶらしていると、POCHIが次の目的地に行こうと言いだした。ちょっと前まで吐きそうとか言っていたのでバスは無理だろうと言うと、「さっきの試食の干し梅で胃がすっきりしてきた」とのこと。何じゃそれは? POCHIは新しい発見をしたようだ。それ以来胃が気持ち悪い時、二日酔いの時、この干し梅を2・3個食べると復活するようになった。胃薬よりてきめんらしい。

 それではとバスで全(上に草冠)灣へ。ここでは去年行って気に入った「江南焼臘飯店」にもう一度行ってみると言う目的があった。雨を避けるためにバス停を降りてからショッピングセンターを通り抜け、地下鉄駅の横を通っていると、電光掲示板に「シグナル8」の文字が…。香港では台風の接近をシグナルで知らせてくれる。弱い方から1〜10まであって、8になるとお店が閉まってしまうらしい。今は雨は強いけれど風はそんなに無い。でもこれ以上シグナルが大きくなってくると、交通機関も止まってしまうのでこのまま地下鉄でホテルまで帰った方がいいのか、でもここまで来て何もせず帰るのももったいない、とりあえずお店まで行ってみて、閉まってたらあきらめて、開いてたらさっさと食べて帰ることに決めて急ぎ足でお店まで向かった。

 運良く店は開いていた。つい1時間ほど前まで電車酔いでげろげろ言っていたくせに、POCHIは大きいサイズの2種類の鳥肉が乗った焼臘飯を注文、私は小さいサイズに焼豚が乗った焼臘飯を注文した。言ってみれば焼臘飯は庶民のファーストフードなので、注文するとすぐに出てくる。では早速味見を。お肉はとてもジューシィ、タレもご飯に良く合う。前回は早朝だったのでまだ焼けてないと言われてあきらめざるを得なかったこの店のウリの焼臘飯、やっぱりウリと言うだけあっておいしい。だけど私達、今日はいろんな所で何度も食事をしている。POCHIの胃袋も復活してきたとは言ってもまだ完全ではないようなのでこれらを全部平らげるのは少々厳しい。でもせめてお肉だけはと頑張って食べる。

 POCHIは今回の香港行きに日本酒を持参していった。今回の彼の課題は「中華料理と日本酒は合うのか?」らしい。だけど日本酒を持ち込んで食事ができる店かどうか把握するのは難しくて、結局唯一ガイドブックで「ここは飲み物持ち込み可」と書いてあったので、ここでしか実践はできなかった。店のおじさんに一応許可を取ってみたら、大爆笑されて「いいよいいよ」と許してくれた。でもあんまり合わなかったらしい。せっかく重い思いをして日本から持っていったのにかわいそうに…。

 ところでPOCHIの方のお肉、見た目には鳥肉らしいということはわかるのだが、鶏なのか他の鳥なのかわからない。そこで筆談でこれは鶏ですか?と店のおじさんに聞いてみた。しかしうまく通じなかったようだ。1[石葉]と書かれてうかつにもPOCHIはうんうんとうなずいてしまった、やばい!! おじさんはお皿に山盛り鶏肉を盛ってきた。1[石葉]は1皿のことだとわかったのはその時だった。ただでさえ残そうかどうしようかという状態なのにこれはあんまりだ。それにこれのおかげでお勘定も倍になってしまったではないか。でも返品する語学力はないので仕方なくこれも食べる。もうご飯はあきらめて、しばらく休んでお腹に余裕が出てきたら詰め込むことをしばらく繰り返した。

 休憩しながら周りのお客の観察をしてみる。ほとんどの客はぷらっと入ってきて一皿頼んで、さっさと食べたら出ていってしまう。私達のようにいくつもお皿を並べてのんびり食べてる人などいない。そして鶏肉などは骨付きなのだが、その骨をテーブルの上に吐き出しているのだ。おっちゃんだけならともかく、かっこいい服を着てタバコなんか吸っているお姉ちゃんも吐き出している。私達も経済観念は香港の庶民になったつもりで、50ドルのお勘定が100ドルになったくらいでわあわあ言っているのだが、まだまだテーブルに骨を吐き出すことには抵抗がある。お姉ちゃんが去っていったテーブルの上の骨の山を横目に、自分たちの皿の隅っこに並べた骨を見て、あれができないことには香港人の仲間入りはできないんだなあと感じるのであった。

 さすがに全部食べきることはできなかったが何とかがんばって、残しても許してもらえそうな量になったので店を出た。気持ち悪いけれどもうまっすぐ地下鉄でホテルに帰るだけだ。新界を一回りしても夕方にはホテルまで帰ってくることができる。普通に香港に観光&買い物に来ただけでは地下鉄の5・6駅分くらいしか移動することはない。今まで私はすごくもったいないことをしていたんだなあと思った今回の新界旅なのであった。