9月24日(火)


 年振りの長期旅行への出発です。いつもそうなのですが、僕は目的地に早く到着してなるべく多くのスポットを巡りたいので、今回も早朝からの出発です。
 新千歳空港発が7時50分で、羽田空港到着が9時20分。この便に間に合うためには我が家を出発するのが朝っぱらの5時30分。この時間に出発するためには、4時30分(!)に起床。仕事の時は頼まれたってこんな時間に起きるのは嫌なのに、旅行となると起きれてしまう。こんな自分を尊敬してしまいます。
 さて、今回の目的地は古都・鎌倉。ガイドブックなどによると、一般的な鎌倉旅行の日程は1泊2日。こんなもんで大体の観光スポットを見て回るそうです。しかーし、そこはotokomaeな僕。ありきたりの旅行では満足しません。一般的な旅行者が行くようなところばかりではなく、かなりディープなところも行こうと心密かに思っているのでした(別に口にだしてもイイんですが・・・)。とは言っても、もちろん有名どころはきちんとおさえてますよ〜。

***    ***    ***    ***

 倉駅のコインロッカーに大きな荷物を預け、JR横須賀線に乗り隣駅の北鎌倉駅へやってきました。鎌倉に来て最初に訪れたのが光照寺。いきなりマニアックかもしれませんが、なにも有名なところばかりを訪ねるのが旅じゃありませんからねぇ。この寺の歴史は、隠れ切支丹の歴史でもあります。この寺の山門の欄間には朱塗りの丸い紋がかかっています。この家紋は中川久留子(なかがわくるす)といい、九州豊後の岡藩主中川家の紋所です。別にこの大名がキリシタン大名だった訳ではなく、この久留子紋に意味があるのです。久留子=クルス=クロス=十字架。つまり、この寺は、隠れ切支丹の旦那寺であったのです。江戸時代は、幕府の宗教統制によりキリスト教は禁止され、切支丹であることが発覚した場合、多くは火あぶりなどの刑により処刑されました。しかし、鎌倉の地には多くの隠れ切支丹信者がいたとされ、その多くが表面上は宗旨替えをしたものの密かにゼウスを信仰していたといいます。その隠れ切支丹たちの象徴がこの久留子紋であったのです。

 
        光照寺クルス紋
 

***    ***    ***    ***


 に訪れたのが、鎌倉五山の第二位円覚寺です。この寺は、時の執権北条時宗が二度にわたる元寇の役(文永・弘安の役)での戦没者を弔うために、宋から無学祖元を招き建立したといわれています。さすがに五山第二位の寺格を誇るだけのことはあり、6万uにも及ぶ広大な寺域には18もの塔頭が存在します。それでは、山門をくぐり円覚寺の境内へと足を踏み入れてみましょう。

 
        円覚寺入口
 
        円覚寺山門
 
 鎌倉の駅を降りるとそこは既に円覚寺の境内になります。白鷺池に架かる橋を渡り、総門を抜け石段を登ると圧倒的な存在感で山門が見えてきます。山門は三門ともいい三解脱門の略語であるといわれています。本尊が祀られている仏殿を解脱(簡単に言うと悟りのことですなぁ)と見做し、そこに至るのに通らなければならない三つの門のことだと言われています。すなわち、空・無相・無作の三門です。山門を抜けると正面に仏殿が見えてきます。仏殿自体は、昭和39年に再建された比較的新しいものですが、その中にはいかにも由緒ありげな御本尊たる仏様が祀られています。その御本尊は「宝冠釈迦如来坐像」です。胴の部分は江戸時代のものですが、頭部は鎌倉時代のものであると言われています。本来、釈迦如来の頭髪は螺髪(らほつ:見た目がパンチパーマのアレですよ)なのですが、ここの釈迦如来は宝冠をかぶっています。これは、華厳宗の影響を強く受けた結果だと言われています。華厳宗の経典、華厳経の教主は毘盧舎那如来であるため、円覚寺の仏様も毘盧舎那如来として造立されたのですが、華厳経では毘盧舎那如来と釈迦如来は同体であると考えられているため、”宝冠をかぶっている釈迦如来”ということで宝冠釈迦如来像と言われています。
 
        宝冠釈迦如来坐像(鎌倉市重要文化財)
 
 覚寺には、鎌倉三名鐘のひとつであり国宝でもある梵鐘があります。正安3年(西暦1301年)に鋳造されたものだと言われています。700年もの昔によくもこんな大きな鐘が造れたもんだと感心してしまいます。
 
        円覚寺梵鐘(国宝)