9月27日(金) 


 ぜ、歴史ある街には雨が似合うのだろう。雨の京都、雨の金沢、そして雨の鎌倉。町並みは時代の流れとともに変化していきますが、古都と呼ばれる街には、そこを訪れた者だけが感じ取ることが出来る何か不思議な力が宿っているに違いありません。その秘められた力が、雨の靄に誘われて地表から滲み出る。それ故、雨の日の古都には妖艶といっても良い、凛とした霊気が漂います。それが雨の古都をより美しく見せているのかもしれません。

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 いうわけで、今日の鎌倉は朝から雨が降っちゃってます。
 今日最初に向かうのは、鎌倉五山第三位の寿福寺です。五山の中では最古の寺になります。開基は源頼朝の妻・北条政子と言われており、夫・頼朝の菩提を弔うために正治二年(1200年)に創建されました。頼朝の父・義朝の邸がこのあたりにあったといわれ、頼朝ゆかりの地に建っていることになります。境内は非公開のため拝観することは出来ませんが、総門から続く石畳は風情ある雰囲気を醸し出しています。境内裏手の墓地には、北条政子とその子源実朝の墓とされるやぐらが残っています。やぐらには実際に行ってみましたが、なにか底知れぬ怖さのようなを感じました。なにか、侵すことの出来ない神聖な場所のような気がしてカメラを向けることが出来ませんでした。だから、やぐらの写真はありません。見てみたい方は実際に行って御自分の目でご覧になってください。

 
        寿福寺総門。石畳が見える
 

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 倉は三方を山に囲まれ一方が海という天然の要塞です。だから、外部に通じる道も限られており、それらは山を切り開いて作られました。山を切り開いて作られた道なので、鎌倉切通しとも呼ばれます。その主な道は次のように7本あり、俗に鎌倉七口と呼ばれています。

亀ヶ谷坂切通し、極楽寺坂切通し、化粧坂切通し、大仏切通し、巨福呂坂切通し、朝比奈切通し、名越切通し

 この七口のなかで比較的昔の面影を残しているのは、化粧坂(けわいざか)切通し、大仏坂切通し、名越切通しの3ケ所です。寿福寺から最も近くにある切通しは、化粧坂切通しなのでここに行ってみようと思います。化粧坂切通しは、頼朝が幕府を開く前からあったといわれる道で、極楽寺切通しができるまでは西国へ通じる主要道でした。実際にそこに行ってみると、「こんな狭くて険しい道が主要道なのかよ!」と思わず突っ込んでしまいそうな道です。急な上り坂が続き、道の真ん中には大きな岩が転がっています。現代のただ通るだけの道とは違い、昔はこれらの道そのものが合戦場になったのです。いかに敵軍の侵攻を防ぐか。これが合戦時の大きなポイントでした。だから、主要道といえども歩き易い道とは限らないのです。道路が今のように広く歩きやすいように整備され始めたのは、天下が完全に落ち着いた江戸時代になってからなのです。

 
        化粧坂切通しの入口に建つ石標
 
 
        化粧坂切通し
 
 なみに化粧坂切通しの”化粧坂”の名の由来は諸説あって定かではないのですが、この坂の下に厚化粧をした女性がいたとか、討ち取った敵方の首を首実検するためにこの坂で死化粧したためだともいわれています・・・