名前だけはやたらと有名なこの人。というか、”暴れん坊将軍”というあだ名の方が有名になっちゃっている人ですが。それは多分にこの時代劇番組に負うところが多いと思います。そう、今やマツケンサンバで有名な松平健が主演する『吉宗評判記 暴れん坊将軍』。”暴れん坊将軍”の前に”吉宗評判記”がつくのが本来の番組名です。知らなかった人は要チェックですぞ(笑)。
  ここでは、虚実織り交ぜながら、彼の功績や人となりを見ていくことにしましょう。
 

 
             
暴れん坊将軍参上!!  歴史上の吉宗(以下、「史実吉宗」という)が将軍に就任したのは32歳。既に彼は紀州藩主時代に伏見宮致親王の女・真宮理子と結婚しており、独身で登場する”吉宗評判記 暴れん坊将軍”の吉宗(以下、「暴れん坊吉宗」という(笑))とは異なります。ちなみに暴れん坊吉宗として登場した松平健は当時24歳でした。番組の中で、彼は自分のことを「貧乏旗本の三男坊・徳田新之助だ」と自己紹介することが多いですが、元服して初めて名のった名前が新之助なのです。ちなみに、貧乏旗本があんなにイイ身なりはできません(爆)。  
   

 
             
火事将軍参上!!  暴れん坊吉宗は火消しの『め組』に居候しているという設定ですが、火消し制度(正式には町火消し)を組織化したのも史実吉宗です。この当時の火消しには@定火消し、A大名火消しというものがありましたが、定火消しは旗本の子弟で組織されたもので、主に武家屋敷を守備範囲としており町長屋などはほとんど守ってくれませんでした。大名火消しはその名の通り大名家に課せられた役務で、これまた江戸城と武家屋敷を主な消火範囲としていました。つまり、町人長屋を守ってくれる人がいなかったの
です。『火事と喧嘩は江戸の華』というくらい火事の多い時代でしたから、町人はこれではたまったものではありません。そこで史実吉宗は町奉行の管轄の下で『いろは47組』を組織させ、町家の消防に当たらせたのです(後に”本組”が加わり、いろは48組となります)。ただ、「へ組」、「ら組」、「ひ組」は語呂が悪いため「百組」、「千組」、「萬組」に変更されました。
 暴れん坊吉宗の『め組』の頭・辰五郎は長年、演歌の大御所・北島三郎が演じていましたが、サブちゃんのスケジュールが合わないのか、ときには番組内で名前だけは出てくるけど本人は出演しないときがありました。そういうときには、「上方に旅に出ている」として彼の不在を乗り切っていました。この”辰五郎”という名前も幕末の実在の火消しの人物からとられていることはあまり知られていません。その人物の名は新門辰五郎といい、『を組』の頭でした。この人も歴史の上で大きな役割を担っており、しかも徳川幕府終焉に深く関わっています。その話はいずれまた・・・・。さきほど、『火事と喧嘩は江戸の華』と書きましたが、江戸城敷地内で火事が起きたとき、史実吉宗は火事装束を身に纏い家臣の陣頭に立って消火の指揮をしたといいます。このときには、大奥の女性たちに”火事公方”とよばれたとか。公方(くぼう)とは、将軍のことを指します。公方といえば、犬公方と呼ばれた5代将軍綱吉が有名ですよね。