ブルートレイン序章


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ありし日の「はやぶさ」 (1999年3月撮影)



 東海道本線の全線電化に引き続く1958年(昭和33年)のダイヤ改正に伴い,東京〜大阪間にモハ151系電車特急「こだま」が誕生した.このダイヤ改正のもう一つのポイントは,東京〜博多間の特急「あさかぜ」(7・8レ)のブルートレイン化,上野〜青森間の特急「はつかり」(1・2レ)の新設があった.

 「あさかぜ」に使用された20系固定編成客車の特徴は次の通りである.@夜行特急専用に設計された固定編成であること.A照明,冷暖房,食堂調理設備などの電源は荷物車に設置されたディーゼル発電機による集中電源方式としたこと.B全編成の窓は複層ガラスによる固定窓とし,完全な空調と遮音を実現したこと.これらの設備は”動くホテル”と呼ぶにふさわしいものであった.
 1958年(昭和39年)当時,東京〜博多間を「あさかぜ」のA寝台個室で旅行すると,運賃3500円,特急料金2880円,個室寝台料金3360円,合計9740円,航空運賃は12600円,教員の初任給は平均8000円であった.その後のA寝台個室料金の推移をこのページの最後に示す.


1956年(昭和31年) あさかぜ誕生
 東海道本線の全線電化に伴い,大幅なダイヤ改正が行われ,東京〜博多間に特急「あさかぜ」(7・8レ)が誕生した.当初の編成は,スハニ32,ナハネ10x3,ナハ10,ナハフ10,マシ35,スロ54,マロネ40,マロネフ29の10輌,牽引機は,東京〜京都間はEF58(東)で500 t牽引,京都〜下関間はC59(下り:広一,上り:関)で360 t牽引,下関〜門司間はEF10(門)で400 t牽引,門司〜博多間はC59(港)で360 t牽引であった.上り列車のみ,広島・八本松間にD52(瀬)が後部補機として使用された.九州にC59が進出したのは,東海道本線が全線電化し,余剰となったC62が山陽本線に転出したためである.鹿児島本線の甲線区間は門司〜熊本間のみで,C59は鹿児島本線の熊本以南,長崎本線には入線できなかった.東京〜博多間の所要時間は17時間25分だった.

 1957年(昭和32年)3月 京都〜下関間の牽引機をC62に換装し,牽引定数を10輛x360 tから13輛x420 tとした.牽引機をC62に換装したことで牽引定数は増加したが,炭水車の水容量が不足するために,福山駅での停車時間を1分から3分に延長して給水を行った.(SLは1km走ると約100リットルの水を消費する.テンダーの水容量は,C59は25m3,C62は22m3

7レ あさかぜ 東京18:30 → 博多11:55
8レ あさかぜ 博多16:35 → 東京10:00


さちかぜ→平和→さくら
 1957年,「あさかぜ」は大変好評で,切符は入手困難だった.旅客が増加する翌1957年7月には,臨時特急「さちかぜ」(3009・3010レ)を増発した.
 1958年(昭和32年),臨時特急「さちかぜ」もまた好評であったために,東京〜長崎間の定期特急「平和」(11・12レ)と改称して運行を開始した.編成は,同じ日に設定された「はやぶさ」と共通運用で,オハニ36,マロネ40x2,スロ54,オシ17,ナハネ11x2,ナハフ11,ナハネ11x4,ナハフ11,の13輌,1〜8号車が東京〜長崎間の基本編成で,9〜13号車が博多回転の付属編成であった.牽引機は博多までは「あさかぜ」と同じであったが,長崎本線が乙線規格のため博多〜長崎間はC57が牽引した.
 1959年(昭和34年),「平和」(11・12レ)は「さくら」(5・6レ)と改称し,ブルートレイン化された.



1958年(昭和33年) あさかぜブルートレイン化
 山陽本線姫路電化.
 「あさかぜ」は20系固定編成客車特急として新たにスタートした.「あさかぜ」用の20系客車は,九州に向かって,マニ20,ナロネ20,ナロネ21x2,ナロ20,ナシ20,ナハネ20x5,ナハ20,ナハフ20の8形式13輌であった.牽引機は,東京〜姫路間はEF58,姫路〜下関間はC62,下関〜門司間はEF10,門司〜博多間はC59であった.上り列車のみ,広島〜八本松間にD52が後部補機として使用された.


はやぶさ誕生
 「あさかぜ」のブルートレイン化で余剰となった客車を活用して,東京〜鹿児島間に特急「はやぶさ」(9・10レ)が誕生した.編成は,同じ日に設定された「平和」と共通運用で,1〜8号車が東京〜鹿児島間の基本編成で,9〜13号車が博多回転の付属編成であった.牽引機は博多までは「あさかぜ」「平和」と同じであったが,鹿児島本線の熊本以南が乙線規格のため博多〜鹿児島間はC61が牽引した(上り「はやぶさ」は鹿児島〜門司間をC61が牽引した.).東京〜鹿児島間の所要時間は22時間50分だった.

1959年(昭和34年) さくら誕生
 「あさかぜ」のブルートレインが好評だったために,特急「平和」(11・12レ)が「さくら」(5・6レ)と改称し,ブルートレイン化された.編成はカニ21,ナロネ22,ナロ20,ナシ20,ナハネ20x2,ナハフ21,ナハネ20x5,ナハフ20の12輛,電源車を含む1〜6号車が長崎行きの基本編成,7〜12号車が博多回転の付属編成だった.牽引機は博多〜長崎間はC57であった.翌1960年7月博多〜長崎間の牽引機をC60に換装した.C60の投入により,博多以遠の牽引定数は250tから260tとなり,ナハネ20を1輛増結し,7輌編成となった.





1960年(昭和35年) はやぶさブルートレイン化
 山陽本線倉敷電化.列車の等級制が変更される.一等が廃止され,二等が一等に,三等が二等に格上げされた.
 7月20日,「はやぶさ」もブルートレイン化された.同時に運転区間が東京〜西鹿児島間に変更され,所要時間は22時間45分となった.
 編成はカニ21,ナロネ22,ナロ20,ナシ20,ナハネ20x3,ナハフ21,ナハネ20x5,ナハフ20の13輛,電源車を含む1〜7号車が西鹿児島行きの基本編成,8〜13号車が博多回転の付属編成だった.牽引機は博多までは「あさかぜ」と同じであったが,博多〜西鹿児島間はC61が牽引した.



 「はやぶさ」は,「富士」と共に,最後まで残った九州特急であったが,2009年(平成21年)3月14日のダイヤ改正で廃止され,約50年に及ぶ九州特急は全て廃止された.


1961年(昭和36年) みずほ誕生
 鹿児島本線久留米電化.関門間の牽引機はEF30に換装された.
 10月,サン・ロク・トオの白紙ダイヤ改正.1960年6月の「つばめ」「はと」の電車化以来空白となっていた栄光の”1列車”を「さくら」が獲得した.3・4レ:あさかぜ,5・6レ:はやぶさ.単純に東京駅発車順に充当した.
 東京〜熊本間に不定期特急「みずほ」(1003・1004レ)が誕生した.編成は,スハフ43,オロネ10,スロ54,オシ17,ナハネ11x2,スハフ43,オハネ17x5,スハフ43の13輛,1〜7号車が熊本行きの基本編成,8〜13号車が博多回転の付属編成だった.牽引機は,東京〜岡山間はEF58,岡山〜下関間はC62,下関〜門司間はEF30,門司〜熊本間はC59であった.
 「みずほ」は一般客車の編成であったが,既設の九州特急3往復では輸送力が不足していたために,利用客が多く,毎日運行していた.


 1962年(昭和37年)6月 山陽本線広島電化.
 10月,特急「みずほ」は定期列車(7・8レ)となった.
 EF58は瀬野・八で補機D52との協調運転に無理があり入線できなかったため,実際には,151系特急「つばめ」,153系急行「宮島」のほか,一部の客車列車が電機牽引になったにすぎない.電機牽引の列車はEF61が補機なしで牽引した.
 協調運転の問題点は,重量列車ではD52が全力運転しても,EF58の速度に追従できず,EF58が過負荷になることであった.151系も153系も,瀬野・八の自力走行には無理があったので,EF61が補機に使用された.但し,ブルートレインは補機D52と協調運転可能なことが確認されたので,EF58が広島まで入線した.
 上り列車の広島〜八本松間のD52の補機は,翌1963年にはEF59に換装された.


1963年(昭和38年) みずほブルートレイン化
 6月より「みずほ」(7・8レ)はブルートレイン化され,運転区間は東京〜熊本・大分間となった.編成は,カニ22,ナロネ22,ナシ20,ナハネ20x4,ナハフ21,ナロネ21,ナハネ20x4,ナハフ20の13輛,電源車を含む1〜7号車が熊本行きの編成,8〜13号車が大分行きの編成だった.牽引機は,東京〜広島間はEF58,広島〜下関間はC62,下関〜門司間はEF30,門司〜博多間はED73,博多〜熊本間はC59,門司〜大分間はDF50であった.大分編成(2007・2008レ)には,DF50の次位に簡易電源車マヤ20を連結した.

 東海道新幹線開業前の昭和30年代後半,輸送力の相次ぐ増強で,ダイヤは限界に達していた.特に東京駅では,朝・夕のラッシュ時には,これ以上列車を増発するのは困難な状況であった.そこで,九州特急に関しては,東京〜博多間の牽引定数を13輌x460tから15輌x480tに変更し,1列車あたりの定員を増やすことで輸送力を強化することとした.
 EF58がブルートレインを牽引する時の最大の問題点は,瀬野八の勾配を登坂不能で後部補機が必要なことであった.これを解消すると同時に,ブルートレインの15輛x480 t運転のため,1963年(昭和38年)12月20日,東京〜広島間の牽引機をEF58の約1.4倍の出力のあるEF60-500番台に換装した.これに伴い,上り列車の広島〜八本松間の後部補機も廃止された.
 しかし,一般貨物列車での大きな牽引力を重視した設計のEF60は定格速度が低く,高速巡航が可能なEF58と同等のダイヤ運行は困難で,特に連続高速運転時の弱め界磁多用による故障や遅延が頻発した.EF60,EF65は,EF58よりも出力が大きいため,高速で牽引力が落ちても何とかEF58と互角に走れる程度で,牽引力は80 km/h付近で逆転し,これ以上の速度では,EF58の方が強力な機関車である.


 1964年(昭和39年) 東海道新幹線開業直前の20系寝台特急の時刻表を表1に示す.当時,九州特急は,東京〜長崎間の「さくら」(1・2レ),東京〜博多間の「あさかぜ」(3・4レ),東京〜西鹿児島間の「はやぶさ」(5・6レ),東京〜熊本間の「みずほ」(7・8レ)の4往復であった.


表1 新幹線開業直前の20系寝台特急の時刻表




列車番号 1 7 3 5
列車名



あか
さぜ
はぶ
やさ




西児
鹿島
0.0
26.1
101.9
177.5
254.4
363.3
510.9
553.7
586.8
東 京
横 浜
熱 海
静 岡
浜 松
名古屋
京 都
大 阪
神 戸
1635
1701

1900

2121
2313
2350
016
1820
1846

2047

2309
102
139
1830
1855
1958

2157
2319
114
150
1900
1925

2124

2345
140
216
242
730.2
788.5
808.6
820.4
892.1
933.5
969.3
983.3
1009.8
1024.9
1052.9
1093.8
岡 山
福 山
尾 道
糸 崎
広 島
岩 国
柳 井
徳 山
防 府
小 郡
西宇部
下 関
211


324
443


618


720
804
402


512
628

736


848

954
412

517

641


815
845


1004
441
529


710
748



927

1032
1100.1
1173.6
1202.9
門 司
博 多
鳥 栖
816
928
1006
1117
1148
1018
1125
・・・
1044
1155
1227.9
1303.4
1335.0
佐 賀
諫 早
長 崎
1018
1151
1228


・・・
・・・
・・・


1210.0
1243.6

1292.7
1329.4
1379.0
1394.0
1445.3
1494.6
久留米
大牟田
熊 本
八 代
水 俣
出 水
川 内
西鹿児島
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・

1231
1323
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
1231
1304
1356
1430
1523

1544
1637
1730



1964年(昭和39年) 富士誕生
 10月 東海道新幹線開業,山陽本線の全線電化完成.国鉄はこの年初めて単年度赤字に転じた.
 ナハネフ22,ナハネフ23の新製,「ナハフ」→「ナハネフ」の改造工事が行われ,九州特急の座席車の寝台車化が進められ,最終的には全編成が寝台車となった.
 昭和30年代の最後を飾る20系寝台特急が「富士」である.特急「富士」と言えば,戦前は,大陸連絡特急の役割を担った名門特急であった.戦後は,1961年(昭和36年)10月のダイヤ改正で,東京〜宇野間の電車特急として復活,1964年(昭和39年)10月,東海道新幹線開業に伴うダイヤ改正で,特急「みづほ」の大分編成を独立させ,日豊本線の特急「富士」(9・10レ)が誕生した.編成は,マニ20,ナロネ21,ナシ20,ナハネ20x4,ナハフ21,ナロネ21,ナハネ20x5,ナハネフ20の14輛,電源車を含む1〜7号車が大分行きの基本編成,8〜13号車が下関回転の付属編成だった.牽引機は,東京〜下関間はEF60-500,下関〜門司間はEF30,門司〜大分間はSLではなくDF50であった.
 1965年(昭和50年),東京〜大分間だった運転区間を西鹿児島まで延伸し,1595.9 kmを走破する日本一の長距離列車となった.

右の写真は,門石信号所付近を行くDF50が牽引する特急「富士」,1971年2月撮影.



 1965年(昭和40年) 鹿児島本線熊本電化.東京〜長崎間の特急「さくら」の博多回転車を佐世保まで延伸し,運転区間を東京〜長崎・佐世保間に変更した.「さくら」の佐世保編成の早岐〜佐世保間8.9 kmは早岐機関区のC11が本務機を勤め話題となった.

 東京〜九州間のブルートレインは東海道・山陽道の軌道強化による110 km/h運転に備え,東京〜下関間の牽引機をEF65-500番台に変更した.鹿児島本線,門司〜熊本間はED73-1000番台が,熊本以南の非電化区間はDD51が牽引した.日豊本線の門司〜大分間はED74が,大分以南の非電化区間はDF50が牽引した.



 1967年(昭和42年) 日豊本線大分電化.

 1968年(昭和43年)10月 ヨン・サン・トオの白紙ダイヤ改正.客車列車の最高速度は95 km/hから110 km/h,電車の最高速度は110 km/hから120 km/hとなった.
 この頃から私の興味はSLに集中し,更に,高等学校を卒業し静岡を離れたこともあり,ブルートレインへの興味は急速に薄れていった.

 1970年(昭和45年) 鹿児島本線全線電化.

 1971年(昭和46年) 14系客車誕生.寝台幅が52 cmから70 cmに.

 1972年(昭和47年)3月15日 山陽新幹線岡山開業「さくら」「みずほ」「あさかぜ2・3号」が14系に換装.

 1973年(昭和48年) 24系客車誕生.

 1974年(昭和49年) 日豊本線南宮崎電化.

 1975年(昭和50年)3月10日 山陽新幹線博多開業.在来線の関西〜九州間の昼行特急は全廃.

 1978年(昭和53年) 2月,最後に残った20系ブルートレインの元祖「あさかぜ1・2号」(9・10レ)が24系25型に換装.ナロネ20,ナロネ22,ナシ20が消滅.
 1965年に就役したEF65-500番台は,連日片道1000 kmを超える高速走行で老朽化が目立ってきたために,7月28日より東京発の「さくら」「はやぶさ」から東京〜下関間の牽引機をEF65-1000番台に換装,この交換は約一ヶ月かけて行われた.
 寝台特急は,1958年(昭和33年)の「あさかぜ」誕生以来,年をおう毎に増発を続け,1978年(昭和53年)には,車輌総数1022輌,寝台特急の総本数は26往復を数えるにおよんだ.しかし,この年をピークに,20系寝台特急にも翳りが見え始めた.

 1979年(昭和54年) 日豊本線全線電化.

 1980年(昭和55年) 東京〜西鹿児島間(日豊本線経由)の特急「富士」は宮崎で打ち切り,最長距離運転の座を「はやぶさ」に譲った.これ以降,寝台特急の本数は,ダイヤ改正の度に減少の一途を辿ることになる.

 1985年(昭和60年)7月 20系客車の15輛x480 t運転から24系25型客車の15輌x550 t運転に換装するため,東京〜下関間の牽引機をEF65の約1.5倍の出力のあるEF66に変更.これは従来の20系客車は「ナ」級(27.5t以上32.5t未満)であるのに対し,24系25型客車は「オ」級(32.5t以上37.5t未満)で重いため,EF65では勾配区間での均衡速度が低下することが理由である.
 ブルートレインは,常用速度から見て,70 km/hから100 km/hの間で加速する機会が多く,定格速度がこれに適合するEF66は加速時に最大出力を有効に使用できる.しかし,EF66をもってしても,15輌x550t牽引の場合,瀬野八の勾配区間での均衡速度は65 km/hであった.


鉄道車両の動力性能
 鉄道車両は,車輪とレールの間の摩擦力(粘着力)によって加速・減速を行っている.摩擦力(粘着力)は車輪とレールの間の摩擦係数(粘着係数)と軸重の積で表わされる.鉄道車両ではこの摩擦力のことを,粘着牽引力という.動輪の回転力を粘着牽引力以上にしても空転を起こすだけである.

 電気車の速度制御は,電動機の端子電圧を変化させ,電動機の回転数を変化させることで行われる.電気車に使用される直流直巻電動機は次のような特性がある:1)回転数とトルクの積は一定,2)トルクは電流に比例し,3)回転数は電動機の端子電圧に比例する,4)電動機の磁束を弱めると回転数が増加する.

抵抗制御
 旧式の電気車では,電動機と直列または並列に抵抗を配置して,電動機の端子電圧を変化させ速度制御を行っていた.起動時には抵抗を大きくし電動機の端子電圧を小さくし,徐々に抵抗を小さくし電動機の端子電圧を大きくする.(抵抗で消費される電力は熱となって放出され,仕事には変換されない.)抵抗が抜けて(ゼロとなる),電動機の端子電圧が最大となったとき,電動機の出力は最大となる.F型の電機では,6基の電動機は2直列3並列に配置されており,電動機一基あたりの端子電圧は750Vとなる.EF65は定格出力が425kWのMT52電動機を6基装備しているので,電動機一基あたり425kW/750V=567Aの電流が流れる.この時の電動機の定格回転数と減速比,動輪直径から求めた速度を全界磁定格速度という.電気車の動力性能は出力=定格速度x最大牽引力となる.たとえば,EF65の全界磁定格速度は45 km/hで,その時に2550 kWの最大出力を発生し,牽引力は最大となる.

弱界磁制御
 電気車で使用される電動機は,永久磁石ではなく界磁コイルを使っており,電流が増加すると磁界が強くなり,逆起電力が増加し,駆動電流を増やしても回転数は増加しなくなる.これ以上電動機の回転数を上げるためには,界磁コイルの一部を短絡し電動機の界磁磁束を弱める.界磁磁束を弱めると磁力線が減少してトルクが減少するが,電流が増加するため回転数が増加する.これにより出力(=トルク×回転数)を一定に保ったまま、加速することができる.トルク(牽引力)は減少するが、速度向上という目的は達成できる.このような速度制御を弱め界磁速度制御という.一般に全界磁(弱め界磁を用いない状態)の40%程度にまで弱めることが限界とされる.更に詳しい電気車の速度制御についてはこちらをご参照下さい.

 EF60,EF65に使用されているMT52では,全界磁定格回転数は850 rpmに対し,40%弱界磁定格回転数は1350 rpmとなり,EF65の40%弱界磁定格速度は72 km/hとなる.しかしその場合,牽引力は最大値の64%となる.EF65はEF58よりも出力が大きいため,高速で牽引力が落ちても何とかEF58と互角に走れる程度で,牽引力は83 km/hで逆転する.これ以上の速度では,EF58の方が強力な機関車となる.

 東海道・山陽本線で使用された電気機関車の性能を表1に示す.EF15は最高速度65 km/hの貨物列車(常用速度40〜60 km/h)に最適で,最高速度75 km/hの列車を牽引した時は息切れすることがわかる.EF65の最適な用途は最高速度75 km/hの重量列車であり,高速運転は本来の特性ではない.EF58は最高速度95 km/hの列車の牽引に最適である.
 EF58がブルートレインを牽引する時の最大の問題点は,瀬野八の22.6‰勾配を登坂不能で後部補機が必要なことであった.これを解消し更に輸送力を強化するために,1963年(昭和38年),牽引機をEF60-500番台に換装し,牽引定数を13輌x460tから15輌x480tに変更した.しかし,一般貨物列車で大きな牽引力を重視した設計のEF60は定格速度が低く特急列車の高速牽引には不向きで,高速巡航が可能なEF58と同等のダイヤ運行は困難で,特に連続高速運転時の弱め界磁多用による故障や遅延が頻発した.


表1 電気車の性能
EF15 EF58 EF60 EF65 EF66
電動機 MT42 MT52 MT56
減速比 4.15 2.68 4.44 3.83 3.55
定格出力 kW 1900 2550 3900
定格牽引力 t 15.9 10.25 23.4 20.35 19.6
定格速度
 km/h
全界磁 44 68 39 45 72
弱界磁 52 87 63 72 108


 1965年(昭和40年),列車特急の110 km/h運転に備え,東京〜下関間のブルートレインの牽引機がEF65-500番台に換装された.EF60,EF65は,EF58よりも出力が大きいため,高速で牽引力が落ちても何とかEF58と互角に走れる程度で,牽引力は83 km/hで逆転する.これ以上の速度では,EF58の方が強力な機関車である.

 1985年,24系25型客車による15輌x550 t運転のため牽引機をEF66に換装した.これは従来の20系客車は「ナ」級(27.5t以上32.5t未満)であるのに対し,24系25型客車は「オ」級(32.5t以上37.5t未満)で重いため,EF65では勾配区間での均衡速度が低下することが理由である.ブルートレインは,常用速度から見て,70 km/hから100 km/hの間で加速する機会が多く,定格速度がこれに適合するEF66は加速時に最大出力を有効に使用できる.EF66の定格速度は181系,481系,583系などの特急電車にもひけを取らない.EF66のMT56の出力はEF58のMT42のちょうど2倍である.速度特性もほぼ等しく,EF58を重連した性能である.それでも,15輌x550 t牽引の場合,瀬野八の22.6‰勾配の均衡速度は65 km/hである.

 1956年のC59から1985年のEF66まで,ブルートレインの牽引定数の推移を表2に示す.現車10輌,換算36.0輌は,現車:実際の編成輌数,換算:換算重量で1輌10.0t,換算36.0は360tを表す.


表2 ブルートレインの牽引定数の推移
機種 牽引定数 記 事
1956 C59 現車10輌,換算36.0 10系
1957 C62 現車13輌,換算42.0 10系
1963 EF60,C62 現車15輌,換算48.0 20系に換装
1965 EF65 現車15輌,換算48.0 110km/h化
1978 EF65PF 現車15輌,換算48.0 老朽化
1985 EF66 現車15輌,換算55.0 24系25型に換装


 1987年(昭和62年)3月31日 日本国有鉄道は38年の歴史に終止符を打ち,民営化.

 1991年(平成3年)6月 「みずほ」の食堂車の営業休止.

 1993年(平成5年)3月 東京駅発着の全てのブルートレインの食堂車が廃止.

 1994年(平成6年)12月 「みずほ」廃止.「あさかぜ1・4号」廃止,「あさかぜ」は下関1往復のみとなる.

 1997年(平成9年) 「はやぶさ」は運行区間を東京〜 熊本間に短縮.

 1999年(平成11年) 「さくら」の佐世保編成が廃止.「はやぶさ」と統合され,東京〜熊本・長崎間の「はやぶさ・さくら」となる.

 2005年(平成17年) 最後に残った下関発着の「あさかぜ」廃止.「さくら」廃止.「はやぶさ」は「富士」と統合され,東京〜熊本・大分間の「はやぶさ・富士」となる.この時点で,九州特急は「はやぶさ・富士」の1往復のみとなる.

 2009年(平成21年)3月14日 九州特急の中で最後まで残った「はやぶさ・富士」が廃止され,約50年に及ぶ九州特急の歴史に終止符を打った.
 最後の編成は,(スハネフ14,オロネ15,オハネ15x3,スハネフ14)x2,牽引機は,東京〜下関間はEF66,下関〜門司間はEF81,門司〜熊本・大分間はED76であった.

 均一周遊券では特急に乗車できないため,九州,北海道への撮影行の際も一度もブルートレインに乗ったことはなかった.その後,教育機関に職を得て,学会出席のため,幾度か,博多,札幌に旅したが,慌ただしく飛行機で往復するばかりである.(今年も学会出席のため札幌に行くのだが,往復飛行機である.)
 ナロネ20の個室寝台に乗り,食堂車で食事することは長年の夢であったが,果たせぬまま終わってしまった.と言うより,ブルートレインで旅することすらできなかったことは残念である.憧れの個室寝台の東京〜博多間の料金を表3に示す.しかし,こんなに高いとは知らなかった,・・・・.ブルートレインが廃止された理由がよくわかる.


表3 東京〜博多間A寝台個室料金
1958 1964 1971 1978
運 賃 3500 3690 3460 8300
特急料金 2880 1760 1200 3100
寝台料金 3360 3080 5400 10000
グリーン料金 3200 6000
合 計 9740 8530 13260 27400
飛行機 12600 12000 13800 20100
教員の初任給 8000 16300 35600 95784




 駆け抜けた九州特急
あさかぜ:1956年〜2005年
さくら:1957年〜2005年
はやぶさ:1958年〜2009年
みずほ:1961年〜1994年
富 士:1964年〜2009年


参考文献
1)佐藤正樹編,国鉄特急編成史,弘済出版社,1999
2)原口隆行,時刻表でたどる特急・急行史,JTB,2001
3)宇田賢吉,鉄路100万キロ走行記,グランプリ出版,2004
4)三宅俊彦,ブルートレイン,JTB,2009