特急「つばめ」小史
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C622号機が牽引する往年の特急「つばめ」
超特急「燕」の誕生
特急「燕」は,1930年(昭和5年)10月,東京〜神戸間の特急(11・12レ)として登場した.「燕」は,東京〜大阪間を、それ以前の特急「富士」に比して2時間半近く短縮する8時間20分(表定速度68 km/h)で走破し、「超特急」と称された(戦前の「燕」は漢字表記で,戦後の「つばめ」はひらがな表記).
「燕」は,スピードアップのために「富士」の11輌より少ない7輌編成とし,さらに横浜〜名古屋間300 kmを長距離無停車運転を試みた.
1930年(昭和5年)当時の東海道本線は、現在の御殿場線経由で,東京〜国府津間が電化されていた.東京〜国府津間はEF50,国府津〜大阪間はC51,C53が牽引していた.しかし、「燕」では機関車の交換時間を短縮するため、全区間をC51が牽引した.当時,3シリンダのC53が誕生していたので,能力的には当然C53が選ばれてしかるべきであった.C53を使用しなかった理由は,国府津以東にはC53使用の経験がなかったこと,C53の長距離運転には当時なおクランクメタル等の保守に自信が持てなかったこと,牽引輌数も7両程度であったことなどが考えられる.
「燕」は大変好評で,利用者が増加したため,翌1931年(昭和6年)の年末から1932年の年始には東京〜大阪間に臨時「燕」が設定され,定期の「燕」の10分前に出発した.
長距離無停車運転を実現するためには水を確保することが必要である.一般に,SLは1km走ると100リットルの水を消費する.したがって,横浜〜名古屋間約300kmをノンストップで走行するためには,余裕を持って約40トンの水が必要となる.テンダーだけでは水が不足するために,30トンの水を積載できる水槽車ミキ20を新造して連結した.これで,テンダーと併せて50トンの水を確保できた.
多くの努力を払い開発した水槽車だが,重量がかさみ、高速化や輸送力増強の足かせとなることから廃止され、1932年(昭和7年)3月以降,静岡に給水を兼ねて停車するようになった.これに伴い、牽引力の余裕を得て三等車(スハ32600)1両を増結している.
機関車は通しで運転できても,乗務員は交代しなければならない.そこで,テンダーと水槽車に通路となるデッキと手すりを設置した.交代乗務員は1号車の荷物室内で待機し,走行中にこの通路を渡って交代した.
以前,天賞堂から発売されていた,C51+ミキ20の模型
当時の東海道本線には,国府津〜沼津間と大垣〜関ヶ原間に25‰の勾配区間があった.下り列車は国府津〜御殿場間,上り列車は沼津〜御殿場間にC53を後部補機として使用した.また,下り列車には,大垣〜柏原間に後部補機が使用された.後部補機を連結するために,下り列車は国府津,大垣に,上り列車は沼津に,30秒停車した.後部補機は,いずれも,走行中に切り離しを行った.運転を開始した当時の「燕」に展望車はなく,個室のある一等寝台車を連結して代用した.翌1931年(昭和6年)に新製の展望車が連結された.展望車は一等車で,乗車定員は展望室が10名,一等客室が14名,二等車が120名,三等車が226名であった.
「燕」開業当時の時刻表と編成を表1に,東京〜大阪間の運賃・料金を表2に示す.東京〜大阪間の航空運賃は30円で,特急の一等と大きな差はない.
表1 1930.10.1 「燕」(11レ)の時刻表と編成
C51(237〜239号機) ミキ20 スハニ35600 スハ32600(2両) マシ37740 スロ30750(2両) マイテ37020
東京 横浜 国府津 名古屋 大垣 京都 大阪 900 927 1010 1434 1512 1644 1720
表2 東京〜大阪間の料金
1等 2等 3等 運賃 18.18 12.12 6.06 料金 6.00 4.00 2.00 合計 24.18 16.12 8.06
「燕」の食堂車は「みかど」が営業を請け負い,洋食を提供した.食堂の予約は,横浜を出ると車内改札があり,その後,ボーイが昼の定食の注文を取りに来た.定食は1コース40分のフルコースで,3回転であった.一等客から予約をとっていくので,三等客はなかなか希望どおりにはならなかった.
ちなみに,開業日の定食メニューは,スープ,伊勢エビのゼリーかけ,牛肉の松茸ソース,七面鳥の蒸焼き温野菜添え,果物,珈琲で〆て一圓三十銭であった.
「燕」食堂車のメニューを表3に示す.参考までに,当時の他の物価は:白米10 kgは1円66銭,ラーメンとコーヒーは10銭,山手線の初乗り運賃は5銭,時刻表とビールは35銭,公務員の初任給は75円であった.
表3.1 1930年,「燕」食堂車定食メニュー
昼 A定食 一圓 B定食 一圓二十銭 夕 A定食 一圓三十銭 B定食 一圓五十銭
表3.2 1930年,「燕」食堂車一品料理メニュー
スープ
ハムエッグス
オムレット
ビーフステーキ
ビーフカツレツ
チキンカツレツ25
35
20
50
40
45カレーライス
チキンライス
シチュードビーフ
コールドビーフ
コールドチキン
ハムサラダ30
45
40
40
45
35プディング
チーズ
紅茶又は珈琲
菓子
果物
パンおよびバター20
25
8
10
時価
10
表3.3 1930年,「燕」食堂車飲み物メニュー
ウイスキー
ビール(大)
ビール(小)
黒ビール(大)
黒ビール(小)40
45
28
48
30白葡萄酒(大)
白葡萄酒(小)
赤葡萄酒(大)
赤葡萄酒(小)
和 酒4.00
3.00
3.50
2.50
48カクテール
ブランデー
ペパーミント
ポートワイン
スタウト50
55
40
40
1.00炭酸水
レモネード
ジンジャエール
三ツ矢サイダー
カルピス26
26
26
26
15
丹那トンネル開通
1934年(昭和9年)12月1日 丹那トンネル開通により,東海道本線は沼津まで電化された.東京〜沼津間はEF53が牽引,沼津以西はC53が牽引し、沼津で機関車を交換するようになった.丹那トンネル開通により,東海道本線は,御殿場経由から熱海経由となり,距離は12 km短縮,勾配はそれまでの25‰から10‰に緩和され,東京〜大阪間の所要時間は20分短縮されて,8時間になった.この記録は,1956年(昭和31年)に東海道本線が全線電化されるまでの22年間破られなかった. (沼津以西が電化されるのは戦後で,沼津〜静岡間は1949年(昭和24年)2月,静岡〜浜松間は同年5月に電化された.)丹那トンネル開通当時の「燕」の時刻表と編成を表4に示す.
1934年12月からは,時代の流行で,流線型に改造されたC53が牽引するようになり,1936年(昭和11年)からは,電気機関車も流線型のEF55に換装された.さらに,1937年(昭和12年)には,姉妹列車の「鴎」が誕生した.
表4 1934.12.1 丹那トンネル開通の「燕」(11レ)の時刻表と編成
C53(EF53) スハニ35700 スハ32800(5両) マシ378000 スロ30850(2両) マイテ37020
東京 横浜 沼津 静岡 名古屋 大垣 京都 大阪 900 927 1100 1148 1422 1458 1626 1700
1943年(昭和18年)10月 戦況の悪化により,決戦ダイヤと称される時刻表の改正により「燕」は廃止となる.
戦後「つばめ」の復活
1949年(昭和24年)9月15日 東京〜大阪間に特急「へいわ」(11・12レ)が誕生した.下りが東京発9:00,上りが大阪発12:00,所要時間は9時間であった.スハニ32,スハ42(2両),オロ40(2両),スシ47,オロ40(2両),オロフ33,マイテ39の10両編成.東京〜浜松間の牽引機は浜松機関区のEF55,浜松〜大阪間の牽引機は浜松機関区,名古屋機関区,宮原機関区のC59であった.
1950年(昭和25年)1月1日 「へいわ」は「つばめ」に改称し,列車番号も11・12レから1・2レとなった.「つばめ」の愛称は,戦時中の1943年(昭和18年)10月に廃止されて以来,6年ぶりの登場である.
1950年4月10日 オロ40を本格的なリクライニングシートを装備した特別2等車スロ60に換装した.
1950年5月11日 「つばめ」の姉妹列車として特急「はと」(11・12レ)が誕生した.下りが東京発12:30,上りが大阪発9:30,所要時間は9時間であった.これに伴い,東京〜浜松間の牽引機は浜松機関区のEF56に換装された.6月1日からは,女性乗務員が乗務するようになり,「つばめガール」「はとガール」と呼ばれた.
1950年10月1日 ダイヤ改正に伴い,東京〜大阪間の所要時間を,戦前の「燕」と同じ,8時間とした.これに伴い,「はと」の列車番号が11・12レから3・4レとなった.
東京・大阪間8時間運転のために,東海道・山陽本線に分散配置(静岡区に1両,浜松区に2両,梅小路区に6両,宮原区に4両,姫路区に3両,岡山区に5両,糸崎区に6両,広島区に7両,下関区に7両)されC59と共通運用されていたC62のうち,特に調子の良いものを宮原機関区及び浜松機関区に集中配備し,浜松〜大阪間の「つばめ」「はと」の牽引に充てた.上り「つばめ」「はと」の牽引を宮原機関区のC62が,下り「つばめ」「はと」の牽引を浜松機関区のC62が担当した.C62運用により牽引定数が増したために,「つばめ」「はと」は11両編成となった.C62の最も華やかな時代である.
C622号機とつばめマーク
1950年の夏頃,上り「つばめ」「はと」の牽引機を受け持った宮原機関区には1,2,29,30,35,36,41,42号機の8両のC62が配属されていた.その中で,C622号機のデフレクターには「つばめ」のマークが取り付けられていた.1950年(昭和25年),鷹取工場でレ10000を新造した際に,内装用のステンレス板の残りで飛燕のマークを作り宮原機関区に送って取付けた.C622号機の「つばめ」のマークはかなり大きく,最大長645 mm,最大幅225 mmである.宮原機関区では,C62の好調機,不調機を識別するために,ナンバープレートの色を好調機は赤,普通機は緑,不調機は黒に分類して,好調機を優先的に特急牽引に充てた.
一方,下り「つばめ」「はと」の牽引機を受け持った浜松機関区には,5,12,13,15,15,28号機の6両のC62が配属されていた.その中で,C6212号機がデフレクターに「つばめ」のマークを取り付けていたが,名古屋電化が完成した1953年(昭和28年),広島第2機関区に転出する際に取り外した.
1951年(昭和26年)10月1日 特急型客車スハ44系が「つばめ」「はと」に投入され,スハニ35,スハ44(3輌),スロ53(2輌),マシ35,スロ53(3輌),マイテ39の11両編成となった.これに伴い,東京〜浜松間の牽引機は浜松機関区のEF57に換装された.
東海道本線最大の難所,大垣・関ヶ原間の25‰勾配区間は,1944年(昭和19年)10月に新垂井経由の下り迂回線が完成しており,補機の必要はなかった.とは言え,現車11両,450tを牽引し,約20 km続く10‰連続勾配をカットオフ55%加減弁全開で60 km/hを超える速度で駆け上がっていくC62の姿は圧巻だったに違いない.このページの冒頭に示した,「つばめ」のヘッドマークを付けたC622号機が牽引する「つばめ」「はと」の編成を一度で良いから見たかった.
当時の「つばめ「はと」の時刻表を表5に,運賃・料金を表6に示す.
表5 1951.10.1 「つばめ」(1レ),「はと」(3レ)の時刻表と編成
東京 横浜 沼津 静岡 浜松 名古屋 岐阜 米原 京都 大阪 つばめ 900 926 1059 ー 1239 1404 1430 1523 1622 1700 は と 1230 1256 ー 1502 1607 1735 ー 1853 1952 2030
表6 東京〜大阪間運賃・料金
1等 2等 3等 運賃 2480 1240 620 料金 1200 600 400 合計 3680 2040 1020
1953年,名古屋電化に伴い,東京〜名古屋間の牽引機は東京機関区のEF58に換装された.非電化区間の上りの「つばめ」「はと」の牽引は宮原機関区のC62,下りの「つばめ」「はと」の牽引は名古屋機関区の6,16,17,18,25,26号機の6両のC62に移った.その中で18号機がデフレクターに「つばめ」のマークを付けていた.18号機の「つばめ」のマークは,2号機のそれに比べて,頭部が下がっているため,「下りつばめ」などと呼ばれた.18号機の「つばめ」のマークは,1956年(昭和31年)東海道本線全線電化に伴い,18号機が梅小路機関区に転出する際に取り外された.
1955年,米原電化に伴い,上り,下りの「つばめ」「はと」の牽引は宮原機関区のC62が担当した.
「つばめ」「はと」は,編成の最後尾に展望車マイテ39を連結しており,また三等車スハ44の2人がけ座席が一方向きの固定式であることから、東京・大阪の双方で、三角線回しと呼ばれるスイッチバックを二回行って全編成を方向転換させる必要があった.東京地区では,右の図に示すように,東京駅から後進で品川→大崎,大崎から前進で貨物線経由で蛇窪信号所(現在,湘南新宿ラインで使用中)に入線,後進で品川客車区に入線して編成を揃えた.大阪地区では,大阪駅から前進で尼崎→塚口,塚口から後進で宮原客車区,宮原客車区から前進で大阪駅に入線して編成を揃えた.
東海道本線全線電化
1956年(昭和31年)11月 最後に残った米原〜京都間が電化され,東海道本線は全線電化が完成し,東京〜大阪間の所要時間は7時間30分に短縮された.これに伴い,下りの「つばめ」「はと」の牽引は東京機関区のEF58が,上りの「つばめ」「はと」の牽引は宮原機関区のEF58が担当した.
これを機に、「つばめ」「はと」の客車・機関車は、従来の標準色であった茶色から,右の写真のような,淡緑5号というライトグリーンに塗り替えられ、イメージチェンジした.これらの編成は、その塗色から「青大将」と呼ばれた.東京機関区および宮原機関区所属の25両のEF58に青大将塗装が施された.青大将の「つばめ」の姿は子供の頃の強烈な思い出である.
右の写真は,大宮総合車両センター(昔の国鉄大宮工場)に展示されているEF58のカットモデルだが,50年以上前の記憶では,もう少し色が薄く,黄色味を帯びていたように思う.東海道本線全線電化後の「つばめ」「はと」の時刻表と編成を表7に,運賃・料金を表8に示す.
表7 1956.11.19 つばめ(1レ),はと(3レ)の時刻表と編成
EF58 スハニ35 スハ44(4両) スロ54(2両) オシ17 スロ54(3両) マイテ39
東京 横浜 熱海 沼津 静岡 浜松 豊橋 名古屋 岐阜 京都 大阪 つばめ 900 925 ー 1046 ー 1230 ー 1355 1420 1554 1630 は と 1230 1255 1339 ー 1500 ー 1629 1728 ー 1924 2000
表8 1956年東京〜大阪間運賃・料金
1等 2等 3等 運賃 4160 2080 870 料金 2160 1440 600 合計 6320 3520 1470
1956年,東海道本線全線電化当時の特急食堂車のメニューを表9に示す.当時の物価:白米(10kg)765円,そば20円,あんパン12円,山手線初乗10円,大工の手間賃730円,教員の初任給7800円.
表9 1956年特急食堂車メニュー
定 食 一品料理 飲 物 朝 昼・夕 ランチ 一品70円より
225円まで各
種の料理があ
り,朝のオー
トミール50円清酒特級1合
清酒一級1合
ビール 中瓶
黒ビール小瓶
国産ウイスキー
舶来ウイスキー140
110
80
85
80
180清涼飲料
各 種
レモネード
コーヒー
紅 茶
45
30
50
40急行 和120
洋150190
225225 特急 285円(5種),330円
480円の5種類
「こだま」誕生
1958年(昭和33年)11月1日 東海道本線全線電化から2年後,20系(後の151系)電車特急「こだま」が誕生し,東京〜大阪間の所要時間は6時間50分に短縮された.20系は,クハ26,モハ20,モハシ21,サロ25の4両を一つのユニットとし,編成は同じ構成の二つのユニットで構成された4M4Tの8両編成であった.川崎車両,近畿車輛,汽車会社の三社がそれぞれ一編成納入した.なお,1958年11月1日,午前7時,東京駅15番ホームを出発したのは汽車会社製の第3編成(クハ26006,モハ20006,モハシ21006,サロ25006,サロ25005,モハシ21005,モハ20005,クハ26005)であった.乗車定員はクハ26:56名,モハ20:68名,モハシ21:36名,サロ25:52名,合計424名であった.開業時の「こだま」の時刻表と編成を表10に示す.
表10 1958.11.1 開業時の「こだま」の時刻表と編成
クハ26 モハ20 モハシ21 サロ25 サロ25 モハシ21 モハ20 クハ26
列車番号 101 1レ 3レ 103 列車名 第こ
1だ
まつ
ば
めは
と第こ
2だ
ま東 京
横 浜
熱 海
沼 津
静 岡
浜 松
豊 橋
名古屋
岐 阜
京 都
大 阪
神 戸700
724
↓
↓
↓
↓
↓
1130
↓
1319
1350
・・・
900
925
↓
1046
↓
1230
↓
1355
1420
1554
1630
・・・1230
1255
1359
↓
1500
↓
1629
1725
↓
1924
2000
・・・1600
1624
↓
↓
↓
↓
↓
2030
↓
2219
2250
2320
「こだま」は,連日,乗車率が90%を越え,非常に好評であった.1959年7〜8月の多客期には,3等が前売り開始の即日に満席となるなど人気は高まるばかりであった.この需要に応えるため,予備車をやりくりして10両編成で運転していた.1959年12月13日,モロ150・151,サハ150を先行落成させ,神戸方4両ユニットにモロ2両,東京方4両ユニットにサハ2両をを組み込んで暫定12両編成が実施された.
「こだま」が誕生した当時,東京〜大阪間には,電車特急の「こだま」が2往復(101・102M,103・104M),従来の客車特急「つばめ」(1・2レ)「はと」(3・4レ)がそれぞれ1往復あった.
電車特急の「こだま」の東京〜大阪間の所要時間は6時間50分であるのに対し,客車特急の「つばめ」「はと」の所用時間は7時間30分であり,「こだま」は全車冷房化されているのに対し,「つばめ」,「はと」は1等展望車と食堂車以外は冷房化されておらず,速度・設備水準において見劣りが目立つようになった.
「つばめ」電車化
1960年(昭和35年)6月1日 「こだま」誕生から2年後,「つばめ」は車両を151系電車に置き換えて2往復に増発され、同時にスピードアップして東京〜大阪間の所要時間は6時間30分に短縮された.「つばめ」の電車化により,東海道本線には,「こだま」2往復,「つばめ」2往復が運転された.
上り,下りの時刻は同じで,東京を7:00発の「第1こだま」に乗り,大阪を16:30発の「第2つばめ」に乗れば,大阪には約3時間滞在できた.「こだま」「つばめ」の4往復運転により,東京・大阪が日帰り可能となった.
客車特急時代の最後尾の一等展望車マイテ39は廃止され,大阪寄りの先頭車にクロ151を新設した.クロ151は,それまで「つばめ」「はと」に連結されていた展望車の後継車両として計画されたもので、運転台の後に4人用の個室があり、客用扉を挟んで車体後部に位置する開放室には、左右各1列ずつの乗客が座席の向きを任意に変えられる回転式リクライニングシートが7列配置されていた.クロ151に加えて,本格的な食堂車サシ151が投入された.サシ151には,最大容量の冷蔵庫をはじめ,電気レンジ(客車特級の時代は石炭レンジが使われていた)など最先端の電化キッチンが装備された.
この時,「はと」は「つばめ」に吸収される形で一時消滅するが、1961年(昭和36年)10月のダイヤ改正時、東京〜大阪間の電車特急「はと」(5・6M)として再び登場している.
電車化後の「つばめ」の時刻表を表11に示す.
表11 1960.6.1 電車化後の「こだま」「つばめ」の時刻表と編成
1960年6月1日,151系電車はクロ151,サシ150を組み込んだ
列車番号 101 103 105 107 列車名 第こ
1だ
ま第つ
1ば
め第こ
2だ
ま第つ
2ば
め東 京
横 浜
熱 海
沼 津
静 岡
浜 松
豊 橋
名古屋
岐 阜
京 都
大 阪
神 戸700
722
↓
↓
910
↓
↓
1116
↓
1300
1330
・・・900
922
↓
1033
↓
↓
↓
1315
1336
1500
1530
・・・1430
1452
1548
↓
↓
1732
↓
1846
↓
1030
2100
21281630
1652
↓
↓
↓
↓
1954
2044
2105
2230
2300
・・・
クロ151 モロ151 モロ150 サロ150 サロ151 サシ151 モハシ150 モハ151 サハ150 モハ150 モハ151 クハ151
の12輛6編成(6M6T)で運転を開始した.
これに伴い,5月31日まで運転されていた
クハ151,モハ151,モハシ150,モロ151,モロ150,サロ150,サロ150,サハ150,サハ150,モハシ150,モハ151,クハ151
の12両3編成(6M6T)を一夜にして新編成に組み替える必要があった.
すなわち,上り「第二こだま」が東京駅から田町電車区に回送されて来ると,編成をバラバラにして,翌朝7:00発の下り「第一こだま」の編成を作らなければならない.
車両の運用は,7:00発の101Mで大阪に行った編成は大阪着13:30,1時間後14:30発の106Mで東京に戻る,東京着は21:00である.日車約1100kmをこなしていた.
1959年の特急食堂車のメニューを表12に示す.当時の物価:白米(10 kg)850円,そば35円,あんパン12円,山手線初乗10円,大工の手間賃730円,教員の初任給8400円.
表12 1959年特急食堂車メニュー
*1「プルニエ」とは魚介のフライが評判だったパリのレストランの名称.
定 食 特急 一品料理 飲 物 朝 洋定食
和定食200
150スープ
カレーライス
チキンライス
チキンカツレツ
ポークカツレツ
ビーフカツレツ
グリルフィッシュ
ハムエックズ・オムレツ
サーロインステーキ
ハムサラダ
コンビネーションサレダ
サンドウィッチ
カツ丼80
100
100
150
120
120
80
100
230
100
120
100
100輸入ウイスキー
国産ウイスキー
ビール 大瓶
ビール 小瓶
黒ビール
スタウト
清酒特級
清酒一級
オレンジジュース
サイダー
炭酸水
珈 琲
紅 茶180
80
145
80
85
100
140
110
55
45
25
50
40昼
・
夕テンダーロイン定食
ビーフステー定食
グリルチキン定食
プルニエ定食*1
ランチ
幕の内
チキン・ソテー
シチュ・ビーフ
スパゲッティ・グラタン600
480
350
300
ー
280
200
200
ー
鮭と帆立のフライ,サラダ,スープ,パン又はライス.
1961年(昭和36年)10月 サン・ロク・トオの白紙ダイヤ改正により,東京〜大阪間に「はと」,東京〜神戸・宇野間に「富士」2往復,東京〜名古屋間に「おおとり」などの151系特急が新設された.これ以外に,157系の不定期特急「ひびき」2往復が新設された.東京〜大阪間には,「こだま」2往復,「つばめ」2往復,「はと」1往復,「富士」2往復,「ひびき」2往復合計9往復の昼行特急が運転されていた.
「つばめ」は西に
1962年(昭和37年)6月 山陽本線広島電化に伴い、「つばめ」1往復は広島まで延伸され、東京〜広島間の約900kmを運転し,所要時間は11時間10分だった.この時,比較的平坦な東海道本線育ちの151系は,瀬野八(瀬野・八本松間の上り区間)の22.6‰連続勾配を登坂可能であったが,モーターの温度上昇が限界を超えてしまうためノッチ制限を行い,後部補機にEF61を使用した.広島延伸時の下り特急「第1つばめ」(2003M)の時刻表を表13に示す.
瀬野八の後部補機は,151系が,1966年(昭和41年)8月に,主電動機を100kWのMT46Aから120kWのMT54に変更し,181系に改修されるまで続く.181系は,出力増強により,10‰勾配での均衡速度は120km/hとなり,瀬野八の22.6‰勾配区間を自力走行することが可能となった.しかし,181系が登場した時は,もはや「つばめ」ではなく,「しおじ」であった.なお,153系は,6M6Tから6M4Tに電動車比率を増やして,1968年(昭和43年)10月から瀬野八の自力走行が可能となった.
表13 1962.6.10 広島延伸時の「第1つばめ」(2003M)の時刻表
東京 横浜 静岡 名古屋 京都 大阪 姫路 岡山 広島 900 922 1109 1314 1500 1530 1643 1748 2010
1964年,新幹線開業前の特急食堂車のメニューを表14に示す.当時の物価:白米(10 kg)975円,そば50円,山手線初乗10円,大工の手間賃1800円,教員の初任給16300円.
表14 1964年東海道新幹線開業直前の特急食堂車メニュー
定 食 一品料理 お飲みもの 朝 洋定食
和定食250
200カレーライス
チキンライス
ハムサンドウィッチ
サーロインステーキ
チキンカツレツ
ポークカツレツ
ビーフカツレツ
コールチキン
コールビーフ
海老フライ
鮮魚フライ
スパゲッティ
ハムサラダ
コンビネーションサラダ
うな重(吸物付)100
100
120
300
180
150
150
200
200
250
100
150
120
150
200ウイスキー
ビール(大)
ビール(小)
黒ビール(小)
スタウト(小)
清酒特級
清酒一級
オレンジジュース
コーラ
サイダー
レモネード
ジンジャエール
炭酸水
珈 琲
紅 茶105
155
90
90
100
145
115
55
60
45
30
30
25
50
50昼
・
夕特製ビーフステーキ定食
ビーフステー定食
グリルチキン定食
プルニエ定食
ランチ
シチュー定食
コールミート定食
幕の内(吸物付)750
600
400
350
300
350
350
300
東海道本線におけるモハ151系特急「つばめ」「はと」の運行は,1960年(昭和35年)6月1日より東海道新幹線が開業する1964年(昭和39年)10月1日までのわずか4年であった.
新幹線開業後
1964年(昭和39年)10月 東海道新幹線の開業に伴い,「つばめ」「はと」は,運転区間を新大阪〜博多間に変更、新幹線と接続し、「つばめ」「はと」「かもめ」の各列車による九州直通の昼行特急群を形成した.
しかし,151系は交流電化区間を自力走行できないので,@151系を交直流電車に改造,A補機電源をサシ151に搭載,B全編成分の補機電源容量を持つ電源車を新製,C全編成分の補機電源容量を持つ交直流電気機関車を新製,などの4案が検討された結果,鹿児島本線熊本電化が完成する1965年10月に481系特急形交直流電車を投入するまでの1年間,暫定的に151系の車両をそのまま使用することとした.すなわち,交流電化区間である九州内にはEF30(関門トンネル区間)とED73の牽引で乗り入れた.機関車牽引の交流電化区間での車内電源は電源車サヤ420形を機関車との間に挟んで確保した.
サヤ420
151系の投入は,1965年10月までの1年間とされたことから,モハ420型をベースに必要な機器を搭載したサヤ420が1964年7月に川崎車両で1〜3の3輌が製作され,南福岡電車区に配属された.当初からモハ420への改造を前提としており,車内には通常どおり座席が設置された.なお,サヤ420の方向はパンタグラフが東京寄りである.
九州内の牽引機であるED73は15〜22に対してサヤ420のパンタグラフの下げ回路などを装備し,ナンバープレートを黄色枠で囲み,非対応機と区別した.
翌1965年10月,「つばめ」「はと」は交直両用の481系に換装されたため,サヤ420は不要となり,1966年2月,小倉工場でモハ420-21〜23へ改造,別途,日立製作所で製造されたモハ421-21〜23,クハ421-61〜66と4両編成3本に組み込まれた.
151系最後の「つばめ」(1M)「はと」(3M)の時刻表を表15に,東京〜大阪間の運賃・料金を表16に示す.東京8:00発のひかり5号に乗れば,21:30に博多に着くことがわかる.
表15 1964.10.1 東海道新幹線開業後の151系「つばめ」「はと」の時刻表
ひかり 5A 7A 2M 4M 東 京 800 900 は と つばめ 新大阪 1200 1300 博 多 710 845 1M 3M 門 司 822 957 つばめ は と 下 関 836 1010 新大阪 1220 1330 広 島 1147 1322 姫 路 1338 1449 岡 山 1403 1540 岡 山 1444 1558 姫 路 1511 1647 広 島 1701 1813 新大阪 1630 1812 下 関 2011 2126 ひかり 22A 26A 門 司 2024 2139 新大阪 1700 1900 博 多 2130 2245 東 京 2100 2300
表16 1964年東京〜大阪間運賃・料金
在来線 新幹線 1等 2等 1等 2等 運賃 2170 1180 2170 1180 料金 1760 800 2860 1300 合計 3930 1980 5030 2480
1965年(昭和40年)10月 「つばめ」は,運転区間を名古屋〜熊本間に変更.「つばめ」史上で最長距離を走ることになった.同時に「つばめ」「はと」の車両は交直両用型の481系に換装された.右の写真は,481系「つばめ」.481系に変更後の「つばめ」(3M)「はと」(5M)の時刻表と編成を表17に示す.
481系 1964年(昭和39年)12月25日,北陸本線冨山電化に伴い,富山〜大阪間に特急「雷鳥」,富山〜名古屋間に特急「しらさぎ」の運転が計画された.151系の車体と北陸本線で使用実績のある交直流電車の471系の制御・走行装置を組み合わせた481系が開発された.クハ481の初期型は,写真のように,151系と同様のボンネットスタイルだった.主電動機は120kWのMT54,歯車比は3.5であった.
1965年(昭和40年)からは東北本線盛岡電化に伴い,上野〜仙台間に特急「ひばり」,上野〜盛岡間に特急「やまびこ」の運転が計画され,交流50Hz用の483系が登場した.別形式となったのは,電動車のモハ482,モハ483のユニットのみで,主変圧器以外にモハ480,モハ481との差異はない.1968年からは,主変圧器の改良により交流50/60Hz共用が可能となり,これを装備する電動車ユニットはモハ484,モハ485形式に変更された.
1971年,信越本線の横川・軽井沢間でEF63との協調運転を行うために,489系が登場した.489系は,協調運転のための引き通し線を追加しているため,電動車のモハ488,モハ489だけでなく,制御車(クハ489)やグリーン車(サロ489),付随車(サハ489),食堂車(サシ489)も新形式として起こされた.
表17 1965.10. 481系「つばめ」「はと」の時刻表と編成
クハ481,モハ480,モハ481,サロ481x2,サシ481,モハ480,モハ481,モハ480,モハ481,クハ481の11輛編成(6M5T)
3M 5M つばめ は と 名古屋
新大阪
岡 山
広 島
下 関
博 多
熊 本915
1131
1350
1603
1912
2018
2206・・・
1330
1550
1802
2112
2215
・・・
1968年(昭和43年)10月(ヨンサントオ)の白紙ダイヤ改正により,「つばめ」は名古屋〜熊本間,「はと」は新大阪〜博多間(2往復)に運転区間を変更.車両は,581系に置き換えられた.
初期型のクハ481の外見はクハ151と同じであるが,クハネ581はクハ151系とは似ても似つかぬ外見で,これ以降,私の特急「つばめ」に関する興味は急速に衰えてしまった.右の写真は,岡山駅付近を行く581系の「つばめ」(1971年2月撮影).
これに伴い,181系の車両は,新大阪〜広島・下関間の「しおじ」,新大阪〜宇野間の「うずしお」に使用された.581系に変更後の「つばめ」(5M)「はと」(3M, 7M)の時刻表と編成を表18に示す.
581系 1967年新大阪〜博多間に寝台特急「月光」,新大阪〜大分間に特急「みどり」の運転が計画された.昼は座席車,夜は寝台車として運用できる581系が開発された.581系は交流60Hzに対応していたが,1968年には東北本線の上野〜青森間の特急「はつかり」,寝台特急「はくつる,ゆうづる」用として交流50/60Hz共用の583系が開発された.主電動機は120kWのMT54,歯車比は3.5であり,基本的な動力性能は481系と同様である.
581系は,寝台を装備した電車で,夜行特急で到着の後,数時間の整備や車内清掃の後,昼行特急として折り返せる効率的な車両運用を実現することを最優先して開発された車両である.たとえば,東北本線の上野〜青森間の所要時間は8時間30分から9時間30分である.これは,夜行特急で到着の後,数時間の車内清掃・整備の後,昼行特急として折返す運用が可能であることを示している.これを実現するためには,昼行特急のペアとしての夜行特急が必要で,昼行特急「はつかり」2往復に対して,夜行特急「はくつる」「ゆうづる」の2往復がそれにあたる.4M(ゆうづる)で上って,約4時間後,2021M(はつかり1号)で折り返す,更に5時間後,6M(はくつる)で上って,約6時間後,1M(はつかり2号)で折り返すと言う運用ができる.車内清掃・整備は,通勤用車両が出払って余裕のある車両基地で余裕を持ってを行うことができ,当時の車庫不足の解消にも貢献することができた.昼も夜も客を乗せて走り,当時の車庫不足の解消にも貢献した.しかし後年,この兼用車としての構造が特急車両としての設備に見劣りするものとされ,急速に凋落の道を辿ることになる.
2000年,学会出席のため博多を訪れた際,各駅停車に乗った.どこかで見覚えのある車両だと思ったが,乗ってみてわかった.先頭部分を切り落とされ,クハ103のような近郊形電車の先頭部分をつけた惨めな姿のクハネ581であった.車内は,ロングシートに換装されていたが,かろうじて,二重ガラス窓,車体側面上部の明り取り用の小窓とベッドの跡は残っていた.これが715系電車である.581・583系電車の基本構造を活かし、近郊形電車として使用するための最小限の改造のため、近郊形電車としては極めて奇異な外観の車両であった.715系は基本編成が4両のため,581・583系車両からの改造の際に先頭車が不足したために,中間車に運転台を取り付ける改造を施した.このような先頭車は切妻スタイルであることから「食パン列車」の異名がつけられた.歯車比は,近郊型とするため,種車の3.5から,5.6とした.
たけき人もついには滅びぬ,偏に風の前の塵に同じ
表18 1968.10.1 581系「つばめ」「はと」の時刻表と編成
クハネ581,サハネ581,サロ581,モハネ580,モハネ581,サシ581,モハネ580,モハネ581,サハネ581,モハネ580,モハネ581,クハネ581の12両編成(6M6T)
3M 5M 7M はと1 つばめ はと2 名古屋
新大阪
岡 山
広 島
下 関
博 多
熊 本・・・
1035
1246
1457
1758
1901
・・・915
1129
1343
1556
1853
2000
2136・・・
1328
1540
1749
2051
2156
・・・
181系,481系,581系 いずれも主電動機は120 kWのMT54,歯車比は3.50であるから,基本的な動力性能に差異はない.文献(4)にある宇田賢吉氏の著書では,これらの3形式を以下のように評している:
軽快な181系,少し足が重い481系,重量が大きいのに481系に遜色を見せなかった581系.交直機器を搭載した481系は重量がかさみ,走行性能は変わらないというものの,走りっぷりは181系に一歩譲るところがあった.581系は,交直機器に加えて寝台設備で重量は増加したのに6M6Tと481系の6M5Tより電動車比率が少なく,性能も当然481系に及ばないが,停車駅の少ない特急なので同じダイヤで運用されていた.停車駅の多い列車では無理な話である.181系は,加速,ブレーキを主とする運転操作から見て,運転士にとって最高の形式であったことは間違いない.
1968年特急食堂車のメニューを表19に示す.ここで,「すし類」は山陽本線の電車急行ビュフェのメニュー,「めん類」は東北・北陸本線の電車急行ビュフェのメニューである.参考までに,当時の物価は:白米(10 kg)1520円,そば70円,山手線初乗20円,大工の手間賃2000円,教員の初任給24100円.
表19 1968年食堂車のメニュー
定 食 すし類 朝定食(洋)
朝定食(和)
特製ビーフステーキ定食
ビーフステーキ定食
ビーフシチュー定食
グリルチキン定食
プルニエ定食
カツレツ定食
ランチ
幕の内(吸物付)
うなぎご飯(吸物付)350
300
1200
800
500
400
450
400
350
300
300こはだ・たこ・いか・とり貝
あなご.玉子
鮪(赤身)・しゃこ・たい・ひらめ
まぐろ(とろ)・赤貝・みる貝
え び
つまみもの
のり巻
きゅうり巻
鉄火巻
にぎりずし盛合わせ
大阪ずし盛合わせ20
25
30
35
60
150・200
50
70
100
300
200お好み料理 そば・うどん類 カレーライス
チキンライス
カツ丼
天 丼
スープ
えびフライ
ハムオムレツ
ハムエッグス
サーロインステーキ
ハンバーグステーキ
ポークカツレツ
ビーフカツレツ
ハムサラダ
コンビネーションサラダ
スパゲッティ
ハムサンドウィッチ
ミックスサンドウィッチ
若鶏もも肉の唐揚げ
ご 飯
パン・トースト
チーズクラッカー
ポテトチップス180
180
180
180
100
330
150
150
500
240
250
300
200
200
200
150
220
250
50
50
70
50もり・かけ
ざる・たぬき
月見・きつね
天ぷら60
80
100
150酒類(つまみ付き) ビール(大)
ビール(小)
黒ビール
ギネススタウト
清酒(特級180ml)
清酒(1級180ml)
清酒(2級180ml)
ウイスキー(特級30ml)
ウイスキー(輸入30ml)170
100
110
110
170
140
100
130
300軽飲料 牛 乳
コーヒー・紅茶
オレンジジュース
トマトジュース・コーラ
サイダー・シトロン
炭酸水40
70
60
70
50
40
1972年(昭和47年)3月 山陽新幹線岡山開業に伴い,「つばめ」は岡山〜博多・熊本間,「はと」は岡山〜下関間に運転区間を変更.「つばめ」の車両は向日町運転所の481・485系に変更された.481・485系の「つばめ」は1975年新幹線博多開業まで続く.「つばめ」の時刻表を表20に示す.もはや,「つばめ」「はと」は特別な列車ではなくエル特急となった.
表20 1972.3. 山陽新幹線岡山開業時の「つばめ」の時刻表
ひかり 51 27 57 3 31 33 東 京
岡 山・・・
・・・630
1100900
1320930
14001015
14251100
15201200
1620列車番号 21M 23M 25M 27M 29M 35M 31M つばめ 1号 2号 3号 4号 5号 6号 7号 行き先 博 多 熊 本 熊 本 博 多 熊 本 博 多 博 多 岡 山
広 島
下 関
博 多
熊 本735
942
1234
1337
・・・1115
1321
1612
1717
18501335
1541
1832
1938
21101415
1621
1912
2019
・・・1440
1646
1937
2039
22151535
1740
2032
2134
・・・1635
1842
2133
2234
・・・
1973年(昭和48年)10月 「つばめ」は1往復増発されて,岡山〜博多間3往復,岡山〜熊本間4往復,岡山〜西鹿児島間1往復,「はと」は岡山〜下関間に1往復増発されて,4往復になった.「つばめ」の時刻表を表21に示す.
表21 1973.10.1 「つばめ」の時刻表
ひかり 51 53 27 3 67 33 35 東 京
岡 山・・・
・・・630
1100730
1200900
13201015
14251030
15001100
15201200
1620列車番号 1011M 1013M 1003M 1023M 1015M 1025M 1017M 1027M つばめ 1号 2号 3号 4号 5号 6号 7号 8号 行 先 熊 本 熊 本 西鹿児島 博 多 熊 本 博 多 熊 本 博 多 岡 山
広 島
下 関
博 多
熊 本
西鹿児島735
940
1232
1341
1515
・・・1115
1321
1612
1717
1850
・・・1215
1420
1712
1814
1948
22481335
1541
1832
1936
・・・
・・・1440
1645
1937
2042
2215
・・・1515
1721
2013
2116
・・・
・・・1535
1741
2032
2137
2310
・・・1633
1842
2132
2236
・・・
・・・
1975年(昭和50年)3月10日 山陽新幹線博多駅開業に伴い,「つばめ」「はと」は列車,名称とも廃止された.国鉄における「つばめ」の歴史は、ここで幕を下ろす事となった.1930年の誕生から1975年の廃止まで,「つばめ」の45年の歴史を表22に示す.時刻表はこちら.
表22 特急「つばめ」小史年表
西暦 昭和 記 事 牽引機・編成 運転区間 1930 5 超特急「燕」誕生,国府津電化 C51+スハ32系7両 東京〜神戸,8時間20分 1932 7 水槽車廃止 C51+スハ32系8輌 1934 9 丹那トンネル開通,沼津電化 EF53・C53+スハ32系10両 東京〜神戸,8時間 1936 11 マシ37に冷房 1943 18 「燕」廃止 1949 24 「へいわ」誕生,浜松電化 C59+スハ42系10両 東京〜大阪,9時間 1950 25 「つばめ」に改称,「はと」誕生 C62+スハ42系11両 東京〜大阪,8時間 1951 26 C62+スハ44系11両 1953 28 名古屋電化 1955 30 米原電化 1956 31 東海道全線電化,「青大将」つばめ EF58+スハ44系12両 東京〜大阪,7時間30分 1958 33 「こだま」誕生,姫路電化 モハ20系8両 東京〜大阪,6時間50分 1960 35 「つばめ」電車化,倉敷電化 モハ151系12両 東京〜大阪,6時間30分 1961 36 「はと」復活,久留米電化 1962 37 「つばめ」は西に,広島電化 モハ151系12両 東京〜広島 1964 39 東海道新幹線開業,山陽本線全線電化 モハ151系12両 新大阪〜博多 1965 40 熊本電化 モハ481系11両 名古屋〜熊本 1968 43 モハネ581系12両 名古屋〜熊本 1970 45 鹿児島本線全線 1972 47 山陽新幹線岡山開業 481系,581系 岡山〜博多・熊本 1973 48 岡山〜博多・西鹿児島 1975 50 山陽新幹線博多開業に伴い廃止
この年表を見ると,1962年以降,「つばめ」の運転区間がめまぐるしく変わっていることに気づく.62年:広島まで延伸,64年:新大阪〜博多間に変更,65年:481系に変更,名古屋〜熊本間に変更,68年:581系に変更,72年:岡山〜博多・熊本間に変更,73年:西鹿児島まで延伸.そして,75年:廃止.
転勤,配置転換,転勤で,一生懸命働いた行く末には定年が待ち受け,バッサリ首を切られる.最後の最後まで人生によく似ている.
国鉄民営化後の1992年(平成4年),JR九州が「つばめ」の名称を再び起用した.これに先立ち,JR九州は他のJR各社に事前の了解を得る手続きを踏んでいる.「つばめ」という愛称の重みを物語っている.現在は,新八代・鹿児島中央間の九州新幹線の愛称に使用されている.なお,「はと」の名称は,定期列車では現在のところ復活していない.
東京・大阪間の表定速度の変遷を表23に示す.1934年C51牽引の「燕」から,1950年C62牽引の「つばめ」まで,機関車が大型・強力になったにも関わらず,東京・大阪間の所要時間が変わらないのは,機関車が大型・強力になり牽引定数に余力が生じると,列車の輌数が増えたためである.ちなみに,C51牽引時代の「燕」は7両編成であり,C62牽引の「つばめ」は11両編成である.
表23 東京・大阪間の表定速度の変遷
年 列 車 東京発 大阪着 所要時間 表定速度 備 考 1896 急行誕生 600 2229 16時間29分 32.0km/h 急行料金なし 1925 特急「富士」 845 2012 11時間27分 48.6km/h 1・2列車 1930 特急「燕」 900 1720 8時間20分 66.7km/h 11・12列車 1934 特急「燕」 900 1700 8時間00分 69.5km/h 丹那トンネル 1948 急行1列車 735 1922 11時間47分 47.2km/h 石炭事情悪化 1950 特急「つばめ」 900 1700 8時間00分 69.5km/h つばめ復活 1956 特急「つばめ」 900 1630 7時間30分 74.1km/h 全線電化 1958 特急「こだま」 700 1350 6時間50分 81.4km/h 電車化 1960 特急「こだま」 700 1330 6時間30分 85.5km/h つばめ電車化 1964 ひかり1号 600 1000 4時間00分 128.8km/h 新幹線開業 1965 ひかり1号 600 910 3時間10分 162.6km/h 210 km/h化 1986 ひかり21号 600 856 2時間56分 175.6km/h 220 km/h化 1989 のぞみ301号 600 830 2時間30分 206.2km/h 270 km/h化
参考文献
1)久保田博,懐想の蒸気機関車,交友社,1970
2)佐藤正樹編,国鉄特急編成史,弘済出版社,1999
3)原口隆行,時刻表でたどる特急・急行史,JTB,2001
4)宇田賢吉,鉄路100万キロ走行記,グランプリ出版,2004
5)佐藤美知男,河野真理子,特急燕とその時代,財団法人東日本鉄道文化財団,2009
6)国鉄型車両ラストガイド583系,交通新聞社,2013
7)形式485系,イカロス出版,2013
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