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田一枚植て立去る柳かな  芭蕉
(たいちまい うえてたちさる やなぎかな)
 第25回全国俳句大会 
 主催 柳まつり実行委員会
 後援 那須町・那須町教育委員会・栃木県俳句作家協会・芦野の里づくり委員会
 会場 芦野基幹集落センター
 開催日 2006.6.11(日)

 芭蕉と遊行柳
 
「遊行上人が奥州行脚の際、一人の老人に出会う。老人は朽ちた老柳の精であった。上人が念仏を唱え老人を成仏させたところ、老柳の精は感謝の舞を舞い、静かに姿を消す」という謡曲「遊行柳」(観世信光)は広く世に知られている。
 奥州街道の宿駅として栄えた「芦野の柳」がこの謡曲「遊行柳」の主題であったことから芦野には古来から現在に至るまで多くの人々が訪れている。芭蕉もその一人である。
 「芦野の柳」が謡曲「遊行柳」の主題になるには大きな理由が二つあった。
 一つは、観世信光(室町後期の能役者・能作者)が西行(平安末〜鎌倉初期の歌人)の詠んだ歌を主題にして謡曲を創作したところにある。西行は草庵や行脚での感懐を歌に託した漂白の歌人として知られるが、実は芦野の柳を詠んでいたのである。
 松尾芭蕉は(江戸前期の俳人)は西行ゆかりの遊行柳に心をよせ、1689年新暦6月6日、殺生石を見物した後芦野の里を訪れる。「おくのほそ道」には「今日此柳のかげにこそ立より待つれ」と感慨を記し『田1枚植て立去る柳かな』と句を詠んだ。
 二つ目は「芦野の柳」を「遊行柳」といわれる所以が、此の謡曲に登場する上人が遊行上人であったことにある。鎌倉中期、一遍上人が浄土教の一宗派であ時宗の開祖となった。時宗は踊念仏をといて全国を遊行する遊行宗であり「遊行上人」は「一遍上人」を指す。
 芦野の里では毎年6月6日前後の日曜日、芭蕉ゆかりの「全国俳句大会」を開催し、同時に、昔ながらの田植え歌に合わせて行う田植えも披露している。

遊行柳
遊行柳は、芦野支所から北へ300mほど行ったところの那須湯泉神社(上の宮)、参道脇にある。参道の左右に1本ずつ柳の木が植えてあるが、玉垣に囲まれた方が長年にわたって植え継がれてきた「遊行柳」で、その傍らに芭蕉の句碑がある。2006.4.15撮影
 
芭蕉が奥の細道(奥州街道)を旅をした当時の田植えのようすを演出する地元の方々
 芭蕉は黒羽に11日間も滞在しました。その間、数々の俳句を詠みました。黒羽を後にして、北に
  向かう途中(那須町高久に2泊)、殺生石と芦野を訪れる。芦野では写真のような光景を見ながら
『田一枚植て立去る柳かな』と詠んだのだろう。


       
年間投句の優秀作品 (3人の選者が選んだ特選)

  鈴木三都夫先生選

   筍も土もふる里土産なる          宇都宮市   青木 華都子
   卒業と言ふ晴れやかな涙かな      東京都     櫻井 水尾女
   少しづつ指ほぐれゆく児の昼寝   佐賀県     齊藤 さとし
   母の服ぎゅっとつかんで入学す     足利市     鈴木 静子
   安達太良の化粧直しの春の雪 宇都宮市   加茂 都紀女

  橋本昭次先生選

   阿弥陀仏前に蛙の目借時        静岡県   伊藤 巴江
   あたたかや縁に手製の椅子一つ    矢板市     村上 とし
   村の名のままの駅舎や軒菖蒲      福島県     森  幸江
   飛花落花浴びをり女らしくをり       大田原市 藤田 十紀子
   麦秋に中にフランスパンやさん      那須町 小村 直公  
  
  末永雅子先生選

   哺乳瓶の乳飲む仔牛山笑う       群馬県清水春代
   少しづつ指ほぐれゆく児の昼寝     佐賀県齊藤 さとし
   那須は紺八溝紫春兆す          那須町佐藤 都葵
   残雪の連山那須野の鯉幟         那須塩原市  高橋 邦夫
   懸け煙草連ね此処より国ざかい     愛知県平野 辰美