File No.019 心霊ちょっといい話

74 名前:うしろの ◆2ReVRdnc 投稿日:01/10/15 22:19
私は子供のころ雷に打たれたことがあります。
左腕と両足にやけどを負いましたが、幸いにも大やけどではなく、現在は左腕と左足の指先にかすかにやけどの跡が残っているくらいに回復しました。
よく雷に打たれた人が不思議な力を持つようになったとか、特別な能力に目覚めたとか
そういう話を聞きますが、残念ながら私にはそういう覚醒みたいなことはありませんでした。

ですが、不思議な経験をしたことが一度だけあります。
それは、雷に打たれて病院に運ばれたときの話です。
私は救急車で病院に運ばれたらしいのですが、病院に運ばれるまで意識が全くなかったらしいのですが、なぜかそのときの記憶が鮮明に今でも残っているんです。
近所のおばさんが気絶している私を見つけ駆けよってきたとき、はだしだった事。
知らせを聞いて駆けつけた母親がなぜか手ぬぐいをいっぱい抱えていた事。
救急車に乗っていた退院の人の顔や、救急車の中の様子。
病院であわただしく動いていた看護婦さん。真剣な顔で顔を覗き込んでいたお医者さん。
などなど、なんだかテレビで見ているような感じですごく客観的に見ているような感覚で、そのときの様子が記憶に残っているんです。

そのとき見えていたことを、母親に後で聞いてみると、なぜか全部あたっていたんです。
私としては、半分はリアルな夢を見ていたことをその様に感じてしまっていたという気持ちがあり、半分は(変な話ですが)当然のことのような変化核心みたいなものがありました。
ここまでは、臨死体験みたいな、幽体離脱みたいなことがあったのかなと思っているのですが、本当に不思議なのはここからなんです。

その意識を失っている時に見ていたものの中に、現実にはいなかった人が見えていた記憶があるんです。
うまく説明できませんが、救急車に乗せられるまでに私の側にいた人というのは、私の母親、近所のおばさん、そのうちの息子さん(救急車を呼んでくれた)、通りがかりで心配して車から下りてきた近所のお兄さんの4人しかいなかったはずなのですが、私の記憶の中では、その4人以外に、あと数人誰かいたような気がするんです。
なぜかそこの記憶だけあいまいなんですが、そのときの私と同じ年頃の子供が、3人か4人、もしかするともっといたかもしれないし、1人しかいなかったかもしれない(ごめんなさい..思い出そうとすると余計あいまいになってしまって…)。
その彼(彼女?)らが、救急車がくるまで私の体を一生懸命さすっているんです。
額のあたりをなでていたり、胸のあたりをぐるぐる手のひらでさすったり、
やけどしていたところにじっと手を当てていたり…
とても暖かいようなほっとするような、気持ちのいい感じでした。

そのときは、何でそんなことをしてるんだろう?とは思いましたが、なんだか必死な感じがしたので助けようとしてくれてるんだろうかとかそういう風に思っていたのですが、後で母親にそのことを話すと、そんな子はいなかったし、下手に動かすと行けないからと、誰もさすったりなんかしてなかったそうです。

ただ、うちの近所には昔火事で亡くなった兄弟がいて、その家の前には今でも5体のお地蔵さんが祭られているんです。
そこのおばちゃんが怪我で入院したときに数日そのおじぞうさんにお花とお菓子をお供えするのを手伝ったことがあって、私の母が言うには、その子達がお礼に命を助けてくれたのかもねと、そういうことなんじゃないのと言っていました。

今は地元を離れて東京の方に出てきていますが、たまに実家に帰ったときは、簡単ながらお花をお供えして、そのときのお礼を言うようにしています。

106 名前:コピーペ投稿日:01/10/17 03:17
誓ってネタではないけど、一応オカルトっぽいイジメの体験を。
長いのでメモ帖に書き終わってから貼り付けます。

俺は小学校2年のころ、親の仕事の都合で転向した時イジメられました。
クラス一のチビだったし、女っぽい風貌だったことも理由だったんだろうな。
唯一俺を救ってくれた友達が一人いたんだけど、そいつは別のクラスな上に家庭環境に問題がある上に乱暴なヤツで(でもイジメはしないヤツだった)思い起こせば近所の鼻つまみものだった。
封鎖的な土地柄だったんでね。
でも俺も俺の親も気にせず付き合ってたよ。
その町に引越ししてきた時に親切にしてくれたのがその一家だったんでね。
ところでイジメに関しては肉体的な暴力で(プロレス技の実験台とかの類)腕力があるヤツが止めに入るととりあえずは止まるんだよね。
でも「お前アイツにチクったやろ?」と言われまたすぐ再開。
もう15年ほど前の話なので今ほど深刻なイジメじゃなかったはずだけど当事者にすると地獄の毎日でした。

今では記憶がオボロなんだけど、そのころ同じ年頃の女の子と友達になったんだよね。
多分同じ学校の子じゃなかったと思う。
おさげ髪に七五三の時に着るような着物をいつも着てた印象があるんだけど不思議とその当時は違和感が無かった。
いつもニコニコしながら俺の話を聞いてくれたっけ。
唯一の友達に聞いても「誰やそれ?」って言うだけだし、そもそも友達と遊んでいる時には不思議とその女の子はハチ合わせしない。
でも当時は不思議とも思わなかった。

その子と知り合ってから、唯一の友達がいない日は毎日の様に学校帰りの公園で遊びました。
楽しかったんだけど、学校帰りに会うものだから「今日イジメっ子にこんなことをされた」なんて愚痴ることも多かった訳よ。
最初の内は心配そうに「大丈夫?痛かった?」なんて聞いてくれたその子がある日「男でしょ?いつまでもメソメソしてるの?」と言ったのね。
その子に愛想をつかされた気がして、その日は帰宅して泣きじゃくりました。

その翌日からしばらくその子は俺の前に現われませんでした。
それから5日ほど経った日に今までの中で一番キツいイジメに遭いました。
休憩時間に小便中、何人かに体を押さえつけられプロレス技をかけられ、そのまま個室に閉じ込められたのよ。
上から汚れた雑巾を投げられたりホースで水を撒かれたりしてね。
チャイムが鳴っても怖くて個室から出られなかった。
イジメっ子たちは既に教室に帰っていたのにね。
俺がいないので担任の先生が「T(俺の名字)はどこや?」とクラスのヤツに
聞いたら「あいつならトイレじゃないの~?」って笑いながら言ったやつらの言葉をもとにトイレに駆けつけるまで、俺はとっくに開いている個室の中で泣きじゃくり座り込むだけだった。

先生に抱きかかえる様に教室に戻り自分の席に着こうとすると、近くの席のイジメっ子の一人と目があった。
ヤツは半笑いで「長いウンコやったな、○○子ちゃん」と俺の名前を女の子の様に呼びました。
その時、今まで溜まりに溜まったモノがはじけた様な気がしました。
同時にあの女の子の言葉を思い出したのね。
気が付いたら飛び掛って、素手でそいつの顔面を殴ってました。
「謝るまで殴りつづけるからな」とか言いながら。
そいつはあっけにとられたのか反撃出来ず、やられるまま。
他のイジメっ子は最初そいつを助けようとしたけど、キレている俺と目が合うと、視線をそらしたので、俺は今度はそいつに飛び掛りました。
不思議なことに先生は殆ど止めに入らなかった。
多分トイレの一件で俺がイジメられたことを理解したせいかな。
結局俺が3人のイジメっ子を殴り、2人が泣きながら俺に謝ったタイミングで
「もうええやろ。(イジメっ子に向って)お前らもしょうもないイジメなんか2度とすんなよ」と言って仲裁に入るまで。

それからはイジメがなくなったよ。
イジメっ子たちは俺と目を合わせなかったけど、クラスに友達も出来たからどうでも良かったし。
後日談だけど、その女の子のこと。
しばらくしてその子と一回だけ遊んだ記憶があるんです。
俺がイジメっ子を殴った武勇伝を話そうとする前に、その子は全てのことを知っていたの如く「この前はえらかったね。」と言いました。
「何で知ってるの?」って聞くと、その子は何も言わずに微笑み「もうお別れだね。」って答えました。
それだけの記憶です。
そして本当にその日からその子と会うことはありませんでした。
もっともその当時の俺は新しく出来た友達なんかと遊ぶことの楽しさを覚え始めていた時だったのであまり気にも止めませんでした。

この話を思い出したのは、今年の春に参列した親戚の葬式の時、母から聞いた話からです。
俺には生きていれば1歳上の姉がいたという話。
姉は両親の初子だったんだけど、運悪く流産してしまったそうです。
そういえば、小さいころに供養に連れてかれたことがあったけど当時は流産の意味さえよくわからなかったので、最近まで忘れていました。
そして推測でしか無いけど、あの当時俺を慰めたり叱ってくれた女の子は死んだ姉だったような気がするのです。
わずかに記憶に残っている女の子の輪郭の一部からなんとなくだけどね。
イジメにあっている弟が立ち直るまで見守ってくれたのかな。
母に「そういえば・・・」って感じで葬式の時このことを話したら「多分そうだろうね」と同意してくれました。
今年の盆休みには久し振りに姉の墓参りに向かうつもりです。

長文、乱文スマソ

132 名前:偽善者投稿日:01/10/19 00:57
小学生のとき近所に俺の3つ下の知恵遅れっぽい子がすんでました。
同じ小学校に通ってたんだけど、その子やっぱりいじめられてました。
というかまるで人間扱いされてなかった。
授業中に大便もらしたり、着てる服いつも汚くって、身体検査のときパンツが汚物まみれだったって話も聞いたことあった。
まぁ、いじめら黷驍フ分る気がするけど、それにしても、こずかれるのはもちろんトイレで水かけられたり、カバンとか焼却炉に捨てられて燃やされたり、石投げられてるのも数回みたことある。
でも、その子、そんなことされても、泣きながら一生懸命笑ってた。
今思い返すとがんばってたんだろうなと思う。
でも、悲しいことにその泣き笑い顔が逆撫でしちゃうんだよね。
涙でぐしゃぐしゃの顔なのに引きつった笑顔で、しゃくりあげるのと、笑い声(と思われる声)がごっちゃになってうめき声ともなんともいえないような声が正直ぞっとさせられた。

俺が小学6年になったころ、実は俺もいじめられてた経験があったから、なんとなく同情したのかな、せめて学校帰るときは一緒に帰ってあげようと思って半分保健室登校になってたその子と一緒に帰るようになったのね。
正直気持ち悪いと思わなかったわけじゃないけど、手を握って帰ってた。

みんなはそんな俺たちを見かけると、必ずからかってきたし、石投げられたこともあった。
最初は「売られたけんかは買う!」と、守らなきゃと思って、石投げ返したり、悪口言い返したり、からかってきたやつにつかみかかったりしてた。
でも、いつもそんな時いじめられてる当の本人が俺を止めるのよ。
あの気持ち悪い声を出しながらぐしゃぐしゃの顔で。
手を強く握ってきてね、離さない。
そのうち、なんとなく、本当に憶測だけど、彼なりにそれはそれでいじめられることも含めて、誰かにかまってもらうことがうれしいんじゃないかなと。
いじめてくる子達も、彼の中では貴重な友達の一人なんじゃないかなと感じるようになった。
そう思うようになってからは石投げられても、からかわれても、されるがままにしておいた。
「はいはい。うんこ兄弟です。うんこ兄弟とおりまーす!」って感じで(ワラ
さすがに石を投げられたり、暴力の場合は抵抗したけど、前みたいに逆襲することはなかった。
だからといって、ドラマみたいにいじめがなくなるわけじゃなかったけど、それでもいいかと、
そんなんでも彼が一生懸命生きてるっていうのが分ったから、あまり気にならなくなっていった。

でも、そういう気持ちになれたころ彼入院しちゃってね、夏休みになるちょっと前から学校にこれなくなっちゃって、そのまま俺が卒業するまで学校に来ることなかったのよ。
もう会えないな、、どうしてるかな、そう思っていたけど、彼の親が入院先教えてくれなくって、
(たぶん、今考えると、精神系の病院だったのかなと、だから教えてくれなかったんじゃないかと思う)
結局今まで会うことできないままになってます。

で、俺が高校生のとき、そんなことがあったのはすっかりわすれてて、若かった俺はやっぱりドキュソで(ワラ
学校行かなくなったときがあったのね。今で言う不登校かな、そんな感じ。
いろんなことがつまんないし、親はむかつくし、ほぼ毎日中退したこれまたドキュソの友達の家にいりびたって、今思うと恥ずかしいね。
シンナーやってみたり、そんなあほあほな時がありました。

で、ある日ほんとーにつまらないことで、ドキュソ友達とけんかになってね、いろんなものがたまってたのか二人とも血みどろのけんか。。。。
頭真っ白になっちゃって、今で言う「キレル」ってやつ。
ほんとに友達を殺しちゃうんじゃないかってくらい殴りつづけちゃってね。
トドメ!ってかんじで、そこにあった石ブロックを手にしたとたんそれがなんかやたら重いの。
たぶん4・5キロくらいしかないと思うんだけど、やたら重くてね、「え?!」って感じでそのブロック見たらその上に子供が乗ってるの。
「は?!」と思ってもう一回見直したらもうなにもいない。
石ブロックも簡単に持ち上げられるのよ。
そんとき我に返ってね。
思い返すと、例のあの子だったような気がするんだよね。ブロックの上に乗ってたの。
「そんなことしても意味ないよ」って言われてるような気がして、
小学生のときのこと思い出しちゃって、、、、
おかげで、大事にならなかったよ。あのままブロックで友達殴ってたらと思うと、背筋寒くなる。
やっぱり、とめてくれたんだろうなぁと思ってます。

おわり

297 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日:01/11/20 11:27
昔どこで誰に聞いた話かは忘れてしまったが、ちょっと良い話。
ひょっとしたら雑誌で見たかもしれんが。

ある大学の寮では毎年決まった時期になると、寮内を部屋から部屋へと走り抜けるマラソンランナーの霊が出ていた。
何故出てくるのか誰もわからず、除霊もできずにいたそうなのだが、ある年の新入生が、そのランナーの霊がいつも一番最後に通り過ぎる部屋に、ゴールテープを張って待ち構えていたところ、案の定やってきた霊が、そのテープを切って見事ゴール。
霊はとても嬉しそうに微笑んで消えた。
その後そのランナーは現れなかったそうだ。

462 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・投稿日:02/01/23 14:29
ここのスレットに書き込んでいいものかどうか迷ったんですけど、ちょっといいはなし。
当時、私は精神的に荒んでいて、よく大型バイクをかっ飛ばしたりしていました。
その日もバイクで走っていたのですが、広めの幹線道路は渋滞していました。

そこで、道の左端をすり抜けて進みました。それなりに運転技術もありましたし、どうなってもいいや、という部分があったので..危険だと知りながら、それなりのスピードが出ていました。

そして、渋滞している車が途切れている所へ来た時に、対向車線からファミレスに右折する車に右側から当てられたのです。
車も急いで右折してスピードがあった為、かなりの衝撃でした

今にして思えば、一瞬のことでしたが..妙なスローモーションを見ている様な感じで、バイクに乗ったまま、私は電柱が正面に迫ってくるのが見えました。

その時、何か白いものが横から飛びかかってきて、私はそれに抱きつかれる様な感じでバイクから落ちて、道の脇にある歩道に転がりました。
転がるのが止まって、歩道に仰向けになっていると、その白いものは私の体から離れました..それは、白い服を着た女の子でした。

その女の子は、ふぅ、とため息を一つつくと、
「あぶなかったね」と微笑みました。
そしてスッと消えました。
そして、私があまりの事に呆然としていると、肩を軽く叩かれ、耳元で「あまり無茶をしちゃダメよ」という声がしました。
でも、振り返っても姿はなく..
そうしているうちに、ぶつかった車の人が降りてきて、救急車が来て..病院に運ばれて..と。

私は、足に軽い打撲があっただけで、ほとんど無傷でした。
事故の大きさと比べると奇跡的といっていいぐらいに。
私のバイクは電信柱にぶつかり、グチャグチャに壊れていました。

後に警察に事情聴取に行った時..警官が..「よく、バイクから飛び降りられたな、そのまま突っ込んで悲惨なことが多いんだが..」と。

私は、飛びついてきた、白い服の女の子を知っていました。
その事故の三年ぐらい前に交通事故で亡くなった、私の婚約者だったのです。
病院で息を引き取る時の最後の言葉..
「愛している、ずっと見守ってる」
その事が鮮明に思い出されました。
実際のところ、私が見たのは幻覚なのかもしれません。
でも、事故の時に来ていた皮のジャケットが警察から戻ってきた時、歩道と擦れて毛羽立ってしまった傷だらけになった背中の部分に、細い腕と小さい手の形で無傷の部分がくっきりと残っていました。

彼女を失って、自暴自棄になっていたのが続いていたのですが..
その事故があってから、ちゃんと前向きに生きなければ、と。

472 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・投稿日:02/01/25 08:01
昔、数年間付き合ってた彼女が他界した時の事です。
形見として、いくつか持ち物を頂いたのですが、その中に、二人で買った、お揃いの石のお守りもありました。
私はかなり落ち込んでいて、かなりの期間立ち直れませんでした。
でも、1年ほど経った時、あることをきっかけに前に進もう、と決意したんです。
その後、不思議な事がありました。
夜寝て、暫くしたら目が覚めたんです。
普通に目を覚まして、普通に周りを見たのですが、部屋の物の配置が、2年ほど前の物になってたんです。
不思議に思って、ぼーっと部屋を眺めてると、彼女がドアを開けて入って来ました。
その後、机の引き出しに入れていた二人のお守りの内一つを取り、笑って私を見て、
「もう、大丈夫だからいらないみたいね。頑張ってね」という様なことを言って、また出て行きました。
この後の事は良く覚えていないのですが、次に気づいた時は、いつもの部屋でした。
昨日までの配置。
普段と同じ配置。
急いで引き出しを開けて確認したところ、御守りは、一つだけになっていました。
今でも大切に持っています。

もう7年前の話です。

534 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・投稿日:02/02/22 13:28
これ、ほんとにネタでもなんでもないマジな話なんだ。 高校の修学旅行の時、奈良の若草山で友達と鹿にせんべいをやっていたら、一匹の鹿がいきなり、俺の手にがぶりと噛みついたんだ。
頭に来た俺は、友達と2人でその鹿にキックしたり耳を引っ張ったりしてあちこち引きずり回していたら山の裾野の方に用水路みたいなのがあったから、鹿連れて、その用水路にドボーンと投げ込んだんだ。
そうすると鹿の奴、水の中を浮いたり、沈んだりしながら哀しそうな目をして「メぇー」と鳴きながら下流の方に流れていってしまった。
鹿のことは、すぐに忘れてしまったけど、それからが大変だった。
夜中、俺の部屋で鹿が歩いている気配を感じたり、耳元でいきなり「メぇー」って幻聴がきこえたりとか、半分ノイローゼになりそうだった。
一番、最悪だったのが、彼女とのエッチの時、なぜか彼女のまんこが鹿臭くなることだった。
しかし、最近、出張で奈良に行った時、若草山を通ったら、1匹の鹿が駆け寄ってきて俺に何事かささやきかけたんだ。
俺には、「もう許してあげる」と聞こえた。
多分、その鹿は俺が殺した鹿の子供だったんだろう。
それ以来、怪奇現象はぴったりとおさまったよ。
いい話だろ。

695 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・投稿日:02/04/08 19:30
ここのスレを読んでいてふと思い出したので書きます。
私の祖母は小学五年生の時に亡くなりました。

私が24歳ぐらいの時(二浪して就職まぎわ、藁)にいきなり夢に現れました。
そして、長い暗い洞窟を手を引いて歩くのです。
「おばあちゃんここどこ?」と聞くと「ヨナグニだよ」と言います。
私はそこはいったい外国なのか、なんなのかわからないまま祖母に手を引かれて歩きました。

祖母は洞窟の突き当たりまで来ると、紙のようなものと入れ歯を燃し始めました。
「おばあちゃん、何やってるの」と聞いたら「●●さんが入れ歯忘れたからね、届けてるの」と言います。
私は心細くなって「帰ろう」と言うと「幸せにね」と言いました。
その後、いきなり真っ暗な島のシルエットを一瞬見ました。
そうかと思うと、満開の桜の花が視界いっぱいに咲き乱れていました。
夢なので、こまぎれなのです。

目が醒めて、私はその夢の話を母にしたところ、話は親戚に伝わりました。
祖母の言う●●さんは、祖母の義理の姉で、祖母の死後にすぐ亡くなったのだけれど、バタバタした葬式だったということでした。
後で仏壇を探したら入れ歯が出てきたとか…夢のおかげでお墓に納めることが出来たと感謝されました。
が、これだけでは終わりませんでした。つづきます。

「ヨナグニ」という言葉がひっかかっていたので、地図を調べたら、沖縄に「与那国島」という島があることを知りました。
当時、私がなんとなくつきあっていたオトコノヒトが沖縄出身だったので、何気なくその話をしたら、
「与那国は神様の島。きっとおばあちゃんが燃していた紙はジーチンという死者に捧げる紙のお金だよ」と言いました。

だいぶ後になって、その人と結婚する時に祖母が「幸せにね」と言った言葉がはじめて蘇りました。
そういう意味だったんだね…おばあちゃん…

わかりづらい話ですいません。
桜が咲くとなぜか思い出します。

817 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・投稿日:02/06/03 21:37
人から聞いた話。ガイシュツだったらスマソ

太平洋戦争当時、彼は飛行機乗りだった。
海上で敵戦闘機との交戦がはじまり、彼は必死で戦った。
気がつけば周りの友軍機は次々と撃墜され、ついには自分ひとりになる。
彼はなんとか雲の中へと逃げ込み、敵の追撃をまぬがれた。
しかし雲から出てみれば自分の現在地がよくわからない、必死でまわりを見渡すと、さきほど撃墜されたはずの友軍機ががいる。
「よくも、無事で」と思っていると「こっちだ」といわんばかりに友軍機は旋回を始めた。
その友軍機に付いていくと間もなく飛行場が見え始めた。
着陸しようと機の体制を変えているとと、さっきまでいた友軍機がいない事に気付く。
変に思ったものの、ひとまづ着陸を終えた。
それからしばらくさきほどの友軍機の着陸をまつが、降りてこない。
不思議に思い、近くにいた整備兵に尋ねて見ると、彼以外に先にも後にも誰も帰還していない事を聞かされる。 それから何日か後に彼のいた飛行隊は彼以外は全員戦死したとの報告をうけた。

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