File No.019 心霊ちょっといい話

25 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・投稿日:2001/05/04(金) 21:57
このスレ読んでほんとよかったです。涙が止まりません。

私も似たような体験があります。
私の母は私を産む前に2回流産しており、3度目(私)も何度か駄目になりかけていたそうです。
妊娠4ヶ月頃の時もやはり体調を崩して流産しかけたらしいのですが、その時、庭で二人の女の子が遊んでいる声を聞いたそうです。
その当時の我が家の立地条件から、近所の子が庭で遊ぶなんて事は考えられないということで、看病しに来ていた叔母に見に行ってもらったそうです。
そしたらその女の子達が、「妹が心配なの」とただ言っていたそうです。
叔母が母にこの話をしたとき、「もしや」と思ったそうです。
産めないまま水子にしてしまった子達ではないか、と。
その晩、母はこんな夢をみたそうです。
目元がよく似た二人の女の子が光る玉らしきものを抱えていて、
「自分達は生まれてもすぐ死んじゃう運命だったから、次の子に全部任せる事にしたんだけど、
今のままじゃまた生まれてもすぐ死んじゃうからこれを渡したかった」と言ったそうです。
そして、ぼうっと立ちつくす母に向かってその玉を渡したそうです。

その数ヶ月後に、母は未熟児でしたが無事女児を産みました。これが私なんですが。
乳幼児の頃はかなり病弱だったそうなのですが、2歳の時に病院でずっと、「お姉ちゃんがいる」と言っていたそうです。(記憶はありませんが)
今19歳ですが、無事健康優良児で生きています。
きっと、姉二人が守っていてくれるんだなぁとこのスレを読んでしみじみ思いました。

88 名前:長くてすまん投稿日:2001/05/12(土) 21:54
こんな話はごまんとあるだろうが・・・
俺が地元を離れ、仕事してた時のこと。

休みもない仕事だらけのGW中に、滅多にない実家からの電話がきた。

親父危篤、脳腫瘍。もって数ヶ月。

親父が定年を迎えようとしていた、ほんの数ヶ月前だ。
俺に”マイコン”を教えたのが、親父だった。
仕事に穴をあけることができない状況にいた俺は、「盆までなんとかもってくれ」
そんな身勝手なことを願っていた・・・

そして7月に入ったある日、夢を見た。

端末に向かって仕事している俺。
すると、いつのまにか親父が後ろにいた。
「仕事はどうだ?」
仕事中の俺は一瞬驚いたが、生返事を返し、黙々と仕事を続けた。
「Cは覚えたか?HP-UXはこう使え云々」等々初歩的な講釈をたれる親父。
延々つづくそれがいいかげんうざくなり、つい口が滑った。
「んなのは分かってる。俺のほうが詳しいっつーの!」
すると寂しいのか、うれしいのか分からないような微笑を浮かべ

「・・・そうか」

そう一言いい、どこかに去っていった。

そこで目がさめ、目覚ましを見ると、6時半過ぎ。珍しく早起きをした。
出社。仕事始めてすぐに実家から電話。

親父死亡の連絡。

心の準備は既にしてあったのでショックはなかった。
死亡時刻は、その日、俺が起きたちょっと前だった。

その後、無事葬式を終え、会社に戻ってふと夢を思い出したとき、式でも流さなかった涙が出た。
泣いた。

闇雲に働いて死んでいった親父の人生にむなしさを感じたからなのか、
仕事にかまけて、死に際にそばにいてやれなかったせいなのか、
枕もとに立った親父にたいした言葉を掛けられなかったせいなのか、
削られた人間性を仕事のせいにしようとしていた自分になのか、
夢でみせてくれた最後の表情の意味を理解したせいなのか、
あるいはすべてのせいなのか、よく分からないが。

ただ、街を離れる列車を見送る親父の、目を赤くしている姿だけは、今でも強く焼きついている。

93 名前:つー投稿日:2001/05/13(日) 00:49
私の家には、おばあちゃんがいました。
でも、仏壇にはもう亡くなった父のおばあちゃん、おじいちゃんの写真があります。
幼稚園の頃は、不思議と思っていませんでしたがある時、母に聞きました。
私の家にいるおばあちゃんは、一般言うおばあちゃんではなくて父の叔母さんなんだよと言われました。
私がおばあちゃんと呼んでいる人は、耳が聞こえなく、もちろん話しも出来ません。
だから、みんな手話で話していましたが幼い私は、手話で話しているおばあちゃんの口から時折もれる
「あーあー。あー。あー。」って言葉がたまらなく嫌でした。

一緒に住んでいた理由は、おじいちゃんが生きていた頃にさかのぼります。
おばあちゃんは、同じく耳の聞こえない男性と結婚したかったけれど
おじいちゃん(父のお父さん。おばあちゃんの兄)に承諾してもらえず
結局、それから誰とも恋愛もする事もなく一人の女性の幸せを何一つ叶う事なく歳だけを取っていったのです。

おじいちゃんは、耳が聞こえず、話せない人間を嫁に出す事を逆に迷惑だから追い出したんだと、世間に言われると気にしての反対だった様ですが、母にしてみれば耳の聞こえない叔母さんが同居で苦労したようです。
子供の私は、そんな事より私の大切な猫を折檻したり朝早くから、ガタガタと起きだして何かする事や私の友達に「あーあー」と話しかける事が本当に嫌でした。

俺も親父2年前に亡くしてるんで、気持ちわかります

今なら気持ちが分かります。
若い時の恋愛は障害で終ってしまい、住んでいる家には甥っ子の嫁がいて子供がいて、自分だけは家族がいなく・・・
そして聞こえない。話せない。
そんないらだたしさが時折母に、私にと向けられたって事を。
学生の頃、進学の事で喧嘩になりプチ家出をした。
三ヶ月後に見つかって、しぶしぶ家に帰ったらおばあちゃんは私に、五百円玉を握らせて手話で言いました。
「おこずかいあげるから。おこずかいあげるから。」

五百円玉は、今と何ら変わりなく五百円玉の価値しかなく「は?何、この小銭」と思いました。
いつも話せないその口で、小言ばっかり言っているおばあちゃんが何故に、五百円をくれたのかわかりませんでした。
社会人になったある日、突然亡くなりました。
急いで実家に帰り、どうしたのか聞いてみました。

おばあちゃんは、亡くなる数週間前に母が、自分のお金を取ったと暴れて倒れて半身麻痺になっていました。
朝、起きてからおばあちゃんを、ふとんを高く積んで座椅子の様にして背をもたらせて、お茶とおせんべいを一人で食べてもらっていた所おせんべいを握ったまま亡くなっていたそうです。
お葬式は、母をご苦労様とねぎらう人が多くておばあちゃんの知り合いは一人だけでした。
偶然に、本当に偶然に同じ話せないおばあちゃんが葬儀の花輪を見つけて来たのです。
家族対おばあちゃんって感じの家族構成・・・だった。
孤独でさびしかったよね。
まだ気がついてあげれなかった私です。

夢を見ました。
パッと空一面に大きいおばあちゃんの顔。
びっくりしてぼっーと見ていたら、にこにこ笑って
満点の笑みで、うん。うん。って頷いていました。
初めは夢じゃないと思っていたので、内心は
「何で私にうん。うん。言ってるのかな?」でした。
目が覚めてから、すぐさま母にTel。
そしたら、その日はおばあちゃんの月命日でした。
その日から、すっごく悲しいです。
後悔するなら、もっと早くに気づきたかったです。
もっと別の楽しみを、私がしてあげれば良かった。
戻せるなら、その頃に戻ってどこかに連れていってあげたいです。

204 名前:あなたのうしろに名無しさんが・・・投稿日:2001/05/20(日) 14:21
これは僕の母親が実際体験した話です。

今から10年程前、僕の家が火事になりました。
幸い母親の発見が早く、火事はボヤで済んだのですが、出火は夜中の3時。
どうしてそんな時間に発見できたのか、ずっと不思議でした。
しかし、最近になって、母親がその理由(?)を話してくれました。
以下は母親の話を書きます。

火事の2週間程前から、家の中で何かの黒い影が動く事がありました。
ソレは、廊下の曲がり角を見ると、まるで視線を避けるかのように隠れました。
他の家族の者は全く気付いていないようでした。
子供くらいの大きさだった人影は、数日のうちにどんどん大きくなりました。
火事のあった日には天井に届くくらいまで大きくなったのです。
そして火事当日、偶然目が覚めた母親は偶然火事を発見しました。

火事以来、不思議な人影はぱったり現れなくなりました。
「何か」が母親にだけ、火事の警告をしていたようです。

下手な文章でわかりにくくてすいません。

419 名前:他スレの199投稿日:2001/06/29(金) 22:06
高校の時に友人の家に泊まったら、天井から降りてきた白っぽい人影が部屋の中うろうろ歩き回ってた事があった。
金縛りとかはなかったけど、そいつが暫く部屋をうろついた後、台所の方に消えていって、また部屋に戻ってきたところで恐怖心が頂点に達して気を失っちゃったみたいで、起きたら朝だった。
友人が用意してくれた朝飯食べながら恐る恐る聞いてみたら、「あ、やっぱり来てた?」 だって。
なんでも、そのアパートに越してきた頃からたまに出てて、初めは驚いたけど、馴れちゃったんであまり気にしないで住んでるんだとか。
で、それまでは友達とか泊めてる時は出てこなかったんだけど、俺が泊まった夜はそいつが夢に出てきて、
「おどかしちゃったみたいだから謝っといてくれ」みたいな事を言われたんだって。
俺が、ヤバいんじゃないか?引っ越した方がいいんじゃないか?
ってな事を言ったら、友人は、
「初めは驚いたけど、別に何かされるわけじゃないし家賃も安いから」だってさ。
実際、そいつは卒業するまで元気にそこに住んでました。

ん~、でも、朝っぱらから怯えまくる俺をみて友人が担いだ可能性もあるような気がしますし・・・
これがあのとき本当に起こった事実だったとしたら、来訪者を気遣う律儀な幽霊って事で
「心霊ちょっといい話」っていうスレタイトルに乗っ取った出来事だと思うんですけど(苦笑
実際、どうなんでしょ? 夢枕に立って客を気遣う幽霊って、他にどなたか体験ありますでしょうか?(汗

519 名前:すもも投稿日:2001/07/15(日) 18:54
私は20歳の時に、仲良しの友達を白血病で亡くしました。

入院する前に「退院したらゆっくり話したいことあるから、検査だけだから待っててね」って言われてそのまま・・・・。
いつでも話せると思っていたのに、入院してそのまま亡くなってしまったことで話をそのままにしていた私はすごく後悔していました。
そして「幽霊でもいいからもう一度話したい」と毎日思っていたんです。

亡くなって35日くらいたったころでしょうか。
彼女が夢に出てきました。
「お線香あげにきてくれてありがとう。話せなくて残念だったけど心配しないで。
私は元気だよ。でもね。お母さんが甘いものばかり供えるから太っちゃって困る」と、言うのです。

それから2週間ほどして、彼女の家にお線香をあげにいきました。
「お母さん。あの子が夢枕に立って、甘いものばかり供えるから太って困るって言ってましたよ」と伝えると、彼女のお母さんは、とても驚いていました。
彼女が生前甘いものが大好きだったので、毎日甘いものを供えていたそうなんです。
「明日からはおせんべいも供えるわ。教えてくれてありがとう。」とお母さんは約束してくれました。

こんなことって本当にあるんですね。
彼女とはその後も何度かそういうことがありました。
それはまた今度の機会に書きますね。
長文になってしまってごめんなさい。

851 名前:大渦よりの来訪者 ◆8An/neko 投稿日:01/08/30 23:40
面白そうなスレを見つけたので。軍事板でかつて書きこまれた話の引き写しですが、私自身もこの話を聞いたことがあります。有名な話なんで既出かも。

皆様、マラッカ海峡ってご存知でしょうか?
世界銃にいくつかある国際海峡の一つです。場所はご自分で地図で調べてください。
だいたい、シンガポールからオーストラリアのポートダーウィンに向かって視線を走らせれば、確実に見つけられると思います。

ここ、国際海峡なため各国の船の通過が自由です。しかも回りの国は政情不安。
ですから、今の時代なのにやたらと海賊船が出没する事で有名です。

その、いまどき珍しい日本船籍の貨物船も運悪く海賊に目を付けられてしまったのです。
気がついたときにはそうとう近づかれてしまっており、もう引き離せません。
無線室が運良く近くを航海中の何処かの国の軍艦と交信でき、助けを呼ぶ事だけは出来たのですがもはやどうやっても間に合わない、そんな状況でした。
取り敢えず、日本人船員達と外国人船員達があまり効果は無いとはいえ、何もしないよりはマシと船の後部甲板から高圧の放水を行い、海賊船を引き離そうとしますが、そこは向こうも慣れた者、やっぱり上手く行きません。
遂に乗り移られるか、と思ったその時、突然海上に威嚇射撃の砲声が響き渡りました。
同時に、海賊船の後方から物凄いスピードで何処かの軍艦が走ってきます。
当然の事ながら海賊線はその場で遁走、貨物船は無事に済みました。

件の黒い船は、見事な操船で貨物船の横から等距離にならぶと、
(偉く古臭いデザインの軍艦だったそうです)
サーチライトを使った和文モールスで「無事か?」と聞いてきました。
無論、助けてもらったおかげで被害は一切有りません。
「無事だ」と返信すると、艦橋の上にいた人間が敬礼してきました。
貨物船の艦長、取り敢えず敬礼を返しますが何か変だと言う気分が抜けません。
その船はあっという間に加速すると貨物船を追い越していきました。
………船尾に旧帝国海軍の軍艦旗である旭日旗をはためかせながら。

何処かの国の軍艦の悪戯だったのでしょうか?それとも………。
でも、前の戦争の英霊達が見るに見かねて助けてくれたと信じたい気がします。

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