File No.019 心霊ちょっといい話

怖いだけじゃない心霊話を集めてみました。

86 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/02/20(火) 22:32
これは私が知人から聞いた話です。
彼がある老人ホームを慰問したとき、そのホームに痴呆症(といわれている)の女性が入所していました。
そのおばあちゃんは消灯後みんなが寝静まってから、ぶつぶつ独り言を言うので周囲から嫌がられ、度々注意を受けていたようです。
たまたま知人は、そのおばあちゃんの目がキラキラしているので、ふと彼女の話しを聞いてみたくなりました。
すると、痴呆症と思われていた人が、すらすらを話しを始めました。
なんでも、彼女はご主人と死に別れてその施設に入所されたそうです。
それからというもの、夜な夜な亡くなったご主人がそのホームを訪れ、話しをしに来てくれるようになったそうです。
しかも、そのご主人は亡くなってからというもの、なんと、海外旅行を楽しむようになり、その旅行の話しを聞かせにホームに現れるとのことでした。
ヨーロッパへいったり、アメリカへ行ったりそのつどその旅行がどんなに素晴らしかったかを報告されるそうです。
しかも、生前と何ら変わらぬご主人が……
でも、他の誰にも姿も見えなければ声が聞こえるわけではありません。
「こんなこと、誰にも話せませんよねえ。」とおだやかに苦笑されたそうです。
私の知人は、この彼女の「話し」を疑うことができなかったそうです。
さて、私はこの知人の「話し」を疑うことは簡単です。
でも、たとえ知人の「夢」だとしてもおばあちゃんの「夢」だとしても私は事実であると信じます。
それが人と人との縁(えにし)にたいする私の「夢」だからです。

106 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/02/22(木) 00:06
二泊三日の中学生の修学旅行。新幹線で母の実家のそばを通った。
暫くして遠くに小高い山が見えて、そこに母の実家のお墓があり小さい頃、祖父が亡くなったとき一度お参りした事を思い出してなんとなく新幹線の中からこっそり手を合わせた。
修学旅行から帰ったら母が言った。
「夢であんたのおじいちゃんが出てきて言うのよ。
あの子もでっかいやんちゃなやつになったなーって。
でも、いい子だ。手ぇ合わせていったって。うれしそうに言ってんのよ」
おじいちゃん、見てたんか…?

200 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/02/28(水) 02:17
みなさん亡くなられた祖父母とのいいお話があるんですねぇ

私も祖母とのとっておきの話があり、いい思い出として人には話さないようにしていたのですが このスレが良い感じなので書かせていただきますね。

当時小学生だった私はひとつ下の妹と両親、そして祖母の5人で住んでいました。
祖母はとてもハイカラな人で、洋服をデザインするアトリエに勤めながら、おしゃれをしては銀座を闊歩するのが趣味でした。
食べるものも、ドーナッツやファーストフードが大好きで、祖母と一緒に出かけると
いつもハンバーガーをごちそうしてくれました。

祖母は家族の誰よりも元気そうに見えたのに病に倒れ緊急入院、そして数ヶ月の闘病の後、亡くなりました。
あっという間の出来事のような気がします。

祖母が亡くなってから数日後に、私は夢をみました。
真っ白いところに真っ白い服を着た祖母がニコニコしながら立っていました。
そして、私と妹にこう言うのです。
「私はあっという間に死んでしまったから、おまえたちに何も残してあげられなかったのが何よりも残念なの。
さぁ、欲しいものをいってごらん。」と・・・。

となりにいた妹は即座に「ぬいぐるみのクマさんが欲しい!」と言うのですが、
祖母は「そんなんじゃ大人になってから役にはたたないじゃないか。もっと一生大切にしてもらえるものを残したいんだよ。」と答えました。

で、ちょっと記憶が曖昧になるのですが、最終的にデパートかどこかの宝石売り場に行って、あれこれと選ぶところで夢が終わりました。

次の朝、朝食の時間に母に「今日、こんな夢をみちゃった」と話を始めると、母の動きがとまり神妙な顔つきになったのです。そして一言「やっぱりあれは・・・」というのです。
気になったので話を聞くと、祖母が亡くなってからまわりの遺品を整理しているときにタンスの中から小さな箱が二つでてきたそうです。
開けてみると、まったくおなじ真珠のネックレスがはいっており、しかも値段はついていないものの使った形跡がみられないとのこと(つまり、ブランドのタグとかはつきっぱなしだったようです)。
またデザインが老人用というよりは、若い人向けのデザイン(シンプルなプラチナのチェーンに一粒の真珠がついているものです)だったので、もしかしたら私たちにあげるつもりで祖母が用意していたものかもしれない、、、と母は話してくれました。

偶然だったのかもしれませんが、私には祖母からのメッセージのように思えて、今でもこのネックレスを使うときは祖母のことを思い出します。

564 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/04/01(日) 22:14
わたしが5歳くらいの時。
母が祖母の看病のため実家に頻繁に帰っていた頃のことです。
母がいない夜は父がわたしに性的ないたずらをするので怖くてたまりませんでした。(わたしは女です)
その夜もわたしが電気を消して布団に入ってしばらくするといつものように父がすっとふすまを開けてわたしの布団に忍び寄ってきました。
抵抗すると激しく殴られたので身を固くしてじっとしていましたが、父がわたしのわたしのパジャマに触れた瞬間、「わっ」とも「はっ」ともつかない押し殺した声を上げて、逃げるように部屋から出ていったのです。
なにごとだろうと目を開けてみると、わたしの枕もとに痩せたおじいさんが座っていました。
驚いて起きておじいさんのいた辺りを見てみましたが、もう誰もいません。
数年後に写真を見てわかったことですが、その人は母方の祖父にそっくりでした。
わたしが生まれた年に亡くなっていたので会ったことはありませんでしたが。

あの夜以来、父がわたしにいたずらすることはなくなりました。

589 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/04/04(水) 01:19
私には生まれた時からかわいがってくれていた祖母がいました。
若い時から苦労していた祖母は私が小学生の時にボケてしまい、その後肺炎をこじらせて亡くなりました。
私はボケてしまった祖母に冷たくしてしまったりしていたので、亡くなった時自分を責めました。
あんなにかわいがってくれたのに・・・と葬儀の日は泣きっぱなしでした。

そして10数年が経過し、私は高校の卒業式を迎えました。
部活を掛け持ちしていた事もあり、たくさんの花束を貰って帰りました。
駅前の店で、抱えきれない程の花束を持っているのがつらかったので紙袋を買い、近くのバス停のベンチで荷物の整理を始めました。
すると、ベンチの端っこに座っていたお婆さんが話しかけてきました。
「今日卒業式なの?おめでとう」と・・
眼を上げると、なんとその方は亡くなった祖母にそっくりでした。
思わず言葉に詰まってしまった私はろくにお礼も言えませんでした。
ただ一言「ありがとうございます」と小さな声で答えただけです。

他人のそら似だったとしても、私は祖母がお祝いしに来てくれたんだなと今では思っています。
ありがとう~おばあちゃん。
時々想い出すからね。

644 名前: 愚か者 投稿日: 2001/04/07(土) 00:33
誰が言ったか忘れたが、男が涙をみせていいのは、財布を落とした時と母親が死んだ時だけだそうだ。
そんなわけで、人前ではほとんど泣いたことのない俺が生涯で一番泣いたのはお袋が死んだ時だった。

お袋は元々ちょっとアタマが弱くて、よく家族を困らせていた。
思春期の俺は、普通とは違う母親がむかついて邪険に扱っていた。
非道いとは自分なりに認めてはいたが、生理的に許せなかった。
高校を出て家を離れた俺は、そんな母親の顔を見ないで大人になった。
その間実家に帰ったのは3年に1回程度だった。

俺も30を越え、いっぱしの家庭を持つようになったある日、お袋が危篤だと聞き、急いで駆けつけた。
意識が朦朧として、長患いのため痩せ衰えた母親を見ても、幼少期の悪い印象が強くあまり悲しみも感じなかった。

そんな母親が臨終の際言った。
「ダメなおかあさんでごめんね」
精神薄弱のお袋の口から出るにはあまりにも現実離れした言葉だった。
「うそだろ?いまさらそんなこといわないでくれよ!」
間もなくお袋は逝った。

その後葬式の手配やらなんやらで不眠不休で動き回り、お袋が逝ってから丸一日過ぎた真夜中のこと。
家族全員でお袋の私物を整理していた折、一枚の写真が出てきた。
かなり色褪せた何十年も前の家族の写真。みな笑っている。
裏には下手な字(お袋は字が下手だった)で家族の名前と当時の年齢が書いてある。
それを見た途端、なぜだか泣けてきた。それも大きな嗚咽交じりに。
30過ぎの男がおえっおえっ泣いてる姿はとても見苦しい。自制しようとした。
でも止めど無く涙が出てきた。どうしようもなく涙が出てきた。

俺は救いようがない親不孝ものだ。
格好なんて気にすべきじゃなかった。
やり直せるならやり直したい。でもお袋はもういない。
後悔先に立たず、とはまさにこれのことだったんだ。

その時妹の声がした。
「お母さん、笑ってる!」
皆布団に横たわる母親に注目した。
決して安らかな死に顔ではなかったはずなのに、表情が落ち着いている。
うっすら笑みを浮かべているようにさえ見える。
「みんな悲しいってよ、お袋…。一人じゃないんだよ…」
気がつくと、そこにいた家族全員が泣いていた。

…あれから私はことあるごとに両親は大切にしろと皆に言っています。
これを読んだ皆さんも、ご健在であるならばぜひご両親を大切にして下さい。
でないと私のように親不孝の咎で地獄行き決定になってしまいますよ。

650 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/04/07(土) 23:51
訳あって、祖父母が住んでいた家を売らなきゃいけなくなった。
祖父が3年前亡くなって、祖母の治療費がかさんで……。
どうしようもなくなった。嫌だけど仕方ない。

取り壊しの前の日、不動産屋にお願いして、もう一度だけカギを借りて、その家に最後のお別れに行った。
家財道具も何も残っていない、がらんとした部屋を見て、祖父の愛した書斎からの風景を目に焼き付けて、玄関を出ようとしたら、ぱさ、と背中に何かが当たった。
1枚の茶色く変色した写真だった。

この家を建てたときに、祖父母と親戚一堂みんなで撮った写真らしい。
ヘンだ。家中みんな、何もかも片付けて、もうどこにも何も残ってなかったはずなのに……。
いったいどこから出てきたんだろう。
それも、今、この時に見つかるなんて。

赤ん坊の頃の僕が写っている、古い写真。
みんな笑ってる。
この家のことを忘れるなよ、と、祖父に言われているようだった。
涙が止まらなかった。

862 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2001/04/23(月) 02:57
祖父が亡くなった。祖母は正直言って、老人特有の症状が出ていて記憶がとんじゃってるのか、祖父が亡くなったときもなんの悲しみもみせずに(とても仲良しの夫婦だったのに)祖父が亡くなった事にさえ気がついていないように、ぼんやりとしていた。
当時、もう、まともに歩けない状態だったので葬式にもでられず入院したままだった。
葬式から月日がたったある日、祖母を見舞いに行った母を迎えに病院に行った。
帰りの車の中で母が涙ぐんで言った。
病室で祖母が久しぶりにはっきりと口を聞いたそうだ。
「朝、おじいちゃんが、笑って、玄関から出て行った。
おじいちゃん、あっちの人になっちゃんたんだねぇ」と言って泣いたそうだ。

その日は祖父の四十九日の法要の日だった。
最後の挨拶でおばあちゃんにに気づいてもらえてよかったね、おじいちゃん……。

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