File No.003 ヒサルキ/ヒサユキ

しばらくすると空が明るくなってきました。
国道沿いを歩いていた私達の前に一台の車が止まりました。
車の中にはジャージの上下を着た男が居ました。
この男は普通の人間ぽい感じでしたが、私はパニック寸前でした。
しかし、私の体はあたりまえのように車に乗り込みました。
私と男を載せて、車は走り出しました。
思った通り、例の建物のところへ着きました。
この時はだいぶ体の自由が戻っていたので、両手をテープでぐるぐる巻かれ、口もテープで塞がれ、頭からタオルを被せられて、私は2階の部屋に連れ込まれました。
部屋の中は殺風景な感じで、布団や小さなテーブル冷蔵庫ぐらいしか置いてありません。
生臭いような匂いが漂っていました。
部屋に入ってすぐに私は服を脱がされ手錠を掛けられました。
この先どんな目に遭わされるのだろうと考えると、怖ろしくて仕方がありませんでしたが、男達はさっさと出ていってしまいました。
しばらくすると階上で大きな音で音楽が鳴り始めました。
足踏みをするような音も聞こえてきて、踊っているのかな?と思いました。
それを聞くうちになんだか気持ちが悪くなって、とうとう吐いてしまいました。
とても惨めな気分で、ずっと泣いていました。

やがて最初に私の部屋に来た男が戻ってきました。
私のゲロの方を見ています。
怒られるのか、と思い惨めさと恐ろしさで男の方から目を逸らしていましたが、急に男が顔を寄せてきたので、反射的に壁の方へ逃れました。
しかし、思いのほか勢いがあったせいで、壁で思い切り頭を打ってしまい、床に倒れてしまいました。
すると男は私の顔を覗き込んで、口の中に指を突っ込んでくるのです。
気持ち悪くて必死で抵抗しましたが、無理矢理口を開かされました。
男の指が口の中で何かを探すように動いています。
また吐きそうになりましたが、もう胃に何も残っていないのか、オエっとなるばかりで何も出ません。
もう本気でイヤになって、口の中の指を噛むとサッと引っ込みました。
口の中にヌルヌルしたものが残って、それが生臭くて、その日は食事も喉を通りませんでした。
食事は二人目の男(車を運転していた)が運んできてくれますが、運び終わると部屋から出て行きます。
私と最初の男の二人で食事をするのですが、私は手錠をはめられているので上手く食器が使えません。
それでも何とか両手でフォークを使って食べるのですが、遠くの皿には手が届きません。
そんな時は、男が私の方に皿を寄せてくれるのですが、どうやら男は口が利けないようで、時折うなり声のようなものを上げながら皿をこっちへ押しやってくれました。
男はフォークやスプーンを上手く使えないようで、やたらと手を使って物を食べます。
日本人ではないのかな?と思いましたが、もう一人の男が彼のことを「ヒサユキ」と呼ぶので、考えをあらためました。
食事の量は、2人分にしては多いと思ったのですが、不思議と全部食べられました。

男達は毎日連れ立って外出するのですが、ドアに鍵を掛けていくので外には出られません。
声を上げようとするのですが、元々大きな声を出せない体質な上に、喉が絞られているようで声が出ませんでした。
しかも、男達が外出している時は音楽がフルボリュームで鳴っていてちょっとした物音はそれでかき消されてしまいます。
また、その音楽を聞いていると私は気分が悪くなって、立ち上がるのもしんどくなるのです。
それに服を取り上げられているので、見られてしまうのが怖くて窓を開けることも出来ませんでした。
ただ、男達が私を襲ったりするようなことはありませんでした。
動かしたい時に、手を掴んで引っ張るようなことはあったのですが、普段は体に触れる事もありませんでした。
どちらかと言えば、それを避けていたような感じでした。
食事以外の時間は、ひたすらボーっとして過ごしていました。
新聞もないし、テレビもないので、家のことや友達のことなんかを考えて過ごしていました。
最初のうちは良く泣いていたのですが、いつのまにかあまり涙が出なくなりました。
気持ちは辛かったのですが、途中から他人事のように思えてきたのです。
正直なところ、普段何をしていたのかはほとんど覚えていません。

一番イヤだったのは眠ることでした。
寝る時には必ず、ヒサユキと呼ばれている男が私の横へピッタリと身を寄せてきて、最初はそれが気味が悪いくてなかなか眠れなかったのですが、やがて眠ってしまいます。
すると夢の中で何か得体の知れない影のような形のないものが、私の体を乗っ取るのです。
それで外を出歩く夢を見ます。
夢の中でも私は裸で、それがすごく恥ずかしいのですが、体は言うことをききません。
最初は露出狂の欲求があるのかと落ち込んだりしたのですが、毎日のことですし、ずっとイヤだと思っていたので、多分違うんだと思うように、操られてさせられているんだと考えるようになりました。
夢の中の私は悪いことをしました。
動物を殺したり、人の家に物を投げ込んだり、魚を盗んでまき散らしたり。
一度、道で犬を殺して死体に顔を突っこむ夢を見て、その時はあまりのことに夢の中で意識が飛びました。
気が付くと朝で、辺りがなんとなく生臭い匂いがするような気がして、その場で吐きました。
顔を洗いに行くと口に血が付いていました。夢が本当になったのかと真剣に怯えましたが、確認はできません。
それからも似たようなことが何度かありましたが、同じ事です。
私には確認のしようがありませんでした。

夜中に目が覚めると、男の顔が目の前にあることが良くありました。
そんな時は必ず目が開いていて、私を見ているのですが私を見ていない、そんな感じでこっちを見つめていました。
それがイヤで私は目を逸らそうとするのですが、体を乗っ取られているので自由が効かないのです。
しばらくヒサユキの顔を見せられてから、私の体は冷蔵庫の方へ向かいます。
毎回そうでした。
冷蔵庫の中からハムや卵や干物なんかを取りだして、それをそのまま食べます。
卵も生のままで、見ているとすごく気持ちが悪いのですが、おいしいという気持ちが湧いてくるのです。
味は変わらないのにおいしいと思ってしまうのです。
私はそれがすごく怖ろしく感じました。
体が別の物になっているような、操られているというより、自分の体が別のものになって私の意識がどんどん小さくなっていく感じ。
上手く表現出来ませんが、体の端の方から別の生き物(獣)になっていくような感じです。
最初は夜だけだったのですが、だんだん昼にもその感覚が出てくるようになってきました。
冷蔵庫の中の物を食べた私は、ヒサユキの所にも同じ物を持っていきます。
それを目の前に置いても男はピクリとも動かないのですが、朝になると卵の殻やビニールの包装なんかが目の前に転がっていました。

そんな生活がどれくらい続いたのかは、その時は分かりませんでした。
最後の方は時間の感覚が無くなっていたからです。
ヒサユキは、だんだん部屋から出ることが少なくなって、あまり動かなくなっていたのですが、もう一人の男は無理矢理な感じで連れ出していました。
なにか必死で頼んでいるみたいでしたが、良く解らない言葉だったので何を言っているのかは分かりません。
男達は二人ともだんだん狂ってきてたのだと思います。
私もおかしくなっていました。
記憶は飛んでいるし、操られている感覚がずっと続いていたし、話す相手がいなかったせいか、口も利けなくなっていました。

ある日、私は気が付くと外にいました。
ちゃんと服を着ていたし、懐かしいような風景だったので、なんだかすごく安心しました。
夢だと思っていましたが、人がこっちへやって来て何か聞いてきました。私の方へ寄ってきて、「大丈夫か」と聞きました。
その時、私は乗っ取られた状態だったので、すごく暴れました。
心の中では嬉しかったのですが、私の体を操っているものがすごく抵抗したのです。
でも、逃げようとしているわけではなくて、相手をやっつけたいと思っているのが伝わってきました。
結局、何人かで取り押さえられて、そのまま病院へ運ばれました。
警察の人や医者の先生にいろいろ質問されましたが、私は話すことが出来ませんでした。
それどころか、ちょっと気を抜くと暴れたくなってしまうので、必死でそれを押さえていました。
ただ、体が別の物になっている感じは無くなっていました。
やがてお母さんが会いに来てくれましたが、その時はもの凄く嬉しくてやっと涙が出ました。
操られている感覚がスーッと弱くなりました。

それから、しばらく入院しました。
外傷性のストレス障害ということで結構ボロボロだったみたいです。
最初は喋れなかったのですが、1ヶ月くらいで親と先生とは少し話すことができるようになりました。
しかし、誘拐されたことは話しませんでした。
みんなは何処にいたんだと聞いてきましたが、なぜか話す気にならなかったのです。
もの凄く怖かったのです。
話すとまた乗っ取られるような予感がして。
時々は暴れたりもしました。
今思えば父や母、周りの人たちには迷惑を掛けていたと思います。
しばらくそんな状態が続きましたが、今は大分回復してあの夢も見なくなりました。
それで、母親にだけは後から誘拐のことや夢のことなんかを話しました。
母は信じてくれたようです。
時期が来たら、医者の先生や警察の人にも話した方が良い、とも言いました。
それについてはちょっと迷っています。
また入院させられるのではないか、と思うのです。
これを読んでいる人は、この話が突拍子もない話だと思いますか?
私はまだおかしいのでしょうか?

最後にちょっと私の考えを書いておきます。
それは、あのヒサユキという男のことですが、彼はもともと口を利けなかったのではないかと思うのです。
それどころか体も動かせなかったのではないでしょうか?
私の体を乗っ取っていたものがあの男の体を動かしていたのだと思うのです。
証拠とかは無いんですが、乗っ取られていた時の感じでは、普段はあの男の体を動かしていて、時々私の所へ乗り換えているように思えました。
私が完璧に操られていた時は男は動いていませんでしたし。
でも、昼間でもそいつの一部は私の中に居たんだと思います。
今もいるのかもしれませんが、よくわかりません。
ただ、そいつがいないとあの男は生きていけないのだと思います。
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