私はキリスト教の牧師の仕事をしています。
このページでは、キリスト教や教会に関して思うところを、書いていきます。
あまり伝統や枠にとらわれずに自由なことを書いていくつもりです。
真面目な信徒の方からは不信仰に思われることも多々あると思いますが、ご容赦ください。
クレームは私個人までメールにてお寄せください。
久々にこのコーナーを復活させることにしました。
これからはバーチャル教会のような運営をしていきたいです。
2月14日はバレンタイン・デーでした。
日本ではチョコレートを贈る日のようですが、もともとは愛の守護聖人である聖バレンタイン(ラテン語読みではウァレンティーヌスだそうです)が殉教したとされる日です。
2月14日に殉教した聖ウァレンティーヌスは、実は二人記録に残されています。
一人は西暦269年にローマで殉教した司祭で、もう一人はローマ近くの都市テルニで殉教した司教(殉教の年代は不明)です。本当に二人いたのか、もともとは一人で二つの伝説が生まれたのか、それはよくわかりません。
また愛の守護聖人と言われるようになった伝説にも幾つかあるようですが、よく知られているものを紹介します。
クラウディア帝時代のローマ帝国では兵士は結婚を禁じられていました。
家族ができることで士気が鈍ったり、長期の出兵を拒否したり、遠征先で定住したりしないようにするためです。
そうは言っても恋をする兵士も多く、禁止されていることを知りながら、ウァレンティーヌスは兵士の求めに応じて結婚式を行ったそうです。
やがてそのことがローマ帝国に知られ、逮捕・処刑されるに至ったということです。
その処刑、殉教の日が2月14日であったと伝えられています。一方で、2月中旬に行われていた、ローマの恋人たちの祭りであるルペルカリア祭とウァレンティーヌスの伝説が結びついたとの説もあります。
伝説のどこまでが歴史的事実であったのか、また結婚制度の是非の議論もあるでしょう。
が、それでもこの伝説が私たちに教えるものは大きいと思います。
軍隊には機動力が必要ですから、確かに軍事的な効率だけを考えれば、兵士の結婚を制限したのはそれなりに理にかなっているかもしれません。
しかしそれは軍隊を動かす国家の論理です。
それに対して恋愛は個人的なものだといえるでしょう。
どこまで深く意識していたかは別として、ウァレンティーヌスは、国家の利益と個人の恋愛が両立しなかった場合に、個人の恋愛を優先しました。
だからこそ国家権力によって命を奪われたのです。
愛を貫くことは決して簡単なことではないのですね。
「愛国心」や「国のために」という言葉が頻繁に聞かれるようになってきました。
自衛隊のイラク派兵に関する報道でも繰り返し聞かされた気がします。
でも国家の利益やそれに奉仕することが語られる一方で、個人の事情や心情が軽んぜられていることはないでしょうか。
バレンタインの物語が、「国家」と「個人」だけではなく、「戦争」と「愛」の対立の物語であったことは、今の日本にあって、とても意味深なことだと感じています。