信仰閑話バックナンバー

第二十回 「信じない自由」 (2003.12.8)

第十九回 「後になってわかること」 (2003.3.15)

第十八回 「自戒」 (2002.4.9)

第十七回 「メメント モーリ」 (2002.1.17)

第十六回 「変えられるもの/変えられないもの」 (2001.11.2)

第十五回 「支配する/支配される」 (2001.6.12)

第十四回 「復活、夢の結晶」 (2001.4.27)

第十三回 「結びつける」 (2001.4.2)

第十二回 「事実か否か」 (2001.3.20)

第十一回 「物語の世界」 (2001.2.27)

第十回 「新しいもの、古いもの」 (2001.2.14)

第九回 「別れと出会い」 (2001.2.12)

第八回 「贖 い その4」 (2001.2.9)

第七回 「贖 い その3」 (2001.2.6)

第六回 「贖 い その2」 (2001.2.2)

第五回 「贖 い」 (2001.1.29)

第四回 「信仰と疑い」 (2001.1.20)

第三回 「らしくなく」 (2001.1.18)

第二回 「大それたことではない」(2001.1.17)

第一回 「出発の日」(2001.1.17)


第二十回 「信じない自由」 (2003.12.8)

先日、とある教会のホームページを見ていて
ハッとさせられる言葉に出会いました。

その教会のホームページにはこう記されていました。


「この教会は、”信じない自由”を尊重します。」


私は教会の牧師として、”宣教活動”を行っています。

”宣教活動”とは、キリスト教を伝える活動にとどまらず、
平和運動や、社会への奉仕活動をも含む広いものです。

しかし、やはりキリスト教を伝える活動が、大きな割合を占めていることも
否めない事実です。

その過程で、一般常識を持っている教会であれば
決して信仰を「強制」あるいは「強要」することはありません。
(したところでそれはできることではありませんけれども)

私自身も信仰を強要するようなことはしてこなかったつもりです。

でも私は、「信じない自由」を堂々と謳ったホームページを見て、
大きな驚きと戸惑いを覚えました。

私は今まで「信じない自由」を「尊重」していたのだろうか、と。

確かに信仰を強制したことはないつもりです。
信仰を強要するかのような人々を批判もしてきました。

でも「キリスト教信仰を持たずに生きる」ことに対し、
「キリスト教信仰を持って生きる」ことと同じくらい
敬意を払ってきたでしょうか。

自分たちだけが真実を知っている、と
おごり高ぶる気持ちがどこかにあったのではないでしょうか。

確かに「信じない自由」を「認めて」来たとは思います。
しかし、「信じない自由」を「尊重して」来たと言えるでしょうか。


「文明の衝突」などという言葉がささやかれる現在、
自分が信じる道と違う道を選択する人々のことを尊重できなければ、
この世界で共存することはできないでしょう。

「私は信じない自由を尊重します。」

そう自信を持って言えるようになりたいものです。

第十九回 「後になってわかること」 (2003.3.15)


イエスは十字架にかかる前の晩、弟子たちの足を洗ったと聖書には記されています。

当時、足を洗うのは奴隷が主人にする行為でした。
だから弟子たちは、自分たちの先生にあたるイエスが、自分の足を洗おうとしたことに驚き、戸惑ったと思われます。

イエスの一番弟子であるペトロはイエスに言います。

「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」

驚き、固辞しようとさえするペトロに対し、イエスはこう応えます。


「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」


今、相手にその意味がわからなくても、今この時、その人のためにしなくてはならないことがある、
そういうことだと思います。



私自身のことを振り返ってみても、「後になって分かったこと」たくさんあった気がします。

父や母やご近所さんや先生や。

子どもの頃、いろんな人に、いろんな注意を受けました。
いろんなことを教えてもらいました。
いろんなことをしてもらいました。

その時には、ただうるさくて、やかましくて、怖いだけだったことが。
どれほど大切なことだったのか。
どれほど自分のことを考えてしてくれたことだったのか。
後々になって、分かったこと、理解できたことがあります。


父が懸命に「花」の名や「星」の名を教えてくれたこと。
 (結局反発してなんにも憶えませんでしたが。。。)

それは、父が私の人生を豊かにし、生きる力を身につけるために懸命に教えてくれたこと。

それが、今となって、理解できるのです。

皆さんにもそんな経験がありませんか?



以前に与えられた注意が、どれほど自分の役に立ったかに、どれほど大切なものであったか、
今さら気がついたこともあります。

そして、その注意をしてくださった方にお礼を言いたくても、
もはやお礼が言えなくなってしまった方もおられます。


相手のことを思い、「後になってわかること」をなす。

確かにその時に、してあげたことの意味を、必ずしも相手が理解してくれるとは限りません。
お礼を言って感謝してくれるとも。
従ってくれるとも。
理解してくれるとも、限りません。

それどころか
嫌われ、
疎まれ、
感謝もされず、
無視されるかもしれないのです。

でも、後になってわかるであろうことのために。
相手の未来のために。
今、何ができるかが、大切なのだと思います。

特に相手が「子ども」や「青年」といった
未来の時間を長く持っているであろう人なら、
余計にそうした努力が必要なのだと思います。

相手が今理解できなくても

いつの日か相手が理解してくれることを信じつつ、

彼女ら、彼らの未来のために、

全力で、「後になってわかること」 をなしてあげること。


それは、「大人」と言われる年齢になってきた私にとって、
今まで受けた大きな恩に報いることであり、
今、やらなければいけないことなのだと思います。

たとえ相手がそれに気づかずとも、
気づいたところで、私に直接「報い」となって返ってこなくとも。


ある人の本の中にあった、私の好きな言葉です。


「たとえ、1年前の食事の献立を覚えていないとしても、

その食事が体の栄養にならなかったとは言えない。」


勇気をもってなしていきたいものです。

第十八回 「自戒」 (2002.4.9)

以前このコーナーで、イエスが弟子たちの足を洗ったという「洗足」(せんそく)のことについて取り上げたことがあります。

最近、その「洗足」の意味について深く考えさせられるのです。

イエスは弟子の足を洗うことで、神の望む人間の関係は、支配/被支配の関係ではなく、互いに仕えあい、奉仕しあう関係であることを示しました。

そしてイエスはそれを実際に実行しました。
単に譬えとして語るのではなく、自分が実践し、弟子たちに示して見せたのです。
このことはとても大きなことだと思います。

私は日頃、人間関係のことを語るときに、この「洗足」のことをよくひきあいに出します。
しかしその私自身、どの程度そのことを実行し、示しているのでしょうか。
本当に私は他人の足を洗ったことがあるのでしょうか。
疑問に感じるのです。

私は自分の子どもに対して、「こうあってほしい」という願いを持っています。
それは勉強ができるとか、そんなことではなく、もっと単純で素朴なことです。
でも、子どもはそうした期待に必ずしも応えてくれるわけではありません。
それは至極当然なことです。
子どもは私の自由になる所有物ではなく、
一つの魂を持った人間だからです。
しかし私は、ささやかな期待なのに、それにすら応えてくれぬ子どもに対しいらだつことがあります。
時としてそうした子どもを力で押さえつけ、自分の意志を悟らせよう、従わせようとしてしまうのです。
子どもを力で支配することで、自分の願いを実現させようとしてしまうのです。

何と愚かなことなのでしょう。

力で相手を支配することは、極論すれば相手を物としか見ていないことです。
たとえ自分の娘といえど、一人の人として、一つの魂として向き合うことなしに、ものごとを伝えることなどできるはずがありません。
今の私は本当に娘の魂と向き合って対話しているのでしょうか。

最近「洗足」の意味を深く考えるのです。

そう、自分自身への「自戒」としながら、です。
足を洗わなくてはならない人間は、誰よりも私自身なのです。

第十七回 「メメント モーリ」 (2002.1.17)

7年前の今日、1995年1月17日は、阪神・淡路大震災が起きた日である。

私の属する日本キリスト教団兵庫教区では毎年1月17日に「全逝去者記念礼拝」を行っている。
経験した者にとっては決して忘れることのできぬ震災の出来事を想い起こしつつ、
無念にも世を去った方々への追悼の想いを込め、礼拝を行うのである。

今年の記念礼拝に私は初めて参加することができた。
礼拝の中で、何度も涙をこぼしつつ。。。
会場である神戸教会の会堂に座していた。

その「全逝去者記念礼拝」にて配布された礼拝式順の中にこういう一節が書き記してあった。

「亡くなられた6432人(内子ども514人)は、それぞれに喜びや希望を持って生き、家族や友人などの輪の中に生きていた人々でした。」

今日の大手マスコミの報道では、「約6000人」、「6000人以上もの」などの表現が舞い踊っている。
それに比して、「6432人(子ども514人)」という数字は、かなり具体的なものである。
兵庫教区で活動してきた先輩たちも含め、震災復興支援のために尽力してきた人々は、犠牲となられた方々のことを具体的に把握し、記録にとどめようと懸命に努力してこられたのである。

犠牲となられた全ての方には「名前」があり、そして人と人とのつながりがあり、その各々の方が、誰もとって代わることのできない固有の人生を歩んでこられたはずなのだ。
それは「約」「〜以上にも及ぶ」などといういいかげんなくくり方で表せるものでは決してありえない。
いや、たとえ6432人という具体的な数字ではあっても、数字などで表すことのできない重みを持っているはずなのである。

すべての人に名前があり、年齢があり、生い立ちがあり、住んでいた場所があり、人とのつながりがあり、語り尽くせぬドラマがあったのである。

私にとっての娘や、つれあいのことのように、かけがえのない大切な存在と思われていた方々の死が、6432も、1995年1月17日5時46分に起こった出来事がもとで、積み重ねられたのである。
何の前触れもなく、突然に。。。

あまりに大きな出来事であるが故に。
その出来事の重さを本当の意味で認識することなど、
誰にもできはしないだろう。

だからせめて、そのことの記録だけでも正確に、あなたが生きておられたことを忘れぬために、できるかぎり留めておきたいと、多くの方が努力してこられたのである。



陽の光を見ずに散った、私自身の子どものことを思い返す。

あのときに言われて傷ついた言葉が「次にまた出来るわよ」だった。
もしも次に子どもが運良く宿り、生まれてくることが出来たとしても。
決して失われた子どもの変わりになど、なりはしない。
たとえどんなに短くとも、その子の人生は、その子の人生でしか有り得ない。

そう、一度育まれた命は、決して取替えがきかないものなのである。
私たちはみな、誰にも代わることのできない命を生きているのだ。

その重さを想うとき、改めてこの震災の出来事の想像を絶するすさまじさを感じずにはおられない。

だから私たちは数ではなく、数字ではなく、一つ一つ固有の名前があり、人生がある命の集まりとして、覚えつづけなければならないのだろう。
たとえ数としてそれを表現せざるを得ないときでも、そういう質の事柄であることだけは、承知しておかねばならない。
忘れてはならない。



聖書の重要な言葉に「想い起こす(アナムネーシス)」という言葉がある。
過去に起こったことを想いつつ、それを現在生きる私たちの糧にするという意味である。
キリスト教は、ナザレのイエスという人物の生と死を想い起こし、そして、それが現代の私たちとなおつながりのあるものと信じ、生きることである。

あの人が死に
私が生きている。

その違い、そのことの理由など、わかりはしない。

しかし、生きている私が、無残に突如生を中断された方たちのことを「想い起こし」、与えられた生を重んじて生きていかねば、あまりにも申し訳がたたないことだろう。



私が西宮に来て感じたことの一つが、震災を体験した方々は、

「地震前」

「地震後」

という時間の区切りを常に持っていることである。

一日にして人生がまるっきり変わることがある。

それは「生」と「死」の間の、もろくも薄い区切りに他ならない。
「生」と「死」の間の境目は、私たちが感じるよりはるかに不確かで、もろいものなのだ。

生まれるとばかり思い込んでいた子どもが死んだことで、私は思った。

母の胎に宿り、生まれ、成長し、平均的な寿命を生きること。

平凡で、簡単そうに思えるそのことが、
本当はこの世界で一番「贅沢な望み」であることを。

人は命を作り出すことはできない。死を駆逐することもできない。
生まれて、生きること、それは徹頭徹尾自分自身のものでありながら、同時に自分には決して自由にならぬものなのだ。

7年前に激しく揺らいだこの大地は、経験した全ての人に、そのことを厳しく突きつけたのである。

中世ヨーロッパでよく用いられた言葉の一つ。

「メメント・モーリ」(死を忘るなかれ)

もう一度、想い起こしたい。



今日、この日、私はもう一度自分に言い聞かせようと思う。

  「想い起こし、  そして、  生きよ」

第十六回 「変えられるもの/変えられないもの」 (2001.11.2)

The Serenity Prayer という有名な祈りがあります。

GOD, grant me the
Serenity
to accept the things
I cannot change
Courage
to change the
things I can
and the
Wisdom
to know the difference.

Living ONE DAY AT A TIME;
Enjoying one moment at a time;
Accepting hardship as the
pathway to peace.

Taking, as He did, this
sinful world as it is,
not as I would have it.

Trusting that He will make
all things right if I
surrender to His Will;

That I may be reasonably happy
in this life, and supremely
happy with Him forever in
the next.

Amen

(私訳・・・間違っている可能性、大です)

神よ
私が変えることができないことを、受け容れる冷静さを
私が変えることができることを、変える勇気を
両者の違いを見極める智恵を、与えてください。

一度に、一日を生き
一度に、一瞬を楽しみ
困難を、平和へ至る道として、受け容れ

私のようにではなく、主がなされたように、この罪にまみれた世界を、あるがままに受け取り

私が主の意志に従いゆくならば、主はいつか全てを善きものとして下さると

この現世においては、ほどほどに幸せとなり
来る世では、主のもとで永遠に至高の喜びに満たされることを
信頼することができますように。

アーメン


と、いうものです。
神学者、ラインホルト・ニーバーの祈りとして有名です。(註)

この祈り。
私の好きな祈りでもあります。
変えられるものを変え。
変えられぬものを受容する。
そして、その両者の違いを、明確に識別できる。。。
私の理想とする姿でもあります。

この祈りが日本語で紹介されるとき。
不思議と、原語の順番とは異なり、
勇気(courage)が先で、冷静さ・平穏さ(serenity)が後の順番になっていることが多いのです。(註)
私は英語の微妙なニュアンスがわかりませんから。
どちらにより強い調べがあるのかは、わかりません。

でも、この違い。
興味深いと思います。

私の狭い交友範囲において、周りを見回してみても。
キリスト者として生きる方々。
その辛抱強さ、忍耐力には、常々驚かされています。
人が、不平不満を際限なくならべたててもいいような事柄と接しながら。
それを懸命に受け入れ、強く、明るく生きる姿に、感動させられること、しばしばです。
その点では、「冷静さ(serenity)」が、最初に祈られていること、納得がいったりします。

一方で私は、教会の持つ、変えることを変えようとする力、「勇気(courage)」に関しては、少し弱いような気もするのです。
もちろん、すべてを押しなべて語ることなど、できはしません。
しかし、そういう傾向を感じさせる出来事に、しばしば出会います。
保守的なものに固執し、現実の変動に目を背けるような姿を、自分自身を含め、よく感じるのです。

本来ならば変えられる、変えなくてはならない事柄を
変えられないものとして、忍従していることも、あるかもしれません。
変えねばならないものを、耐え忍べと、強要し、誘導していることもあるかもしれません。

やっぱりその両者を見極める「智恵(wisdom)」が、必要なのですね。。。

私の友人は「変えられぬものも、変えたいと思う」と言いました。
無謀とも思える、そのような強い変革への意志があればこそ。
両者を見極める智恵が、生まれてくるのかもしれません。


この祈りが有名になったきっかけは。
アメリカの断酒会のグリーティングカードに印刷されて、配布されたことだそうです。

ニーバー自身は、恐らくそのような用いられ方をすることを、目的としてはいなかったでしょう。
それでもなお、基本的には、この祈りは。
苦難の中にあって戦う人々に対する、「励まし」であり、「慰め」であったのだと私は思います。
まず現実の困難を、避ける対象ではなく、
時に、涙しつつも、
時に、嘆き苦しみつつも、
なだめすかし、つきあい、戦っていくものとして
平和に至る道として、受け容れることができるようにと。。。。
それは確かに困難なことです。
しかし、いや、それだからこそ、それが何とかできるようにしてくださいと、ニーバーは切に祈ったのではないでしょうか。


改めて読んでみて、この祈りの深さを思います。
深い慰めに、心打たれます。
一方で。
変えようとする力の足りぬ、両者を見極める智恵の足らぬ、私自身や、教会のことをも思わされます。


アフガンの空爆がまだ、続いています。

最初の日に受けた衝撃が次第に薄れ。
この異常な日々が。
日常となっていっています。

それを思うと、本当に、恐ろしくなります。

今こそ、本当に、変えられるもの、変えるべきものを、変える勇気、力が求められているのでしょう。

神さま。どうか、勇気を。力を。今、ください。


(註)1.このThe Serenity Prayerは、ライホルト・ニーバーの祈りとして有名ですが、ニーバーが違う神学者の祈りから引用していたとの説もあり、学者でもない私には、正確なところはわかりません。
2.日本語訳では、最初に日本でこの祈りを紹介したとされる大木英夫さんの訳が有名で。大木さんの訳が、勇気、冷静さの順番になっていたことが、大きな原因かと思います。私は英語力が殆どないので、どう訳すのが原文のニュアンスに近いかは、判断つきかねます。ごめんなさい。

第十五回 (2001.6.12)
「支配する/支配される」

人は決して一人では生きられず、
人と人は様々な関係を作っていきます。

そして
時として人と人は
「支配するもの」「支配されるもの」として
関係を結んでいくことがあります。

力があり支配する人に対しては、
卑屈になり、生き残りのためにこびへつらうことさえあります。

その裏返しに
弱い立場に置かれている人
自分が支配できる人に対しては逆に、
高圧的に、
時に大変暴力的な態度で
接するようになります。

まるで支配されることの
屈辱、憎悪を、
弱い者に振り向けているがごとくです。

そして弱い者には憎悪が集中し、
恐怖の中で生きることを
強いられるようになっていきます。

私自身も、知らず知らずに、
そうした関係を結びつつ、
生きているのかもしれません。



イエスは十字架にかかる前日、
弟子達の足を洗ったと
聖書には記されています。

他人の足を洗うという行為は、
当時、奴隷が自分の主人に奉仕する行為でした。

師匠が弟子の足を洗うということは、
ほとんど常識では
考えられないことだったのです。

イエスは身を以てそれをやってみせ、
弟子達に、

「互いに仕えよ」

と言い残します。

この「足を洗う」という行為は、
謙遜を示すことを目的に
なされたものだとは
私は思いません。

偉い人がわざわざへりくだってくださって、
ありがたい、ありがたい、
というような意味で
イエスは行ったのではないと思います。

むしろ、
人間が結びがちな
「支配するもの」「支配されるもの」
としての関係を、
打破しようとするものだったと思うのです。


本来
神の望む人間関係とは、
支配/被支配といった関係ではなく、
もっと違う次元のものなのだ。

人と人の関係は、
もっと自由な、
解放されたものであるはずだ。

私に従って生きるということは、
他人を支配することではない。

もしもどうしても
支配/被支配の枠に
入らざるを得ないならば、
むしろ仕えるものとして、
生きて行け。


イエスは、きっと
そう言いたかったのだと、
私は思うのです。

支配/被支配の枠から
抜け出ることのシンボルとして、
「弟子の足を洗う」という行為を
したのではないでしょうか。

イエスは、

「互いに仕えよ」

と言い残し、この世を去りました。

しかし、教会はその歩みを始めていくうちに、
やがて、イエスの言葉に反して、
宗教的な階級を、
権威主義的な人間関係を
作りあげていきました。

教会がその活動を広げるにつれ、
秩序や制度が必要となっていったのは
わかるのです。

ある意味で、
それは仕方の無いことなのかもしれません。

それでもなお、
教会が示してきた権力欲を
振り返ったとき、
イエスに従い生きるものとして、
反省すべき点を
感ぜざるを得ません。


「仕えるものとなれ」


そう言い残したイエスも、
結局は、無惨にも権力の犠牲となり、
死んでいきました。
彼の言い残した言葉も、
必ずしも実現されたとは
言い難い現実があります。


そして、今の私たちの社会で
こうした支配/被支配の関係を
結んでしまっていることは、
私たちの思うよりも
遙かに多い気がしてならないのです。

そうした関係が完全に無くなる、とは
私も思ってはいません。

私もそこまで楽観的ではありません。

また、私自身も
教会の
そうした
支配/被支配の
関係の中に
どっぷりつかって
生きています。



しかし、それでもなお、
イエスの言い残した言葉を、
私たちが記憶しているということの意味は、
あると思うのです。

それを記憶し続ける意味は、
あると思うのです。

蟷螂の斧に過ぎないかもしれないけれども、
彼の残した言葉を、
伝えるものとして、
これからも
生きていきたいのです。

第十四回 (2001.4.27)
「復活、夢の結晶」

 4月15日はキリスト教でいう、イースター(復活祭)でした。

 イエス・キリストのよみがえりを祝う日であります。

 十字架刑で無惨な最後を遂げたイエスは、
死からよみがえり、
生前イエスと行動をともにしていた人々の前に現れたと、
聖書は語ります。

 イエスを見捨て
逃げ去った弟子たちの前にイエスは現れ、
和解し、弟子たちに
新たな使命を授けたとされています。

 皆さんはこの復活の物語を、
どう思われるでしょうか?


 とりあえず、復活の物語の真偽については
ひとまず横に置いておいて。


 私は復活とは、
人間の、
とてもではないが叶いそうにない、
夢の結晶だと
思っています。


 「死んでしまった愛する人間と、
再び、相まみえること。」

 「過ちを犯し、別れてしまった相手と、
和解し、罪を赦してもらうこと。」

 「権力の犠牲になって悲惨な境遇におかれた人間が、
そのままにしておかれず、命と権利が回復されること。」

 「みずからの肉体的な死が、
最終的な終わりでもなく、
虚無に帰することでもなく、
死後も生命が何らかの形で継続すること。」


 いずれも、この世界では極めて実現が難しいか、
もしくは、とてもではないが
実現が不可能と思える、夢であります。


 復活の物語とは、人間の叶いそうもない夢が、
単に、神話という形で表現された
作り話なのでしょうか。

 確かに、そうなのかも知れません。


 しかし、聖書は、
こうした実現の可能性が全くないと思えるような夢が、
「ありうるのである」と
語るのです。


 約2000年前のパレスチナにおいて、一度。
 そして、来るべき将来のある日において、
全ての人が、この夢の実現に立ち会うのだと
語るのです。


 このことを、
「やはり、ありうるのだ」と信じ、
希望を託してこの世界を生きるのも一つの道。


 このことを、
「そんなこと、あるはずがない」と考え、
厳しい現実の制約を受け入れ、
それと戦い、
懸命にこの世界を生きるのも一つの道でしょう。


 私には、どちらの道にも、
それ相応の真実があるような気がしてなりません。


 キリスト者の私は、基本的に、
「やはり、ありうる」と思いつつ
生きている人間です。

 でも、現実の厳しい有様を見るにつけ、
「そんなこと、ないかもしれない」と、
疑念を感じてしまうことも多々あります。

 言うなれば、
二つの道を行ったり来たり、
揺れ動きながら、
信仰生活を送っています。

 私はそんな、「迷い人」に他なりません。


 しかし、考えてみれば、多くの人々が、
度合いの違いこそあれ、
そうした二つの道を
揺れ動きながら
生きていらっしゃるのではないでしょうか。



 復活。 

叶いそうもない、夢の結晶。



 あなたは、この結晶に、
どのような輝きを感じられますか?

第十三回 (2001.4.2)
「結びつける」 

宗教は英語でreligionです。

これはラテン語のreligareが語源となっているそうです。

re、「もう一度」

ligare、「結びつける」

という意味です。

つまり宗教は、

「バラバラになったものを、もう一度結びつけるもの」

なのです。

言葉の語源から、現在、その言葉が表すことを分析することは

かなり危険なことです。

でも、キリスト教の歴史を考えたとき

この語源が意味することは

かなりあてはまっていることに気づかされます。



教会で、宗教(religion)の語源を語るときは

離れてしまった神と人間を結びあわすものとして

また人間同志の心の交流や助け合いを奨励するものとして

キリスト教の持つ役割を語ることが

多いのです。



しかし、この「バラバラになったものを結びつける」という役割は

キリスト教が、信仰を通して

同じような考え方を人々に持たせること

同じ教えのもとに人間を統合すること

として表われることも多かったと

思うのです。



キリスト教は古代ローマ帝国の国の宗教、

すなわち国教となったことで

世界的な宗教となりました。

しかし、

ローマ帝国のコンスタンティヌス帝が

キリスト教を国教としたのは

その教えに心酔したというよりは、むしろ、

国民の支配に好都合と考えたからだと

理解した方が正解でしょう。

人々に共通の思いを抱かせ

一つの教えのもとに統合することは

権力をもって国民を支配する人間にとって

大変好都合なことであったのです。



実際に権力者が人々を支配するときに

特定の宗教を利用することは

珍しいことではありません。

キリスト教しかり。

明治以降の日本の国家神道もしかり。

権力者は、特定の宗教を強制することにより

支配される人々を物質的な面だけではなく

精神的な面でも支配することが可能となるのです。

キリスト教は

そうした宗教の性質に

無頓着であったどころか

教会の歴史において

自ら権力を求めたことすら、あったのです。



宗教者として生きる私は

権力を持つ者が

どのように宗教に接しているか

常に敏感に監視しなくてはならないと

思っています。

現代日本社会で生きる私にとって

それは最低限の義務だと思います。

宗教者として生きることで

この社会に対して貢献できる

大切な一つの役割だと

考えているからです。

第十二回 (2001.3.20) 
「事実か否か」


前回の「物語の世界」では

聖書の記述は必ずしも

歴史的事実といえない要素が多い

と言いました。

しかし、伝統的なキリスト教の教えを

ひもといてみると、

聖書の記述が

歴史的事実であるからこそ

意味があると考えられることが

多いことに気がつきます。

例えばイエスが十字架刑で死んだことが

嘘だったとしたら、

イエスが人間の身代わりになって

神から罰を受け、死ぬことで

人間の罪が赦されることになったという

いわゆる「贖罪(しょくざい)」信仰は

成り立ちません。

人間がこの世界の終わりに蘇るのだという

復活信仰も

イエスの復活の出来事が

もし無かったとしたら

信頼性が揺らぐことになります。

それどころか、

もしもイエスが存在さえしていなかったら

キリスト教の信仰は根本から

揺らぐことになります。



もしもイエスが語った内容だけに意味があるなら

よいことは誰が語ってもいい、と

別にイエスが実際に語ったのでなくても

構わないことになります。

しかし、キリスト教の教えはそうではなく

イエスとは何者か、という

イエスそのものの解釈からも

導き出されているからです。

その点では、

キリスト教の基本的な教えは

イエスにまつわる出来事の

歴史的事実性に

深く根ざしているのです。



一面で、このことは

大変に危険な側面を

持っています。

2000年ほど前に

パレスチナで生まれた

歴史上存在したであろう

ナザレのイエスという

一人の人物とのつながりを

キリスト教の信仰は求めます。

イエスとのつながりを

拒絶した人々は

キリスト教の考える枠から

外れることになります。

たとえその人がどんなに良心的な

生き方をする人であってもです。

これはキリスト教の

極めて排他的な要素を

作り出しています。

キリスト教会は

人類の歴史において

神と人間が和解するという

歴史の転換点を

ナザレのイエスという

一人物に

託しているわけです。

現実にキリスト教会は

このイエスのことを知ることのない

状況にあった人々を軽蔑し

イエスとのつながりを拒絶した人々に

極めて不寛容に

振る舞ってきました。

聖書の記述が歴史的事実であったと

声高に主張する人々と接するたびに

私はこの排他性と不寛容の匂いを

感じざるを得ませんでした。



そして私自身も

キリスト教信仰に基づいて生きる者として

そうした排他性や

不寛容さを

うちに秘めていることは

自覚しなければなりません。

何とかこれを乗り越える道を

模索しているのですが

まだまだその道が見えないのです。



今はただ

そのことを自覚し、

自戒をもって活動する以外に

ありません。

第十一回 (2001.2.27)
 「物語の世界」

私は昔ばなしが割と好きです。

昔ばなしは荒唐無稽な話が多いのですが、

それがまた魅力でもあります。


実際にあった出来事から生まれたお話もあるようですが、

出来あがったものは、あくまでも架空の物語です。


「事実は小説より奇なり」とも言いますが、

つくられた話は時として

実際にあった事実よりも

遥かに多くの真実を

私たちに教えてくれる気がするのです。


現実と異なるが故に、

却って人間の真実の姿が

現われるのだと思うのです。


架空の物語は、想像力によって、

現実の世界の制約を飛び越えます。


「桃太郎」のように、

鬼がやっつけられるべきものと考えられれば

実際に鬼はやっつけられます。


人間が飛ぶこともでき

変身することもできます。


現実には

鬼に象徴されるような

暴力的な集団を駆逐することは

大変困難なことです。


飛行機を使わずに飛ぶことも

仮面ライダーのように

変身することも困難なことです。



でも物語では、それが可能となるのです。



ですから、物語では、

希望、願望、利己心、愛など、

人間の強い思いがより拡大されて

聞いたり読んだりする人間の心に

深く訴えかけてくるのです。


物語は現実との相違点があるからこそ

私たちに人間の心模様を

よりはっきりと映すことができるではないでしょうか。


実は私はキリスト教の聖書も

同じような要素を持っていると

思っています。


聖書は事実と伝説がない混ぜになっていて

複雑な側面がありますが、

それでも聖書の記述のほとんどは

歴史的な事実関係としては

嘘だらけだと私は思っています。


奇跡物語の多くを私はそのまま事実として

受け入れる気はありません。


でも、そうした荒唐無稽に思われる物語の中に、

深い人間の思いが

表現されているのだと理解しています。


そしてその深い思いには、

時と場所を超え、

私たちの心に訴えかけてくる

何らかの真実があると信じています。


例えば、復活の物語の裏にある

別れた人との再会を願う気持ち。

罪を悔いて、赦しを願う気持ち。


イエスが死体から蘇生したかどうかはわかりませんが、

そうした人間の願いについては

現代に生きる私たちにも

訴えかけ、納得できる何物かが

あるのではないでしょうか。


聖書の記述を

不動の歴史的事実として固執するのではなく

たとえ虚偽にまみれていたとしても

その物語の裏にある意味に関心を向け

そこに表現された

人間の深い思いに触発されること。

ときにはそれに感動し、

ときにはそれに反発し、

今を生きる自分の責任において

どう生きていくかの決断をすること。

あくまでも自分の意志で決断していくことが

信仰にとって大切なのでは、

と私は考えています。



「仮庵」としての私の姿も

あくまでも仮想空間の存在です。

現実の私の姿に基礎をおいてはいますが、

日常生活を送る私そのものではありません。

ですからここでは、

日頃隠れている私の本性や願望が

よりはっきりと現われているのかも

しれませんね。

何やらとても恥ずかしかったりして。。。

第十回 (2001.2.14)
「新しいもの、古いもの」

実はこの「信仰閑話」のコーナー、

今の教会に対する批判的なメッセージを

載せるために作ったコーナーなんです。


かなり気合いを入れて始めたのはいいものの。。。


最近ネタ切れしてきて(笑)。


これからは少し気楽な話もアップしていこうと思います。

なにせ「ひまばなし」ですからね(笑)。


今日のお題は、「新しいもの、古いもの」

暫しおつきあいください。。。


みなさん、「未来へ」

という言葉を聞くと

普通、前へ進むイメージを

お持ちじゃないですか?

「より前へ」「より高く」

あるいは「進歩」「進化」・・・


未来に向かって前進し、向上し、進歩し、進化していく。。。


近代以降、こうした未来へ向かう

直線的な時間の流れ、

そしてそれにともなう人間の進歩は

特に重要視されてきたと思います。。


こういう考え方の枠組みは、

知らず知らず私たちを

捉えているのではないでしょうか。


「新しいことは、いいことだ。」

というような安直な考え

もなかったとはいえません。


キリスト教の聖書でも、

確かにこうした時間感覚はあります。


「古い自分を捨て、新しい自分に生まれ変わる。」


キリストとの出会いによって

古い自分が死んで、

新しく生まれ変わった

自分となる。。。

それはやがて来るべき

未来の終末の出来事への備えでもあります。

終末は、神の意志が

この世界に貫徹されると考えられた

来るべき「未来」

この世界の歴史の終焉と

考えられてきた日です。


このことは新約聖書の中心的な

メッセージの一つです。





でも、旧約聖書を読んでみると、

旧約聖書を育んだ古代ユダヤの人々は

実はそういう風に「歴史」や「時間」を

認識していたのではないことがわかります。


旧約聖書の書かれたヘブライ語では、

「終末の日」は、

「日々の一番後ろ側」

という意味の言葉になります。


終わりの日、すなわち未来は、

実は「前」ではなく、

「後ろ」にあるのです。


古代ユダヤの人々は、

未来に向かって背を向けていたのです。


では彼等/彼女等は、一体

どちらを向いていたのでしょう。


彼等/彼女等は

過ぎ去った過去を

それも理想的な過去を

「前」に見据えていました。



旧約聖書の最初に、有名な

アダムとエバの物語があります。

神の守りのもと、楽園「エデンの園」にて

二人は快適に生活していました。

しかし、二人は神に対し離反し、

その楽園を追放されます。



この物語からもわかるように、

古代ユダヤの人々は、

歴史の始まりの時点では、

神と人間の関係は

順調なものだったと

考えていたのです。

理想的な状態だった

はずなのです。


そして、人間の裏切りによって、

神と人間の関係は歪み、

人間は苦難の歴史を

歩むことになったと考えたのです。


古代ユダヤの人々は、

神と人間の関係が

順調であった過去を見据え

「あの日々に還りたい」と

願っていたのです。


彼等/彼女等にとって時間は、

理想的な過去を見つめつつ、

遠ざかり後ずさりながら

流れるものなのです。


それは古代ユダヤ教が、

民族の苦難の中で発展してきた

歴史を投影しています。

古代ユダヤは様々な

苦難を経験しました。

そして、

「何故、自分たちはこのように苦しまねばならないのか」

そう考えました。

それはもともと順調にいっていた

神と人間との関係が、

人間の責任で歪んでしまったからだと考えました。

あの日のような関係に

戻りさえすれば

すべてよくなるのだと

考えました。


そうして、過去を見つめつつ、

未来へ向かって後ずさるような、

時間感覚が生まれていったのです。


聖書には「悔い改め」という

言葉がよく出てきます。

「改める」ということからもわかるように、

それは古い自分を悔いて捨て

新しい自分となる、

という意味が含まれています。


でも、旧約聖書での

「悔い改め」とは

「立ち戻る」

あるいは

「今来た道を引き返す」

という意味なのです。


もともと神と人間がうまくいっていた過去へ、

「立ち戻り」

「引き返し」

「帰っていく」


それが本来の

「悔い改め」「回心」

ということです。


人間が

「かつてあった姿に」

「既に自分の中にある姿に」

「戻っていく」。

このことが、

神と人間の絆の回復であり、

人間の本来的な姿だと

旧約聖書は語っています。





私たちの多くは

「未来」へ向かって「前進」する

というイメージを持っています。


それは時として、

人間は年を重ね、

成長し成熟していくにつれ、

「向上し」

「新しく素晴らしいなにものかに」

「ならねばならない」

というメッセージ

になってしまいます。


向上することは確かに

素晴らしいことではあります。


でも

「ならねばならない」

というメッセージが

強烈になりすぎたとき。


思うように進歩できない

現在の自分を

却って苦しめ

縛りあげることになりかねません。



それより私は

「かつてあった、そして既にある自分の姿へ、戻っていく」

という表現の方が好きなのです。



変化しなければならない

という点では

両者のいっていることに

大差はありません。


しかし

言葉の与える印象として

「よりよいものになる」

よりも

「既にある自分に戻る」

という方が

気軽な感じがして、

私は気に入っています。



このことを知ったとき

私は自分の中にある焦りが

妙に消えて

すごく楽になりました。


肩の力を抜いて、

日々を送れるようになりました。


立ち戻るべき姿を持つ人間を、

ちょっとだけ信じてもいいかな

という気になりました。





「新しいもの」を目指すのも

素晴らしいことですが、

一方で、「古いもの」を

そして「今既にあるもの」を

丁寧に見つめることも

時にはよいことだと

私は思います。





えっ?

「そんなことを言っているから、

私はいつまでも怠慢なんだ」

ですって?


そう言われたら、

返す言葉がありません。。。

降参です。。。



でも、たまには、

肩の力を抜いてみることも、

いいのではないでしょうか。

ねえ?

第九回 (2001.2.12)
「別れと出会い」

2月28日から

キリスト教の暦でいう

受難節が始まります。

キリストの受難を覚え

自分自身も禁欲的な生活を送る

期間とされてきました。


イエスの死と復活については

イースター(復活祭)の時に

詳しく述べようと思っています。

今回は、少しそれを先取りして、

「別れと出会い」について

述べたいと思います。


イエスは十字架という

当時のローマ帝国の課する

政治犯に対する残酷な死刑によって

殺されました。


イエスを見捨てた弟子たちにとっても

失望、罪悪感、後悔、自己嫌悪に満ちた

大きな挫折の経験でした。

このことについては既に、バックナンバーの

「贖い」のシリーズで述べています。



確かに弟子たちは

イエスと悲痛な別れを経験します。

しかし出来事はそれでは終わらず、

聖書では

イエスの「復活」の出来事が起こったと

記されています。


私は、従来教会が考えてきたように、

イエスの復活が

超自然的な出来事として

死者の体の蘇りとして

実際に起こったかどうかについては

深く追求する気はありません。

私は基本的に復活の出来事は

イエスという人間と弟子たちの間の

「別れと出会い」の物語だと思っています。


聖書では

イエスとの悲しき別れを経験した弟子たちの前に

イエスが蘇って再び現れたと書かれています。

それはイエスと弟子たちとの

失われた絆が

回復された物語です。


あの素敵な先生に

ナザレのイエスに

もう、二度と会うことができない。

以前そうであったように、

一緒に食事を共にして歓談することも

イエスに叱咤激励してもらうことも

もはや無くなってしまった。

共に笑い、怒り、泣き、驚く日々は

もはや取り戻すことはできない。

イエスの前で、

自分たちが逃走した罪の

赦しを乞うことすらできない。


そう思い込み、うなだれた弟子たちの前に

イエスは現われます。


弟子たちはイエスとの

あの過ぎ去ったはずの日常が

回復されたと信じました。


それは同時に

イエスの生前にはわからなかった

イエスの存在の意味を

再発見することでした。


弟子たちの逃亡によって

イエスと弟子たちの間に出来た

罪という谷間。

イエスに再び声をかけられるということは、

その谷間が埋められたということでした。


赦しとは決して神学的な理論ではなくて

そうした具体的な

人と人との間に起こる

和解の出来事だと思います。




そして

和解をもたらすものとしての

イエスの姿は、

イエスと弟子の間の

罪と弱さと裏切りとに彩られた

別れがなければ

弟子たちには理解できなかったはずです。


その点では

聖書の語るイエスの存在の意味は

イエスとの別れがなければ

発見することが出来なかったものなのです。


実際に弟子たちはイエスの目指した本当の理想を

理解したわけではありませんでした。

実のところ、イエスのことを

弟子たちは誤解したままだった部分があります。

それはかなり皮肉なことです。


しかし、弟子たちが

イエスと別れ

イエスとまた、新しい出会いを経験したことは

間違いないのです。


それは本当に教会が理解してきたように

実際の肉体の蘇りであったかもしれません。

あるいは単に

イエスは蘇りなどせず

弟子たちが

イエスの意味を

聖書や言い伝えの中に

再発見したということに

すぎなかったのかもしれません。


私にとってはそれは

どちらでもいいことなのです。


どのような形にしろ

弟子たちがイエスと別れ

そして新たな出会いをし

イエスと共にある日常が

新たな日常がやってきたと信じたこと。

それにこそ復活の物語の意味が

あると思っています。





現代を生きる私たちも

常に別れを経験します。

そして失ってみて

初めてその相手の存在の持つ

意味や価値が

理解できるということが

あるものです。

どれほど自分にとって

大切な存在であったかが

わかることがあるものです。


たとえ現実には再会が果たせず

思い出の中だけの存在となっても

その相手のことを

より大切に愛おしむ気持ちが

沸きあがってくるものです。


それこそが「別れと出会い」の出来事であり

現代にも繰り返される

「復活」の出来事だと思うのです。


別れは時に

新たな出会いをもたらします。

特にその別れが過ちによって

引き起こされたものであるとき。

互いに激しく傷つけあった末に

おこった別れであるときは

より一層、新たな出会いが

赦しとしての意味を持ってくるのです。


「別れ」は

新たな「出会い」の

始まりでもあるのです。


もしも聖書の語る復活の物語についての解釈が、

そうした「別れと出会い」の意味を考えず

奇跡が起こったかどうかに

焦点が当てられるなら、

それはあまりにも空しいことのように

私には思えるのです。


「復活」は

いろいろな形で私達の世界に再現されます。

年齢を積み重ね、

さまざまな過ちを犯し

別れを経験してきた人間にとっては

復活の出来事は

この上もなく

素晴らしい出来事なのだと

私は思います。

第八回 (2001.2.9)
「贖 い その4」

聖書に出てくる

「贖い(あがない)」という言葉は

昔は、自分の犯した罪を

神に赦してもらうために

いけにえを捧げることを

意味しました。


それには二つの

大きな意味が込められています。


一つは、人間の犯した罪は

決して神の前から消えないということ。

あくまでも神に赦してもらうのであって

無かったことになるのではないのです。


もう一つは、人間の犯す罪は

身代わりの犠牲を払わねばならぬほど

他の命を取り上げねばならぬほど

むごたらしいものだということです。


本来「贖い」という考え方は

そうした現実の人間の

残酷で醜い有り様を認めた上で

理解されるべきものなのです。


しかし、現在では

現実の人間や罪責のむごたらしさではなく

赦しということだけに

焦点が当てられているような気がしてなりません。


神の存在も、神への信仰も

現代の合理主義的な考え方からいくと

実証不可能なものですから

あくまでも心の中、頭の中の

観念的なことと

捉えることができます。


「罪の赦し」と言っても

それは

神を、そして神の赦しを信じる人が

「自分は赦された」と確信する、

あくまでも内面的な出来事としてしか

捉えることができません。


現代的な感性から見ると

「罪の赦し」は

実体的な変化とは

考えることができないのです。


そして私は、

「罪の贖い」「罪の赦し」は

現実の罪責のむごたらしさを

見つめ続け、

それに耐えられなくなった人間が

最後の手段として選ぶ

観念の世界への

「跳 躍」

だと思うのです。


それは確かに現実からの

逃避なのかもしれません。


しかし私は信仰を持つ者として

その観念への「跳 躍」が

何らかの実体的な意味を持つということ。

そして

人間である限り「跳 躍」する権利を

誰もが持っているということを

認めているのです。


たとえ、そのことによって

私が「偽善者」と

非難されようと

「卑怯者」と非難されようと

私はそれを甘んじて受けねばなりません。


その非難から逃げては

私は伝道者として

生きてはいけないのです。


ただそんな私が

誠意を示せることと言えば

現実の罪責を限界まで

見つめようとすること。


そして

「跳躍」をしてしまった後も

観念の世界から現実へと立ち戻り

自分自身と

この世界の改変のために

努力を続けることでしょう。


やっぱり宗教って

卑怯でご都合主義の

ものなのでしょうか。


皆さんはどうお感じになりますか?





「贖い」シリーズ、とりあえず今回で終わりです。

理屈っぽくて難しかったですか?

私自身、まだ消化しきれていない部分があって

説明が不充分な点も多かったでしょう。

どうかお許しください。

第七回 (2001.2.6)
「贖 い  その3」

私は思います。

何らかの大きな過ちを犯したとき

その人にとっての時が

止まってしまうことが

あるのではないでしょうか。


そして

その場所、その時にたたずんでしまい

一歩も動けなくなった

自分が出来てしまいます。


いつまでも

後悔し、自分を責め、

嘆き悲しみ続ける

自分がそこにいます。



一方で、

人は日々、生き残ろうとする本能ゆえなのか

今流れる時とともに

前へ前へと進もうとするものでもあります。

時とともに変化して

前進していこうとする

自分がそこにいます。





いつまでも過去に立ち止まろうとする自分。

未来へ向かって進みゆこうとする自分。

この二つの自分は全然別のエネルギーを持ち

私という人間を引き裂こうとします。


とりあえず私は

今という時を生きていますから、

前へ進もうとする姿をとって

日々を過ごします。


そして

過去に立ち止まろうとする自分を

いつのまにか心の奥底に隠して、生き続けます。


しかし

ふとした出来事で

隠していた自分が、

過去にとどまろうとする自分があらわれ

私という存在を引き裂こうとします。



人は時として

あい矛盾する自分を

抱え込まなければなりません。





前回の話では

イエスの十字架の死が

まわりの弟子たちにとっては

大きな挫折であったこと。


そして弟子たちは

イエスの死を

すべての人を罪から解放する

「贖い(あがない)」の出来事であったと

理解することで、

その挫折を乗り越えたと

述べました。


しかし

弟子たちが

イエスを見捨て、裏切り、逃走したことの

罪と責任は

一体どうなったのでしょう。


弟子たちは

イエスの死が

すべての人の罪の赦しをもたらしたとし

自分たちの罪をも

赦されたものと考えました。

そのことへの感謝の念が

弟子たちの後の活動の

エネルギーとなったことは

否定できません。


しかしそれは一方で

いつまでもその時にとどまらなくてはならない

過去の罪責を

勝手に宗教的な意味づけをすることで

不問に付してしまった

出来事だとも言えるのでは

ないでしょうか。





過去に立ち止まろうとする自分。

未来へ歩もうとする自分。

この二つの矛盾する自分を

抱え込んだ人間は、

その原因となる出来事の有り様如何では

自己がつぶされてしまうぐらいの

危機に直面します。


私にはそういう状況に陥った人へ

「つぶれてしまえ」

などという資格はありません。


むしろ、

私自身がつぶれなくてはならない

人間なのかもしれません。



そうした危機的状況の中では、

人は、過去に立ち止まろうとする力を抑制し

未来へ進もうとする自分の力を

解放する必要がでてきます。


すなわち人は、過去の罪責を

赦されることなしには

一歩も前に進めない

存在でもあるのです。



キリスト教がいうところの

イエスの死による罪の「贖い」は

そうした、赦されなければ

生きていけない

人間の姿が表現されたものといえます。



キリスト教でいう罪の「贖い」「赦し」は

一方では

宗教的な意味付けにより

人間の過去の罪責を

不問にふす

欺瞞的なものだと言えます。


そしてもう一方では

たとえ欺瞞といわれようとも

赦されなければ、

過去に立ち止まろうとする力を

断ち切らねば、

生きていけぬ人間の

姑息で

悲しく

しぶとい一面が

表現されたものとも言えるのです。





私自身、正直に言って

このことを消化できずにいます。

どう判断すればよいかわからずにいます。

もうしばらく葛藤を抱えて

活動し続けなければなりませんね。

第六回 (2001.2.2)
「贖 い  その2」

ナザレのイエスは

おそらく紀元30年頃に

十字架刑によって

処刑されたと思われます。


十字架刑は当時のローマ帝国の

政治犯に対する処刑で、

見せしめ的な意味もあり

かなり残酷な死刑でした。

イエスは、当時治安を乱す

問題人物と考えられていたようです。



イエスが逮捕、処刑された時、

多くの弟子たちは逃亡し、離散しました。

イエスと行動を共にしてきた

弟子たちにとっては

イエスの十字架の死は

大きな挫折の出来事でした。


イエス自身との別れの悲しみ。


夢見ていた目標の終焉。


そして、

大好きだったイエスを裏切り

見捨て

保身に走ってしまったことへの

後悔と罪悪感。


弟子たちの挫折感は

どれほど大きいものだったでしょう。



そうした挫折感の中で、

弟子たちはイエスの死の意味を

考え始めます。

なぜあんなに素敵で力強く思えたイエスが、

あんな非業の死を迎えねばならなかったのか。

その訳を考え始めます。


そして弟子たちは、

当時の聖書(今でいう旧約聖書)にあたり、

言い伝えと照らしあわせ、

イエスの死に宗教的な意味を見出していきます。


イエスは、人間の罪を代わりに背負って

犠牲となって死んだのだと。

イエスの死によって

人間は罪の奴隷から解放されたのだと。

イエスの死は

聖書でいうところの

罪の「贖い(あがない)」の行為であったのだと

結論付けるに至りました。



このことを専門的には聖書における

「贖罪(しょくざい)論」といいます。


イエス自身には自分の死が

罪の「贖い」であるという意識はなく

贖罪論は

初代のキリスト教会を形作った人々が

つくりあげた信仰の表現だと

多くの学者たちは考えています。



この出来事は、

大きな挫折を経験した人間が、

その挫折を乗り越えるべく

積極的な意味を

その出来事に見出し

それより後、

残された自分たちも

積極的に生きていこうとした

人間ドラマであるとも

解釈することができます。


贖罪論は

そうした挫折を乗り越えようとする

人間のドラマから生み出されたものだと

考えられるのです。



しかし、教会は

その人間ドラマに注意を払わず

出された結論を

どの時代にでもなりたつ

永遠の決まりごととして

伝えて行きました。



私は、

罪の「贖い」という考え方は、

そうした結論に至る

人間のドラマも含めて

解釈すべきことがらだと思います。


現代を生きる人間であっても、

何らかの挫折を経験するものです。

そうした挫折を乗り越えようと奮闘する人々にとっては、

贖罪論の生まれた過程は

何らかの希望とヒントを

与えてくれるのではないでしょうか。


私は贖罪の考え方も含め、

信仰生活は、

どの時代、どの場所でも成り立つ

定められた教えを信じ、

守ることではなく、

神と人間の間で起こった

ダイナミックな出来事を

思い起こし

触発されつつ

現代に生きる私たちが

よりよい生き方を求め、

自ら判断し、決断していく

そういうものだと思うのです。


もしもあなたが何らかの挫折に

苦しんでおられるとしたら、

聖書にある弟子たちの挫折の物語が

何かをあなたに

語りかけるかも

知れません。



「贖い(あがない)」のシリーズ

あと2回ほど続く予定です。

理屈っぽくて難しいかもしれませんが、

もうしばらくおつきあいくだされば

幸いです。

第五回(2001年1月29日)
「贖 い」

 「贖 い」


これをどう読むか、お分かりになりますか。


「あがない」


と読みます。


聖書ではこの言葉は、

もともと、奴隷の身分となってしまった人間を、

親戚が金銭その他の代償を払うことで買い戻し、

奴隷の身分から解き放つことを意味します。


後の時代には、

古代ユダヤ社会において

人間の犯した罪を、

いけにえを代償として供えることで

神に赦してもらい

罪の奴隷の状態から

解放されることを意味するようになりました。


キリスト教では、

ナザレのイエスの十字架の死は、

イエスが、全ての人間の罪の代償として

いけにえとして捧げられた出来事であり

そのことによって人間は

すべての罪から解放された、

と信じてきました。

つまりイエスは、

自らの命でもって

すべての人間の罪を

「贖った(あがなった)」

と考えてきました。

キリスト教にとって基本的な教義とされてきたものです。

(その考えに対する意見は、後日述べます。)



ですから、「贖い」「贖う」は

教会の中でよく用いられる言葉です。

でも、新聞や雑誌などで

皆さんはこの言葉を目にすることがあるでしょうか?

キリスト教に関する記事でもない限り

ほとんど目にされることはないでしょう。

その点で、この「贖い」という言葉は

教会の中でしか通用しない言葉でもあります。


宗教集団に限らず、

集団というものは

その内部でしか通用しない言葉、印などを用いることで

集団への帰属意識を高めようとします。

集団以外の人は用いないけれど、

自分たちはよく用いる言葉やもの。

それによって人は確かにこの集団に属しているのだと

実感することができるのです。

でもそれは一方で、

集団以外の人々との間に断絶をつくることになります。

それが悪い形で進んでしまえば、

世間の一般的な価値基準と大きくずれ、

反社会的な集団を形作ることになります。



私は、なるべく集団の中だけで通用するような

言葉を使うことを避けていきたいと

思っています。

集団以外の人々とも共通の土台で

話し合えるような言葉を模索していきたいと

思っています。

教会の中だけで通用するような言葉ではなく、

もっといろんな人に理解できるような形で

神の言葉を語っていきたいと考えています。

それは確かに難しいことではあります。

でも、

それをすることで、初めて教会は

外部に対して開かれた存在に

なれるのではないでしょうか。

外部からの批判にさらされることなく

教会が活動を続けることは

大変に危険なことだと思っています。

それほど宗教は人間にとって

危険な要素を持っているのです。



まだ私もこのことを始めたばかりです。

端緒についたばかりです。

目指すことの大きさに呆然としてはいますが、

日々先を目指して前進していきたいと

思っています。

第四回(2001年1月20日)
 「信仰と疑い」

 私は常々、信仰生活において、

神に対し「納得できない」ことや、

「疑問に感じる」こと、「信じられない」ことを感じた時、

その感覚を大切にして下さい、と言うようにしています。


 伝道師をしている私がこんなことを言うのは変ですか?


 私は信仰とは神を「信じること」であって、

「信じねばならないこと」ではないと考えています。

 あくまでも自然に湧き起こってくる感情であり、

こうあらねばならぬ、と強制されて生じるものではないでしょう。

ですから、神に対し何らかの疑いを持ったとき

それは不信仰である、改めなさい、といって

押さえつけることはできないのです。


 また、多くの場合、神に対して納得できないことや、

疑問に感じることは、

キリスト教の教義(教え)と現実の有様との間の

「切れ目」から沸き上がってきます。


 故なく病気となってしまった信仰者に対し、

「それは神の与えた試練だ」と

周りの人が言うことがあります。

その方なりの励ましであり、

誠意のおつもりなのでしょうが、

時としてその言葉は著しく人を傷つけるものです。


試練という言葉で納得できないような苦しさに、

人間は直面することがあるからです。

「神の愛」が実感できない瞬間があるからです。

 確かに苦しむ本人がそう納得して、

苦難を乗り越えられるのならば素晴らしいことです。


しかし、それを他人が口にすることは、

全然意味が違います。



「何故こんな苦難に遭わねばならないのか」



その疑問は簡単に解決できることではないのです。

私は、現実の厳しい姿は、宗教の教義で簡単に

説明することが出来ないものだと思っています。




 神を「疑うこと」。


 それは、信仰と厳しい現実の間の、

解決できない葛藤の現れなのではないでしょうか。

 「わからないことは、わからない」

 時にはそう言い切ることも必要なのではないかと、

考えているのです。

第三回(2001年1月18日)
「らしくなく」

 私は「牧師らしい牧師」「伝道師らしい伝道師」

になりたいとは、あまり思っていません。

 人間に対して言われるところの「・・らしさ」という

言葉のほとんどを、私は好きではありません。

 「男らしさ」「女らしさ」「夫らしさ」「妻らしさ」などをです。

 私はあくまで私であって、私が存在する以前に

「男としての自分」「夫としての自分」などがあるわけではありません。


 「・・・らしさ」は基本的に社会が個人に、

特定の役割を期待するところに

生じてくる言葉だと思っています。
 
社会(牧師の場合は教会)が要求する牧師としての姿、役割。

それに個人があてはまっているときに

「牧師らしい」とみなされるのではないでしょうか。

 確かに職業的義務として果たすべきことを、

着実に果たすことは大切なことです。

それは誠実に追求していきたいものです。

しかし、私という個人は、そうした社会の期待する

役割、姿とずれたところを

必ず持っているはずです。

 私はそうした「ずれ」を大切にしたいと思います。

良くも悪くもその「ずれ」が

私の個性をつくりあげる重要な部分だと

思っているからです。

そして、他の人に対しても、

その「ずれ」を認められる

人間になりたいと思うからです。


 でも例外的に、「・・らしさ」の中で好きな言葉もあります。

私は

「人間らしく」

「私らしく」

生きて行きたいと思っています。

第ニ回(2001年1月17日) 
 「大それたことではない」

 以前先輩の牧師が教会の活動のことを指して、

「私はつまらないことをしているつもりはないが、大それたことをしているつもりもない。」

と言っていたことがあります。

 私はそれを聞いて、すごく納得していたのを覚えています。

 キリスト教では神を人格的、倫理的な面でも、能力の面でも

はるかに人間を凌駕する上位の存在として理解しています。

 それは、神の前では全ての人間が小さいものとして立っていること、

言い換えると、全ての人間は絶対的なものではなくあくまでも相対的なものとして

存在しているということです。


 しかし、時として教会は神の言葉を預かっているからといって

自分の活動が他のあらゆるものよりも優れた、絶対に近い活動だと考えてしまいがちです。
 
教会の活動といえども、相対的な存在の人間が行う以上、相対的なものであるはずです。

ですが、絶対的な存在である神の言葉に従っているから、

自分の活動が他よりも絶対に近いと思いこむようです。

そのため教会は他に対して、時にとても傲慢で、不寛容な態度を示すことがあります。
 
真面目で勤勉で心から尊敬できるキリスト者の方の口から、

ある特定の人々に向けられた、大変に不寛容な言葉を聞かされることがあります。


 「大それたことではない」


そう言い切った牧師は、

そうした自分を絶対的だと思いこむ考え方に、警告を発したかったのでしょう。

 私もその精神を忘れてはならないと思っています。

第一回(2001年1月17日)
「出発の日」

「仮庵」オープンの日が、くしくも1月17日となりました。

この日は、6年前、阪神・淡路大震災があった日です。

その時、まだ東京で働いていたので、私は震災を経験していません。

私が今働いている西宮も、大きな被害があった地域です。

行政のアピールを見ていると、もう復興が成し遂げられたかの印象を受けます。

しかし、実際は復興とは程遠く、多くの方々が経済的な負担を抱え、

また精神的な傷が癒えぬまま日々を過ごしておられます。

今もあの日のことを思い出し、涙する方もいらっしゃいます。


先輩の牧師に聞くと、やはり震災は通常の常識でははかることのできない、

とても特殊で異常な出来事であったとのことです。


伝道師として今、この西宮にいる私ですが、

あのことを経験していない者が、本当に皆さんの苦しみや悩みを

共有できるかといえば、そんなことできる訳がありません。

できるというのは、思いあがりでしょう。

あの時、あの場所では様々な出来事が起こったそうです。

そに居なかった私が、

そのことを「ああすべきだった」「こうすべきだった」などと

言う資格があるはずありません。

伝道師、牧会者としての限界を感じさせられます。


しかし、今、なすべきこともあるはずです。

私も周りの方々ともそのことは共有できるだろうと思っています。

それを目指して、日々、小さな努力を積み重ねていきたいと思います。


「仮庵」の出発の日に、祈りを込めて。。。



music by Sora Aonami


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