2001年3月30日(金) 「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
私がよく使う言葉です。
失敗ばっかり、過ちばっかりの私。
この言葉ばかり使っています。
あまりたくさん使っているうちに、すごくやすっぽくこの言葉を使うようになってきているような気がしています。
それでもなお、「ごめんなさい」と言わざるを得ない、日々なのです。
「ごめんなさいで済めば、警察はいらない」
よく言われる言葉ですが、これも真実です。
それでもなお、「ごめんなさい」と言わざるを得ない、私なのです。
今日、関釜裁判の判決を聞いて。
「ごめんなさい」も言えない国に生きていることを実感していました。
私たちは一体、どこへ向かおうとしているのでしょう。
2001年3月29日(木) 「榎」
教会の西門にところに大きな榎の木があります。
秋には膨大な数の落ち葉を落とし。
掃除をする私を苦しめます。
同じ苦労をわかちあった歴代の伝道師達は、それをこう呼びました。
「信仰を試す榎」
秋にさんざん葉を落としてすっきりしたはずの榎に。。。
今日見たら、新しい葉がめばえようとしていました。
冬場、死んだかのように見えた榎も、確実に生きていたのです。
生命の不思議さを感じると同時に、ひどく恨めしく思えてしまった私です。
今年もあれを掃除しなきゃならんのかいな。。。
かなり憂鬱な気分になってしまいました。
人間とは勝手なものですね。
一方では草花の成長に命の尊さを感じながら、自分に都合の悪いところは無くして欲しいなんて。
美しさに喜び、命の不思議さに驚くことは、たゆまない世話の後にあるものなんですよね。
ああ、この世はままならぬ。
久しぶりに「すきなもの」更新しました。
今回はクイズです。
チャレンジしたい方はどうぞ。。。
2001年3月28日(水) 「大切に」
ここ数日、また寒さがぶり返してきたせいか、風邪をひきなおしたみたいで。
頭痛が酷くて昨日は更新できませんでした。ごめんなさい。
ふと子どもの頃のある出来事を思い出していました。
小学校の校門横の露店で売っていたひよこを買って帰ったことがあります。
ああしたところで売っているひよこは、まあ、ほとんど長生きしない場合が多いのですが。
可愛らしくて抱いてばかりいたら、どうやらきつく抱き過ぎたみたいで。
すぐにそのひよこ、死んでしまいました。
自分では可愛がって、大切にしていたつもりなのですが、それが逆効果だったのですね。
結局殺してしまった訳です。
大切にしたいという思いは大事なものです。
教会で活動していますと。
一見無駄に思えるような振るまいや、傍から見ていて嫌な感じを与えるような振るまいにも、その裏には、切実な思いが込められていることに気づかされます。
振るまいの結果を問わず、そうした思いを重んじなくてはならない、日頃そう感じています。
でも。
時としてよかれと思ってしたことでも。
愛しくて、大切にしようと思って行ったことでも。
逆に相手をいたく傷つけてしまうこともあるんですよね。
どんなに切実な思いから導き出された行いであったとしても、傷つけられた相手から見れば、それは残酷な行為でしかありません。
結果が厳しく問われることもあるものです。
同じようなことばかり繰り返してきた、自分のことを思い。
何やら情けなく、悲しい気分になっていました。
あらたな年度を歩みだそうとする今。
だいぶ自信を失いかけていますが。
弱音ばかり吐いてはいられません。
何もせずに生きた方がいいのでは、と思うようなことがあっても。
そうはいかないのも、また人生というもの。
いろんな矛盾を抱えつつ、明日からも生きねばならぬのです。
明日も寒そうです。お体にお気をつけくださいね。
2001年3月26日(月) 「この一年」
2000年3月26日。去年のこの日、私は今の教会に引っ越してきて、本格的に仕事を開始しました。
今の教会で働きはじめ、一年が経ったのです。
教会の庭にミモザの木があるのですが、住居スペースへつながる外階段の一番下の部分に陣取っていて、引越しの時とても邪魔でした。
満開のミモザの花が、頭にくっついていたのを覚えています。
今日、青空の下、満開のミモザを見つつ、この一年を思い出していました。
しんどかったこと。つらかったこと。苦しかったこと。悲しかったこと。
様々なことがありましたが、たくさんの人たちに支えられ、励まされ、何とか一年乗りきることができました。
たくさんのいい人たちとの出会いが、嬉しいことや喜びを、一杯与えてくれました。
ありがとう。感謝です。
働き振りは、とても心もとなく、反省しきりです。迷惑をかけた教会の皆様。ごめんなさい。
明日からは、いよいよ就任二年目になります。もう、初めてだから、との言い訳は、通じません。
私にとっての、「お試し期間」が終わりました。
この一年は、私にとっても真価の問われる一年となることでしょう。
「賞味期限切れ(笑)」にならないように、頑張ります。
家族をはじめ、私を支えてくださった皆さん。本当にありがとう。感謝に絶えません。
そして、この「仮庵」をオープンしたことも、忘れられない思い出です。
こんなところに来てくださっている皆さん。本当にありがとう。
青空の下。この一年に思いを馳せつつ。
「仮庵」こと、小栗仁志。
2001年3月25日(日) 「へとへと」
今日は久しぶりに教会の礼拝で説教をしました。
疲れました。
準備に思ったよりも手間取り、昨日は2時間ほどしか寝ていません。
おまけに雨の中、教会のプレハブ倉庫の解体作業までしていて。
もう、へとへとです。
日記を書こうにも、意識が朦朧としていて、何を書いていいものやら。
うう。
明日は私の休みの日です。
もう、寝ます。
おやすみなさい。
2001年3月24日(土) 「悪意」
私は週に2、3回、教会の外回りの掃除をします。
一番多いゴミが落ち葉。
そしてその次ぎに多いのが。
タバコの吸い殻です。
落ち葉の掃除が一番大変なのですが、落ち葉は自然の摂理でもありますから納得できるのです。
でも。
タバコの吸い殻は、何となく人間の悪意を感じてしまって、精神的に嫌なものがあります。
私もずっと以前、吸い殻のポイ捨てをしていた頃もありますから、あまり他人のことをあしざまに言う資格はないのですが。
この教会に来て、外回りの掃除をするようになってから、ポイ捨ては決してしなくなりました。
また、いろんなおやつ・パンの食べ残しや、包装紙、空き缶などが教会の玄関先に放置されていることもあります。
平気で他人の建物にそんなことをする神経が理解できません。
そういったゴミを見るにつけ、私はとても悲しくなります。
今日もそうしたゴミがあって。
嫌な気分になっていました。
ふと足もとを見ると。教会の外壁の隙間から、ホトケノザが顔を出していました。
掃除をしながら、心の和む一時でした。
明日は久しぶりに礼拝で説教します。今、準備中です。
今日はすごくショックなことがあったりして、精神的にブルーなのですが、頑張って準備します。
みなさん。ゴミはゴミ箱に。。。
追伸) 今テレビのニュースで中国・四国地方に強い地震があったことを知りました。
少しでも被害が少なくてすむことを。
そして、被害にあわれた方々が無事でおられることをお祈りします。
何でこのようなことばかりが続くのでしょうか。神さま。。。教えてください。。。
2001年3月23日(金) 「あーーー春休み♪」
今週からうちの幼稚園は春休みに入っています。
幼稚園は春休みといえども、当然、仕事は休みにはなりません。
でも。
結構仕事ははかどります。
私は幼稚園の園バスの添乗員を毎朝しています。朝7時半から1時間半ほどバスに乗りっぱなしです。
朝も早く起きないといけませんし、結構気も使うし体力も使います。
春休みはそれがありません。
少し朝寝坊ができて。
ちょっぴり嬉しいのです。
仕事もはかどります。
また、いつもはうるさく思える子どもたちの声が聞こえず。
保護者からの連絡の電話も少なくなり。
やっぱり落ち着いて仕事ができます。
落ち着いて庭の木々を眺めたりすることもできます。
ああ。春休み。
いいものです。
今日、こないだ卒園した子どもたちの卒業アルバムを頂きました。
お別れした子どもたちの、幼稚園での生活の記録です。
年少の頃小さかった子どもたちが、すっかり大きくなって成長した様子を見ることができました。
静かで落ち着く春休みも。
子どもたちが恋しくて、寂しく感じるようになるのでしょうね。
まあ、そう感じるまで。
今の静寂を満喫させていただきます。
ごちそうさま。
2001年3月22日(木) 「建前」
今日、教会に来なくなった青年についての話を聞きました。
どうやら教会の「建前」が嫌になったらしいです。
その感じ、なんとなく、わかる気がします。
教会では、聖書の言葉をいろいろ語ったりしていますが、語る自分がどれほど聖書の言葉を体現して生きているか、いつも疑問に感じています。
聖書を理解するのも、専門的な知識が必要で難しいのですが、聖書の言葉を生きることは、もっともっと難しいことです。
聖書は古典ですから、確かに解釈が難しい部分も多いです。
でも、専門的な、特定の作業をしてとりだされたイエスの言葉は。
実はそんなに難しいものではないのです。
「神を愛せよ」、「人を愛せよ」。
問題は、イエスに従って生きることの難しさです。
内実をともなわずに聖書の言葉を語っていると、どうしても「建前」になってしまいがちです。
きれいごとに、なってしまいやすいのです。
その青年は、そうした部分を敏感に察知したのでしょう。
若者特有の厳しく、済んだ心でもって。
そうした厳しい批判に耐えながら。思います。
弱く、醜い自分であると同時に、より高みを目指そうとする自分もいます。
神を信じていたいと願う自分があり、同時に、厳しい現実に神を見失いそうになる自分があります。
ぬるま湯に浸っていたいと願う、心も持っています。
信仰生活は葛藤の連続です。
その葛藤から逃げ出したときに、私にとって信仰は嘘になってしまします。
どんなに情けない心模様であっても。
自分に嘘をついたら、私にとっての信仰生活は、成り立ちません。
今日、青年についての噂を聞きながら、もう一度、心を引き締める思いでした。
明日も忙しくなりそうです。
あんまり悩まずに、今日はもう寝ますね。
おやすみなさい。
2001年3月21日(水) 「桜」
今、教会の彼岸桜が満開です、などということを書いていたのですが、今日見てみたら、もう散っていました。
早いものですね。
そう考えると、幼稚園の卒業式に合わせたように満開になってくれた彼岸桜さん。
本当に園児たちをお祝いしていたのかもしれませんね。
そのタイミングの余りの良さに。
驚きつつ、散ってしまった彼岸桜を眺めていました。
彼岸桜の後は。
あんずです。
気づかなかったうちに、あんずが満開になっていました。うーーーん、綺麗。
彼岸桜が主役から降りたら、すかさず他の木が主役になっていて。
この教会の庭に植える木を考えた牧師は、やっぱりただものではないな、と思いました。
とりもなおさず。
彼岸桜さん、ご苦労さまでした。
とっても大事な役割を果たしてくれて、ありがとう。また、来年、綺麗な花で、園児たちを送りだしてくださいね。
2001年3月20日(火) 「ぼーーーっと」
今日は仕事が休みでしたので、一日ぼーーーーっと過ごしました。
やるべきことは一杯あれども。
すべてうっちゃって、ぼーーーーっとしていました。
娘ともたくさん遊びました。
一杯寝ました。
こんな一日の終わりには、やっぱり自分は駄目人間なんだ、と自己嫌悪に陥るのですが、まあ、いいかな。
たまにはこんな一日も。
暑さ寒さも彼岸まで、と言いますが、今日も春らしい暖かい一日でした。
もう、春が来たって言いきってもいいですよね。
春の風に吹かれて。
少しは私にも生きる活力が溢れてくるのでしょうか。
そうであって欲しいものです。
2001年3月19日(月) 「よくやった。」
職場の同僚が2人、辞めることになり、今日はその送別会でした。
彼女たちの苦労を考えれば、とてもささやかなものでした。
2人とも、やるべきことをし終えたという、満足感、充実感のあらわれた、いい表情をしていました。
うちの幼稚園は宗教法人の付帯事業として保育を行っています。
ですから、経済的な面では豊かでない状況の中で日々の仕事をこなしています。
当然幼稚園の職員にかかる負担は大きく、彼女たちは、若い年齢にも関わらずよく辛抱し、いい仕事をしてきたと思います。
私が同じ年齢だったころ。
彼女たちみたいにしっかりとは生きていませんでした。
そんな2人のこれからの将来が、楽しみでもあります。
そばで苦労を見ていた私としては、「本当にご苦労様。よくやったね。」としか言いようがありません。
ずっと頑張ってきたよね。
泣きたいこともたくさんあっただろうに。
彼女たちなら、これからどこへ行っても、いい仕事ができるでしょう。必ずやいい花を咲かせることができるはずです。
彼女たちの背を見送りながら。
これからの道のりが豊かであることを祈らずにおれませんでした。
本当にご苦労さま。よくやったよね。
2001年3月18日(日) 「遠方の友」
今日、久しぶりに遠方の友と連絡がとれました。
事情があってしばらく音信不通だったもので。
とても、嬉しかったです。
いろいろと大変なことがあったようです。遠方にいるが故に何の力にもなってあげられなくて。
歯がゆい思いです。
自分の生活を持って、自分の働き場を持って生きていると、なかなか遠方の友人たちと会う機会が持ちにくくなっていきます。
だからこそ、一時一時を大切に。
小さくて細やかな努力を大切にしなくては。
そう思いました。
明日は仕事が休みです。娘を病院に連れて行かねば。
やるべきことも山積していて。
明日もファイトだわな。
2001年3月17日(土) 「巣立ち」
今日、教会付属の幼稚園の卒業式でした。
少し雨模様の一日でしたが、満開の彼岸桜、ミモザ、サンシュユの中で行われました。
私が一年前教会に赴任したとき、まだまだ幼かった子どもたちが、みんな大きくたくましくなって巣立って行きました。
何やらとても感慨深く。
卒業式の出し物を、一生懸命にこなす子どもたちの姿に、ホロリとくるものがありました。
三つ子の魂百まで。
そんな短かったけれども、大切な時期を子ども達と過ごせて、幸せですよね。
今の教会に赴任したことで、苦労したことも多かったけれども。
ここに来ていなければ、おそらく出会うことがなかった子どもたちです。
何やら人の出会いの不思議さを、噛み締めていました。
巣立って行った子どもたちと、これから会う機会があるのでしょうか?
今ではほとんど音信不通となっている友人達のことを思い出し。
ふと案じてしまった私でした。
そうそう、今日でこの「仮庵」も開設2ヶ月が経ちました。
最近、更新サボリ気味で申し訳ないのですが。もう少し時間ができたら、また更新していきますね。
これからもよろしくお願いします。
そして、ご愛顧、ありがとうございます。感謝。
2001年3月16日(金) 「10連発」
どうやら私は自分の娘に片思いしているようです。
先日、娘に「パパ嫌い」と言われた話を書きましたが。
今日、駄目押しを食らってしまいました。
「とうちゃん(最近娘は私をこう呼びます)、嫌い。嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い・・・・・」
10連発以上、「嫌い」を食らってしまいました。
トホホ。
少し怒りすぎなのでしょうか?
それとも。。。。。
本気でないとは思うのですが(というか、そう信じたかったりします。)。
最近、娘が私に冷たくて。 ちょっぴりへこんでおりまする。
まあ、深く考えても仕方ありませんね。もうちょっと娘に優しくしようかな。
明日は幼稚園の卒業式です。一年間つきあった年長の子どもたちが巣立つ姿。何やら感慨深いものがあります。楽しみです。
明日もいい天気でありますように。
2001年3月15日(木) 「孤独」
先日、病気で入院中の患者さんのお見舞いに行ってきました。
お見舞いに行くたびに思い出すのが、私自身が入院していたときのことです。
入院中は、肉体的な苦痛がもちろん第一の困難なのですが、それに加え、精神的な苦痛というか、孤独感を強く感じたのを覚えています。
世間から取り残されてしまったような。
自分の痛みや不安を誰も分かち合ってくれないというか。
ある種の寂しさが、入院生活をより侘びしく、つらいものにしていました。
施設の整った大きな病院であっても、やはり忙しいためか、精神的なケアはかなり不足しているようですね。
家族の見舞が多かった私など、まだましな方で。
中には訪ねてくる人が、殆どない方もいらっしゃいました。
かなりシビアな病状の患者さんが、夜中、喫煙場所で一人寂しく座っていたことが、今でも忘れられません。
病気の治療は医者まかせの部分があっても。
孤独感を緩和するのは、少し努力すれば、実現できることのような気がします。
結局人間は、自分の困難には自分自身で、一人で立ち向かわねばならぬものでしょう。
しかし、自分がそうした苦闘の最中にあること。
それを誰かが知っていてくれて、共に祈ってくれている。
そう思うだけで、戦う勇気も沸いてくるというものです。
今、様々な困難にある方々が、孤独のうちにないことを、願います。
ようやく今日で「つけ」の支払いが済みました。
明日も。頑張ろう。
2001年3月14日(水) 「つけ」
昨日は今の職場で初めての「病欠」でした。
今日は熱が下がったので出勤したのですが、いきなり昨日の「つけ」がまわってきました。
仕事が予定以上にふってきて。
もう、ヘトヘトです。
おかげさまでまた体がだるくなってしまいました。トホホ。
やっぱり世の中そんなに甘くはありませんな。
明日もまた一つ「つけ」を払わねばなりません。今やっとこさ、その準備が終わったとこです。
ふう。
気がつけば、「冬の星」も「信仰閑話」も更新が停滞しておりまする。ごめんなさい。
やっぱり手を抜くとそれがてき面に現われるようで。
カウンタの伸びも停滞中ですかな。
これも「つけ」の一つでしょうか。
まあ、焦っても仕方がないから、マイペースで行かせていただきます。
それから。。。
伝えたい思いがあって。それを伝えたい相手に伝えることが出来ないこと。伝える術すらないこと。
結構つらいものですね。
ああ、いかん。暗くなってしまう。
まあ明日も、明るくニコニコ「つけ」払いですな!!
2001年3月13日(火) 「病欠」
先週末からのインフルエンザがまだ思わしくなく、今日は仕事休みました。
私の担当の地区集会が二つもあったのですが、休みました。
私が教会に来てからほぼ一年が過ぎようとしていますが、初めての「病欠」でした。
かなり、悔しかったりします。まあ、体調の管理が出来ない私の責任なのですが。。。
そう言えば、小学、中学、高校と、皆勤賞をとった学年が無かったように記憶しています。
トホホ。
名目上は共同牧会者なのですが、実質上の上司でもある主任の牧師に
「病気で仕事できません。」
と言うのは少々悔しかったです。うーーーん。
でも、少し考えさせられることもありました。
ひたすらしんどさに耐えて、職務を遂行することも一つの強さ。
そして、早々と「出来ない」と白旗をあげて、宣言するのもまた、一つの強さなのですね。
教会全体から考えると、日々の仕事を 「私」 がやるということよりも、 「誰であっても」 確実に行うことの方が、むしろ大事な場合があるんですよね。きっと。
自分が必要以上に辛抱して、意地を張ったために、遂行しないといけないことが遂行できないことになったら元も子もありません。
周りから顰蹙をかったり、恨まれたりするのを承知で白旗を揚げるのは、また別の強さが必要で。
それが自分には不足しているのだな、と感じました。
いろいろと勉強になりました。
おかげさまでだいぶ調子は戻りつつあります。
娘はまだ熱が下がらないのですが、それでも少しずつ快方に向かっています。
また、明日から、無理しない程度に、頑張ろうっと。
ご心配くださった皆様。ありがとうございました。感謝。
2001年3月12日(月) 「ごめんなさい」
今、私はインフルエンザでうなっています。熱も出てきて、困っています。
先週の中ごろから、「ワイフ」 → 「むすめ」 → 「私」 と交代で倒れています。
今日娘が病院に行ってきたのですが、検査の結果、A型のインフルエンザとのこと。
結構きついですぜ。今年のは。。。
さぼり虫の私は、風邪でしんどくなってきたらすぐ手を抜いて休息をとるようにしているので、長時間倒れることは少ないのですが、インフルエンザにはやっぱり適いません。トホホ。
11日の日曜日は「教会総会」といって、様々な決め事をする教会の全体会議でした。なんとかだましだまし参加し終えたのですが、夜になって、やっぱりダウンしてしまいました。
昨日、今日は私にとってとても大事な会議があったのですが、またしてもサボってしまいました。
明日の地区集会も代わってしてもらうことになって。。。
何してんだろうなあ。俺。。。
周りから与えられるやらねばならぬことに振りまわされ、自分自身がしなくてはならぬと思うことを充分に取り組めていない現状に、少し歯噛みする日々です。
また、今回、子どもが熱性痙攣を起してしまいました。
娘は先天的な脳波の異常をもっていて。すぐに熱性痙攣を起します。度重なればこれが癖になり、平常時にも痙攣を起すように、すなわち「てんかん」なる可能性が高い、とのことで予防治療を受けています。
熱性痙攣を起したら、また予防治療のやり直しなのです。
少し落ち込んでいたのですが、インフルエンザの痙攣は定着しにくいとの診断を受け、ホッとしています。
でもこのホッとする気持ちが、同時に私にとって複雑なものでもあります。
絶対に「てんかん」になることを避けねばならない、という気持ちを持つことは、ひいては「てんかん」の患者さん方への偏見に結びつきかねません。
確かに子どもが病をおってほしくないと思う気持ちは自然なものでしょう。
でも、絶対に避けねばならないと考えることで、その避けたい対象に対して、偏見が育つことがあります。
いわゆる差別事件の中に、親が子どもを思う気持ちが、大きく関わっていること、結構多いのです。
ちょっと調子の悪い日が続きますので、更新滞るかもしれません。
お許しくださいませ。
2001年3月9日(金) 「雪」
私の住んでいる兵庫県西宮市今津では珍しく、今日は雪が降りました。
寒い一日でしたね。
積もるというほどではなかったのですが、うっすらと白くなった庭先を見て。
娘も喜んでいました。
雪国の方々にとっては大変だったのではないでしょうか。事故などがないことをお祈りしております。
この間、私が出入りしているサイト「MEGUの散歩道」にて10000のキリ番を踏みました。
私としてはキリ番踏むのははじめてのことだったので、嬉しい限りでした。
この間の日曜日、MEGUさまから、キリ番のプレゼントが届きました。
ネイティブアメリカンのドリームキャッチャーと。
素敵なUFO型のキャンドル立てでした。
今日そのキャンドルに灯をともし、少し眺めていました。円盤の横の穴からもれる小さな灯りが、素敵で心が落ち着きました。
ドリームキャッチャーは、悪夢を絡め採ってくれる網です。
最近、悪い夢を見がちな私には、丁度よいプレゼントでした。
必要なときに必要なものが与えられること。あるんですね。
MEGUさま。ありがとうございました。
今日はワイフが風邪でうなっています。いろいろと大変です。
2001年3月8日(木) 「議論」
今日も一日慌しく。
教会の仕事が終わってから、教区の委員会の仕事がありました。
委員会の仲間の人たちと喧喧諤諤と話し合っていました。
いろいろな議論が白熱していました。
私は議論に関しては、反射神経が鈍い方で。
あれやこれや考えている間に、議論が先に進んでいて。
ついていけないことが多いです。
もう少し表現がすばやくできないものかと悩んでいます。
でも、これも訓練でしょう。自分の思いを表現することを繰り返しているうちに、私も議論についていけるようになるのでしょうね。
いつも反省ばかりしているのではなく、努力、努力。
会が終わってからも居酒屋で、ずっと話あっていました。
真剣に議論をぶつけられる仲間があるということ。
とても幸せなことですね。
帰ってきたら2時前。。。
明日も仕事、頑張ろうっと。2001年3月8日(木) 「議論」
今日も一日慌しく。
教会の仕事が終わってから、教区の委員会の仕事がありました。
委員会の仲間の人たちと喧喧諤諤と話し合っていました。
いろいろな議論が白熱していました。
私は議論に関しては、反射神経が鈍い方で。
あれやこれや考えている間に、議論が先に進んでいて。
ついていけないことが多いです。
もう少し表現がすばやくできないものかと悩んでいます。
でも、これも訓練でしょう。自分の思いを表現することを繰り返しているうちに、私も議論についていけるようになるのでしょうね。
いつも反省ばかりしているのではなく、努力、努力。
会が終わってからも居酒屋で、ずっと話あっていました。
真剣に議論をぶつけられる仲間があるということ。
とても幸せなことですね。
帰ってきたら2時前。。。
明日も仕事、頑張ろうっと。
2001年3月7日(水) 「眠い。。。」
今、私は強烈な睡魔と戦っています。
とっても、眠いです。。。
ここ数日寝不足で。。。
今、週に一度歯医者に通っているのですが、今日はなんと、歯医者の治療を受けている最中に居眠りしてしまいました。
ウィーーーーーンって、歯を削っている最中に寝てしまったのですから、よほど眠かったのでしょうね。
その時、ちょっとでも動いていたら。。。
考えただけでも恐ろしいです。
神様。御守りありがとうございました。
今日もまだまだ眠れそうにありません。
明日、明後日と教会の地区集会があって。
その為の準備をしなくてはならないので、まだまだ眠れないのですよ。
両親の話によれば、私は昔からよく眠る子どもだったようです。
放っておいたらいつまでも寝ていたらしいです。
三つ子の魂、百まで。
今でも私はよく眠ります。
休みの日など一日中寝ていることも、たびたびです。
そんな私が寝不足など。。。
ああ、早く寝たい。。。
てな訳で最近は友人の皆さまのサイトにも立ち寄れず。
ご無沙汰しておりまして、申し訳ありません。
☆
先日、私の大切な友人が入院したとの知らせを聞きました。
とっても、心配です。
本人もさぞや不安な夜を過ごしていることでしょう。痛みで苦しんでいるかもしれません。
今の私には。
ただ祈ることぐらいしかできません。
遠い地より、回復を心よりお祈りしております。
2001年3月6日(火) 「リレー」
今日までに仕上げなければならない原稿があって。
今日も地区集会が二つもあって。
殆ど昨日。寝てません。
眠い。。。
以前、教会の庭の蝋梅について紹介したことがあります。
散り始めてからもけっこうしぶとく花を残していたのですが、今日見たら殆ど散っていました。
代わりに花梨の木と、サンシュの木が、目をふきはじめていました。
一つの花が枯れ、そしてまた違った花が咲く。
命のリレーがうまくつながっているようです。
一方で人間は、なかなか過去の歴史から物事を学べず、同じ過ちを繰り返し続けます。
私など、同じ間違いを嫌というほど、繰り返してしまっています。
過去の過ちへの反省をリレーして、よりよいものをつくっていく。やっぱり難しいことなのでしょうか。
庭の草木よりも、私はリレーが下手みたいです。。。
今日は暖かい一日でした。
寒くなったり、暖かくなったり。少しずつ春に向かって歩んでいます。
悪い風邪が流行っているようです。
皆さんの健康が守られんことを。。。
2001年3月5日(月) 「風」
昨日は疲れていたのか、またもや子どもを寝かせていたら一緒に寝てしまいました。
昨日から今日にかけてこのあたり(兵庫県西宮)も強い風が吹いています。春一番なのでしょうか?
「風」
旧約聖書が書かれているヘブライ語では、ルーアッハという言葉になります。
このルーアッハは、「風」とともに、神の与える「霊」、そして人間の「息」という意味も持っています。
目には見えないけれども、また、どこからくるのか分からないけれども、確実に力を持っている「風」は、何か神的なものを古代の人々に感じさせたのでしょうか。
聖書の天地創造の物語では、神が人間アダムを創造するとき、塵で形をつくったあと最後に鼻に「息」を吹きかけます。
この「息」もルーアッハが用いられています。
この神の「息」、ルーアッハによって、人間には「霊」「魂」が宿るようになったと聖書は伝えています。
人間が物質ではなく、人間として生きるその根底にあるもの。人間を人間たらしめるもの。
それがルーアッハなのです。
私は「風」のように、
時に爽やかに、
時に力強く、
常に動き続けながら、生きていきたいなあ、って思ってます。
たとえ、逆境の中にあっても、「人間を人間たらしめるもの」、それを失わずに生きていきたいなあって。
なかなか理想にはほど遠いのですが。
でも目標ぐらい高く置いたっていいですよね。
3月のスケジュールを確認していたら、今月はかなりのハードスケジュールです。。。
休みも殆どありません。ううっ。体がもつか、心配だ。。。
今月は時折日記の更新もさぼってしまうかもしれませんが、見捨てずにおつきあいくだされば、嬉しいです。
(続・3月5日の日記)
今、夜です。今日の日記の続きを書きましょう。
今日は教区(兵庫県の日本キリスト教団の教会の集まりです)の仕事を夕方までしていました。
そこで久しぶりに、私と同じ時に教師検定試験を受けた友人と会いました。
前に会ったのは、半年以上前になるでしょうか。。。久しぶりで、懐かしかったです。
少しの間、話をしました。
その友人も結構、大変な日々を過ごしているみたいです。
ある意味では、私よりも大変な状態の中で、友人は頑張っていました。
教会で苦労しているのは、私一人ではないのだなって。
自分一人苦労しているような顔をしていてはいかんのだなあって、改めて感じました。
苦労の量としては同じでも、どこかで自分の苦労を知っていてくれる人がいて。
自分も相手の苦労を知っていて。
一人ではないという実感が、少しでもその重荷を軽くしてくれることもあるものですね。
少し重荷が軽くなったような気がして。。。
でも、体重は全然減ってませんでした。。。トホホホホホホホホ。
そうそう。阪神電車。今津近辺の線路が完全に高架になっていました。神戸方面は既に高架になっていたのですが、大阪方面はまだだったのですよ。
3月3日より、高架にあがりました。
これで、踏みきり渋滞も、減るかな?
2001年3月3日(土) 「ひな祭りに思う」
今日は3月3日。ひな祭りです。
この日は私にとって、少し複雑な心境の日でもあります。
いわゆる雛人形。。。
雄雛と雌雛。男女のペアで並んでいます。なんとなく夫婦礼賛っていう感じを受けてしまいます。
私には同性愛者の友人がいます。彼等/彼女等は、「夫婦」というものに対してあまり現実感を感じないようです。
愛し合い、恋愛をするのは、必ずしも男女・異性の間だけではないのですよ。
「性」や「恋愛」ってそんなに単純なものではないのです。
「恋愛=男女」という図式に苦しめられ、はじきとばされてきた友人たちのことを考えると、「ひな祭り」って素直には喜べないのです。。。
異性間で恋愛感情を抱く人を「異性愛者」と言いますが、すごく異性愛中心のお祭りだなって。
ここ数年感じることが多いのです。
一方で、娘のいる私としては女の子の成長をお祝いする日として、嬉しさも感じてしまいます。
成長する娘と一緒に祝いたくなる自分もあるのです。実際に今日もついつい、いわゆるひな祭りケーキを買ってきてしまいました。
なんとなく複雑な心境です。
ただ、この日を、無条件にお祝いするのだけはやめようと思っています。
私が「あたりまえ幻想」によって、除外している人々がいることだけは、忘れたくないのです。
バレンタインの時もそうでしたが、気がつけば、お祭りごとにいちゃもんばかりつけています。
でも、これが、「私」なんです。。。
関西は今日の夜から荒れ模様だそうです。みなさん、お気をつけくださいね。
2001年3月2日(金) 「遊び心」
昨日(3/2)の夜、娘を寝かしつけていたところ、私も一緒に寝てしまいました。疲れてるんですね。
朝、日記、こっそり書いています。まあ、たまにはこういうのもいいかな。
うちの幼稚園では2ヶ月に1回、子どもたちの誕生日を祝う「お誕生会」を行います。
今日は、2月、3月に誕生日を迎えた子どもたちのための「お誕生会」でした。
子どもたちが各学年毎に出し物を披露して、お互いの誕生日を祝います。
そして毎回最後の出し物は、幼稚園の教師たちが行います。先生から子どもたちへのプレゼントなのです。
それが。。。。
今年度の初めの頃は、歌を歌ったりなど、比較的大人しい出し物だったのですが、だんだんと毎回ヒートアップしてきています。
手品あり、ヒゲダンス(古いか?)あり。コスチュームにも凝るようになってきました。
今日は全員がカツラをかぶって、ダンスに興じていました。
保護者の方にも好評で、お誕生会の名物コーナーになりつつあります。
楽しそうにダンスをしている先生たち。なかなか遊び心があるなって感心させられます。
幼稚園の先生たちはかなりの激務をこなしています。
厳しい労働環境の中で、日々、悔しかったり、しんどい思いをしている彼女たちを見ているだけに、楽しそうに踊っている姿に心打たれるものがありました。
遊ぶ心、笑う心。
しんどい日常であるからこそ、その意味の大きさがあるのだなって、思いました。
遊び心は、忘れたくないですね。
2001年3月1日(木) 「都わすれ」
仕事でお花屋さんに買い物に行きました。たくさんの花が賑やかにあって、嬉しくなってしまいました。
ふと、そこに「都わすれ」という花があることに気がつきました。
草花に疎い私には、初めて見る花の名でした。小さくて可愛らしい青い花でした。
花の姿は特に私の好みではなかったのですが、その名前が妙に気になってしまいました。
どなたか「都わすれ」の由来についてご存知の方がいらっしゃったら、教えてくだされば嬉しいです。
私は生まれは大阪の枚方(「ひらかた」と読みます。)ですが、幼い時に京都の八幡市(「やわたし」と読みます。)に移り、ずっとそこで育ってきました。
八幡は京都市の南に隣接した都市です。
岩清水八幡宮という神社の門前町として発達してきた町です。岩清水八幡宮は全国の八幡さんの総本山らしいです。でも宇佐八幡や鶴岡八幡の方が有名ですよね。
中学、高校、大学と京都市内の学校に通っていたこともあり、京都に関する忘れられない思い出がたくさんあります。
てなわけで、私にとっては。
「都、わすれられまへん。」
八幡市の北には、「淀」(「よど」と読みます。)というところがあります。
豊臣秀吉の側室、淀君の居城、「淀城」があったところです。今では京都競馬場の所在地としての方が有名でしょうか。
もともと「淀」という地名は、「水がよどむ」ということからつけられた地名だそうです。ご存知でしたか?
最近物事が思うように動かず、精神的にも活動の面でも「よどみ」がちな私です。
でもほんの少しずつでもいいから、動いていたい。
他人が見たら全然動いているように見えなくても、少しずつでもいい、確かに動いていたい。
そして、「よどみ」をつくらないように生きていきたいなあ、と思います。
今日から3月、弥生になりました。皆さんにとってよい月となることをお祈りしています。