2001年2月28日(水)
本日のわが一家の会話より。
娘: 「XXちゃん(娘の名前)は、ママのことが好き。ママはXXちゃん好き?」
母: 「大好きよ。とっても。じゃ、パパのことは好き?」
娘: 「ううん。パパ嫌い。。。」
母: 「どうして嫌いなの?パパはXXちゃんのこと、大好きなのに」
娘: 「パパは。。。悪い人なのよ。。。」
私: 「・・・・・・・・・・・・」
はあ。手厳しいものですね。
何か見破られてしまったのでしょうか。
日頃の接し方が悪いのでしょうか。
確かに自分が「いい人」だなどと言う自信は、ありませんからねえ。
もう2月も終わりです。今日はこちら(兵庫県)は冷たい雨が一日降っていました。
こんな日は以前入院していたときのことを思い出します。ちょうど2月のことでした。
今、病のもとにあり入院されている方、また、これから入院される予定の方。
皆さんの病が早く癒されんことを、お祈りしております。
悲しいニュースの多いこの頃、来月はよい月でありますように。
2001年2月27日(火)
私はものぐさで、だらしない人間です。
脱いだ洋服もろくすっぽたたまずに置いたままにすることが、ままあります。(皆さん、いけないことですから真似しないでくださいねって。誰も真似せんか。。。)
いつもワイフに怒られたり、あきれられたりしています。
今日、うちの娘がパジャマに着替えるのを見ていたのですが、なんと脱いだ服をたたみ始めました。
もちろんむちゃくちゃなたたみ方なのですが、それでもたたもうとしていたのです。
ビックリしてしまいました。
おもちゃの散らかし方などを見ていて、やっぱりだらしのない私の娘だなあ、と思っていたものですから、余計に驚いてしまいました。
どうやらまだ3才の娘に、私ほもう乗り越えられてしまったようです。。。。
ショック。。。。
3才といえども、ちゃんと一つの魂を持った人間なのだな。
思い知らされました。
私はこれからもどんどんと追いぬかれていくのでしょうか。
考えて見れば、それも嬉しいことですよね。
明日で2月も終わりです。皆さんにとって、どんな一ヶ月だったでしょう。
来月はどんな月になるのでしょうね。
2001年2月26日(月)
昨日は夜、教会の仲間や先輩の牧師と飲んでました。
日頃教会では話せないいろいろなことを話すことができて、嬉しかったです。
仲間っていいもんですよね。
溜まっていたストレスがかなり発散できました。
一夜明けて今日は、珍しく仕事や用事が何も無いオフ日でした。
だいぶ疲れていたので、ほとんど一日寝ていました。
家族と一緒に買い物にいって、また「ザ・警察官」(射撃のゲームです。詳しくは「すきなもの」のコーナーでご覧ください。) で遊んでいました。
やるべきことがどんどん溜まって行きます。ううっ。
最近、更新さぼり気味ですよね。
今週中には頑張って次の文章をアップしたいものです。
2001年2月25日(日)
うちの教会では、日曜日の朝、大人の礼拝の前に日曜学校を行っています。
要するに子ども向けの教会活動です。
その日曜学校の教師の方が、今朝、とても面白い話をされました。
どこかの本や新聞記事からとってきた話かもしれませんが、印象に残ったので紹介しておきます。
☆
小学生のAくんは、あるものを買うために400円がどうしても必要になりました。そこでAくんはおかあさんに対し請求書をつくることにしました。
内容は次の通りです。
「せいきゅうしょ おかあさんへ
ゲームをやめろといわれたときすぐやめました。 100円
おさらをあらいました。 100円
しゅくだいをしました。 100円
けんかをしませんでした。 100円
ごうけい 400円 おかあさんにせいきゅうします。」
おかあさんはそれを見て、Aくんに黙って400円渡しました。
翌日、今度はおかあさんがAくんに請求書を渡しました。
「せいきゅうしょ Aくんへ
がんばってごはんをつくりました。 0円
そうじとせんたくをしました。 0円
かぜでねこんでいるとき
いっしょうけんめいかんびょうしました。 0円
いつもあいしています。 0円
ごうけい 0円 Aくんへせいきゅうします。」
その請求書を見て、Aくんはもらった400円をお母さんに返したそうです。
☆
いい話だなあ、と思って聞いていました。
私だったらAくんの作ったような請求書をもらったら、すぐに怒っていたことでしょう。
お母さんの深い愛と知恵を感じました。
こんな知恵深い親になれますかねえ。
明日はオフ日。体をゆっくり休めようと思っています。
2001年2月24日(土)
先月、うちの幼稚園は新しいグランドピアノを購入しました。
贅沢な話ですが、今日、そのピアノを使った、「「ピアノ開き」と称する演奏会がありました。
うちの教会にはプロのピアニストの方がいらっしゃって、その方に演奏していただきました。
上手な人が弾くと同じピアノでもこうも違う音がでるのか、と感心させられました。
すばらしかったです。
その方は
「ピアノは、鍵盤の数よりもはるかに多い音が出せるのよ。心の持ちようによって、音が変わってくるのよ」
と子どもたちに言っていましたが、その通りでした。音楽の素養などない私が聞いても、本物なんだなあ、と思わせられました。
集まればいつも大騒ぎの幼稚園の子どもたちも、いつになく大人しくピアノに聞き入ってました。
やっぱり本物を経験すること。
子どもの時だからこそ、大切なんだなって思いました。
情報が溢れる今の世の中。知らず知らず、本当に経験していなくても、した気になってしまいます。
簡単に物事をわかった気になりがちです。
そんな今だからこそ、本物を経験する時が必要なのだな。
強く感じました。
そのピアニストの方は、教会で伴奏を弾いてくださるオルガニストでもいらっしゃいます。
そんな方の伴奏で讃美歌を歌えるのって、本当に幸せなことなのですね。
今日はその幸せを、しみじみと噛み締めていました。
2001年2月23日(金)
一日事務仕事でてんやわんやでした。どうしても今日中にやらないといけない仕事があって、仕事が終わったのは深夜12時30分でした。
ふう。疲れました。
うちの教会には小さな庭があります。いろんな草花が植わっています。今はまだ白梅くらいしか咲いてはいませんが、これから様々な花が咲き、実がなっていきます。
楽しみです。。。
うちの牧師(兼 幼稚園園長)は、草花が好きでなおかつ詳しい人です。教会の庭の草花は殆ど牧師のみたてです。
とっかえひっかえいろんな花が咲いて、実がなるように工夫されているのです。春がくると、庭も大きく様変わりします。
園庭の草花を見ていて、私の大好きな芭蕉の句を思い出していました。
「草いろいろ おのおの花の 手柄かな」
草にも多くの種類があるけれども、それぞれ独特の、そして見事な花を咲かせるものだ、というような意味でしょうか。
この句は芭蕉が美濃の門人たちと別れて旅立つときに詠んだ句だそうです。
芭蕉の弟子たちにもいろいろな人がいて、その一人一人が全員、自分の個性が滲み出た、豊かな才能を示していたのでしょう。
芭蕉が弟子一人一人を丁寧に見つめ、そして愛おしんでいる感じがよく出ています。
人間もまた、いろいろ。
誰一人として、同じ人間などいません。
そして、その一人一人が、その人ならではの花を、誰にもまねすることのできない、独自で見事な花を咲かせるのでしょうね。
私も、与えられた場所、時間において、自分らしい花を咲かせてみたいものです。
ところで。
リンク集にも載せている「MEGUの散歩道」で、10000のキリ番を踏みました!!
自分以外のサイトでは初めて踏んだキリ番ですから、感慨深いものがあります。
そこのサイトでは私は新参者なので遠慮や照れもあったのですが、でも、やっぱり嬉しいです。
嬉しいなったら、嬉しいなっと。。。
もっと、何かいいことありそうだな。
うひょひょーーーーーん。
2001年2月22日(木)
今日は私の担当する地区集会が二つ、それに幼稚園の延長保育と、忙しい一日でした。
たった今(0:30)帰ってきたところです。
楽しかったけれど。疲れました。
聖書の話をするとき。やっぱり嬉しくて、うきうきしてしまいます。
もっともっと学んで、もっともっといい話をしたいものです。
今日は朝から暖かくて、朝の送迎バス添乗のとき、久しぶりに暖房なしで済みました。
三寒四温という感じでしょうか。
春の足音が聞こえてきます。
今、夏の暑さをすっかり忘れているように。
この冬の寒さも忘れてしまうのでしょうか。
嬉しくもあり。寂しくもあり。
明日も早いので、もう寝ますね。
おやすみなさい。。。
2001年2月21日(水)
もう日付が変わってしまいました。
深夜にこれを書いています。
水曜日は、私の教会の祈祷会がある日です。夜の7時30分に教会に集まり、みんなで聖書を学んだ後にお祈りをします。
終わるのはだいたい8時過ぎで、それから後片付け、戸締りをして、私が仕事を終えるのは9時を回ります。
明日は地区集会がある日なので、帰ってから今まで準備をしていました。
そんなわけで日付が変わって今の時間になってしまいました。
なにやら色々と慌しく。
最近は勉強の時間があまりとれません。
キリスト教の専門家として、学者ほどではないにしろ、必要最低限の知識は持っていないといけませんから、ちょっぴり焦っています。
時間はつくるものとよく言いますが、本当ですね。不器用で怠け癖のある私には、大変なことです。
少し憂鬱になりつつ。今日は寝ます。おやすみなさい。
明日が皆さんにとって平穏な一日でありますように。
2001年2月20日(火)
暖かい一日でしたね。
晴れ渡って気持ちのいい日でした。
ちょっと疲れが溜まっていてしんどかったのですが、心は晴れやかな感じでした。
夕方空を見上げると、青空が一面広がっていて雲が全然ありませんでした。
京都は盆地のせいもあり、必ずと言っていいほど雲が浮かんでいました。晴れの日といえども、雲一つない、というお天気にはなりません。
真っ青の青空を見ると、綺麗だなあ、という感じと、京都じゃないんだなあ、という気持ちが交互に湧き上がってきます。
以前会社員として関東で働いていたとき、千葉県の独身寮から見上げた空が一面青かったこと、印象に残っています。
「これからはここで勝負だな」
そう決心していたのを覚えています。
でも、もろくも勝負に敗れ、私は出直すことになりました。
「今度こそ、負けへんで。」
今日、雲一つない青空を見ながら、その決意を新たにしました。
今度こそ、負けたくないものです。
2001年2月19日(月)
今日はオフです。
教会からは週に一回、月曜日にお休みをいただいています。
でも、神学校のOB会や、教区(兵庫県の同じグループの教会の集まり)の仕事とかが入ったりして、一日自由になることは、意外に少ないのです。
今日は神学校OB会(正式名、「同志社神学教育後援会」)主催の予餞会というものが京都でありました。
てなわけで私も参加するために、久しぶりに京都へ行ってきました。
神学部でお世話になった、大好きな先生が出張してて会えなかったのは残念でしたが、いろいろと懐かしくて楽しかったです。
東京で働いていたときもそうだったのですが、京都に帰って来るとすごく心が落ち着くのです。
肩の力が抜けて、「ああ、帰ってきたなあ」という気分になります。京都生まれではないのですが、京都はやっぱり私の心のふるさとなんでしょうね。京都で学生時代を過ごせたこと、本当に幸せです。
「すきなもの」でご紹介した喫茶ソワレは休みで、残念ながら入れませんでした。
でも、もう一つの行きつけの喫茶店だった、「烹菓 (ぽうか)」に1年ぶりに行ってきました。シンプルだけど美味しいクッキーやケーキのあるお店です。少し模様替えはしていたのですが、店の雰囲気は相変わらずで、すごく心が和みました。お店のママさんも口数の少ない私のことを覚えていてくれて、嬉しくって少し話しこんでしまいました。私の心のオアシスの一つです。
帰るべきオアシスがあるっていうのは、いいものですね。
参加した「予餞会(よせんかい)」というのは、この春に神学部を卒業して、教会に赴任する後輩達を送り出す会なのです。久しぶりに会った人もたくさんいて、なかなか楽しい会でした。
学生の頃から仲良しの親友Mさんにも会えて嬉しかったです。照れくさくて面と向かってはあまり言えないのですが、Mさんにはいつもいろいろと助け励ましてもらっています。ありがとうね。
私も神学校を去年卒業して、教会に赴任しました。ですから一年前の予餞会では、私は送り出される立場でした。後輩たちが巣立つ姿を見ながら、私自身の去年の姿を思いおこしていました。
これから教会で伝道者として働くことのへの不安、そして期待。働きながら私のことを支えてくれたワイフのこと。居候を許してくれた父のこと。神学校在学中に死んだ母親のこと。経済的に困っていた私を支援してくれた八幡や彦根の教会の方々のこと。互いに切磋琢磨しあった学友たちのこと。丁寧に指導してくれた先生方のこと。ともに活動をした教区の委員会の仲間の方々のこと。いろいろな思いが交錯していたのを覚えています。
聖書の言葉を解釈しそれに触発され、教会の伝統や現代社会のありようと対話しながら、自分自身の言葉を模索していくこと。そしてそれを伝え、具体的な形で表現していくこと。
それが私の仕事の基本です。
でも降り返ってみて、どれほど私がそうした言葉に誠実であったか、疑問が残る一年でもありました。
不用意な言葉を用い人を傷つけてしまったこと。
自分の弱さから大切な人を傷つけてしまったこと。
いざというとき勇気をもって言葉を出せず、大切な友人を裏切ってしまったこと。
たくさんありました。反省しきりです。
こうしてHPを開いて、不特定多数の人に自分の言葉を公開することは、たとえそれが小人数であっても、危険をともなうことでもあります。
相手のことがよくわからずに言葉を発することは、時に相手にとりかえしのつかない傷を与えることにもなりかねません。
もともと言葉を書く、語るということは、自分の中にある配慮のなさ、不用意さ、冷酷さ、差別や偏見などが否応なくあらわれてくることでもあります。
それに加えて、語る相手のことがわからない、また相手の反応も直に知ることができないことは、その危険性を倍増させることになります。
もっと注意深く言葉と格闘せねば。
そう思います。
今このサイトで書いた文章を少し降り返ってみると、そうした不用意な、傷つけそうな文章を見出すことができます。
自分としてはそのつもりがなくとも、読む人によってはキツイ文章だな、と今になって気づく言葉があります。
私は時と場合によって互いに傷つけあうことは決して悪いことではないと思っています。
でも、しなくてよい、そしてしてはならない傷つけあいもあるものです。
何度自分は同じような過ちを犯せば気が済むのだろう。。。。
もっと言葉に慎重でありたいものです。
同じようなことを懲りもせず繰り返すなら、ここを閉じることも本気で考えねばならないのでしょうね。
来年の今ごろは、どのような心持ちでいるのでしょうか。
笑顔で後輩を送り出せるような心境にありたいものです。
2001年2月18日(日)
今日は穏やかな一日でした。
朝7時に教会に行って、
掃除をして、
日曜学校に参加して、
礼拝を守って、
お昼を食べて、
日曜学校の教師会をして、
結婚式をお祝いして、
また、掃除をして、
教会の戸締りをして、
家に帰ってご飯を食べて、
娘を風呂に入れて、
テレビで映画「シュリ」を見ました。
泣きました。
声をあげて、泣いてしまいました。
明日は、神学校のOB会があります。
久しぶりに京都に行きます。
楽しみです。。。。
2001年2月17日(土)
今日は2月17日。
仮庵のオープンから1ヶ月が経ちました。
個人的にいろいろあって、挫けそうにもなりましたが。
何とか今まで存続できています。
それもこれも訪れてくださるみなさんのおかげです。
本当にありがとうございます。感謝です。
当初は自分以外に誰が見に来てくれるのだろう、と思っていましたがいい人たちが来てくださって、嬉しいです。
出会いとは、不思議なものですね。
これからも頑張っていきますので、よろしくお願いします。
ところで模様替えした日記のコーナー「迷ひ羊」いかがですか?
「らしくなく」生きたいなどと、とあるコーナーで言っていたにも関わらず、 羊だなんて、おもいっきりクリスチャンっぽいテーマにしてしまった。。。
ああ、優柔不断。。。一貫性なし。。。
でも牛飼いさんのとこで(「牛飼いとアイコンの部屋」リンク集を参照してください) とっても可愛い羊さんを見つけてしまったもので。。。
「牧場」なんてテーマの素材集もあったりして。。。
思わず予定を変更して、「迷ひ羊」にしちゃいました。。。
お許しあれ。。。
牛飼いさんのところのテーマ別素材集、いいですよ。特に「銀河鉄道」が素晴らしいです。あまりの素晴らしさに気圧されて、うちでは使えませんでした。トホホ。
さてさて。
先日、幼稚園の子どもにせがまれて、「雪女」にまつわる絵本を読んであげました。
今日庭の掃除をしながら、つらつらとそのことを考えていました。
「雪女」って、すごく奥の深い話ですよね。
雪女は。。。
自分が殺そうとした男に恋をしてしまう。
そして、人間の女性の姿をとって、その男に会いにいき、結ばれる。
でも暑さや強い日差しが、彼女を痛めつける。
そしてそのことは、人間の里が、彼女にとって本来いられない場所であることを教える。
人間の女の姿が、本来の自分の姿でないことを教える。
自分の愛した男に愛されたのは、「雪女」としての自分?それとも「人間の女」としての自分? それとも。。。
彼女はどう思っていたのだろう。。。
やがて雪の日、男は彼女に、決して話してはならないと言われていた雪女の話をしてしまう。
それは「雪女」としての自分に対する、信じられない裏切りであり、
同時に、「人間の女」としての自分に対する、信頼でもあったはず。
果たして彼女は、男に「信じられたのか」それとも「裏切られたのか」
雪女の存在が第三者に漏れてしまうこと。
それは本来の彼女にとって、存在を脅かす、決してあってはならないことだったろう。
彼女が生き残るためには、約束通り男を殺さねばならないかもしれない。
彼女はその時、何を一番大事に考えたのだろう。。。
最後に彼女は男のもとを去る。
それは本来の「雪女」としての姿に戻ること。
しかし、ならば、「人間の女」としての彼女は偽りだったのだろうか?
男と共に生きたいという願い。
それは彼女にとって何よりも真実であっただろう。
仮の姿をとってまで結ばれたかったのだ。
命の危険を冒してまで、結ばれたかったのだ。
それは彼女の心の中の真実の姿であったはず。
「人間の女」は、確かに仮の姿ではあったが、より深く彼女の真実が現れた姿。
まさしく彼女の一部であったはずだ。
その思いをばかげたものだと言うことは、誰にもできまい。
それを偽物の姿だったと言う資格など、誰にもないだろう。
一体人間にとって、何が本当の自分で、何が本当の自分ではないのだろうか。。。
そんなことを考えること自体がばかげたことなのだろうか。
わからない。。。。。
私は、事実関係としては嘘というべきことであっても、その方が却って真実を語っていることがあるのではないかと思います。
「雪女」だって、作り話であっても、人間の真実をよく表現しているような気がするのです。
実は聖書も似たようなところがあります。
うーーーーーん。
また、このことについては他のコーナーで詳しく書きますね。
こんな訳のわからんことをこれからも書き連ねますが、見捨てず、去らず、どうぞこれからもよろしくお願いしますね。
心よりの感謝を込めて。
2001年2月17日、自宅にて。「仮庵」こと、小栗仁志。
2001.2.16(金)
日記のコーナー、少し模様替えしました。
名づけて「迷ひ羊 (まよいひつじ)」。
「牧師」という呼び名は(私ままだ伝道師。いわゆる牧師見習いです)、羊を世話する「羊飼い」すなわち、「牧人(まきびと)」から来ています。
要するに羊を守り導く者ということですが、牧師・伝道師であろうが、一匹の迷える羊であることに変わりはありません。
私は右往左往し、失敗や過ちを犯しながら、泣き、笑い、怒りつつ日々を過ごしています。
私が今も、そしてこれからもずっと「迷える羊」として生きているのだ、という意味をこめて、「迷ひ羊」と名づけました。
また飽きたら模様替えするでしょうが、しばらくの間、このタイトルにお付き合いくださいませ。
今日は昨日に引き続き、甲種防火管理責任者の講習にでていました。
「防火管理の証(甲種)」取得することができました。
ということは、すなわち私の仕事が増えるということですから、喜んでいいのやら。
まあ、何事もチャレンジですわな。
講師の皆さんは、専属の講師ではなく日頃、消防・救急の仕事をこなされているツワモノの方々でした。
話があまり上手でない人と、すごく上手な人がいて、面白かったです。
私の仕事では、「話す」ということは頻繁にあることなので、こだわりがあります。
他人の話し方も、つい厳しい目で見てしまいますね。
消防の世界ではベテランで実力者の方々が、話すのに苦労している姿、少し微笑ましかった(失礼)です。
いくつか印象に残った話を記しておきます。
☆「消火器は、底と、ゴム管が弱い」
消火器は底の部分が錆びると危ないそうです。消火器をお持ちの方、底がさびないようにこまめに拭いてやってください。あと、一年に一回は中の粉が固まらないように、逆さにするといいんですって。手入れをすれば、消火器は10年以上ももつそうです。
☆「スジ肉の煮込みは危ない。」
調理の時に火災を起すのは殆ど天ぷら油が原因だそうです。天ぷら油は火をつけて加熱したまま放っておくと、自然発火してしまうのですって。
だいたい煮込み料理を火をつけっぱなしで放っておいても、こげてボヤぐらいで済むそうなのですが、スジ肉の煮込みは、火事になりやすいそうです。スジ肉を加熱し続けると、ラードになって天ぷら油と同じような状態になるのだそうです。ご注意を。
それから、天ぷら油を固めて捨てるときも、充分冷ましてから捨てないと、固まった油が自然発火することもあるそうです。
☆「人は逃げるときは、左へ逃げようとする」
避難するときに人はどちらかというと、左へ逃げて行く傾向があるのですって。そういえば、鬼ごっこの時、左の方へ走っていってたっけ。西宮で警察がひったくり犯人を追跡するとき、逃走方向の左側にシフトをひくようにしたら、検挙率が6割アップしたらしいです。
この二日間で、一番印象に残った話は、救急の人の話でした。
主に応急措置について話をしてくれました。最近は緊急措置の講習にも人が集まるようになって、知識や技術を身につけてくれている人も増えてきてきてるようです。
でも、講師の方が言うには、本当に緊急の時はだいたい頭が真っ白になって、せっかく学んだ技術が使えないことが多いそうです。
「要は、その人を助けようとする強い気持ちや思いがあるかどうかが、全てを左右する」
ということです。
多少手順が狂っても、知識や技術が無くても、その気持ちがあるかどうかで、だいぶ措置が違うらしいです。
訳がわからず、無我夢中でしたことが、後から考えると結構理に適っていたということも多いそうです。
勇気を持って、手をだすかどうか。
その分かれ道は、「助けようとする思い」なんですね。
ともすれば、手順やマニュアル、情報や技術といったものに頼りがちな今の私達ですが、奥底にある心の向きや思いが、大事なんですね。心の上に、手順や技術もあるんだなって、ちょっぴり感動しました。
2001年2月15日(木)
バレンタインデーから一夜明けて。。。
今日は、近所の消防署で、甲種防火管理責任者の講習会に一日でていました。
朝10時から夕方4時30分まで、講義漬けでした。
ああ、しんど。
何やら学生にまた逆戻りしたような気分。
でも、教会や幼稚園には防火管理責任者を置かねばならないので、そのためには辛抱、辛抱。
今日と明日の二日間の予定なのですが、防火管理責任者って責任重大ですよね。
子どもたちを火災から守らないといけないんだから。
眠いなどとは言ってられないと思いつつ、少し舟こいでました。トホホ。
消防と救急の現場の人が講師として来ていましたが、やっぱり修羅場をくぐってきた人だけあって、立っているだけで何か貫禄というか、風格というか、凄みというか、を感じさせられました。
私もいつか、あんな風格を持てるのかな。
やっぱり私みたいなへなちょこには、無理かなあ。
そのために、努力、努力。
明日も講義。終わりには試験だって。少し勉強しとこっと。
2001年2月14日(水)
今日はバレンタインデーでしたが、みなさん、いかがだったでしょう。
私は、ワイフから一つ。あと教会でお世話になった女性から一つ。計二つのチョコを頂きました。
ありがとう。
今思い返して見ますと、私が今までに本気チョコをいただいた相手は計四人。
うち一人は今のワイフ。他の三人は、小学生の友達でした。。。
まあ言えば、大人になってから本気チョコを頂いたお相手は、一人だったということであります。。。
やっぱり、トホホかな。でも、一人でもいてくれると言うことの方が、ありがたいのでしょうね(笑)。
などと言いつつ、私はあまりバレンタインの習慣が好きではなかったりします。
まず女性から男性にプレゼントする、愛の告白をする、というのは日本だけの習慣だそうです。
別に男性から女性に渡したって、男性から男性へでも、女性から女性へでも、愛があればいいじゃないのと思うのですが、どうでしょうか。
「女性から男性へ」って、すごく固定観念にとらわれている気がするんです。
もともと日本のバレンタインデーは、アメリカの「聖バレンタインの祝日」から考え出されたものらしいです。
「聖バレンタイン」 ラテン語表記でいくと、「聖ヴァレンティヌス」になります。
聖ヴァレンティヌスに関しては、その実像はよく分かっていないらしいです。
どうやら紀元3世紀に生きていた、テルニーという地方の司教(任された地域内の複数の教会を監督する人のことです。)さんという説が有力だそうで。
クラウディウス帝という皇帝が治めていた頃、ヴァレンティヌスは、当時禁止されていたローマ兵士の結婚式を挙げたという罪で、ローマにて処刑されたと伝説は伝えています。
私もあまり詳しくはないのですが、当時ローマの兵士の一部は、結婚を禁じられていました。
職業軍人が家庭を持つことで、長距離の出兵の際、士気が低下してしまうことを恐れたようです。
機動力のある軍隊を持つために、よく考えた施策だったのですが、ヴァレンティヌスは、国家的な事情よりも個人の恋愛を優先し、擁護したわけです。
国家という集団の利益を優先し、個々人の幸せが抑圧されてしまうことに対し、結婚式の挙行という手段で抗したのでしょう。
なかなかすごいなあ、と思います。
そういう訳で、ヴァレンティヌスは、恋愛の守護聖人(守り神みたいなもの)として、教会に語り継がれることになったらしいのです。
そのヴァレンティヌスを祝するお祭りの日が、「聖バレンタインの祝日」ですって。
本当はローマの他の宗教の恋愛のお祭りが、ヴァレンタインの伝説とひっついてできたものらしいのですけれども。
アメリカなどでは、別に男性からでも女性からでも自由に求愛してよい日らしいですよ。
だんだん何がいいたいかわからなくなってきましたが。。。
とにかくヴァレンティヌスは、日本のチョコレート会社のために殉教したのでは、ないのですよ!!
もっともっと自由に、集団の常識や利益や固定観念に縛られず、もっともっと自由に愛を育みましょう。。。
それこそ、ヴァレンティヌスさんが喜ぶことではないでしょうかね。
あーーーーー。ちょいとこんがらがった、本日の日記でした。
そうそう、それから、今週中に、日記のお部屋を少し模様替えしようと思っています。
そろそろ飽きてきて。。。気分を変えようと考えています。
2001年2月13日(火)
以前日記に書いたことがありましたが、うちの教会の庭に蝋梅の木があります。
しばらく満開の花をつけていて、私もずいぶん心慰められました。
今日、ふとその蝋梅を見てみると、花がだいぶしおれてきていました。
満開の花は、今、その働きと役目を終えようとしているのです。
毎日、何度もその蝋梅の下を潜り抜けているのですが、花の変化に気づいたのは今日が初めてでした。
たぶん最近、私は下ばかりみて歩いていたのでしょう。
足元ばかりみて、日々を過ごしていたのでしょう。
時に人の所作は、その人の心模様が映し出されるのでしょうか。
おそらく私は、立ち止まって上を見上げる心の余裕を失っていたのですね。
自分のことだけを思い煩い、心が捕らわれていたのでしょう。
ふと、役目を終えつつある蝋梅の花に、優しく諭されたように感じました。
少し深呼吸をして、もう一度、上を見上げてみました。
薄曇りの空は、広くて、大きかったです。。。
所作を正すことで、もしかしたら心の余裕も蘇ってくるのかもしれない。そう思いました。。。
今日は、六甲山の人工スキー場にて、幼稚園の年長の子どもたちとソリ遊びをしました。
寒かったです。
西宮と六甲は距離としてはそんなに遠い訳ではないのですが、すごく温度差がありました。
スキーウェアを持っていない私は、バイク用の雨合羽を着込んで行ったのですが、やっぱり駄目ですね。
寒くて寒くて震えあがっていました。
子どもたちと動き回って何とか寒さをしのいだのですが、そのせいで、疲れました。。。
最近のソリはすべりがいいのか、雪質の悪い六甲でも、勢いよくみんなすべって、楽しそうでした。
とにかく無事に終わって、よかったです。
六甲というと、「冬の星」に書いていたように、今年の初め、深夜登山をしました。
風吹岩(かぜふきいわ)という場所から見た夜景が、得も言えぬほど美しかったのを覚えています。
が、
今日、昼間見た景色は、美しくもなんともありませんでした。。。
少しがっかりしました。
でも考えてみれば、何故、夜景を美しいと思うのでしょうね。昼と夜の違いって、なんなのでしょうか。
ふといらぬ瞑想にふけってしまいました。
寒い風に吹かれて。。。風邪が悪化していないか、不安です。
そんなこんなの一日でありました。
2001年2月12日(月)
風邪をひいてしまったのでしょうか、今日は頭痛と痛みがひどくてずっと寝ていました。
教会としては休みだったのですが、教区の大事な大事な集会があったので、出席しなければならなかったのです。
結局欠席してしまいました。何やってんだろう。。。。
すごく情けなくって、落ち込んでしまいました。。。
教区の仕事に一応携わっているのですが、うちの教会と教区の関係があんまり上手くいっていないこともあって、殆ど責任ある関わり方が出来ていません。
今日はせっかく参加できるチャンスだったのに。残念でなりません。
まあ、自分の健康管理の問題ですから、愚痴を言っても仕方ありませんね。
皆さん、すみません。。。
明日は幼稚園の雪山遠足です。
六甲山のスキー場まで行きます。久しぶりにそりあそびをすることになりそう。
雪国に住んだ経験のない私には、楽しみでもあります。
今日は早く寝ましょう。
皆さん、三連休はいかがでした?楽しかったですか?事故や怪我はありませんでしたか?
元気に明日から働きましょうね。
そうそう、600のキリ番、踏んだのはまたしても私でした。。。。またもや、トホホです。
日頃からご訪問くださってる皆さん、本当にありがとうございます。感謝に絶えません。
2001年2月11日(日)
今日は日曜日。礼拝の日です。
兵庫教区主催の交換講壇礼拝でした。
私は今、プロテスタントの一グループである、日本キリスト教団というグループに所属しています。
日本キリスト教団は、全国を幾つかの「教区」に分割し、地域集団を形成しています。「教区」内のたくさんの教会が互いに助け合って地域的な連帯をしているわけです。私のいる西宮市は、「兵庫教区」という「教区」に属します。
その兵庫教区の呼びかけによる交換講壇です。要は、牧師を教会間で一日だけとっかえっこして、説教してもらう日です。
日頃聴いている牧師とは違う、また一味も二味も異なる説教でした。
プロテスタントの教会は、信仰の表現、伝達手段が「言葉」に偏っている傾向があります。
その最たるものが、礼拝でする「説教」です。
教会所属の牧師、伝道師が殆ど説教を担当します。
特に礼拝の中で説教が占める割合は大きいので、結果として、牧師の言葉が教会の信仰を大きく左右することになります。
説教を担当するものは、個人の意見に偏らず、教会全体の考え方や、伝統的な考え方と対話をしながら、比較的、「公」の要素の高いものを作ろうと意識します。
しかし、それでも説教者個人が考え出すものですから、説教者個人の意見が反映される度合いはどうしても高くなります。
そうやってあまり意識しないまま、教会に集まる人たちの信仰心を、牧師・伝道師個人が支配するようになりがちなのです。中にはかなり意識的にその支配を試みる人もいます。残念なことですが。
日頃聴いていない人の説教を聴くことは、そうした傾向に、少しでも風穴があけられる、よい機会です。
大阪弁バリバリのなかなかおもろい、おっさん牧師でした。
説教は普通、標準語で行います。何故かといわれると明確な答えができないことに気づいたのですが、殆どの場合そうなんです。「方言」の持つ意味、もう少し深く丁寧に考えねばなりませんね。
でも今日は大阪弁で説教してはりましたわ。なかなかおもろかった。新鮮な体験やったわ。
知らず知らず、説教を権威的に認識していたのかもしれません。
自分が予想もしていない考え方や出来事に出会うこと。
それは自分の今のあり方を振り返らせ、時として大きな変化を与えてくれます。
いろんなところへ飛び出して、いろんな出来事と出会いたいものですね。
明日は教会としてはオフなのですが、教区のお仕事が控えております。
みなさんの三連休もあと一日。充実したオフをお過ごしください。
2001年2月10日(土)
皆さん、歯医者さんに治療されるの、お好きですか?
ウィーーーーーン、キーーーーーーーーン、ガリガリガリッ。
これでも、まだ、お好きですか?
私は、苦手です。
あんまり歯が痛むので、歯医者さんに行ってきました。やっぱり、痛かったです。。。
何でも、以前治療してかぶせをしてあった歯の根元が化膿したらしく、膿をとってもらいました。
その時は痛かったのですが、我慢したおかげで、今はだいぶ楽になりました。
ありがとう。歯医者さん。でも、やっぱり治療は苦手です。。。。ごめんなさい。。。。
考えたら、歯医者さんも大変ですよね。私のお世辞にも綺麗とは言えない口の中を覗いて、治療までしないといけないとは。。。
あんまり外見をよく見せようという気の無い私ですが、不快に思われるのはやっぱり嫌だったりします。
濃いヒゲをこまめにそるように心がけたりします。
でも、口の中を他人に見られることまで、普段、考えたりはしてません。
なるべく清潔に保つことは心がけていますが、他人に自分の口をおっぴろげって、「ほら、見て見て」なんてとてもじゃないけど、言えません。
みなさんは、口広げて他人に平気で見せられますか?
今日、街中で、綺麗に着飾った人を見て。
ふと思う。
「あなた、お口の中まで、綺麗にしてますか?」
そんなお口を毎日見つづける歯医者さん、おまけにそんなに好かれない歯医者さん。仕事とは言え、ご苦労さまです。
感謝。。。
私はこまめに歯を磨く方だと思っているのですが、歯があまり強くないのか、よく虫歯になります。私の歯の多くは金属のかぶせがしてあります。
娘は私の口を見てこういいます。
「パパ、お口ピカピカーーーー。綺麗ねーーー。」
うーーーーーーん。何か間違っているような。。。。
皆さん、三連休はいかがお過ごしですか?
私は、三日とも、お仕事でやんす。
おでかけの方、お怪我などされないように、お気をつけください。よい連休をお過ごしくださいね。
2001年2月9日(金)
今日は送迎バスの運転手さんも復帰され、つつがない一日でした。
教会の地区集会があり、聖書についての短い話をしました。
90才のおばあちゃんが参加されるので、ご自宅まで車で送迎させてもらいました。
90才のおばあちゃんに「教会は本当にいいもんだわね」と言われると、若輩者の私としては反論する余地がありません。
浅はかな勉学の中から出る言葉より、一生懸命生きてこられた方の一言の方が、遥かに重みを感じさせられます。
長く厳しい経験に裏打ちされた言葉には、適わないですよね。
そういえば、予想していた筋肉痛が襲ってきません。
「俺も結構やるやんか、まだまだ若いやないの」と思っていたら、教会の仲間に言われました。
「全然働いてなかったということやな」
参りました。。。。降参です。。。。
今、歯痛に襲われています。風邪とダブルパンチのようです。やばい。。。ううっ。。。
明日歯医者、開いてるかな?
☆冬の星の壁紙、変わっているのに気づきました?
流れ星、綺麗でしょ。
「Holy」さんのサイトから、拝借してまいりました。リンク集に載せておきますので、興味のある方はご訪問くださいね。
2001年2月8日(木)
何とか幼稚園の送迎バス運転、無事に終了しました。
ホッと一息ついています。何事もなくて、本当によかった。。。
もしも昨日の日記をみて、私と子どもたちのために無事を祈ってくださった方がおられたなら、心より感謝します。
「ありがとうございました。」
明日は運転手さんが復帰してこられるそうです。
今日は少し安心して眠れます。
誠に感謝感謝感謝です。みなさま、そして神さま、本当にありがとう。
そうそう。本日、「仮庵」のカウンタ、500を突破しました。そんなに宣伝活動をしているわけではないのに、一体どなたが見にこられているのでしょう。
掲示板は相変わらず閑古鳥なのに。。。。
不思議なことです。こんどは500のキリ番を踏んだのは私でなくて、良かった。連続トホホはまぬがれたようですね。
こんなところでも訪れてくださる人がいて。
小人数ではあっても、心優しいリピーターの方もいらっしゃってくださるようになって。
嬉しいです。
みんなみんな、ありがとうです。
今、少し寒気がしています。
バスの添乗員として毎日運転手さんとご一緒していたせいか、私も風邪、うつったみたいです。
しんどくなってきました。
今日は用心して、早く寝ます。
2、3日中にもう少し文章アップしますね。頑張りまっす。
では。おやすみなさい。
2001年2月7日(水)
私の手伝っている教会付属の幼稚園は、そんなに大きな幼稚園ではありません。
それでも、小さな幼児用のバスを使って、遠方の子どもたちの送迎をしています。
今日は、そのバスの運転手さんが風邪で寝込んでしまって、急遽私が運転手の代役を果たすことになりました。
私は、運転がそんなに下手なわけではないとは思うのですが。。。。
でも、とにかく、精神的に疲れました。
ものすごく、疲れました。
私にもこの春から幼稚園に入る娘がいますので、親御さんが子どものことをどれほど大切に思っているか、わかります。それだけに、自分が運転する車で子どもたちを送迎すること、すごく、プレッシャーがかかります。
本当に、へとへとになりました。
乗せている子どもの命の重さ、そして子どもたちへ寄せる保護者の方の思いを考えると、たまりません。
なんとか無事に終えることができ、とにかく感謝感謝感謝です。 神様、ありがとう。。。
どうやら明日もしないといけなさそうなので、今日はもう寝ます。。。。
明日の無事を、祈ってくだされば、幸いです。
2001年2月6日(火)
今日は2つの地区集会で一日が過ぎました。昨日調子を崩していたせいもあり、準備不足で申し訳なかったです。やってはいけないことをしてしまいました。またもや、反省。
また、午前中の集会は川西の畦野(うねの)で行われました。
教会がある西宮の今津から、結構遠い場所にあります。
遠い地から教会に通ってきてくださる皆さんの苦労が、少しだけ理解できた気がします。
教会に対する「思い」が無ければできないことでしょう。
教会は、そんな人の思いがこもっている場所だから、私も大事にしたいと思います。
でも、まだまだ、ですね。
筋肉痛がまだ襲ってきません。筋肉の回復力が、予想以上に落ちているのか?
かなりショックを受けております。。。
2001年2月5日(月)
本日は私のオフ日です。
またもや一日寝てました。ワイフがあきれていました。
またまた、やること山積してしまいました。トホホ。
昨日の筋肉痛、まだ襲ってきてません。筋肉痛は筋肉の回復する過程で起こるそうですから、だいぶ回復力が落ちてきてるのでしょうね。うーーーーーん。体をもう少し、鍛えようっと。。。
明日ぐらい痛みでもだえ苦しむのでしょうね。ううっ。。
明日は地区集会が二つあります。これから、お話、考えます。ぎりぎりにならなきゃなんでも取り組まない性格、なんとかならんもんですかねえ。
またもや反省。
そういえば、「反省だけなら猿でもできる」ってコピーが、以前ありました。
あいかわらず、トホホな日々です。
2001年2月4日(日)
今日は立春でした。まだまだ寒い日が続くので、とても「春」とは思えないのですが、少しずつ春に向かって歩んでいるということでしょうか。
教会の日曜学校(子どものための教会です)主催の「もちつき大会」がありました。
心配された雨も降らず、200名以上の方が参加され、大変な賑わいようでした。
子どもたちも大喜びで子ども用の杵を振るっていました。なかなか面白い経験でした。
私も、久しぶりに杵を振るったのですが、大先輩の教会員さんから、「なっとらん」と、つき方の指導を受けました。さすがはベテラン、見事なつきっぷりで、ただただ驚嘆するばかり。。。やっぱり年期が違いますね。
私がついたのは4臼ほどでしたが、大分筋力が落ちているみたいで、筋肉が今もきしんでいます。
少し手が震えつつ、この日記を書いています。
もっと体を鍛えなくては、と焦りを感じた一日でもありました。
昨日から今日にかけて、お手伝いくださった皆さん。ありがとうございました。
お疲れさまでした。
明日は休日。だいぶたまってしまったmust doを、出来る限りこなしたいです。
2001年2月3日(土)
今日は明日の「もちつき大会」と礼拝の準備で一日が暮れました。
餅米を水でとぐのが冷たかったよーーん。
仕事終了は10時でした。
以前していた仕事に比べたら、終了時間はずっと早くてましです。
また信徒さんの多くは、もっとしんどい状況で働いておられることでしょう。
贅沢いったら怒られますね。
今日は節分でしたね。教会に通うようになってからとんと豆まきはしていないのですが、皆さん、されました?
先日、節分の鬼除けに、「ひいらぎ」と「鰯」を置く、っていうことを初めて知りました。
これって結構有名だったんですかね。全然知りませんでした。
明日は小学生の礼拝でのお話です。「節分」の話をしようとたくらんでいます。
キリスト教の教会でそんな話したら、顰蹙買うかなあ。
ちょっぴりチャレンジです。
2001年2月2日(金)
今日は平穏な一日でした。
庭の蝋梅が満開です。外ではあまり香りを強くは感じないのですが、枝をちょっと切って部屋に入れてみると、すごくいい香りが満ち溢れます。蝋梅も頑張って自己主張をしているのですね。
我が家に新しいファックスが来ました。前のがぶっつぶれて困っていたので、少し嬉しい。。。
時代に逆行して(?)、感熱紙ファックスにしました。前のBJがノズルがつまってしまったこともあって、そうしました。
あんまり頻繁にファックスが来るわけでも、電話がかかってくるわけでもない我が家にはちょうどいいのかもしれません。
トップページの画像、替えました。京都の友禅職人の祐之亮さんが、月代わりでカレンダーをアップしてくださっているのを縮小して利用させてもらうことにしました。
本来はデスクトップの壁紙用のカレンダーです。今も私のPCの壁紙になっています。すごく綺麗なカレンダーで気に入っています。縮小画像では大分画像が荒くなってしまって申し訳ないのですが、もとのカレンダーは質感がすごく感じられてとっても綺麗です。「リンク集」に祐之亮さんのページのアドレスがありますので、気に入られた方は訪問されて、ダウンロードされてみてはいかがでしょう。
祐之亮さん、ありがとうございます。
人の情けの身にしみる、最近の日々です。
2001年2月1日(木)
時が経つのは早いもの。もう2月になりました。
1月は、個人的に、いろいろありました。おそらくずっと忘れられない1ヶ月となることでしょう。
今日は、付属の幼稚園を休園にして、近所の別の幼稚園へ見学に行ってきました。うちの幼稚園に比べ、施設が格段に充実していて、うらやましい限りです。先生の層も厚く、中身の濃い保育をされていました。
いい、経験でした。
一方で、子どもたちは、うちの幼稚園の子と変わらぬ面も多く、どこにいても子どもは子どもなんだな、と思わされました。また、たとえ小さくても、子どもたちを信じてあげれば、自分でよく考え、適切な行動をとるものなんだと驚かされもしました。
まだまだ知るべきこと、知って面白いこと、たくさんあるんですね。
見学から帰ってきた後、少し調子を崩しています。
大事な会議があったのですが、ワガママを言って休ませてもらいました。
私は実は軽い持病を持っていて、疲れと寒さが重なると、症状が出てきます。
ここ数日、それが出てきたみたいです。
でも、私などより、もっと厳しい状況の中で頑張っている人たちがいます。
(実際に数人の顔が今、浮かんでいます。)
弱音など吐いていては、いけませんね。
頑張りますです。ハイ。