第1話 美点凝視 相手の長所を指摘して位置付けてやること。 つまり、相手の優れた部分を取り出し、魅力として訴えさせ勇気付けるというものです。 欠点ばかり指摘されていたのでは、 上手く人間関係が成立するものではないことは万人が承知するところですね。 ビジネス関連の書籍にも『リーダーの条件』や『人心掌握術』なるカテゴリーがありますが、 私の場合、開いてみることはまずありません。 目の前の人を見る際に、長所が短所を上回るものがあれば その長所を伸ばしてあげようと常に気をつけております。 或いは、長所に目を付け、それが生かされる方向で物事が展開されるようにと考えます。 それでも、味方・中立・敵と、それぞれに分かれてくるから不思議なものですね。 考え方の違い、立場上の敵対関係、生理的嫌悪、反発等々、理由は様々です。 自らが持ち得る能力を発揮して社会に関わる中で、最終的には優劣が問われてしまうが為に、 その地位に差がついてしまうことは如何ともしがたい事実です。 ただ、所詮は人間です。 長所があれば、短所もあります。 良い人間関係を維持する為には、長期的なスパンを持って『与え合う』関係を持たなければならないと思うのです。 年齢や経験に応じて交換される知的、或いは心情的な事象が互いを刺激するというように、 人間としての成長に関わる部分が重要となると思うのです。 しかし、その成長にはどうしても差が出てくるものなのですね。 いずれか一方が残る一方の成長度合いを凌駕してしまう、或いは能力差が決定的なものになってしまう。 このような場合には、もはや『与え合う』関係を維持することが困難な状況になります。 こうした不均衡が続けば、片や次第に苛立ちを覚えるようになり、 一方では自分の未熟さを棚に上げて反発するようになるでしょう。 幾つになっても確実に成長を遂げている人がいるかと思えば、 逆に、向上心を捨てて古い人間関係にしがみついて、社会の中で生きていこうとする人もいるでしょう。 遅れをとった分、自分の居場所を確保しながら、 相手(対象)を批判しては自分の立場を上げたと錯覚するのは、もはや古典的な手法です。 私見ですが、後者の方が多いのではないかと感じております。 『共に成長する』とは、人の意見を良く聞くこと、 そして、相手に対する思いやりを忘れてはならないことが基本にあるのではないでしょうか? 他者の意見に耳を傾ける振りをしつつも、頑固なまでに自身の意見を主張しようとしたり、 端から人を見下して自信過剰な素振りを見せつけるようでは、その人となりが疑われても仕方のないところです。 結局は、自己の性格や人格の形成に関わる部分に纏わる根源的な問題なのでしょう。 多様な価値観の元では、学力を占う偏差値のようなものは存在しません。 であるから、人間関係の構築って難しいのかもしれませんね。 以上はビジネスシーンを想定して書いたものですが、一般社会にも当て嵌まるものでしょうか? これには続きがあるのです......。 参考文献/WEDGE 続「リーダーの研究M」より。 [ 2001.7.7.SAT. ] |