「残念です!」


入院当時に撮った写真の整理も碌にせずがままでいたが、久し振りにそれらを収納した古いフォルダを開いてみれば、まだまだお宝写真が残っていた(苦笑)。ただ、これからご紹介する哀しいお話は、「入院中のエピソード」でテキストファイルで取り上げようとしていたのであるが、ここに写真が残っていたので図解付きでご紹介できることは甚だ嬉しいことである(涙)。

さて。
術後1週間が経過し、漸く歩行器を使って独歩できるようになり、私の日常の活動範囲も広がって行くのであったが、好事魔多し、右足の痺れがなかなか取れないことに気付き始めていたのである。しかも、それは独歩を始めて僅か3日目にははっきりくっきりと感じていたのであった。何せ、右脹脛痛に加えて疼くような痛みと共に強烈な灼熱感が、昼夜問わず、この右足を襲っていたのである。

そして、翌週には、私の回復が早いのを見て、さっさと退院勧告が出されてしまったのであるが、このまま出て行ってしまうと危ない......と、まるでネズミやナマズが天変地異の予兆を感じるが如くこの身の危機を感じた私は、部長回診まで引っ張って、先週と同じく、右足の不調を訴えたのであった。すると、私を担当する研修医が脱兎の如く飛んで来たところまでは、「闘病記/ 2001.12.17(mon)〜24(mon)」に記した通りである。

研修医は病棟奥にある医局に私を誘い、見せてくれたのがこの写真。

zannnenn
「うーん。どこにも異常は見受けられませんねぇ。」

「神経を圧迫していたヘルニアは綺麗になっています。恐らく、圧迫を開放した際の反動かも知れません。暫くは痺れが残りますが、ゆっくり取れて行くという話は良く聞くところです。ともかく、この写真からは何も異常はありませんね(微笑)。」

......はぁ。じゃ、どーしてこーなるんですか?

「はっきりとした原因はわかりません。」

分ったような分らなかったような、要するに納得しかねながらも、彼に突っかかるのは大人気なしと大人しく引き下がった私である。ああ、なんて大人な私(笑)。

しかし、その後、夕食をひっそりと楽しんでいた私のところに、いつもはにこやかな表情で接してくださる主治医が、妙に厳しい表情で現れたのである。
「どうぞ、こちらへ。よろしいですか?」......と、低い声で言われてしまえば、拒絶できない雰囲気であった。
私は、夕食に特別参加していただいているカップラーメンが延びてしまうではないかとちょっぴり後ろ髪惹かれつつも、主治医の後をよたよたと追うのであった(笑)。

我が主治医は、先程と同じ部屋に私を引き入れるや否や、研修医が示した見解には一切触れず、彼の所見を説明し始めたのであった(苦笑)。曰く、各断層写真中央部にある白丸の中に黒い点々が見られるが、これらは神経の束であり、普通は8個の点に見える筈であるが、あなたの術後では、これらが其々にくっついて4個しか見られない。これが、恐らく右足の痺れに繋がっているのではないでしょうか?
そして、一呼吸溜めを作ったかと思うと、視線を足元に移し、暗い表情で止めの一言を。
「......残念です!」

い、いや、せんせー。残念なのは私であって、せんせーとはちゃいまんがな(泣笑)。


結局、これは深部静脈血栓症と診断が下された訳であるが、立場を慮れば、自らが手掛けた患者が快癒されなくば、医師も使命感が達成されないのかも知れない。ただ、それは非常なまでの過酷な労働には、すぐに忘れ去ってしまうものであるかも知れないが。

最後に、患者が主治医の診断にクレームをつけることは、時に自己を孤立させ、アフターフォローまでをも自らの手で抹殺してしまう恐れがあることであり、そして患者は、その家族は、ただ口を閉ざし従うまでであることに、医療の不可解と不可思議を問い続けるのである。

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