ナガク'奥義学校の授業
  春秋分の儀式ワーク


   春分と秋分の日に、父なる太陽と深くつながり、あらゆる物事の活性化をうながします。
   太陽につながり、大地につながり、内なる太陽にもつながって、さらに成長するワークと致しましょう。

   この「儀式ワーク」は初参加の方でも簡単に入れるように、事前にメールで流れなどを説明します。
   よって、当日は完全に無言で実施、進行してゆきます。
   人とはお互いに軽く挨拶を交わすだけですので、たとえ人見知りの方でも、
   気兼ねも気負いもなく、安心してワークに集中していただけます。

   日々の実践ワークを個人的に重ねている方には、
   複数名で行なう集団のダイナミックなエネルギーの中で、
   ご自身の理解や成長の度合いを確認できる大変に優れた良い機会となります。

   春秋分の年に二回の聖なる太陽の日に、父なる光に内なる光を強く共鳴させて、
   太陽と直結した感覚を取り戻しましょう。
   そして人生において、天地をつなぐ人間本来の機能を存分に発揮してまいりましょう!



   日時、場所: 校内連絡でご案内します。

     * 天気予報を考慮して数日前に決定し、雨天の場合は中止にします。
        (別の授業に変更することも可能)
     * 集合の場所と時間は、参加お申込み後にお知らせいたします。


   参加費(一日につき):
       「ヨク’ハー・ マヤ宇宙大学」生は、「1,000円以上の自由選択」額
       「ナガク’奥義学校」生は、「2,000円以上の自由選択」額

         「チャン・キ’ン予備校」生は、初参加者のみ、お申込み可能で、
            「4,000円以上の自由選択」額
         在校生が紹介&同伴する一般の方は、初参加者のみ、お申込み可能で、
            「5,000円以上の自由選択」額

       参加日の2日前までに、ご入金いただきます。
       この参加費は、 全額を  「次世代継承」基金への寄付金とさせていただきますので、
       何卒深いご理解の上、ご参加くださいませ。

       なお、ご入金後のキャンセルや不参加(遅刻)の場合も返金はせず、
       基金への寄付(支援)金として会計処理させていただきます。


   服装: 可能な範囲で、白系の服。

   持ち物: お持ちであれば、持ち歩ける素朴な楽器と、赤色のヘッドバンド。
          52歳未満の「本校」と「宇宙大学」生は、装着可能なお面。


   約束事(儀式の場を尊重していただくための取り決め):
        ・ 写真や動画を撮影しないこと。
        ・ ブログ、SNS、ツイッター等のネット上に内容を書かないこと。
        ・ 携帯、スマホ、タブレット等をいじらないこと。
        ・ 祭壇に触れないこと。
        ・ 私語を慎み、意識をワークに集中させること。
        ・ 子連れの場合は、同様に参加できる子どもであること。
        ・ ご入金後に送信する教化書「春秋分の儀式ワーク」を熟読しておくこと。

   参加条件: 上記の約束事を守ることに同意し、指定日までのご入金が済んでいること。

   その他: * ご入金後に中止となった場合は返金いたします。

         * 遅刻者は待たずにスタートします。

         * 「火焔香の婦人」として参加される方は、事前にお申し出ください。

         * 教化書「春秋分の儀式ワーク」は、 ご入金後にメールにて送信します。

         * 在校生には、マヤン・マスター・ポイント「2」を加算します。
               マヤン・マスター・ポイントについて


   お申し込み期限: 校内連絡でご案内します。(ご入金は参加日の2日前まで)
               以降のお申し込みは、一切、受け付けいたしません。
               しっかりとした参加への意志と共にお申し込みください。


   お申し込み: メールにてお送りください。  maya@nagaku.com
     件名→ 「春分(または秋分)の儀式ワーク 参加希望」
     ご記入いただくこと→ 「お名前、ご希望日(開催日が複数ある場合)」




     「ナガク’奥義学校」生と「ヨク’ハー・ マヤ宇宙大学」生は、
     マスク・オン・ザ・フェイスのワークも兼ねていますので、
     お面の準備と持参が必須となります(ただし、「長老」世代は自由選択)。

     事前に、条件等の詳細を  こちら でご確認ください。


  太陽の日の儀式ワーク


  人間は、日々太陽に依存して生きています。
  当たり前すぎていて、忘れてしまいがちなそのことが、実は私達にとって大変に重要であるばかりか、
  地球や宇宙のバランスにも深く関わっています。

  太陽の光は毎朝私達を目覚めさせ、活力を与えてくれます。
  それは人間のみならず、光合成をする植物も同じです。
  大地に根をはった植物は、日々太陽に向かって伸びています。
  人間も成長するに従い、植物と同様に太陽に向かって伸びてきました。
  大地を踏みしめている人間が光に向かうのは、ごくごく自然なことなのです。
  であるからこそ、実際のところ、地球に生命が誕生してから今日まで、
  私達は太陽を忘れたことはありません。

  それをふまえて、春秋分と夏冬至の「太陽の日」は、
  「意識して」、降り注ぐ太陽の光に顔を向ける日とします。
  すると、太陽からの贈り物である光を通して、
  宇宙の記憶を私達に思い出させてくれていることに気づきます。
  私達人間には、地球に暮らす上での責任があります。
  それは、「太陽の日」に太陽に顔を向けた者だけが思い出せるものと言えます。

  人間は大昔から、太陽の大切さをピラミッド建造に表わしてきました。
  「太陽の日」にピラミッドが輝くように細工された様々な現象は世界中の至る所にあり、
  先人達は偉大なピラミッドを遺して、後世の私達に太陽の大切さを伝えているのです。

  「太陽の日」は、人間が地球に存在する理由を取り戻すきっかけをつくり、
  人間と地球双方の、肉体と精神のバランスを整え、活性化させる日です。
  太陽を見て、感じて、動く、とてもシンプルな儀式ワークを行ないます。
  シンプルだからこそ、私達を深淵な生命の源に触れさせ、
  私達が何者であったかを思い出させてくれます。

  また、「太陽の日」は、世界中の「太陽の兄弟姉妹」達とご一緒する日でもあります。
  その日、地球に暮らす全ての兄弟姉妹が、先人から叡智を受け継いで太陽に顔を向けています。
  植物と同様に、世界中の兄弟姉妹が太陽に顔を向けているのです。
  想像してみてください、
  どれだけの素晴らしいエネルギーが、大地から太陽へ、そして宇宙へと流れてゆくのかを。

  「太陽の日」に大地を踏みしめて、太陽につながり、さらに世界中の兄弟姉妹とつながって、
  人間を含む自然界のバランスを取り戻しましょう。


    関連ページ 「夏冬至の在校生交流会」









参加者ご感想

 * 最新のご感想には、「!!! NEW !!!」がついています。


!!! NEW !!!

とても貴重な機会をいただき感謝申し上げます。「調和」を念頭に入れてはいましたが、音のリズムに意識が次第に行くとそこにクローズアップされ、つい力んでしまっている自分にハッと気がついて、「全体のバランスなのだ」と意識を広げるようにしていました。太陽、大地、自然、音、リズムと私達が時折ピタっと調和の中に居る感覚が垣間見れてわかると深い感動があります。子供の頃だったら、もっと純粋に難なく感じていただろうなとその頃の自分と重ねて思い返したり、昔こういう事をやっていたようなしっくりさも感じていました。事前文章の文面にありました「世界中の兄弟姉妹」達とご一緒しているのだと心に思うと、より大きな1つの調和へと繋がっていき、広さと大きさと同じものを実感しました。このワークを通して、もっともっと心から楽しみ、自分の本質をもっと表現して調和していくのが大切なんだと思いました。


!!! NEW !!!

初めて儀式ワークに参加させていただきました。山頂の儀式の場に着くと、光に満ちていて、やわらかく、無言の静けさが大変心地よく感じました。太陽瞑想で意識が大きく広がり、ステップを踏みながら楽器を鳴らして回り始めると、自然と全てに同調していくのがわかりました。1回目、2回目と進むとさらに全てが溶けていくように一体化していき、それでいてみんなでいっしょに奏でる楽器がひとつひとつしっかり聞こえ、またそれがバランス良く、心地よく、鳥たちやそこに存在する木々や草の自然の全てが共鳴し、尊重しあう調和のエネルギーの中でいつの間にか無心になっていました。また、実感したのは、太陽が分け隔てなく常にエネルギーを全てに降り注ぎ、誰もが太陽とつながっていること。そして、思い出しました。私は確かにこれをやっていた。太陽の下に太鼓をたたいていた。踊っていた。歌っていた。お祈りをしていた。その感覚を思い出しました。

ワークが終わり草の上に寝転ぶと何とも気持ちよく、いつまでもそうしていたい気持ちになりました。なので、長時間、日にあたってのワークで疲れたのではと思いきや、帰りの運転は眠くならず、帰宅してからも疲れた感じはまったくなく、むしろ大変元気で、ちょっと驚きでした。太陽のエネルギーを存分にいただき、調和の中にいると細胞や心が整っていく。そんな感じです。素晴らしい時でした。


!!! NEW !!!

今年も迎えた春分。日々のやることで意識がいっぱい。家のことを済ませ、落ち着く間もなく集合場所へ。世間は休日。道も混み、多くの人が過ごす。世から離れ、意識も心も落ち着かせ、太陽と自然に意識を向ける。俯瞰したら自分が一粒の粒である。植物と共に太陽に向かい、静けさの中に降り立つ。日々意識しないと狭くなる視野。パノラマな世界が目の前にある。ただここに存在している。空気と共になっていることが喜ばしい。

自分のリズム、よくわからないけど、音を出してみる。まじめにやってるはずが、よくスカす・・・。空気を叩いているのかもしれない。それ以外のものを本当は叩いているのかもしれない。何回も繰り返し、ようやく氣にならなくなるまでに至る。いろんな開く行為ができたこの機会が、とてもありがたい。よくわからないが、今新しい地平線の上に立っているそうですが、静けさの中で迎える新しい年の始まり。少し前へと進めたような氣がしました。


!!! NEW !!!

行って良かった〜!ホントにその一言です。新鮮さと懐かしさを同時に感じるような時間を味わいました。私が、儀式のための広場に足を踏み入れたときには既に祭壇があり、火焔香の婦人の方が場を整えてらして、そこにはさんさんとマヤの聖地のエネルギーが降りてきているようでした。ありのままの自分をすっと差し出して、明らかにしていくような気持ちでダンスし、歌い、祈りました。太陽と大地と四方の聖なるものに感謝をささげ、グランディングをしました。全て終わったときには、溶け合ったような軽い放心状態。徐々に身体をゆっくり動かして、歩きだしました。自然にみんなと目があうたびに笑顔になりました。みんなどの方も、とびっきり素敵な笑顔をしていました。貴重なワークを分かち合えたすばらしいお仲間に出会えたこと、ありがとうございました。


!!! NEW !!!

大地を踏み、太陽の光にあたると感じる「頭の先から足の先までがつながった感覚」は、これが自分自身なのだなと改めて感じさせてくれるものでした。それは時間にしたらほんの数秒の出来事なのかもしれませんが、何物にも代えがたい、美しい瞬間でした。

儀式ワークの場における合奏がどんな音色で行われていたのかは忘れてしまいましたが、今思い返すと、音と音が生み出す心地の良い和が渦を巻いて、天まで届いていったように思えてきます。その和に身をゆだねていくと、今まで背負っていた鎧のようなものが溶けて、自分自身の中に柔らかくて新しい何かが芽生えてきました。日常では柔らかすぎてかき消されてしまいそうなこの感覚をつぶさず、大切に育んでいきたいです。


!!! NEW !!!

儀式ワークの時間を言葉にするのはとても難しいです。それはある意味では、作業的な、反応、信号の積み重ねだと思います。儀式ワークが影響を及ぼす他の時間を完全に考えなければ、それは感情的には無感覚といえるかもしれません。太陽の熱に背中が焼かれても、柔らかく気持ちのよさそうな感覚が足から伝わっても、つまずいた拍子に痛みが残っても、それについては無感覚です。それが喜びだったと思うのは、ワークが終わってからの話です。

動物や植物も、人と同じように感情を持っていると思っていましたが、もしかすると彼らはいつも儀式ワーク中のような集中の連続の中にいるのかもしれません。ワーク中にやってきた鳥は、私たちの信号に対し、自然の摂理にのっとって調和し、反応して、それはこの宇宙ではごく当たり前のことなのだと思います。私がその瞬間だけでも、「余計なものがない唯の人間」でいられるという事は奇跡のようなことに思います。

儀式ワークのときには、物質的なことをしっかりと認識しています。それは目が見えにくい事や、集中によって感情が感覚とリンクしていないことにより、逆にそういった捉え方で場を感じているのだと思います。名前の分からない誰かの個性、何人くらいいるのかとか、どっちの方角に輪が動いてるのかとかを雰囲気で感じ取ります。自分自身のことも外から見るように、その人たちの一人として動きや癖を感じることができます。自分の個性に対し、感情を絡めることなく認識し認めることができます。


!!! NEW !!!

自分の体の中で、天からの父なる太陽のエネルギーと、足元からの母なる大地のエネルギーが一つに溶け合って、満たされていく感覚。また、太陽、海、大地、風や森、そこにいる精霊たちやスピリット、全てが一つに溶け合ってエネルギーが高まっているのを感じました。お面で視野を狭めることにより、日常とは異次元の世界へと導かれていった感覚がありました。


!!! NEW !!!

お面を少しずらして太陽を見たとき、なぜだか涙が溢れ出てきました。なんの涙なのかわからない。なにか、とてつもない大きなギフトを貰っていたことにハッと気づいたのに、今まで全く気にもとめていなかったことがとても悔やまれてしょうがないような・・・、気づけてよかったとホッとしているような・・・。ほんの少し後悔に似たものも混ざりながら、しかしこのギフトの偉大さに「感動」「感謝」などという表現ではとてもとても表現したりない熱い何かが、ジワジワと涙になって溢れ出てくるように感じます。ライブに生きるということ、「生きる」ということ。その感覚、記憶、醍醐味を、ほんの少し垣間見れたような気がしています。



人生初めての、太陽の日の儀式ワークでした。この儀式ワークに、どういう意識を持って参加するのか・・・自分の意識をしっかりと決めるためにも、何度もホームページを読み、いただいたメールを読み、カレンダーと向き合い、今まで学び進めてきたマヤの教育を思い出し、自分で見出してみることにしました。答えはこうでした。毎日の太陽瞑想のとき、私は、自分のために瞑想を行っている。しかし、儀式ワークは、地球上の全ての命と一体となって、太陽、惑星、星々、宇宙のために行うものではないだろうか。それには、「日常の諸々に影響された私」ではなく、「きちんとセンターにたち、あらゆるものと同調できる私」である必要がある。こんな風に、「参加する」と決めたときから、儀式ワークに向けて意識を深めていったので、初めて参加することの不安は全くありませんでした。

当日は、とても素晴らしいものでした。儀式ワークを始めて間もなく、感謝で涙が出てきました。お面をしていたので、流れるままに涙を流しました。この地にこうして立ち、大地を踏みしめられること、音を感じ体を動かせること、同じ目的を持った仲間がいること、自分が一体となっていられることに喜びを感じました。とはいえ最初は、少し戸惑ったりもしました。「前の人と歩調が合わない」とか「追い抜いてしまっていいのかな」「足は・・右、左、左・・あ、間違えた」とか、そんな風に頭で考えてしまうこともありました。同調することを意識しすぎて、それでは同調できないことに気付き、「ハートを開き、頭で考えない」「怖くなければなるべく目を閉じて進んでみる」をやることにしました。次第に、音がとても入ってくるように感じられました。

目を閉じて、聞き、感じていると、少し感じていたいのか、高まって意識が上がってきているのか、まだ踊っていたいのか、そろそろ終わりに向かっているのか・・・、みんながどうしようとしているのかが「わかる」「感じる」ことができたように思います。そして最後にまた涙が溢れ出てきました。「こんな風に、全ての人と言語ではなくハートで会話ができたら、戦争なんておこらないだろう」。マヤの宇宙的教育がなぜ大切なのか・・・、また一つ改めて体感でわかったような気がしています。儀式ワークに参加し、「感じる」という感覚が一層強くなったように思えます。毎日の太陽瞑想にも、変化がでてきそうです。

儀式ワークが終わり、感想を書くときに改めて、いただいた「教化書」を読み返してみると、自分が体感して「わかった!」と思っていたことは全て書いてあることに気付きました。こうして、儀式ワークが終わった後に改めて目を通すと、同じ文章が面白いように違って感じられます。目で追って読む理解、体感して実感して気づく理解、その違い、また、双方が必要なことも改めて実感しました。この今の気づきが、学びを深め、体感を重ね、時間を経てどのようになっていくのかが、また一つの楽しみでもあります。



まるで全身滅菌消毒されているかのような浄化のエネルギー、ハートセンターに染み渡るような慈愛のエネルギー、豊かさを感じられるオレンジの光線、そして宇宙とつながる透明感を感じました。叫びだしてしまうくらいの強力な変容のエネルギーを受け取りましたが、調和を大切に平静を保つようにしました。過去の記憶と繋がろうとしている意識の動きで、透明感のある純度の高い意識を見いだそうとしていました。周りの浄化された空間の神聖さと、引き寄せられるように現れては消えていく存在達を見るともなく感じていました。円を回って歩いていると、自分が太陽の周りを軌道に沿って運行している惑星になったような感覚に包まれました。

初回参加でしたが、事前説明が行き届いていたお陰で、割合楽で気分良く楽しめて、いい体験をさせていただきました。感謝です。また、参加させて頂きたいです。段々グレードアップできれば嬉しいです。



父なる太陽、母なる大地、木、海、空、雲、そして儀式ワークに参加している仲間たち、すべてが完璧に見えました。ただただ無心に、その場に自分を与えている仲間の姿は、本当に美しく神聖で、でも特別な感じではなく、ごく普通の「中立」な感じがしました。同時にまた、愛らしいような、愛おしいような気持ちにもなりました。光を体現する白い服装によって、その美しさが増幅されていたのかもしれません。そして、それはまさに、神の質の表れだったのだと思います。

完全性というのは、一つの固定的なものではなく、自由で無限なものなのですね。宇宙は果てしなく懐が深い。だから、人が何をしようと、基本、自由だ。ただその場に自分を与えることで、その完全性は瞬間瞬間に変化し、流れながら続いていく。長年、ナガク’奥義学校のリーダーシップにより導かれてきた儀式ワークの場は、今や一人ひとりがリーダーとなって、自由に献身することにより、毎瞬創られる調和の場となりました。

回を重ねて洗練された神聖なる儀式ワークの場は、実はいつでも、誰にでも、大きく開かれている。本物や真実というのは、きっとそういうもの。要は、それに触れるべく、第一歩を踏み出すのか。つまりは、「やるかやらないか」です。わけがわからないながらも、時に苦い思いや恥ずかしい思いをしながらも、儀式ワークをやり続けてきて良かった。今、しみじみ実感します。もちろん、これで終わりではなく、更に前進し続けて、儀式ワークの場が、自分が、世界が、どのように変化していくのか、興味深く見ていきたいと思います。

世間ではますます、様々な出来事が起こっています。それらを受けて、自分はどうしたいのか?その意思を表明するための具体的な行動として、私には儀式ワークがある。この超シンプルで、超楽しい方法が。戦わない、平和的な方法が。古くて新しい、魔法的な方法が。その方法を知っていて、参加できることは、いかに貴重で、有り難いことだろうか。儀式ワーク中に時折吹く吉兆の東風に乗って、この調和の祈りが世界中に行き渡るように。帰途で見た、夕陽に照らされる美しい山並みや田園風景を後生に残せるように。自分で自分に課した重荷を外して、これからも軽々と、楽しく続けていきます。



初参加でしたが、お面を着ける意味を考えておりました。お面をつける事で自己の内面回帰。自分だったらどんなマスクを作るだろうと考えました。楽器も手作りしてみようと思いました。白い衣装で、今まで生命を紡いできてくれた全ての命に敬意を表し、赤いヘッドバンドで、額と後頭部を締める事で意識を集中させ、お面で現実のエゴから切り離して内面と向き合って魂の状態になり、五穀豊穣や生命を繋げる事への感謝を表現し、大地を踏みしめ、天を仰ぎ、音の波動で空間を清め、全ての精霊に感謝し、再び巡る春分に向けて感謝の気持ちを伝える儀式ワークであると私は感じました。喜び溢れ、体が赴くままに表現し、「水火風土」を自分なりに表現して感謝の気持ちを表す。こんなのやった事なかったけど、「喜びが溢れる」の一言です。



儀式ワークが始まり、ミスト状の小雨の中で踊っていると、自然と溶け合ったような感覚を覚えました。そして、輪になって祭壇の周りをまわり続けていたら、宇宙で回り続ける星々のように、私もまた、めぐりゆく一つの命を担った存在なのだと感じました。自然の中のライブな状況を感じつつ、体を動かし、楽器を鳴らして自然・宇宙と響き合う感覚は、儀式ワークでしか得られないものです。日常のエゴから離れて、貴重な体験をさせてくれたすべての存在に感謝します。



雨が降り続き、なかなか太陽を見上げて対面できない毎日。ワークに向けて、お面を作りたいが落ち着かない毎日。手元に届いた丸いもの、それを使って表現をする。生まれてから生まれ変わる永遠のループ。平たく作ろうとしてたのに、立体的になってしまう。自分の人生も平穏であったらと思いつつ、行動して回り道を楽しんでいたりする。そんなこと考えつつ集合場所へと向かう。

これから降りそうな曇り空、湿度のある空気、濡れた植物と大地。静けさが意識を落ち着かせて、自然とつながる準備へ。そして始まる、感じるため思い出すため未来へと紡ぐため。自分の歩いている場所を確認しながら一歩一歩進む。目に見える世界の視野の狭さに不安を感じつつ、大事なのは天と地を意識しながら今ここに立ち存在していること。

シンボルのタペストリーを見つめていると、背後にとても大きな蛇が動いているように見えた。錯覚か?もしかしたら同じ空間にいることを感じられたのかな?そうだとしたら、まだ行ったことのないマヤとも繋がっていたのかもしれないと思うと嬉しかった。



こちらの謙虚さ、真摯な行動、献身を感じ取ることで、場も意思を示してくれるという体験をしました。私たち人間が、ハートを開き献身する。今再び、聖地として活性化し、再生されたことに喜びを感じ、場が開いてゆく。すると、天から祝福を受けたように、一瞬ではありましたが、太陽の光が差し込みました。「私たち人間と地球の双方が交流し、肉体と精神のバランスを整え、活性化する」。太陽の日の儀式ワークの目的を果たすことが出来たと感じました。

場に感動し、自作お面と一体となり感動し、みんなの内面の美しさや愛らしさに触れて感動し・・・、感動しっぱなしでした。いつも「今回が最高だった」と思う儀式ワーク。いつも「今日が最高だった」と思う一日。そんな風に、一日一日を過ごしてゆきたいと思いました。



なかなかたどり着けづず、昨年の場所はこっち方向だった記憶をたよりに急ぎ足で向かいました。行き過ぎたと思い、今まで来た道を坂道を登り、自分の中の鼓動が聞こえはじめた時、同調するように聞こえる太鼓の音。響きあっていた。私の行きたい場所はここであると教えてくれる。今年も私を導いてくれた。有難かった。

自を自然に溶け込ませ、集いの中に入り、地を踏みしめ天の温かさを感じ、音楽に身を流せた。自分で流す音は難しく、やっとできたと思ったら、体で奏でてた。頭でどれほど意識していたのか痛感した。時折、観客の目を気にしている自分がいることを認めながら、もっと調和したいと願いました。



途中から美しく心地よい太陽が顔を出し、ほわ〜んとする幸福感を感じて、「全ては完璧であり、祝福されている」と嬉しくなりました。そのように力が抜けてきたことで、儀式ワークのはじめに自分がどれほど力んでいたかも感じました。本当に儀式ワークでないと、実践でないと、学び取れないこと、わからないこと、理解が深まらないことがたくさんあります。これからもより深く、深遠に、シンプルになれるよう、穏やかに進んでゆこうと思いました。そのように進んで行けると思いました。



今日の儀式ワークは、太陽の光も優しいものならば、場のエネルギーもしなやかなもので、動きも自然としなやかなものになったと感じます。以前の私なら苦手としていたであろう女性らしいしなやかな動きが、今日はとても心地よかったです。マヤのお香の香りがときおり感じられ、嗅ぐたびに心地よく、どんどん柔らかくしなやかになってゆく自分を感じました。スピリットを招き入れ、場を整え、大地にしっかりと根を張る力強さと、しなやかな優しさの儀式ワークを体験し、スピリットを送ることができた一連の体験はとても素晴らしいものとなりました。



ステップを踏み、儀式ワークに集中すると、「なぜここに来たのか」がわかった気がしました。ただ、「そこで、儀式ワークが行われるから私は来た」、そう思いました。理由など必要ない。参加している人々が、皆と調和をしようと意識する。すると、そこにある樹木も見ている(参加している)、鳥たちが音楽に合わせ鳴いている(参加している)、風や光も参加していることに気づく。太陽の日を祝い、全ての存在が調和する。ここにこうして生き、ステップを踏めることに喜びを感じました。



前回の儀式ワーク以降、様々な内的ワークを経て、より自由になった自分で儀式に献身できることがとても嬉しく、また純粋に楽しかったです。もちろん、思考を完全に払拭できたわけではなく、それが頭の片隅にあることを感じてはいましたが、今回はただ自由に動きたいという衝動の方が優っていた。そんな感じです。天地とつながる縦軸と、周囲と調和する横軸が交わる十字、それだけをシンプルに意識していたのが良かったのかなと思います。



儀式ワークも日常もつながっていることを強く感じました。お面は、「真の自己を心の奥に潜めつつ、社会の中で被るキャラクターの1つ」、太陽や大地、周囲のスピリットを感じて踊ることは、「日々歩いたり、動いたり、日常の中で太陽を感じたりすること」、周囲の調和を感じて音を奏でることは、「日々のコミュニケーションにつながるもの」であると思いました。そして、円を描いて踊りながら音を奏でる時に感じた楽しさを胸に、皆が生きている世の中であるとするならば、誰もがいつも幸せなのではないかなと思います。儀式ワークでの楽しさ・心地よさ・周囲と調和している感じを日常につなげて、太陽の光の粒が差し込む毎日の瞬間を、幸せいっぱい生きていくことの大切さを静かに感じました。



儀式ワーク中、体中からエネルギーが出てきました。とてつもなく大きなエネルギーが体中を駆け巡っていたように思います。スピリット円形ワークでは、周りとの調和を感じつつ、より自由に踊ったり音を奏でたりできました。太鼓のリズムと会話するようにマラカスを鳴らしたり、そのマラカスのリズムを変えてみることで、楽器同士の新たな会話が生まれたり、他の人が笛を吹ききったみたいだから、今度は自分も吹いてみたりと、音を感じて踊るのが、とっても心地がよく、心の底から楽しいものでした。太鼓の音がリズムの根底にあって、笛やマラカスなどの旋律が宙を舞っていく。それはまるで大地がいつも足元にあって、その上を歩くスピリットを持ったわたしたちのようで、普段生活していると、自分がいつも大地の上に立って生きていることを意識するのが難しかったりするけど、大地に根ざして、大地の鼓動からエネルギーをもらって生命を芽吹かせているのがわたしたち人間なんだなって実感しました。儀式ワークが終わったのに「もう1回儀式ワークがやりたいよ〜」と思うくらいの春の莫大なエネルギーを日常にも還元して、宇宙のサイクルとつながって生きていきたいと思いました。



儀式ワーク当日に「何も言葉を使わない」という事が好きただったのですが、言葉を使っても、または儀式ワークが終わっても、仕事をしていても、その好きだった感触を得る事ができると思いました。儀式ワークはその入り口で二つの次元の重なる、お互いの世界の通り道なような気がします。その好きな感触を得ている時は、私はフナブ・ク'を感じていると思っています。春分にはどちらの世界も鮮やかに記憶されると思いました。混ざっているわけではなく、確かに二つある。でもどちらがプラスでもマイナスでもあまり意味はなくて、その二つが含まれる一括りの大きさを私たちは感じているのかなと思います。



ほとんど思い出せません。しかし思い出せないのは物理的な事で、感覚は覚えています。いろいろな事を物理的にはしたはずですが、私の感覚は同じ事をずっと繰り返す事に集中していました。「状況を捉え、自然の法則に従って自分を動かす」という作業をずっとやっていました。唯々、ひたすら繰り返していたので、その中で失敗と成功がどれ位ずつあったのかもわかりません。普段の、他人の目に映る「自分の姿」に対する客観的な目ではなく、植物や空気を含めたような「まとまり」全てを見る客観的な目を持って、自分というパーツを動かすようでした。



暖かな陽射しの中、思い切りワークに献身できて本当に気持ちがよかったです。ハートがぐるんぐるんと渦巻いており、心地よい疲労感がありました。いつも使っていない部分を、急に使っているような感覚がしました。サビを落として、再び動くように調整しているように感じました。

今回は目を閉じて、「感じる」ことに集中しました。大太鼓を叩かせてもらった時は、自分の中から「祭りだ!祭りだ!」とビートが溢れ出てきました。視界を遮り、自分の中から湧き出るビートに集中していました。いや、天からも地からもビートが溢れ出ていて、私の中でスパークしているのを表現しているような感覚でした。少し目を開けて見てみると、仲間達が楽器を奏でながら踊っていました。「うわ!美しい!なんて美しいんだ!」私の中でスパークしたビートと仲間達の中でも同じくスパークしたメロディーがこうして共演しているのです。「見て感じる」のではなく、「感じて見る」のも面白いなと思いました。



向こうの山々がピラミッドに見えて、ここがどこなのか?未来なのか?古代なのか?よくわからなくなりました。今振り返ると、古代であり未来であるのです。それを現代、今、体験できたことに感謝します。終わった後は、三日三晩踊り明かしたかのような満足感と心地よい疲労感が身体を包みこんでいるような、何とも言えない感覚を味わいました。普段使っていない身体の機能が働きだしたかのようで、身体が熱く汗も吹き出していました。ずっしりと重く、大地を求めていることを意識させられています。二元性であるので、天をも求めて伸びているのでしょう。



初めてマスクもチャレンジしてみたところ、深く儀式ワークに入り込めた感がありました。太陽のありがたさに浸れる時間でした。そして、イン・ラケ’ッチの言葉がマインドに触れた気がしました。光の温浴で、細胞まで蘇る感があります。最後のグランディングでは、たった一人、虚空に浮かんでいる感覚がありました。周りには、仲間がいてくれるはずなのですがまるで気配がしません。もしかして、死ぬときってこんななのかなとか思ったりもしました。全然怖くはないのですが。儀式ワークは、生と死の狭間にある不思議な時空なのかもしれませんね。



この世とは思えない、自然に囲まれたあの空間で、春分の日に、あの場所に集まって、儀式ワークができたことに心から感謝しています。太陽の光、大地のエネルギーや風、精霊たちに祝福されていると感じつつ、踊り、楽器を奏でていました。今回、初めて大太鼓をたたく機会をいただき、どうなることかと、少し心配していましたが、やってみると、とても心地よく、また周りの気配が変化するにつれて太鼓の調子も変化していき、不思議な感覚でした。「ドンドン」と、子宮に伝わったエネルギーが、また音となって循環していきました。儀式ワーク、最高です!



何か達成した感、何らかのサイクルがひと巡りしたような感覚があります。風や太陽に祝福されながらの心地よい、かつ瞑想的なひと時であるのはいつものとおり。最後に地におしりを付けてグランディングして、そのまま寝ころぶ心地よさ。大地と太陽と一体となった感じです。



頭の中はエゴの声でいっぱい。「こんなことをして何になるの?」「本当にそれがやりたいことなの?」と。いざマスクをつけ、楽器の音色に身をゆだね、音楽に溶け合うように身体を投げ出すと、そんな思いはかすれていった。自分の内から湧き上がる女性的な舞、男性的な力強い踊り。大地を踏みしめて、自分がタネから芽を出して花を咲かせるようなイメージのダンスや、チャクラを感じて開いてゆく動き、ひたすらくるくる回るダンス。自分の内から次から次へと動きがやってくる。そして音楽。マインドに支配されそうになりながらもそこに溺れず、音に集中すると今に戻れる。ワークに集中しているときは、不思議な音が聞こえたり、風や自然と一体になる感覚が心地よかった。

エゴの罠に引っかかりやすい私の前に現れてくれた、ワクワク楽しんでマヤについて学ぼうとしている素直な人や、真摯に学ぶ仲間たちを見て、もう一度一から学ぼうと思う機会にもなった。春分を機に自分自身と、また宇宙や自然と調和するすばらしい機会をいただきありがとうございました。



事前に天と地とつながる事、場のみんなと調和する事の2点が大切だと教えて頂いていましたので、そこにフォーカスしてみました。そうしたらおもしろいですね、楽器を演奏するのはまさに調和のための最高のツールなのですね。楽譜のないみんなとの合奏は、頭で考えなくても自然に合わせている。目をつぶってみるのもいいよとも教えて頂き、目をつぶったまま歩けるのかなと思ったら、なんとみんなの音が「こっちだよー」と導いてくれるのですね。太鼓の音もよかった。リズムは生きてる!頭で考えたら出来ない事が、頭で考えない事で出来る。誰かも言っていましたが、儀式ワークをしているとタイムスリップしている気分になりますね。



太陽瞑想でキ’ーンと唱えるごとに、太陽のエネルギーが増幅して熱くなっていく。楽器を鳴らし、ステップを踏み、その合間に太陽瞑想をするたびに、エネルギーが増幅していくように感じました。気ままな、思うがままな私たちを、何がしかの存在が、上空から微笑みながら見守っているのを感じました。途中でサークルを逆行してみたのですが、これがなかなか良かったです。あきらかに空気の流れが変わります。また、マスクもそれぞれ個性があって、「私たちは本当に一人一人ユニークな存在なのだ」と実感します。そして、マスクをつけて、ステップ踏んで、音を鳴らし、しばらく浸りきった後にマスクを外すと、なぜか別のマスクをかぶったような気になってくるのは、なんとも独特な感覚です。私たちの本質は、ユニークで彩り豊かだが、『顔』なんてないのかもしれない。「この地上に降りた便宜上の仮面なのかもしれない」と思ってしまうのでした。



儀式ワークってすごく気持ちがよくて、心地よいのだと思いました。頭で考えたら、「お面つけてぐるぐる回って何が起こるの?」「別に〜」の世界。見えない精霊たちと、自然と、宇宙と、父なる太陽、母なる大地をしっかり感じて。そう、感じている仲間たちと一緒に感じているから、余計しっかり「ああ、見えなくてもあるんだね」と。「訳がわからなくてもハートが落ち着くんだな」と。

私にはたくさんの仮面があります。バイト先での私、家での私、実家にいる時の私。ワークしにやってくる私は、「目に見えない何かを知りたい、感じたい」という一面があるのかもしれません。この仮面をつける時、私はとても解放的になり、すべての疑いを手放し、気持ちよく今の自分の存在を受け入れることができます。みんなとつながり、光とつながり、スピリットとつながり、今の自分の存在を確信できるワーク。今感じているつながりを私の頭が否定しても、心の中では「あぁ、みんなとつながっている」と確信できるのです。



初めて参加した儀式ワークでお会いした皆さんは、以前どこかでお会いた感じで、皆さんにお会い出来てうれしかったです。初めは少し照れみたいなものも正直ありましたが、サークルの中は満たされる感覚があり、また身体がムズムズするようなエネルギーがうごめいているような感覚がずっとありました。そして、今でも儀式のことに意識を向けると、その感覚が沸き起こります。儀式ワークを通じて、こんなにも木や空や大地、太陽の自然と一体感を持てたのは貴重な体験でした。



初めて参加させていただきましたが、全く違和感がない、とっても気持ちの良い日でした。場のエネルギーがとても良かったです。日が過ぎてみると、身体が(霊的な部分?)あの日の儀式ワークを覚えている感じがあり、私の理解の範疇を越えた部分で、何か大きな変化があったのだと思います。