ナガク’奥義学校の授業
  基本クラス 


   マヤ先住民に継承されてきた宇宙的教育の基本となる部分を広くお伝えするクラスです。
   共に太陽瞑想などの実践ワークも行ないながら、体験を通じて理解を深めて参ります。

   ご参加の前に、
   実践教材「イン・ラケ’ッチ!」の感想文を提出していただきます。
   まず始めに文字情報でマヤの基本の教えに触れ(入力)、
   さらに感想文で自己表現(出力)することでクラスがとても充実したものとなります。
   そして当日は、補足説明や質疑応答を中心にして進めてゆくことにいたします。

   基礎、基盤をしっかりと固めて、マヤの「宇宙的教育」を積み重ねてゆきましょう!



   開催日:  「日程表」をご確認いただき、ご都合の宜しい日をお選びください。

   基本スケジュール: 13:00集合 〜 16:00終了

   参加費: ¥5,000 (再受講は、¥4,500)

   参加条件:  実践教材「イン・ラケ’ッチ!」の感想文を提出していること。

   担当: ナガク’奥義学校 講師 こざくらみなこ、または、まさゆき


   お申し込み: メールにてお送りください。  maya@nagaku.com
            件名→ 「基本クラス 参加希望」
            ご記入いただくこと→ 「お名前、ご希望の開催日」

           通信教育でのお申し込みも、同様にメールで受付いたします。






参加者 ご感想

* 最新のご感想には、「!!! NEW !!!」がついています。



「!!! NEW !!!」


若い頃は全てを自分軸で見て、自分だけが常に正解であるかのように思い、生きていました。結婚をし、全く違う環境で全く違う人生を生き、全く違う思考や行動パターンを持つ主人と一つ屋根の元で暮らすという経験は、私の視野を広げてくれました。「常に自分が正しいわけではない」ということを教えてくれ、さらには「自分と違う考えや行動が間違いでも悪いわけでもない」。また反対に「自分が間違いでも悪いということでもない」。つまりは、「違いはあっても間違いはないのだ」と思えるようになりました。そんな風に、「自分と違うものは全て正しくないもの」という生き方から、「違いはあっても、間違いはない。ただ違うというだけで否定するものではない」と思えるようになったことで、「違いを認める」ということができるようになった、自分は成長したと、思っていました。そしてそれが、世の中で言われる「統合」だと思っていたのです。「あなたと私は違う。違っていいんだよ、それが個性。あなたと私が違うからこそ、お互いにいる意味がある」。そんな風に自分を正当化し、相手も正当化することが、「自分を大切にする、相手を尊重する」だと思っていたのです。

ところが、「違うと認識することは、もうイン・ラケ’ッチではない」。「あなたと私が違うなら、それは分離である」ということを、初対面の太陽のイニシエーション・ワークで知ることとなり、「ええーー!そうなのお!?『違いを認める、受け入れる』これができるようになることが統合であり、これが真実。真実に辿り着いたと思っていた自分はなんだったのーー?」と、それは私にとって雷に打たれ頭が真っ二つになったような大きな衝撃でした。けれど同時に、「確かに違うと認識することは分離である」と素直に腑に落ちたのです。しかし、全てが間違っていたわけではなく、両極を見ることができるようになったことは、やはり成長ではあったのだと後で思えるようになりました。

間違っていたのは、「それが終点であり、違いを見極め認めるようになれたら完璧だ」と思っていたことです。超古代の宇宙的教育に触れ、進むうちに、その違いだと思われる2つをさらに宇宙的視野でみると、それは二つで一つであり、二元性の現れである。つまりは、違うのではなく聖なる二元性であり、それは一つであり同じなのだということがわかるようになりました。二つを反対側からもみてみて、そして上からもみてみる。悠然と空高く舞う、鷹のように、空から、自分とあなたをみてみる。世の中の現象は、個人の抱えるどんなことがマクロになって現れているのかをみてとることができる。

この鷹の目線は、基本クラスの前に受講した、カレンダー・クラスの時にも出てきたお話だったことを覚えています。前に受講したクラスの時には「ふうん、鷹の目線かあ。どうやったらそんなことができるんだろ」と、ちょっとやり方もわからなければ、今の自分にはできる気がしないと感じ、「道のりはまだまだ遠いのかもなあ」と、今の自分には関係ないと軽く受け流した部分でした。それが基本クラスではガツンとはまり、「ああ、こんな感じかあ」と鷹の目線がわかった気がしました。誰からやり方を教わったわけではありません。それこそ、「わかった」「思い出した」ということなのかもしれません。記憶は、本当に自分の中にもちゃんとあり、触れれば思い出すことができるのだなあと実感しました。せっかく取り戻した記憶ですから、鷹の目線でいられるように太陽の力を借りながら、取り組んでいきたいと思います。



他の二つのクラス( カレンダー・クラス、  性教育・クラス)と合わせて、三日間連続で受講させていただきました。本当に素晴らしい時を過ごすことができました。起こる出来事、出会う人々や動物は、みんな学びのための「生きた教科書」のようでした。「宇宙が私のためにセッティングしてくれた」みたいに感じられた、大変に贅沢な授業でした。

マヤの叡智に触れられた経験は、私にとって、とても大きな喜びでした。自然と何か大きなものに、感謝しています。私は、その「何か大きなもの」こそが、フナブ・ク’なのだと思います。それは私自身であり、ここまでの運びであり、ワークでみた美しい海でもあり、世の中でもある。また、全部をまとめたものであり、全部を繋ぐ見えない法則そのものでもあるのだと思います。



260年、自分の置かれているところがあまりにも小さい事を感じ、今、家の外にある生け垣やらビルやら人工的なモノ達が「260年後どうなっているか?」と考えただけでも、「今をいかに後世に残せる生き方ができるか、美しく生きるか」と、ふと思い出したように考えるようになりました。

「マヤ」と言えど、全てがつながっていて、現代人が区切っている国や民族という枠が外れたように思います。目の前のお母さんの海があったからこその感覚かと思いました。「自国の歴史もホドホドなのに、地球の裏側の国の文化を学ぶの?ってなぜマヤなの?」って、自分でも少し疑問があったのですが、一歩前にでれた気がします。あれこれ色々感じたのですが上手く書ききれません・・・。「まだこれから」と言う感じですが、よろしくお願い致します。