教化書

 教化書  「マヤの性教育へのはじめの一歩」


    

   本誌は、近年とても関心が高まっている「マヤの性教育」の基礎となる部分を、
   広く一般の方々にも知っていただけるように作成した入口にあたる書です。
   もし興味を持っていただけたら、さらに突っ込んだ内容で展開している続編の
   「マヤの性教育を思い出すために必要なこと」も、是非お読みいただけたらと思っております。


   内容: A4、18ページ

     第一部:マヤの性教育へのはじめの一歩
       はじめに
       子ども達への性教育
       マヤの結婚
       長老からのメッセージ
       続編の教化書「マヤの性教育を思い出すために必要なこと」

     第二部:マヤの性教育に関する過去のブログ
       マヤの性教育を思い出すために月を意識する
       鳥が教える男女のあり方
       宇宙の記憶を持つ子ども達
       真実の幸福感を取り戻せる場
       子どもの生命エネルギーを受容する社会
       春の宇宙エネルギーとハートの関係
       名もなき花から伝授されるマヤの性教育
       私達の精巣と卵巣が、再び銀河の源となる日
       マヤの宇宙的教育によって思い出すべきこと


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    「印刷版」 ¥700 + 送料

    「電子版」 ¥500


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    前編である 教化書「マヤの教えを知るために必要なこと」をお持ちであるか、
    または、同時購入していただきます。


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  マヤの性教育「質疑応答サービス」


教化書「マヤの性教育へのはじめの一歩」と
教化書「マヤの性教育を思い出すために必要なこと 巻之一」をお読みになって、
疑問や質問があればお答えいたします。

冊子の内容に関連することであれば、個人的なことでも結構です。
ただし、質問は3つまでとさせていただきます。

  価格: ¥2000

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 教化書  「マヤの性教育を思い出すために必要なこと 巻之一」


    

  内容: A4、44ページ

    第一部:マヤの性教育を思い出すために必要なこと
     性とカレンダー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・サイクルと性教育は同調する
     性のエネルギーは神聖な生命力・・・・・・神は全ての「動き」と共にある
     性と太陽のつながり・・・・・・・・・・・・・・・・性行為中は太陽につながる
     幼児期から始まる性教育・・・・・・・・・・・4つのエレメントから学ぶ
      1、性教育と宗教の関連性
      2、性と悪魔の関連性
      3、直線時間とマニュアルの関連性
     性教育専門の女性神官の役割・・・・・・社会の基盤を構築し、機能させる
     少年への性の実践教育・・・・・・・・・・・・聖なる二元性の教えで導く
     少女が性の専門職を望む時・・・・・・・・・マヤ・カレンダーに尋ねる
     子づくりにふさわしい時・・・・・・・・・・・・・・時間と空間を意図的に選ぶ
     性教育の場所・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ピラミッドを力を活用する
     性とハート・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・自然界を軸にして生きる
     性行為の体位・・・・・・・・・・・・・・・・・・・身体の位置に意識を向ける
     52歳以降の性行為・・・・・・・・・・・・・・・錬金術を身に付けて実践する
     性と宇宙的教育・・・・・・・・・・・・・・・・・・ボディとスピリットを熟知する

    第二部:マヤの社会と性教育を学んできた在校生の体験談
     20代の女性による体験談
     30代の女性による体験談
     40代の女性による体験談


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    「印刷版」 ¥2300 + 送料

    「電子版」 ¥2000


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  序文の抜粋


本誌は、私達夫婦がマヤ先住民の伝統文化を学び続けて20年以上が経ち、
ようやく一定の理解と結論を得たことによって著せるようになった冊子です。
マヤが伝える「性教育」とは、肉体的な性行為に関することのみならず、
自分自身の心や精神、そして男女、家族、地域、社会、 動植物、鉱物、地球、宇宙との関連性を、
つまりこの世に生きる上で欠かせない人間としての在り方を教えるものです。
逆に言えば、人生を真の意味で幸福に、また豊かに生きるには、
性行為を含めた上述のものとのつながりを深く理解しなければならないと教えるものです。
人間もまた大宇宙の一部であるからこそ、
それらと切り離して語ることはできないというのがマヤの性教育であり宇宙的教育です。

長年学んできて思うのは、マヤの性教育をそのまま全て、
現代の日本に適応させることが困難であるということです。
いや、はっきり申し上げて100%無理な話です。

なぜなら、マヤの性教育が創られ、実践されていた当時の環境や状況と、
現代があまりにもかけ離れてしまっているからです。
社会的な構造はもちろん、人間の考え方や意識、
もっと小さいことを言えば衣食住の面も全く異なっているために、
知識としてその内容を受け取ったとしても、実際に古代マヤ人達と同じように行なうことはできません。

では私達は今、何ができて、何をするべきなのでしょうか。
それはまず、マヤの性教育を真っ直ぐに受け取るために、自分自身のマインドを整えること。
そして頭の中がクリアになった状態で教えのエッセンスを手にし、
自らの遺伝子や魂の記憶にアクセスして明確に思い出してゆくといった地道な作業の連続です。
今まで積み上げてきたマインドを解体して整えること自体、かなりの時間とエネルギーを要します。
しかしマヤの性教育を真剣に習得したいと望むならば、
それは絶対に避けては通れない学びのプロセスの初期段階となります。

マヤ先住民の長老フンバツ・メン師は私達夫婦に、
マヤの伝統文化である宇宙的教育を現代文明と対比させながら伝えてくれました。
しかし約15年間、私達夫婦のマインドがまだまだ整っていなかったこと、
また長老が例に出して比較してくれる現代文明そのものを、知っているつもりでも実際はよく分かっておらず、
スッキリと理解した感覚には至っていませんでした。

それはマヤの叡智を人々に伝え、教えるといった私達夫婦の実践の場においても痛感させられます。
学んでくれる人全員が、
現代文明の社会や教育の中で形成された西洋的なマインドで物事を考えるがゆえに、
それに邪魔されてマヤの教えがスムーズに入ってゆきません。
当然その結果、理解が進まず、もう少しの所まで来ているのに途中で断念して、
学びの道から外れてしまうことが多々あります・・・。
性教育を含めたマヤの叡智に興味を持ち、学び、スッキリと理解したいと思う人であれば、
まずは巧みにベールで包まれた現代文明の本質そのものをじっくりと把握して、
自らの現代マインドを解体することから始めてゆかなければなりません。

さて、今までの経験で、マヤの性教育を知って驚く人を大勢見てきました。
「こんな性教育なら受けてみたい」「こういう性行為ならやってみたい」「こんなパートナーシップなら楽しそう」
「性に希望が持てる」「性は汚いものとしか思っていなかったので嬉しい」
「宇宙的な性教育を知って救われた」・・・などの声が寄せられます。
しかし、しばらくすると、
「素晴らしいのはよく分かりますが、現代では通用しませんよね?
 現代で活用できることが知りたいのに・・・」といった声に変わります。
確かに、先にも述べましたが、
マヤの性教育の全てを現代の日本に適応させることできません。
しかし、だからと言って、今、何もできないわけではないのです。
直ぐにでもできることがいくつも示されているに、ほとんどの人が「活用できるものがない」と誤解してしまいます。
なぜでしょうか。
それは、頭にあるイメージが邪魔をしているからです。
現代人がイメージできるような性教育とは大きな隔たりがあるのです。

古代マヤでは、イメージを超えたリアルな伝達力、つまり、
人のみならず自然界や宇宙とのコミュニケーション能力が
幼少期からの性教育によって高められ、成熟して、存分に発揮されてゆきます。
しかし、私達現代人にはその力がほとんどないために、
「マヤの性教育は活用できない」と思ってしまって扉を閉ざしてしまいます。

そこで本誌では、イメージが創り出す誤解を解いてゆく試みから始めてゆきます。
現代と古代マヤの性教育や性の観念の違いを示して、比較します。
しかし最初に申し上げておかなければならないのは、
現代の性に関する観念を客観的に分析するのは、大変に骨が折れる作業であるということです。
人によっては、心に深く沈殿する淀みをかき乱すような感情が上がることもあるでしょう。
それだけ性という問題には、様々な個人的感情や考えが絡まっています。
過去の良い、または悪い思い出への執着など、
隠れていた意識が障壁となって、幸福への前進を阻みさえします。
自らの性に真剣に対峙するには、相当なエネルギーをかき集めなければなりません。
時には誰かや自分を責めたりしたくなる衝動に駆られるかもしれません。
しかしどうか気を楽にして、自他を責めることなく、
冷静かつ客観的な意識で読み進めていただきたいと思います。

さらには、「個人は集団との連鎖と切り離せない」ということを知っておく必要があります。
長い歴史で繰り返し刷り込まれてきた性の観念が、しっかりと私達にも浸透してしまっているのが現代です。
個人のもののようであり、実は個人のものだけでもない。
数千年にも亘る長期間の、
無数の人々の深層意識にもつながる性観念に触れるような覚悟を要します。
それゆえに、まずは自らの性の誤解を解く作業ではありますが、
個人的な問題のみならず、最終的には人類史にもまつわる大掃除になり得る試みです。
一人で解決することが困難な、性にまつわる混乱から脱け出すために、マヤの性教育に助力を得ます。
人によっては、人生を一気に飛躍させるチャンスでもあります。
別の世界に旅するかのような、 まっさらな気持ちで始めてみましょう。

本誌を通じて、マヤの性教育を思い出して真に理解するために必要なことを分かち合わせていただきます。
性教育の在り方そのものをとらえ直すきっかけとなり、
ご自身の心やマインドの整理、また未来を託す子ども達との関わり方など、
今後の人生に活かせるような学びを得ていただけたら幸いです。


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  マヤの社会と性教育を学んできた体験談(抜粋版) by 36歳女性


2009年に、私がナガク’奥義学校において初めて手にしたのは性教育の本でした。主人や主人の兄たちとの関係に悩みに悩み、苦しんでいるときでした。現代社会において性教育とは、セックスのことを指します。現代人だった私は「なぜ性教育なのか?」と自問自答しながらも本を読み、何か助けを求めるかのように感想を送ったのを覚えています。それから時が経って今感じるのは、「現代社会の諸問題は、性教育の未発達さによる」ということです。未熟ゆえに悩みにはまりこみ、エゴに振り回され、時に感情の荒波の中にもまれながらも、「真実を見るまい、感じまい」としてハートを閉じて人々は暮らしているように思えます。

マヤの性教育と出会い、学び深めていく過程において、性教育は人生の一番大きな指針であると感じています。私達は何かを創造し、産み出すために生まれてきたと思います。現代社会では、子供を産み出すということのみが性教育になっています。しかし、全ての物事、または事柄、空気や水も私達人間の影響を受けながら産まれては死にゆきます。私達自身の存在とその物事、あるいは事柄との間にできる「間」「パートナーシップ」を性教育と呼ぶのではないかと思います。人間として、目の前の物事、事柄とどう関わるか。それがとても大きな意味での性教育なのではないでしょうか。

古代マヤでは、人間として産まれ、ある一定のサイクルを過ごしたあとにこれらを学び始めます。人間として産まれてからの最初のサイクルで、現代社会では競争を強いられ、ハートを閉じ、表面的な計算ばかりを学びます。そこにどんなものが積み上がっていけるでしょうか?どんなものを創造していけるでしょうか?どんなに素晴らしいものも、「砂上の楼閣」にしか過ぎません。どんなに努力しても、すぐに崩れ去ります。そして「混乱している」ことにも気付けずに、ただただ右往左往しているのです。私もそんな一人だったことに気づかされました。

このようなことにハタと気がついた時、私は穏やかになれました。混沌とした現代社会の「出口があった!」と思い、とても安心した気持ちになれました。様々な問題は、今も波のように寄せては返しています。それをこれまで持ち合わせていなかった新しい視点から、眺めることができるようになりました。

様々な問題は、性教育がないがゆえに起こっています。それは仕方がないことです。これは諦めではなく、現在を認めるという視点です。「ああ、こんなところにも、性教育が未発達であるがゆえの軋みが出るんだなぁ」という視点で現代社会を「眺める」のです。その瞬間は感情の嵐になびいてしまうこともありますが、グッと内側に入って「眺める視点」を取り戻せば、「なーんだ!!こんなことだったのか!」と笑い飛ばせるような、エゴを見つけることができます。この繰り返しで、気付けなかったエゴを見破ってしまえば、少しずつ、古代マヤの性教育を理解できる自分に近づけると信じています。そしてまた、こうも思います。「性教育が再び社会全体で行なわれるようになると、どんなに美しいだろう」と。

このダイナミックな変化の先っぽに、私達は生きています。この時代に生まれた私達は「古代マヤの教育」と真摯に向き合い、この叡智を体現する先駆者であると思います。私もまだまだ道の途中ではありますが、マヤの性教育を学び続けます。この教育が再び社会全体で行なわれる美しい光溢れる日を楽しみに、コツコツコツコツと自己と向き合い、まずは「未発達な」現代社会を眺めることからはじめて深めてまいります。




  マヤの性教育に関する体験談(抜粋版) by 22歳女性


私、性ってよくわかりません。「わからない」を辿ると、やっぱり親のことに行き着きます。5歳くらいまでは、父親はあまり家にいなかったそうです。確かに幼いときの父って遠い存在でした。母が私を出産したときは、母は父に頼れなかったから、自分で病院に電話をして運んで行ってもらったそうです。母曰く、父は仕事にも行っていたけど、キャバクラにも行っていたそうです。私が小学生になってから、父はよく私と遊んでくれるようになって、そのときは何にも過去のことなんて感じてなかったように思っていたのですが、残っていたのか残っていないのか、父のことを素直に受け入れられない自分がいました。母が父に対して、「素敵な人」なんて言葉を一言も聞いたことがないということも影響しているのでしょう。6歳か7歳のときに、母から「パパのこと好きなの?」って聞かれて困った自分を覚えています。母は父から「結婚しよう」と言われたとき、私がお腹にいなかったら断っていたそうです。でも、不思議なのは今まで二人とも別れずに、そして私にとっては最悪に見えるパートナーシップの二人だけど、娘は欲しかったのか私のことをとっても愛してくれました。愛情表現は曲がっているようにも思えるけれど。

それから、性について触れるなら、もう少し母のことを書くことになります。それは、母は私が小学4年生から中学3年生のころまで不倫をしていたからです。父にバレないようにきちんと料理を作ってから出かけていくところがなんとも母らしいと私は思うのですが、性の観念というか、性というものに大々的に触れたのが母の不倫話からだったので、女の子がするような恋愛話ってよくわからないんです。不倫ってことを「そういう概念があるんだー」「そういうものなんだー」と母に話を合せて聴いているうちに、なんだかよくわからなくなりました。母はとてもきれいで、料理がうまくて、昔は父をよく立ててたし、いろいろ考えれば尽きないですが、頭で考えれば、「まぁ、不倫もしたくなるのかなー」と思うのです。しかし母の不倫話を聴こう聴こうとしていた自分の気持ちがよくわからないのです。母が話してくれるから聴くけど、不倫ってものがよくわからないときから聴いてたし、彼氏のために小額だけどお金とってきて、小学校から帰ってきたら母が泣いてるときもあったし、でも母は私のこと大好きだし、家庭を整えた上で不倫してたから別に家庭が崩れていたわけじゃないし、うまいこと立ち振舞うのと母と娘の暗黙の了解で不倫のことは秘密だから、父には案の定バレてないし、父が仕事のない日はお出かけもしたし、たくさんたくさん愛情かけてくれたし、私を養ってくれたから何の不自由もなかったし・・・。

強いて言えば、精神が死にかけていたのかもしれない。だからこそ、精神の深いところに昔から興味を持っていたし、そういうことを考えるのは当たり前のことで、もう好きとか嫌いとかじゃなくて、自分にとって必要なことだし、それが何か自分のお役目なんだろうなって思います。母の不倫は許そうと思うけど、許したつもりだったのに実はできていないかもしれないって思っていてどうしようもない・・・。私自身と言えば、母の話しを聴いてお腹いっぱいだったのか、恋からはかけ離れたところにずっといました。

マヤの性教育を読んで、「私の求めていたことだー」と思いました。性に関することをたくさん癒して、自分を責めるでもなく、相手を責めるでもなく、ただただ受け入れて、そしてありのまんまを生きれるようにしたいなって感じました。いろんなものを受け入れて、もっともっと自分も目の前の人も愛したいです。マヤの叡智を理解することで、性に対して嫌悪感を持たずに聖なるものとして受け入れることができたら嬉しいです。そして、私が今まで性に関することで誤解していたことがあるなら、誤解が溶けたらいいなと心から思います。だけど、マヤの性教育が自分にとっても、みんなにとっても必要なものであることが自分の体験として感じられたので、よかったのかなとも思います。

私自身が体験していること、みんなが体験していることは、すべて無駄じゃないんだなってマヤの叡智に触れる度に感じます。貴校に出会えなかったら、私にとっての性行為は気持ち悪さをイメージしてしまうものという認識のままでした。これからいろんなことを思い出すんだろうなと想像します。それは喜びでもあり、喜びを感じられないものもあるのかもしれません。どうか最終的に、フナブ・ク’の手のひらの中で、すべてを喜びで包めますように。




  マヤの性教育を学んできた体験談(抜粋版) by 46歳女性


マヤの性教育はとても美しく、理想的なものだと感動しました。このような素晴らしいものをたくさんの皆さんと共有したいと思うと同時に、「ああ私だって、この世界に生きていたならこんなに『性』を嫌いにはならなかっただろうに」と残念に思う自分がいて、そこで初めて「そうか、自分は性に対して相当な嫌悪感を持っているのだ」と気づきました。私は確かに性行為が嫌いでした。両親のように、顔を付き合わせれば喧嘩ばかりのようにはなりたくないと強く思い、巡り会う人とはいつも「この人と私は幸せになるんだ」と、育った環境とは正反対の家庭を創ることをいつも夢見ていました。今まで全く自分の意識に気づいていませんでしたが、夢は夢のまま美しくあって欲しかったのかもしれません。私は、夢が現実に染まってゆくと恐ろしくなり、全てが汚く見えてきて付き合っている人と別れてしまうということを繰り返していました。性行為は「現実」を突きつける最大のものだったのかもしれません。

全ては「美しく」あってほしい。そうした思いが私の根本に根強くあるのは、人間のドロドロした「怒り」のエネルギーを常に感じ、そこから逃げたいということだけで精一杯に生きてきたからです。不満、嫉妬、欲情、執着、依存・・・などなどのいわゆる「マイナス」「ネガティブ」と分類されるような全てを嫌い、遠ざけたいと思って生きていた私には、マヤの世界は理想的な美しい世界に映りました。私が一番汚いものとして避け続けていた「性」を美しいものに変えてくれたという誤解は、私自身の一番見たくない醜いと感じる部分を、自ら見にゆくというとてつもない旅に繋がっていました。自分がなぜ性行為に嫌悪するのかなんて、そんなことわざわざ掘り起こさなくても充分幸せに生きてゆけます。事実私は、人並みに悩みや不満はあるものの、大きな問題を抱えている認識はありませんでした。しかし、マヤの性教育を通して学びを進めるうち、自分では気にもとめていなかった「当たり前」にしていた行動や言動に、問題を見出だし始めました。そして当たり前どころか、良かれと思って主人に対し行なっていた言動行動の奥にあった自分の無意識のエゴに気づくたび、自分自身に対する失望が大きくなってゆきました。

子供の頃に育った家庭環境の影響で、私は生涯独身でも構わないと心のどこかで思っていました。けれど33歳のときに、主人と出会い結婚しました。結婚当初、未熟だった私はたくさん主人を傷つけ、誤解も与えてきました。ほとんどが当時の「当たり前」や「良かれ」という思い込みから生じたものですから、こうして機会あって自分自身を見つめることがなかったら、気づかず一生を終えていたことと思います。その人生が進む先は、今とは全く違った道だったかもしれません。マヤの宇宙的教育に出会えたのは、私の人生の大きな大きな分岐点だったと感じます。

現代の私たちは、「すぐ結果が見える」ことが当たり前のような世界にいます。しかし、私たちが認識している「当たり前」は、全ての命が生きる大きな流れからは外れてしまった、人間世界だけのとても小さな「当たり前」であるということを認識することは大切です。私たちが本来生きるはずの大きな流れに向かい、自身の人生サイクルを軌道修正してゆく作業は、現代の私たちにとっては何の意味があるのかと無意味に思えるような地道な作業の繰り返しかもしれません。目に見える変化は、小さな小さなものかもしれないし、目には見えないものかもしれません。しかしそれは、宇宙の誕生、地球の誕生といった長い時間の流れを基準に考えれば、私たちの一生なんてほんの一瞬なのですから、変化が目に見えなくとも当たり前なのかもしれません。しかしそれは必ず、何百年後、何千年後の世界には大きな変化を与えるに違いありません。

私は今、主人と手を繋ぐところからやり直しをしています。13年の間にお互いで生み出してしまった誤解を二人で一緒に丁寧に解き、これからの13年間を、今日初めてお互いが出会い、初めて手を繋くところから新たな関係をやり直すのです。私はこうした機会に恵まれて、とても幸せだと思います。


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