チャン・キ'ン予備校の教材
     「拾シリーズ」 〜 現代文明をさらに深く学ぶ教材

          準備教材01「こうして築かれてきた現代文明」の続編として、
          さらに鋭く突っ込んだ内容で詳細に解説してゆきます
          現代マインドや人生そのものを再チェックすることにお役立てください!
          (お申込みには、事前に準備教材01の設問の回答提出が必要です)

             準備教材11 「善悪二元論」






準備教材11 「善悪二元論」 




   準備教材11 「善悪二元論」  A4、12ページ

    ・ ご購入条件:準備教材01の設問の回答が提出済みであること
    ・ 電子書籍版  ¥1、000
        印刷版  ¥1、100 + 送料

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    内容
      はじめに
      現代マインドの善悪
       1、宗教教育が善悪を形成する
       2、パーソナルな属性に従属する               
       3、直線思考
      善悪二元論の最たるものは戦争
       1、大小様々な属性間の争い
       2、画一化した人間を形成する目的               
       3、悪の投影先を明確にしておく               
       4、権威に反抗したくなる理由               
       5、庶民を何かに依存させておく               
       6、生贄の法則
      超古代マインドの聖なる二元性
       1、円形と四角形で表わされた聖なる二元性
       2、イン・ラケ’ッチ!な社会
       3、分離から統合へ、さらに第三の宇宙的視点へ
      神よ、与えよ、万難、我に
      おわりに
          


    不毛な争いや競争はもう古い!
    光の時代への過渡期に生まれた私達は、
    美しい宇宙的視野で生きる指針を思い出します!



読者感想  

* 最新のご感想には、「!!! NEW !!!」がついています。


!!! NEW !!!

とても興味深く読ませていただきました。まず、「パーソナルな権威への従属」という深淵に、知らずに足を入れていたことに恐怖を覚えました。アダムとイブの物語でさえ、きっとたくさんの人の解釈が含まれて私達には伝わっており、こんなにも骨の髄までしみこんでいるとは・・・。神や自然界を忘れてしまった以降は、この物質界の現代文明を栄えさせるためには、多少なりともこれらが必要だったのかもしれません。そして、これらを感じてからの「パーソナルではない権威」の太陽、月、星、大地、自然界がどれだけ愛にあふれ、歓喜をもたらすものだったのかと、この学びをもたらしてくれている、まさゆきさん・みなこさんの顔が浮かびました。

「二元論」は全てにおいて後退を観じます。「良し悪し」で判断され、喜びや成長を感じることができません。「悪の投影先」とは、見事な表現ですね。投影されたものがあるから、すこしでも道を外れたと思ってしまった人(実際はそんなことなくても)が、逃げ込む場所にもなってしまっていますね。比べる対象があることが、さらに2つの深淵を深く、大きくしていくように感じます。どんな自分でも存在価値があることを認めてあげる事。人間同士の比較は一切不要であること。本当の神は人間に罪を与えないこと。魂としては、ずっと生き続けるのだということ。現代人に不足してしまったことは、これらでしょうか・・・?

そして、超古代マインドについて、知り得る事はとても心を揺さぶられます。日常も仕事でも、全てのことを3つの視点として考えられるようにトレーニングしていきたいと思いました。あーそうか、全ては三位一体で成り立っているのですね。再び、「イン・ラケ’ッチ」「人生はとても美しいものだから、常に幸せであれ!」という奥義に沿って、これからを過ごすことを宣言します。改めて、「私はこの私という身体を使って、この時代、この地を楽しむために生まれてきたのだ」ということ、そして自分の魂が自ら選んで歩んでいることが基盤であり活力源です。



今日、本が届いて、チラ見だけにしようかと思って開いた所、深い内容に引き込まれて一気に読んでしまいました。善と悪、考えさせられました。私も、勝手に幻想である悪を身近な人に貼り付け、善でいようとしている自分に気がつきました。家庭内での嫁姑問題もしかり・・・。

お姑さんが元気な頃は、私が悪を貼り付けられ、罪悪感を持たされていたような気がします。今は、お姑さんが認知症のおかげでおとなしくなりましたが、認知症に悪を貼り付けて「優しくしなきゃ」と偽善を施そうとしている自分がいます。本来は、イン・ラケ’ッチ!なのに・・・。お姑さんに対して、「イン・ラケ’ッチ!」を言いたくない自分もいます。同じでありたくないという思い・・・。分離を作っていたのは、私だったのだなぁと気づきました。

そうは言ってもまだお姑さんのことを許せないのか、やっぱり「イン・ラケ’ッチ!」は言いたくないなぁー。だから戦争も終わらないのですね。みんな戦争を終わらせたくないのかも。本当に幸せになるのが怖くて、いつまでも幻想を握りしめる・・・。私から一歩、踏み出してみようと思います。お姑に「イン・ラケ’ッチ!」、心の中で言ってみようと思います。世界の平和につながりますよね。



私は、「マヤ暦による人生の再検」でもご指摘をいただき、集中的に向き合うことができました。これはとても幸運なことでした。なぜなら、私にとって善悪二元論は当たり前のことであり、常識中の常識であり、生きていく上で無くてはならないもので、認識すらできないほどに、ぴったりと貼り付いて離れないものだったからです。繰り返し、繰り返し意識していく中で、やっと見つけることができました。

この善悪二元論を理解できてきた今、私が善だと信じて疑わなかったもの達を「強烈」だと感じています。ボランティアなど「弱気をたすけ、強気をくじく」ものに出会う度に、押し付けがましさや「私ってすごいでしょ?」というエゴ、また他人に認めさせようとする重たさや、他人に認めてもらわないと満足できない不安定さや危なっかしさを感じます。私自身もそうでした。そして「私ってすごいでしょ?誰か認めて!」と一生懸命に善を「演じて」きたと強く感じます。

このように「善を演じる」ことを教える現代教育は、まさに奴隷養成所だと言えるでしょう!誰かに認めてもらわないと自分自身を承認することすらできないほどなのです。「真の自分」から遠ざかり、善と信じてられている人、例えば先生や議員さん、お坊さん、NPOなど、パーソナルな人(権威)に認めてもらうために演じなければなりません。ますます「真の自分」から遠ざかります。そんなサイクルを繰り返して、ここまで来てしまいました。

私は善悪を見渡す宇宙的な視点を取り戻すことができるようになったときに、これまで許せずにいた過去の出来事がどうでもよくなりました。私にとっての正義、いや、私だけでなく世の中の正義を主張したのに、なぜ認められなかったのか!というところに怒り、悲しみを感じていたのです。ただ一つの経験であったことが、直線的思考の上では執着を生み出すことを感じました。この視点を取り戻すことで、たくさんの拘りや執着を見つけて手放すことができました。まだまだこれからも実践を積んで、執着を持たないようになりたいです。

まだ短期間ですが、実践を通して感じることは、「淡々と、軽々と生きることができる」ということです。例えば、仕事中にお客さんのイライラをぶつけられても、「なんだか怒っているんだな〜」としか感じなくなりました。これまでは、イライラをそのまま受け取るかのように、私まで「なんでそんなことを言われなければならないの!」と一緒になってイライラしていました。そこで終ればまだいいですが、口に出して言ってしまおうものなら、イライラのエネルギーが出会って増幅させてしまいます・・・。また、仕事で失敗しても、「ごめんなさい!」で済ますことができます。これまでは、ウジウジいつまでもひきずっていました。

これらの経験から、私は自ら進んで被害者になっていたことに気づきました。私が「ただ一つの経験」と受けとめることによって、被害者にならず、また相手も加害者とならずに済むのです!なんと平和的なのでしょう!この感覚をしっかりと身につけるまで、丁寧に自分の感情と向き合って実践を重ねていきたいと思っています。上がってきた感情は、直線的思考の癖のようなものです。即座に気づき、宇宙的な視点によって捨ててまいります。そして、「真の自分」に戻り、その姿で波動を出していきます。



「第三の目」のキーワードが出てきた時、「そう!それを知りたい!」とワクワクしました。でもそれは書いてありませんでした。私たちはいつも、その神秘ばかりを知りたがりますが、本当は全然ワクワクしない現代教育の再確認こそが、「第三の目」を開く鍵なのだろうと思いました。いつでもキラキラ輝くものに飛びつきたくなるけれど、ワクワクしないいつもの自分の姿はよく見ていないし、見たとしても変なメガネをかけています。現代教育の再確認がつまらなく感じるのは、偽善のメガネをかけているからなのでしょう。

今まで、現代教育に関する予備校の教材は、悲劇を見るように感じていました。そして、「自分はそれを知っている」または「もう克服している」と思うことに対して、「クリア!」となんとなく思っていたように思います。「克服してめでたし。また幸せに近づいた」と思っていたのです。しかし、それこそが善と悪の投影だと感じました。

「現代教育の罠」というと、嫌なもの、自分の足を引っ張るようなもの、つまり悪だと思っていましたが、それこそが学びのために現れてくれた尊い存在や出来事なのだと思います。現代教育は悲劇などではなく、新しい学びの場だと思いました。私は出来事に対して尊重をせず、「クリア!」と言っては捨てるように粗末にしていたのです。

私の前に現れる魅力的な悪魔。その悪魔は取引を要求し、代わりにあり得ないようなパワーをくれますが、彼はきっと現代教育の精霊なんだと思います。私は現代教育を悪だと思っていたから、悪魔に見えたのでしょう。悪魔が取引する痛みは全て「恐怖」という幻。恐怖が幻だとわかれば、具体的な痛みだって乗り越えられると思います。電車に乗る苦痛も、指を切ってしまう痛みも、生理痛も、そんな具体的な苦痛だって恐怖の幻だと思うのです。なぜなら、痛みや苦しみは、悪ではないからです。



働く中で、自分の中にも善のみならず悪もあることを感じます。職場で起こった出来事において、それを間違いだと認められるときや、善人でありたいがために(=自分が悪いと思いたくないために)「○○だから自分のやったことは間違っていない」という気持ちでいっぱいになるとき、思わず相手に意見を述べているときなど、色々なパターンを体感したからです。また、自分自身に起こった出来事だけではなく、職場の人たちの間で起こった出来事から、「善悪」を感じたことも多々ありました。本誌にあるような、「間違っていない⇔間違っている」、「私は善人である(でありたい)⇔(認めたくないけれど)私は悪人である」という二次元の思考上での話なのだろうと思います。そうした二次元の世界で生きている限り、あらゆる場において、何らかのくくりでグループができてしまうのは致しかたのないことなのだろうとも思います。「自分の中に悪もある」と認められなければ、誰かに悪を押し付け、分離し、グループが形づくられていくのかなと感じたからです。

調和を意識して発言してみると、人とつながることが出来るという経験もしました。心の中で戦わないこと(=二元論にはまらないこと)って、とっても大事なのだろうなと思います。自分自身も時には直線的な思考を行ったり来たりしてしまいますし、目の前の人の言動を感じて「私も同じだな」と思うこともあります。ただ、出来る限り中立な立場で色々な人と接して、「イン・ラケ’ッチ!」を結んでいきたいと思っています。周りの人たちを観察して感じた後で本誌を紐解くと、「そういうことなのか〜!」と感動を覚えます。日々探求していくことが自分自身の喜びの1つでもあることを再確認できました。

















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