教材(書籍・DVD)

 実践教材  マヤの性教育


  超古代から伝わるマヤの性教育は、人間のバランス、社会のバランスに欠かせない
  文化の一部として尊重され、重要視してきました。
  現代においては、性教育のなさ過ぎ、またはゆき過ぎが社会の問題の一つとなっています。
  それは「性」だけに言及する現代の教えゆえに生じている問題なのかもしれません。

  超古代の人々は、 「性」を目に見えるものと、
  感覚といった目に見えないものとのバランスとして、重んじていました。
  また「性」は、自分自身、相手、宇宙との三位一体の「つながり」として、
  詩的に、美しく、尊重し合う、神聖な行為としてとらえています。

  生殖のための性行為、健康のための性行為、喜びのための性行為、
  宇宙とのつながり、人とのつながりのための性行為、神との接点としての性行為・・・。
  単なる行為ではなく、深遠で、神聖な意味を持つ行為であるということに気づく時、
  誰もが私達人間に与えられた「性」という恩恵を慈しみ、
  大切にする気持ちを思い出すことができるのではないでしょうか?

  この教材は、マヤの人間形成の土台を知る上では欠かせない、
  基本的な部分を中心にご紹介しています。
  超古代文明から私達現代人へ、真の性教育が届けられます。
  明日を担う子ども達への教育にも、是非ご活用ください!


  内容 (A4、17ページ)
    長老からの口伝
    質疑応答


  価格: ¥1,500 + 送料

  お申し込み: 不要(必須教材として入学時の前金よりお支払いいただき、即日お送りいたします)




   




読者ご感想

* 最新のご感想には、「!!! NEW !!!」がついています。


「!!! NEW !!!」

最近、我が家の娘たちが、私と同じように罪悪感を強く持っていることに気づかされる出来事がありました。ふと、この罪悪感の根っこには、現代社会にはびこる「性に対する否定的な見方」があるのかもしれないと思いました。私の母は、娘の性を、節をつけてあざ笑う癖があり、そんな母に思春期の私は嫌悪感を覚えていました。しかし、知らず知らずのうちに私は、母の嘲笑を受け入れて来たのか、その後、罪悪感に振り回されることになりました・・・。私のように、現代人の心に根付いている「罪悪感」と「性の否定」には、少なからず関連があるのではないでしょうか。

マヤの祖先が守り伝えて下さった性教育は、とても洗練されたものだと思います。性、マヤ語で「パクラム」とは、「あなたは深く見る必要がある」、また「永遠に属する唯一の深遠なギフト」であると、長老は仰っています。私たちが宇宙と繋がり、そして、宇宙のエネルギーと繋がった子孫を誕生させるために、真の性教育が今、必要とされているのだと思います。



マヤの性教育のことを知った時、とても衝撃的で驚きましたが、同時に「自分がこのような教育を受けていたらもっと純粋に生きてこれただろうに・・・」と羨ましくも思いました。若いころに比べ、主人と出会ったことで性に対する嫌な感情は随分なくなり、この教材を読んでも嫌な感情は湧きません。

性の教育を行う神官はとても神聖な存在に思え、尊敬する気持ちが湧いてきます。ですが、最後のところで「性の錬金術」を読んだときは、気持ち悪いと思いました。「52歳という年齢になってもまだ性行為をするだなんて汚らわしい。気持ち悪い」と正直な気持ちで思った私は、やはり性に関してはかなり屈折しています。この癖が生きている間に溶けていったらいいのになという思いと、そこに向き合うのは面倒臭い、恥ずかしいという相反する思いもあって、今のところ大いなる葛藤です。



初めてマヤの性教育に触れたとき、その自然な美しさに大いに感激したものである。その後学びを深めていくにつれ、現代社会における性の認識や自分自身の実践具合とのあまりの違いに、暗澹たる思いが立ちこめてくる。それでも今回、教材を読み返し、抜き書きし、様々な思いを巡らせるうちに、以前とはまた別の側面に知識が浸透し、理解が深まった感がある。すなわち、性は神との接点であり、いのちの根源であること。神聖にして最もパワフルな生命エネルギーであること。また、人生そのものであり、生活そのものであること。社会の秩序とバランスを保つものであって、この地盤の上に立たなければすべてが幻と化してしまう根本的なもの。そして、壮大で宇宙的なもの。つまりは、すべて。

木(=男性)と花(=女性)から始まるマヤの性教育。それは、生まれたときからごく自然に始まる、神聖で美しいもの。水・風・土・火の4つのエレメントや惑星との関連など、すべてを含んで、じっくりと時間をかけて教えられる性は、人生とは決して切り離せないものであり、その上に日常生活が築かれていく。学校の授業の一コマとして唐突に現れる現代の性教育とは、全くの別物である。現代の分離思考は、性教育において最も端的に表れているのではないだろうか。生殖器のみを取り出して、その機能についての知識を頭で語るだけの性教育からは、宇宙や銀河とのつながりなど全く見えないのはもちろん、生命とのつながりでさえ、今ひとつピンと来ないだろう。

すべての根源である性が、現代では抑圧される。あるいは、軽視される。できることなら避けて通りたい、面倒なものとして扱われる。そもそも受精の時点から、そうした否定的エネルギーの影響を受けているとしたら、健全な子供が生まれることは難しい。そうした性の否定が、存在そのものへの否定につながっているように思えてならない。自らの存在価値を見出せない人々が溢れている元凶は、この性の否定にあるのではないか。性の肯定なくして、自尊心は育ち得ない。その自尊心の欠如が、全てにおいて尊重に欠ける現代社会を創っているのだと思う。自他への真の尊重、人生への真の肯定は、真実の性教育によって生まれ、育まれていくもの。人生を「性は悪魔からのものである」との前提から始めるのか、それとも「性は美しくて神聖なものであり、神との接点である」との前提から始めるのか。その違いは計り知れない。

以前に貴校(チャン・キ’ン予備校)で教えて頂いた「男尊女卑は、女性が女性性を否定していることの表れ」ということが、ずっと心に引っかかっている。もしかすると、性を否定することの大部分が、この女性性への否定で占められているのではないか。性の否定が存在自体の否定につながり、その結果が、男女とも同じように自身の存在を社会に認められようとする競争となって表れてくる。男女は平等であっても決して同じではなく、それぞれの特質を生かし合ってこそ、美しい調和が生まれるはずであるにもかかわらず。もし男女が同じで良いのなら、男女の二元性など必要ない。物理的にも二元性を形成する男女によって、人類は存続するという事実こそが、私たちがこの地球上で学ぶべき、聖なる二元性の美しい調和を象徴するものではないのか。その聖なる二元性は、男性性と女性性、陰と陽、ボディとスピリットのように各人にも内在するものであって、その内なる二元性の調和を体現することが、父なる太陽と母なる地球という二元性の子として生まれた人類に共通する重要なテーマではないかと思う。

女性が真の女性性を理解し、認め、発揮することができたなら、社会は大きく変わるだろう。「唯一、女性が性教育を行う場合にのみ、完璧なバランスが存在し、完璧な社会を形成することができる」ことの意味が、今では良く理解できる。それは、女性性の特質である豊かさや与えること、すべてを生かすバランス感覚によってのみ実現可能であると思う。以前は、ハウ・ク’ーレルによる実践を伴う性教育に違和感を覚えたこともあったが、今は彼女たちへの尊敬の念が素直に湧いてくる。ハウ・ク’ーレルは誇りをもって社会に仕え、文字通り全身全霊で使命に献身していたのであろうし、人々は大いなる尊重や感謝をもって、彼女たちに接していたであろうことが容易に想像できる。

「ハートが開かれた女性から性教育を学ぶことで、少年たちは真実の性へと導かれ、自身が結婚して美しい家庭を築き、社会の基盤である家庭が整って、社会全体が幸福に満ちたものとなる。」女性が女性性を否定しているが故に、私たち現代人はこの純粋で素朴な幸福を味わうことができずにいる。この内なる幸福は素朴過ぎてあまり見栄えがしないため、承認欲求が満たされないからである。けれども、その欲求を満たすべく虚飾ばかりに心血を注いだところで、この真の幸福は味わえない。他人や社会の承認を幸福と取り違えている現代人は、かくして彷徨い続けるはめになるのである。

そこから抜け出すために問うべきことは恐らく、「そもそも私は、なぜこの地球に人間として存在しているのか?」だ。そしてその答えは、「宇宙のエネルギーによって、完璧に受精が成されたから。」つまり、既に宇宙に承認されているからこそ存在しているのであって、そうでなければ存在し得ないのである。性教育を含むマヤの宇宙的教育を学び、実践することによって、その壮大且つシンプルな真実を腑に落とすことができれば、もはやエゴの塊とも言える現代人や現代社会の承認を得る必要などなくなる。そして、宇宙の子として、太陽と地球の子として、内在する二元性を調和させることによって、自身の存在そのもので宇宙の調和に貢献することこそが、人生を懸けて取り組むべき一大事であることがわかってくる。私の家庭人としての使命も、すべてはそこにつながっているのだと思う。

今回、この教材「マヤの性教育」に加えて、チャン・キ’ン予備校の準備教材05「マヤの性教育と結婚観」を併せて読むことが、更なる理解への大きな助けとなりました。現代社会と宇宙的教育との間の大きな隔たりに橋を架ける教材があることは、本当に有り難いです。このような優れた教材で学ぶことができ、幸せです。



性教育とは、ボディを知るためのシンプルな教えなのだと、今、強く感じています。「儀式の中での口伝」によって思い出される叡智とは、自然の中にボディを置いてボディを意識し直すことではじめて、記憶という感覚が開かれるのではないかと思いました。ボディは分離の象徴のようなものに感じますが、そこからしか繋がりを感じられないのだと思います。私は、そのために性教育が必要なのだと思いました。「創造された全てのものは性と関連する」こと、そして進化の過程で、肉体を持つときにはじめて性が作られるということは、ボディと性が深く繋がっているからではないでしょうか。

性を勉強するとき、観察の対象が昆虫から動物へ換わっていく際に、チャイカンの鳴き声を聞くレッスンが重要になるのは、詩的な美しい「風景」から、より肉体的なものとして五感に伝えていくものを増やしていくということだと思いました。7歳から14歳までの間に間違った教育を受けると、「私は誰?」といった疑問を持つようになるとありました。誰というのは、この肉体に戻ってくる力だと思います。それが性教育を受けることによってわかる「自分」というもの。つまりそれが、ボディだと思います。

春に結婚することや、性に憧れ美しいと思うことが、人間以外の動物にとってはまさに自然です。動物たちは、自分が何者なのか理解してるのでしょう。そして改めて思ったことは、性が押し込められていること、女性が相手にされないことがとても不自然なことなんだということです。このシンプルな世界に、不自然な教えの宗教が生まれてしまうことをとても不思議に思いました。

しかし人は、性を分類して捉える人間としての自由度があります。月(引力、液体)であり、7つのエネルギーセンター(肉体そのもの)でもある、「7のエネルギー」を通して、性行為という「ワーク」ができるのは、他の動物にはない人間としての喜びだと思いました。そして、このワークするという特性(知性や愛情)を人間に感じることができます。それはとても愛おしい存在です。私は、マヤの叡智とは人間に向けられたものだと感じています。

「唯一、女性が性教育を行う場合にのみ、完璧なバランスが存在し、完璧な社会を形成することができる」とありますが、これは女性は性に翻弄されることがないからなのだろうかと思います。私は、男性の中にある性エネルギーはとてつもなく強いものだと感じるからです。その事を改めて思うと、男性の創造エネルギーは女性に対して、とても大きいと思いました。男性と太陽が似た存在なのはそのためかと思いました。

マスターベーションに関する質疑応答は特に気になりました。マヤにはその習慣がないと知り、とても驚きました。若い年頃の男性は、毎日でも射精しなくてはならないと聞いていたからです。これは、ク’ーレルによるワークの教えを受ければ必要なくなるのか、また、ク’ーレルによって、性行為として生理を収めることができたのか。そして、それは女性に対してはどうだったのか。たくさんの疑問が湧きました。現代において、セックスやマスターベーションによってエクスタシーを得たい欲求は、生理としてだけではなく、「自分の体を感じたい」という、ボディの喪失感から起こる衝動なのではないかと思いました。



性教育という分野においては、現代社会で本当に信頼できる知識に出合うことは、とても難しいのではないでしょうか。私自身、全く自信がない中で手探りしながら進んできて、結婚して二人の子供を授かった今でさえ、正直なところよくわかっていない、という気がします。他のマヤの教えと同様、性についてもやはり宇宙的な視野で捉えられていて、惑星・数字・サイクル等と深く関わっている点や、自然との調和が重要視されている点が興味深く、また非常に洗練されていると感じました。そして、「性教育が社会のバランスを保つために役立っていた」という概念が、とても印象に残りました。

結婚して子供を持つと決めた男女が、ともに長い徒歩の旅をして自然を楽しみ、心の平和を維持することに努める。そして、春分の日の早朝、自然に囲まれた屋外で、男女とも頭を天に向けて太陽や宇宙とつながりながら性行為をする。しかも、そのベッド(ハンモック)は花に囲まれている…!!なんと美しく、喜びに溢れた行為でしょう!!

現代社会がこんなにも病んでしまっているのは、スピリットの教育がなされていないのはもちろん、このように純粋な喜びに溢れた性=生命の力から、私たちが完全に切り離されてしまっていることも、非常に大きな原因なのではないでしょうか?

私自身、「このような教えにもっと早く触れることができれば・・・」との思いは拭えませんが、その無念さを希望へと転換し、少なくとも今、こうしてその教えを知り得ることができた者の使命として、これから育つ若い世代にこの教えを伝えていくことができればと思います。



古代の性教育がいかにきちんとしていて、尊重されていたか気づかされました。現代では表で扱うことがタブーのようなところがあり、また正しい性教育が学校でされているかと言うと疑問です。生殖や妊娠、出産などだけで、あとは人それぞれの環境に任せてしまっています。

マヤでの性教育は相手との性行為についてだけでなく、他との人間関係、動植物やスピリットとの関わり、宇宙との関わりと、大きな生命の循環の流れを学ぶものです。性行為が神聖なものであることを感じとり、周囲とのバランスを学ぶことは、健全な人間の土台を作ることになると思います。

私自身、相手との関係や性に関する体験など、あまりいいイメージを持っていませんでした。子供の頃は、性ついて社会から受ける影響は大きいです。性の扱われ方が非常に雑になり、社会のバランスも崩れてきているように思います。今後、社会全体でこういった性教育が必要です。



「教育」と言われると、すぐに学校、受験、学習塾という連想が浮かびます。子供たちへの「教育」と言えば、まず学校教育でしょう。でも、この学校と言うのは、子供たちを集め、一定の知識を与え、試験やスポーツで競争させる機関なのではないでしょうか?そして、物心ついてすぐに始まる教育。今日の社会の中では、私たちは、自己抑制的、他社に対して支配的、そして異性に対して攻撃的に育っていくように思われます。思春期の性徴とともに始まる性衝動は、男性の場合、しばしば異性に対して攻撃的な支配衝動の形を取って表れるのは、社会的な事件や流通するポルノグラフィなどにも、しばしば表れているところです。

マヤにおける性教育は、これとは180度逆の方向を目指しているように思われます。幼年時代から、大自然の中のさまざまな生き物たちが織り成す繁殖と生命の営みを観察するというのは、大切なことです。自分という存在が自然と不可分につながっていること、動物も昆虫も同じ営みで生命を次々と繋いでいることを体験的に知ることは、それだけでも「教育」の初期の目的は達せられるのではないかとも思えます。「人間が自然界の一部である」という認識だけでも、現代のような破壊的で攻撃的な方向には、人は進まないのではないか。さらに、思春期の男の子たちへの「実践」教育は、ともすれば攻撃性を持ちがちな男性性に対する教育として、高度な指導と言えます。こうしたマヤの教育のあり方こそが、本来、成長途上の子供たちに必要とされている本当の意味での「教育」であると思いました。ここには、現代の私たちが見失い、迷路にはまっている問題についてのヒントがあるように思いました。



とても繊細で影響されやすく、そしてとてつもなくパワフルな力を持っている性について、軌道修正が難しく、扱い難い問題だからこそ、人生を明るく 照らす宇宙的に正しい指導者が必要なことは明白です。いにしえの人々が様々に体験した知恵の集大成を、私たちは迷うことなく受け取ることができるのです。一度ネガティブな要素にさらされると影響が大きく、また元に戻すのも困難な性の問題について、事前にすんなりと正しい知識を与えられているということは、 その後の人生においても、多大なる大きな成果をもらたすことでしょう。

性教育によってどんなことが起きるのか、肉体的にも精神的にも将来的にも、さまざまな事がそれによって起こってくるのですから、古代の人々は性教育の重要さを十分に理解していたのでしょう。むしろ現代の私たちはあふれる情報の中で、大事な事に関しては、全くの無知になってしまっていたのです。

古代の人々が、長い年月をかけて私たちに語りかけてくれるもの。まるで過去の自分たちが未来の自分たちへ、「正しい道はこっちだよ〜」と、道案内をしてくれているかのようです。今回もマヤの叡智に触れて、そんなことを再認識させられました。



私は3児の母として、いかにして子供たちに性教育を行なうかを、子供が小さい頃から心を痛めていました。私自身、母親からは「生理の手当て」程度しか教わりませんでしたが、その母も、家庭では何も教えられていなかったためだろうと思います。娘には上手く伝えることができませんでしたが、なんとか自立してゆきました。

我が家は、夫がワーカホリックで自宅にいる事が少ないため、息子には「背中を見せる」教育しか実施できませんでした。また、夫は極端に息子とは距離を置いていましたが、自分自身がそのように育ったからだと思います。息子の自立はなかなか困難で、13歳の時から不登校を始め、紆余曲折の末、現在は自立できています。このように家庭では、必要性を感じても、ガイダンスやマニュアルがない限り、自分がされたようにしか子供を教育できません。7歳からは、父親が息子の教育を担当するというのは、現代日本の父親不在の家庭が多い中では、とても重要な啓蒙になると思います。「この本を早く知っていたら良かったのに」と、思いました。

20年近く前に聞いたアメリカの友人の話ですが、娘さんがまだ小学校1年生くらいの時に、男女の性の営みそのものを教わってきたそうです。その娘さんが毎晩トイレに行く度に、両親の部屋のドアを開けて、性行為を行なっているかを確かめてゆくので、「ドアはいつも開け放しにしている」と苦笑していました。私自身が受けた教育は、学校で特別な時間に教室に集まって、暗くした部屋で内生殖器のスライドを見せられて、受精や妊娠の仕組みを教わった程度と記憶しています。小さな子供たちには、「自然の中での昆虫の営みから教えてゆく」というのは、なんと自然ですばらしい事かと思います。

マヤの性を教える女性神官の制度も、とてもよくできたものだと思います。私自身マヤに生まれていたら、その職に志願したかというと、そうしたかもしれません。非常に重要な職業だと思うからです。けれど、私が今、そう思えるのは、マヤの偉大な宇宙観や叡智を学んでいるからこそそう思えるのであって、現在の日本の社会一般では、その存在は、奇異の目で見られるのではないかと危惧します。

イン・ラケ’ッチ!のマヤ語に集約されるように、「私達は繋がっていて、宇宙そのものである」という意識が行き渡ってはじめて、成熟した社会と言えるのではないかと思います。石、家、コンピューター、植物、全てにスピリットが宿り、銀河の運行と、地球、人間、原子の状態まで、あますところなく熟知していたマヤの人々は、大変に洗練された意識の持ち主であったと思われます。私もつい最近までは、メジャーばかりでこの世界を測っていました。そうではない、ふくよかな世界がある事を、今思い出しつつあります。「性教育」という観点で、現在の子供たちの置かれている立場を考えると、本当に可愛そうな限りです。その意味からも、早くこのマヤの宇宙観が、一般にコンセンシャスを得られるようになればよいと願います。でも今、その時が来ていると思います。



現在の日本の性教育がいかに遅れているのかがよくわかりました。おそらく日本だけでなく、近代国家と呼ばれている国の多くが同じ状況でしょう。日本文化では「性」は公に口にすることはタブーですし、マスコミをはじめとして性を取り上げたものは興味本位であり、性の神聖さからはかけ離れています。また、キリスト教圏では性を原罪としています。

マヤの性教育のすべてを同じように行うのは現代では無理がありますし、誤った解釈が持ち込まれてしまう恐れがあると思います。性教育以前に、グレート・スピリットを感じ、すべての生命体を愛することを実践できる人類になるための教育が必要だと感じました。



マヤの性教育は、現代の性教育とは全く別ものといえる。私達があり、地域があり、国があり、地球があり、太陽があり、宇宙があることを感じることができる。私たちもまた、宇宙、惑星、季節、時間、太陽、そして男女が100%一致したときに創造された存在なのである。性行為は、五感をフルに活動し、チャクラも開き、そうしないと成立しないものだと改めて感じた。私たちは宇宙そのものであり、愛に満ちた存在であることを認識し、丁寧に生きなければならない。生まれながらに、ただ存在するだけで、愛の塊なのだ。思いださなければならない。私たちは、ここに存在するだけで宇宙、太陽、季節、時間、肉体的な両親、全てが創造した存在なのである!



マヤの性教育の本は、とても素晴らしかったです。最近、母と私は、性に対してのきちんとした教えが必要なことに気がつき、本を注文させて頂きました。親子とも、宇宙的な性教育は、受けたことが無かったため、性と宇宙のつながりの知識は全くなくただただ、タブーなものとしてとらえておりました。性はタブーなもの、汚いものという概念を植え込まれておりましたので、本当に苦しかったです。この本により、真理に触れることができて、解き放たれました。



マヤの深遠なる叡智に感動いたしました。性は、非常に個人的で最後の砦くらいに思っていました。性すらもオープンであり、みんなで分かち合う事ができるのだと解りました。しかし、その次元まで行くには、過去の記憶の垢のようなものを浄化する必要があり、今、その浄化の作業をしているのだと感じます。スピリットに蓋なく、何処までもオープンであり、それがフナブ・ク’の記憶とつながるのだと思います。性は、男女の二元性であり、ムーブメントとメジャーを表現します。すべてが二元性であり、あるがままなのだと思います。自然と共にあり、動物でもある人に生まれてきた意味を理解し、他の動植物の代弁者として、ムーブメントとメジャーを表現し、地球を宇宙を一元性に戻したいと思います。



私は多分、ものすごく少しだけ、性にかかわるトラウマや嫌悪感が、人より強いんじゃないかという思い出があります。ナガク’奥義学校に性教育があると聞いて、絶対にそこでつまずくと分かっていたので、「どうにかして回避して次に進めないだろうか」とか、「お話する時にお二人に良い顔して色々嘘をついてしまうだろう」とか、無駄にネガティブな気持ちが沢山ありました。が、そろそろそんなモヤモヤした気持ちも手放したいし、何かの転機になるかもしれないと、読んでみようかと手にとりました。

初め読んだ時、性のポジティブな感覚や視点を知り、今までの自分の感覚や、どうしても心から赦せない人の事や、頭の中のイメージがガンガンと湧いてきてしまって、数日気持ちが悪くなったり、モヤモヤしたり・・・。じゃあ、「性を一所で開放的にしてるけど、平気で嘘をつく快楽主義な人たちと、神聖な性はどちらも開放的だけど、どう違うんだ?」とか、すごく悩んでしまって、こんがらがって、大変苦悩しました。が、私が今まで触れてきた性というものすべての根底に、「ネガティブな性の風呂敷」が敷いてあるという事が、なんとなーく理解できた時に、ちょっと整理がついてきました。「ホントにホントに根本が違うんだ!」と。

そしてちょっと事件があったのですが、今回読んだ事がすごく力になって過去の事が清算され、一つ、にがにがしい思いが消えて行きました。そして今日、もう一度読んでみました。すると、本当にマヤの性に対する神聖で、美しく、清々しいものと、今まで知っている性というものの違いが顕著で、「今までこんなに宝の持ち腐れをしていたのかっ!」と、「ちょっともったいない事をしたな」と思ってしまいました・・・。

本当に人間は宇宙の一部であると感じます。「自然とすべてと自分達は一体であるという事を、忘れさせようという動きはなんなんだろうかなー」と思ってしまいます。「性の営みも、体の中の流れやリズムもすべて意味があって、フナブ・ク’から頂いている素敵なプレゼントなんだなー」と、もっと楽しめそうな気がしています。



私が思ったことは、マヤの人々は性についても神様から授かった知恵を持っていて、実践していたんだなぁということです。現代の私達はそう言うことを思い出せずに、本当に情けない状態ですね。健康な赤ちゃんをつくる方法を思い出せないんですから。で、もう、大人はしょうがないとしても、これから命を育んでいく可能性のある子ども達に本当の性のあり方を教えていけたらいいなぁと思います。



性の話が、人間の進化にさかのぼり、人間が固体以前であった進化の第一、第二段階について説かれていく・・・。かつて人間は「記憶」であった。マヤには五感の他に三つの感覚があって、そのひとつが「記憶」である。地球とほぼ同じ年代を生きて来た人間の「記憶」。「記憶」は見たり触れたりできないもの。太陽から与えられるエネルギーも「記憶」・・・。こうしてテキストの「記憶」を抜粋していくと、今まであった自分の中の「記憶」という言葉の語感が溶解し、なにか深い大きなものとつながった感じがしてくるから不思議です。このテキストは、私がいつもしている読書とはまったく違う運動に私を導いている。不思議です。

「とうもろこしが男女の性別をつくり、蛇の血によって性別が分けられた」。まだ私にはどういうことか判らない、思い出せませんが、人間がボディを持ち、スピリットとの聖なる二元性を得た段階で、男女の二元性も現れた。その進化を伝えている美しい詩のような言葉ですね。パクラム=性行為=「永遠に属する唯一の深遠なギフト」。こんなに人間をまるごと包んで肯定してくれる言葉を知りません。生きる勇気が湧いてきます。



性教育について少し抵抗がありました。「マヤの性教育」を読む前は、「学びたいと思っているマヤでも、性教育を学ばなければならないのか・・・」というのが本心でした。読み始めても、ハウ・ク’ーレルやハウ・キ’ンの存在に違和感?を感じました。しかし、「性が自然や宇宙との関係に影響を及ぼす」と知り、すばらしい事なのだと認識しました。感じた違和感は、早めに手放したいと思います。我が家には、小、中学生の子供が居ります。マヤの性教育を伝えたいと思います。



アトランティスやレムリアも含めて、古代の教えは、いろいろな文明で共通していることを改めて感じました。そしてマヤの人たちが、知識としてだけでなく、それを人生や社会の基盤として実践して来られたことで、エネルギー的にも古代の教えが現存していることに感謝したいと思います。マヤの性教育を一部でも取り入れることができたら、私たちの社会はどれほど啓発されるだろうと推察します。



私は、娘(7歳)に、常に、虫の交尾シーンを見せていました。 虫を通して、生きるということを教えていました。 周りからは、「もう性教育」とあきれられていましたが、 これでよかったんですよね。 安心いたしました。



古代マヤの性教育は子供達をジャングルに連れて行って昆虫などの性表現を静かに観察するのですね。 神秘的ですね。私も先日、トンボが交尾している所を発見しました。魅入ってしまいましたよ。



この書は、現代の性のあり方についてまざまざと向き合い 、自分の深い記憶へと語りかけ、 私の中で現実的にものすごく役にたった専門書です。特に長老の「マヤの性教育」に関する質疑応答が一番リアルに役立ちました。一文一文を瞑想するように読むとたくさんのインスピレーションが降りてきて 、何度読んでも楽しいです。中に書かれていた「マヤの数秘術」をもっと学びたいと思いました。