教材(書籍・DVD)

  深遠教材  マヤン・ノリッジ vol.1


   長老フンバツ師が書き著した原稿の日本語訳を集めたもので、
   マヤの教えのさらに深い部分をお伝えする書です。

   叡智にあふれた宇宙的な時間を集約したマヤ・カレンダーや偉大なるピラミッド、
   深遠な精神性を語り継いだ先住民の真髄に触れることができます。

     内容  A4、21ページ

  •  命を与えるフナブ・ク’よ
  •  フナブ・ク’のヴィジョン
  •  コズミック・ブラザー・ツリー
  •  シュヌキ’ンの予言
  •  カ’ルトゥンの聖なる古文書
  •  マヤの宇宙的カレンダーとエッセンス、スピリットとのコネクション


    購入条件: 実践教材の「イン・ラケ’ッチ!」、「マヤ・カレンダー step1&2」、
             ならびに「マヤの性教育」の感想文を提出していること。

    価格: ¥2,000 + 送料


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 読者ご感想

* 最新のご感想には、「!!! NEW !!!」がついています。


「!!! NEW !!!」

先週末にこの教材が届いた時、早く読みたくて仕方ありませんでした。でも土日は仕事が入っていましたので、ゆっくり集中してフナブ・ク’の次元に入り、集中できる今日まで開けるのを待つことにし、そして今日を心待ちにして読みました。ですが最初は、参加を迷っている儀式ワークのことが頭から離れなくて、目は文字を追っているのに頭では儀式ワークのことを考えてしまい、つい上の空になってしまっている自分に気付いては戻り、気づいては戻りを繰り返してしまいました。あれだけ楽しみに手にし、きちんと祈りの言葉を声にしたのに、全く頭の中には何も残りませんでした。儀式ワークはとても大切に思えました。それはきっと、この教材からもそれが感じられたので、ついつい儀式ワークのことを考えてしまったのだと思います。気持ちを改めるためにも風呂に入り、儀式ワークの日に「仕事を代わってもらえるかを聞いてみよう」ということで気持ちが固まりました。必要なら代わってくれる人が現れる。行動を起こし、結果は自然に委ねようと思えたことで、大分スッキリしました。

改めて、本日2回目を読み始めました。1回目にこんなこと書いてあったけ?と思うほど、良く内容が頭に入ってきました。ですが、全てを読み終わると、とても眠くなり、感想を書く前に昼寝をしてしまいました。昼寝から目がさめるともう一度改めて目を通したくなり、本日3回目。結果、この感想文を書くまでに、3回読むことが必要でした。ですが、3回読んでよかったと思います。そして、「マヤの儀式センターを訪れて、自分の目でその建物を見て、感じたい」と強く思いました。

毎度のことながら、心に深く感じるものがとてもあるのですが、それを言葉にしようとすると、とてもありきたりな言葉しか思い浮かばず、どの表現も何だか言葉足らずに思えて、歯がゆい思いになります。自分の使命も、強く感じられてきました。私も、聖なるマヤ・カレンダーに従って人生を調整しながら、母なる地球のエッセンスとスピリットと調和しながら生きてゆけるのを嬉しく思います。明日への意識、自分の人生への意識が、一段と深く強くなりました。


「!!! NEW !!!」

この教材を読むと眠くなり、一度には読めない・・・ということがしばらく続きましたが、深遠クラスを受講してからは、そういうこともなくなりました。ここに書かれていることは「よくわかっていること」だから、感想を書きにくいとも思っていたように感じます。読んだ後、「言っていることはよくわかっているよ」という感想を持ってしまうのです。自分の身の回りからも、着々と緑は消えている。日本はいつこんなに人口が増えたのか?と疑うほど、家やマンションが建てられる。野生動物は姿を消している。反してペットブーム。木を敬慕する。木から学ぶ。これ以上の森林破壊は、地球の滅亡へと繋がっている・・・。それは全てわかっている。わかっているけど、どうしたらいいのか、そうならないためにも自分にできることは何なのか、なんとかしたい、でもどうしたらいいかわからない、だからこそその答えを求めてここへとやってきたのではないか!そんな怒りにも似た思いが、自分の中にあったのだと思います。でもそうした焦りは、深遠クラスの受講と共に消えてなくなりました。

「私にできることはなにか」。その答えを求めて私はここへきた。それは、間違っていない。そして、唯一の答えを見つけ、もうすでに実践している。深遠クラスを受講し、改めて教材を読み返してみると、ここにもしっかりとそれは書いてある。「私たちは自身の最も深い部分に植え付けているこの情報を知覚し、そして取り戻すために、無意識とともにワークを行っています。そうすることでのみ、超古代の情報が、再び私たちの表面意識に上がってきます」。私は、絶望的に感じていました。世の中の 無知、無頓着に、怒りも持っていました。そのことが、改めて本誌を読むことにより、自覚することができてとても良かったと思います。自分は何もできない。できやしない。そういった自虐的個人のミクロな破壊が、マクロな状況を創りだすことを学び、心に刻みました。改めて読み返すとそれは、絶望的な書ではなくて、自分にもできる唯一のことが、力強く書かれているものでした。

「生きるという単純な事実で、私達は太陽の記憶を持つ。年間を通じて日々繰り返される食事という行為で、私達は太陽の記憶を持つエネルギーを耐えず摂取している」。だから、一回一回の食事、その準備、材料選びを丁寧に大切にすること。太陽瞑想や様々な儀式ワークにより、自分の最も深い部分に植え付けられている超古代の情報、知識を、表面意識に上がらせ知覚すること。クラスでも、「今すぐ、あと何年後かに、急に事態が動き変わるということではない」と教わりました。けれど、私にできることを、着実に忠実に行えば、「マヤは死に絶えることはないのだ」と、シュヌキ’ンの予言にもある。「全ての災いは、マヤが骨を得て、それを肉で覆い、その中に太陽の血を注ぐ時に過ぎ去るだろう」。そしてきっと、シュヌキ’ンは戻ってくる。どのくらいの年月になるかはわからないけど、その日が来ることを信じて、一人ひとりが、今できることをしよう。本誌も、読み手の気持ち、理解が深まることで、絶望の書から、勇気と希望の一歩を与えてくれる書に見事に変化しました。



本誌の全体に流れる美しい波動に、私はまず感動する。まるでマヤの聖地でフンバツさんの話を聞いているときのような、親しみやすく心地よい美しさ。軽い波動でありながら深く心に響いてくる、何とも表現しがたい感慨がある。それは多分、その波動が遺伝子の記憶に触れてくるからなのだろう。私たちの奥深くに眠る、超古代の魂の記憶に。

その記憶の中には、現代に生きる私たちが忘れてしまった人間本来の在り方が明確に刻まれている。万物への尊重に基づく、万物と調和する美しい在り方。この尊重無くして、調和は実現し得ない。すべての存在を等しく尊重することで、知恵を授かることができるということを、マヤは教えてくれている。

本誌のマヤの農業についての項を読むと、何という豊かさであろうかと思う。人間のエゴの一方通行ではなく、母なる大地への尊重に基づく相互のやり取りがあってこそ、実現し得る豊かさである。その相互のやり取りには、物言わぬ母の応えを注意深く受け取り、感謝できる感性が不可欠であり、それこそが母なる大地に生きる人間としての真っ当な在り方であろう。

尊重の重要性は、目に見えないスピリットやエッセンスに対しても同様で、例えば、自身のスピリットとボディ、その両方を尊重し労ることで、神フナブ・ク’もまた幸せになれるという記述にも感動する。スピリットはもちろん、長年劣等感の種であったボディでさえも、そこには壮大な宇宙が表現されており、大変に神聖なものであることがわかると、あらゆる創造物すべてが尊いことがようやく腑に落ち、心底癒されるのである。

宇宙の法則がすべてを貫いているという当たり前のことですら、私たち現代人は忘れている。踊りとは本来、宇宙の法則とリズミカルに調和する術であると知ることは、コズミック・ダンスの再現を含んでいる儀式ワークが、なぜそれほどまでに重要であるのかを理解する助けとなるだろう。マヤの洗練された文化は踊りのみならず、先に述べた農業も含め、社会システムに至るまで、すべてが宇宙の法則と調和していたことが、本誌を読むとよくわかる。マヤの社会システムはエゴ的な感情など入る余地のない、純粋に秩序立った数学や二元性に基づいていて、健全に機能していたことが窺える。そうした純粋な数学や二元性には科学的な美しさを感じるが、それはきっと、超古代の科学は愛と調和から生じたものであり、洗練されたアートとも呼ぶべきものであったからではないだろうか。

マヤが伝える宇宙的叡智は、様々な物事の真実を理解するのに役立つ。本誌にも、そうした叡智が山ほど盛り込まれている。父なる太陽への敬愛、スピリットが太陽エネルギーの一部であること、呼吸と太陽の息吹について、兄弟なる木の存在と働きなど、心に触れるものばかりである。また、7と太陽−プレアデス−チャクラのつながりを知ることで、日々の太陽瞑想でもそのつながりをより意識することができ、7と性との関連を知ることで、生命の偉大さや創造の力を理解することにもつながっていく。性は心+生、つまりハートとボディによって理解していくものなのだろう。

ハートを通じての理解。これはマヤの宇宙的叡智を理解するための、唯一のプロセスではないだろうか。そもそもマヤを頭で理解することなど、到底不可能なのだから。ハートにスッと響いてくる美しい波動に乗って、マヤの叡智は運ばれてくる。それはハートからじんわりと全身に行き渡る、とても優しい光である。その柔らかな光が遺伝子の一つひとつに染み込んでいくと、遺伝子は眠りから目覚め、喜びに躍動する。そうして内なる力を取り戻した私は確信を持って、父なる太陽に向かう道を歩み始める。この現代社会で真に幸せに生きるための唯一の道、「意識的に生きる」という光の道を。



全体を通して特に印象に残っているのは、「病」と「風」というキーワードでした。どちらも目に見えない、スピリットに属するムーブメントだと思いました。見えない領域に確かにある動きが、この現実に深く関連していることを強く感じました。

無知になってしまうと、人間はどんなに知恵を絞っても「幸福を容易に実現させる二元性」にたどり着くのは困難なようです。マヤが観察を基礎に創造した社会とは、シンプルであると同時に、細部においても完璧な組織。この宇宙の再現、表現としての楽しいコズミック・ダンスの振る舞いなのだなと思いました。その秩序は、それだけで幸福なのですね。「無知になる」のは、不自然な振る舞いから起こるのだと思いました。

植物にその役割を尋ねるように、互いの声を聞く、自然の声を聞くということ。そういった態度によって、見えないけれど本当は存在しているつながりを思い出し、「自然を観察する」ことができるのだと思いました。沢山の宇宙的な叡智は、本当はすぐそばに存在している。太陽から降り注がれている。それは地球の自然そのものだと思います。

それから、「まず全ての生命体を愛す」ためには、この次元で、そのボディに巡り会うことが必要だと感じました。「愛す私」や「行う私」はすぐに想像できるけれど、想像だけでは二元性において不十分だと思うからです。そのボディは、きっと準備ができればどのような場所にも現れるのでしょう。それに、目に見えないものに会える場所もあるのではないかと感じています。

「私が行うこと、感じることは、自然や他人に影響を及ぼす」ということについては、自然とのつながりを思い出すことができれば、より具体的に感じることができるようになるのだろうと思います。私たちは自分に対してさえも、すぐに敬意を忘れてしまいます。一つ一つ丁寧に取り組むという自然の振る舞いのことを、もっと深く思い出してゆきたいです。そして自分の身体についても、もっと勉強したいと思いました。



マントラ「キ’ン」を唱える太陽瞑想が馴染んできて、毎朝の太陽との対面が、太陽と私というつながりが、何より重要なことだと心の奥底から感じています。長老フンバツ・メンが、伯父ドン・ベトに連れられて早朝の森を歩いて学んだように、私は太陽の光、水、火、風、土を感じとります。「エッセンスが先に到着する。ボディは後からやってくる」。なんと美しいメッセージでしょう!私はフンバツ・メンやドン・ベトと共に、マンゴの香りを胸に吸い込みました。本書にはあまりに多くの深い内容があり、まだ私は一端に触れただけですが、とても豊かな気持ちでいます。すごいですね、宇宙的教育って・・・。



正直最初に手にした時、「ページ数も少ないからあっという間に読めてしまうな・・・、もっと読みごたえが欲しいが・・・」と思ってました。その考えは読み初めてすぐに打ち消されました。読み直す度に、「このページ数でよかった・・・」と思う程に、毎回受け取るものが違い、1ページ読み進むのに凄い時間がかかる感覚になるのです。何故『感覚』と言うのかと申しますと、実際はそんなに時間は経っていないのです。が、とても長く感じる・・・。それは面白くないからではなく、本の世界に入り込んでいるというよりか、読んでいる間、この話しをしている時のフンバツ・メンの横で、歩きながら、座りながら、草木に触れながら話しを聞いている感覚になり、長い時間と感じてしまうのです。そんなトリップ状態になるので、同じ箇所を読んでみても、前回はフンバツ・メンの顔を見ながら話しを聞いていたのが、今回は周りの景色を見ながら話しを聞いてる感じであったり、上の空でフラフラとしながら聞いてる感じだったりするので、見てる景色が違う=受け取るものが違う・・・、そんな不思議な感覚です。

何でもただの文字としてなら2〜3行はすぐ読めてしまいますが、箇所箇所によりフンバツ・メンの話し方がゆったりであったり、熱く語っていたり、話しがそれたり・・・、妄想と言われてしまえばそうなのですが、言葉として聞いていると表現したらよいのか・・・?毎回話しを聞きに行ってるから、たかだか2〜3行の話しですら長く、そして面白いのです。マヤの『言葉や活字は生きている』を、ここまで体感出来ているのも、それを当たり前に分かっているフンバツ・メンからの言葉を活字にしているから余計に、「活字達にスピリットが強く入っているのかな?」とも思いました。自分は文章だけでは頭に入りにくいく、読んでいる時は入っても身につくまで時間がかかるので、文章+話し(知識+経験)で、いつかマヤン・ノリッジのお話を直接聞いて、身に染みさせたいです。



これを読むのは大変で、まるで一週間かけていろいろな地球上の聖地を旅してきたようです。話されている感覚的な事柄を、文字や、具体的あるいは比喩的な表現から、感覚・感触に訳していく作業も大変でした。何度も疲れてしまってはやめて、というのを繰り返していましたが、今日初めて最初から最後まで通して読みました。それはまさに旅をして来たような感覚でした。

読んでいる間、「3次元的な肉体」と「多次元的な感覚」についてずっと考えていました。先日、 ヘオバ・イニシエーション・ワーク を受けてから、これはずっと頭の中に有りました。本を開いた初めのうち、私は「肉体」が「感覚」に対して与える制限がとても気になっていしまい、上に書いたように感覚を文字や形にしなければならないことをとても疎ましく思いました。そのあと、読み進めていく間、私の心はコロコロと変化していきました。特に「ブラザー・ツリー」についての項では、私はとても感動していました。「肉体」と「感覚」というキーワードを「動物」と「植物」というキーワードに代えてみたりしました。ボディとスピリットのように、木と人も対をなす関係のような気がしました。今まで、いつでも私たちに優しくしてくれる植物を、とても慈悲深い観音様のような感覚で見ていましたが、「ブラザー」のような愛おしい身近な存在に感じました。

私は地球が好きです。この地球の「肉体」のような要素は、とても大きなものだと思います。それは物理的制限を与えるけれども、その制限自体がとても美しいのだと思います。例えば、重力という制限があるために、美しい滝は流れます。肉体そのものも、それは本当に美しいと思います。私は「肉体」の要素を、実はとても愛しているのだと気がつきました。これは不思議なことに、あの日イニシエーション・ワークを受けてから最近までの、考え方の変化でもありました。私は折角望んで「肉体」を頂いたのだから、ここから見える景色や音や感触や、美しい3次元の様々のことを沢山記憶していこうと、強く思ったのでした。いろいろな現象や時間や物事は、フラクタルのように大きさを変えて折り重なっているのですね。少しずつ読むのとは違って、全体を通して読むことで、それはひとつの体験になりました。



神フナブ・ク’が全てであり、完全なる一元性であり、ムーブメントとメジャーの二元性を与える唯一の存在であることがよく解りました。ということは、この世に五感を使って感じるものは、すべて二元性を現しており、フナブ・ク’の記憶に入ることによって一元性を思い出すのだと思います。3次元の宇宙の二元性を理解し、ポジティブなものもネガティブなもの内包している全てのものを愛し、敬うことこそ平和への道であると思います。そして、イン・ラケ’ッチ!になることが、究極であり一元性を表現していることを理解しました。

儀式が重要であり、儀式をする事でしか思い出す事ができないのだと思います。儀式はメジャーとムーブメントが一致させることが可能です。ネガティブな予言は、現在に苦言を呈する予言のまま終らせるのであり、未来は今のポジティブな儀式によって創造するのです。イン・ラケ’ッチな世界を創造するために、この世に生まれてきた太陽の子としての自覚を持って生きていきます。



現代に欠けている「スピリットの教育」があったら、これからどんな世界になるだろうと思いながら読みました。考え始めたりすると、偉大すぎてわからなくなることがあります。その時は、宇宙や神、太陽などを意識して、そしてゆだねるよう心がけています。宇宙や自然と同調すれば、おのずと気付きが与えられると感じています。

マヤのような性の教育がきちんと行われたら、もっと健全な社会になるでしょうね。命の大事さ、神聖さに人々が気付いたなら、現代のような性の乱れは起こらないはずです。また医療でも、精神変化と宇宙エネルギーの関わりや、植物の使い方など、とても神聖で感銘を受けます。

これまでスピリットの理解がほとんどなかったため、バランスが欠けています。これからの光の時代にマヤの知恵が必要とされるというのは、本当に大切なメッセージです。



今回はとても新鮮に感じた。やはり何度読んでも、新しい発見がある。素晴らしい気づきのメッセージがもたらされる。今回一番心を動かされたのは、シュヌキ’ンの予言についての解説だ。何度も読んだことがあるはずなのに、こんなに反応してしまうのはなぜなのか?!不思議に感じながらも、今までにはなかった「すっと腑に落ちる」感覚がある。そうだ!私達は、父の光によってここに生きている。何でもできる気がした。

様々なビジョンが浮かんできた。それはとても立体的で、私は穏やかで、嫋やかで、平和な光の世界にトリップしたような感覚さえあった。ただ木々と共にあり、ただ風を感じ、鳥の歌声に神の声を聞く。父なる太陽と共に・・・。私達は、太陽の子。太陽の光によってこの肉体が現れる。常に父なる太陽と共にある。常に幸せであるのだ。忘れてはならない。私達は、光の子。私達はフナブ・ク’とも、常に共にあるのだ。



植物はとても繊細な感受性を持っていると思います。屋内の植物や庭の木々は、家の住人の眼差しと感情をとても鋭敏に反映している事を感じていました。野生の植物は力強そうですが、やはり地球上の人間の想念の影響を受けて病気になっているのだと、書籍より感じました。地球に属する植物が危機にさらされているのは、環境問題もさることながら、人間のネガティブな想念にさらされている事が原因だと思いました。植物も、オーラのような目に見えないエッセンスの部分が先に病んで、その後、目に見える葉や幹が枯れてくるのですね。

物質文明が究極を極めようとしている現代において、長老シュヌキ’ンの予言は、真に迫ったものがあります。巷には、いわゆる「アセンション本」が氾濫し、様々な憶測が飛び交っていますが、一人でも多くの世界の人々が、このマヤン・ノリッジ(マヤの知識)を正しく理解し、聖地での儀式を体験する事によって、調和のとれた生活を取り戻す事ができたらと思いました。

私自身は、長年家庭問題で苦しんでいましたが、たった1週間で私が激変して、迷いが消えました。マヤの叡智に触れさせて頂き、狭い考え方から脱却できたせいだと思います。



「全ての生命体は地球の心にある大小のサイクルにリズムを合わせ、調和を保って動いている」。このことを子どもの頃から世界中の小学校や幼稚園、家族から聞かされて育っていたら、世の中はどうなっているでしょうか?きっと今とは価値観の違う世の中になっていたでしょう。

また、性別や年齢にとらわれず、皆均しく、尊重されて、コミュニティに参画できる世の中であったら、人はどのように生きるでしょうか?たぶん、自分の存在にゆるぎない誇りを持ち、その言動に責任を持ちながら、積極的に生きるのではないでしょうか。広大な土地で暮らしていたマヤの民が、約500年前までそのような教えを伝え、コミュニティを維持していた事に、私は驚嘆しました。

「52歳になると全員が長老とみなされ、人類に対する新たな責任を請け負う」ことが社会の常識になっていれば、人生の様々な経験は全て身(実)になり、死ぬまで成長し続ける人生は、年を経ることが楽しくて、意義深いものになるではないでしょうか。今は、退職したらどう生きようかと悩んだり、一部では老人になったら厄介者的な扱いもあったりして、とても悲しい世の中です。本人も悲しいし、そういう文化の中で子どもや若者が成長していくと、年を経ることが怖くなるのは当たり前だと思います。4つの進化を経て、いずれフナブ・ク’のもとに帰ることを知っていたら、どんなに充実した人生を送ろうとするでしょう。

私達はとほうもなく大きい輪の道程を、たくさんの螺旋の道とともに歩んでいます。この長ーい長ーい道の上を歩んでいることを知れは、自然と「謙虚さ、尊重、知恵を持つこと」という姿勢が生まれてくると思います。これらは、現存する先住民に共通する姿勢ではないかと思います。昔の方達は知っていたのですね。今、私達はこれらの知恵を思い出し、実践し、未来へとつなげていかなければなりません。



マヤでは、踊り・政治・演劇・建築・言葉・医学など、全てが宇宙と調和していることに本当に感動致しました。宇宙に生を受けていながら、宇宙に生かされていることを、普段すっかり忘れてしまいがちです。私は、この本を読むことで、宇宙を意識できるようになりました。これからは、意識的に宇宙と調和できるようにしてまいります。



マヤの叡智は、存在する全てにとって、呼吸のようにあたりまえのようであるかのようですが、現代社会では全く異なった価値観でのシステムが主流となっています。心の目、魂の目での言葉や目線での社会や文化のシステムがどんどんと身近になればと思います。

平和だった場所にイガイガするもの(スペイン人)が侵入し、混乱に陥れていったそんな背景が、一時的な分離の体験と、また調和へ戻る時が世界的に訪れているのだなと思いました。マヤにある歴史が世界の縮図ともとれるようなドラマを垣間見たような気がしました。人類の根底に流れる生命の祝福を呼び起こすものだと思います。



マヤン・ノリッジ vol.1、すばらしい本をありがとうございます。美しいです。ハートがふるえます。植物のスピリットのところではあまりの美しさに何度読んでも涙してしまいます。本当になんと申したらよいか・・・。



本誌によって、春分にマヤの聖地を訪れる真の意図がわかってきました。魂の里帰りにより、思い出すべき深い記憶を取り戻したいと思います。より実りある旅にするためにも、教材を読み返したり、太陽瞑想で浄化したり、波長を合わせるべく準備していきます。