教材(書籍・DVD)

 実践教材  イン・ラケ’ッチ! 


  マヤの教えである「宇宙的教育」を知る上では欠かせない、
  基本的な部分を中心にご紹介する口伝の書です。
  本誌を通じて、古来より受け継がれてきたマヤの教えに興味を持って、
  さらに深い奥義に触れるきっかけになっていただけたら幸いです。

  内容 (A4、 19ページ)

  • 神フナブ・ク’
  • スピリチュアル・ワーク
  • イン・ラケ’ッチ!とアルーシュ
  • E.T.とコズミック・ワーク
  • 「G」「T」「O」のシンボル
  • 社会システム
  • 時間


  価格: ¥1,500 + 送料

  お申し込み: 不要(必須教材として入学時の前金よりお支払いいただき、即日お送りいたします)








読者ご感想

* 最新のご感想には、「!!! NEW !!!」がついています。


!!! NEW !!!

「イン・ラケ’ッチ!」。この言葉を知ってから、たまに挨拶として使うようになりました。面白いのは、この言葉を聞いて下さった人も真似をして挨拶をするようになること。そして、この言葉の意味を解説すると喜んで頂けること。みなさん理屈じゃ無いところで理解出来るんですね。その様子に出会うたびに、マヤ先住民が言っている「思い出す」喜びに感動します。「教える、教わる」の関係から、自らの内にある記憶を「思い出す」。それは、私達がフナブ・ク’の記憶の中にあるから出来ること。まさに日常の中で、このことを体感しています。

マヤ先住民の教えは、西洋思想の二元分離論と違って、どこまで行っても二元一体論。この小冊子を読むにつれ、いかに私達が知らずのうちに西洋思考に囚われているのかに気付かされます。しかし、そこから抜け出す方法をすでに知っているのが私達一人ひとりでもある。自然に目を向け、宇宙に目を向け、時間という感覚に意識を向けることで、いつもフナブ・ク’の中で大いなる叡智、愛に包まれていることに気づけるとして、マヤ先住民の教えは理屈抜きで心に浸透し、魂の輝きを思い出させて下さいます。こうした教えを聖地で思い出すためのワークも西洋思想的に分離した何かを取り戻すのではなく、自分の中にあるものを、叡智に触れて「思い出す」ことを重要視する姿勢は、常に私達は自然や宇宙や祖先から分離しているのではなく、自分自身の中に記憶として受け継がれていることを大切にしているように感じます。ここでも、西洋的な思考に囚われていたことに気付かされます。

この小冊子に書かれていることを日々意識して、そしてそこから学んだことを子供に伝えていけたらどんなに次の世代が喜びに満ち溢れてくるのか、それを考えただけで、もっと学び、そして、子達に語って生きたいと楽しみがあふれ出します。


!!! NEW !!!

この書をいただいてから、何度も読み返しましたが、マヤの教えは、なかなか消化できないことばかりです。実際にマヤの地を訪れ、自分で見て聞いて、感じたいと切に思いました。「人間のボディは宇宙を表現し、また人間のスピリットは宇宙のエッセンスから送られてきたもの」など、一つ一つがマヤの深遠な教えであると感じます。現代文明の中にどっぷりと浸かっている私ですが、マヤの宇宙的教えを理解し、宇宙のためになる責任を果たすことができるようになりたいと思います。

時間についての概念はとても興味深く感じました。「現代人は時間を理解していない」。「周期が26,000年のプレアデス星団の時間」・・・。この地球に肉体を持って生きながら、プレアデス星団の時間を生きるとは、どんなことなのでしょう。私たちは、すべてオートメーション化された社会の中で便利な生活を営んでいますが、常に時間に追われ、時間の奴隷となって、本来の自分を見失い、地球を破壊する行為に知らず知らずのうちに加担してしまっているのではないでしょうか。お金のように、時間もまた、一部の人々が私たちを支配するツールであるかもしれない・・・と気が付いたとき、休日の子どもたちとの過ごし方に注意を向けてみました。やるべきことは朝のうちに済ませて、子どもと私の心に気持ちをむけて、決して無理をせず今を楽しむ。一緒に楽器をひいてみたり、パンを焼いてみたり、疲れたら休んで・・・というように。いつもと同じ空間にいながら、豊かな時間が流れていました。長年、焦ってイライラしながら、子どもを叱りつつ家事をし、子どもたちを育ててきたことを深く反省しつつ、マヤの人々はどんな時間を過ごしていたのだろうと、もっと学んでいきたいと思いました。



表紙はとても美しく、手にとっただけで嬉しくなります。最初に書かれている私たちの間違い「知識に対する尊重」は、全く考えていなかったことなので反省しました。それは、人間側から見た考えでしかなかったことに気付きました。フナブ・ク’との二元性を自分の中に取り戻していきたいと思いました。ここに書かれていることのほとんどに、「そうだそうだ」という思いが湧き上がってきます。特に「兄弟姉妹である動物たちに対する大きな責任、教育を変えること」。この部分には揺るぎない決心が生まれました。面白かったのは、太っている人、痩せている人、背の高い人、低い人・・などの人間の特質が、宇宙の様々な惑星や星星の要素と関わりがあるという部分です。自分がどの星と深い関わりがあるのか、コズミック・ワークをやってみたいと思いました。

マヤの社会システムは、私の理想とするところなのですが、残念ながら今のままで世の中がそのようになっても、上手くは機能しないと思っています。企業でも政治でも、女性が随分進出するようになってきていますが、その精神的準備がまだ整っていない女性もまだまだ多いと感じています。女性に限らず男性も、自分の中に女性性と男性性がどちらも存在しており、そのバランスを上手に保つことを思い出すのが必要だと感じています。古代マヤのように、子供の頃からそのような教育を受けてバランス良く育っているからこそ、可能な社会システムなのだなと思います。理想です。近づけたいです。

この教材に書かれていることは、「わかるわかる、そうそう」という気持ちになります。最初読んだときは途中で眠くなり、意識がモウロウとしながら全てを読みましたが、最後の方は何も頭に入っていませんでした。2回目は「そうそう」という気持ちが湧いてきて、とても面白く読み進めていたのですが、また同じようなところで眠くなってしまったので今度は眠り、2日に渡って読むことにしました。すると、1回目に全く頭に入ってこなかった部分にも「そうそう、わかるわかる」という気持ちが湧いてきたことになんだか不思議な気がしました。誰にも教わっていないのに、そのような気持ちが沸き上がってくることに不思議を感じながら、心地よさも感じられます。



今まで気功をやったり、「これが奥伝だ」というヘルメス学の本を読んだりしても、魔術のシンボルや呪文を知っても、何故か映画の予告編の様な薄っぺらい感じを受け、本質を見せて貰っていない思いでいっぱいでした。今回読ませて頂いた本誌は、本当に畏れ多い内容でした。

私は密教や様々な行者の修行をして生きて来ました。自己中心のスピリチュアルではない、宇宙の本質の知恵に触れたい思いで道をずっとを求めて来ました。本誌との出会いは、私の人生を変えてくれそうです。本誌には宇宙の本質が書かれていると思います。インドより遥か昔、マヤが宇宙からゼロの概念を先に教えられ、それが世界中に広まり、様々な文化や宗教を作っていったのでしょう。易の「天は○くて地は□い」も、「スピリット○、ボディ◇」から来ていそうです。受け継がれてきたマヤの文化を通して、宇宙の法則について学べるとは何て幸福なのでしょう。本誌をきっかけに、マヤの暦を中心にシンボルや言語を学び、宇宙の知恵を学びたい!(思い出したい!)気持ちで、今胸がいっぱいです。



今回で二回目なのに、まるで初めて読むようでした。以前に読んだ時には、この書はマヤの叡智の「入門書」で、私はいずれ、もっと専門的な事を知りたいと思っていました。しかし今回読んでいて、ここには充分すぎるほど具体的な内容が書かれていると感じました。これにはとても驚きました。まるで魔法のように感じました。スピチュアル・ワークの具体的なやり方や、シンボル、宇宙、スピリットやE.T.に対する考え方、接し方など、とても専門的なことが書かれていて、とても入門というイメージには収まりませんでした。そして、フンバツさんの地球に対する愛と願いが伝わってきました。穏やかな口調の中に、とても力強い意志と使命を持たれていることを感じました。

フナブ・ク’の事を学ぶとき、常にそこには「感謝」と「尊重」というキーワードがあります。私は今までその二つの言葉に対して、とても社会的であり宗教的なイメージを持っていたようで、教材においてこの言葉を読むときに、これはマヤの教えや神話としての比喩なんだと解釈していました。しかし、本当の意味の「感謝」と「尊重」とはとても自然なことなのかもしれないと思うようになりました。体を清め、特別な服を着て、心を鎮め、厳かな気持ちで神に祈るのではなく、小鳥のように嬉しさいっぱいにハツラツと、でも勝手に出てきてしまうような歌声が、「感謝」と「尊重」なのではないかなと思いました。

マヤの世界では、聖なる二元性を常に意識していると感じました。この事は、もう何度も何度も教わりましたが、改めて想像するとそれはものすごいことだと思いました。生まれた子供たちが、みんなシャーマンになるような社会なのだと思いました。考え方はもちろん、対の彫刻やピラミッドなどを見ていると、単に意識しているというよりも、いつでも何をするでも二元性として捉えることができたのだろうと想像しました。そしてその関係性、バランスをとる事をあらゆる出来事の完成図として捉えて、そのビジョンを皆で共有できたのだと思います。

特に気になったのは人間の使命のことです。私は、自然を感じたくて、その中に溶け込んで自然を意識していると、自分が人間であることを忘れてしまうことがあります。そうすると、戦争や人の死、また、これから起こるかもしれない、太陽系とともに地球とその生物が死んでいくことを、自然の摂理として捉えてしまうことがあります。それでも、地球や太陽系をとても愛おしく感じています。生命を守るということはどういうことなのか、それは人間がやってもいいのか。宇宙の記憶を思い出したいです。

そして最後に、時間を学ぶこと。このことについて触れた時、あまり意味は理解できないのですが、どこか懐かしいような、とてももどかしいような感じになりました。本当はそれをもっと早くに思い出したかったような気がします。宇宙空間から地球を眺めているようなゆっくりと壮大な時間の帯を、私は地球にいてもずっと浴びていたのでしょうか・・・。早く思い出したいです。



今、この『イン・ラケ’ッチ!』を手にしている私たちは、真実の幸せな次元に入るための鍵を、既に手に入れている。もちろん実践することが欠かせないが、少なくとも、この教材を通してマヤの叡智に触れ、ひとたびその次元に足を踏み入れたなら、もう後戻りはできない。と言うより、誰が戻りたいと思うだろうか。薄っぺらな張りぼての世界で、不安定に生きていくことに。

超古代のマヤの叡智が時空間を越え、ナガク’奥義学校を通じて、今、日本にもたらされている奇跡。いや、綿密に計画された必然。「マヤの叡智が、再び訪れる光の時代に必要とされるであろう」という予言に則り、その貴重な叡智を世界に向けて発信するという大英断を下し、勇敢に実行して下さった長老に、また、文字通り命がけで護り伝えて下さった先人たちに、心の底から感謝が湧いてくる。彼らの祈りと願いによって、私は今、その叡智を純粋なままで受け取ることができているのだから。



膨大な内容であることに気づかされます。さらっと書いてありますが、どれもこれも奥義なのです。それを、やるかやらないか。古代の叡智では、知識として頭で理解することは何にも意味がないことです。実践がいかに大事で、やればやるほど深まります。本誌にはまるで、「次の実践項目はここだからね!」と言われてるかの如く、ハッとさせられます。

今回、深く突き刺さった言葉は「宇宙の責任」です。ここにいるだけで、誰もが宇宙に何らかの影響を与えています。もちろん宇宙からの影響も受けていますが、そのアンテナは全く磨かれずにいます。私達は、誰もが宇宙の一部分であり、交流しながら、調和しながら存在しなければならないのです。私達はもっと「自分」に目覚め、もっとそのパワーを知るべきです。あまりに他人任せになりすぎています。宇宙の一部分を担いましょう。宇宙の一部分である自分に還りましょう。



マヤから帰り、再び本誌を開いてみると、驚くほどリアルに感じられました。前はどこか夢物語のように感じていたのだと気がつきました。私にとっては、理想郷が書いてある美しい過去を懐かしむ本だったように感じます。何度も読み返しては、美しい世界を羨んでいただけだったように思います。しかし、マヤへの里帰りを終えた今は、教科書であり、未来図であり、指針であります。ぼんやりしていたものが線となり、モノクロに感じていたものが鮮やかな色を取り戻した、そんな感覚です。

私も風や雲と遊んでいました。「気持ち悪い子供」と言われ、そのようなことはタブーなのだと抑えていた幼い頃の記憶があります。だから、初めてこの本を読んだときは、「こんなこと活字にしていいのか?」という戸惑いと、「間違っていなかった!」という安心感が湧きました。非常に個人的な視点で、とても狭い狭い見識で読んでいたことに気づかされました。

実際に体験して、書いてある事実と結びつけると感動が大きくなりました。しっかり光の道を歩んでいるということを改めて実感いたします。経験するということ、実践するということがどれだけ尊いことか・・・。マヤの教えがとてもシンプルである理由もなんとなく解りました。

今、私が望んだ毎日を過ごしており、喜びに溢れております。父なる太陽からの光の一筋一筋に喜びを感じます。この一筋の光から、全てを学ぶことができるのではないか?と感じます。太陽の場所や光の強さや色が、季節や時間を教えてくれます。古代マヤの教育がどれだけ素晴らしく、美しく、秩序だった生活をしていたのかを強く感じます。先人が照らして下さった光を、ますます大きくしていきます。それが、後に生まれた者の役割だと感じるからです。「イン・ラケ’ッチ!」という指針を手に、光を歩みます。



はじめに「知識への尊重」とありました。「知識はフナブ・ク’から与えられるもので、全てはフナブ・ク’の記憶の中である」と。その言葉に感銘を受けました。ここには私も理解しきれていない「私が求めているもの」があるのではないかと、どんどんとマヤの知識に惹き込まれました。

当初は、マヤ・カレンダーを使用してみたいというきっかけだったのですが、読んで行くと全ての項目に衝撃と理想があり、カレンダーだけでなく、マヤの全てを理解したいと思うようになりました。一番の驚きと尊敬の念は、やはり「時間」についてです。星の動きを測る正確さや、時間に速度変化があると言うこと、プレアデス星団の周期を割りだしていることなど、宇宙と確かに繋がっていたのだと驚くばかりです。時間についての項目を読んでいる中で、昼と夜それぞれの4つの時間がどういうことかとても気になりました。

他の項目にも、読めば読む程、もっと詳しく、深く知りたいと思うことばかりでした。「とりあえず、教材を・・・」と思っているのですが、スピリ チュアル・ワークも体験してみたいという意志が沸々と沸き上って来ます。自分1人でも活用できないものかと、「キ’ ン」や「オル」や「イン・ラケ’ッチ!」とつぶやいたり・・・。

最近では、今のこの社会に、何とも言えぬ不自由さを感じています。生活の上では不自由は無いのですが、心の窮屈さを感じてしまいます。何かを考えては矛盾にぶつかります。私の今居る場所では、自然に大声で呼びかけたり、大木に疲れを癒してもらったりということが、簡単にできなくなってしまっています。「自分は『大人』になってしまったのだなぁ」と、子供の頃を懐かしむこともしばしばあります。 これから、この不自由さから解き放たれることを期待しつつ、マヤ文化を学んで行けたらと、新たな目標ができました。



0という数字の概念を生み出した民族であること、私たちの身体すらメジャーを表現していると言う事実。数字と人体には深い関係があると言うこと、昨今起きるいろいろな出来事などを通して、フナブ・ク’が私たちを創造するときに与えた「宇宙への責任」に意識を向けさせる為、「宇宙の記憶」を目覚めさせる為に起きていること、アルーシュの存在などなど・・・。どれも本当は記憶の彼方に隠されてしまったものなのでしょうか・・・。でも不思議と反発を覚える記述は無く、「かくあるであろう」と、ある意味納得できる自分がいるのも確かです。

真実のリーダーシップをとるスピリチュアル・ティーチャーとして生きられるのなら、是非そのように生きてみたいと思いました。しかし、個々の成長スピードとプロセスがあるように、私らしい成長とプロセスをたどり、「遺伝子の中の記憶」「私の中にある答え」にたどり着きたいと思います。



初めてマヤの教えに触れてみて、違和感もなくすんなり受け入れられました。宇宙的な視野で感じ、あらゆるものと調和して生きる宇宙的教育には納得がいき、感銘を受けました。フンバツ・メンの「マヤの聖地に戻ってきてください」という言葉は私の心の深い所に訴えかけられるような感覚で、涙がこみ上げてきました。遺伝子の中の記憶を思い出し、フナブ・ク’を意識する生活を少しずつはじめています。

県内にしかないようですが、草木に感謝と慰霊をするための草木塔が多くあることを知りました。最古は江戸時代のもので、地元でもあまり知られておらず、最近になって調べられてきたようです。T(木)のシンボルのことがよぎり、自然との調和について考えさせられました。マヤについてもっと理解を深めていきたいです。



メモを取りながら2日間でスルスルと読んでしまいました。何もかも聞いた事があるような言葉たち。これが「新しい知識を貯えるのでなく、元々知っていた事を思い出す」という感覚なんだなと実感がありました。不思議と少し胸がキュッとする懐かしいような気持ちが湧いてきています。

フナブ・ク’の中に入り、記憶を見せていただく。妙に納得が行く事で、知識を分け与えてもらう事への感謝、喜び、その機会を与えられていることは、本当に奇跡ですよね。今まで忘れていた事だと、目から鱗というか、心にぐっと染みて行きました。

ある友人は、沢山の文献を読み、勉強し、自分なりに解釈し、陰謀説や宇宙理論のうんちくを話します。最近分かってきたのは、彼のそれは、誰かのためでも、世界を良くしたい訳でもない、本人の虚勢の為だけのようです。自分の意見(と言っても寄せ集めの知識の集合)から外れたものを批判します。誰よりも自分の知識が一番と言う事を話しています。私はそれが嫌でしかたがありませんでしたが、今回、具体的に何が嫌なのか分かりました。「過去からの大切なメッセージをもたらせれている」という感謝もなく、ただ自分の満足感だけに使っているように思うからです。と、反面教師で学ばさせていただいている事にも感謝しなくてはですね。「ずっと知りたかった事を明らかにしてくれる所にたどり着いた」という喜びで一杯です。

そして、キリスト教文化によって変えられてしまったマヤの歴史にも、驚きを隠せません。ここ1年で何冊か本を読んできましたが、すべてディエゴ・デ・ランダの書いた歴史です。。。ガラガラと今までの感覚が音を立てて崩れて行きました。。。そしてますます、マヤの叡智について知りたくなりました。宇宙の事、自然の事、もっともっと体で知りたいです。進めて勉強させていただきたいです。



「イン・ラケ’ッチ!」には涙しました。私は教員ですが、本当に現代は「宇宙的教育」が欠けています。それらしいことを生徒に話しても、実力不足の私では十分に伝わりません。また、生徒の準備もできていないのです。宇宙とのつながり、自然とのつながり、というと第一声生徒は笑います。でも生命の根本は今も昔も変わりません。

現代人はどれほど矮小化された小さな世界の中で生きているのでしょうか。家庭と、学校と、会社と。分断化された競争社会の中で私たちの視野はものすごく狭くなり、その狭い視野の中で苦しんでいます。本物の教育がしたいなあ。いつかマヤにもいきたいです。私自身はガチガチの左脳人間で、どちらかというと思考がうるさい方の人間です。でもスピリットの話はとても好きです。教師が幸せなとき、生徒も幸せです。教師が自然体の時、生徒も自然体です。そして教師がごまかしなく本当のことを言う勇気を持つとき、生徒は静かになるようです。おごらずに学び得たことを、生徒に伝えていきたいと思います。



消化できなかったことをメモしていたら、もう手帳が真っ黒です。これからも繰り返し読んでいきたいと思います。購入してから、ゆっくりゆっくり今まで読んでいました。何日も読み続けていたような気分です。読んでいる最中、お腹が空いてお昼休みを作ったり、外がとっても暗くなったので、読むのを中断して、雨が降ってくるのを待ったりとか、ワークショップも一緒にしているような楽しいお勉強ができました。アルーシュは大好きです。木の上にたくさん飛んでたり、神社とかで会ったことがある気がします。実体験や感覚的に理解できたものと、この本に書かれていることがリンクすることを増やしていきたいなと思います。

「許可」「尊重」「つながり」「イン・ラケ’ッチ」。このシンプルな単語を全体として意識することが、理解の鍵になるような気がしました。 そして私は長い間、情報に対して敬意を払うことを忘れていました。この本を読んで気がつきました。



イン・ラケ’ッチを発音すると、お腹の中心が温かくなって緊張が解けました。このことで、いかに自分が無駄に踏ん張って生きているのか、そして疎外感を拭えていないかが理解できたような気がします。太陽はいつも私に力をくれるので、感謝は欠かしませんでしたが、キ’ーンと呼びかけてお祈りするようになりました。もっと太陽が身近になりました。こうして言葉によって道がつくというのは、ありがたいことだと思いました。



宇宙的教育とは、私たちが忘れてしまった潜在的な能力を目覚めさせることでもある。マヤ先住民の聖なる教えの部分に触れて、自分の中から湧き上がる氣づきと理解に、深い深い魂の喜びを感じる事ができました。また、読み返すたびに新しい記憶と出愛い、今まで味わった事のない、安らぎ、穏やかな気持ちを感じています。一人でも多くの人に、その人にしか味わえないギフトを受け取ってほしいです。



私たちの遺伝子には、既に宇宙の叡智が組み込まれていて、叡智に触れるには思い出せばよいとは、驚きでした。身体の構造や、生理の周期、生命を育む時期など、すべてがフナブ・ク‘の内にあるのだと知って、安心感につつまれました。私たちは、既に全てを与えられた存在なのですね。これからマヤの叡智に導かれて、内にある記憶を思い出したいと思います。

また、「マヤでは生け贄はしていない」との文を読んだときに、何故か涙があふれてきました。私は、幼少のころからピラミッドが大好きで、テレビでそのような特集番組があるとよく見ておりました。マヤ文明の紹介番組で、マヤでは毎日生け贄を捧げており、スカルは生け贄の象徴との放送を見て以来、マヤが怖くなってしまったのです。真実を知ったとき、魂が喜んで涙が流れたのだと思います。



古代のマヤの叡智にふれられる喜びで、読みはじめました。今まで読んだことのあるマヤのものとは違い、心に素直に入っていきます。1ページ、1ページに、魂が喜んでいるような感覚です。マヤの歴史に関しても、殆どがディエゴ・デ・ランダの狭量な解釈のものが大元であるということも驚きでした。マヤの教えは、「私たちが本当は一番知っていなければいけないこと」、「自然の中で生きて行くのに最も重要なこと」を教えてくれていました。読んでいくうちに、もっともっと深く知りたいと思うばかりです。

「スピリチュアル・ワークには、まず心の中をクリーンにしておくこと」という素直な感覚が、私の中で誠実に心を動かされました。また、太陽信仰のことも詳しく書かれており、太陽に今まであまり感謝や気持ちを置いてなかったことに気がつき、いまは毎朝感謝しています。太陽だけでなく、いかに自分は、自然のものに恩恵を受けているか、また、そこに感謝の気持ちがあったのか、本当にきづかされ、新たな気分で過ごすきっかけとなりました。「存在するすべてのものがマスター」というのにも。

もうひとつ驚いたのは、性教育です。こんなにも詳しく、子供たちに教育していること。大事なことを、今はあまり子供たちに伝えられてないことを実感させられました。「大事なことが分かってないから、今のような問題がある」。その通りだと思います。素晴らしい知識を教えていただいたこと、深く感謝します。まだまだ、たくさん知りたいです。



マヤについて勉強するということ。歴史、文化、地理、言語などのほかに、ETが入ってきたり、魔法の言葉や妖精、儀式など、現代教育ではすっか り抜け落ちているものが目に付きます。現代のそれも、「科学的な目から見て証明できないものは存在しない」という西洋的な解釈のおかげで、こういった存在は全く無視されているのかもしれません。しかし、どうしてそのようなものが、何万年も語り継がれているのか、注意を向ける必要がある時代に、やっと突入したのかもしれません。

「本当に大切なものは目に見えないんだよ・・・」。そういった目に見えない大切なものを学び、人々に伝えていくのは難しいことだと思います。しかし、大切なものだからこそ、そこから目を背けずにしっかり学びとって、伝えていかなければならないものなのではないでしょうか。「根気よくしっかり学びとりたい、感じとりたい、そして次世代に伝えていきたい」と思いました。



古代マヤの知への敬虔さは、知識がフナブ・ク’の記憶であり、それを受け取る私たちは、「新しい知識を得る」のではなく、その『記憶』へイニシエーションし、思い出すということなのだ、という考え方にあるように思います。「新しい知識」などというものはないのでしょう。全ては「初めから知っていることを思い出す」ということなのでしょう。とは言え、「発見」や「気づき」は、それとは別にあるのでしょう。この人生は、より多くの「気づき」を体験し、新しい「何か」を発見し続ける旅なのではないでしょうか。 何を?多分、自分自身を。「あなたである私、私であるあなた」を。



多元的にマヤ文明を知る、思い出す、あるいは旅に出る前に拡げた地図を見ているような気にさせる書でした。古文書をめくっていくように、マヤの世界の入り口を体験させていただきました。世代を超え伝承し守り続けたマヤの人たち、それを公開する長老フンバツ・メン、貴校の勇気ある行ないに敬意を表し感謝します。太陽瞑想やOL瞑想、自分のアルーシュに「イン・ラケ'ッチ!」と魔法の言葉を唱えてつながる等、あまりにシンプルに説明されていて心もとない気もしますが、頭で考えずやってみます。ジャングルの奥地をよちよち歩いてみます。こうして感想を書いていると、インプットされたものが自分の言葉になって生まれ変わっていくので、「とても大切な作業だな」と感心しています。「感想文提出は、すごい仕組みだな」と。



深い内容が一冊に込められていますが、特に印象にあるのは、「すべてがフナブ・ク’の記憶であり、許可を得て入らせていただけば、自分に蘇る」というところです。「存在するすべては、フナブ・ク’の記憶のメジャーとムーブメントにすぎない」。そして、「人間はフナブ・ク’が与えた地球のすべての存在を守る責任、また宇宙への大きな責任があるが、忘れているから宇宙の記憶を目覚めさせる必要がある。宇宙とつながる宇宙的教育が必要である」。そういう視点がなければ、私達は地球を壊し、バランスを崩し、滅びの道に進んでいくでしょう。

「人間は宇宙から来て、地球は宇宙に兄弟姉妹を持つ」というような、宇宙につながる視点。そして時間の感覚も、マヤでは52年周期を基礎にして、×5倍、×10、52年×500=26000年という長期カウントがあるが、それは遥かに自分の生死を超える視点、宇宙的視点、フナブ・ク’の視点から見た暦なのですね。

時間を読む、自然を読む、自然と交流、太陽と交流すれば、すべてからメッセージを受け取り、迷いなく、進んでいける。迷ったら太陽につながり、「意識を光の方向に向けて下さい」とお願いする。フナブ・ク’に、「あなたの記憶に入らせて下さい」とお願いし、遺伝子の記憶を蘇らせる。答えはすべて内側にある。「そうなんだ、自分を澄ませて、すべての存在と交流し、宇宙と交流する意識を持てば、おのずと答えは内側に生まれる」、そう思いました。



読み進めていくうちに、すがすがしく、とてもいい気持ちになりました。これほどまでに、純粋で力強い、エネルギーを持つ本を見たことがありませんでした。私たちの本質は愛であり、神であり、真であり、空だということ。信じる事ではなく、「思い出すこと」。数珠のような光の言葉に出会い、ずし〜んと宝物をいただいたようです。もっともっと知りたくなりました。



「イン・ラケ’ッチ」を読み終わり、涙がとまりませんでした。太陽を見れば、世界中のマヤの記憶を持つ兄弟姉妹とつながると思うと至福です。フナブ・ク’が、「ムーブメント」と「メジャー」だというところを読んだとき、とてもうれしくなりました。すてきって思いました。ゆっくりなんですけど、毎日少しずつ読んでいます。



一通り読み終え、マヤの奥深さにため息が出ました。宇宙や自然の法則に従ってより人間らしく、すべての生き物が幸せになるような生き方を目指したいと思いました。現代の日本では、なかなか難しいと思いますが、自分にできることから少しずつと思っています。マヤのカレンダーをもとに日々の生活を営んでいくことが地球にも人間にも生き物にも優しいことなのではないかと感じています。



「ET」とか「プレアデス星団の周期」などという言葉が登場して、マヤ文明だけでなく一気に宇宙に気持ちが拡がりました。太陽も、今まで以上に身近に感じます。教材には、「長い長い間、口伝で伝えられてきた事の重み」について繰り返し書かれていますね。これから少しずつ、マヤの神々やご先祖さま達と繋がる中で、私にも色々な事が感じられるのでしょう。アルーシュさんが囁きかけてくれるかな?楽しみです。



「イン・ラケ’ッチ」その音の響き。とても懐かしく、そして、以前から知っていたような当たり前の言葉であるように感じました。口に出してみると、なおさらです。読み終えての感想は、「もっと知りたい!」それだけでした。何度も読み深めると、「もっと知りたい!マヤを思い出したい!!」という感覚に変わっていきました。「本当は、もっともっとよく知っているはずでしょう?」と自分に問いかけています。マヤを知った今後の人生、今まで生きてなかった分、有効に生きたいと思いました。いや、生きてける!!という自信と確信に近いかな?出会いに感謝です。



今生きている社会が、なぜこんなにも、不公平で、暴力や戦争が絶えないのか。人はそのような悲しい生き物なのかと感じることが常でした。今回、再度イン・ラケ’ッチを読み直して、全ては教育なのだなと腑に落ちました。

「形あるものにはすべてスピリットが存在する・・・」。そう考えれば、すべてに対し尊敬の念を持ち、謙虚な態度で臨めます(昔の日本にも存在していた考えですね)。今すぐには、この刹那的で目先の欲にとらわれやすい人間が変わることは無理かもしれません。けれど、今こそマヤの教えが生かされる時ではないかと感じました。



読み返す度に頭に入ってくる情報、気になる事が違うのでそういう視点から見ても、楽しく勉強出来ています(勉強や調べ物がが楽しいなんて思ったことがあまりないので)。今まで聞いていたマヤの情報で、自分の中で理由もなく納得いっていなかった事がスッキリしていき、全てが納得に変わっていっているところでも面白さが倍増しています。姿形・呼び名は違えど日本の神や他の神、ピラミッドや太陽信仰の類似点にワクワク感がとまりません。



儀式によって、フナブ・ク’の記憶の中に入って思い出す事が出来るのだと理解できました。今は、とにかくできることを、日々の太陽瞑想を通じて、フナブ・ク’の記憶の中に入ってその次元で理解し、今の次元で儀式、または行動します。マヤン・マスターを目指すことをここに誓い、再開の日をワクワクしながら待ちたいと思います。



とてもわかりやすい流れにお話がまとめられていて、すいすい頭に入ってきました。ナビゲーターとしての小櫻さんの解説が、見事に読者の心と教えとをスムーズに繋ぐ潤滑油の役割をなさっていると思いました。



どの書籍も何度読んでも奥が深く、いつも新しい発見があり、「あれ?こんな内容が書かれてたの?」と、枚数にしたら薄い冊子なのに、ものすごい情報量だと感じます。もう何度読んだかわかりませんが、今の私の感想は、「マヤ先住民の智慧は、宇宙的教育という言葉に集約されている」という一文の深さです。教えられるというものではなく、自分の遺伝子の中にある記憶を思い出させるものだということ。学ぶことは思い出すこと。



私は、一概には、現在の日本を含む先進的国家の発展を否定することはできないと思っており、マヤ文化をこの時代に知ることに意味があるのであれば、それと同じ位に先進的国家の意義を知ることにも意味があると思っています。どのような価値観であれ、絶対化ではなく相対化し、意味は多重に存在していて、そのうちの一つに直面しているだけ、というスタンスでいるからかもしれません。そのようなスタンスにいようとしているせいで、教えが心に染み込むまでに時間が必要なのですが、マヤ文化との出会いを大切にしてゆきたいと思います。

日本でも人間は人間だけで生きていられるわけではない、というごく当たり前のことを当たり前に私は習いましたが、知っていてもそれを尊重する生き方からは遠いことに本を読んで気がつきました。その当たり前を、どのように実践してゆくかが、それぞれの文化の差異に繋がっているのだろうと思います。

違う国の人々の文化を尊重することは、自分の文化を尊重する気持ちがなければできないことですが、海を挟んだ遠い地の文化に、自分達と似たような考えがあることを知ると、どこかほっとする部分があり、その安心や価値観の偶然的共有が、親しみを覚えさせてくれることは確かです。そのように私はマヤ文化に対して、親しみを感じています。

次にマヤ文化について知りたいことは、知的障害者などの存在をマヤはどのように受け止めていたのか、また争いが起こったとき、どう解決していたかという問題解決の手法です。司法的、警察的、行政的な組織について興味がありますので、少しずつ本を読んでいこうと思っています。