(C) Copyright NAGA K'U 3C
1998-2012
All rights reserved.

無断転用禁ず








マヤの教えを知る上では欠かせない、基本的な部分を中心にご紹介する入門書です。
本誌を通じて、古来より受け継がれてきたマヤの教えに興味を持っていただき、
さらに深い奥義に触れるきっかけになれば幸いです。


内容 (A4、39ページ)
マヤについて  フンバツ・メンについて  神フナブ・ク’  スピリチュアル・ワーク
イン・ラケ’ッチ!とアルーシュ  E.T.とコズミック・ワーク  「G」「T」「O」のシンボル
社会システム  性教育  カレンダー  時間   フンバツ・メンからのメッセージ




         




  * 最新のご感想には、「!!! NEW !!!」がついています。


Eさん(女性)

私はマヤ文明について、まったく、詳しくはありませんでした。2012年を目の前にして思い出したのが、調べてみるきっかけになった程度です。詳しくないお陰で、先入観無く、入門書を読むことができました。

長老フンバツ・メンさんの教えで、はじめに「知識への尊重」とありました。「知識はフナブ・ク’から与えられるもので、全てはフナブ・ク’の記憶 の中である」と。その言葉に感銘を受けました。「私の能力ではないのだ!」と。私は簡単に情報を得られる時代に生まれましたが、知識は豊富ではありませ ん。残念なことに、勉強してもすぐに忘れます。知識に対して、軽々しく考えているからなのだと、深く反省しました。

反省した上で、入門書を読み進めていき、ここには私も理解しきれていない「私が求めているもの」があるのではないかと、どんどんとマヤ人の知識に惹き込まれました。

入門書を手にする前は、自然に着目したマヤ文明のカレンダーを使用してみたいというところだけだったのですが、読んで行くと全ての項目に、衝撃と理想があり、カレンダーだけでなく、マヤの全てを理解したいと思うようになりました。

一番の驚きと、尊敬の念はやはり、「時間」についてです。星の動きを測る正確さや、時間に速度変化があると言うこと、プレアデス星団の周期を割り だしていることなど、宇宙と確かに繋がっていたのだと、驚くばかりです。時間についての項目を読んでいる中で、昼と夜それぞれの4つの時間について、どう いうことかとても気になりました。

他の項目にも、読めば読む程、もっと詳しく、深く知りたいと思うことばかりでした。「とりあえず、教材を・・・」と思っているのですが、スピリ チュアル・ワークも体験してみたいという意志が沸々と沸き上って来ます。自分1人でも活用できないものかと(すぐには授業の参加が難しいので)、「キ’ ン」や「オル」や「イン・ラケ’ッチ!」とつぶやいたり・・・。

最近では、今のこの社会に、何とも言えぬ不自由さを感じています。生活の上では不自由は無いのですが、心の窮屈さを感じてしまいます。何かを考え ては矛盾にぶつかります。私の今居る場所では、自然に大声で呼びかけたり、大木に疲れを癒してもらったりということが、簡単にできなくなってしまっていま す。「自分は『大人』になってしまったのだなぁ」と、子供の頃を懐かしむこともしばしばあります。これから、この不自由さから解き放たれることを期待しつ つ、マヤ文化を学んで行けたらと、新たな目標ができました。ありがとうございました。



Tさん(女性)


メモを取りながら2日間でスルスルと読んでしまいました。

何もかも聞いた事があるような言葉たち。これが「新しい知識を貯えるのでなく、元々知っていた事を思い出す」という感覚なんだなと、実感がありました。不思議と少し胸がキュッとする懐かしいような気持ちが、湧いてきています。

フナブ・ク’の中に入り、記憶を見せていただく。妙に納得が行く事で、知識を分け与えてもらう事への感謝、喜び、その機会を与えられていることは、本当に奇跡ですよね(必然なのかもしれませんが…)。今まで忘れていた事だと目から鱗というか、心にぐっと染みて行きました。

そしてまだ1日しか経っていませんが、「出会う人にも色々と勉強をさせていただいている」という、感謝の気持ちがでてきて、多く感じられるようになり、もっと人と触れ合って行きたいと思いました。

私には神秘学の好きな友人がいます。沢山の文献を読み、勉強し、自分なりに解釈し、陰謀説や宇宙理論のうんちくを話します。最近分かってきたのは、彼のそれは、誰かのためでも、世界を良くしたい訳でもない、本人の虚勢の為だけのようです。自分の意見(と言っても寄せ集めの知識の集合)から外れたものを批判します。誰よりも自分の知識が一番と言う事を、話しています。私はそれが嫌でしかたがありませんでしたが、今回、具体的に何が嫌なのか分かりました。

「過去からの大切なメッセージをもたらせれている」という感謝もなく、ただ自分の満足感だけに使っているように思うからです。と、反面教師で学ばさせていただいている事にも感謝しなくてはですね。「ずっと知りたかった事を明らかにしてくれる所にたどり着いた」という喜びで一杯です。

そして、キリスト教文化によって変えられてしまったマヤの歴史にも、驚きを隠せません。ここ1年で何冊か本を読んできましたが、すべてディエゴ・デ・ランダの書いた歴史です。。。ガラガラと今までの感覚が音を立てて崩れて行きました。。。そしてますます、マヤの叡智について知りたくなりました。

宇宙の事、自然の事、もっともっと体で知りたいです。進めて勉強させていただきたいです。よろしくお願い致します。



Yさん(男性)


「イン・ラケ’ッチ!」には涙しました。私は教員ですが、本当に現代は「宇宙的教育」が欠けています。それらしいことを生徒に話しても、実力不足の私では十分に伝わりません。また、生徒の準備もできていないのです。宇宙とのつながり、自然とのつながり、というと第一声生徒は笑います。でも生命の根本は今も昔も変わりません。

現代人はどれほど矮小化された小さな世界の中で生きているのでしょうか。家庭と、学校と、会社と。分断化された競争社会の中で私たちの視野はものすごく狭くなり、その狭い視野の中で苦しんでいます。

本物の教育がしたいなあ。いつかマヤにもいきたいです。私自身はガチガチの左脳人間で、どちらかというと思考がうるさい方の人間です。でもスピリットの話はとても好きです。私の準備が整った頃、私もマヤに行くことになるかもしれませんね。

教師が幸せなとき、生徒も幸せです。教師が自然体の時、生徒も自然体です。そして教師がごまかしなく本当のことを言う勇気を持つとき、生徒は静かになるようです。おごらずに学び得たことを、生徒に伝えていきたいと思います。イン・ラケ’ッチ!



Yさん(女性)

私たちの遺伝子には、既に宇宙の叡智が組み込まれていて、叡智に触れるには、思い出せばよいとは、驚きでした。身体の構造や、生理の周期、生命を育む時期など、すべてがフナブ・ク‘の内にあるのだと知って、安心感につつまれました。私たちは、既に全てを与えられた存在なのですね。これから、マヤの叡智に導かれて、内にある記憶を思い出したいと思います。

また、「マヤでは生け贄はしていない」との文を読んだときに、何故か、涙があふれてきました。私は、幼少のころからピラミッドが大好きで、テレビでそのような特集番組があるとよく見ておりました。マヤ文明の紹介番組で、マヤでは毎日、生け贄を捧げており、スカルは生け贄の象徴との放送を見て以来、マヤが怖くなってしまったのです。真実を知ったとき、魂が喜んで涙が流れたのだと思います。




!!! NEW !!!

Eさん(女性)

古代のマヤの叡智にふれられる喜びで、読みはじめました。今まで読んだことのあるマヤのものとは違い、心に素直に入っていきます。1ページ、1ページに、魂が喜んでいるような感覚です。

マヤの歴史に関しても、殆どがディエゴ・デ・ランダの狭量な解釈のものが大元であるということも、驚きでした。マヤの教えは、「私たちが本当は一番知っていなければいけないこと」、「自然の中で生きて行くのに最も重要なこと」を、教えてくれていました。読んでいくうちに、もっともっと深く知りたいと思うばかりです。

「スピリチュアル・ワークには、まず心の中をクリーンにしておくこと」という素直な感覚が、私の中で誠実に心を動かされました。

また、太陽信仰のことも詳しく書かれており、太陽に今まであまり感謝や気持ちを置いてなかったことに気がつき、いまは毎朝感謝しています。太陽だけでなく、いかに自分は、自然のものに恩恵を受けているか、また、そこに感謝の気持ちがあったのか、本当にきづかされ、新たな気分で過ごすきっかけとなりました。「存在するすべてのものがマスター」、というのにも。

もうひとつ驚いたのは、性教育です。こんなにも詳しく、子供たちに教育していること。大事なことを、今はあまり子供たちに伝えられてないことを実感させられました。「大事なことが分かってないから、今のような問題がある」。その通りだと思います。

素晴らしい知識を教えていただいたこと、深く感謝します。まだまだ、たくさん知りたいです。


以前、「マヤ・カレンダーによる運勢判断」をしていただいてから、自然に目を向け、音をよく聴くように心がけています。自然の恵みに感謝して、生けていける喜びに感謝します。自然のサイクルに合っているマヤのカレンダーについても、是非また読んでみたいです。



Cさん(女性)

マヤについて勉強するということ。歴史、文化、地理、言語などのほかに、ET!が入ってきたり、魔法の言葉や妖精、儀式など、現代教育ではすっか り抜け落ちているものが目に付きます。現代のそれも、「科学的な目から見て証明できないものは存在しない」という西洋的な解釈のおかげで、こういった存在 は全く無視されているのかもしれません。しかし、どうしてそのようなものが、何万年も語り継がれているのか、注意を向ける必要がある時代に、やっと突入し たのかもしれません。

「本当に大切なものは目に見えないんだよ・・・」。そういった目に見えない大切なものを学び、人々に伝えていくのは難しいことだと思います。しかし、大切なものだからこそ、そこから目を背けずにしっかり学びとって、伝えていかなければならないものなのではないでしょうか。

一度や二度読んだだけでは、何が何だかよくわかりませんが、それも伝わりづらい原因なのでしょう。「根気よくしっかり学びとりたい、感じとりたい、そして次世代に伝えていきたい」と思いました。



Hさん(男性)

最初の入門的なテキストであり、古代マヤの叡智の網羅的な解説でもあるので、一概に感想というのも難しいのですが、まず一番に感じたことを書いてみます。

それは、『神「フナブ・ク’」の記憶に入る許可を得る』というところです。叡智の口伝に触れ、知識の伝授に預かる際に、必ずこうした聖なる手順、あるいは儀式的な行為を、前もって行うということに、ハッとさせられました。

こうした知識への敬虔な態度を私たちは、すっかり忘れて暮らしているようです。少なくとも私は、「まったく抜け落ちてしまっていた」と気づかされます。子供のころ、遠いアドレッセンスなころには、ないでもなかったような気がします。親の本箱の中やら、読みさしの週刊誌やらに、なにか触れがたいものを感じたことがあったように思います。

知識を「情報」と呼び、「データ」として扱っているうちに、知識のもつ神聖さを忘れてしまったようです。そして、貴重な知識、新しい発見、古くからの知恵、それらが、感情的な罵倒や、一時の慰めなどなどの刹那的なものと、十把一絡げに流通するワールド・ワイド・ウェッブの世界にいたって、明らかに間違った知識、単なる立場の表明のような言辞が、清濁合わせるように流通してしまっています。

こうした知の無政府状態は、必ずしも否定するべきと思っていません。ですが、そこには知識への敬虔な態度が喪失している面もあるように見受けられます。と、偉そうに言ってみても、寝転がって、煎餅かじりながら本を読んでいるような私ではありますが・・・。

古代マヤの知への敬虔さは、知識が『神「フナブ・ク’」の記憶』であり、それを受け取る私たちは、「新しい知識を得る」のではなく、その『記憶』へイニシエーションし、思い出すということなのだ、という考え方にあるように思います。

「新しい知識」などというものはないのでしょう。全ては「初めから知っていることを思い出す」ということなのでしょう。とは言え、「発見」や「気づき」は、それとは別にあるのでしょう。この人生は、より多くの「気づき」を体験し、新しい「何か」を発見し続ける旅なのではないでしょうか。

何を?多分、自分自身を。「あなたである私、私であるあなた」を。



Kさん(女性)

読み進めていくうちに、すがすがしく、とてもいい気持ちになりました。これほどまでに、純粋で力強い、エネルギーを持つ本を見たことがありませんでした。

私たちの本質は愛であり、神であり、真であり、空だということ。信じる事ではなく、「思い出すこと」。数珠のような光の言葉に出会い、ずし〜んと宝物をいただいたようです。もっともっと知りたくなりました.。



Rさん(女性)

「イン・ラケ’ッチ」を読み終わり、涙がとまりませんでした。太陽を見れば、世界中のマヤの記憶を持つ兄弟姉妹とつながると思うと、至福です。ありがとうございます。

フナブ・ク’が、「ムーブメント」と「メジャー」だというところを読んだとき、とてもうれしくなりました。すてきって思いました。。。(笑)ゆっくりなんですけど、毎日少しずつ読んでいます。感謝をこめてお礼まで




Mさん(女性)

小冊子を一通り読み終え、マヤの奥深さにため息が出ました。専門的な知識が何もないので、理解するのにまだまだ時間が掛かると思いますが、宇宙や自然の法則に従ってより人間らしく、すべての生き物が幸せになるような生き方を目指したいと思いました。

現代の日本では、なかなか難しいと思いますが、自分にできることから少しずつ、と思っています。 マヤのカレンダーをもとに日々の生活を営んでいくことが地球にも人間にも生き物にも優しいことなのではないかと感じています。




Mさん(女性)

「イン・ラケ’ッチ」その音の響き。とても懐かしく、そして、以前から知っていたような当たり前の言葉であるように感じました。口に出してみると、なおさらです。私は、とても集中して一気に読みました。読み終えての感想は、「もっと知りたい!!」それだけでした。


何度も読み深めると、「もっと知りたい!マヤを思い出したい!!」という感覚に変わっていきました。「本当は、もっともっとよく知っているはずでしょう?」と自分に問いかけています。性教育を先に読んだのですが、そのときは「目からウロコ!!」ってくらいに驚きましたが、この、「イン・ラケ’ッチ!」は、全然違う印象でした。驚き、というよりは、「懐かしい」感じに近いと思います。

古代マヤの人々が予言した「マヤの教えが必要になる時代」がきましたね。不安と、迷いと、もう絶望に近い感情を持っている人もたくさんいると思います。私もその一人でした。本当に先が見えない!生きている意味がよくわからない!「苦しい!!!」文字にすると3文字ですが、3文字では表せない苦しみを抱えていました。「何が苦しい?」と聞かれれば、「生きてること!!もう全部!!」と答えるのが一番あてはまるくらいの生き苦しさを感じていました。

小さいころからの、定期的にやってくる、精神的な不安定。病院にいくと「適応障害」「産後鬱」「精神未発達」いただいた病名は数知れず…。「死んでしまいたい」って本当に小さなころから思っていました。だから、小学生のいじめでの自殺のニュースを見ても、なんとも思わなかったほどです。むしろ「勇気があったんだな」って感じてました。「私なんて、保育園のときから死にたいって思い続けてきたよ」って。どんどん増えていく薬。。眠気で何もできないほどの量を処方されていました。「わたしはだめな人間」「なのに子供を生んでしまった」罪悪感。誰もわかってくれない孤独感。それでも、母親になってしまった。とにかく必死で、毎日眠気と戦いながら、自分が生きられる方法を自分で探しだしたとき、マヤと出会ったのでした。


マヤも迫害にあったのですね。今まで、人と違うということに違和感を抱き、たくさんの病名をいただき、周りから言われることに罪悪感を感じてきた私の歩いてきた人生とマヤの歴史を重ねたときに、「私は私であればいいんだ!!」という思いがとても強くなりました。迫害にあっても、自分たちを信じて、守ってきた教え。マヤの歴史も、私の人生とよく似てるかも?!私も、自分の中で自分を守って、自分らしさをなくさずに生きていこう!!マヤの教えの中に「自分の居場所」を見つけられた気がしています。

私は小さいころから、空や雲と遊べました。草や花と話ができていたような気がします。そして、車や、家や、じゅうたんや、人工的なものにも話しかけていました。「やっぱり!!」という感じでした。うまく言葉にできませんが…。「そうそう!わかるわかる!」という感じです。


もっと知りたい!マヤを知った今後の人生、今まで、生きてなかった分、有効に生きたいと思いました。いや、生きてける!!という自信と確信に近いかな?出会いに感謝です。そして、導いてくださった、私の魂、まさゆきさん、みなこさんに深く感謝いたします。



Kさん(女性)

ご本拝読しています。ハートチャクラにひびいてきます。おふたりの聖なる知識への尊重と感謝にあふれる、涙がでるほどピュアな美しい本ですね。出会えて本当にうれしいです。感謝と敬意の念でいっぱいです。




Eさん(女性)

入門書「イン・ラケ’ッチ!」を読み返す度に頭に入ってくる情報、気になる事が違うのでそういう視点から見ても、楽しく勉強出来ています。(勉強や調べ物がが楽しいなんて思ったことがあまりないので)

今まで聞いていたマヤの情報で自分の中で理由もなく納得いっていなかった事がスッキリしていき、全てが納得に変わっていっているところでも面白さが倍増しています。姿形・呼び名は違えど日本の神や他の神、ピラミッドや太陽信仰の類似点にワクワク感がとまりません。




Tさん(男性)

儀式によって、フナブ・ク’の記憶の中に入って思い出す事が出来るのだと理解できました。こうやって、メールを送るのも儀式の一つだと感じる事ができます。正直、「ポイント制なんて、評価されるみたいで、やだなぁ」と思いましたが、たった今これは、必然的なことであると理解できました。

ネガティブな感情が沸いてくる時は、過去の自分で捻じ曲げた過去であり記憶であり、とても曖昧なものです。感想文は、私が学生の時代に一番苦痛な課題でした。本当に思ったことは、書いてはいけないと思っていました。真実は、口にしてはいけないと思っていたのだと思います。過去のネガティブな考えが、この瞬間のネガティブな反応になるということは、今を100%ポジティブなものにするには、記憶のなかで自分を批判しないことなのだと思います。すべてが必然であったと気づくことで、過去の自分を批判しなくなりました。
 
このメールを書く儀式の中で、どんどん言葉が沸いてきて時系列がよく分らなくなってきました。過去なのか、今なのか、未来なのか、書きなぐりのようで申し訳ありません。

今は、とにかくできることを、日々の太陽瞑想を通じて、フナブ・ク’の記憶の中に入ってその次元で理解し、今の次元で儀式、または行動します。マヤン・マスターを目指すことをここに誓い、再開の日をワクワクしながら待ちたいと思います。



Nさん(女性)

とてもわかりやすい流れにお話がまとめられていて、すいすい頭に入ってきました。ナビゲーターとしての小櫻さんの解説が、見事に読者の心と教えとをスムーズに繋ぐ潤滑油の役割をなさっていると思いました。沢山の有志の方々に読まれるとよいですね! 素敵な書物をありがとうございました。 



Kさん(女性)

イン・ラッケ’チが到着し、一通り拝読いたしました。「私はあなた、あなたは私」という言葉は、インド仏教にもありますね。最近その本を読み始めたばかりだったので、共通点を探しながら読みました。マヤの宗教的感覚は、宇宙と一つになることだという気がしました。自分を捨て、他者と繋がろうとすること、他者に生かされていることを常に意識することは、やはり仏教の考えにも近いですし、ネイティブインディアンの昔の生き方にも似ていると思います。

私は、一概には、現在の日本を含む先進的国家の発展を否定することはできないと思っており、マヤ文化をこの時代に知ることに意味があるのであれば、それと同じ位に先進的国家の意義を知ることにも意味があると思っています。どのような価値観であれ、絶対化ではなく相対化し、意味は多重に存在していて、そのうちの一つに直面しているだけ、というスタンスでいるからかもしれません。そのようなスタンスにいようとしているせいで、教えが心に染み込むまでに時間が必要なのですが、マヤ文化との出会いを大切にしてゆきたいと思います。

日本でも人間は人間だけで生きていられるわけではない、というごく当たり前のことを当たり前に私は習いましたが、知っていてもそれを尊重する生き方からは遠いことに本を読んで気がつきました。その当たり前を、どのように実践してゆくかが、それぞれの文化の差異に繋がっているのだろうと思います。

違う国の人々の文化を尊重することは、自分の文化を尊重する気持ちがなければできないことですが、海を挟んだ遠い地の文化に、自分達と似たような考えがあることを知ると、どこかほっとする部分があり、その安心や価値観の偶然的共有が、親しみを覚えさせてくれることは確かです。そのように私はマヤ文化に対して、親しみを感じています。次にマヤ文化について知りたいことは、知的障害者などの存在をマヤはどのように受け止めていたのか、また争いが起こったとき、どう解決していたかという問題解決の手法です。司法的、警察的、行政的な組織について興味がありますので、少しずつ本を読んでいこうと思っています。このたびは良い機会を本当にありがとうございました。