教材(書籍・DVD)

実践教材  マヤ・カレンダー step1&2


      一般の書籍には一切書かれていない、マヤ先住民伝統のカレンダーの情報です。
 
      マヤ・カレンダーを知るうえで欠かせないのは、
      グレゴリオ暦のような「カレンダーはただの数字の羅列だ」という認識を
      リセットすることから始まります。

      私達人間は宇宙の中の太陽系の第三惑星地球に暮らし、
      カレンダーという時間の中に暮らしています。
      マヤ・カレンダーは、私達が肉体と精神のバランスを大切にして、
      宇宙に暮らしているという認識を再構築させてくれるものです。
      先人達が遺してくれた「真の時間の数え方」を、共に思い出してまいりましょう。


               内容 (A4、24ページ)
                 マヤ・カレンダーの礎石と他の暦
                 ピラミッドが内包するマヤ・カレンダー
                 月の暦「トゥン・ウク・カレンダー」
                 長老からの口伝
                 質疑応答


    価格: ¥2,000 + 送料

    お申し込み: 不要(必須教材として入学時の前金よりお支払いいただき、即日お送りいたします)




 




読者ご感想

* 最新のご感想には、「!!! NEW !!!」がついています。


「!!! NEW !!!」

マヤ・カレンダーを学ぶまで、私は何の違和感もなくグレゴリオ暦を使っていました。祖母が旧暦をいつも使っているのを見て、「なぜ一般的な暦を使わないのか」と、不思議に思っていました。そんな私が、西洋的価値観に染まりきっていたとは、思いもしませんでした。

長老によると現在は、うお座の「信じる」時代から水瓶座の「知る」時代へと移行する過渡期にあるとのこと。人々が疑いもなく、キリスト教の宗教暦であるグレゴリオ暦を信じて使っていた時代から、時を経て、宇宙的な暦を求めるようになるのではないでしょうか。再び巡りつつある「光の時代」のためにも、しっかりとマヤ暦を理解し、使い続けていきたいと思います。



どの教材も、とても宝物です。(← 不思議です。素晴らしいです。興味深い、面白い、凄い・・・、どの表現も私の気持ちを表現するには不足しているように感じ、最終的には「宝物」となってしまいました)表紙は最初、私にはDNAのらせん構造のように見えました。読み終わってから見てみると、「数字は繋がっている」というものに見えます。

私は〇〇の死を体験し、死は終わりではないことを腑に落とすことができました。それが数にも言えることがわかり、数に対する概念が大きく変わりました。ある先生から「数の大切さ」を教えていただき、数に興味が湧きました。その興味は、数秘、カバラへと向いていったのですが、どの書籍も「1は〇〇を表す」「2は△△」と説明はあるのですが、「なぜか」の理由が書いてなかったので、イマイチ飲み込めずにいました。ですが、マヤの数の概念には、全て理由があります。

カレンダーがいくつもあると知ったときは、なんて複雑な・・・と思いましたが、決して複雑なのではなく、「つながり」なのだと思いました。宇宙は、太陽も月も地球も、植物、動物、大地、風、鉱物、数・・・も繋がって動いていて、終わりはなく環状になってやはり繋がっているのだなあと思いました。カレンダーを通して、もっとマヤの宇宙的教育を深めてゆきたいです。



いつものように神フナブ・ク’への「許可の祈り」を行い、「マヤ・カレンダー step 2」を開く。冒頭のフンバツ師のハートからの語りに呼応して、私のハートも開き、その後に続く教えの数々がスーッと染み込んでくる。その一つひとつが美しく洗練されていて、都度「なるほど〜」と唸りながら、読み進めていった。

この教材にはマヤ・カレンダーの貴重な教えが満載されているが、不思議と「凝縮されて詰まっている」感じがせず、非常に「軽い」気がするのだ。喩えて言えば、極めて純度の高い精妙な波動のエッセンシャルオイルが、ごく少量入っている希少なボトルのようである。その純粋な芳香をひとたび吸い込めば、一瞬にして次元が変わる。これはそんな教材であると思う。

「全ては時のサイクルである」ことへの理解により、視野を広げることができれば、そのサイクルに伴う自然現象の変化も、当然のこととして受け容れることができる。現代社会を支配する西洋の短期的・直線的思考では、そうした変化を恐れるしかないが、全ての現象が円環によって繰り返されていること、また、そのサイクルも大小様々あって、その全貌はとてつもなく壮大であることを知るならば、その中で生かされている者として、大いなる流れにただ身を委ねるのが道理であることがわかる。その術を教えてくれるのもまた、マヤ・カレンダーなのだろうと思う。

マヤ・カレンダーの動きは、宇宙とその星々の動きを模写するもの。宇宙の摂理を表すカレンダーを理解し、同調することは、宇宙のエッセンスを内包する私たち自身を理解した上で、宇宙に同調することでもある。利己的な枠を超えて、大いなるサイクルに同調して生きることによって、父なる太陽・母なる地球とつながり、森羅万象と調和して生きるという、本来の人間らしさを取り戻すことができる。「マヤ・カレンダーを学び、生活に取り入れることは、人類を助けることにもなる」というのは、そういう意味があるのではないだろうか。

この教材の中のどの知識も美しく、感銘を受ける。その一つひとつを噛み締め、実体験して、腑に落としていきたいと願う。例えば、「ハアブは地球と太陽の結合を数学的な数え方で表した暦である」ということ。母と父の結合、つまりは結婚や受精のタイミングを知るための暦でもあるのだろう。「マヤ・カレンダーと性教育は密接に関連している」というが、この点はぜひ、もっと深く理解していきたいところである。また、「マヤでは昼と夜をそれぞれ13に分け、1日を26等分して考えていた」ことと、その数秘に込められた真意。現在、ハアブとツォルキ’ンを取り入れて生活しているように、1日を26分割した時間感覚の中で生きてみたら、何かがわかるだろうか?これもぜひ体感してみたいものだ。

そして、やはりここでも○と◇が基本となっていて、それらが象徴する「13と20、この二つの数字がマヤの最初の聖なる暦を作る」ということ。○と◇、この単純さ!フンバツ師は、「マヤ・カレンダーは簡単な数学であって、簡単な数学が理解できれば、カレンダーも理解できる」と言い、難解なホゼ博士のカレンダーとの違いを説明している。その語り口もまた、実に単純明快、愉快痛快である。「数秘の意味などには多くの霊的要素はあるが、数学はあくまでも数学である」のだと。その美しい秩序にあっては、エゴの入る余地など微塵もないのだろう。

今、「水瓶座の時代」への過渡期であるという。その時代のキーワードは、「知る」。私たち一人ひとりが「知る」ときがやって来た。これからますます真実が明らかになり、万人に知られていくだろう。真実の光を伝えることを使命として、大いなる「時のサイクル」に身を委ね、その導きのままに、真摯に丁寧に、使命に献身していきたいとの思いを新たにする。



本誌を読んで感じるのは、古代マヤ人は非常にシンプルであり、秩序正しく、美しいということです。そして、現代マインドに侵された「13の月の暦」の不安定さ、危なっかしいさ、気持ち悪さ、それ故の拒否感を私は感じます。現在の生活に溶けこみすぎて、もはや感じることさえできなくなっているグレゴリオ暦も個人的なものであるので、「13の月の暦」と同様のものがあるのではないか?と想像するのは容易です。

「時はサイクルだ」ということを認識することが重要です。これは、善悪二元論的なマインドしか持たない現代人には難しいことですが、ふと自然を感じることを実践すれば、自ずと見えてきます。本当にシンプルです。頭を外して、考えることを止め、感じてみましょう。朝も夜も一日というサイクル、また春も夏も秋も冬も一年というサイクルに存在しています。そう理解ができると、私達が過去と感じていること、現在、そしてまだ見ぬと感じている未来もまた、同じサイクル上にあるということが理解できます。

「朝は素晴らしく、夜は孤独だ」とか、「春夏は開放的で喜び溢れるが、冬は厳しく試練である」というような表現を現代社会ではよく目にします。それは、歌詞であったり、テレビドラマであったり、また伝記などにも表現されることがあります。これは大変に頭脳的な考えであり、一部分を切り取った考え方であります。また目の前のことしか考えさせないような洗脳ですらあるのではないか?と感じます。夜を感じ、また冬を感じてみましょう。頭を外して、ハートを拡げて。そこには「ただ存在する」ことしかなく、孤独も試練もありません。ただ夜の、また冬のエネルギーがあるだけなのです。このように感じてみると善悪二元論を超越した、善悪を見渡せる第三の視点を感じることができるでしょう。

刻々と刻まれる星々の配置。歯車のように様々なエネルギーが織り成す今を感じます。全てをただ受け入れ、現在存在するエネルギーを漏れなく使うことにより、過去も救われ、未来も開けるという壮大な空間の中にいるような感覚を覚えます。私は、太陽瞑想や満月ワークの時にそれを感じます。そしてまた、美しいマヤン・カレンダー・チャートのポスターの前に立つときも、同じような感覚を覚えることがあります。思い切り感じて、かき集めて自分の中にしまいます。私も宇宙です!誰もが太陽の子であり、宇宙の子。マヤ・カレンダーは、そこを思い出させてくれるのです。私達は再び調和へと加速するのです。



カレンダーについての叡智に触れる事は、私にとってとてもワクワクするもので、心がときめきました。統計や、確率ではなく、一つの絶対的な整数で全て成り立っているということが、とても心地よく感動的で、直接的な形を持った言葉として伝わってきます。数秘に対する感覚と似ています。とくに、ハアブ・カレンダーとトゥンベンカ’ク’・カレンダーの関係において、ワイエブ月はツォルキ’ン・カレンダーとつながり、閏年はまた違うカレンダーとつながるような、52年もの年月をかけた、この機構の緻密な歯車の重なり合いを教えていただいたことは、とても感動的でした。1年のうちの小さな月だけを取り出してきたり、一つの歯車の歯が4年後にまた繋がったりという、その機構のカラクリはとても美しく、鉄琴のような綺麗な音が聞こえてくるような気がしました。

◯と◇は球体と立方体でもあるという話がありました。この二元性の二つの要素が、多次元的にどんどん深まるその形と、カレンダーとしてそれが規則的に動いている様を頭に思い描くだけで、心地よく気が遠くなるような感じがします。カレンダーは触ることができると感じました。腕の中にその量感を抱きしめることができ、そのディテールを指でなぞったり、弾いて音を奏でたりできるのだと思いました。そしてまた、その中に入って、地球を包むような大きなカレンダーを内側から見ることができます。私自身も大きくなったり小さくなったりして、多次元を飛び越えて、自分の立体的な手でカレンダーに「触れる」事ができるのだなと思いました。



チチェン・イッツアのククルカン・ピラミッドがカレンダーを表現しているという事は、貴校に入るまで知りませんでした。ツォルキ’ン、ハアブ、トンベンカク・・・、カレンダーの歯車が重なり52年ごとに同調するリズムがプレアデス星団の最小サイクルと一緒だそうで、古代マヤの人びとの智恵には感服するばかりです。太陽を拝み宇宙と一体化していく中で、備わっていた深い智恵を思い出していったのでしょうか。春分と秋分の日に浮かぶ「光の蛇」の降臨は生きている内に一度は必ず見たいと思いました。2600年周期のサイクルについても、今後勉強したいと思っております。

貴校に入るまで太陽を意識して生きていませんでした。今は毎朝太陽を意識し、太陽にご挨拶をしています。これは本当に、入学して正しいマヤ暦を学べたおかげです。これだけでも、本当に感謝しつくせません。


マヤ・カレンダーの何もしらないままの先入観で、「マヤ・カレンダーは難しい」と思っていました。もちろん、この教材を読んで簡単だと思ったわけではありませんが、このように壮大なスケールのものとは思っていなかったので、ワクワク感でいっぱいです。「宇宙的教育」というのも、まだまだ自分の理解では乏しいものであることがわかってきました。教材「イン・ラケ’ッチ」にあったように、「マヤ・カレンダーを真に理解するには300年」かかりそうですね。

今、こうしてこの叡智に出会うことができたことをとても嬉しく思います。今でなければ、このように感じることはできなかったでしょうし、今だから、もっともっと理解したいとワクワクしながら進めることができる気がしています。正直なところ、マヤ・カレンダーがいかなるものか、全然わかってはいないと思います。ですので、こうしてステップごとになっていることがとてもありがたいと感じます。

数も様々に繋がっており、色々な意味を持っているのですね。それは当然のことですが、今まで数をそんな風に考えたことはありませんでした。指が20本あることに疑問を持ったことはないし、動く度に13を表しているとは全く思いませんでしたし、それがカレンダーにも繋がってくるのは、これを読めばあたりまえのように思えるのですが、それまでは全く切り離してしまっていました。でも、読むと「それはあたりまえ」に思えてくるから、本当に不思議でなりません。前から知っていたことのように思い、「本当に記憶を思い出すだけなんだなあ」と思う自分と、「自分の中に本当にそんな記憶があるのか?」と少し疑う自分もちょっぴりいるのが正直なところです。頭と心がまだジグザグしている感じがしています。



春分の日から一年が始まるという、ごく自然なサイクルを持つマヤ・カレンダーにすんなり共感し、ごく自然に使い始めて早十数年。グレゴリオ暦の大晦日から元日も、ただムルクからオクに変わるだけの普通の日として、心穏やかに過ごすことが定着した今、改めて『マヤ・カレンダー step1』を読んで驚嘆するのは、壮大な宇宙のつながりがいかに緻密で美しく、完璧であるかということだ。そして、幾重にも折り重なる無限の動きを、カレンダーという平面に見事に表現し得る、真に洗練された知性に深く敬服すると共に、得も言われぬ憧れを抱くのである。

そんなとてつもない要素が含まれているマヤ・カレンダーだが、中でも今回印象に残ったのは、「聖なる二元性」がもとになっているという点だ。ハアブ暦とツォルキ’ン暦、13と20、ムーブメントとメジャー、ボディとスピリット…。これらの二元性が、人類にとってなぜそんなに重要なのか。その答えは、「スピリットと共にあることによって、ボディは太古の記憶を思い出し、再び宇宙を見ることができる」という教えに集約されていると思う。同様に、あれほどシンプルで誰にでも簡単にできる「祈りのポーズ」も、ボディとスピリットの統合を表現するものであることを考えると、その重要性を再認識せずにはいられない。

そして、2の倍数である「4」という数字の重要性とバランス。4はピラミッドの側面、四季、月のサイクル(7×4=28)、トゥンベンカ’ク暦(13年×4=52年)などと関連しているが、4の倍数である20を含むハアブ暦やツォルキ’ン暦にも、何かしらの意味を与えているような気がする。私はハアブ暦に合わせて、毎月の聖なる名前と聖なるナンバーのキーワードをもとに、目標を定めて取り組むことを続けてきたが、その実践によって、地に足のついたどっしりとした強さや、調和的なバランスがもたらす安定感が培われたように思う。これはもちろん、ハアブの別名「太陽暦」との名が示すように、太陽的な要素も大いに影響していると思うが、4という数字の持つ性質が関係しているのではないだろうか。

マヤの宇宙的叡智を日常にまで落とし込むには、様々な実践が不可欠だが、毎日繰り返し使えて気軽に親しめるという点で、カレンダーは非常に有効な手段であると思う。私たちは永遠で全体的な存在であることを、スピリットは知っている。けれども、分離思考にすっかり染まってしまった現代で、それを実感することは難しい。そこに、マヤ・カレンダーを始めとする宇宙的叡智が込められた手段を取り入れることによって、「人生をさらに豊かにする教えに日々触れることになる」と本文にもあるように、分離されていない全体の源である真の豊かさを感じられるようになる。私は先日、「既に充分満たされている。一体これ以上、何が必要なのか」と感じたことがあった。十数年間マヤ・カレンダー と共にあることで、真の豊かさを実感できるほどの全体性を、ほんの少しだけ思い出すことができたのかもしれない。

自分が全体に溶け込んでいる感覚、永遠の円環の中にいる感覚を思い出すことができたら、その一瞬で人生は大きく変わる。その変化は多分、未来という一方向だけでなく、過去を含む双方向に、更には上層にも下層にも、自分を起点とするあらゆる方向へ立体的に、瞬時に影響を及ぼすほどの力がある。無限の全体性という豊かさの中にいる自分は、すべての存在と調和していて、その状態から周囲を見渡してみると、普段見慣れた何気ない風景が、鮮明な存在感を持って心に響いてくる。そんなとき私は、「自分自身で自然の道を歩んでいるとき、人生は美しいものです」というフンバツさんの言葉を、しみじみと噛みしめるのだ。もちろん現実的には、問題や苦が全くなくなったわけではなく、むしろ 日々、エゴとの闘いが繰り広げられていたりするのだが、それでも胸を張って「人生は美しい。私は幸せだ」と言えるのは、マヤの宇宙的叡智を学び、実践し続けてきたからこそであり、ボディがスピリットと共にあることによって、本来の自分を思い出し始めたからこそであると思う。

そうした「真の幸せ」を実感させてくれるマヤの偉大なる宇宙的叡智と、それを大切に護り伝えて下さった方々への感謝は尽きない。その貴重な叡智を頂く者として、私にできることはただ、大宇宙の一部であることを自覚し、すべてと調和している本来の自分であり続けることだろう。それはきっと、あらゆる存在の喜びにもつながっているはずだ。人類が真に目覚め、大いなる歓喜が湧き上がるとき、一体何が起こるのだろうか。今からワクワク、楽しみにしている。あぁ、美しき哉、我が人生。人生、常に幸せであれ!



自由な言葉や表現で各自、許可の祈りを行い読み進める。超古代の記憶を蘇らせて、マヤ・カレンダーの情報に触れる・・・。ありがたく、とても嬉しく崇高な気持ちになりつつも、なぜ自分がマヤ暦を学んでいるんだろうと不思議な気持ちにもなります。

最初に、マヤの教えの基本である「神がムーブメントとメジャーである」ことにとても感動しました。そしてそれを体感するためには、マヤ暦と共に生きるのが必須なのだなぁと感じます。そう思って本誌を読んで行ったら、まだ解らないというか体に入らないところ見つかります。春分が起点なのは今までの人生を振り、個人的にも、風景からも感じられます。更に北極の氷が流れて来て生命を生み出すと知り理解が深まりましたが、13日が20サイクルするというツォルキ’ンの周期はまだ体に入っていません。今まで太陰暦と12支で60進法を通して生きて来たので、マヤ暦を思い出すのに時間がかかりそうです。

太陽系が26000年でプレアデス星団をぐるりと一周し、52年でプレアデス星団が天空の真ん中に位置し、人は52歳で長老になる。なんとマヤ暦は深淵なのでしょうか。マヤ暦の解説は頭で理解したつもりですが、これから儀式を重ねて腑に落ちていくのではないかと思っています。

月の暦の一年の始まりが春分の後の最初の満月と知ることができたのは嬉しかったです。今までは太陰暦の影響を受けて生きて来たので、月の周期の影響の記述を読み勉強になりました。朝の太陽瞑想は出来る限りやっています。まだ始めたばかりですが、本当にびっくりの連続の学びをさせて頂いています 。



ちょうど今日は冬至で、当たり前と思われる太陽の動きをもっと大きな宇宙的視野で考えながら、マヤ・カレンダーについて理解を深めたいと思いまし た。これまで直線的なグレゴリオ暦を何も考えず使ってきましたが、マヤ・カレンダーに触れると、宇宙や他の星、自然と同調する継続した無限の動きのサイクルがあり、そこには長期的な意識や視点が存在することを感じます。それぞれのサイクルが関連し合い、そのエネルギーの影響を受けている私たちが上手に 利用し、バランスを崩さないような生き方を思い出すことができます。

現在困難な社会に生きている私達にとって、肉体とスピリットのバランスを調整することを、太古の知恵であるマヤ・カレンダーは伝えてくれるのです。そのことに意識を向けると、たくさんのことに気付けるはずです。自分の本来の生き方を思い出したいと思います。



マヤの知識はとても宇宙的で、現代に生きる私たちが思いをはせる事を全く忘れてしまっている事柄がたくさんあると思います。今、家庭でも、学校でも、それらの知識に触れる機会が失われているので、真剣に学ぶ必要があると思いました。

天体の軌道は、太陽や星の一日サイクルとして、地上面に直交した球面上に示される事になります。これだけれも、充分ワクワクする事なのに、月が地球を回る円、地球が太陽を回る円、太陽が銀河を回る円、銀河が宇宙を回る円・・・。天文学の知識の全くない私ではありますが、もう何とも言いようのない感動を感じました。きっとこれらは、私の潜在下で知っていた事を顕してしてくれるので、私の魂が嬉しいと言っている感じがします。これから、毎日、少しずつ生活を通して、マヤ暦を学んで行きたいと思います。



260日のツォルキ’ン・カレンダーは、黄金比のような美しさを感じました。巻貝や、どこまでも規則正しく並べられた蜂の巣のようなイメージ。人の手には作れないような自然の美。360日のハアブ・カレンダーは、量子力学が平均でしか値を決められないような、水槽に垂らしたインクが不規則ではあるけれど水中に伝わって、最後にはどこをとっても同じ濃度になるような、有機的な美しさを感じました。

直感的にですが、芸術と数学の「言語」はとても似ているように思います。その言語は「あいうえお」ではありません。毎日みんなで使っている言葉のように、「比喩」をあまり使わないのだと思います。口から発する「言語」と、芸術や数学で交換される「言語」は、頭の中で全然違う所を使っているように思います。マヤのカレンダーももしかしたら、口で発するのと違う言語を介して理解するのではないかと思いました。



テレビや雑誌で特集を見る度に「どうも表に出ているのは、西洋文明からの視点だけではないのかしら・・・」となんとなく違和感を覚えていたものです。そして、真の歴史に近い、いわば原初のマヤの文化を知りたいと切に思うようになりました。すっと心に入ってくる大変読みやすい文体。そして図版も美しいレイアウトであったので、あっという間に読み終えてしまいました。本当にすばらしい書籍です。

今までマヤ暦の入り口として使っていた「13の月の暦」に最近感じ出した違和感の原因も、なんとな〜くわかったように思います。宇宙暦としてのマヤ・カレンダーをこれから学んでゆきたいと思います。早速 マヤン・カレンダー・チャートを使ってみたいと思います。



言葉に表すのが難しいのですが、自分が心から求めていた教えがあるような気がして、心に沁み入りました。二つを持って一つを成す「二元性」。マヤの基本の教えとありました。そのことに気付かせていただいたことに感謝して、統合に近づいていけたらと思っています。そんなことを思いながら読み返すと、ディエゴ・デ・ランダのマヤ文化をひどく破壊し、弾圧していく中、最終的には、文化に魅了され研究していくという理解しがたい行動も、何か人間性を今回は感じ、後悔があったのかないのかは私にはわかりませんが、一回目に読んだ時のと少し違う思いがありました。それが破壊の中、20世紀まで守られてきたこと、また文中にあるように、自然界と物質界のバランスを取り戻すために必要な時代に取り出されたこと、必然だったのかもしれないというのも分かるような気がします。

マヤのカレンダーは、自然のサイクルに合っていて、私もこのカレンダーになじみたいと思います。毎日の日の意味を考えながら、日々過ごしていくことのありがたさを、感じているところです。まだまだ、日の意味から自分で今日の日を理解していくのは難しいのですが、続けていくうちに分かってくるのかもしれませんね。



時間は、川のように流れるだけのものではないということを感じる。そのような側面もあるが、積み重なり、糧となり、力となるものであるということを実感しつつある。そして、それが過去の認識さえも変化させてしまう強いパワーを秘めているものなのである。

太陽の位置、月の位置、プレアデス星団の位置、宇宙の星々が織り成す万華鏡のような美しい模様を描くその一瞬が、私たちのこの一瞬を形造る。その一瞬には神フナブ・ク’の意図がある。それを教えてくれるのがマヤ・カレンダーである。このような壮大な時間感の中で、マヤの人々は生きてきたのだと感じることができる。宇宙に生きること、宇宙的な時間を重ねることは、とてもシンプルである。フナブ・ク’の次元に入ることは平等に与えられている。それぞれに役割も与えられている。シンプルな、宇宙的な時間を重ねていく。そして光の道、真実の道を歩むのだ。私たちも、宇宙が織り成す美しい模様を担っていることを常に意識していきたい。



マヤのカレンダーに触れることで、宇宙的な視野に気づかされました。宇宙のエネルギーに沿って生きること、天体のエネルギーを受け取り、利用し、宇宙と調和することは、宇宙的存在である私たちにとっての本来の姿だと思いました。マヤのピラミッドの叡智にも、感動致しました。この本を読んで初めて、「時間」に意識を向けました。継続した無限の動きである時間をこれから、カレンダーを利用することで体験していきたいと思います。



マヤ・カレンダーは、プレアデス、太陽、惑星、月、地球といった宇宙的な視点を基にして、26,000年を大きな周期として創られている唯一のカレンダーである事を知り、とても感動しました。アフリカのドゴン族も星の運行を壁画にしていたそうですが、26,000周期で彼岸(浄土)と此岸(私達が今住む次元)が入れ替わるという説も囁かれているようです。ツォルキ’ン・カレンダーの1から13までの数秘も私にとって神秘ですし、ハアブ・カレンダーの聖なる名前とその意味も未知のものですが、これから時間をかけて少しずつ理解を深め、宇宙との繋がりを身近なものにしたいと思いました。



マヤの叡智を学ぶこと、それは神フナブ・ク’の記憶の中、次元に入ることであり、またそれは自らの中にずっとあった記憶を思い出す行為であること。そんなはじまりの行為が自らをしゃきっとさせ、そしてそれが 「自分は今、宇宙とつながっているのだ」という、神秘的な行為を思わせます。学ぶ、知識を得るということはこんなにも厳かで、喜びにあふれ、心ふるえる行為であることを、改めて気づかされた気がします。やっと、たどりついた。やっとやっと、スタートラインに立てたのかなと。こんなにすごいことを知ってしまったからにはもう元には戻れません。前進あるのみです!



ハアブ暦とツォルキ’ン暦の関係を理解するのに少し時間がかかりました。今まで勉強してきたツォルキンは二つを合わせてアバウトに、「エネルギーの流れ=ツォルキン」と教えられていたからです。今までおざなりになっていた、「13の数字の神聖さ」を深く感じました。やはり、今までの知識を一度リセットする必要があるのかなと思いました。そして、此処まで細かく元になっている星達が分かっている事にもびっくりで、また理解が深まりました。ホントに宇宙の流れなんですね・・・、深いし、ロマンです!



マヤ・カレンダーは感じるものである。時を刻むという宇宙の鼓動を感じる。一時間が60分、一日が24時間、一ヶ月が30日、一年が12ヶ月・・・、このような公式は薄っぺらい。私たちの頭で作り刻んでいる時間とは、本当に平面的である。これに振り回されている現代社会、現代人が、苦しみもがいているのも最もだと感じるのである。思い出さなければならない。私たちの母なる地球は、宇宙にあることを!様々な星々と調和しながら、宇宙として鼓動をしていることを!時を刻むのではなく、永遠なる宇宙の鼓動の中にいることを感じている。なんて美しいのだろう!



これまで知っていたマヤの暦は、ホゼ・アグエイアス博士によるものでした。何年か博士の暦を使ってみたものの、ピンと来なかったのです。伝統的なマヤ先住民の伝承によるカレンダーを知り、17種類、最長のサイクルは260,000年と知り、その壮大さに絶句しました。まさしく宇宙の暦です。どうも数学的な思考は苦手なたちで頭がこんがらがってしまってはいますが、少しずつでも日常の中で真の暦に親しんでいきたいと思います。



時間だけではなく、マヤの歴史で起きた事、食べ物等々、天体からだけではなく、普段の日常を含む自分の周りに存在するもの、『存在』はなくても繋がっているもの、それら全てが組み込まれているマヤ・カレンダーとは、そういう存在だったのだと。「今日は何月何日」ってだけの、『日にち』だけを知るだけのものではない。

日本ではお盆や彼岸は、「あの世から先祖が帰ってくる時」、「あの世とこの世の道が開いてる」とかありますが、毎日何かと繋がっている。その何かとの適し時、接し方を知る術であり、各々がその何かに対し行う事は、各々違う事。「今日は晴れだから、洗濯が適してます」と言って服を洗濯する者、車を洗う者、靴を洗う者、網戸だったり、布団だったり、外に出掛け心の洗濯になったり・・・。「今日がこの日だから」と言っても、皆が皆、同じ時間に同じ物を洗濯はしないようなもの。「指示しているものではなく、森羅万象のリズムに乗るステップの仕方を教えてくれているものなのだ」と。

天気は今、みんな外に出れば解るが、外の天気が分からない状況だと、天気予報を見たり、人に聞いたりして分かるのが当たり前の環境ですが、天気ではない他の感覚的な事になってしまった事への、接し方を教えるツール。今、他の事に関しては、当たり前でなくなってしまい、閉じてしまっている。天気が分からない真っ暗な部屋に居るようなもので、その部屋からでも天気が分かる方法、カーテンを開ける、窓を開ける、その部屋から出るタイミング・・・。そんな事をも組み込まれているツールなのかと。

そして、「解ったーーーー!!」となっても、解っていて解っていない。それをグルグル繰り返す。それにも「?」。解ったつもりになっていたと思っていましたが。宇宙の螺旋。解ってなかった事を解っていて、解ってなかった事を解っていて解ってなかった・・・。同じとこをグルグルしているようで、少しずつ角度は変わっていたり、新しい事や嫌な事をやる時は時間の進みが遅く、経験した事、楽しい事は時間の進みが早く、時計の刻みは一緒でも、一人一人の時間は違う。

読み直したら、スラスラと入ってくる。喉が渇いて渇いて仕方ない状態の時に水を飲んだ時のように、身体に染み渡る感覚でした。自分が感じた感覚の事をページを開けば説明している。いかに、今まで理解できてなかったかが、ページを開くたびに実感出来ています。



13の月の暦からマヤの暦に興味を持ち、まずアグエイアス博士の暦を使っていたのですが、どうしても7月26日が年始であるということに納得がいかなくて、貴ホームページにたどりつきました。本誌を読んで、上記の点についてすごくよく理解できました。一年というのは太陽を地球が一周する周期なのに、その周期に関連性のない日が年始だから違和感があったということです。それは今使用しているグレゴリオ暦でも同じですが・・・。 マヤン・カレンダー・チャートも堪能したいと思っております。



宇宙と同調するマヤ・カレンダーを理解することは、人間と宇宙を調和することになると確信しました。マヤ・カレンダーを数字の羅列ではなく、すべての事柄を結びつけて考えることができるものと理解しました。時間は、直線的なものでなく円であり、途切れるものではないのです。円は、スピリットを表し目には見えないものです。四角は、ボディを表し目に見え、メジャーできます。この大いなる二元性を現したマヤ・カレンダーの叡智に触れられたことに感謝し、謙虚にこの叡智を学び続けたいと思いました。



マヤに触れる時、不思議とイメージで伝わってくるのは宇宙の記憶。本誌を読み進めるたびに、それが鮮明になってふわっと意識が膨らみ、静かに力も漲ってきます。終盤に書いてあったカレンダーを立体的に理解するというポイントは、非常にエキサイティングでした。ということは立体的にも表わしきれない何かがある!この微かな感触・・・なんだ?

マヤン・カレンダー・チャート を注意深く観察していると、簡潔な幾何学図形の背後、一見整然としたバイオリズムからどっしりと濃密で混沌とした空間が立ち昇ってきて、目に見えない多くのエネルギーが絡み合って同調したり反発したりねじれたりしながら、ダイナミックに生命を紡ぎだしていく様子を感得できます。このカレンダーの奥にある言葉に表わしがたい茫洋とした何か・・・。今、息を潜めてその糸口を追っているところです。

本誌を読んでいると、本当にいろんなことを思い出します。そのどれもがぶっ飛んだビジョンなので、振り返るたびに、「現実は1つじゃない、他にもたくさんの視点がある。横断しなさい、あらゆるものの間を」と教えてもらっている気がします。



「カレンダー」と言うと、つい日常使っているカレンダーを基に考えてしまっていました。本誌を読み進めてもなかなか結びつかず、しかし「宇宙を思い出すもの」「宇宙のサイクルの一片を理解するもの」とあり、スーっと私の中に入ってきました。マヤ・カレンダーが素晴らしいものだと言うことが分かりました。



本当に貴重な内容で、読んでいてとても自然に納得でき、自然と頭が下がる思いが致しました。特に、宇宙と自分、万物の持つスピリットという考え方には心から共感しています。自分は「地球上にある全てのものは、宇宙で出来ている」という考え方を自分の中に持っています。鉱石や生命を構成する物質も皆、宇宙の中に存在しているものから長い時間をかけて出来上がったものであり、従って私達の身体の全てが宇宙開闢から始まったパワーとスピリット、そしてリズムと記憶を持ち続けているのだと思います。

銀河と宇宙を回転させている力の源がフナブ・ク’という存在であり、そのリズムとスピリットを記したものがマヤ・カレンダーではないのだろうか・・・と。これからもっとじっくりと、少しずつ読み解いて、魂の記憶を呼び起こしたいと思います。