日本一周紀行   青森−川崎(1/5)  メーター : 26,756〜27,137キロ
7月28日
03:30 青森フェリー乗り場
 船を降りて、3人で記念写真を写した。そして、港で朝日を写したいと思う2人を残して、 俺は、一路、津軽半島へ向かった。でも、伊藤氏は、明日から仕事なのに大丈夫かなと思った。
東北 青森蓬田 04:00 青森湾の朝日
 帰りに寄ろうと思ったハンバーグ屋を尻目に、車の少ない早朝の国道280号線を走った。 やがて、東の空が明るくなってきたので、蓬田近くの漁港に単車を止めた。海鳥が鳴く中を漁船が、 港にもどってきた。水平線からの朝日は、見れなかったが実に静かで、すがすがしい感じが、 俺の心を和ませた。当たりがすっかり明るくなり、漁港の人達が数人現れたので、静かにその場を去った。

東北 青森蓬田(7月28日)

東北 高野崎  高野崎には、キャンプをしている人達が多くいた。みんな、いびきの大合唱であった。 多少、俺も眠気がさしたが、この天気を無駄にはできないと思って先を急いだ。

東北 高野崎(7月28日)

東北 竜飛岬 06:30 竜飛岬
 津軽半島の先端である竜飛岬に着いた。 そこで、早朝から商いしているおみやげ屋さんには、驚かされた。しかし、 それ以上に吉田松陰先生の詩碑が何故、ここにあるのかと不思議であった。その碑の崎には、 昨日までいた北海道が津軽海峡をはさんで、奇麗に浮かび上がっていた。

東北 竜飛岬(7月28日)

東北 龍泊ライン  地図上ではたいしたコーナーに思えなかった龍泊ラインに入った。 そのくねくねしたコーナーは、北海道の直線にあきた俺を熱くするには、充分であった。

東北 龍泊ライン(7月28日)

東北 七ッ滝 さらに、美しい道が、ようやく海岸道路となるところには、待っていたいたように七ッ滝が俺を出迎えてくれた。
09:00 ベンゼン湿原
 やがて、海岸通りから少しずつはなれて、屏風山広域農道へ入った。そして、途中で、 ベンゼン池へと向かった。そこは、正しく原野であった。北海道にもこんなひどい原野は、 なかったと俺は思った。また、名も知らぬ沼の草を取っただけで、罰金を取るという看板にも驚かされた。 その後、国道101号線に出る手前で、しばしの休憩を取った。しかし、天気が徐々に悪くなり、海岸通りは霧雨であった。

東北 七ッ滝(7月28日)

東北 十二湖 12:00 十二湖と日本キャニオン
 霧雨の中、無意識の感覚で単車をころがす俺の目の前に、突然、日本キャニオンという看板が入った。 ふざけた名前だと思った俺は、どんなものか興味をそそられた。十二湖と呼ばれる池をバックに写真を写しまくった。

東北 十二湖(7月28日)

ひと段落ついて、観音像があるせせらぎから、 ゆげが出ているの気がついた。気温が低いのかと思いつつ目的のキャニオンめざして、山登りを始めた。 途中、引き返そうと何度も思った。そしたら、全方の木々が開けた。そこで、タバコに火をつけて、 下を見下ろした。しかし、霧で何も見えなかった。何のために、 ここまで上がって来たのだろうと多少がっかりした。そこで、柵を越えて、谷のぎりぎりまで行った。 そしたら、そこには青白いキャニオンがあった。しばらく、見とれていると親子づれの観光客がきた。 お父さんは、しっかりビデォを持って、写しまくっていた。そこで、 俺は「ここからのほうが奇麗に見えますよ」と教えてあげた。ところが、 そのお父さんは、写すことに熱中して、子供に早く行こうよとせがまれるありさまであった。 山を降りた俺は、キャニオンの下へ行く道を捜したが、残念ながら見つからなかった。
13:30 能代市
 国道7号線へ出る手前で、ようやく雲が晴れた。そして、カッパをぬいだ。そして、八郎潟の手前で、 男鹿街道へ出た。潟を左手にして、晴れた農道を走った。
16:00 寒風山
 百川の町で、寒風山と矢印があったが、細い道なので地図上で明確なルートをとるために、 数キロ走った。そして、広い道を選んで、寒風山に登った。山頂では、八郎潟と船川港が、一望できた。 また、展望台ではパラグライダーをするグループがいて、パラシュートに風を受けて、 山すそへ飛んでいて、それを見学する人達でうめつくされていた。その雰囲気に、 俺はやってみたくなった。おそらく、この旅が終わったら次の目的は、 このスポーツにチャレンジするのではないかとも思った。しかし、 この山はなにか悲しい出来事があったらしい。おそらく、以前に大噴火があり、 多くの尊い命を奪ったのであろう。かたわらの石碑には、後ろを振り向くひまもなく逃げたような歌が、残っていた。
16:40 男鹿温泉湯元ホテル
 寒風山から、下りのコーナーをとばして、走っていると染川城跡に出た。 戦国時代以前の豪族の城らしく砦という感じであった。ひさびさに、 日本海に沈む夕日が見たいと思って海辺へ向かったが、道に迷ってしまった。 そこで、あきらめて八郎潟の手前で予約したホテルに向かった。しかし、途中でつぶれたホテルを見た。 こんな観光地でも、やはり経営的に能力がない人が、作ったホテルはつぶれるのだなと思った。 そして、ようやく湯元ホテルに着いた。湯元のわりには、あまり大きなホテルではなかった。 そして、バイクから荷物を降ろしているとレンタカーに乗った外人が、数人現れた。彼らは、 片言の日本語を話していた。どうやら、ドイツから来たらしい。こんな、ホテルにも外人が来るとは、 日本も世界的な観光地になったものだなと俺は思った。やがて、なかいさんに案内されて、 部屋に入った。その後、すぐに温泉へ向かったが、単純泉らしく残念であった。でも、 この長い一日の疲れが、どっと出た。夕食の海草と言われる不思議な料理が、 妙に気に入ってしまった。海草の他に、正式な名前があるだろうと何度も聞いたのだが、 帰ってくる答えは、海草であった。食後、再び温泉へ行って帰ってきたら、 平安絵巻に出てくるような布団が敷いてあった。その柔らかい布団へ入った後の記憶は、全然なかった。


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