峠の古絵図
峠のイベント ・ 保存
@落合の地蔵尊
地蔵さまは人々の願い事をなんでも
聞き届け救ってくれる仏である。
また「子育地蔵」ともいわれ祭りの主
体は子供達である。祠堂の寄附札を
みると小国全域に渡り信仰圏が広く
及んでいたことがうかがわれる。
コースの途中では、山葡萄やあけびなど山の恵み
に出会うことも。
下山した後は公民館で、地元のお母さんたちが作
ってくれる芋煮を食べながら、抽選会が行われる。
道普請供養塔の碑文
幕末期、越後の小千谷紬の
原料として品質優良な米沢
産の撰狽ェ十三峠を越して
盛んに移出された。米沢藩
では越後商人の強い要望に
応えて、天保6(1835)年か
ら明治直前まで十三峠の各
所で敷石工事などの大掛か
りな道普請を行った。この碑
は弘化2(1845)年に手ノ子
と小松の宿駅問屋、成島の
石工ら4名が施主となり宇津
明神の境内に建立された竣
工記念碑である。碑文に記さ
れている人足総数は 18,5
00人におよんでいる。
G
D宇津大明神碑
小松の諏訪明神と兄弟
神といわれる。元は宇
津峠の頂上御殿場にあ
ったが、昭和37年落合
の地蔵堂裏山、そして
現在の場所(共同作業
所脇)に遷座され頂上に
は記念碑が建立されて
いる。
Aはだか杉
江戸期末頃の絵地図にも記録の
ある巨木。推定樹齢400〜500
年、樹高17.7m、幹回り3.9m
大里峠開かれた後も、小松〜小国東部間のルートは数回変更され、諏訪峠〜手ノ子〜(宇津峠)〜間瀬のルートは江戸時代になってからようやく開かれた。このルートで宇津峠を越えるようになってからも、雪崩を避ける等のため何回かコースの変更や改修工事が行われた。十三峠の中でも特に険しい峠である。
正保絵図【正保2(1645)年作成、市立米沢図書館所蔵】
動を行っている。近年は秋開催の「宇津峠歩こう会」の他に、春に
「探鳥会」などのイベントを開催している。
「宇津峠部会」
平成15年に手ノ子地区協議会の中に「宇津峠部会」を設立し峠の整備を進めており、草刈りや道標の設置、会報の発行など精力的な活
E道普請供養塔
Gサイカチの木
推定樹齢250年、 樹高18m、
幹周り3.37m。
石鹸の代用として使われた。
B
F
ED
A
介跡、「介」とは米沢藩で各宿駅に布
達し、街道を通る旅人が不慮の病気、
災難に遭った場合それを収容し手当
てをする所である。
「介」は藩から任命され、二人扶持を
支給された。
享和絵図【享和2-3(1802-3)年作成、米沢市上杉博物館所蔵】
「宇津峠歩こう会」は平成16年から開催し、既に8回
(H23年)を数えた。コースはその年により多少異なる
が、落合側からスタートし、頂上近くにある「宇津大明
神」に全員で参拝する。
置賜地区では五指に
入るほどの碑で、大
きさは高さ1200mm
幅600mm厚さ350
mm。天保6年からの
敷石工事で運搬役の
馬への愛情を顕した
ものと思われる。
峠のポイントガイド
F北こぶし
推定樹齢200年、樹高20m、
幹回り2.5m、県内で有数の巨樹。
春まだ残雪が残る頃花が見頃になる。
同じ時期、手前には群生した福寿草が
満開に。
B介跡」
頂上近くには、そのことを物語る「道普請供養塔」があり、立派な「馬頭観世音」碑も残されている。現在、峠の全長は4.7kmであるが十三峠の古道を通るのは、落合地蔵尊から約200mと大比戸から上の数百メートルであり、他は旧国道を通るコースである。平成15年に手ノ子地区協議会の中に「宇津峠部会」を設立し峠の整備を進めている。翌年に第1回「宇津峠歩こう会」を開催、現在も続けており秋の紅葉と芋煮で、目とお腹を満足させてくれるイベントは大勢の参加者で毎年賑わっている。