琵琶法師の碑  所在地 問合せ先 

琵琶法師の碑

荒川台 観光協会  
丸山大橋の近くにある「お野立ち公園」内にある石碑。碑文には大蛇伝説の概要が書かれてある。21世紀記念事業として、平成13年11月14日建立された。
  関川村 自然景観                            
下関城址  所在地 問合せ先 

j城址遠望

下関 教育委員会 
建治3(1277)年に北条関郷(関下)に分地頭派遣された、和田胤氏(たねうじ)が築城した。下関の南方山地の一画にあり、地元では付近一帯を「城ノ山」と呼んでいる。現在でも土塁や空堀を確認することができる。
沼金鉱山跡  所在地 問合せ先 

鉱山跡のある「猿ヶ城」

教育委員会  
沼集落内の沼川沿いに「猿ヶ城」と呼ばれる美しい山がある。この山は近世のはじめ金堀りで賑わった所である。最盛期には2950人のほりこが就労していたが、寛永16(1636)年ころ金は底つき、廃山となった。今でも、山の中腹に横穴を確認することができる。
桂の五輪塔群  所在地 問合せ先 

五輪塔群

教育委員会 
桂集落の南西杉木立の中にある四基の五輪塔。慈覚大師供養塔1基、後鳥羽院供養塔1基、河村一族の墓標2基から成っている。慈覚大師は貞観3(861)年薬師岳を開峰した人物。この慈覚大師の遺徳を偲び、五輪塔が建立された。後鳥羽院の塔は、後鳥羽院が隠岐島で崩御された事を聞いた河村氏が建立した。河村氏は荒川保の初代地頭に任命された人物である。それぞれの碑は欠落四散していたが、地元の有志によりここにまとめられた。  
朴坂山  所在地 問合せ先    朴坂集落から朴坂山を望む
朴坂集落  観光協会 
昭和47(1972)年に地元で登山道を伐開した。一等三角点本点のある山として有名。頂上からは東の荒川本流、西の日本海、ふもと女川流域の集落群がよく見える。12世紀~14世紀にかけ、この山を境にして河村・色部両氏が対峙、境界争いがたびたび起こっていた。現在でも、境界争いの原因となった砂鉄の採取跡などが残っている。                        
おりのの碑  所在地 問合せ先 

おりのの碑正面

蛇喰 観光協会  
全国的に広く知られている「大したもん蛇まつり」発祥の地である「蛇喰」にある石碑。大したもん蛇まつりの前日(8月下旬頃)には祈願祭が行われている。
若山竪穴住居遺跡  所在地 問合せ先 

復元された竪穴住居

若山 教育委員会  
この竪穴住居址は、昭和40(1965)年の農道改修工事の際に発見された。竪穴10箇所、中央に炉址があって、その周辺から石器や土器などが発見され、およそ4000年前のものと推定された。この竪穴住居は、愛知県及び上越地方にある復元家屋を参考にして復元されたものである。
畑銅山跡  所在地 問合せ先 

畑銅山跡

下関 教育委員会 
大里峠の新潟県側入り口にある銅山跡。明治7(1874)年、大里峠入口近くの山腹から銅鉱が発見され、明治35(1902)年から銅鉱の採掘精錬が行われた。最盛期には従業員220人が就労していたが、戦後銅の需要がなくなるとともに昭和20(1945)年閉山した。
無名戦士の墓  所在地 問合せ先 

無名戦士の墓

榎峠内 教育委員会 
明治元(1868)年に蛇喰村弘長寺の第63世順誉良成和尚と集落の人々により建てられた、高さ約110cm、塔身は約44cm角の供養塔。慶応4(1868)年、榎峠で米沢藩兵と新政府軍が戦い、多くの死傷者を出した。その際に戦死した、米沢藩士と新発田藩士の供養のため建てられた。
光兎山金銅仏  所在地 問合せ先 

光兎山金銅仏

宮前 教育委員会
貞観3(861)年、光兎山に魅せられた比叡山延暦寺の高僧円仁が山を開峰し、7体の金銅仏を山頂に奉祀した。これらの金銅仏は1100年以上もの間山頂にあり、人々の無病息災、平和安穏を守護してきた。現在は5体が現存しており、災難を考慮し、宮前の光兎神社に奉祀されている。
蕨野城址  所在地 問合せ先 

蕨野城址

蕨野 教育委員会 
荒川保の地頭河村景秀の四男、秀通の居城。延元元(1336)年の南北に分かれての決戦で、南朝方の最後の拠点であったが、優勢な北朝側に圧倒され陥落した。現在でも土塁や空壕を確認でき、当時の面影を偲ぶことができる。
垂水館址  所在地 問合せ先  垂水館跡の石碑
湯沢 教育委員会 
永正10(1513)年、垂水(湯沢)に河村左衛門尉が築城し、地名をとって垂水と改名した。垂水氏は沢地内に山城、荒川右岸台地に居館を造営した。慶長3(1598)年に廃城したが、現在でも土塁や空壕の原型が保たれ、貴重な文化財として保護されている。
沼の板碑  所在地 問合せ先 

沼の杉林の中にひっそりと建つ

教育委員会
応永4(1397)年に加地佐々木氏の一族成空(片貝氏)が建立した、高さ2.28m、最長幅1.18m、厚さ0.41mという巨大な板碑。南北朝の争乱の戦没者慰霊のために建てられたと考えられる。この碑の中央蓮華台座の上には月待像が配され、その中に種子バン(大日如来)が刻まれている。
身代り地蔵尊  所在地 問合せ先 

今でもひっそりと村民の安全を見守っている

下関 教育委員会
江戸時代中頃、桂岩寺の境内にあった地蔵尊。大正7(1918)年に現在の場所に移された。桂岩寺の木を切り出す際、遊んでいる子供たちの方に向かって大木が倒れてきたが、木は子供たちには当たらずに地蔵尊を直撃し、その衝撃で首が飛んだと言い伝えられている。この地域では、子供たちの命を救ったことから「身代り地蔵尊」と呼ばれ、大切にされている。
  関川村 史跡                            
フラワーパーク
(コスモスパーク)
 所在地 問合せ先 

4月中~5月中頃は菜の花でいっぱいになる

上関 観光協会 
関川ふれあいど~むの脇にある広さ4haほどの敷地にコスモスが100万本以上咲く。見頃は9月下旬~10月下旬。また、春は菜の花でいっぱいになる。
鷹の巣館・鷹の巣温泉  所在地 問合せ先 

本館

鷹の巣 観光協会 
文化3(1806)年、荒川を行く舟人が、傷ついた1羽の大鷹が河原の水たまりで水浴びしているのを発見し、不審に思い調べてみると温泉が湧き出ていたという。そこで、ここを掘り下げ湯治場としたが、最初は利用者が少なかった。その後、明治18(1885)年の米沢街道改修を機に温泉施設を建設し、鷹の巣温泉と称した。現在では、多くの有名人も訪れる人気のある温泉である。
鷹の巣温泉を訪れた有名人:上杉茂憲(米沢藩主)、佐藤栄作、渡邉恒雄、三波春夫、小林幸子、森脇健児など
湯沢観音公園  所在地 問合せ先 

公園内の遊歩道

湯沢 観光協会 
如意山松岳寺裏の山上にある、三十三体の観世音菩薩の尊像が建立されている公園。昭和10(1935)年に松岳寺の高橋祖舟和尚によって造営された。慈海祖舟和尚の代には、公園の中心にある井戸から三万個余りの経石が発見され、これを機に三十三体の観音菩薩像を建立した。このほかにも歌碑や地蔵尊など史跡が多く、湯上りの散策に最適である。
地域文化交流施設ちぐら  所在地 問合せ先 

地元の人から観光客まで幅広い人気がある

下関 観光協会 
関川村の観光案内や物産品の販売を行っている施設。また、特産品である猫ちぐらの製作実演も行っている(土曜日、休館日を除く)。玄関前にはゆ~むから源泉を引いた足湯もあり、憩いの場となっている。
せきかわ歴史とみちの館  所在地 問合せ先 

せきかわ歴史とみちの館

下関 観光協会 
国の重要文化財「渡邉邸」をイメージして建てられた石置木羽葺屋根撞木(いしおきこばぶきやねしゅもく)造りの建物。館内では、村の歴史資料が展示されているほか、渡邉邸など旧米沢街道の18世紀の町並みが模型で紹介されている。また、書や絵画などを展示する企画展も常時開催されている。

開館時間:9時~16時30分 休館日:毎週月曜日、年末年始

入館料:大人300円、子供200円
渡邉邸  所在地 問合せ先  修理工事前の渡邉邸
下関 観光協会 
屋号は桂屋。母家は文化14(1817)年再建。3000坪(約1万㎡)の敷地と500坪(1600㎡)の宅地の大邸宅。 豪壮重厚な造りの母屋、火災や盗難にも備えた万全の造りの土蔵、廻遊式の庭園など貴重な建築物が多く残されており、国の重要文化財に指定されている。また、収蔵品も貴重なものが多く残っており、特に米沢藩とかかわりのある品が多い。平成23年現在、渡邉邸では平成の大修理工事が行われているが見学は可能で、往時の建築様式を見ることができる。
大石ダム  所在地 問合せ先  秋の大石ダム
大石 観光協会 
高さ87m、幅243.5m、貯水量2280万㎥の多目的ダム。昭和42年8月28日の羽越水害を契機に、7年の歳月と172億円の巨費を投じて昭和53年8月に完成した。周囲は公園として整備されているほか、春は桜、秋は紅葉の名所として楽しめる。
鷹の巣吊り橋  所在地 問合せ先  吊橋入り口
湯沢 観光協会 
新潟県景勝100選、新潟の橋50選に選定される吊り橋。明治40(1907)年に建設された。新潟県内でも屈指の紅葉の名所で、見頃は10月下旬~11月上旬。
鷹の巣キャンプ場  所在地 問合せ先  キャンプ場内
湯沢 観光協会 
清流荒川のほとりにある、ひのき・けやき・ならの森林に囲まれたキャンプ場。キャンプのほか、森林浴、林間学校、探鳥会、昆虫採取にも最適の場所である。場内にはカタクリの群生地があり、見る人を楽しませている。

開設期間:4月下旬~11月上旬

使用時間:宿 泊(12時~翌日10時30分)

       日帰り(11時~16時)

大石東俣植物公園  所在地 問合せ先  園内に見られるケナシヤブデマリ
大石 観光協会 
大石ダムの奥にある、広さ4000㎡ほどの公園。大石ダム周辺に自生する植物を集めた自然公園で、普段あまり見ることができない山野草や樹木を見ることができる。園内には、ブナ、ツツジ、ヤマグルマ、モミジ、エビネ、ミズバショウなどが数多く植えられている。
せきかわ ふれあいど~む  所在地 問合せ先  ふれあいど~む外観
上関 観光協会 
様々な観光施設がある「道の駅」関川でも、ひときわ目を引く巨大なドーム型の建物。テニスやゲートボール、クライミングなど各種スポーツやイベントなどが天候を問わずに行える。また、館内には世界一長い大蛇「大したもん蛇」が展示されている。
丸山大橋  所在地 問合せ先  ライトアップされた丸山大橋
湯沢 観光協会 
アーチ支間の長さ118m、橋長175mを誇る日本一のアーチ橋。渡邉邸をモチーフにした柱や、もみじやゆり、さらにはアユをかたどった高欄が見どころ。ライトアップされた橋や、橋からの眺望は素晴らしい。
大石ダム湖畔県民休養地  所在地 問合せ先  ミニSL
大石 観光協会 
大石ダム下流に広がる、豊かな自然を満喫できるプレイランド。レストハウスやバーベキュー広場、小動物園、ミニアスレチック、ゴーカート、ミニSLなどが楽しめる。
大石東俣彫刻公園  所在地 問合せ先  公園入り口
大石 観光協会 
園内には天・水・人・風・地それぞれとの対話を表現した5基の彫刻が設置されている。また、15種類の樹木約400本も植えられており、遊歩道やあずまやなども整備されている。森林浴やハイキング、紅葉狩りに最適である。
桂の関温泉 ゆ~む  所在地 問合せ先  ゆ~む正面
下関 観光協会 
関川村5つ目の温泉として開湯した温泉。「ゆ~む」という名前には、誰もが「湯」に親しみ、「遊び」と「ゆとり」をもって「友」と「夢」を語り合える場にしたいという願いがこめられている。男女それぞれに大浴場、露天風呂、サウナなどを完備されている。また、広い館内には、いろり付きのふれあいホール、64畳敷きの休憩室、大画面で映像カラオケが楽しめるカラオケルームなどがあり、ゆったりとくつろげる。

利用時間: 午前9時~午後10時(4月1日~10月31日)

        午前9時~午後9時30分(11月1日~3月31日)休館日:毎月第3水曜日

入浴料:中学生以上500円、中学生以下300円

せきかわ観光情報センター  所在地 問合せ先  八ツ口大橋周辺の紅葉 
下関 観光協会 
関川村の観光・イベント情報を提供している施設。村の観光パンフレットや案内マップが入手できる。映像ホールでは、イベントの模様や四季折々の自然風景を楽しむことができる。また、随時企画展示会も行っている。

開館時間:午前9時~午後4時30分

休館日:年末年始

入館料:無料

旧斉藤医院  所在地 問合せ先  旧斉藤医院
下関 観光協会 
明治43(1910)年に当時の村では珍しい「洋館づくり」の渡邉家板当事務所を譲り受け開院した。内科、産婦人科として地域の医療に貢献した。今でも診察室や手術室、病室が当時のままきれいに保存されている。
現在、建物内は一般公開されていない。
平田大六家住宅  所在地 問合せ先  母屋
小見 観光協会 
近世初頭に当地に居を構えたとされる平田家は,元禄年間(1688~1703年)から酒造業を営み,広大な屋敷地に母屋,酒蔵等を配している。母屋は大正10(1921)年竣工の大規模な近代和風建築で,書院風意匠で統一された座敷等の各部屋や,豪壮な梁組をみせる台所等は見事である。
  関川村 建造物                            
下関  所在地 問合せ先 

下関入口(上関側)

下関 観光協会 
下関村は慶長年中(1596年~)頃にはすでに「せきしもまち」と呼ばれており、町形成が早く、関川の中心村だった。この頃には上関村と半月交代で宿駅を務めており、宿駅村として著しい成長をしていた。検地の記録によると、1597年~1659年の62年間で村高が7倍以上になっており、いかに急速に発展したのかがわかる。その後、親元宿としての位置から離れる事態もあったが、文化年間(1804年~)頃には一村引受けで宿役営業を行うに至った。
上関  所在地 問合せ先 

上関口留番所跡

上関 観光協会 
上関宿は慶長2(1597)年の越後国郡絵図に「せきかわぐち」とあり、翌3年にはこの地に口留番所が設置され、宿駅として格好の条件を備えていた。上関村は宿駅業務を分担させてほしいと村上藩に申し出て、慶長19(1614)年より文化年間(1804~1818年)まで下関宿と15日交替で宿継ぎを行った。

上関口留番所跡
慶長3(1598)年、村上頼勝の命により清水右近次が上関口留番になったという。以後、幕末 まで清水氏が番所役人を務め、通行人や荷物な どを取り締まった。遺構などは残っていない。

下川口  所在地 問合せ先  鷹巣峠から下川口出口へ 
下川口地内 観光協会 
下川口村は大石川が北流し荒川に注ぐ合流点の近く、右岸に位置している。峠の登り口であり前に大石川を控えている。雨が降り増水ともなれば、橋梁は流出し通行、物資の輸送に障害を来し、農民は持ち舟を出し渡船の便を図ったという。そこで、この村には旅人宿や物資が集まるようになった。現在は裏通りとなったが、趣のある古い家並が残っている。
大内淵番所  所在地 問合せ先  大内淵集落
大内淵 観光協会 
慶長2(1597)年の「越後国瀬波郡絵図」には家数1軒と記され、万冶元(1656)年「女川組本田畑検知寄目録」に大内淵口留番所金子仁右衛門・飯塚次右衛門の名があり、口留番所の所在を知ることができる。ここ大内淵は羽越の主街道(米沢口)に備えた越後の番所である。位置は道の北側の西端「金子宅」である。後ろは荒川の断崖、前には山地を控え「抜け荷」のできない好適の場所である。
 所在地 問合せ先  沼集落の入り口 
沼地内 観光協会 
沼は明治3年宿駅に指定されるが概要は「間の宿」について説明する。玉川と下関の間は四里二十七町で他の宿駅より距離が長く、大小三ヶ所の峠がある。しかも以前から悪路といわれ物資の輸送等には苦情が寄せられていたため休息、宿泊のための間の宿であったが、荷物の受け取り、附け送りなどの業務をしていたようである。また、沼は戊辰戦争の講和会議が行われたところでもあり、イザベラバードが泊まった所でもあり、街道を往来する人の信仰と憩の場となった板碑がある。
  関川村 宿場・街道                            
畑番所(畑村)  所在地 問合せ先  畑鉱山跡 
沼地内 観光協会 
畑番所は大内淵番所を通らず畑に来る者、すなわち脇街道からのものを取り扱う番所で、いわば「間道抜け」を取り締まる任務を与えられていたところと思われる。畑村は関川郷士史料によれば享和元(1801)年家数3軒、人数16人となっている。明治7(1874)年銅鉱が発見され活況を帯びた、その後、昭和20(1945)年廃坑となった。
荒川峡もみじライン  所在地 問合せ先  八ツ口大橋周辺の紅葉 
鷹ノ巣~金丸 観光協会 
鷹ノ巣~山形県境までの約20kmは荒川峡もみじラインと呼ばれており、10月~11月にかけて、美しい紅葉を眺めることができる。特に鷹ノ巣、八ツ口大橋、龍の髭トンネル付近の紅葉は見事である。
荒川  所在地 問合せ先 

秋の荒川(鷹の巣温泉) 

村の中心部 観光協会 
流域は上流から小国盆地・峡谷部・関川盆地・新潟平野の4つに大別される。年間を通じて流量が多く、かんがい用水や水力発電に利用されている。多くの水害が記録されており、特に昭和42(1967)年の「8・28羽越豪雨」においては大洪水によって甚大な被害をもたらした。平成15~17年と20年に河川水質調査で全国1位になっており、鮎釣りやかじかとり、カヌー体験など多くのイベントが行われている。
大石川  所在地 問合せ先 

大石川でアユ釣りを楽しむ人たち 

関川村南部~中心部  観光協会 
荒川の支川。東俣川と西俣川が大石ダムで合流し、大石川となる。その後、金俣の平野部を5kmほど流れ、荒川に合流する。村内荒川の支川の中では女川に次いで流路延長が長い。また高く急峻な山岳地帯から流れてくるため、平均勾配は荒川の3倍ほどある。秋には紅葉に染まる渓谷美が見られる。展望ポイントとしては、大石ダム附近、鷹の巣遊歩道、大石ダム湖畔公園展望台などがある。
薬師山(岳薬師)  所在地 問合せ先   朴坂山から見た薬師山
桂  観光協会 
桂集落から入り、集落の中を桂川沿いに登る。この山は、貞観3(861)年に慈覚大師円仁によって開峰され、頂上に3体の金銅仏を祭祀したと伝えられている。登山道には樹齢800年を誇る姥杉が並ぶ。頂上にはお堂が建っている広場がある。

標高:386.7m 登山口:桂集落  頂上までの歩行時間:2時間

朳差岳  所在地 問合せ先  山頂避難小屋とニッコウキスゲ 
大石  観光協会 
飯豊連峰縦走路の最北端に位置する一級山岳。大石集落から頂上まで1日の東俣道と、途中小屋泊りで2日の西俣道がある。頂上近くの草原には大小の池が点在し、高山植物も豊富。国体の山岳競技会場となったこともある。

標高:1636.4m   登山口:大石ダム  

頂上までの歩行時間:

    東俣道    9時間

    西俣道 10時間(宿泊小屋あり)
立鳥帽子岳  所在地 問合せ先  冬の立烏帽子岳 
大石集落  観光協会 
南に飯豊山、眼下に村の集落が見えるハイキング向けの山。旱魃の年は地元の女衆が裸踊りをして雨乞いをしたという。大石から2時間足らずで登頂でき、飯豊連峰や関川村の素晴らしい風景を眺望できる。
土沢の牓示石  所在地 問合せ先 

国道290五千脇に建つ

土沢 教育委員会 
牓示(ぼうじ)とは、領土などの境目にたてる掲示。鎌倉時代、土沢周辺は奥山荘の和田氏と荒川保の河村氏によって治められていた。両者は水利権や砂鉄産地をめぐってしばしば境界論争をくりひろげたが、正応5(1292)年に幕府の裁定が下り、和解した。この石はその当時境界に据えた牓示石である。設置以来700年以上経過した、村の歴史を語る貴重な史跡。
上関城址  所在地 問合せ先  二の丸付近に立つ石碑
上関 観光協会 
桂関の関吏として来任した筑後国三潴荘出身の三潴左衛門尉の子孫が築城。慶長3(1598)年左近助長能が上杉景勝に従って会津へ移り、上関城は廃城となる。現在でも土塁や空壕跡を確認することができる。
東桂苑  所在地 問合せ先 

東桂苑正面

下関 観光協会 
渡邉邸に隣接する渡邉氏の分家で、明治38(1905)年建造された。敷地面積5440㎡、宅地面積585㎡。昭和57年、関川村が管理することになり、村民から愛称を募集し「東桂苑(とうけいえん)」と名付けられた。木造2階建て日本瓦葺寄棟造りの堂々とした風格をもった建築物で、明治の建築技術の粋を集めた邸宅である。
光兎山  所在地 問合せ先  残雪の光兎山 
中束  観光協会 
登山口の田麦集落から、虚空蔵峰・観音峰・雷峰とピークを越し、頂上に達する。残雪の頃には、頂上直下に兎の形をした雪形が現れる。頂上には祠があり、展望は素晴らしい。また、伊能忠敬が羽越地区測量にあたる際、この光兎山頂が測量の測点となった。

 標高:966.3m  登山口:田麦  頂上までの歩行時間:3時間30分