飯豊町 自然景観                            
どんでん平ゆり園    所在地 問合せ先    一面に咲くゆり
萩生  観光協会 
7haの敷地に120品種50万本のゆりが咲き誇る東日本最大のゆり園。ゆりの他にも桜、チューリップ、あじさい等も楽しめる。ゆりの見頃は6月~7月。食堂や売店、エントランスホールなども完備している。

開園時間:AM9:00~PM6:00

料金:大人600円  小中学生200円


松原宿から23町、手ノ子大橋を渡ると「手ノ子宿」である。上杉藩の初期、越後街道に宿場が設けられた中でも重要な宿場であった。手ノ子宿の街路は小松と同じく城下を思わせる鍵形で町上、町中、町下の3区とそれに付随する南町と北町があり、町上にあった小学校跡地脇の高台には西館跡の堀と土塁をみることができる。慶長期(1596~1624年)から代々湯村家が問屋職についていたが、後に横山家が享和3(1803)年に問屋職を受け継いだ。
飯豊連峰    所在地 問合せ先    春の飯豊山
飯豊町  観光協会 
飯豊連峰は昭和25年に指定された磐梯朝日国立公園の中部に位置し、福島、山形、新潟の三県にまたがる4,000haにも及ぶ雄大な一連の山である。飯豊連峰は高山植物の宝庫であり、ヒメサユリ、イイデリンドウ、ニッコウキスゲなど多様な植生が見られる。山開きは7月の第一日曜日に飯豊町と小国町の二町合同で行われる。
手ノ子八幡神社  所在地 問合せ先    神社本殿
手ノ子  教育委員会
天喜5(1057)年源義家が安部貞任追討の時、数馬地区にある大館山に先陣を張り、山頂に祠を建てて八幡大菩薩を祭り、戦勝を祈願したと伝えられている。元禄16(1703)年には手ノ子八幡山に社殿を移し、再建した。祭神は応神天皇、稲倉魂命である。毎年9月14日の夜祭りで獅子舞が繰り出され、15日には社殿で巫女舞が行われる。
豊国山本長寺  所在地 問合せ先    春の飯豊山
椿 教育委員会
永禄年間(1558~1570年)創建の町内では数少ない法華宗寺院。天明期以後(1781年~)、越後からの入植者の心の拠り所として深く信仰された。門前には高さ2.09mにも及ぶ板碑があり、町の指定文化財となっている。
涌沼神社  所在地 問合せ先    大鳥居越しに見る社殿
椿  教育委員会
暦仁年中(1238年頃)に長井時広よって創建された。祭神は軻過突智命(かぐつちのみこと)、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)。かつては下長井44郷小国13郷の総鎮守として崇められていた。8月18日の前夜祭には獅子舞の行列が氏子中を練り歩き、賑わいを見せている。
若宮八幡神社  所在地 問合せ先    社殿と見事な社叢
教育委員会
創建は不詳。祭神は応神天皇・仁徳天皇。元禄年中(1688~1703年)に上杉民部頭御巡国の折参拝され、以後住民の信仰が深まったと伝えられている。本殿もさることながら、境内の社叢も見事である。毎年5月5日に春祭、9月14日には例祭が行われる。
廻向山恩徳寺  所在地 問合せ先   本殿
萩生  教育委員会
開山は天安元(857)年に弘法大師の高弟柿本紀僧正眞済によって行われた。真言宗の寺院であり、本尊は御黒箱尊である。寺院内には、県内で最も優れた「間引きの図」といわれる絵馬がある。また、境内にある石現文殊尊堂は昔から「知恵の文殊」とあがめられ、7月25日に子供祭りが行われている。
天養寺観音堂  所在地 問合せ先   天養寺観音堂
  教育委員会
飯豊町に現存する最古の建築物。「大同年間(806~809年)に飛弾の匠によって一夜で造られた」と言い伝えられている。宗派は真言宗豊山派。本堂と本尊の木造聖観音立像は県指定の文化財になっている。応永21(1414)年に再建。昭和22(1947)年火災により焼失。昭和55(1980)年修理された。
龍松山大福寺  所在地 問合せ先    茅葺の山門(町指定文化財)
椿  教育委員会
長享2(1488)年、稲荷山大福寺として竹庵林虎(ちくあんりんこ)大和尚によって開山された。境内には弁天様、地蔵菩薩、山の神など歓請されていて、信仰の中心であったと考えられる。最も古い由緒を持つのは椿の大木で造られた薬師如来であり、椿の地名の起こりとなったともいわれている。また、文亀2(1502)年に山号を龍松山とした際に建てられた山門は、町の指定文化財となっている。
赤岩薬師堂  所在地 問合せ先    本殿
高峰  教育委員会
約1200年前(平安時代)、慈覚大師により建立させたと伝えられ、のどの病気に霊験があると言われている。境内には樹齢300年余りのしだれ桜があり、春には見事な花を咲かせる。また、5月8日、8月14日、9月8日には、町の無形文化財である念仏踊りが奉納される。
落合地蔵尊  所在地 問合せ先    広く尊信されている地蔵さま
手ノ子  教育委員会
建立時期は不明。宇津峠の落合側入り口に建てられている。当時、宇津峠は越後街道中の難所であり、この峠を無事に越えられるように建立されたといわれている。また、昭和10年ごろまで近くに「木の下」という茶屋があり、餅を出していた。地蔵様の口の周りにはその餅の「あんこ」のあとが残っているといわれている。

腰より下の病気、子育て、交通安全の地蔵 として広く尊信されている。

  飯豊町 社寺                           
権平峠の石碑  所在地 問合せ先    石碑
権平峠(小屋)  教育委員会 
権平峠は、権平という人が鎌一丁で熊を仕留めた所でこの名がついたという。峠の頂上には老松があり、その根元に「御屋形様」と刻まれた高さ1mほどの石碑がある。碑には「元治元子年八月一七日 御巡晩御小床所」とあり、元治元(1864)年、上杉の殿様が巡視の際、ここで休憩された事を後世に伝えるため、碑を建てたと思われる。
板碑    所在地 問合せ先 

町内最大(高さ2.09m)の本長寺の板碑 

平場全体に分布 教育委員会 
中世を代表する石造物群で、飯豊町内には23基確認されている。凝灰岩を素材とし、塔全体が板状に整形を施され、正面に種子(梵字)が刻まれているものが多い。飯豊町では平場に多く分布し、山寄りでは高峰に一基あるのみである。




  飯豊町 史跡                            
萩の馬頭観音    所在地 問合せ先    春の飯豊山
手ノ子  教育委員会 
明和8(1771)年の祈祷札が残されていることから、それ以前の建立と思われる。堂内には馬頭観世音菩薩が祀られており、馬を怪我や病気から守るといわれていた。昭和30年ごろまでは馬をつれて多くの人がお参りした。また、堂内が飯豊山の行屋として使われた記録も残っている。

卯の花姫の伝説 :安部貞任の娘の卯の花姫が観音像を彫らせ、自らは指先の血で法華 経を書き写し、観音像の胎内に納めたという。

農家レストラン エルベ    所在地 問合せ先    建物外観
萩生  観光協会 
飯豊の食材にこだわった本格的なイタリア料理が味わえるレストラン。農家の女性が集まって運営している。料理教室、アレンジフラワー教室、ディナーショーなどのイベントも行われる。

ランチタイム:AM11:00~PM4:00    

ディナータイム:PM5:00~PM9:00

十四郷荘 ダム記念館    所在地 問合せ先    十四郷荘外観
須郷  観光協会 
昭和50年度に除雪機格納庫と白川ダム記念館の複合施設として建設された。中津川十四ヶ村にちなみ「十四郷(とよさと)荘」と名付けられた。資料展示室には、伊達家の家臣中津川氏にまつわる古文書や鷹の絵、昔の民家の様子など、貴重な資料が多数展示されている。
白川ダム   所在地 問合せ先    ダムの放水口
高峰  観光協会 
昭和55年10月に316億円かけて完成した、建設省直轄第一号のダム。湛水面積は2.7㎢、総貯水容量5,000万㎥。洪水調整、農業用水、工業用水、発電と4つの働きを持つ。7月に「森と湖に親しむ週間」があり、期間中「ダムとふれあいの日」として、巡視船試乗、監視廊見学、ダム登山等のイベントが行われる。
めざみの里観光物産館    所在地 問合せ先   建物正面と駐車場
松原(R113脇)  観光協会 
平成9年にオープンした、飯豊ならではの文化に触れることができる複合施設。道の駅いいでや物産館、レストランなど、様々な施設がある。また、一年を通じて様々なイベントが行われており、飯豊町の観光の中心的な役割を持つ施設である。
源流の森センター    所在地 問合せ先    源流の森センター正面
須郷  観光協会 
総合的な案内や情報提供など、源流の森の拠点となっている施設。ブナ帯文化や置賜地域の歴史・民俗文化などに関する案内を行っている。その他にも陶芸教室やクラフト教室、野外でのレクリエーション活動などが行われている。

入館料:無料

開館期間:4月29日~11月30日

開館時間:AM9:00~PM4:30
定休日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)

  飯豊町 建造物                            
落合    所在地 問合せ先 

             落合神社  

落合地内  観光協会 
明治以前には25戸で、茶屋3件、宿屋2件、馬宿1件で宇津峠の麓の村として栄えた。峠の登り口に茶屋兼宿屋があった。通称「落合の餅屋」と呼ばれアンコの搗き入れ餅が評判であった。この峠を登ろうする者は、ここで一息入れ、アンコ餅で英気を蓄え、下った者は無事に着いたことに胸をなでおろす憩の場所であった。
右写真の落合神社には、現在は宇津大明神と合祀されている
   
町下入り口

現在の横山邸。昔を偲ばれるたたずまいである。

至手ノ子大橋

松原    所在地 問合せ先    今でも宿場の面影が残る現在の松原
松原地内  教育委員会
松原村はもと添川村の一部であった。西原と呼ばれる原野に慶長11(1606)年町屋敷を作る計画を立て、添川村肝煎本田加茂右エ門が先に立って実施、西原を改め「松原」と称し一村とした。その後、寛文6(1666)年松原を通る荷物の駄賃問題で訴訟し願いが叶い宿場として指定された。宿場の家並は、一筋道で3町27間に及ぶ町並みで、3畝から5畝の屋敷が区画され中央には水路があった。また、須田家が肝煎と問屋を兼務していた。
  飯豊町 宿場・街道                            
萩生の松    所在地 問合せ先    風雪に耐え威容を誇っている松
萩生二反田地内  観光協会 
樹齢三百数十年の松。大正12年の記録によると、「地上五尺の周囲一丈五尺、樹高九間」となっている。もとは2本だったが、昭和41年の雪害によって太い方が倒れてしまい、1本になった。
榧の木    所在地 問合せ先   榧の木
小白川下野地内  観光協会 
小白川地区の南端にある榧の木。昔、旅僧が近くの安部宅に一夜の宿を請うてきた。主人は快く受け入れて泊めてあげると、僧はお礼に数珠から一粒の珠を取り出して土に蒔いた。すると蒔いた場所から芽が出て、やがてこの木になったという。この木は毎年実を成らせるが、不思議なことに紐を通した跡が実の先端にあるという。
落合の二本松    所在地 問合せ先    鉄道工事や道路工事に耐えて、一本になった松
手ノ子落合地内  観光協会 
かつては越後米沢街道の両脇に1本ずつあったが、手ノ子より小国に向かって道の左側にあった松は米坂線開通工事の際に切られ、現在残っているのは1本のみである。昔はこの木陰で一休みして宇津峠を目指したものと思われる。
白鳥飛来地    所在地 問合せ先 

エサはシイナ、くず米、古米、パンくずなど

黒沢地内 観光協会 
平成9年冬から水田に飛来するようになり、現在では約400羽ほど飛来してくる。地元では「白鳥を守る会」が結成され、朝夕エサをやっている。また、休日には多くの見学者で賑わう。
広河原間欠泉    所在地 問合せ先   数十メートルまで吹きあがる間欠泉 
広河原地内  観光協会 
飯豊町の最南端の山間にある間欠泉。2~5分程度自噴し、5~30分程度のインターバルがある。1日に1回ほど数十メートルまで噴出することがある。平成11年度に露天浴槽の整備が行われ、誰でも利用することができる。
沼ノ口湿原    所在地 問合せ先    湿原の全景
手ノ子  観光協会 
面積は7.16haで、湿原植物、植物性昆虫が種類・量とも豊富な湿原である。山形県自然環境保全地域に指定されている(昭和58年5月4日指定)。主な動植物は、ミズゴケ、ミカヅキグサ、アシ、ハッチョウトンボ、オナガアゲハなどである。
田園散居集落    所在地 問合せ先    展望台から豊原地区の眺望
中(ホトケヤマ展望台)  観光協会 
中地区のホトケヤマ、または萩生地区のゆり園展望台から豊原地区の田園風景を眺望できる。「第一回美しい日本のむら景観コンテスト」において最高賞を受賞した。
手松原文殊堂  所在地 問合せ先    本堂
松原 教育委員会
創建は元禄5(1692)年。前年の8月に手ノ子村の川の底から長さ8寸余りの石仏が見つかり、その石仏を祀るためにこのお堂が建てられたという。周囲は目通り3mを超す老杉や、高さ30mに達する十数本の赤松など、見事な社叢で囲まれており、神域としての霊気に包まれている。例祭は7月25日に行われ、毎年少年相撲大会が奉納されている。
 手ノ子  所在地 問合せ先 
手ノ子地内  教育委員会