(小国町市野々と黒沢を結ぶ)    

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M荷替場  この平らな一帯は荷替場として使われ、人馬はここで一息入れ、荷の緩みを直したり左右の荷を交換したりした。また、一駄の運賃は一定だが品物により重さが異なるため、仲間同士で荷駄の交換をした。さらに、上り荷と下り荷を交換し折り返すことで日帰りが可能でもあった。 
L座頭転び 昔、目の不自由な人が歩いていた時に、大きな曲がりがあったの感じることができずまっすぐ歩いたため、目の前にあった急ながけに、転げ落ちて、かわいそうに亡くなったという伝説から、この名がついた。
黒沢峠        
 
 
峠のポイントガイド    

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黒沢峠祭り

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絵図【年代不明、高橋康氏所蔵】

 享和絵図【享和2-3(1802-3)年作成、米沢市上杉博物館所蔵

    正保絵図
【正保2(1645)年作成、市立米沢図書館所蔵

昔はビニールハースでした!  
会場風景   鉄板焼きを囲んで盛り上がる     
峠のイベント ・ 保存会   

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黒沢峠の旧道からの眺望
H飯豊連峰  I小国町内 

古屋敷 ここで延享3(1746)年
から茶屋(助けを兼ねる)を営んだ。

長年の人馬の歩行により
年輪模様になった敷石。

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峠の概要      

現在の黒沢峠の敷石道は全長2.6kmで、内1.8kmに加行された石が敷かれており、その段数は3,600段といわれている。敷石工事は天保10(1839)年から慶応3(1867)年にかけて行われた。

明治17(1844)年に県道山形ー新潟線が開通後、この峠を通る人はいなくなり長い間土に埋もれていたが、昭和55(1980) 年に黒沢峠敷石道保存会を設立し、5年間で埋もれていた敷石を掘り起し復元した。昭和61(1986)年からは毎年秋に黒沢峠祭りを開催している。

平成8(1996)年文化庁選定の「歴史の道百選」では『・・・幅約50cm、長さ約1.5mの苔むした敷石が、頂上に向かって約3,600段ブナ林の中を続く。これほど美しく特徴ある街道は「歴史の道百選」の中でも唯一のものだ・・・』と紹介されている。また、平成20年には、十三峠が「日本風景街道」(十三峠全体)に登録されている。
                  

市野々と黒沢の集落を結ぶ古道には2つのルートがある。

大永元年(1521)に大里峠が開削され、その後順次東側の峠が整備されたが、その時代に開削された黒沢峠を旧道と呼んでおり、敷石道と並行し北側に位置している。

敷石道は延享3(1746)年頃に開削されたようである。
 

右は保存設立後の敷石
掘り起し作業風景  
 

老人クラブの峠の清掃奉仕活動(S60年頃)  

置賜と越後を結ぶ幹線道路が十三峠から新道に代わり100年近く経った昭和55年、黒沢集落全戸が会員となった「黒沢峠敷石道保存会」を設立し、大勢の学生や町民などボランティアのご協力をいただき約5年間で埋もれている敷石を掘り起こした。

その後、トイレや休憩所などの設置を進めるとともに、敷石道と旧道を結んだ周遊コースの整備や楢枯れによる危険木の伐採などを行ってきた。この間、黒沢集落の戸数減少により、他地区の方にも会員になっていただき峠の維持管理を行っている。

昭和61年からは、毎年秋に「黒沢峠祭り」を開催し、貴重な遺産を多くの参加者に見て歩いていただいている。
保存会の活動

 
 
 
 
 
 
 

峠の古絵図    
峠の風景

黒沢峠越えのトレッキング