西村紀氏インタビュー

1998/11/14 02:00〜03:29 IRCにて収録


---------- それでは西村さんのインタビューをはじめたいと思います。

はい、よろしくおねがいいたします。

---------- 最初に、プロフィールの方をお願いできますか?

えー、本名は西村 紀(おさむ) 現在25歳。
群馬大学4年の時にエヴァに触れて以来この世界に入りました。
現在は、静岡県御殿場市在住で半導体がらみの機械屋さんをやっています。

---------- 西村さんの「第3新東京市ノ解析」は、かなり早い時期に立ちあげておられますよね。

そうですね、仮営業みたいな形で最初に立ち上げたのが95年10月末ですから、本放送で換算すると第弐話か第参話ぐらいの時期ですか。

---------- 最初は鯖が学校のMacだったとか。

研究室の大学院生の部屋にあるMacを使わせてもらっていました。おかげで、アクセス数が急激に増えたと同時にハードディスクが不調を訴えて、院生ににらまれたりもしましたよ。(笑)

---------- 当時はまだエヴァ系HPが殆どなかった頃ですから、みんな情報に餓えていたんでしょうね。当時、内容としては、どのような構成だったんですか?

コンテンツ的には「TVレポート」が中心で、ほとんどの方がそれ目当てでいらっしゃっていたようですね。
現在、私のページのメインになりつつあるリンク集もこれとほぼ同じ時期に開設されたんですが、その頃サーチエンジンで「エヴァンゲリオン」を検索しても二桁前半の数ぐらいしかヒットしませんでしたから…… 当時リンク集に掲載されていたサイトも10個所位だったと思います。
エヴァ系HPの黎明期は創る方も見る方も、みんな情報探すのに必死でしたね。

---------- エヴァ以前にはHPをやっておられたんですか?

いえ。Inetは図書館にあるマシンで見てまわる一方でしたので、作成の方は未経験でした。もっともその頃はまだ環境的にも整備されていなかったので、いざ作ろうとしても現在みたいにお気軽にってわけにはいきませんでしたから……

---------- 当時はタグも自分で書いてましたもんね。

実は今もなんですよ(苦笑)

---------- エヴァがInetデビューだったわけですね。それ以前に、何か同人系の活動はなさってたんですか?

高校の時に自主制作映画にちょっと関わっていた時期もあったので、全くの未経験というわけではありませんでしたが、それ以外の良く言う一般的な同人活動のようなものは何もしていませんでしたねぇ。
エヴァ以降に私と知り合った方々には、なかなか信じていただけませんが。(笑)

---------- 西村さんといえば、「現地調査」だと思うんですが、あれに至る経緯などを話して頂けますか?

そうですね。エヴァのHPを開設してみて、これからこの手のHPが数多く出現する予感というようなものがあったわけで、その時に備えて他のHPとの差別化を進めて行こうと考えていたんですけど、実際のところ私はいたって無芸なもんですから、他の方々みたいなうまい絵が書けるわけでもなければ、きれいな文が書けるわけでもないんですよね。
んで、まぁ幸いにして実家が第3新東京市のモデルとなった箱根町に非常に近いんだったら、じゃぁそれでセコく客を稼いでみようかな。と。
まぁこんな感じで始めたわけです。

---------- あの企画が、ファンの箱根詣を促進したのは確かでしょうね?

うーん?どうなんでしょう(笑)HPがらみで箱根詣でに行ったという話はほとんど聞きませんでしたが、それ以外の環境にいた方たちは結構行かれたようですねぇ。

---------- あの夏(爆)の事に付いて、お話頂けますか?

あの夏というと、調査隊のことでしょうか?

---------- ええ、あの一泊旅行です。

そもそも、あの企画は私のページでTVレポートに協力していただいていた林さんと初めて名古屋でお会いした際に、軽いジョークとしてどちらからともなく「やったらおもしろいだろうねぇ」と出てきた話題が、当時の異常な雰囲気の中で実際に開催されるに至ったものなんです。
でも、参加者を募集するにあたってリンク集に登録されていたエヴァ系HP作者全員にダイレクトメールを送り付けるといった無謀なことをしたのは、HP作者多くいれども多分私だけでしょう(笑)
ま、もっともそのおかげで長久さんとも知り合えたのですから結果オーライということにでもしといてください。

---------- あれがなければ、2人とも人生真っ直ぐだったんじゃないでしょうか(^^;

お互いにそのような人間が日本に存在するということも知らずにですか……
全く何が人生転落のきっかけになるかわかったもんじゃないですね(笑)

---------- あれがきっかけでHP作者の横の繋がりを作って行くような動きがはじまりましたよね。

ええ、本放送終了により新たな情報が入手できなくなった以上、欲求不満を解消する手段として横のつながりに活路を見出そうとした向きもあるのかもしれませんね。この方向に動いたのは、今考えてもいろいろな意味で良かったと思います

---------- 箱根を一緒に旅行する事で、連帯感は生まれたと思います(^^; その後、私が上京して駒場OFFが開催されるわけですね。

あれは面白かったけど、ハプニングの方が強く記憶に残ったイベントでしたよ。

---------- ほぼエヴァ系HP作者のみで40人規模だったわけですが、主催者側の知らない所で交友が深められてたりして、歴史的な意味を持つと思っているのですが。

HP作者やそれに近い人たちだけで約40人が集まったのは、多分あれが最初で最後でしょう。
私は残念ながら、準備やら何やらでほとんど参加者とふれあうことができなかったので良く分からなかったのですが、もしこれをきっかけに参加者同士で交友を深め合うことができたのであったらこれに優る喜びはないですね。
幹事長冥利に尽きるってもんです。

---------- 以降、浅間山、再度箱根と続き現在に至るわけですが、こうした取り組みの中心におられて、どのような事を考えておられますか?今後こうした活動を行おうとしている人達にメッセージなどありましたら。

そうですね。まず、自分自身として驚いているのはこうやって過去を振り返った時になぜこの頃この様なことをするだけの体力があったのかということです。
そもそも、私はどちらかというとこういったイベントを企画したり、スタッフの指揮を執ったりというようなことは全くの未経験者だったし、それ以前にこういうことはできない種類の人間であろうと考えていた節もあったので、これらのイベントを通じて指揮能力(?)にちょっと自信が持てたような気がしますね。
また、これからこの様なイベントを考えている人たちに対しては「今回より次回の方がもっとうまくできる」とか「体にだけは気を付けろ」とか「情報こそ成功の鍵」とか、まぁいろいろありますが、こればっかりは実際にやらないとなかなか分かりませんからね……(笑)
そういったノウハウみたいなものよりむしろ「迷っているならとりあえずやるべきだ」と言いたいですね。
若造のくせに偉そうですけど(^^;

---------- そうですね、「案ずるより生むが易し」ですね。貴重なご意見有り難うございました。

---------- あと、モノポリーについてなんですが。

ぎくっ!(^^;;
モノポリーとエヴァの接点というと、第3新東京市版モノポリーしかないのですが、これのことですか?

---------- ええ。このままだと同人やらない良い人みたいにインタビュー終わっちゃいますから。私を同人道に叩き込んだのはあなたなんですよ(^^;

はっはっは。そういうことになりますかねぇ……(そうなの?(^^;)
えと、第3新東京市版モノポリーというのは97年の冬コミで私の所属するサークル「北校舎製作所」で作成したボードゲームです。 ベースは世界的に有名な「モノポリー」なんですけど、地名をすべて実在する箱根の地名に変更し、さらにホテルのコマを兵装ビルに、家のコマを「コンフォート17」に置き換えたという非常に頭の悪げな(笑)一品です。

---------- 他に私にも隠してる活動とかはないですか?

え、えーと……ほかには何も無いと思いますが…(^^;;;;
…あ、ホラ。私は表に出ないのが信条ですから……ははは……

---------- それでは最後に、西村さんにとってエヴァとはなんだったんでしょう?

難しいですねぇ(笑)
エヴァの総括というと、とたんに苦しかったTVレポートとか、宴会の嵐とか、有明の痴態とかが湧き出ずるように思い出されてきてしまうのでなかなか簡潔な言葉で表現できないのですが……ただ一つ言えるのは、これが私の20代の活動において恐らく一番大きな出来事だったということです。
この3年の間には私生活においても転職だ引越しだなんだかんだと大きな波もありましたが、それらはそもそもエヴァに関する一連の活動と、それによる意識の変化が無ければとても起り得なかった出来事ですし、自らその波に中に入って行こうとも考えなかったでしょう。
それを考えると、とりあえずは人生をほんのちょっと面白くしてくれたという点で「エヴァに感謝」といったところですね。

---------- 本日は長時間深夜まで有り難うございました。これから先の西村さんの人生に幸多き事を祈っています。

ありがとうございました。


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