3−6 中欧紀行−麗しのプラハ・ブラチスラバ・ブタベスト・ウィーンを訪ねて−
(6) 第6日 9月9日 ブタベストへ 曇りのち晴れ
今日からはバスも替わり、ガイドも日本人の高橋さんという若い男性になった。
9日朝8時30分。ハンガリーとの国境にバスは止まっている。国境は昨日と同じで、周囲は畑で、
柵があるわけでもなく、道路上に事務所があるだけだ。もちろん警備の兵士もいない。
スロバキアを出国のため、パスポートを係員(金髪の若い女性)に渡す。
入国審査も無事終わる。この間両替をする。5,000円が9,750フォリントである。
ガイドによると、トイレは有料(20〜60フォリントー釣り銭がでる)がある。お土産には、カロチャ刺繍、
ヘレンド陶器、トカイワイン(デザート酒)がある。
ハンガリー人はビールでは乾杯しない(150年前の独立戦争の時、敵側が捕虜一人を切る
たびにピールで乾杯した故事からきている)。
ハンガリーでは、女性が男性と一緒に歩くときは、男性の右側を歩くようにする(いざというとき、
剣を抜いて戦いやすいー左にいると、女性が障害となって抜きにくい)。
左側を歩くと、売春婦と間違われる。これは、騎士道に由来する。
国土は日本の半分、人口は1000万人。そのうちジプシーが80万人。
1873年ブタとベストが合併してでプタペストとなる。人口は186万人(神戸市より若干小さい面積)。
896年にマジャール人(ハンガリー人)がこの地に定住したが、ヨーロッパ人には凶暴さ故に嫌われ者
だった。ハンガリー人はアジア人種である。
フランスには、子供がいうことを聞かないときに、ハンガリー人が来るよと言う表現がある。
ハンガリーはアメリカのジョンソン大統領の時、湾岸戦争に部隊を派遣して勝利を収めたのが、実に
500年ぶりだった。ウィーンを占領して以来、トルコやオーストリアなどに負け続けていた。
エステルゴムの大聖堂を見る。ブタペストの北西40キロにある。1869年に完成したカトリック教会
で、ハンガリー最大のもの。高さは、71メートルもある。
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バロックの街センテンドレを散策する。ドナウ川沿いで、一時ハンガリーの首都が置かれたことがある。
今は人口2万3千人。8っつの教会と入り組んだ中世そのままの路地、ドナウの眺めと、とても魅力的な街。
土産物店も賑っていて、観光客が溢れている感じ。
4時過ぎに、今日・明日の宿泊ホテルのマリオットに着く。ドナウ川越しに王宮の丘を望む絶好のロケーション。
そして、さすが五ツ星という感の、落ち着いた優雅なホテル。
インターネットに接続を試みる。上手く繋がった。ホッ。早速、旅行記の4回目を送信する。
日本は台風接近で、10日朝9時頃紀伊半島に上陸して、能登へ抜けるコースを摂るようだ。心配。
夕食はホテルでバイキング。まあまあか。