よりよく生きるために



女性にとって子育ては人育てという難しい課題と向き合う事の連続でもあります。私にとってその過程は自分育ての時でもあり、自分が理想とする女性像と自分との隔たりを重く自覚する日々でもありました。今それらの記憶は私の人生そのものでもあります。
そして子育てという時が一段落した今も、私の中では母業はどこまでも現在進行形なのです。いっぽうではそんな自分の執着を超えるべく、1人の人間として自分を成長させたいと考えています。
そんな私を正しく導いてくれるのが、五井昌久氏の教えです。 私にとっての一歩は人間の本質(神と人間との関係など)を学ぶことにありました。
そして
 ※人間と真実の生き方を学ぶことによって、人としてどこを目指すべきかを知ることができています。毎日が地道な小さな一歩であると信じて、ありのままの自分を肯定しつつ、目指すべき明日があることを幸せと感じています。 悔いのない人生とは、有頂天になるような達成感を得ることではないと思い知るこの頃です。肉体の生死を超えて、終着点のない道しるべはどこまでも続くからです。
五井昌久氏の教えは、ただ、理想を高く掲げるだけではなく、守護霊、守護神の存在を説き明かし、人間の弱点をしっかりカバーする方法と光明への道を示して下さいます。人間として最も知りたいことが的確に明示されている、私にはそう思えるのです。そんな真理に満ちた内容の書でもある『神と人間』より一部を次に抜粋させていただきました






『 神 と 人 間 』
二、神と人間との関係


人間とはいったいいかなる者であろうか。
この問にたいして、はっきりかくかくの者であると答え得る人ははなはだ稀なのではあるまいか。一見なんとなく考えすごしてしまうこの問が、人間世界の幸福を創りだす最も根底になる問題であり、最もむずかしい答えなのである。
人間とはいかなる者か、我とはいったい何か、これがわかったとき、その人は永遠に救われ、多くの人間がこの問に答え得る時、人類は救われ、地上天国の実現が見られるのである。 〜(略)
神とは宇宙に遍満する生命の原理、創造の原理であり、人間とは神の生命を形ある世界に活動せしめんとする神の子なのである。このような神と人間との関係を知り得たならば、この現象世界のいかなる言動の中にあっても、動揺せぬ生き方ができるようになるのである。 〜(略)


四、守護霊、守護神について


前章において人間本来神性であることを説明したが、現実として一番問題になるのは、人間ははたして業の輪廻を超え得るか、越えるためにいったいどうしたらよいのか、ということなのである。
ましてこの分霊が陰陽に分裂して男女となり、肉体人口が増えるにつれて、肉体我は自己と自己の一族のみを守ろうとし、いよいよ業因を深めてゆき、この業因の隙間から神の光が差し込まぬ以上、人間は本来神性に目覚め得ぬような状態になっていった。
このとき神はこれを知って、分霊の救いのために新たなる光を放射した。これを守護神と呼ぶ。この守護神の光によって、最初に幽界、肉体界を創った分霊は救われ、各子孫の守護の任についた。これを守護霊(支配霊・コントロールともいう)とよんだ。この守護霊の中には正守護霊と副守護霊とが定められた。
〜(略)


五、因縁因果を超える法


次にいかにしたら一日も早く業因縁の波を解脱し得るかを説くこととする。解脱するためにあらゆる難行苦行した昔の求道者はその意志において偉大なるものがあったが、私は現代の人にそれを求めようとは思わない。〜(略)

人間は普通、心は一つよりないと思っているようだが、心は宇宙神の心より始まって直霊(人間界における神)の心、分霊の心、幽体界の心、肉体界の心の他に、直霊と位を同じくする守護神の心、それに各個人個人に常に付き添っている守護霊の心との七つの心がある



この守護霊に素直である人が、神に素直であることになり、その人の進歩を非常に促進させるのである。が、今までにこのことを知っている人はまことに少ない。人の進歩はただ精神分析や、心の法則だけではなかなかむずかしい。
まして、精神分析や心の法則はおろか、神も仏も何もなく、ただ肉体の自我だけで生活している人が多い世の中で、真に素直な自分になることにはかなりの努力がいる。誰でも幸福になりたくて努力するのだが、なかなか幸福にならない。
幸福になる秘訣は 素直になることである。いいかえれば、神に素直になれというのである。神というと何か遠い気がするし、つかみにくい気がするだろうから、守護霊に素直になれというのである


守護霊とはおおむね祖先の霊である。祖父さん(おじいさん)祖母さん(おばあさん)が自分の背後にいて、霊の目で霊の耳で子孫である自分の運命を予見し、悪い運命への道から、善い運命の道へ導いて下さるのである。
神は愛である。愛であるから守護神を我らにつかわし、守護霊に任じて、人間世界の悪因縁を消滅し去ろうとしているのである。
守護霊を信じ、守護神を想い、神に感謝しなければ、いくら因縁の転回や、心の法則を知ったところで、人間は永久に救われない。
こちらが知っても知らなくても、守護霊はただ、黙って人間を守っていてくれる。
夢などはその顕著なるものである

夢は何故見るか、この問題は世界の学者が種々と研究を続けているのだが、いまだにはっきりわかっていない。 夢とは人間の業因縁の消滅する姿である、と私はいう。


想念は必ず現れる。この法則は動かしがたい法則である。この法則のままに想うことがそのまま肉体界に現れたら、この人生はもっともっと以前に滅びていたに違いない。
なぜならば、
肉体の人間の心を奥底まで解剖すれば
愛は情に流れて執着となり、恨みは恨みを重ね、悲しみは悲しみを追い、闘争心は常に戦火を絶やさず、情慾の業火は至るところで燃えひろがり、殺傷事件は眼に触れるあらゆる箇所で展開されていることは明らかである。
この業念の感情を、肉体脳髄の念の休止している間に巧みに夢として肉体世界と離して、画き出してしまうのが守護霊の偉大なる一つの仕事なのである。


現れれば消えるのが想念の性格であるので、夢として画き出されてしまえば、その想念(おもい)は消えてしまう。肉体世界に現れた場合は、その現れが、また頭脳にキャッチされて、再び同じおもいを幽体に記憶してしまうが、(それでも現れれば幾分ずつか消えてゆくのである)夢の場合はその想念が巧みに戯画化されていて、いったいなにの想いであるか判然としないので、醒めたあとで いくら肉体頭脳で思ってみても、その夢に現れた想念(おもい)が 再び幽体に記憶されることはない。その想念は夢によって一度断ち切られるので、業因縁がそれだけ消えたことになる。〜(略)


判然としない夢は判然とさせる必要はないので、ただ簡単に自分の悪想念が肉体の悪い運命となって現れるのを守護霊がその夢として現わして消して下さったのだ、と感謝すればよいのである。
このことを知ることは大きな救いになると思う。この守護霊の働きはまことに感謝しなければならぬものである。
守護霊は霊界、幽界、肉体界と三界を通して働ける者なので、幽界において出来つつある運命、あるいはすでにできあがって、時間の経過につれて自然に肉体界(現界)の運命として現われようとする悪想念の結果(因縁)を、あらゆる手段をもって、その人間の運命としてあらわれぬように修正してゆく。


この守護霊の働きを知っている人、感じている人は実に少なくて、肉体人間の大半が、この蔭の働きを知らないのである。守護霊はその肉体人間が、守護霊の守護の力を知ろうと知るまいと、それは問わず、ただひたすら運命の修正に全力を挙げているのである。
いわゆる菩薩行なのである〜(略)
守護霊はその被守護体の睡っている時から醒めて働いている時、休んでいる時、いついかなる時間にも、この人間を守り続けているのである。そしてその人間の発する悪想念の蓄積を浄めるために、たゆまざる努力をつづけているのである。もっとも、肉体界(現界)の救いとしては、この人間に出来得る限りの努力、経験をさせつつ、いざという時に助けるのである。


ここで大いに考えなければならぬことは、守護霊にとって一番働きやすい肉体人間の状態は、常に守護霊のほうに心を向けていてくれることである

守護霊の存在がいかに重大であるかを知って、常に守護の神霊に感謝を捧げている子孫ほど、守りやすい肉体はないのである。
もっとも、守護霊の生前の氏名など知る必要はない。守護霊が懸命に浄めの念を肉体に送っても、その肉体の心が全然他を向いて居て一向に守護霊のほうに心を向けなければ守りにくくてしょうがない。

やっと睡理の世界に肉体が入った時、無心になった肉体脳髄から、悪想念の蓄積(その時々の因縁)を夢として消すより仕方がない。
〜(略)
以上のように守護霊は肉体人間と一つになって、人間を善導しているのである。人間が自己の運命を改善し、幸福になりたいとするならば、ただ、守護霊に自己の運命を委せればよい。守護霊さん、ありがとうございます、守護神さん、ありがとうございます、神様、ありがとうございます、と常に感謝していればよい。この心が神への全託なのであり、守護霊の活躍を十分にさせる一番よい方法なのである。
この心でいれば、その人の行動はおのずから調和した整ったものになり、生活は楽しく楽になるに決まっているのである。何故ならば、守護霊、守護神と真っ直ぐにつながり、そのつながりによって、その光によって、業生の因縁因果の渦巻きからいつのまにか離脱でき、分霊本来の光が直霊(神)につながり、肉体をもったままで、人間神の子の実観を真に体得できるのである 〜(略)


業因縁の答えは常に甘い。都合のよさそうな答えが多いので、つい、この答えにひきずられる事が多いものである。だから常日頃守護霊を信じ感謝の想いを抱いていなければいけない。

弘法大師が
同行二人(どうぎょうににん)といったのは、この人間世界は自分一人で生きているのではなく、守護霊と二人連れなのだ、神様と一緒に生きているんだ、ということで、キリストの、神常に汝と倶にあり、という言葉と同じである
ただ、一般の人たちに、神、というふうにあまり大きな、高い感じのものより、守護霊という自分自身と直接つながりを持つ、祖先のしかも力ある霊が背後で常に守ってくれている、と思う方が非常な親近感で念じやすくかえって神に統一する環境になりやすい。
 ―― 神は愛なのだ、光なのだ、私は常にその愛と光の中に生きているんだ。しかも守護霊さん
に守られながら生きているんだ。 過去はない、過去は消えてゆく、どんな苦しみも必ず消えてゆくんだ
――  と、過去の心の誤りなぞ、穿り(ほじくり)返さずに、ただただ、光明のほうに心をむけていることが自分を救い、人を救う、一番大切なことなのである。
愛と許(ゆるし)の世界をみんなで創ることが大切だ。
自分を愛し人を愛し
自分を赦し、人を赦す
これが業(カルマ)を越える最大の道
みんないたわり合い、励まし合い
足りない智慧や力は、守護霊さんにおまかせしよう。
守護霊さんがきっとうまくやってくれるに違いない。


 ※人間と真実の生き方


はじめに 意識の働きについて 赤ちゃんと生命誕生 本心と良心 般若心経の世界1  2
いのちの真実 美しい言葉の世界 法華経と火宅の人 煩悩即菩提 阿弥陀仏と宇宙観
日々の雑感 一切の中に自己が・ 自分探しの雑記 睡眠の効用  人身得難しの実感
徒然書き
消えてゆく姿 よりよく生きるために  肉体と幽体  宗教の役割