スペイン旅行記 1991年

スペイン地図


1991年8月17日(土)

 今日でスペインともお別れだ。出発準備で、機体預け荷物と手荷物に分けるのだが、当然昨日買ったビノは手荷物として、持っていかねばならない。 ホテルを後にして、メトロでコロン広場に行く。ここから、空港行バスに乗るつもりで、バスターミナルを捜して、やっと見つけた。バスターミナルでカフェとトーストを 食べたが、ここのBARは他と違い女性が注文を受け、カフェとトーストを作っていた。
 バスは250ptsで、もうほとんど小銭が残っていない。札で、2000pts程度残った。バスは快適に空港まで運んでくれて、空港内でアエロフロートのカウンターを 見つけられずに困った。結局、IBERIA航空のカウンターで代行しており、チェックイン手続きを終え、昼食を食べに行く。
 サラミサンド、パエリヤ、セルベッサを注文し(963pts)、サラミサンドは食べずに非常食として、とって置く。セルベッサが冷えていて、パエリヤも美味しい。

 出国手続きを終え、12番ゲートで待つが、コーラを飲もうと思って、自販機に行くと、175ptsと高く残りの小銭では買えなかった。しかし、奥にあるBARでは、140ptsで コーラを買って飲むことができた。14:25を過ぎて列を作って待っていると、表示が急に別のフライトになってしまった。急いでフライトを確認すると、4番ゲートに 変更になったので、みんなでワッセワッセと移動する。
 4番ゲートで列を作り、バスに乗り込んで、ようやく機内の人になった。予想通り、座席自由ということで、席取り合戦を行い、どうでもいい席に座ったのだが、 美人のお願いで、席を変更した。(なぜか、国際線の飛行機なのに、モスクワーマドリード間は席が決まっていなかった)。機内は暑く、早くエアコンを効かせて 飛び立たないかと待つのみであった。少しの間だったが、暑い機内で待たなければならなかったが去年のトルコ航空でドバイで待ったのに比べれば、 問題とはならない。
 離陸し、のどが渇いたので、水をもらいに行くと、黄色いビールのようなジュースをもらった。機内食はマドリードを出発しただけあって美味しく、フルーツをもらって 食べたが、このオレンジも美味しかった。明日のモスクワ発の機内食が心配でもある。
 機内で読んでいた並河萬里「パレスチナ」が面白く、ページの進みが速い。

 夜のモスクワに到着。トランジットパスの列をつくっていると、前方にアルジェリアに行っていた彼がいたので、手をあげて合図をすると、気が付いてくれて現地の 天気などについて話をした。例のごとく、21番ゲートに行くと他の飛行機からのトランジット客はいなく、先に行ってしまったらしい。
 ここで、かなりの時間待たされ、トランジット待ちの日本人が10人ちょっといたが、絶対に知り合いになりたくない日本人もいた。夜の1時半頃にやっと前に泊まった ホテルに到着したが、同室は誰になるかわからない。最初、833号室を指定され、8階に行くと833号室のキーは、すでに持っていかれていた。
 呆然としていると、係りの人がTELして、結局842号室に一人で泊まることになった。部屋に入るとすぐにシャワーを浴び、すっきりとして、ベッドにもぐり込むが、 あれこれ考えてよく眠れなかった。


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