誓いの休暇
監督:グリゴーリー・チュフライ
出演:ウラジミール・イワショフ(アリョーシャ)
ジャンナ・プロホレンコ(シューラ)
アントニーナ・マクシモア(アリョーシャの母)
エフゲニー・ウルバンスキー(傷病兵)
最初の出会いは、某国営放送でした。その時の感動が忘れられず、高田馬場の映画館でグリゴーリー・チュフライの特集で上映された時にも、
馳せ散じました。その後、何気にLDを発見し購入、DVD発売でまた購入となっています。大分前の洋画100選の中に、下位の方に入っていましたが、
なぜだ、もっと上位でもいいのにと憤ったことがありました。
主人公の名前はアリューシャ、ロシア軍の若き通信兵です。ドイツ軍の戦車発見の連絡をしますが、見る見る戦車が迫ってくる。退却するアリューシャ
に迫る戦車。この辺の追いかけっこは、笑えます。しかし、無我夢中で戦車2台を破壊する手柄を立て、将軍と面会し褒められます。
褒美に母に逢わせてと願い出て、6日の休暇が与えられます。行軍する兵士の間を進む車、途中で妻のリーザにセリージャは生きているとの伝言と
石鹸を渡されます。列車に飛び乗り、乗り継ぎ駅で母へのお土産のスカーフを買います。
そこで、片足の傷病兵に会い、荷物を持ってあげます。彼は電報を打ちに行き荷物を預かりますが、列車が来たのに戻って来ない。心配になって
彼の元に行くと、ひどく悩んでいた。結局、妻に帰れないと電報を打とうとするのだが、窓口の女性は卑怯だとなじり、泣き崩れる。
いいシーンです。窓口の女性も戦場に行った誰かを待っているのでしょう。思い直した彼は、妻に帰る電報を打ちます。故郷に帰る車内で、夜、深く
考え込む傷病兵に老人は深く考えるなと励まします。ようやく、目的の駅に着いて、妻を捜す兵士ですが、中々妻は現れない。諦めかけた時、ワーシャと
呼びかける声。再会する二人、妻は片足になっても、戻って来てくれただけでよかった。
抱き合う二人を見て、アリューシャはそっとその場を離れて、自分の故郷を目指すのだった。ワーシャはあの子は?と、ここまで一緒だったアリューシャ
を捜しますが、既に居なかったのでした。ワーシャは最後にお礼が言いたかった。この兵士がまたいいんですね。
予定より遅れたアリューシャは、牧草を運ぶ軍用列車に乗り込みます。見張りの兵に缶詰を渡して、見逃してもらいました。干草の中で眠っていると、
途中で少女が乗り込んできます。ストッキングを直す少女、驚くアリューシャ。アリューシャを見た少女は、走る列車から、荷物を外に投げ捨て、
自らも飛び降りようとします。必死で抑えるアリューシャ。どうにか、思い止まらせましたが、近づくと大きな声でママーと叫び出します。
この、ママー、マアムの叫びが幼くてかわいいですね。気まずい雰囲気です。見張りが居て、中々降りれない。ようやく、笑いが出る少女、髪を編む少女
、脂身を味見と言いながらガツガツ食べる少女、どれも素敵ですがガツガツ食べるシーンは微笑ましいです。
自己紹介、少女の名前はシューラ、婚約者の元に行こうとしている。列車が停止し、見張りの兵が入ってくると、急ぎ牧草の中に隠れる二人だが、抱き合う
格好になる。水を汲みに行った時、シューラは見張りに見つかってしまい、見張りともめてしまう。獣と言われていた中尉が現れ、列車に乗ることを許可して
くれる。見張りの兵は、缶詰が見つかり、5日間の営巣入りとなった。
シューラは、アリューシャに男女の友情を信じるか訊きます。水を汲みにいって、戦況放送を聞いて戻ってみると、列車は発車したあとでした。
道にでて、トラックを止め乗せて貰います。しかし、ぬかるみにはまって、動けなくなります。必死にエンジンをかけるアリューシャ、途中何度もスタックを
繰り返します。結局、途中の駅で列車に追いつくことが出来なかった。
橋の上から、シューラの声が。ようやく再会する二人。待っていたのと言うシューラ。水を飲むシューラが、かわいいんです。食事をしようとして、
預かった石鹸を思い出し、二人で届けることにした。
リーザに会いに行くが、彼女は別の男と暮らしていた。リーザに「あなたを信じて、元気で戦っています」と告げる。「お願い、そんな眼でみないで」
と言うリーザ。ワーシャの妻とは、対照的です。一度は石鹸を渡すが、結局取り戻し、彼の父親に届けに行く。
おじいさんの居る避難所で息子の活躍話をする。もちろん、嘘である。知らない人なのである。早々に引き上げ故郷に向かうが、かなり遅れている。
軍用列車に乗り込む二人、大きなコートを着たシューラがいいんです。夕陽の中で見詰め合う二人、シューラが最高です。
そんな二人に別れがくる。嘘をついていたことを話すシューラ。婚約者は嘘だった。列車に飛び乗り、離れていくシューラに住所を聞くが、
良く聞こえない。やがて、列車は去っていく。ひとり淋しく戻って行くシューラ。かなり感情移入しているので、胸が締め付けられます。
一方、アリューシャもシューラの事を思い出していた。白樺をバックに数々のシューラの面影が見えます。最大の見せ場です。
シューラファン、歓喜のシーンでしょう。アリューシャは列車を降りようとするが、無理だった。なぜ、早く降りなかった、と言いたい感じです。
ようやく、故郷が近づきますが、空爆で橋は破壊されてしまいます。橋の向こう10km程度なのに。 懸命に救助活動を行なうアリューシャ。
ようやく救援隊が来た時は、邪魔者扱いされます。皮肉です。誰も見ていない所で活躍しているのに、気付いてもらえない。アリューシャの存在を
示しているようです。
次の列車まで、後2時間。アリューシャはいかだで川を渡り、故郷を目指します。ようやく、村についたのに、母は畑です。知らせを聞いて、必死に
走る母親。やっと再会する二人。帰って来たと勘違いする母。でも、アリューシャはすぐに戻らなければならない。母にスカーフを渡し、帰ってくるから
と言って去るアリューシャ。でも、息子は二度と帰って来なかった。
素晴らしい音楽と映像、そして感情が描かれていて感動します。名作だと思います。残念なのは、隠れた名作になりつつあることでしょうか。
遠い空の向こうに 原題:OCTOBER SKY
監督:ジョー・ジョンストン
出演:ジェイク・ギレンホール(ホーマー・ヒッカム)
クリス・クーパー(ジョン・ヒッカム、父)
ナタリー・キャナディ(エルシー・ヒッカム、母)
クリス・オーウェン(クエンティン)
チャド・リンドバーグ(オデル)
ウィリアム・リー・スコット(ロイ)
ローラ・ダーン(ミス・ライリー、先生)
原題のOCTOBER SKYとして、機内映画として観ました。詳細は判りませんでしたが、そのロケットが飛ぶ姿に心惹かれ、実話であった事を知って衝撃
を受けた感動作でした。
日本での公開を心待ちにしていましたが、とうとう「遠い空の向こうに」というタイトルで上映されたので観に行きました。一度観たとはいえ、やはり
感動してしまう傑作だと思っています。
残念なのは「遠い空の向こうに」という邦題が付けられた事でしょうか。何だか印象が薄く味気ないタイトルである。前売りを買う時、「トイ・
ストーリー?」と訊かれたのは残念であった。
これは、自分が宇宙が好きでロケットに興味を持っていた事もありますが、男性なら感情移入できて感動が倍増するのではないかと、密かに思って
いたりもします。女性が感動出来ないと言うのでは無いのですが。
ストーリーは、兄の様なフットボールの才能も無く劣等感を持っていたホーマーは、1957年10月4日にソ連が打ち上げた最初の人工衛星
スプートニクを見た時、自分でロケットを打ち上げてみたいと強く思うのであった。
仲間を集め、物理の女性教師の協力を得て自作ロケット「AUK−1号」を打ち上げるが、父の炭鉱を直撃してしまう。炭鉱敷地外の場所で再び
ロケット発射を繰り返すが失敗が続く。
ロケット製作の夢を諦めて、炭鉱事故で負傷した父に代わり炭鉱で働く事になったホーマー。しかし、自分の夢を諦めずにもう一度ロケット作りを
始める。そして、父と仲直りしたホーマーのロケットが大空に飛んでいくのだった。
人工衛星を見つめるシーンが印象的なのであった。世界最初の人工衛星だ。小さい頃って、本当に人工衛星を夜空に見つけて見えなくなるまで見続けた
記憶があるし、一種不思議な体験でもある。
そんなホーマーが唐突にロケット作りに夢中になり、同級生から嫌われていたクエンティンに接近する。悪友のオデル、ロイも半ば諦めながら仲間と
なって「ロケット・ボーイズ」と言われるくらいになってしまうのが、凄く素敵だ。
「AUK−1号」の失敗で炭鉱敷地内での発射が禁止されて、途方に暮れてケンカになってしまっても、何となくホーマーの意志の強さに仲直りして
しまう友情が嬉しくもある。
ケンカの場面で赤いオープン・カーが登場する。1957年型コルベットと思われるその姿がカッコいい。ウテナ・ファンとしては、アキオ・カーの
モデルとして狂喜乱舞の車の登場であった。
話を戻して、13キロ距離先の場所を「ケープ・コールウッド」と命名し、ロケット発射場を作ろうとする。父にセメントを分けて貰おうとする
ホーマーだが、父は渋りながらも不要のセメントを分けてくれる。少しは優しさも持っていて、幾分ホッとしてしまう。
ノズルを溶接してくれたバイコフスキーさん、アドバイスしてくれたボールデンさん等の協力がある。でも良い品質の材料を買う為に廃線のレールを
売りとばす。廃線と思っていたが、汽笛が聞こえて大慌てで列車を止めに走る姿は、まるで「スタンド・バイ・ミー」の逆を見ている感じで楽しい。
失敗続きでも多くの見物人が集まったところで打ち上げ。見事に飛び立ったロケットにジーンとしてしまいます。言葉も無く、口を開けて唯その姿
を追いかけるのみだ。
誕生日にフォン・ブラウン博士からのサイン入り写真が届く。母の影からの手回しなのだが、父との対立は深まる。この母親が良い味を出していて
好きなんです。ライリー先生が「誘導ロケットの原理」の本をプレゼントしてくれる。こういう先生も良いなあ。
小学生の頃、世界の偉人集「フォン・ブラウン物語」みたいな本があって、もう何度も借りて読んだのであった。そういう意味でこの作品が本当に
嬉しくて仕方がないのであった。
ロケットの発射予定日に父に見に来て欲しいと頼むホーマーだが、炭鉱にトラブルが発生して来る事が出来ない。でも母親が見に来てくれて、その前で
打ち上げは成功する。青空の彼方に飛ぶロケットに痺れる。
でも森林火災の犯人扱いされて警察に連行されてしまう。ホーマーは父に引取られて外に出ると、友人のロイが義理の父に殴られていた。ホーマーの
父はロイを救出し、「お前の父は最高だった」と話す。嫌な父親に思えても、こういう所は格好良く男らしさが現れていて感動してしまう。
そして苦労して作った発射小屋を燃やし、それを見守る4人の姿が悲しい。
そんな時、炭鉱で事故が発生してバイコフスキーが死亡、父も重症で失明の可能性があった。ホーマーは退学の決意を固めるが、そんなホーマーを見て
無視して去っていくライリー先生であった。
この態度のライリー先生を非難する人も居るかもしれないが、私は先生が心底ホーマーを応援していたと思う。それゆえホーマーの行動は裏切りに
思えたのではないかと考える。唯頑張ってと言うのは簡単であるが、偽善的でもある。
夜、炭鉱に降りるエレベーターに乗るホーマー。天井の金網を通して、頭上をスプートニクが飛んでいく。このシーンも印象深い。自分の夢は天上を
飛ぶ人工衛星にあるのに、現実は地下に降りていく炭鉱の仕事。夢と現実の対比を描いている。
人生には、こういう事があるかもしれない。夢はあれだ!と思いつつ、でも現実は足元に横たわっている。普通は夢は夢として現実を優先させてしまう
のだろう。
ようやく父が復帰、この1年の辛さを話す父。ホーマーがバイコフスキーの死の責任を感じていたが、炭鉱で働いていたのは彼の意思であってホーマー
の所為ではないと語り、また息子を褒められて喜ぶ父の姿が良いのであった。
ライリー先生が病気と知って、先生宅を訪ねる。そこで先生から自分の内なる声を聞いてと言われる。また、あなたは自分の誇りであるとも言って
くれる。こういう先生が不治の病に冒されるとは、残念でならない。
ホーマーは思いつめて勉強し、森林火災が自分達の過失で無い事を証明する。そして科学コンテストを目指す。父に炭鉱は僕の人生じゃないと自分の
夢を話すが、自分の後継者にしたいと思っていた父は寂しく去っていく。父としては、ガッカリするのであろう。
科学コンテストで全国大会に出場するがロケット・ノズルが盗まれてしまう。ホーマーの父に助けを求める行動力のある母親、その願いを聞き入れて
助力する父。無事に再作製されたロケット・ノズルが、父の助けで出来た事を知るホーマー。ジーンとくる家族愛なんです。
そして見事に優勝。フォン・ブラウンからの祝福があったのに、気付かなかったホーマー。父に最後の打ち上げを見に来てと頼む。そして、父に自分の
ヒーローはフォン・ブラウンじゃ無いと告げる。それは、ヒーローは父だと言わんばかりのセリフであった。
ミス・ライリーと名付けられたロケット。姿を表した父に発射ボタンを押してもらう。そしてロケットが発射される。見上げる一同、もう無限に飛んで
行く様だ!。病室の窓からその光景を見るライリー先生。
病室の窓から空の青さは判るけど、空の広さは判らないという歌詞があるが、このシーンではロケットの飛行を通じて空の広さが判った様に思える
素晴らしいシーンだ。このシーンの為にこの作品があったかの様。
そのロケットが飛ぶ光景を目にして、ようやく息子の夢を理解した父親は静かに肩を抱くのであった。その後、当時のフィルムで実際の出来事と
その後の人生が説明される。本当にNASAの技師になってしまうのである。参った、本当に実話だった。
31歳の若さで亡くなったライリー先生を悲しく思うが、彼女が誇りに思ったホーマーは夢を実現した。この時、私はアメリカの大きさに完敗した
思いであった。精神の広さと言うか、夢を実現させるアメリカン・ドリームと言うか、応援してくれる環境の広さに負けた気がした。日本じゃ、邪魔が
入ったり止める方向に進む気がする。
夢を夢と諦めてしまう人間は、絶対に夢を実現させる事が出来ない。夢を現実にさせる努力をした人間にだけ夢は叶うのだ。そういう事を考えながら
心が熱くなるのであった。
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