12月

『ハリー・ポッターと秘密の部屋』
  今や世界標準のメガネっ子、ハリー・ポッター君の映画2作目。前作に比べると、大分主人公らしくなったか。明らかにお金がかかっており、原作世界を忠実に写し取ろうとした様子がわかる。校内の様子とか、衣装とかがすごく良く出来ている。
 しかし、映画として見ると特に出来は悪くないが面白くもないという感じ。なんとも平凡で面白みのない映画なのだ。基本的にエピソードの積み重ねなので、全対を通してのドラマ性が薄く、退屈に感じる所も。
 監督のクリス・コロンバスはファミリー向け映画監督としては無難なのだが、良くも悪くも個性が薄い。原作重視のこの映画の監督としてはベストな人選だったかもしれないが、原作に思い入れのない身としては、どうも物足りなかった。
 原作ファンの為の映画という感が強い。一般の大人には物足りなく、小さい子供には長すぎる。どうにも中途半端。個人的には突っ込みどころが多すぎ、久々に突っ込みマシーンと化す自分を感じた。とりあえず、レイブンクロー寮とハッフルパフ寮の存在感がミジンコレベルなのはどうかと思う。

『マイノリティ・リポート』
  監督スピルバーグ、主演トム・クルーズの超大作SF映画。のはずなのだが、妙に大作感が薄い。前半はSFとして結構魅力的なのだが、後半はミステリー的な「犯人探し」に変わってしまい、映画の趣旨が差し替えられてしまったような。
 映画のトーンは『A.I』に近い。ブルー味を帯びた画面と、未来というには妙に懐かしい感じのセット。スピルバーグの造形センスはちょっと古臭い所があると思うのだが、「懐かしい未来」感があって悪くはない。
 話としては、未来予知による犯罪防止法の倫理性の問題と、主人公がハメられた陰謀の犯人探しというテーマが分離してしまい、どうも中途半端さがある。トム。クルーズのスター性がなかったら、大作映画としてはちょっと辛かったかもしれない。ちなみに、ディックの原作小説とは雰囲気が全く違うので、原作ファンは期待しないほうが吉。私は原作の方が好きだ。

『T.R.Y』
 映画が始まって5分も経たないうちに、「こりゃダメだわ」と思ったことってありますか?そんな経験のない方、この映画を見ましょう。その脱力感を思う存分味わえます。
 ・・・なんていきなり貶しモードだが、この映画褒めるべきところが見つからない。もう始まるなり、「あっヤバいかも」という気配がびしばし漂っている。大森一樹監督はそんなに下手な監督ではないと思うのだけど、今回はどうしたことか。これに比べると火サスの方がよく出来ているくらい。
 原作は横溝正史賞受賞作の小説『T.R.Y』(井上尚登)なのだが、原作者と原作ファンにはぜひ見ないで欲しい。私は原作は未読なのだが、映画よりは確実に面白そうだ。何より、織田裕二が「7ヶ国語を操る天才詐欺師」を演じるのは無理がある。7ヶ国語喋ってなかったし(笑)。せめて中国語、韓国語のセリフはマスターしてほしかった(ちょびっとは喋るんだけど)。 私、別に織田裕二は嫌いじゃないのだが、決して演技力のある人ではないので、自分のキャラと違うタイプの役柄だとかなり苦しい。

『アイリス』
 実在の作家、アイリス・マードックの伝記を元にした映画。アイリス(ジュディ・デンチ/ケイト・ウィンスレット)は晩年、アルツハイマー病が発病し、作家の命とも言える言葉を失っていく。夫・ジョン(ジム・ブローベント/ヒュー・ボナヴィル)は彼女を必死に支え、看護するが、病気は進行していく。
 現在の年をとった2人の時間と、出会った頃の若い2人の時間が交互に映し出される。若い2人が生き生きとしているので、年をとってからのアイリスがいっそう痛々しい。特に作家であったアイリスにとって、言葉を忘れていくということはあまりにも残酷だ。ジョンにとっても、自分が愛した彼女の聡明さ、言葉の豊かさが失われていくことは更に辛かったはず。若い頃のアイリスは奔放な女性で、恋人も多かった。ジョンは彼女の全てを受け入れようとしつつも、嫉妬に苦しむ。彼女がアルツハイマーになったことで、ある意味全て彼に委ねることとなり、しかしその時には既に彼にとって彼女は抱えきれないようなものとなっていたというのは、何とも皮肉だ。アイリスの病状が進むにつれ、ジョンが家事を処理しきれずに自宅の中が荒れていく様子が哀しい。
 ジョンのアイリスへの尽くしっぷりが凄い。普通の夫婦ではちょっとこうはいかないのではないかと思う。やはりアイリスが天才でジョンが(ややM気味なくらいに)尽くしまくるタイプだったからこそ成り立った愛情関係で、普通のカップルがこれを理想にしちゃイカンのではないかと。
 老年のアイリス役のジュディ・デンチがさすがの貫禄だった。アルツハイマーになってからの演技など、鳥肌が立ちそう。

『CQ』
 「CQ」とは「Seek you」。主人公である映画編集者(ジェレミー・デヴィス)に対する「あなたを捜して」という、いわば「自分探し」のメッセージなのか。確かにこの主人公は自分を見失い気味だ。「真実を写し取る」と称してカメラに向かって自分の考えを喋るという自主制作映画を撮っているものの、恋人には「真実なんて誰も面白がらないわ」と言われる始末。しかしこの意見はごもっとも。大抵の客は「お話」を期待しているのだから、監督の主観、監督の思想だけの映画は押し付けがましいだけでさっぱり面白くないものだ。「面白い」映画には、観客を意識した客観性が欠かせない。しかし観客へのサービスだけで監督の「ここが見せたい!」という部分が見えないと、これまたつまらない(笑)。ここにエンターテイメントでもあり芸術でもある、映画というメディアが抱えるジレンマがあると思う。
 この映画にも映画の興行収益しか頭にないプロデューサーや、自分の思想を客受け無視で表現しようとした挙句、クビになってしまった前監督。クールな新鋭として人気があるが、どうもうさんくさい新任監督。
 しかしまあ、こんなことはどうでもいい。彼らは「ドラゴンフライ」という女スパイが主人公の映画を撮っているのだが、このドラゴンフライ(アンジェラ・リンドヴァル)が最高に可愛くてセクシー。彼女の為の映画といってもいい位だ。スパイの衣装や007顔負けの特別仕様車やレトロな宇宙船等、昔のマンガちっくでオシャレで楽しいこと。これがこの映画一番の見所かもしれない。
 監督は、あのフランシス・フォード・コッポラの息子ローマン・コッポラ。良くも悪くも派手なF.コッポラとは異なり、ローマン監督の作風はミニマム。自分の好きな、身近な素材を組み合わせて作ったような映画。自主制作映画に明け暮れる主人公は、案外監督自身のパロディーなのかもしれない。

『ガーゴイル』
 人間の生物的欲求として、食欲・性欲・睡眠欲ということがよく言われる。が、食欲と性欲が結びついてしまったら?パリを舞台に2組のカップルが登場する。新婚のシェーン(ヴィンセント・ギャロ)とジェーン(トリシア・ヴュッセイ)。誰の目からも幸せそうに見えるが、シェーンは何故か妻を抱こうとしない。もう一組は医師セムノー(アレックス・デスカス)と妻コレ(ベアトリクス・ダル)。セムノーはコレを家の中に隔離してしまう。実はシェーンとセムノーはかつての同僚。そしてシェーンもコレも、セックスしている相手を食い殺してしまうという奇病にかかっていた。
 2組のカップルは、お互いにパートナーを心から愛しているのに、病気のせいでパートナーとはセックスできない。コレは家を抜け出して近所の男や青年を誘惑し、彼らを食い殺す。血まみれのベアトリクス・ダルが圧巻。妻を幽閉せざるを得ないセムノーと、わけもわからず夫に取り残されるジェーンの姿が哀しい。シェーンはコレの姿に未来の自分を見て、ある決断にいたる。彼も彼女も「ガーゴイル」(怪物)として同胞だと分かっているからこその、決断の悲しさ。
 監督のクレール・ドゥニは、パリを撮るのが上手いと思う。オシャレな街・パリではなく、全てを受け入れる、混沌を孕む都市としてのパリ。血の赤と夜の青の、色彩のコントラストが美しい。「ヴァッファロー66」のヴィンセント・ギャロと「ベティ・ブルー」のベアトリスク・ダルという濃すぎるくらいに濃いキャストの中で、ジェーン役のトリシア・ヴュッセイのイノセンスが際立っていた。

 

 

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