10月

『ロード・トゥ・パーディション』
 
アイルランド系ギャングのマイケル(トム・ハンクス)はギャングのボス・ルーニー(ポール・ニューマン)の片腕。二人の間には実の父子のような絆がある。しかし、マイケルの12歳の長男がルーニーの息子・コニー(スタンリー・トゥッチ)の殺人現場を目撃してしまった。コニーは口封じの為マイケルの妻と次男を殺害。マイケルは長男を連れて復讐の旅に出る。
 この映画は2組の父子の物語だ。1組はマイケル父子。この父子の間には妙な距離感がある。息子は父に対して「サー」という敬語を付けて話す。映画冒頭で、息子が寝室にいるマイケルを食事に呼びに来るシーンがあるのだが、すぐには話し掛けず、やや離れた所から声を掛けるのだ。帰宅した父に、弟のように甘えることもない。しかし共に逃げ、戦うことで、二人の関係が変化していく。
 もう1組はルーニー親子。ルーニーは不出来な息子に失望しており、部下のマイケルを息子の様にかわいがる。ルーニーの息子・コニーはマイケルを嫉妬し、憎むようになる。象徴的にシーンがある。仲間の通夜のパーティーでルーニーとマイケルがピアノを一緒に弾く。周囲はそれを見て微笑んでいる。コニーも微笑んでいる。が、その笑顔が何とも言えない。マイケルの幼い次男がそんなコニーを見て、「いつも笑っているね」と言う。コニーはそれに対して、「死ぬほど可笑しいからさ」と返す。
 映画の中心はマイケル親子なのだろうが、私はルーニーとコニーの方が印象に残っている。息子に対して「お前が生まれてきた日を呪う」と言いつつも見捨てられない父と、父に認めてほしいのに何をやっても上手くいかない息子。こういう関係はアメリカの映画を見ていると度々出てくる(元祖はジェームズ・ディーンだろうか)。お国柄なのかもしれないが、根深いものを感じた。
 映画が始まって約30分間で二組の親子の関係を観客に分からせる、サム・メンデス監督の腕前には唸らされた。前作『アメリカン・ビューティー』も構成や色彩の美しさとストーリーのシニカルさに引き付けられたが、今回も構成が上手い。カメラの動きが滑らかで、特に終盤、マイケルがホテルに乗り込むシーンはぞくぞくした。ただ、今回の作風は直球だ。古典的と言っても良いストーリーで、シニカルさは抑え目だ。大袈裟な演出はなく、クールな味わいだった。
 タイトルは直訳すると「パーディションへの道」だが、パーディションとはマイケル親子が向かう土地の名前だ。パーディションには「破滅」という意味もあり、ダブルミーニングとなっている。しかし、個人的には日本語訳タイトルにしてほしかった。パーディションという単語は日本人には馴染みが薄いから、意味合いが伝わりにくいと思うのだが。それよりはかっこいい日本語タイトルの方がインパクトがあると思うし、そこが配給会社の腕の見せ所だと思うのだが。
 一見の価値はある映画。ただし、トム・ハンクスがアイルランド系に見えない(笑)。上手い役者だが、今回はミスキャストの様な気がする。そして殺し屋役のジュード・ロウが珍妙な演技を見せていた。監督もこのキャラについては結構遊んでおり、コーヒーに吐くほど砂糖を入れたり、爪が伸びていて噛跡があったりと、子供っぽさを見せる演出をしている。どうもジュード・ロウは、現代物よりも時代物の方が似合っている気がする。レトロな服がはまっているのだ。髪の毛が相当薄くなっているところが心配なのだが(笑)

『チェンジング・レーン』
 ささいなことから人生が狂いだす恐さ。この映画の場合は、車線変更による交通事故だ。離婚調停の為裁判所に向かう男(サミュエル・L・ジャクソン)は、裁判に遅刻して離婚決定。若い弁護士(ベン・アフレック)は事故の際に重要な書類(実はこの書類、不正なものらしい)を紛失する。書類はサミュエルが拾っていたのだが、彼は離婚が決定したことで、事故を起こしたベンを恨んでおり、書類をネタにベンを散々引きずりまわす。ベンは書類を取り戻す為、犯罪まがいの行為まで起こす。二人の男がささいなことから、お互いに憎しみをつのらせお互いを引き摺り下ろしていく、泥沼状態映画なのだ。
 脚本がしっかりとしており、最後までダレることなく見ることが出来た。派手さはないが、渋い佳作だ。サミュエル・Lジャクソンが珍しくさえない男を演じているが、さすがは演技派で、意外とはまっている。ベン・アフレックはぼんぼんな感じがぴったりだった。映画のラストにわずかながら救いがあるが、これは余分だった気がする。ああういうラストにすることで、それまでの転がり落ちていく感じが温くなっていまった。

『アバウト・ア・ボーイ』
 「人間は皆、孤島」等とうそぶく男とシングルマザーの母親を気遣ういじめられっこ少年の友情物語。マーカス少年(ニコラス・ホルト)が母親を支えようとする姿が健気で、ついホロリとさせられた。
 それに比べて大人達はどうも情けない。主人公ウィル(ヒュー・グラント)は優柔不断で、恋人をとっかえひっかえしている。特定の女性と深く付き合い、責任が生まれることを恐れているのだ。年齢は30を過ぎても、中身は子供っぽい。マーカスの母親・フィオナ(トニー・コレット)は未だにヒッピーカルチャーを引きずっているような女性。精神的に不安定で、自殺癖がある。マーカスのことを愛しているが、彼が学校でいじめられていることも、その原因の一部が自分にあることにも気付いていない。彼女もどこか子供っぽいかたくなさがあり、成熟しきれていない印象だ。マーカスとの交流の中で、ウィルは初めて「誰かの為に何かを」やることを覚え、そのウィルに叱咤されて、フィオナは息子の思いやりに気付く。見終わった後は、「人間関係って捨てたもんじゃないよね!」とぬくい気持ちになった。
 ・・・が。が、である。後からゆっくり考え直すと、引っかかる所がいくつか出てきた。
 ウィルはある事情から、金持ちとはいかないまでも、一生喰うに困らない収入源があり、定職には就いていない。別に人生の目標もなく、毎日フラフラしている。周囲からは「30才過ぎて無職でシングルなんて!」と心配される有様。
 でも、これってそんなにダメなことなのか?基本的に、お金がある人は働かなくて当然だと思うし、人生には目標があるべきというのも、あまりに一方的な考えではないだろうか。ウィルの女関係がだらしないのは確かだが、特定のパートナーを持つか否かは個人の好みの問題で、他人にどうこう言われる筋合そこまで嫌な奴には見えないのだ(ダメ男ではあるが)。夫と幼い子供がいて幸せいっぱいなウィルの妹の方が、よっぽど鈍感で嫌な奴に見える。
 また、ウィルはマーカスに「あんたは他人のことなんかどうでもいいんだ!」と非難されるが、他人に対しても出来ることと出来ないことがある。ウィルは他人に対して何もしなさすぎだが、マーカスは何か出来ると思いすぎ。マーカスはウィルに、母親の自殺癖を直してほしいのだが、それは彼女(母親)が自分で直すほかない。マーカスは自分では力の及ばない問題までしょいこみすぎなのだ。してみると、ウィルは自分に責任の持てることともてないことの見極めが、きわめて的確なのだろうか(笑)。まあ、彼の場合は責任持たなすぎかもしれないが。
 ともかく、見終わった直後の後味は良いが、じわじわと不快感がよみがえってくる映画だった。「人は一人では生きられない」なんて、陳腐なセリフは聞きたくないのだ。「僕も他の人たちに心を開いて、生きがいを探します!人生って素敵!」的なラストには、どうも違和感が残った。モラトリアム男の成長物語、というのは嫌ではないのだが、「幸せ」のモデルがあまりにも画一的で、「それだけじゃないでしょ」と思ってしまった。

『バイオハザード』
 有名ゲームが原作の映画。ゲームは恐いと評判だったが、映画も恐い。恐いというより、ドキドキすると言った方が正しいか。ホラー映画にしては恐くないし、アクション映画にしては俳優のアクションシーンが少ない。ちょっと中途半端な感じだった。ゲームファンから見るとどうだったのだろう。
 この手の映画の常として、脚本はユルいのだが、結構楽しめた。やはり主演のミラ・ジョボビッチの魅力による所が大きいだろう。何といってもすごい衣装だし(笑)。文字どおり身体をはっている。「布2枚」な姿には「そ、そこまでやりますか・・・」と拍手したくなった。同じゲーム原作美女大活躍映画としては、最近では『トゥームレイダー』があった。『トゥーム〜』主演のアンジェリーナ・ジョリーは肉感的セクシー系だったが、ミラはもっとスレンダーでクールな印象。スレンダーな美女が敵をボコボコにする姿は、理屈抜きで爽快。正直、ゾンビよりも彼女のアクションシーンがもっと見たかった。また、ミラと一緒に闘う特殊工作員チームの女の子(『ガールファイト』というボクシング少女映画に主演していた役者。見事な三白眼)が、なんともふてぶてしい面構えで好感度が高かった。インパクトの強い女性陣に比べると、男性陣はいまひとつ印象が薄かった。
 観客を恐がらせよう、恐がらせようとしている映画なのだが、効果音や音楽に頼りすぎだったと思う。音楽はもっと控えめにして、ちゃんと演出で恐がらせて欲しかった。ラストのオチは結構ブラック。2作目への伏線ではないことを願う。

『千年女優』
 映画界では好評だったものの、アニメファンにはいまいち不評だったアニメーション映画『パーフェクト・ブルー』製作チームによる、劇場用アニメーション第2作。
 往年の名女優・千代子の元へ、二人の取材記者が訪れる。千代子は自らの生涯を彼らに語り始めるが、虚構と現実とが入り乱れていく。千代子が主演した映画の物語と、彼女の実際の生涯とが徐々に混じり、更に二人の記者まで、彼女の「物語」の出演者として巻き込んでいく。なんとも不思議な味わいのある、テンションの高い映画だった。
 千代子は初恋の人を探す為映画界に飛び込み、延々とその人を追い続ける。監督は「初恋って良いねという話をやりたかった」そうだが、これはむしろ初恋の狂気とでもいうべき物語だろう。映画の中では、千代子が走っているシーンが印象的だった。彼女は常に「追い続けて」いるのだ。一度だけ会った相手を、相手の顔を忘れても恋焦がれ続ける。一途を通り越してクレイジーだ。「なぜあの人なのか」「あの人は何者か」ということをすっ飛ばしてただただ焦がれて追い続け、やがて追うこと自体が目的となる。だから彼女の恋は決して成就することがない。ある意味不毛な恋愛映画なのだ。映画ラストの千代子のセリフは不要だったと思う。あまりにも説明的なので、あのセリフがない方が恋のクレイジーさが際立ったと思う。
  アニメーションならではの映像美術の美しさを、遺憾なく発揮した映画。個人的には結構好きだし、各映画祭でもそこそこの評価を得ているのだが、興行的にはいまいちだったらしい。アニメファン好みの映画ではなかったのだろうか。
 記者二人の役どころが、上手く活かされていなかったと思う。最初は千代子の話の傍観者もしくはツッコミ役なのだが、だんだんと話の一部に取り込まれていく。が、その取り込まれ方がきちんと整理されていないので、ともすると下手なコントに見えてしまった。

 

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