8月
『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男』
ローリング・ストーンズを立ち上げたリーダーであり、ギタリストであったブライアン・ジョーンズ(レオ・グレゴリー)が、1969年7月3日、自宅のプールで死亡しているのを発見された。享年27歳。彼の身に何が起きたのか。
実在したミュージシャンであるブライアン・ジョーンズの話で、ミックやキースやリチャードも出てくるが、ローリング・ストーンズの伝記的映画というよりも、1人のスターの物語という側面の方が強い。あくまでフィクションだ。ブライアンが死んだいきさつもあくまで推察(実際に未だに真相ははっきりしていない)。私はローリング・ストーンズについては特に詳しくないが、ロックスターの物語としてなかなか面白く見ることが出来た。
実際のブライアンがどんな人だったかはともかく、本作の中のブライアンは、音楽の才能があり女性にモテモテ。セックス、ドラッグ&ロックンロールを地で行くような男だ。しかし人としてはかなりの困ったちゃん。女遊びが激しい一方で別れた恋人・アニタ(モネット・メイザー)には未練たらたらだ。金遣いがあらく、事務所からも愛想を尽かされつつある。気分のムラが激しく仕事の約束も守らない。庭の工事に来た業者に、嫌がらせとしか思えない気まぐれな指示をする。遠巻きに見ていれば面白いかもしれないが、決してお近づきにはなりたくないタイプだ。
しかし、彼のカリスマ性と魅力に周囲は絡め取られてしまう。ブライアンの家の改築工事に来た建築家・フランク(バディ・コンシダイン)もその1人だ。彼がブライアンに反感を感じつつ、ブライアンの世界に引きこまれ、微妙な主従関係が出来ていく様はスリリング。泥沼にはまっていくフランクには、あああそっちにいっちゃダメ〜、と声をかけたくなるのだ(笑)。ブライアンの方にも彼を煽っているふしが見えるのだが、フランクに対して「ブライアンと同じ世界にいけるかもしれない」「何かを分かち合えるのかもしれない」という夢を見せてしまうあたり、何とも罪作り。ブライアンにとっては一時の気まぐれなのに・・・これもスターの性なのか。
カリスマが主役の映画なのに、ブライアン役のレオ・グレゴリーにいまひとつカリスマ性が感じられないのが最大の難点か。音楽はさすがに気を使ってセレクトしている感がある。
『水の花』
ミニマムながらも練られた脚本が高い評価を受けた『運命じゃない人』、2作目の『かもめ食堂』が大ヒットとなった荻上直子監督の『バーバー吉野』等、近年注目を集めるPFFスカラシップ(ぴあフィルムフェスティバルの受賞作品監督から1人選び、製作から劇場公開までをトータルプロデュースする長編映画製作援助システム)。本作は第15回PFFスカラシップ作品となる。
中学生の美奈子(寺島咲)の母親は、美奈子が小さい頃に男性と駆け落ちした。美奈子はそれ以来、父親と2人暮らしだ。ある日、母親が男性と別れて、近くの団地に越してきたらしいという噂を聞く。母親と、幼い少女が仲良く歩くのを目にする美奈子。彼女は一人で遊ぶ異父妹・優(小野ひまわり)に近づいていく。
カメラのフレームは殆ど固定されていて、たまに動いても左右にスライドする程度だ。普通だったらカメラを動かして役者を追うんじゃないかなと思う所で、あっさりとショットを切り替えている。ダイナミックな動きというものが全くなく、その為すごく静かで息を潜めたような印象を受けた。こういう撮り方はいまどき珍しい気がする。しかしこの作品に関してはこれで正解なのだろう。どこかよそよそしい感じ、対象と距離のある感じが、美奈子と優、また美奈子と父親、母親との関係のぎこちなさを際立たせている。それは同時に、堅苦しい、窮屈な印象も与える。中学生であるヒロインの置かれている立場の窮屈さ、彼女が動ける世界の狭さの象徴でもあるのかもしれない。
登場人物の造形は、なかなかよく出来ていたと思う。私が特に印象に残ったのは、美奈子の母親(黒沢あすか)だ。夫を娘を捨てて駆け落ち、というと奔放で情熱的な女性と思い込みがちだが、ごく普通の、むしろ地味な女性として描かれている。駆け落ちした相手との離婚後は、水商売をしているような雰囲気なのだが、仕事用のスーツは1着しか持っていないらしい様子や、華やかなメークにてこずっている様子、スーツとコートがちぐはぐな所、手持ちの靴はローヒールやローファーばかりである所等、人となりを匂わせる為の演出の仕方が上手い。また父親にしても、娘の気持ちを掴みあぐねていて、実はいっぱいいっぱいな感じが上手い。
美奈子役の寺島咲も、凛としたたたずまいが良い。特に後半、妹を連れ出して死んだ祖父母の家に行くあたりは、妹に対する憎らしさと、(多分自分でもよくわかっていない)愛情とが交錯した、良い表情が多かったように思う。決して演技が上手いというわけではないが、これから伸びてきそうな感じがする。妹役の小野ひまわりはバレエを披露する美しいシーンがあるのだが、セリフが設定年齢に不相応でこなれていない所が残念。これは監督が若いせいか。 美奈子が演奏するピアノに合わせて優が踊る。美奈子にとってのピアノ、優にとってのバレエは、彼女らが家庭で幸せだった頃の象徴だ。その重なり合いは、彼女らが抱える鬱屈が(多少なりとも)昇華されたことを示すのだろうか。ただ、ちょっと面白いと思ったのは、美奈子は優が踊っているのを見ていない(ピアノの側からは優がいる庭が見えない)という所だ。自分では気づかないうちに、昇華はおとずれるということか。そういえば最後も、美奈子が自分では気づかなかったあることに気づくというシーンで終わっている。ある種の変化というのは、そのように訪れるものかもしれないとふと思った。
『キングス&クイーン』
パリで画廊を経営している35歳の女性ノラ(エマニュエル・ドゥヴォス)は、最初の夫とは死別し、10歳の息子エリアスがいる。富豪であるジャン・リュック(オリヴィエ・ラブルダン)との再婚を考えていたが、作家である父親(モーリス・ガレル)が末期癌で余命いくばくもないと知らされる。
仕事もプライベートも充実している、一見キュートな女性であるノラ。しかし同性から見ても異性から見ても、案外嫌な女かもしれない。天然の小ざかしさというか、ずうずうしさみたいなものを感じる。少なくとも、女性にとっては敵に回すと厄介そうな人である。優しいようでいて、実は自分のことしか考えていないんじゃないのか。息子を養子に出そうとしたのも、息子と元カレが仲がよかったからという以上に、金ヅル(婚約者)を逃さない為の苦肉の策という感もある・・・というのは意地悪すぎる見方だろうか。
ノラの優しさの裏にあるものを最も感じ取っているのは彼女の父親なのだが、この父親がまた強烈だ。ノラに残した遺書の中で彼女を非難し、「お前が健康なのは不公平だ。私の代わりにお前が死ね」と呪詛の言葉を残す。おいおいおいおい!いくら重病だったとはいえ、普通年取った方から死んでいきますから!不公平とかじゃないから!父親の呪いが実現したかのようなショットも挿入されていて、ちょっとドキドキしてしまった。強気な父親と姉に囲まれて、いまひとつ影が薄い(そして父親や姉とは違って落ちこぼれてしまった)妹がかわいそうになってしまう。
ノラも父親も、ノラの元カレ・イスマエル(マチュー・アマルリック)も、そしてイスマエルの姉やノラの元夫、出てくる人たちの殆どが、それぞれ違った形でエゴイストだ。どの登場人物にもあまり好感は持てなかったが、何故か妙におかしく楽しい。素材は深刻な要素を含むのに、コメディのようだ。
様々なジャンルの映画が一緒くたになったような映画だった。コメディあり、メロドラマあり、サスペンスあり、ミュージカルあり、親子ものあり。大変盛りだくさんだ。そしてショットのつなぎ方がちょっとセオリーから(多分)ずれていて、そこが面白い。もちろん意図的にずらしているのだろう。映画の最初の方で、ノラが息子を小学校に迎えに行くシーンがあるのだが、お互いの正面姿の切り返しの連続で会話が進む。こういうシチュエーションだと、普通は2人を同じフレーム内に収めて会話を進めるケースが多いのではないだろうか。他にも、映画の文法をありったけ使っているような、結構挑戦的な印象を受けた。ありったけ使ってみるということで、いくつものジャンルが入り混じっているような印象になったのだろう。サウンドトラックについても同様で、そのシーンに一番ぴったりと合うと監督が考えたのであろう、音楽を使っている。しかしその音楽のジャンルも作風もバラバラなので、全体として見ると大変節操のない印象を受けるのだ。しかしそこが面白い。アルノー・デプレシャン監督の作品は、多分10年ぶり位に見たのだが、なんだかいつまでも若々しいなぁと思った。映画に対する姿勢が、何か青年ぽいのだ。
出てくる人たちが皆好き勝手やる話だが、最後、イスマエルはエリアスとルーブル美術館へ行き、彼と話し合う。多分この映画の中で唯一、他者と真摯に向き合う場面だったのではないか。一方ノラは、登場時と全く変わったようには見えない。あくまで自分の道を行くのだ。キングはキングになりきれなかったけど、クイーンはどこまでいってもクイーンなのか。
『NARUTO 大興奮!みかづき島のアニマル騒動だってばよ!』
原作は週間少年ジャンプで連載中の人気漫画。TVアニメも国内外で好調の様子。たまたまTVで劇場版2作目『幻の地底遺跡だってばよ!』を見ていたら、噂通り作画レベルが高く、ストーリーも予想外に面白かったので、今回初めて劇場版を見に行ってみた。ちなみに私、NARUTO原作は斜め読み程度、アニメは最初の何回かを見ただけなので、基本的な設定を勘違いしている恐れがありますがご容赦下さい。
みかづき島にある「月の国」の王子を守るという任務を受けたナルト(竹内順子)ら。月の国はリゾート開発で財を成した、超お金持ちの国だ。王子(といってももう成人して子供もいる)のお金の使い方は桁外れで、気に入ったサーカス団を丸ごと買い取ってしまう。何とか月の国に王子らを送り届けたナルト達だが、大臣が起こしたクーデターに巻き込まれてしまう。
ナルトの映画ではあるが、ストーリー上の大きな位置を占めるのはナルトではなく、月の国の王子の幼い息子だ。我侭な少年が周囲とのふれあいのなかで成長するという、正しい成長物語。少年の父親である王子自身が子供のような人物であり、父子双方が成長を強いられるというのが現代的か。
ストーリー自体は、正直期待したほどのものではなく、(本来のターゲットである)年少の子供以外には物足りないものだろう。安易に「約束」「勇気」を強調するのも、どうかなーと思った。そこに至る過程をもうちょっと丁寧に演出してほしかった。ただ、良心的な話ではあるので、子供に安心して見せられるかなとは思う。
ただ、前評判通り、作画はかなり良い。時々はっとさせられるシーンがあった。特に、嵐の船上での動物救出劇や、目玉であろうアクションシーンは目に気持ち良い。作画オタク人気が高いのも頷ける。特にロック・リー君の終盤のアクションシーンは、私のフェティシズムをばっちり満たしてくれた。フォルムの伸ばし方が、ちょっと独特なのね。
監督はTVシリーズの都留棯幸。オリジナルキャラクター(王室のボディーガード?の人)が何か『忍空』(と言って分かってくださる方がどれだけいるだろうか...昔そういうアニメがあったんです)から出張してきた人みたい...と思っていたら、キャラクターデザインが『忍空』をやってた西尾鉄也だった。納得。でも他のキャラクターから完全に浮いています...(ちなみに西尾は『人狼』のキャラクターデザインもやっている。明らかにNARUTOとは方向性が違うのだが)。
ちなみにアニメスタッフは、「サクラは乳がない」という点に大変こだわりを持っているように見受けられた。エンドロール中にサービスショットがあるのだが、乳のなさが絶妙なので必見。
『ハチミツとクローバー』
羽海野チカの大ヒットコミックがついに実写映画化。監督は高田雅博。元々は「なっちゃん」「ライフカード(オダギリジョー編)」等を手がけたCMディレクターで、映画監督としてはこれがデビュー作となる。
ストーリーは原作におおむね忠実。セットや衣装なども、原作の雰囲気に極力近づけようとしている。この手の企画の場合、一番問題となるのはキャスティングだが、これもなかなか上手くいったのではないか。特にはぐ役の蒼井優は、ちょっと世間からズレた芸術家肌の女の子役にぴったりだった。挙動不審な動きとかがとてもはぐっぽい。竹本役の櫻井翔は、竹本にしてはちょっとかっこよすぎる気がしなくもないが、洗練されきっていない(ちょっと野暮ったさが残っている)あたりは悪くない。この人、実年齢のわりには童顔だよな・・・。
ただ、不満な点も少なくはない。原作の雰囲気やエピソードを大事にするあまり、映画単体としてはストーリーの流れが不自然な所がある。竹本が自転車で走り出す件や、森田が自分の作品を燃やす件は、そこに至るまでの描写が少なく唐突な感が。また、モノローグが多すぎて(原作のモノローグを使いたいのは分かるが)、ちょっとうっとおしかった。脚本や演出が下手という感じではないので、モノローグを使わなくても十分構成できたのではないかと思うが。
基本的に王道学園恋愛ドラマであり、原作では出てくる、才能の有無から生じる悩みにはあまり触れていない。森田の個展がらみのエピソードはあるが、あまり練れておらず、森田やはぐが何に悩んでいるのかピンとこない。作品を燃やす森田には「おいおいそれ売却済み商品だから!ていうかお金ゲットして新作につぎ込んでやりたいことやればいいよ!」と突っ込みたくなった。彫刻はお金かかるんだよ!いっそ天才云々というエピソードはカットしちゃえばよかったのになーと、思わなくもない。そこまでやるには時間が足りなかったのでは。何より、はぐの作品も森田の作品も、そんなにすごいものには見えなかったのがイタかった。
キャラクター造型に一番変更が入っていたのは、真山と山田だろう。2人とも完全にストーカー。真山に至ってはルックスまでストーカーぽく、原作のイケメンぶりが微塵も見えない。山田はご丁寧に、犯罪撲滅スローガンの書いてある看板の陰から真山をストーキングしていた。しかも2回。正直ちょっと怖い。
『グエムル 漢江の怪物』
韓国で一番大きい川、漢江(ハンガン)。そこに、ある日突然、正体不明の巨大生物が出現し、人々を襲い始めた。河岸で売店を営むパク一家の娘・ヒョンソも怪物に攫われてしまった。父・カンドゥ(ソン・ガンホ)と家族は怪物と接触した際にウイルスに感染したという理由で病院に隔離されるが、抜け出してヒョンソの救出に向う。
怪物の製作は、LOTRや「キングコング」のWETAワークショップと、「デイアフタートゥモロー」「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」のオーファネーシが手がけている。が、正直怪物自体には期待したほどの迫力はない。怪物の動きとか質感とかは悪くないが、水に飛び込んだ時の水しぶきとか、体にまとわり付いた炎とかが、ちょっと安っぽく見えたのが勿体無い。
怪獣映画というよりも、家族映画、しかもコメディとして見た方が面白い。カンドゥは見ていてイライラするくらいのダメ男で家族からも愛想を尽かされている。カンドゥの弟は学歴はあるものの昼間から酒に溺れているし、唯一アーチェリー選手として社会的に成功している妹も、勝負弱くて重要なタイトルを逃してしまう。彼らの弱点を含めた特徴が、ちゃんと伏線になっているのは上手いと思った。彼らの戦いは全くかっこいいものではなく、悲しいぐらいに無力で滑稽だ。普通、この手の映画だったら家族が一致団結してどんどん強くかっこよくなっていくものなのに、本当にぎりぎりまでかっこよくならない。カタルシスが来るかと思うとはぐらかされ、という展開の連続。かっこいいの正味10数分とかじゃないの・・・?!
全編、妙に笑えるシーンが多かった。集団葬儀(?)で一家が泣き崩れるシーンは、明らかにシリアスなシチュエーションなのに、涙と鼻水を振りまく号泣ぶりがおかしくてしょうがない。カンドゥの妹役のペ・ドゥナなんてジャージがずり下がりすぎて半ケツ出してるんだもの・・・。お通夜の席とかで、何かの拍子に笑いのスイッチが入ってしまって、さしたる理由もなくおかしくてしょうがなくなる、あの感じに似通ったおかしさがある。配給会社がどう言おうと、これはコメディですよ。いや、それともちょっと違うか・・・。ともかく変な映画だと思う。
『ハードキャンディー』(若干ネタバレです)
現代版「赤頭巾ちゃん」。しかしこの赤頭巾、一筋縄ではいかなかった。罠に掛かったのはどっちだ?ロリコンナンパ男が少女に懲らしめられる。
32歳の売れっ子カメラマン・ジェフ(パトリック・ウィルソン)は出会い系サイトで14歳の少女ヘイリー(エレン・ペイジ)をナンパ、直に会う約束を取り付ける。実際に会ったヘイリーはなかなか可愛い。ヘイリーは彼女を郊外にある自宅兼スタジオへ連れて行くが。
出演者はほぼ2人のみ、舞台もカフェとジェフの自宅のみだ。おそらく低予算なのだろうが、撮り方のセンスが良いのか、あまり安っぽい感じはしなかった。特に対話シーンの撮り方はいい。ストーリー展開がとても早く、ぐいぐいひきつけられる。伏線らしきものは多々あるのだが、伏線を回収しているミステリというよりも、スピードとフェイントで押し切るタイプのサスペンスだと思う。細部にはあまり目をやらないほうがいいかもしれない(監督が伏線らしきものを全て意味のあるものとして配置したのか、結果的にそうなってしまったのかいまひとつ分からない所が)。
ヘイリーは何者なのか?ジェフはいったい何をしたのか?という点がなかなかはっきり見えてこないが、実はこのあたりの真相は、あまり重要視されていない。ポイントはあくまで2人の心理戦だ。ジェフが自由を奪われた後の、2人の会話による騙しあいが見物。2人の会話のみで映画を持たせるのはかなり難しいと思うのだが、これは脚本が上手い。ジェフの方が(状況が状況だけに)圧倒的に不利に見えるので、こいつ何かやったんじゃないの、と思いつつもうっかり彼を応援してしまう。逆に言うと、ジェフをうっかり応援してしまうくらいヘイリーのやり方が容赦ない。このへんは、監督が意図的に観客を誘導しているのだろうが、それがラストのショックに繋がる。「手術」シーンは直接的な映像はないものの、音が生々しくて結構怖かった。
103分という短めの作品なのだが、多くを詰め込まずにミニマムに作ったのが成功していたと思う。説明されない部分が多いのも、却って面白い。ヘイリー役のエレン・ペイジは映画初出演らしいが、気迫に満ちていた。顔のアップを多用することで対話の緊張感を強めているのだが、騙すか騙されるかという緊迫したシーンでのアップに耐えているのは偉い。ジェフ役のパトリック・ウィルソンは、あんな格好やこんな格好をさせられて大変なことになっていて、これも別の意味で偉い(笑)。だってイメージ的には絶対マイナスでしょうこの役柄。
ところでこの映画の中の「計略」、一見完全犯罪ぽいが、不自然な外傷があるからすぐバレそう。それは計算の内?
『年をとった鰐&山村浩二セレクトアニメーション』
『頭山』が世界で絶賛されたアニメーション作家・山村浩二の新作と、彼がセレクトした世界各国のアニメーション7本。感想は1本ずつ行きます。
●『年をとった鰐』
山村浩二の新作。フランスの童話作家レオポルド・ショヴォーの同題名作品を、原作の絵そのままに忠実にアニメーション化している。色合いは茶系のグラデーションのみで、かなり渋い。恋人であるタコの足を食べずにはいられないワニ。ワニは生きているタコの足を一本ずつ食べていったり、お腹がすいて自分の孫を食べちゃったりと結構グロテスクな話なのだが、語り口が淡々としており、むしろユーモラスでもある。しかしそのちょっととぼけた味わいゆえに、この物語の芯にあるシニカルさ、哀しさが引き立つ。ワニの中に、タコを恋人として愛する気持ちと、食べ物として愛する気持ちが両立していると(しかも鰐的には多分矛盾せずに)、ストーリー上で明言しちゃうのが、もう実に実も蓋もない。何にせよ、生きるとは業の深いことでありますな・・・。最後のオチがこれまた人を食った話だ。キリスト教圏の話とは思えない(笑)。なお、ナレーションはピーター・バラカン。私、彼の声が好きなのでこれには得した気分に。
●『ビーズゲーム』
イシュ・パテル監督作品。大量のビーズによるアニメーション(動く砂絵みたいなものだと思って)。単細胞生物からどんどん進化していく生物。しかし常に固体同士の戦いが繰り広げられていき、ついに人類による世界大戦へ。カラフルで華やか、賑やかな作品。ビーズをどうやって動かしているのかな、まさか手作業でというわけではなかろうなと思っていたら、本当に1個ずつ手作業で動かしていたとのことでびっくりした。えーっ!どれだけ時間かかるのそれ!(と思うくらいダイナミックな動きを見せる)
●『色彩幻想』
ノーマン・マクラレン&イブリン・ランバート監督。抽象的なペインティングをジャズにあわせてザッピングしたような作品。音楽を映像化するとこんな感じかなと思った。音の強弱やリズムだけでなく、各楽器による音の質感までも画像によって表現しようと試みていたように思う。
●『アリの冒険』
キドゥアールド・ナザーロフ監督。いわゆるカートーゥンだ。巣からはぐれたアリが、他の虫達に助けられて家に帰るまでの物語。キャラクターがかわいいくて楽しい。虫の動きが意外に現実のものに忠実なのも面白い。ストーリー性が強く、はっきりとわかりやすいので、小さい子も喜びそう。
●『フランンクフィルム』
フランク・モリス監督。自分の人生をコラージュとモノローグで紹介。写真や雑誌の切り抜きやオブジェ等、膨大なマテリアルによるコラージュの過剰さが印象的だった。この監督、多分カタログとかが好きな人なんじゃないだろうか。モノローグの中でも触れていたが、物がいっぱいある状態に面白みを感じる人なのだろう。
●『リボルバー』
ジョナム・オデル、スティグ・バクベスト、ラーズ・オヒソン、マッティ・エンストランド監督。今回紹介されたアニメーションの中で一番新しい(と言っても1993年の作品)。アニメーションの絵柄も他と比べるとモダンでコミックぽい。不穏な映像のループとミニマル音楽から成る、シュールでキッチュな作品。映像が常に揺れているのに加え、なんとも不吉なイメージを沸き起こす絵が連続し、ちょっと悪酔いしそうになった。しかし意外に端正な印象も受ける。絵がすっきりしているからか。
●『スワンプ』
ギル・アルカベッツ監督。スワンプとは湿地帯のこと。湿地帯で繰り広げられる騎兵隊の戦い。落馬した兵士は湿地に沈んでしまう(馬に巨大な風船がくくりつけられているのがおかしい)。この設定を言葉を使わず、絵と音のみで理解させる所が上手い。特に湿地へ沈んでいく音が妙にリアルだった。コミカルでなかなか楽しい。
●『おとぎ話』
プリート・パルン監督。ナンセンスまんがのような、騙し絵を多用した作品。キャラクターには流石に古さを感じる。楽しいが、ちょっと目まぐるしくせわしなかった。実は、途中で寝てしまってよく覚えていない...。
『キンキーブーツ』
倒産寸前の靴工場を亡き父親から受け継いだチャーリー(ジョエル・エドガートン)。たまたま知り合った巨漢のドラッグクイーン・ローラ(キウェテル・イジョホー)が無理やり女物の靴を履いているのを見て、男性用「キンキーブーツ」の製造を思いつく。ローラに協力を頼み込んだものの、工場の保守的な職人たちは猛反発。果たして見本市に間に合うのか?!イギリス版プロジェクトX(しかし笑い満載)。
『ブラス!』『フル・モンティ』『カレンダー・ガール』(本作の脚本は『カレンダーガールズ』と同じくティム・ファース)等、もはやイギリス映画の定番とも言える、奇抜なアイディアによる人生一発逆転ドラマ。そういうわけで、特に新鮮味のあるストーリーではないが、きちんと練りこまれており、とても楽しく元気の出てくる映画になっている。ストーリーの転換ポイントとなるシーンが反復構造になっている等、構成がオーソドックスながらもきちんとしている印象を受けた。気弱なチャーリーが徐々に社長としての自覚に目覚めていったり、女装を解くととたんに気弱になるローラが、嫌がらせをする職人達と堂々と渡り合えるようになる様子、職人達の心がまとまっていく様子は、ベタだと分かっていてもやっぱりわくわくする。王道はやっぱりこうでなくっちゃ!。
チャーリーには婚約者がいて、結婚後はロンドンで暮らしたいと言われている。しかし、チャーリーは本当は田舎の故郷が好きだし、父親からのプレッシャーはあるにせよ、何より靴が好きなのだ。だから婚約者との仲はどんどんぎこちなくなっていく。一方、強く生きているように見えるローラも、女装姿をバカにされたり嫌悪の目で見られたりすればやはり傷つく。しかし彼女にとっては女装姿が自然な姿なのだ。そして彼女にとっては自然な姿であるが、客観的には彼女はやはり「女装した男」であり、偏見からは逃れられない。人間自分の本性からは逃げられないのだ。自分らしく生きる、自分の好きなことを追及する為には、どこかで他のことを諦めるというか、腹をくくるしかないのだろう(そうするとチャーリーとローラがレストランで喧嘩する件は、この文脈からはずれてしまう気がするのだが・・・)。チャーリーは『半端男で何が悪い!」と言う。人間、自分自身以外にはなれないのだ。しかしその半端男であるチャーリーが、最後、半端男なりに、なりふり構わず工場を守ろうとするから泣けるのだ。
大人の優しさとでもいうべきものを所々に感じる映画だった。ローラが泊まっていたB&Bのおばあちゃんが、単刀直入に「ところであなた男?」と聞いた後の態度が、あっけらかんとしていていいのだ。今までローラがあたふたしていたのは何だったの?と。あと、ローラが工場の職人と腕相撲をした時の彼女の態度は、紳士的(いや心は女だけど)な振る舞いだったと思う。彼女の人となりをよく表すエピソードだったのでは。また、ローラに対して男性職人達は反感を持って嫌がらせ(これがまた幼稚なんだわ)をするのに対し、女性(というかおばちゃんたち)はそれほど反感は見せずに馴染んでしまうというのが興味深かった。女性がちゃんと戦力になっている職場なのも印象に残った。ローラとチャーリーがトイレで悩み打ち明け大会をしていると、ドアに耳を当てて盗み聞き(そして大いに盛り上がる)のも、いかにもおばちゃんらしくておかしい。おばちゃんの生態は万国共通なのか。
ローラ役の キウェテル・イジョホーはガタイが良くて、確かにこれなら元ボクサーに見えるかも。歌も踊りも達者だ。立居振舞にどこか優美さのある役者で、誇張されたドラッグクイーンと演技や、セクシーなギャグ等も下品になっていない所が良かったと思う。
『ダスト・トゥ・グローリー』
オフロード・スプリントレース「バハ1000」を追ったドキュメンタリー。監督は『ステップ・イントゥ・リキッド』のデイナ・ブラウン。迫力満点。伊達にカメラ50台使ってないです。
バハ1000は1967年に始まり、毎年メキシコのバハ・カリフォルニア半島で開催される。ルールは至ってシンプルで、半島を横断する約1000マイルのコースを不眠不休で完走すること。出場者は文字通りの老若男女。親子2代に渡って出場しているレーサーや、夫婦で出場(別チームとしてだけど)しているレーサーもいる。
キャラの濃いレーサーがひしめく中、特にスポットが当てられていたのがマイク“マウス”マッコイ。彼は4歳からレースの世界に入り、バイクとバギーのレーサーとなる。しかし17歳でレースからは引退し、映画のスタントをやっていたそうだ。本作ではバイクで出場しており、1000マイル全行程の単独走行を試みる。かなり無茶な試みなのだが、こいつならやっちゃうかも、という一種のカリスマを持った人物だ。レース終盤、疲労とテンションの高揚の中、同じフレーズを繰り返し口にする姿は、滑稽でもあるが鬼気迫るものがあった。また、レーサーではないが、レースを陰で支えるウェザーマンと呼ばれる老人が印象に残った。彼はバハが始まった当初から、無線による連絡係をしている。山のてっぺんに高い塔を立てて、その上の小屋でレースの状態や怪我人の有無、救急病院への手配等を無線で連絡し続ける。しかもボランティア。よっぼどレースが好きなんだろう。悪天候であっても、黙々と仕事を続ける姿が渋い。
私はモータースポーツにも、マテリアルとしての自動車、バイクにも特に興味はなかったのだが、この映画は大変面白かった。とにかく見ていてテンションが上がる。無闇に燃えるのだ。レースだから当然なのだが、スピード感にはやはり人をわくわくさせる力があるらしい。そして、多分普通のサーキットでのレースだったらこんなに燃えないと思う。バハ1000はコースの殆どが荒野。砂浜を無理やり走行したり、真っ暗な砂漠をライトだけを頼りに走ったりと、スリリングだ。もちろん景色も雄大で素晴らしい。また、このレースは一般道もコースに含まれているのだが、道路封鎖せずに一般車と一緒に(というか一般車の間をすり抜けて)走るのだ。こ、怖いよ!ひいちゃうよ!当然人とか家畜とかも路肩を歩いているので、危ないことこの上ない。日本では考えられない状況だ。レース走行中の車が警察の道路封鎖にひっかかっちゃって、次々と停止させられるのはおかしかった。出場者はリピーターが多いそうだが、それも分かる。確かに一度出たら病みつきになりそうな雰囲気がする。
ドキュメンタリー映画としては、びっくりするくらい手法が王道で、ベタと言ってもいいくらいだ。冒頭でレース関係者の顔アップと一言コメントをつなげている所とか、走行中の映像にレーサーのモノローグを重ねるとか、非常に紋切り型な印象を受けた。しかし、紋切り型な切り口が合っている素材だったのではないかと思う。王道少年漫画を下手にひねっても面白くならないのと同じかなと。そして音楽の使い方がこれまたびっくりするくらいベタなのだが、ベタゆえ盛り上がるのだった。
『王と鳥(デジタルリマスター版)』
フランスのアニメーション作家、ポール・グリモーによる長編アニメーション。1952年に、監督と脚本家ジャック・プレヴェールのの意に沿わない形で公開された『やぶにらみの王様』を、監督が版権を買い上げて再製させたという曰くつきの作品。1980年の作品だが、今回デジタルリマスター版として新たに上映された。
高くそびえる城に暮らすタキカルディ王国の王様は、我侭な暴君で国民からは嫌われていた。王様は秘密の部屋に隠した絵の中の、羊飼いの少女に恋をしていた。しかし羊飼いの娘は、隣の絵の中の煙突掃除の少年と恋人同士。ある日2人は絵の中から逃げ出す。しかし、王様の肖像画から出てきた絵の王様は、本物の王様に成り代わり2人を捕らえようとする。
本作は後のアニメーションには多大な影響を与えており、今回本作を配給したジブリの宮崎駿や高畑勲も強い感銘を受けたそうだ。城の上層部や秘密の部屋へのエレベーターは、あの『ルパン三世 カリオストロの城』に影響を与えたと見て間違いない(というか外付けのエレベーターはまさにそのもの)。私はアニメーション(と一般的な映画)の技法的な面に詳しくないので、どこがどうすごいと説明できなくてもどかしいのだが、構図にしろ、キャラクターの動きにしろ、どういう効果を狙ってそうしているのかという点が、計算されつくしているのではないかと思う。特に、階段を駆け下りるシーンや、王が玉座に座ったまま室内から出たり入ったりするシーン、また王が犬と一緒に廊下でカツラを蹴っ飛ばすシーンなど、上下もしくは遠近が強調されるシーンでの構図が印象に残った。何と言うか、見ている側の意識をがっと掴むキャッチーさがあるというか、見せ方が的確なんだろうなと。
本物の王様が絵の王様に取って代わられる(そして何と、本物の王様は行方不明のままだ)というのが面白い。偽者に国を牛耳られているのに誰も気づかないのだ。絵の王様の方が、本当に暴君らしく冷酷だ。本物の王様は自分の見た目にコンプレックスがあって、ちょっと卑屈な態度も取るのだが、絵の王様は自信満々でかわいげがない。
一方、カップルを助けてくれる鳥もスタンダードな正義の味方ではない。一見いい奴だが、冷静に考えると言葉巧みにライオン達や下層住民を炊き付けて国を転覆させてしまうわけだから、結構とんでもない。地下に住む下層民達も、一見自由になったようには見えるが、情報に踊らされていただけとも言える。美しいファンタジーと言うには、かなりシニカルでアナーキー(しかも初公開は50年代当時だったわけだし)な作品だ。
『青春☆金属バット』
コンビニでバイトをしている難馬(竹原ピストル)は、冴えない27歳。万年補欠だった高校の野球部で謎の老人に究極のスイングを教えられて以来、10年間毎日素振りは欠かさない。ある日難馬は、酔っ払い女・エイコ(酒井真紀)を助けた成り行きで、バット強盗として指名手配されてしまう。一方、バット強盗多発地域内の交番に務める警官・石岡(安藤忠信)は、かつては野球部のエースで、難馬が通う高校とも対戦したことがあった。
難馬はコミュニケーション下手で挙動不審、好意を寄せるバイト先の女子高生には気持ち悪がられる始末だし、店長からのないがしろな扱いにも反抗できない。強引なエイコに振り回されっぱなしだし、そもそも金に困って強盗ってどれだけ短絡的だよ!頭悪すぎだよ!一方、顔はイケメンな石岡だが、ぐうたら警官で仕事やる気ゼロ、女性に対しては鬼畜。2人とも方向は違えど、基本的にダメ人間だ。2人に共通するのは高校時代の野球。難馬は部活で全く活躍できず、その悔いから今でも素振りだけは止められない。石岡は投手として部内のエースだったが、腕の故障で野球は断念。2人とも、青春を中途半端な形で中断されてしまった為、未だにそれを引きずっている。
私は大抵、大人になりきれない人たちが出てくる話というのはあまり好きではない。が、この映画に対しては妙な愛着が沸いて来た。多分、少なくとも難馬は、エイコと出会ったことがきっかけで、やり方は大幅に間違っているが前進しようとするからだろう。金属バットで強盗なんて冷静に考えるととんでもないのだが、見ているうちに何だか「やってまえ!店長なぐったれ!」という気持ちが沸々とわいてくるから不思議だ。また、映画としての笑いどころをきちんと作っているから、イタいだけにはならなかったのではないかと。何だかんだ言っても、難馬とエイコの間にほのかな愛情があるのも救いか。
巨乳美女が自分の家に転がり込んできて、かつてのライバル(一方的だけど)にも認められて、という、非モテ男子のドリーム映画のような感もしなくもないが、最後の難馬の「脱出」加減が妙に鮮やかだったので、それも良し!という気分に。主演に竹原ピストルを起用したという点も大きいかもしれない。彼は野狐禅というバンドのボーカリストなのだが、まさか映画に出る、しかも主演するとは思わなかった。演技経験のない人だと思うので、かなり思い切った起用だろう。しかし難馬という男の不器用さ、情けなさを見事に表していたと思う。石岡役の安藤忠信は、久々に酷い男系の役だが、案外はまっていた。酒井真紀は、まさかの巨乳&美脚を披露している。だらしなさに凄みがあった。