11月
『まだまだあぶない刑事』
・・・本当にまだやるの?って感じなんですが、かつてのファンとしては見ると やっぱり楽しい。もっとも、TVの2時間ドラマを大スクリーンで上映、という 程度のものなので、映画としての旨みはあまりないか。やはり、あくまでファン イベントとしての映画なのだと思う。
覆面捜査官としてのりこんだ韓国・釜山で、核弾頭の闇取引現場を押さえたタカ (館ひろし)とユージ(柴田恭平)。例によって大爆発を起こしてしまったもの の取引きを阻止し、意気揚々と7年ぶりに横浜に戻ってきた2人だが、ハマもす っかり様変わりして若手刑事コンビからは胡散臭そうな目で見られる始末。そん な折、7年前に2人が逮捕した凶悪犯・尾藤が脱獄したのを知る。さっそく尾藤 を追う2人だったが...
正に大同窓会状態。内容はともかく、かつてのメンバーをきちんと再結集させた のには頭が下がる。課長に出世したトロい動物こと仲村トオルや、少年課課長に なった浅野温子、なんと署長になっている木の実ナナ等のメインキャストはとも かく、ヒトミちゃんまで来てくれてるんだもん...泣けてくる。若手刑事とし ては、ドラマでの活躍が目立つ佐藤隆太と、兄さんも無事復帰した窪塚俊介。ベ テラン勢はさすがに慣れており、危なげは全然ない。多分、出演者も存分に楽し んだのではないだろうか。ファンにとっての同窓会であると同時に、出演者にと っての同窓会でもあったのか。何はともあれ、「あぶ刑事」はファンにも出演者にも愛されたドラマだ ったんだろうなと。逆に言うと、ファン以外の人にとっては見るべきものは殆どない 映画。でも見に来るのはほぼファンのみだろうから、まあ問題ないか。
出演者はさすがに皆老けているのだが、キャラの形をしっかり保っている館ひろ しと柴田恭平はえらい。五十肩になったり走って息が切れたりしていますが(笑 )。そして相変わらず美脚な木の実ナナはえらい。というかすごい。そして、俳 優としてはあぶ刑事後に予想外(ごめん)の成長を見せた仲村トオルが、ちゃん とトロい動物に戻って(というか更に退化して)ギャグをかましているのもえら い。『そして、ひと粒のひかり』
サンダンス国際映画祭における観客賞受賞を始め、各国の映画祭で高い評価を受けた、ジョシュア・マーストン監督の長編デビュー作品。主演のカタリーナ・サンディノ・モレノは、デビュー作にして、コロンビア人初のアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。
コロンビアに住む17歳のマリア(カタリーナ・サンディノ・モレノ)は、生花の加工工場に勤めている。幼い子供を抱える姉と母親という女だけの家族は、彼女の収入をあてにしていた。しかしマリアは主任とそりが合わず、とうとう工場を辞めてしまう。母と姉からの非難に加え、大して好きでもないボーイフレンドの子供を妊娠していることが分かる。進退極まったマリアは、クラブで知り合ったフランクリンから「ミュール」と呼ばれる麻薬の運び屋の仕事を紹介される。彼女は5000ドルと引き換えに62粒のゴムで梱包された麻薬を飲み込み、ニューヨーク行きの飛行機に乗り込んだ。
現代の南米が抱える問題を描いた作品ではあるが、それ以上に少女の戦いと成長を描いた作品として秀作である。マリアがやっていることは明らかに犯罪で、誉められたものではない。しかし、違法なことをやっているヒロインに、見ている側が上手く感情移入できるような演出で、嫌な感じを持たせない。独立心が強く、ここから抜け出したいと思っているマリアに共感する女性は多いのではないかと思う。マリア役のカタリーナ・サンディノ・モレノは、表情がどんどんくっきりとしていって魅力的だった。女性が分岐点を越えて清澄していく様を、そのまま体現していたように思える。多分、撮影の中で女優としての彼女もめきめき成長したんだろう。特に最後の約1分間、彼女がある決断をする場面は名シーンと呼びたい。
決して派手な映画ではなく、おそらく制作費もそれほどのものではなかったのだろうが、とてもスリリング。映画として締まりがあるというか、緩急が的確で飽きなかった。監督の長編デビュー作とは思えない手慣れた感じがする。特にマリアがニューヨークに入ってからは、よりテンポ良く、娯楽作品的に。前半はむしろドキュメンタリー風(緊張感がすごい)。ドキュメンタリー風といえば、マリアが麻薬の袋を飲み込む所や、その前にブドウで飲み込む練習をする所、空港でレントゲンを撮られそうになる所が妙に生々しくてドキドキした。
しかし、犯罪者になってでも国を出たいと思うくらい、現在のコロンビアには希望がないという話でもある。「ミュール」の先輩であるルーシーの姉は「あの国で子供を育てるなんて考えられない」と言う。自分の国がそういう希望のない状況だというのは、きついと思う。希望を託せる唯一の道がアメリカへ渡ることだというのは、国として健全な状態とは言えないだろう。どうしてこうなっちゃったんだろうとやりきれない気分にもなる。『モンドヴィーノ』
私はワインを飲まないし詳しくもない。が、現在のワイン業界かどうなっているのかを追ったこのドキュメント映画は、予想外に面白かった。ワインの世界って優雅どころか生臭さぷんぷんだね!監督のジョナサン・ノシターはソムリエの経験があったのだとか。
著名なワインコンサルタントであるミシェル・ロランは、フランス中を飛び回って契約農家に指示を出す。彼のアドバイスによってワインの味が変わっていくと言っても過言ではない。アメリカの一大ワイン企業モンダヴィ一族は、火星でもワインを作るさと不敵に微笑む。対して、フランスで何世代にも渡って土地に根差したワインを作っているド・モンティーユ家は、今のワインには個性がなくなったと嘆き、頑固に旧来のやり方を続けている。
グローバリズムとはこういうものか、と思った。その力と弊害を見た感がある。大きい流れ(時流の波でもあり金の流れでもある)の中では、弱いもの、異質なものは淘汰されてしまう。現在のワイン業界は、いかにヒット商品を作るかという所に焦点が絞られている様だ。ヒット商品にするには、出来るだけ多くの人の口に合う味わいで、すぐ飲めるワインにしなくてはならない。しかし利潤を追求して最大公約数的な味を求めれば、自然と強い個性はなくなっていく。
面白いと思ったのは、一大産業でありながら、ワイン批評家という個人レベルの好みによって商品の方向性が決定されかねないというこの業界の特徴だ。アメリカのカリスマ的ワイン批評家ロバート・パーカーの評論により、ワインの価格が左右されるというのだ。そして彼の好みに合うワインが生産されがちだと言う。味覚は人間の五感の中で一番個人差が大きい分野だというから、こういうのは不自然なのではないかと思うのだが...。まあ、私はワインを飲まないから何とも言えないですが(笑)。
監督は地域に根差したワイナリーが弱体化し、ワインが無個性になっていく近年の傾向を嘆いているようだが、映画自体の視点はかなり中立的で、大企業の台頭も自然なことだと思っている節が見られる。それにしても、ワインに携わる人たちのキャラが立ちまくっていて、仕込みじゃないの?と思ってしまうくらいの面白さ。特にフランスで代々ワインを作っている人たちはキャラが強烈。対してアメリカの企業人の皆さんは、いまいち影が薄い。やっぱりアクの強さではフランス人に軍配が上がるってこと?ちなみに監督は大変に犬好きでもあるらしく、「世界のワンちゃん大集合」状態に。...ワンちゃん映像をカットすれば、もっと短く収まりがよくなったのに...あと30分短ければ、評価3割増になったと思う。『ランド・オブ・プレンティ』
アフリカ、イスラエルで育ったラナ(ミシェル・ウィリアムズ)は、10年ぶりにアメリカに帰国した。彼女は亡き母親から、母の兄であるポール(ジョン・ディール)への手紙を託されていたのだ。ロサンゼルスに着いたラナは、宣教師である父のかつての友人の神父の元へ身を寄せ、ホームレスへの支援活動を手伝う。一方、ポールはたった一人で、「自由の国アメリカ」を守る為の諜報活動に打ち込んでいた。一人のアラブ系の男に目を付け追跡するが、その男は突然路上で射殺されてしまう。そしてその場には、伝道所で男と知り合っていたラナも居合わせていた。
題名は「豊穣の国」ということなのだろうが、この映画に映し出されるのはアメリカが抱える貧困だ。ニューヨーク中心部等のきらびやかな世界とは無縁の、ホームレスや低所得者達である。映し出される風景はあくまで空疎だ。10年ぶりに帰国したラナはホームレスの多さにショックを受けるのだが、アメリカといえば世界一の大国で豊かで、というイメージを持ってると、やはり意外に思うかもしれない。海外へ経済的・物質的な援助をし、「自由の為」に戦う国が、国内では神父が「食料が足りないんだ」と嘆くほどの貧困を抱えて対処しきれずにいるという皮肉。この矛盾に鬱々とした気分になった。
ベトナム帰還兵のポールは一種のパラノイアであり、アメリカの強さ・正さを信じて日々戦っている(と思い込んでいる)。客観的に見れば彼のやっていることは全く無意味で滑稽だ。しかし本人は大真面目に自国の平和を案じているので、滑稽を通り越して物悲しくなってくる。しかも、彼が守るべき「自由と正義の国」とやらは実は存在しなかったのではないかという疑問は依然として拭い切れない。テロリストのアジトと思い込んで踏み込んだ家で、まったく関係のない老婆と対面し、彼に憑いていたものが落ちかける。そして、ラナからイスラエルにおける9.11体験を聞き、彼のアメリカ観は揺らぎ、ようやく世界の相対化がされる。おそらくこの相対化やラナが示す献身的な愛が、ヴィム・ヴェンダース監督が示す9.11以後の世界に対する姿勢なのだろう。
しかし、思い入れはたっぷりとあるのだろうが、映画としては弱い。16日間という強行スケジュールで制作したせいか、編集が甘くメリハリがないので眠くなった。待望のロード・ムービー新作としてはちょっと物足りなかった。音楽だけは結構よかったのだが。
ちなみにこの映画、スタッフへの還元システムがユニーク。給料は日給100ドルなのだが、興行収入の一部が後日配分されるのだそうだ。言うなれば、出演者、スタッフ全員が共同プロデューサーのようなものか。『乱歩地獄』
江戸川乱歩の短編小説を原作とした、オムニバス映画。4話からなり、監督もそれぞれ違う。「火星の運河」を竹内スグル、「鏡地獄」を実相寺昭雄、「芋虫」を佐藤寿保、「蟲」をカネコアツシが監督した。浅野忠信が全てのストーリーに出演している。他には成宮寛貴、松田龍平が主演。キャストが一見おしゃれ系、映画のポスターもアート系なのだが、これに釣られて見にいったお客さんはえらい目に合うのでは。見終わった後、若いお嬢さんが「・・・最悪」と呟いていた。
試写会終了後の舞台挨拶で、浅野は「くっつけて見るとおなかいっぱいになるので、お客さん大丈夫ですか」と客をいたわり、挙げ句の果てには松田が「僕が感想言わなくても、皆さん意気消沈してるというか…。気持ちは分かります」というクリティカルな発言をなさったそうな。そりゃーねー、いきなりちょっと昔の大学生の自主制作映画みたいなものが始まったらひくよねー。だって1発目の「火星の運河」って、無音状態で素っ裸の浅野忠信が延々とドメスティックバイオレンスしてるだけなんだよ!どういう話なのかわからないよ!何がすごいって、このメンツの中で実相寺監督の「鏡地獄」が一番スタンダードな映画になっていたことだ。さすがにベテランなだけあって、映画の型が身に染み付いているのか。でもなんちゃって化学トリックはやめて・・・!嘘臭過ぎてギャグにしか見えないから・・・!
もっとも、面白くなかったわけではない。出来は予想の範疇内に収まっていたし、個人的にはそこそこ面白く見た。ただ、スタンダードな映画を求めている観客や、こじゃれた映画を期待していた観客の嗜好には合わなかっただろうと思う。加えて言うなら江戸川乱歩に思い入れのある人にも合わないと思う。私は原作未読のものもあるので何とも言えないのだが、多分テイストが違うのではないかと。
4編の中では、漫画家カネコアツシの初映画監督作品である「蟲」が、意外にもよかったと思う。ビジュアルセンスはやはり突出したものがある。思い切ってはじけているのがよかったのか、浅野忠信の熱演によるものなのか。浅野忠信は全編通して素っ裸だったりブリーフ一枚だったり、そしてその姿で町中で叫んだりと大変頑張っているのだが、彼がこういう演技をどういうモチベーションでやっているのかすごく気になる。とっても淡々としているように見えるんだけど。そして、同じく「蟲」に出演している緒川たまきは、この人はこういう格好する為に生まれてきたんだね!というくらいにはまっている。あのウィッグが似合うというのは只者ではない。『エリザベスタウン』
大手シューズメーカーの新進気鋭のデザイナー・ドリュー(オーランド・ブルーム)は、会社挙げての一大プロジェクトだった新作シューズを完成させるが、その売上は惨澹たるものだった。山のような返品で会社は大赤字。ドリューは解雇されてしまう。ヤケになって自殺寸前のドリューの元に、別居していた父の訃報が舞い込む。父の葬儀を済ませ遺体を引き取る為、ドリューは父の故郷であるエリザベスタウンに向かうのだが、飛行機の中で風変わりな添乗員クレア(キルスティン・ダンスト)と出会う。
傷心の青年が田舎町で人々と触れ合い立ち直っていく・・・と書くとベッタベタな感じだが、話自体はこの説明通り。ただ、この映画はもっと寓話的というか、ファンタジー寄りのものではないかと思う。そもそも冒頭のエピソードからして、大企業が靴1つの失敗でいきなり倒産寸前の損失を出すとは考え難い。もし本当にそんなことがあるのなら、それはデザイナーではなく経営陣に責任があるはず。また、ドリューはルームランナーに刃物をくくりつけて自殺しようとするのだが、本気で自殺する人はそんなまどろっこしい方法はとらないだろう。ある意味カリカチュアされたエピソードを最初に重ね、これはおとぎ話なんですよ〜、怒らないでね〜、と監督が目配せしているに違いない。そうとでも考えないと、『あの頃ペニー・レインと』という大名作を作ったキャメロン・クロウ監督が、こんな御都合主義映画撮るとは思えないもん!
正直言って、監督の「こうだったらいいのにな〜」という願望をそのまま映画化してしまったような甘い話なので、ひいてしまう人もいると思う。しかし、この世界にどっぷり浸って見るとかなり楽しかった。言うなれば男性版『ロスト・イン・トランスレーション』ではないだろうか。映画のノリに乗れない人には全く面白くないが、乗れる人には心地よい2時間を提供してくれるだろう。基本的に小ネタの羅列である所や、異郷(といっても、ドリューの場合は父親の故郷だから馴染みがないわけではない)で出会った異性との交流により、ちょっとだけ癒されるという所も同じ。ただオチはかなり違うが、それは監督の視線が男性視線か女性視線かという違いだろう(しかし不思議なことに、女性監督による『ロスト〜』よりも下手すると乙女ちっくというか、少女漫画的)。一つの類型的な話ではあるが、類型的だからこそ、作り手も見る側も、型の中で安心して色々遊べるんじゃないかと思う。
主演のオーランド・ブルームは、現代劇への主演は初めてでは。おおーコスプレしていない!と妙な新鮮味があった。しかし私が驚いたのは、ヒロイン・クレア役のキルスティン・ダンストの可愛らしさ。日本ではおばちゃん顔だのブスだのと不評な彼女だが、今作ではとても生き生きとしていて、すごく可愛く見える。顔立ちが可愛いというより、動きや表情から可愛さが漂っている感じ。クレアの言動は一歩間違うとただのイタい人なのだが、ダンストが演じたことでぎりぎり回避されている気がする。特にドリューに向けるまなざしが良い。恋というより、何か慈しむような感じがあって、うーんこれはいいなぁと。そしてドリューの母親役のスーザン・サランドンが流石だった。夫の葬儀の時に舞台でスピーチするというシーンがあるのだが、彼女一人で結構な時間喋っていても映画の流れがだれない。亡き夫の為に慣れないタップダンスをするシーンは、とても素敵。『イン・ハー・シューズ』
ローズ(トニ・コレット)とマギー(キャメロン・ディアス)は対照的な姉妹。弁護士のローズは堅物でルックスは冴えない。マギーはスタイル抜群の美人だが無職で男にたかって生活する毎日。ある日酔っ払ってローズの家に転がり込んだマギーは、はずみでローズの上司で恋人でもあるジムと寝てしまう。激怒したローズはマギーを追い出した。途方にくれたマギーは、たまたま見つけた手紙の住所を頼りに、長年音信不通だった祖母を訪ねる。
姉妹は2人とも、形は違うが自分に自信が持てないでいる。マギーは軽い学習障害があって、文字を読むのが苦手。その為仕事が長続きしない。自慢のルックスもいずれは衰える。一方ローズはキャリアのある女性だが、ルックスに全く自信がない。そんなことないのに・・・。ローズは素敵な靴をたくさん持っているのだが、全部履かないでクローゼットに仕舞いっぱなし。「落ち込んだときに自分を慰めたいの。服は似合うのがないし、食べ物は太るだけ」と呟く姿には泣けてくる。
しかし、マギーは祖母と暮らし始めることによって、自分が得意なことを知り、文章を読むことにも慣れていく。焦らずゆっくりやればちゃんと出来るのだが、彼女の良い面を見て、そこを伸ばしてくれる人がいなかったのだろう。彼女の振る舞いを見ていると、今までないがしろにされてきたような人だという気がする。その振る舞い方が、祖母と暮らす中で変わっていく。人間、大事にされていると本来の良い面が引き出されてくるのかもしれない。真っ当に扱われること、誰かに承認されることが切実に必要な時があるのだと思う。マギーが元大学教授と朗読の練習をし、「A+」「君は賢い子だ」と言われるシーンではちょっと目頭が熱くなった。
ローズにすぐ新カレが出来たりするあたりがちょっと安易なのだが(新カレ、すごく良い人なんですが。美味しいもの好きなカレっていいねー)、とても好感の持てる映画だった。特にキャメロン・ディアスはぼちぼち30歳という微妙な年齢の女性を好演していた。彼女自身、目尻に皺があってちょっと切実な感じが。トニ・コレットはブスというほどブスではないし、太っているといわれるほどは太っていないのでなんだかなぁという感はあるのだが、ユーモラスさがあっていい。そしてケアホ−ムの年輩ご婦人達が皆キュート。特に未亡人集団は貫禄たっぷりで手ごわそうだった。
この映画のテーマとはちょっと違うのだろうが、親がちゃんと親をやってくれないと、子供は大変だと思った。ローズとマギーの母親は自分自身子供のような人で、遊び相手としては最高だったが、彼女らの保護者にはなれなかった。マギーは母親の良い面ばかり覚えているのだが、実際はローズがマギーの母親代わりになって彼女を守っていた。父親は娘達を愛しているが、後妻の言いなりで彼女らを守ることは出来なかったのだ。この父親の無力さには大変イライラした。特にローズの屈折加減は、父親が後妻から彼女をしっかり守っていれば、もっと軽減されていたと思う。後妻がパーティーでローズの子供の頃の写真を客に見せる所なんて、腹立ってしょうがなかった!
カーティス・ハンソン監督の映画は私にとってはハズレなしなのだが、今回も大当たりだった。作風の幅が広く、器用な監督だと思う。『親切なクムジャさん』(本作および『オールドボーイ』のラストに若干触れています)
実の娘を人質に取られ、誘拐殺人犯の汚名を着せられ服役したクムジャ(イ・ヨンエ)は、刑期を終えて13年ぶりに出所する。服役中、彼女は誰にでも優しく接し、「親切なクムジャさん」と呼ばれていた。しかしその親切は、復讐に役立てる為の人脈作りだった。出所した彼女はかつての仲間の強力を得て、海外に養子に出されていた一人娘と再会し、彼女を陥れた男を追い詰めていく。
前作『オールドボーイ』でカンウ映画祭グランプリを受賞した、パク・チャンヌ監督の新作。『オールドボーイ』が見た目にも心情的にもかなり痛そうだったので今作もエグいのかと戦々恐々として見たのだが、意外にも痛そうな場面はそれほど多くない。コミカルと言ってもいいくらいで、面白い。『オールドボーイ』よりもより寓話的な世界になっていたと思う。ビジュアルも劇画的というか、クムジャの心象風景をそのまま映像化したりマンガ的だったりと、遊び心のあるキッチュなものだ。一歩間違うと悪趣味だが、ぎりぎりで美しさに留まっている。特にタイトルロールはきれいだと思った。美術面はすごく凝っていて、クムジャの部屋の内装等、まじまじと見入ってしまった。趣味が洗練された美しさとはちょっと違うと思うのだが、映画の世界観とがっちり合っている。
『オールドボーイ』に続く復讐三部作完結編だが、前作との最大の違いは、イノセントな存在の有無だと思う。『オールド〜』では登場人物の誰もが罪を背負っており、その罪を飲み込んだまま生きていくという終わり方だったが、今作では無垢な存在によって救済がもたらされる。三部作のラストにふさわしい終わり方だったっと思う。この映画はある人物による語りによってストーリーが進んでいく。このラストは、語り手とクムジャの関係によって生まれたとも言えると思う。
『オールド〜』は復讐話といっても、どっちもどっちという感があったが、今作では復讐相手に同情の余地がないので、その分すっきりと見ることができた。クムジャの冷徹さも際立つ。もっとも、だからといって復讐が虚しい、正当化できないものであることには変わりはないのだが。クムジャが復讐の仕上げのために行ったある「親切」も、ある意味非常に残酷なことではある。復讐心に取り付かれた人のなりふり構わずさは、滑稽でもあるしぞっとさせられもする。
クムジャ役のイ・ヨンエが素晴らしい。コミカルな演技も意外に似合っていた。とりつかれたような表情は、鬼気迫るものがあった。正直、こんなに上手い人だと思っていなかったのでびっくり。『機動戦士ZガンダムU 恋人たち』
新生Z3部作の2作目。カラバとの合流からハマーン登場(といってものはキュベレイだけで、ハマーン本人の姿はまだ見えないのだが)のエピソードを纏めてある。しかし駆け足だった1作目に輪をかけて駆け足なので、TVシリーズのおさらいは必須。ものすごい省略の仕方でストーリーの脈絡が見えないので、いきなり本作だけ見たら、何のことかさっぱりわからないだろう。新しくリライトされた映像も、1作目より気持ち少なめだったような・・。特にモビルスーツ登場シーンは新作がが少なかった気がする。ファンの人だけ自分のファンっぷりの確認の為に見ればいいと思う。一般的にはお勧めできない。
出てくるキャラクターの殆どがイタい人という、見ていてなんともストレスの溜まる話なのだが、今回はいよいよ、Z界随一のイタい人フォウ・ムラサメが登場する。巷では大変な人気を誇るフォウだが、TVシリーズを見ても劇場版を見ても、彼女の何がそんなに良いのか、私にはさっぱりわかりません!こんな電波女いやだよ!なぜカミーユとフォウが惹かれあったのかもさっぱりわからない。劇場版ではこのあたりが補完されるのかしら、とちょっと期待していたらむしろ省略されていた。ちなみにフォウ役の声優が変更された件については、業界内でもファンの間でもひと悶着あったようだが、特に違和感は感じなかった。劇場版の方がちょっとボーイッシュな感じがする。(しかしサイコガンダムは何故無駄に大きいんだ。あれじゃ却って戦いにくくはなかろうか。)
個人的には、シャアのヘタレっぷりがツボだった。TVシリーズを既に見ているにも関わらず、この人この先大丈夫なのかな〜、ハマーンとちゃんと渡り合えるのかな〜と不安感に駆られる弱気っぷり。あと会議中に子供のビデオレター見ているブライトもツボ。今作は大人が全般的にヘタレ寄りで、恐ろしいことにカミーユがしっかりしているように見えてくる。だ、騙されてる!あ、でもカミーユの周りって尊敬できる大人がいないね。それはグレそうだね(酷い)。『TAKESHIS’』
有名映画監督でありタレントであるビートたけし(ビートたけし)は多忙な日々を送っていた。ある日彼の前に、自分にそっくりな男・彼のファンだという売れない役者でコンビニ店員の北野(ビートたけし)が現れる。たけしは武にサインをしてやった。武は麻雀仲間の勧めもあって、タクシードライバーとしても働き始めるが、相変わらずオーディションには落ちてばかり。そして徐々に北野はたけしの映画のような世界に入っていく・・・。
あらすじを書いてみたものの、あらすじがあってないような映画だ。この映画の主体がたけしであるのか北野であるのかすら曖昧だ。中国の故事で「胡蝶の夢」というやつがあるが、あれと同じで夢を見ているのがどちらなのかわからない、お互いにお互いを夢見ているというのが一番ぴったりとはまるような映画だ。実際、唐突に場面転換されたり、同じパターンが何度も繰り返されたり、大体において整合性がないのに妙な所がきっちりはまっていたり、夢を見ているような感触に近い映画かもしれない。はななから観客を煙に巻くつもりで作ったのだろう。ヴェネチア国際映画祭でサプライズ上映されたそうだが、マスコミもリアクションがとれなくて困っていたそうだ。(監督へのインタビューによれば、一番インパクトのあったコメントは「金かえせ」だとか。まあわからんではない)
あくまで北野武という人ありき映画であって、監督が自分の為に作った作品と言っていいのではないだろうか。北野武の心象風景やら妄想やらが延々と映し出されて、観客はそれを遠巻きに見ているような見方しかできない映画だと思う。。
北野人脈を総動員したような豪家なキャスト。京野ことみが脳内彼女(あれって脳内彼女以外のなにものでもないよね)に抜擢されていたのには驚いた。あまり上手い女優だという印象がなかったのだが、スレた女役が意外に似合う。そして美輪明宏がセルフパロディのようなセリフを言っていておかしい。しかし美輪に自ら(の分身)を「怪物」と呼ばせる北野監督は、自虐的というか自意識過剰というか・・・
今回は赤と青を基調とした映像で、ちょっとけばけばしいかもしれない。前々から思っていたのだが、この監督は詩的な表現をしようとすると詩的でなくなってしまう気がする。殺伐とした表現の中に詩的なものがにじみ出ているというか、かなり天然な所で詩的なものを掴んでいるのだと思う。基本的に、美的なセンス(というか洗練されたセンスか)はそれほどない人じゃないかと。『ブラザース・グリム』
「赤ずきん」「白雪姫」「眠り姫」など民話を収集し数々の童話を世に送り出したグリム兄弟。この実在のした兄弟を主人公とした、鬼才テリー・ギリアムの新作。グリム童話の有名なキャラクターらしき人物も、随所に登場する。
19世紀、フランス支配下のドイツ。インチキの幽霊退治で荒稼ぎをしていたグリム兄弟だったが、とうとうインチキがばれてしまう。処罰を免除してもらう代償として、ある村で起こっている連続少女失踪事件の謎を解くことになるのだが・・・。
ギリアム監督の悪癖として、映像にこりすぎてお話がおいてけぼりになりがちな所があるが、残念ながら今作でもその悪癖が出ていた。細かい所は気にするに俯瞰図は気にしていない感じだ。昔話に出てくるような家や衣装や、大掛かりな拷問道具などはすごく作りこんであるのに、見終わった後に「で、結局どんな話しだったけ?」と印象が残らなかった。脇役はズラのイタリア人や拷問好きの貴族など、くどいくらいに濃いのだが、肝心のグリム兄弟のが今一つ立っていない。脇役に美味しい所をもっていかれちゃったか。口が上手くて軽い兄と真面目でロマンティックな弟という組み合わせはいいのだが、何かが薄い。兄役のマット・デイモンも弟役のヒース・レンジャーも下手な役者じゃないはずなのに、空回り気味だった。しかも、主役の2人を食っちゃった脇役達は、これだけ濃いんだから何か伏線に絡んでくるんだろうと思っていたのに、結局放置されっぱなし。画面がうるさくなっただけだった。
そもそも、グリム童話のエピソードも無理矢理からませた感があり、主人公がグリム兄弟である必然性がない。実在の人物に意外な側面が!というような面白さはなかった。普通に、中世にゴーストバスターズやってる兄弟の話でもよかったじゃないと。せっかくグリム兄弟が主人公なんだから、ここからあのグリム童話の数々が!という盛り上がりがほしかった。
題材はおもしろそうなのに、残念としか言いようがない。どんなに凝ったVFXやセットを作っても(あと動物をやたらと出しても)、お話の運び方がつまらないと、面白い映画にはならないんだなぁと実感させられた映画だった(というよりも、私は映像美よりもストーリーに面白さを感じるタイプだということかもしれない)。お話のもたつきを払拭できるくらいに圧倒的な映像美があればよかったのかもしれないが、残念ながらそこまでではないと思う。ただ、モニカ・ベルッチは魔女役がぴったりで、そこは感心した。ちなみにヒロインである森に住む女性は、あまり必要なかったんじゃ・・・。『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』
クディッチのワールドカップ試合が開催されている魔法界。ハリー(ダニエル・ラドクリフ)もロン(ルパート・グリント)一家とハーマイオニー(エマ・ワトソン)と一緒に泊りがけで決勝戦を見にきていた。しかし会場に「闇の印」が現れて会場は大パニックに。ハリーは会場で怪しい男を見かけた。そして新学期、ホグワーツでは三大魔法学校対抗試合が開催されることになった。各校から1名が選出される決まりなのだが、何故かハリーは17歳以上という年齢制限を無視して、4人目の代表として選ばれてしまう。周囲から「インチキをした」と冷たい視線を浴びつつも、危険な試合に臨むハリーだが。
物語内の設定では14歳なのに、演じている子達はだいぶ大きくなっちゃったなー。もう実際には16,7歳なのかしら。あと数作はこのキャストで撮る予定なのだろうが、中学生設定は苦しいんじゃないかなー。
ストーリー前半は毎回おなじみの学園ドラマ風。今回は恋愛エピソードも絡んでくるので、より学園ドラマ度が上がっている。他学校も交えての舞踏会(アメリカのプロムみたいなものか)が開催されるので男子はダンスのパートナーになってくれる女子を誘わなくてはならないのだが、ハリーとロンは出遅れて、目当ての女子にはふられてしまう。この2人って非モテだったんですね!特にロンの非モテっぷりはかなり可愛そう(ハリーはあんまりモテようという意欲がなさそうなので)。双子の兄ちゃんからはモテオーラが出ているというのに・・・。ハリーの活躍よりもロンのヘタレ加減に目が釘付けだった。今回はハリーとロンがケンカしてしまうのだが、ロンの仲直りのしかたが回りくどすぎてハリーに全然気付いてもらえない。「だって意味不明だもん」とか言われるんだよ!不憫な子!それにしても、全員参加のダンスパーティー系イベントって、あぶれる可能性大な非モテにとっては地獄のようだわ・・・こういう文化のある国に生まれなくてよかったと腹のそこから思った。
そしてツンデレ度が大幅アップしていると評判のハーマイオニーだが、確かに正統派ツンデレだった。ツンデレ嫌いの私としてはあまり喜ばしくないのだが、これがいいんだよ!という男性諸君も多々いることだろう。随分大人っぽく成長していて、ドレス姿もかわいい。
個人的には、シリーズ内で一番眠くならない作品だった。(原作未読なので推測だが)エピソードのつまみ方が上手かったんじゃないかと思う。ただ、せっかく他校の生徒も出てきたんだから、それぞれの学校の特色とか試合の仕方を見せて欲しかった。他校代表の2人がどういうキャラクターなのか全然わからなかったので。
とりあえず、安心して見られるシリーズではあると思う(原作ファンは異論があるだろうが)。今作のラストはちょっと重苦しく、今後のダークな展開が予想される。でも積極的に続きが見たいという気持ちにはあまりならなかったんだよね・・・。★『世界』
2008年にオリンピック開催を控えた北京。ダンサーのタオ(チャオ・タオ)は、北京郊外にあるアミューズメントパーク「世界公園」で舞台に立っていた。仕事仲間からは「姐さん」と呼ばれ頼りにされている。彼氏のタイシェンは同じ公園で働く警備員だが、裏でパスポート偽造ビジネスに関わっている。華やかそうな職場だが、タオは将来に対して漠然とした不安を抱いていた。
ジャ・ジャンクー監督の『青い稲妻』では、郊外都市に住む主人公の若者2人がうろうろしている様子が、日本の若者の様子と似ているなぁと思った。今作でも、やはり似ている所があると思った。とりあえず仕事はあるけれどそれほど高給ではなく、将来性もない。かといってこの先どうすればいいかもよくわからない。恋人の仲も倦怠気味で、結婚もするのかしないのかはっきりしない。こういう不安感は万国共通なのだろうか。少なくとも私は身につまされた。しかし、他の国にも自分と同じような不安感を味わって、それでも生活し続けている人がいると思うと、ちょっと安心もする。
タオが不安感を直接口に出す場面はないのだが、ちょっとした表情や仕草、タイシェンとのやりとりでのちょっとイライラした様子などから、彼女の不安感が伝わる。結婚する同僚や、女であることを利用して出世しようとする同僚に対する、嫉妬の混じった複雑な感情は、見ているこちらの身にも覚えがあるので、なんだかいたたまれない。また、飄々と気楽に生きているように見えるタイシェンも、同郷から出稼ぎに来ていた知人が仕事中に事故で死んだり、同僚が園内で盗みをしていたりとショックを受ける事件に遭遇し、意外に真面目な一面を見せる。タオとタイシェン、その同僚たちそれぞれに事情がある。段々若くなくなりつつある若者達が右往左往する群像劇で、見ていて辛くもあるのだが、彼らを応援したくもなる。
北京ではオリンピックに向けて社会が活気付き、高層ビルの新築が相次いでいる。その建築現場に地方からの出稼ぎも大勢来る。景気はいいみたいだが、タオたちにはその恩恵はない。この、社会は景気がいいはずなのに自分たちはそれを実感できない、素敵な世界はどこか別の所にあり、自分は冴えない今から抜け出せないという状況は、『青の稲妻』と同じだ。ただ、今作の主役である若者達は、『青の稲妻』で最後には足を踏み外してしまった少年二人よりは大人だ。流されそうになりつつも、何とか踏みとどまっている。映画のラストはどうとも取れるものだが、私は希望のある終わり方だったと思う。
ジャ・ジャンクー監督にとっては初めての、中国政府から上映許可を受けた映画となる。国内でもやっと日の目を見たという感じか。前作よりも構成が上手くなっていて、淡々とした特に盛り上がりのある映画ではないのだが、飽きなかった(前作ではちょっと寝てしまった)。タオとタイシェンが移動する時にアニメーションが挿入されるのだが、これがアクセントになっていた。若者達の「今ここ」での状況の描き方がとても上手い監督だと思う。★ 『ALWAYS 三丁目の夕日』
まさか西岸良平の漫画『三丁目の夕日』が実写映画化されるとは...。しかも監督が『リターナー』でスベりまくっていた山崎貴だとは...。これはまた大きく滑るんじゃないかと危惧していたが、予想外に評判が良く大ヒットしている。とりあえず山崎監督にはよかったね〜、と言ってあげたい(おお偉そうだ)。
昭和33年の東京。集団就職の為に青森から上京してきた六子(掘北真希)は、則文(堤真一)が営む鈴木オートに住み込みで勤めることになる。大会社を想像していた六子は、小さな町工場を見てがっかりするが、則文の自動車に賭ける思いを知って、徐々に馴染んでいく。鈴木オートの向かいにある駄菓子屋の店主・茶川(吉岡秀隆)は売れない作家で、純文学を志すものの、食う為に子供向けの冒険小説を書いている。ある日茶川は、思いを寄せる居酒屋のおかみ・ヒロミ(小雪)に頼まれて、母親が失踪して身寄りがない少年・淳之介を預かることになる。
「三種の神器」である冷蔵庫・洗濯機・テレビが一般の家庭に普及しつつあった時代、戦後の復興を遂げて景気が上向きだった時代の物語。ちょうど私の母親が子供だった時代の話なので、母の思い出話と重なる部分があった。特に、鈴木家にテレビがやってきたエピソードは、近所の家に集まって大勢でテレビを見る所も、力道山で盛り上がる所も母の話と同じだった。この時代を経験している人が見ると、特に懐かしく面白いかもしれない。
しかしなぜ今この時代なのか?という疑問も残った。「懐かしい昭和」を今更再現されてもなぁと。本当にそんなにいい時代だったのかなぁと、映画の中の情景が美しすぎるところがひっかかる。ファンタジーとしてこの映画を見ればいいんだろうけど・・・。また、映画の中の登場人物達は、この先社会はもっと良くなる、豊かになると希望を持っていたけれど、実際に今現在どういう社会になっているかと自分の周囲を省みると、何とも虚しくなってくる。確かに経済大国になって良くなった面が多々あるだろうが、良い社会になっているとは言い切れないだろう。
複数のエピソードを絡めた群像劇で、それぞれのエピソードに泣き所を作ってある。どの観客でも一つくらいははまるツボがありそうなので、商業映画としては上手い。人情ドラマの王道を行く話ばかりなので(逆に言うと新鮮味は全くないのだが)安心してみられた。ただ、ノスタルジーを追求するあまり、笑いのセンスまで古臭くなってしまったのはいただけない。堤真一が引き戸をぶち破ったり、吉岡秀隆が突き飛ばされてゴロゴロ転がったりというのには、ちょっとひいた。
出演者も中堅所でがっちり固めていて、危なげがない。特に吉岡秀隆はこういうコメディ路線の方が合っていると思う。呑み屋のおかみ役の小雪は、キャスティングを聞いた段階では似合わないのでは(だって体型が昭和じゃないよ...)と思ったが、蓮っ葉な女役も案外こなしている。