9月
『メトロで恋して』
私、地下鉄好きなんです。地下鉄で恋が生まれるラブコメかと期待して見に行ったのに、地下鉄が出てきたのは出会いシーンだけだった。何だよ!だったら原題(「クララと僕」みたいな感じだったと思う)の直訳の方がよかったよ!もうがっかりー。
33歳の売れない俳優・アントワーヌ(ジュリアン・ボワスリエ)は地下鉄内であったクララ(ジュリー・ガイエ)に人目ぼれしてナンパ。2人は愛し合うようになり、結婚を決意するまでに至るが、クララがHIVに感染していることがわかる。
上記のように書くと、クララがHIVに感染していることがわかってからの2人の葛藤が物語のメインなのかと期待するかもしれない。が、この部分は山場ではあるのだが、なかなかそこまで辿り着かない。物語が急転するのは映画の3分の2を過ぎた頃で、それまでは延々とラブラブな2人の様子が描き出されるのだ。バカップルのいちゃつきと痴話喧嘩なんて見たくないんだよ!いや見たくないこともないけど今更そんな、ありきたりなことやられても・・・。正直、全編眠くて眠くてしょうがなかった。
所で、主人公のアントワーヌという男はいけ好かない奴だと思う。何ヵ所かカチンときたところがあった。例えば、クララが「恋人たちのアパルトマン」という小説(アレクサンドル・ジャルダンの自伝的小説。著者自身が監督して92年に映画化された。)を読んでいると、アントワーヌは「くだならい小説」と言って本を取り上げ、窓から投げ捨てちゃう。えーっ!他人の好みくらい容認してよ!何様だあんた!こういうことされたらすごく腹が立つと思うんだけど。もちろんクララも激怒するのだが、結局仲直りしてしまう。でも、自分が正しいと信じて人の趣味に立ち入る人とは、付き合っても長続きしないと思うんだけどなー。
そしてアントワーヌは、クララがHIVに感染していると知っておじけづく。これだけならまあしょうがないか、と思うのだが、この後がよくない。自分の病気を知って平常心ではいられないクララに対して、自分が仕事で大役に抜擢したことを有頂天で報告してしまうのだ。・・・空気を読め!思いやりが足りないよ!しかも素直に喜んであげられない(何せ自分のことでいっぱいいっぱい)クララと、そのまま別れてしまうのだ。なんだよそれー。その後も悶々としつつも、彼女と向き合おうとはしない。「無理なんだ」とか言ってる暇があったら話をしろ!彼女の病気は背負うには重すぎるかもしれないけど、一緒にいれば多かれ少なかれ(病気でなくても)、いずれは重い問題が生じてくるはず。ラストシーンはどうとでも取れるような曖昧なものだったが、こんなヘタレ男にサポートされたら却って心配事が増えるかもしれない。『クレールの刺繍』
17歳の少女クレール(ローラ・ネマルク)は妊娠5ヶ月。しかし誰にも相談できず、匿名出産(フランスでは匿名で出産した後、子供を養子に出せる制度があるそうだ)する決心をする。勤めていたスーパーを辞めたクレールは、クレールの刺繍の腕を見込んだ親友の勧めで、オートクチュールの刺繍職人メリキアン夫人(アリアンヌ・アスカッド)のアトリエで働くことになった。メリキアン夫人は1人息子を交通事故で亡くし、世捨て人のように暮らしていた。
クレールもメリキアン夫人も、社会の中での立ち回りが上手いとは言えない。クレールはどこか行き当たりばったりで「浮ついている」といわれるような娘だし、メリキアン夫人は世間との付き合い自体絶ってしまった。この2人が一緒に作業するうちに、少しずつお互いに対する態度も周囲に対する態度も、そして自分に対する態度も変わっていく。対人関係がポシティブな方を向いていると、自分のこともポジティブに扱うようになるのかもしれない。この過程が、ドラマティックな演出はされていないのにドラマティックだったと思う。クレールがメリキアン夫人に手製のショールを渡す所や、病院の待合室で、クレールとメリキアン夫人と、夫人の息子の友人だった青年が、黙って佇む所が印象に残った。全くの他人同士だった人達の間に、何か連帯感みたいなものが出来ていく様がほほえましくて、ちょっとほっこりとした気持ちになった(クレールはちゃっかり彼氏もゲットしてるし・・・)。
反対に、クレールの家族との繋がりはどこか希薄だ。クレールは1人暮らししていて、幼い弟とはちょくちょく行き来があって、それなりに可愛がっている様子が窺えるのだが、両親との仲はあまり良くなさそう。実際、妊娠したことも告白できなかった。実の母親よりも、友人の母親との方がまだ親しそうだった。母親がクレールと会う場面があるのだが、クレールはもうお腹が膨らみ始めているのに、母親は彼女が妊娠していることに気付いた様子はない。いくらなんでも普通気付くだろう母親なんだし、と思って、これは気付かない振りをしているという後々への伏線なんだろう、と予想したのだが、結局触れられずじまい。えっ、本当に気付いてなかったの?!とちょっとびっくりした(見た後で周囲に聞いてみた所、「こういう母親結構いるよ」とのことでした。そうなんだー。)。
ストーリーや登場人物それぞれの背景は、最小限しか説明されないのだが、メリキアン夫人とクレールの刺繍のように繊細で美しい映画だと思う。淡々としていて物足りないという人もいるかもしれないが、この慎ましさが好ましい。クレールが田舎暮らしだというところも、ちょっと新鮮だった。都会に1人暮らししている女性の話だったら、もっとありきたりになってしまっただろう。『サヨナラCOLOR』
竹中直人、久々の監督・主演映画。あいかわらず、演技はもちろん存在自体がくどい竹中だが、映画としては結構いい感じ。
海辺の病院に勤める外科医・正平(竹中直人)の前に、高校生以来の片思い相手である未知子(原田知世)が入院患者として現れた。正平は舞い上がってしまうが、クラスのヒロイン的存在であった未知子は彼のことを全く覚えていなかった。未知子は子宮ガンに冒されていることがわかり、正平は彼女の治療に全力を注ぐ。一生懸命な正平に対して、未知子も徐々に打ち解けていくのだが。
冴えない主人公だが、原田知世が憧れのマドンナ(しかも段々いい感じに)だったり、美少女高校生に構ってもらったり、しかし一方では小料理屋のたくましい女将とは長年の付き合いだったり(つまり非モテではない)と、言うなればおっさんドリーム映画。竹中直人の「♪そーうだったらいいのになー♪」という願望をまるっと映像化したようなブツである。そういえば『東京日和』もそんな映画(美人妻・中山美穂が自分のことをずっと好きでいてくれる)だった・・・。普通そういう映画だったら、特に女性は見ていて辟易しそうなものだ。しかも主演はくどくどしい竹中直人だ。しかし、この映画は嫌な気持ちになる一歩手前で踏みとどまっている感じがする。少なくとも、私は嫌な気持ちにはならなかった。監督としての竹中が微妙に照れている感じがするのは何とかした方がいいと思うけど・・・。元々恥かしい話なんだから、むしろ堂々とやってほしい。
どの出演作においても常に過剰な竹中直人だが、今作では「テレすぎて言動が変になっちゃう人」という設定になっていることでクリア(そうか?)。「変な自分」を演じてないと平常心を保てないのね〜、となんとなく納得する(そうか?)。そして、未知子に対する正平のストーカー一歩手前なしつこさに関しても、病気に気持ちが負けそうな未知子を励まそうと必死なのね〜、と推測できる(そうか?)。ともかく、この映画の竹中直人は、わりと可愛いんじゃないかなと思う。ただ、映画の中だから可愛い気がするんで、実際にこんなことされたら確実に嫌われるだろうが。
映画の題名は、SUPER BUTTER DOGの同名曲から。しみじみと良い曲。エンディングで使われているバージョンには、忌野清志郎がコーラスで参加している。作曲者の永積タカシ(現ハナレグミ)は、ナタリーワイズ、クラムボンと供にサウンドトラックも担当。この永積やナタリーワイズのビッケと高野寛、クラムボンの原田郁子を始め、浜崎貴司、田島貴男、斎藤和義、とどめに忌野清志郎と中島みゆき(何と女医役!かっこいい!)というミュージシャンの皆様がちょい役で出演しているのが楽しい。また、内村光良が竹中直人のアシスタント役で好演していた。ゲストに注目してみるのも面白い映画だと思う。『チーム・アメリカ ワールドポリス』
「チーム・アメリカ」。それは世界を守るために結成された国際警備隊。救済と称して各国各地を破壊しまくりだと非難されても、チーム・アメリカは日々凶悪テロリストの戦いを繰り広げるのだ!
『サウスパーク 無修正版』を世に送り出し絶賛&非難轟々だったレイ・パーカー&マット・ストーンが、今度はパペットを使ってアメリカをはじめ世界中を茶化した映画を作った。「サンダーバード」よろしく妙にリアルなパペットが、戦闘はもちろん、ミュージカルや過激なベッドシーンまで演じてくれる。世界の警察を自認するアメリカを皮肉っているのはもちろんだが、それだけではなく、『華氏911』でブッシュを攻撃したマイケル・ムーアや、ジョージ・クルーニーやティム・ロビンスら、社会的運動にも積極的なハリウッドセレブの皆様、そして目下渦中の人である某国の要人まで、けちょんけちょんにけなされる。他にもいまやギャグとしてお約束になってしまった「マトリックス」のあの戦闘シーンや、復讐してくるシスとか、ハリウッド映画のパロディも満載。
このパロディ、過激だという前評判だったが、事前に内容を聞いていたからか、あまりびっくりはしなかった。まあ、やるとしたらこのくらいだろうな、という程度のもの。それほど過激だとは思えなかった。そして肝心のギャグは殆ど下ネタ。アメリカのギャグって何でセックスとスカトロばっかりなのかなー。この程度じゃ笑えないよ!もっとすごいギャグが見たいんだよ!
笑いの面ではちょっと欲求不満気味だったが、ミュージカルの曲は、ベタまっしぐらで悪くない。特に某国の要人が「♪アイムロンリ〜」と歌うのには笑った。そ、そうか・・・そりゃあロンリーだよな世界の中でも・・・。エンドロールまでしっかり見て聴いてほしい。
所で、現在のアメリカに対して批判的というのが基本にあるのだろうが、それを批判するマイケル・ムーアにも「お前うそっぱちだよ!」的なスタンス、そして偽善的なセレブもクソ食らえ!というこの映画。じゃあレイ・パーカー&マット・ストーンはどうしたいの、アメリカという国の中でどういうポジションを目指したいのと、ちょっと気になった。全て批判するのはクールかもしれないけど、あんまり生産的じゃないなーと。批判というより、「どいつもこいつも気にくわねーんだよ!」という子供っぽい怒りのような感じもしなくもない。『ふたりの5つの分かれ路』
普通の恋愛映画は、カップルの出会いから始まって結婚なり離別なりで終わることが多い(多分)。しかしこの映画は、ジル(ステファン・フレイス)とマリオン(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)のカップルが離婚する所から始まり、徐々に結婚、出会いへと遡っていく。時系列的には確実にバッドエンドなことが分かっているのだ。フランソワ・オゾン監督にしては、かなりシンプルな映画だと思う。
最初のシーンは離婚調停。2人の間の空気は当然冷え切っている。しかしそれでもホテルで同じ部屋に泊まっていたり、最後になぜかセックスしてしまったりする。この情景が残酷なくらい寒々しくて、見ていていたたまれなかった。2人の仲が冷え切って愛情がなくなっても、なまじ一緒に暮らしてきているから、全てがなくなるわけではないという所が却って厄介なのかもしれない。現に、ジルの方はまだマリオンに未練があり、「やり直せないか」と言う。しかしマリオンはそのまま立ち去る。そして次は時間を遡り、夫婦の家にジルの兄とその恋人(男)が遊びに来るシーンだ。一見和やかだが、どうも不穏な空気が漂う。夫婦のいさかいが表面化することはないのだが、水面下で何かが動いているような・・・。2人のちょっとした仕草や目線に「あーやばいやばい」とでも言いたくなるような危機感がある。そして更に遡ってマリオンの出産時。このシーンではジルの情けなさばかりがクローズアップされる。夫婦の危機の根源はここにあったのか?と。続いて結婚式、2人の出会いと5つのシーンで構成される。
しかし全編通しても、この夫婦が何故離婚に至ったのか、具体的な理由は提示されないのだ。描かれるのは別れまでの過程(の一部)のみだ。しかし、具体的な理由のある離婚の方が少数で、実際には、とにもかくにももう一緒にはいられない、という漠然としたものではないかと思う。
で、結局この2人は別れるわけだが、その結末に対する監督のシニカルさや悲観的な態度は、意外なほど感じられなかった。離婚したからと言って2人の出会いや夫婦生活が無駄だったとは言えない。映画のラストで描かれる2人の出会いは輝いている。離婚に至ったということよりも、一度は確かに愛し合い幸せな時があったということの方が大切なのだと。
それにしても、監督の女性に対する扱いよりも、男性に対する扱いの方が辛辣な気がする。マリオンは強い側面を見せているが、ジルは離婚調停後のホテルでも、マリオンの出産時にも、踏ん切りのつかない優柔不断な態度や、責任から逃避するような態度をとっている。どうも監督はマリオンの方を贔屓しているように見えるのだ。と言っても、女性に対する視線が優しいということではない。冒頭、離婚調停後ジルとセックスする(というか無理矢理セックスさせられる)マリオンの表情と、終盤(つまり2人が出会う前)、ジルとその恋人がセックスする時の恋人の表情が、ひどく似通って空疎だ。男と別れる前触れの様に。やはり男性に対しても女性に対しても、容赦ないのかも。『頭文字D』
高校生の藤原拓海(ジェイ・チュウ)は、実家の豆腐屋で自動車での配達を手伝ううちに、天才的なドライビングテクニックを身につけた。もっとも本人は「走りや」の自覚はなく、幼馴染のなつき(鈴木杏)とのデートで頭がいっぱい。しかし彼の才能に気付いた高橋涼介(エディソン・チャン)や中里毅(ショーン・ユー)らとのカーバトルに巻き込まれていく。
しげの秀一の人気漫画がとうとう実写映画化された。アニメは散々な評判だったが今回はいかに・・・と思っていたら何故に香港キャスト?!そして何故に日本語吹替え?!明らかに吹替えなのに、画面の中に出てくる看板や標識は日本語という不思議ワールド。しかしこの珍妙さも、慣れてくるとあまり気にならない。元々漫画だし、アニメや特撮を見るノリに近いか。
主人公が自分に合った世界を見つけるという成長物語に加え、主人公とヒロインとの恋愛模様も挿入されるものの、お話は大味極まりない。恋愛模様にいたっては鈴木杏のサービスショット(いつになくミニスカ姿が多い)を見せる為だけに作ったような、機微もへったくれもない扱い。拓海のライバル達にしても、いきなり「バトルしないか」って・・・途中の手続き全省略で、いっそ潔い。そんなおおざっぱな話でも映画としてピンボケになっていないのは、要所要所をしっかり押さえているからだと思う。感情の機微や人間関係の妙をある程度切り捨ててでも、ケレン味があって、ここぞという所で派手にハッタリかましたほうがエンターテイメントとしては盛り上がるということを、制作側がよーく知っているのが分かる。手を抜かない所と抜く所がしっかりと選ばれているなと思う。手を入れるといえば、拓海の家の内装が意外に丁寧に作ってあってちょっと驚いた。「なんちゃって日本」という感じがしないレベルに作りこんであったと思う。
この映画の中での盛り上がり所はなんと言ってもカーバトル。CGは一切使っていない(エンジン内の描写はCGだが)そうだ。カースタントは日本の高橋レーシングなのだが、プロの仕事って素晴らしい!ドリフトも溝落としも本当にやってるんだ!車のことには詳しくない私ですら「何か良くわかんないけどすごい!」的にわくわくした。車好きの人ならきっともっと楽しいんだと思う。峠越えたくなります(笑)。
ちなみに、何にびっくりしたってヒロイン・鈴木杏の当て馬的扱いにびっくりした。スタンダードな少年漫画だったら、まずこういうオチにはならないと思うのだが。ええそこで終わるの!?拓海を走りやにする為に、拓海のオヤジか涼介あたりが何か仕込んだんじゃないの?!と勘ぐってしまった。『Be Cool』
『ジャッキー・ブラウン』や『ゲット・ショーティ』の原作者であるエルモア・レナードの犯罪小説が、また映画化された。元・高利貸しのチリ・パーマーを主人公した『ゲット・ショーティ』の続編に当たるが、前作を見ていなくても問題ない。原作同様小気味良い映画だ。
映画業界で成功したチリ・パーマー(ジョン・トラボルタ)だが、ハリウッドには嫌気がさしてきた。そんな折、売り出したい新人歌手がいると友人の音楽プロデューサー・トミーに話を持ちかけられるが、トミーはチリの目の前でロシアンマフィアに殺されてしまう。トミーが見つけてきた歌手リンダ(クリスティーナ・ミリアン)を気に入ったチリは、トミーの妻・イーディ(ユマ・サーマン)と彼女を売り出そうと奮闘するが・・・
チリと黒人ギャング、ロシアンマフィア、悪徳レコード会社が四つ巴?になって駆け引き、騙しあいを展開する・・・はずなのだが、精緻な犯罪映画という感はなく、なんだか随分ユルユル。結構ご都合主義なのだが、このくらいゆるーい方が安心して楽しめる。サスペンスやコンゲームを楽しむというより、キャラクター同士の掛け合いを楽しむ感じの映画だった。特に映画業界や音楽業界ネタのギャグが多いので、音楽や映画にちょっと詳しい人だと、より楽しめるかもしれない。洒脱なジョークというより、コントっぽいギャグなのだが。あと、黒人文化に対する先入観を茶化すギャグ(無闇にブラザー呼ばわりして黒人に嫌がられるとかね)が結構出てくるけど、アメリカのギャグとしてはスタンダードなのか?いわゆる傑作や秀作の類ではないし、よく出来た映画かといわれるとそうでもない(笑)のだが、好きか嫌いかで言えば好き。愛すべき映画という所か。
主演のジョン・トラボルタは、いい感じに力が抜けていて、チリ・パーマーというキャラクターには合っていたと思う。トラボルタがかっこいというよりチリ・パーマーがかっこいいんだけど・・・。共演のユマ・サーマンはいつになく可愛かった。『パルプ・フィクション』以来の共演だが、今作では2人とも程よく力が抜けていて楽しそう。ちゃんとダンスシーンもあるが、『パルプ〜』のかなりいっちゃってるダンスとは違って、普通に踊ってました。そして何とスティーブン・タイラーが本人役で出演!イーディが昔エアロスミスのファンで、ツアーに衣装係として同行したことがあるという設定なのだ(ユマのお尻にはエアロスミスロゴのタトゥーが)。露出時間も結構長く、ノリノリでロックスターをやっている。うーん、かっこいい!『サマータイムマシンブルース』
とある田舎の大学のSF研究会部室に、なぜかタイムマシンが落ちてきた!「じゃあ昨日に戻って壊れたクーラーのリモコン取ってこようぜ!」とお気楽な気持ちで過去へ向った部員達だが、「過去を変えるともしかして俺ら消えちゃう?(極論)」と気付き、元に戻そうという大騒動が始まる。
話の主軸は「リモコンを戻す」という所のみで、後は随所に配置した伏線をひたすら回収していく映画。冒頭の意味合いの良く分からない映像は、実はそういう意味だったのね!と、パズルのピースがぱちぱちとはまっていくような面白さがあった。ただ、伏線は論理的には合っているのだが、いちいちバカらしい。普通タイムトラベルものというと、壮大なスケールで感動があって・・・というイメージがあるが、この話はそもそもエアコンのリモコンをどうこうしようというスケールが小さいにもほどがある話。重みや厚さは全くないが、そこがいい。監督は『踊る大走査線 THE MOVIE』シリーズの本広克行。さすがというべきか、エンターテイメントの作り方を心得ている感じ。脚本(劇団「ヨーロッパ企画」の人気戯曲)の良さもあるのだろうが、こういうシュチュエーションだと笑えるだろうとか、こういう小道具を置いておくとフックになるとか、細かい所での客のくすぐり方が上手い。それがちょっと鬱陶しくもあるのだけど、まあ芸風だからなぁ・・・。少なくともこの映画にはこの監督で性格だったと思う。
脚本の勝利とでもいうべき映画なので、出演者は正直誰でもよかったような気がしなくもない。でも主演の瑛田は、普通の(そこそこ顔の良い)大学生ぽっさが合っていてよかったかなと思う(私情ですが)。他もSF研究会の男子部員も、真夏が舞台の暑苦しい話をより暑苦しく見せる適材適所だったと思う。ヒロインとの触込みの上野樹理は、ヒロインと呼べるほどの見せ場はなかった。この人が可愛いのかどうか、私はどうもよくわからないのだが・・・。すっごく微妙なんですけど。そしてSF部顧問役の佐々木蔵之助は、何故こうもいじられ役・虐げられ役が似合うのだろうか。最近どのドラマに出てもいじられ役な気がする。
それにしても、この映画の中の未来観はある意味悲観的だと思う。全然変わらない(というか逆行している。少なくともファッションは)にも程がある。ついでに大学生がこんなに頭悪くていいのか。・・・自分が大学生の頃を省みると、大して頭良くなかったか・・・。『奥様は魔女』
ニコール・キッドマンのニコール・キッドマンによるニコール・キッドマンのための言わばニコールアイドル映画。ニコールがかわいければいーの!
人間界へやって来た魔女・イザベル(ニコール・キッドマン)は、ごく普通の恋愛を夢見ていた。一方、落ち目の俳優ジャック(ウィル・フェレル)は、かつての人気ドラマ「奥様は魔女」のリメイク版にダーリン役として出演することになったが、自分にスポットがあたらないのが面白くない。ド素人を起用して自分が目立とうと、街で見かけたイザベルをスカウトする。女優としてデビューし視聴者の評判も上々だったイザベルだが、現場で傍若無人にふるまうジャックに怒りを爆発させる。それがきっかけで本当に惹かれあう2人だったが。
ドラマ「奥様は魔女」そのままのリメイクではなく、ドラマ作りをドラマ化した映画ということになる。ドラマそのままのリメイクよりも、このほうがよかっただろうと思う。映画の中で作られるドラマは、とにかくダーリンを引き立てよう!というもくろみで作られるのだが、この映画自体はとにかくニコール・キッドマンを引き立てよう!という感じ。その甲斐あってか、どこを切ってもニコール・キッドマンがとにかくかわいい。彼女はもう立派な大人で貫禄十分な大女優のはずなのに、この映画のニコールは初心な小娘に見えるのがすごい。お、大嘘つきだ!自宅の隣のちょっと騒がしい女性とアホみたいにぴょんぴょん跳ねたり撮影スタジオでカートに乗ってはしゃぎまわったり、他ではなかなか見られそうにないニコールを堪能できる。イザベルのお家とかコンサバ目のお洋服とか、「かわいい」をわんさか詰め込んだような映画だった。
そしてその「かわいい」を一人で帳消しにしているダーリンことジャック。自分勝手でうぬぼれやだけど憎めない系のキャラ設定だとわかってはいるけれど、寒いギャグを言うキャラ設定だとわかってはいるけど、本当に寒くなっちゃって笑えない。イザベルがなんでジャックを好きになったのか不思議でしょうがないくらい。欠点が多い人の方がかわいいかもしれないけど、限度ってものが・・・。
イザベルの父ナイジェル役の、マイケル・ケインおじいちゃまは必見。人間なんてバカにしているのだけど、思わぬ展開に。そして女優アイリス役のシャーリー・マクレーンも、お茶目かつ一筋縄ではいかないキャラクターでかわいい。このベテラン2人がいいスパイスになっている感じだった。『ファンタスティック・フォー』
科学者のリード・リチャーズ(ヨアン・グリフィズ)は、会社の経営に失敗し、宇宙嵐を調べる実験の為の資金集めに奔走していた。大学時代のライバルで、今は大企業の社長であるバン・ドゥーム(マイケル・チクリス)は、リードの研究は自分の利益になると見込み、資金提供に踏み切る。宇宙ステーションで実験に望むことになったリード、ドゥーム、リードの相棒ベン、元恋人で今はドゥームの会社に勤める科学者スウ(ジェシカ・アルバ)、スウの弟ジョニー。しかし、実験級に予想外の宇宙嵐に襲われ、全員が放射能を浴びてしまった。幸い無傷だった彼らだが、地球に帰ってから彼らの体に驚くべき変化が起こる。
1961年にマーヴェル・コミックから発表されたアメコミが原作。「スパイダーマン」や「デアデビル」、「X-MEN」を生んだスタン・リーの作品だ。しかし、他の作品と比べるととっても長閑。スパイダーマンのような青春の悩みや、デアデビルのような陰鬱さ、X−MENのマイノリティとしての苦しみとは全く無縁だ。何と言うか、能天気でそれこそマンガ的なヒーロー。自在に体を伸縮させるミスター・ファンタスティックことリード、光を操り物体を透明化するインビジブル・ウーマンことスウ、驚異の発火能力で空をも飛び回るヒューマン・トーチことジョニー、岩の体で怪力を持つザ・シングことベンの4人から成るファンタスティック・フォーだが、能力を活かして善行を行うのかと思ったらそうではない。仲間内で好きだ嫌いだ、仲間はずれにしたとかそうじゃないとか、電気を操るドゥームも交えて延々と内輪もめを続けるのだ。うわー大人げない。皆器が小さいよ人として!一番盛り上がるはずの最終バトルも、それ結局私怨じゃねーか!と突っ込みを入れたくなること確実だ。本当にヒーロー的なことをやっているのは、橋の上での消防自動車救出活劇くらいで、あとはあまり皆様のお役には立ってない。
もっとも、かっこよく戦うのが難しい体質のヒーローともいえるかもしれない。インビジヴル・ウーマンやヒューマン・トーチはともかく、ミスター・ファンタスティックは「ゴムのように伸びる」能力なので、手足がみょーんと伸びるとか、体が平たくなって広がるとか、かなりコミカルな活躍の仕方で、微妙にマヌケ。ザ・シングは体がでかすぎてリモコンが使えないとか重過ぎてエレベーターに乗れないとか、結構笑える部分が多かった。あと、お約束通り、裸にならないと透明になれないインビジブル・ウーマン(でも彼女の能力は空間を捻じ曲げることらしいので、冷静に考えると裸になる必要なさそうなんだけど)のぬぎっぷりが潔い。ジェシカ・アルバは小柄ながらスタイル抜群。