7月

『宇宙戦争』
  スーパーヒットメーカーであるスティーブン・スピルバーグ監督の最新作。しかし私は思いました。このおっさん、もうやる気ないんじゃないかと・・・!
 アメリカ東部に突如出現した暗雲。稲妻がほとばしった直後、地中から3本足の物体が現れ、人間を手当たり次第殺し始めた。湾岸労働者のコニー(トム・クルーズ)は、別れた妻から預かった息子ロビー(ダニエル・フランセーゼ)と娘レイチェル(ダコタ・ファニング)を連れ、必至で逃げる。
 タイトルは「宇宙戦争」なのだが、これは戦争ではなく、人間が一方的に駆除される映画だ。SF、戦争映画というよりはパニック・ホラー映画と言った方がいい。しかし、大音響なり響くど派手な映画のはずなのに、見ている間眠くて眠くてしょうがないのは何故?見終わった後、盛り上がったところや見所を、具体的にここだと挙げることが出来なかった。メリハリがないというのもあるのだが、何しろ過去にありとあらゆる類似品があるネタだけに、宇宙人が殺戮を始めた時点で、まあ後の流れはこんなもんかな・・・とおおよそ予想できてしまい、その予想の範疇から出ることがない。予想外のことが起これば面白くなるというわけではないが、もうちょっと何かこう〜ね!と言いたくなってしまう。何故エンターテイメントのプロであるはずのスピルバーグがこんな・・・と首を捻らざるを得ない。よっぽど断れない筋から依頼された仕事だったのか?と勘ぐりたくなる。
 この映画、日本では字幕版と吹き替え版の両方が公開されている。ファミリー向け映画と位置づけているのだろう。が、小さいお子さんにお勧めできる映画だとは思えない。人間がばんばん灰化されるし、パニックになった人々が車から他人を引きずり出すし、ダコタ・ファニングはキーキーうるさいし、正直言って宇宙人より地球人のエゴとパニックの方が恐い。幼い頃にうっかり見たらトラウマになりかねないくらいである。とにかく全員逃げまくるだけの映画だ。戦おうとした人は殺されちゃうんである。何せトム・クルーズだから宇宙人ともかっこよく戦うんじゃないの?!とワクワクしそうなものだが、トムもひたすら逃げるだけで全くかっこよくない。
 しかし、結局生き残るのは逃げまくったトムだ。圧倒的な脅威の前には、人間の理性も勇気も愛も全く歯が立たない、逃げるしかないというスピルバーグのペシミズムを垣間見た感が。ラストはびっくりするような御都合主義だが、実は非常にシニカルなのかもしれない。試されたのは人類の愛でも勇気でもない。ずばり運。これ以外ないでしょう。
 ちなみに、今作での湾岸労働者という役柄は、トム・クルーズには全く似合っていない。この人、どう見てもお金持ってそうだもん。あんなに歯がきれいでキラッキラした湾岸労働者いないよ!

『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』
  1973年、ニクソン政権下のアメリカ。事務機器店に再就職した中年男サム・ビッグ(ショーン・ペン)だが、不器用で上手くセールストークができない。彼は口先だけの営業はフェアではないと不満を抱き、職場に馴染めない。別居中の妻マリー(ナオミ・ワッツ)との間には3人の子供がいるが、彼女からは婚姻解消通知が送られてきた。友人と立ち上げようとしたビジネスの為のローンも却下された。追いつめられたサムは、ある日ウォーターゲート疑惑の報道を目にする・・・。
 1974年に実際に起きたハイジャック事件を元にした映画だ。ハイジャックした民間機をホワイトハウスに突っ込ませるという、9.11を彷彿とさせる事件が既にこの時起こっていたのだ。当時のアメリカの社会状況を知っていた方がより理解できるだろうが、ウォーターゲイト事件の経緯をある程度把握しておけば、見ていて特に混乱することはないと思う。
  それにしても気の滅入る映画だった。主人公であるサム・ビッグは、社会的な正義感を持った人間だし、決して間違ったことを言っているわけではない。しかし、この男基本的にダメ男なのだ。彼が口にするのは正論だが、地に足がついていない正論というか、頭でっかちな感じがするのだ。また、その正論で自分の弱さや能力のなさを、体制のせいにしてしまっている面もある。更に、妻にはとっくに愛想をつかされているのに、何度も何度も彼女の元に通って迷惑顔をされる。黒人の権利運動に献金してみたものの、この問題を本気で理解しようとしているとは思えない。とにかくやることなすことイタいのだが、そのイタさが人間の弱さを如実に表していて、自分のことのようでいたたまれなくなる。
 しかし、彼が身を置く社会のシステムが、彼のように内向的で要領の悪い人間にとって不利なものなのも確かだ。能力が今一つな人間はどんどんと振るい落とされ、格差が広がっていくシステムは、現在も世界に蔓延しつつある。幸せは一掴みの人のものになってしまうのか。既に社会的弱者で負け犬確定な我が身を振り返ると、身に染みてしょうがない話だった。そりゃあホワイトハウスにつっこみたくもなるさ・・・
 主演のショーン・ペンのほぼ一人芝居と言ってもいい。熱演に次ぐ熱演でショーン・ペン祭り状態だった。演技は確かに上手いのだが、あまりにも熱が入っていて、ちょっとうるさく感じてしまった。もうちょっと抜くところは抜く、入れる所は入れるというふうにメリハリがあれば、こんなに息が詰まる感じはしなかったのでは。

『逆境ナイン』
 「これが逆境だ・・・!」。全力学園校長(藤岡弘、)は弱い部活動には興味がない。弱小野球部に廃部を言い渡した。野球部キャプテン不屈闘志(玉山鉄二)は野球部をつぶしたくないあまり、校長に甲子園出場を誓ってしまう。しかし部員数はぎりぎり、しかも弱小。地区予選突破もしたことがない。しかも新任監督・榊原剛(田中直樹)は野球のルールも知らない初心者。更に不屈自身も野球と恋との板挟みに!野球部の明日はどっちだ!
 島本和彦のマンガがついに実写映画化される日がやってきた。まさかあのシーンやこのシーンが実写で見られるなんて!と涙するファンやうっすら不安に思うファンは多いだろう。しかしまずまずの成功と言っていいのでは。物語の基盤部分は、弱小チームが努力を重ねて勝利をものにするという、ものすごくオーソドックスなスポ根ものだ(テーマソングが岡村孝子『夢をあきらめないで』というダメ押し付き)。しかし、そのパーツの一つ一つが極端に過剰。終盤のボロボロ加減と無茶苦茶な逆転劇にはこめかみが痛く・・・いやいや目頭が熱くなる。正統派のスポ根を見るとそのまっすぐさについ照れてしまうのだが、ここまで不必要に真っ直ぐかつ無駄に熱いといっそ爽快だ。ギャグのテンポがちょっともたつくかなという感じはしたが、名言「自業自得」や「それはそれ、これはこれ」をマンガそのままに物質化して空から降らせてしまう無茶っぷりや、目玉付きの「男球」を具現化してしまった無茶っぷりには大満足。
 キャスティングがとてもよかったと思う。主演の玉山鉄二に対しては、今までは「顔は良いけどいまいち存在感薄い」程度の認識しかなかったのだが、今作の彼には何かが乗り移っているとしか思えない。決して演技が上手いわけではないのだが、セルフイメージを崩しかねない暑苦しい役をよくやったと思う。そして監督役の田中直樹が、何かの拍子にかっこよく見えるところが恐ろしい。以前、何かの番組(多分、「笑っていいとも!年末特大号」だったと思う)で彼が宗像コーチ(「エースを狙え!」)のモノマネ(というかコスプレ)をしていたのが異様にハマっていて、この人もしかしてマンガ・アニメのキャラとの親和性高いんじゃ・・・と主っていたのだが、今回見事にそれが証明された。更に藤岡弘、は言うまでもなく濃い。濃すぎる。画面に登場するだけで何か変なオーラが漂う。
 そして、メインキャラではないが、野球部の部員達が皆いいキャスティングだった。あのいまいちぱっとしないけど濃い感じを体現するのは難しかったと思う(誉めてます)。

『ヴェラ・ドレイク』
 1950年、第二次世界大戦後のロンドン。自動車修理工場で働く夫と長男、長女と暮らす中年女性ヴェラ・ドレイク(イメルダ・スタウントン)。彼女は家政婦として働きながら、老いた母親の面倒を見、また近所の人達が困っていたらすぐに手を貸すという、世話焼きな女性だった。そして彼女は家族にも内緒で、望まない妊娠をした女性達の堕胎を行っていた。この時代、堕胎は犯罪だった。高いお金を出せば病院で安全に処置することが出来たが、貧しい女性達はヴェラのような女性を頼るしかなかったのだ。しかしその行為がとうとう警察に嗅ぎ付けられてしまう・・・
 ヴェラが行った堕胎処置は、カソリックでは認められていないし、当時は法律でも認められていなかった。しかしこの映画は堕胎という行為の是非を問うものではない。当時としてはタブーなことであるから、もちろん映画の中ではヴェラの家族はショックを受けるし、ヴェラは法律で罰せられることになる。行為の是非ではなく、犯罪や倫理的に許されない(と思われている)行為を家族がしてしまった場合、周囲はそれとどう接していくかという点が、マイク・リー監督が最も関心を持っている所ではないかと思う。
 リー監督は『秘密と嘘』『人生は時々晴れ』でも、一貫して家族というテーマを扱ってきた。これまで描かれてきた家族は、決して理想的なものではなく、問題を抱えた家族がどう動いていくかということが焦点になっていた。反対に今作では、理想的な家族の中で突如大きな問題が起きる。母親のやったことを知った家族は動揺する。特に長男はあからさまに彼女を非難する。ヴェラが行ったことは、この時代では(公式には)許されないことだ。それを分かりつつも、なおヴェラを愛する夫や、周囲がヴェラを非難する中、やんわりと彼女を擁護する娘の婚約者の存在にほっとした。しかしマイク・リーのすごいところは、この事件にオチをつけない所だ。ラストシーンでは、ヴェラを除いた家族がしんみりとテーブルを囲んでいる。そこに希望があるともないとも言い切れない、どう転ぶかわからない演出にした所が、監督の誠実さなのかもしれない。
 所で主人公のヴェラという女性、私にはよくわからなかった。親切なのはわかるのだが、あまりに無防備に親切なのではないかと思った。困っている人を見ると見捨てられないタイプの人なのだが、法に触れる行為をしているんだからもうちょっと用心深くしてもよさそうなものだ。また、罪が発覚してからのヴェラはおろおろしっぱなしだ。自分が正しいと思ってやったんだから、もうちょっとしっかりしなさいよ、と言いたくなる。善意ばかりで行動するのも考え物か。
 また、戦争が終わったばかりで、戦時中どの軍に所属していたかということが世間話のタネとして口に上るという時代背景は興味深かった。
 マイク・リー監督は役者に脚本を渡さず、即興で演技させることで有名だが、役者の演技がすばらしかった。淡々とした、終盤まで大きな展開のない映画なのにぐいぐい引き込まれる面白さがあるのは、登場人物達の存在をありありと感じさせた、役者の力のせいかもしれない。

『迷宮の女』
 パリで発生した連続殺人事件。被害者に共通点はなく、殺害現場にはサイコロが残され、死体はどこかに消え去っていた。そしてクロード(シルヴィー・テスチュ)と名乗る女性が逮捕される。しかし彼女の中には、性別も年齢も異なる7つの人格があったのだ。心理カウンセラーのブレナック(ランベール・ウィルソン)は精神鑑定に呼ばれる。果たしてクロードは本当に多重人格者なのか?それとも罪を逃れる為の芝居なのか?
 フランス発のミステリ映画。有名監督が手がけたわけでも有名俳優が出ているわけでもないのだが、これがなかなか面白い。配給会社はキャッチーな宣伝素材がなくて苦労したと思うけど・・・。人間の精神を迷宮になぞらえるのは月並みではあるが、ギリシア神話のミノタウロスの伝説を絡めた謎解きがスリリングだ。
クロードが逮捕された時点を基点に、カウンセリングを試みるブレナックの視点と、時間的にはそれより以前の、殺人事件を捜査しているプロファイリング捜査官マチアス(フレデリック・デーフェンタール)の視点のパートに分かれている。現在の時間と過去の時間が交互に現れるので、分かりにくいのに何でこんな構成にしたのだろうと思っていたのだが、最後にあっと言わされた。そういうことだったのねー。だからちぐはぐなセリフがあったり、変な行動があったりしたのねー。
 と言っても、精緻なミステリだから真相が最後までわからなかったというわけではない。むしろ力技で無理矢理押し切った感が強い。力技すぎて予想の圏外にあったと言った方が正確かもしれない。冷静に考えると、いやいやそれは無理でしょ!絶対誰かが気付くでしょ!と突っ込みたくなるような展開なのだが、オチのインパクトの強さで許せてしまった。先を読まないようにすれば結構楽しめるミステリ・・・というよりB級サスペンス。でもB級だからこその楽しさがあったと思う。ともかくミステリ好きにはお勧めしたい。
 クロード役のシルヴィー・テスチュは、私は初めて名前を知った女優だったのだが、脳内にいる7つの人格、幼い少年や若い美女(ということになっている)、落ち着いた中年男性や獣のような人格を演じ分けていて上手い。美人というわけではないが、ちょっと少年ぽくてキュートなルックスだと思う。

『亀は意外と早く泳ぐ』
 平々凡々な毎日を送る地味な主婦・片倉スズメ(上野樹里)。夫は海外赴任中で、夫のペットの亀(たまにアパートのベランダから放り出したくなるがそこは我慢する)と暮らしている。ある日スズメは「スパイ募集」という奇妙な広告を見つけた。ためしに応募してみたら、その平凡さを買われて即採用。ベテランスパイのクギタニシズオ(岩松了)、エツコ(ふせえり)夫妻とスパイ業にいそしむことに。と言っても「目立たない」のが大前提なので平々凡々な日々に変わりはないのだが・・・
 「トリビアの泉」や「タモリ倶楽部」、「笑う犬の生活」等のTV番組や、シティーボーイズの舞台の製作を手がけ、今春は映画初監督作「イン・ザ・プール」が公開された、三木聡の監督作品。物事が普通さからちょこっとずれた時のおかしさや、普通だからこそのおかしみを掬い上げるのが上手い人だと思うのだが、今作でもその特質が活かされていた。が、爆笑を誘うと言うよりも、にまっ、クスッという笑いなので、映画としてぬるーいというかゆるーいというか、まったりしている。しかしそのゆるさの中に、妙に的を得ている所がある。「人生のセンスはシールの貼り方のセンスひとつで決まる」というのにはつい納得してしまった。終盤はちょっとしんみりさせられたが、スズメが今度こそ本当の冒険に旅立っていくラストは軽やかでもある。
 主演の上野樹里の、女優とは思えぬ冴えなさというか、ぱっとしなさは希少価値がある。こういう野太い造型の女性タレントは、意外に数が少ないと思う。元々の造型が野暮ったい(いやかわいいことはかわいいんですけど)上に、ダメ押しのようにぱっとしないファッションを身にまとっている。私が10代の頃はおっさんブランドだったのに、今やおしゃれブランドに成り上がったアーノルド・パーマーに身を包んでいるのだが、アーノルド・パーマーの関係者が泣き崩れそうなくらいにぱっとしない。もちろん役作りでぱっとしないファッションになっているのだが、そのソックス丈はあんまりにもあんまりだと思う。
 他にも、共演者がいい味を出していた。夫婦スパイの岩松了とふせえりは、さすがに上手い。こういう夫婦っているよなーという、かみ合っているのかかみ合っていないのか良く分からない仲の良さが感じられた。そしてイケメン(一応)というイメージをかなぐり捨てて、ヅラ姿で好演していた要潤が忘れられない。ちょっと本気で気持ち悪かった(でも好きですよ、要潤)。

『フライ・ダディ・フライ』
  ごく普通のサラリーマン・鈴木一(堤真一)。郊外の新興住宅地に小さいながらも一戸建の家を持ち、妻(愛華みれ)と娘(星井七瀬)と絵に描いたような幸せな家庭を築いていた。しかしある日、娘が男子高校生に殴打され入院する。病院に駆けつけた鈴木は、加害者である高校生・石原(須藤元気)と、高校の教頭(塩見省三)と対面するが、彼らに反省の色はなく、鈴木に金を渡して事件を揉み消そうとする。実は石原の父親は都知事を狙う議員で、石原本人もボクシングの高校生チャンプだったのだ。2人に対して全く歯が立たない鈴木に、娘は心を閉ざし口もきかず、妻との仲も険悪になってしまう。思い余った鈴木は刃物を手に石原が通う高校に乗り込んだのだが、何と高校間違いで、居合わせた高校生・スンシン(岡田准一)に軽くのされてしまう。しかし鈴木の事情を知った男子高校生達は、石原に勝つべく、鈴木に特訓を提案するのだった。
 金城一紀の同名小説を映画化した本作。原作を読んだ時に映像化に向いていそうだと思ったので、今回の映画化は楽しみにしていた。主演に堤真一と岡田准一、主題歌はMr.Childrenとエンターテイメント王道な感じだ。監督は、これが初監督作品となる成島出。これまでは極道映画の脚本や小規模作品の脚色等を手掛けてきた人らしいので、今まで携わってきた作品とは、かなり色合いがことなる素材だったと思う。しかしかなり手堅い、良作になったのではないかと思う。弱者が努力し、強者に勝利するという、オーソドックスで意外性は全くないストーリーではあるが、高校生らの「作戦」や、ストーリーとは直接関係はないものの、鈴木を見守るバスの常連客達など、サイドエピソードが利いていて楽しい。ラストシーンの爽快さも王道ならではだ。おじさんの為のファンタジー的な話ではあるが、ファンタジーだからこそ楽しいし、こういうファンタジーを見て元気を出したいときもある。
 主演の堤真一は、中学生の父親としてはちょっと若すぎるのでは?と思っていたのだが、彼がこなす特訓メニューを見ると、ギリな年齢だと納得がいく。原作のイメージでは、(私的には)岸辺一徳みたいなしょぼーとしたおじさんなのだが、岸辺一徳がこれやったら死ぬなと。深夜にバスと走って競争するというシーンがあるのだが、多分、かなり走らされていると思う。また、まだ若くて父親としては未成熟な父親という人物像として捉えられることで、娘が男に殴られたと聞いてうっかり失言してしまう(うっかりにも程があるというくらいのうっかり失言。そりゃ娘も怒るわ。)という頼りなさも納得できる。何より、こんなにヘラっとした情けない表情が似合う役者だと思わなかったので、ちょっと意外だった。スンシン役の岡田准一は、演技はそれほど上手いとは思わないのだが、フォトジェニックなルックスが目にやさしい(笑)。木の上での堤と岡田のやりとりは可愛い。女子は必見。でもむしろ男子やオジサマにお勧めしたい、男の子映画。

『スターウォーズ エピソード3 シスの復讐』
 知らない人はいないであろう、超大作映画「スターウォーズ」シリーズがついに完結。初期3部作よりも時代的には以前になる「エピソード」シリーズ完結編だ。かのダース・ベイダーが誕生するまでのクライマックスとなる。
 アナキン(ヘイデン・クリステンセン)とパドメ(ナタリー・ポートマン)の極秘結婚から3年が過ぎた。分離主義者の勢力は拡大し、共和国は危機的な状況だった。シスの暗黒卿シディアスは、邪魔なジュダイを一掃する為の計画を練る。パドメが死ぬ夢を見て恐怖に襲われるアナキンを、フォースの暗黒面の力を使えば死さえ克服できると、仲間に取り込もうとしていた。一方、オビ・ワン・ケノービ(ユアン・マクレガー)をはじめとするジェダイの騎士たちは、共和国元老院パルパティーン最高議長に不信感を持っていた。
 ・・・と一応ストーリー導入部を説明してみたものの、自分自身がエピソード2までの流れをすっかり忘れているので、最後まで「あれっ、この人だれだっけ」「分離主義ってなんだっけ」「元老院ってなんだっけ」と思いながら見ていた。その程度の認識でもそれなりに面白いところは流石ジョージ・ルーカス。しかし、何せスターウォーズシリーズに全く思い入れがないので(一応全部見たが)、見終わっても「・・・ふーん」程度のリアクションしか返せない。この作品の最大のウリは「ついにシリーズ完結!」という所だと思うので、シリーズに思い入れがあるかないかで、見た後のテンションが全く違ってくるだろう。そういう意味では、私は良い観客ではなかったわけだが。
 確かにCGはすごいし映画のスケールとしても超大作なのだが、映像的に面白いというほどではなかったように思う。映像に感動するというより、「ブルースクリーンの前で演技するんじゃ、役者はやりにくいよなぁ」「ともあれルーカスが生きているうちに完結してよかったよかった」という身も蓋もない感想の方が先行してしまった。特に、役者の魅力は薄い作品だったと思う。ユアン・マクレガーがかろうじて健闘しているくらいか(ヨーダは役者じゃないよなぁ・・・・)。
 アナキンが、パドメに対する愛ゆえにダークサイドへ転落してしまう、という構図は面白いのだが、パルパティーンにあまりにも簡単に説得されていて拍子抜け。そ、そこはさー、普通もうちょっと疑うよね!?そもそもフォースの暗黒面の力で死も克服できるって証拠はどこにもないぞ?!言葉の上だけだぞ?!と突っ込みたくなった。そして甘ちゃんであることがバレバレのオビワン。そもそもあんたが最後にきっちりトドメをさしておけば、将来的に泥沼化しないですんだんだよ!ルークはもっと楽出来たんだよ!とりあえず死んだかどうかはチェックしろ!プロとは思えんよ。

『姑獲鳥の夏』
 言わずと知れた京極夏彦のデビュー作にしてベストセラー小説が、待望(なのか?)の映画化。映像化不可能といわれるトリックをいかに映像化するのかという不安に加え、極彩色の予告編。不安は嫌がおうにも高まるのだった(ごめん監督)。
 戦後間もない昭和27年夏。小説家・関口巽(永瀬正敏)は小説のタネにする為、20ヶ月孕んだままのだという大病院の娘・梗子の噂を追っていた。彼女の夫も姿を消したままだと言う。友人である古書店主・京極堂(堤真一)の助言に従い、これまた知人の探偵・榎木津(阿部寛)に相談しに行った。榎木津の事務所で、関口は梗子の姉である涼子と出会う。
 実相寺監督は、原作小説の雰囲気は理解しているが、ミステリとしての構造は理解していないらしい。監督の作風と原作小説の性質が、ミスマッチを起こしている。冒頭から伏線だだ漏れ、フルオープン状態である。フライヤーに掲載されていた気合の入った見取り図も、全く意味がなかった。あの小説は関口視点だからこそミステリとして成立しているのであって、榎木津視点が入るとヒント過剰になってしまうと思う。ミステリとして構成していないのであっても、榎木津が見ている映像は挿入しない方が収まりが良かったと思うのだが。
 最近作られた映像化不可能な本格ミステリの映像化作品というと、『ハサミ男』がある。『姑獲鳥の夏』の方が一見映画らしい映画だと思うが、ミステリとしても映画としても、『ハサミ男』の方が面白かった。『ハサミ男』は『姑獲鳥〜』以上に映像化が難しい作品だったが、そこを何とかクリアした上で、原作とは違った色合いのミステリ(というかサスペンスか?)映画として構成されていた。映像的には『姑獲鳥〜』も凝っているのだが、センスが古い。一昔前、’80年代初頭の2時間TVドラマみたいな胡散臭くて安っぽい印象になっているのが残念。ただ、室内や温室等のセット、小道具には力が入っているのが分かる。使われている自動車等にも、よくこんなの探してきたなと思った。映画としては、我慢できないほど酷くはないが、見ていて気分が盛り上がるような面白さもない。とにもかくにも微妙な映画だった。それにしても、かいつまんで説明されるとこんなにバカミスなトリックだったとは・・・。京極夏彦の文章芸にすっかりだまされていたのね。
 所で、キャスティングには非難轟轟だった本作だが、それほどひどくはないと思う。むしろ無難な線だと思う。皆思い入れあるんだなー、・・・というか、皆さん頭の中で色々と美化されているような・・・(笑)。原作の人気を再確認した(あっさり流してしまえる自分は本当に京極ファンなのかちょっと疑問)。

『ライフ・イズ・ミラクル』
  『アンダーグラウンド』でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞し、『黒猫・白猫』でヴェネチア国際映画祭最優秀監督賞を受賞した、エミール・クストリッツァ監督の新作。今作も祖国・旧ユーゴスラビアの激変期を背景にしている。実際にあった出来事を素材にして作った物語だそうだ。
 1992年のボスニア。国境近くで鉄道建設に携わる技士のルカ(スラブコ・スティマチ)。息子のミロシュが兵役に行くことになり、歓送パーティーを開くが、妻がパーティーで演奏していたミュージシャンと駆け落ちしてしまう。しばらくして、ミロシュがセルビア側の捕虜になったという知らせが届いた。心配するロカの元に、トラブルメーカーのトモがムスリム人看護婦サハーバを連れてきて、人質にしてミロシュと交換しろと持ち掛ける。しかしロカとサハーバは恋に落ちてしまった!
 私は学生の頃、レポートを書く為にユーゴスラビア紛争に関する本を読んだことがあるのだが、複雑すぎて結局の所何が原因なのか良く分からなかった。しかし良く分からなかったのは部外者だけではなく、当の本人達も同じではなかったのだろうか。戦争が起きて、近くに爆弾が落ちているのに、ロカは何となく呑気だ。戦局よりもハサーバとの恋愛の行方の方が、彼にとっては大問題なおだ。ボスニア兵のリーダーが「いつでも他人の戦争だ」と漏らすが、特に近代現代の戦争とはそういうものかもしれないと思った。今自分の国が戦争状態になったとしても、一番気になるのは今日のごはんのことであり、今一つリアリティがもてないかもしれないなと。
 ロカとサバーハは愛し合うようになるが、停戦が締結され、捕虜の交換が行われる。サバーハと息子とを交換しなければならない。息子と恋人とどっちを取るかというヘビーな状況なのだが、クストリッツアが撮ると痛切ながらもユーモラス。状況としては深刻なのに何かが可笑しい、というのはこの監督の持ち味だ。笑い飛ばさないとやってらんないぜ、みたいな諦念も感じる。ハッピーエンドとも取れるような終わり型だったが、ファンタジーでも導入しないと、どうにも救われないということか。
 ボスニアの四季の風景が美しかった。特に紅葉の秋と、一面銀世界の冬は色が鮮やか。そういえば、晴れた景色は冬だけだったような。
クストリッツア監督の映画はいつも躁状態でテンションが高く、見ていて疲れることもある。ただ、今作では『アンダーグラウンド』のような凄みは薄れている。見やすいといえば見やすくなったのだろうが、うっかりすると単なる寒いラブコメで終わってしまうので、監督の今後がちょっと心配。
 

 

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