6月

『50回目のファーストキス』
 水族館勤めの獣医で遊び人のヘンリー(アダム・サンドラー)はルーシー(ドリュー・バリモア)に一目ぼれ。しかしルーシーは交通事故に遭って以来、事故以降のことは1日分しか覚えていられないという短期記憶喪失障害を抱えていた。ヘンリーは一晩眠ると自分のことを忘れてしまう彼女の為に、毎日彼女と知合う為にあの手この手でアプローチする。しかしルーシーは彼の重荷になると思い、別れを切り出すのだった・・・。
 この設定ならいくらでも悲恋ドラマに仕立てられそうだが、そうはせずにあくまでライトなラブコメに撤したところが潔い。下手すると単に陳腐な話になってしまいそうでもあるが、陳腐一歩手前で踏みとどまっている感じがする。無駄にシリアスにせず、軽快にかわいく、首尾一貫して少女漫画的な雰囲気にしたことが吉と出た感じ。主人公2人だけでなく、ヒロインの家族や行き着けのカフェの主人&コック、ヘンリーの悪友等、出てくるキャラクターも皆可愛い所のある人達で、安心して見ることができた。全く大作ではない、というかむしろ制作費は控え目だと思うのだが、手堅い映画だと思う。
 アダム・サンドラーがプレイボーイ役というのは、正直どうなんだろう、いやでもアメリカではあの微妙なルックスがセクシーということになっているのか?と映画を見始めた時には頭の上に?マークが浮かんでしまったのだが、これが意外に悪くない。ナンパしていても憎めないし、ルーシーの為に奮闘する姿がかわいいのだ。見るからに2枚目な俳優が演じたら、むしろキザすぎて鼻についたのではないかと思う。アダム・サンドラーだからこそ愛嬌のある役柄になったのでは。同じ事がドリュー・バリモアにも言える。ぽっちゃり体型で、正直日本人男子からの人気は今一つぽい(私はすごく可愛いと思っているんだけど・・・)彼女だが、今作では親しみやすくちょっとファニーな彼女の魅力が全開になっている。やはりコメディと相性が良い女優だと思う。コメディセンスのある2人だからこそ、甘々映画でも寒くならないのかもしれない。
 舞台がハワイなので、ハワイのPR映画のような感もある。音楽も懐メロをハワイアン風にアレンジしたものが使われていたのだが、なかなか楽しい。そしてもう一つ大きな見所は、ヘンリーが働く水族館の動物達だ。これが芸達者なこと!ヘンリーにくっついて回るペンギン(コスプレもする)や、プレイボーイなトド、イルカ達など、芸能人(獣?)魂を見せてくれる。むしろ動物映画?と思うくらい。海獣好きな方はぜひ。

『最後の恋のはじめ方』
 デート・コンサルタントとして、奥手な男性達に恋愛アドバイスをすることを職業としているヒッチ(ウィル・スミス)。今回のクライアントはぽっちゃり系でドジな会計士のアルバート。彼が片思いしている相手は、なんと超有名なセレブ美女アレグラ。彼女はプレイボーイな大富豪と破局したばかりだった。難易度の高い仕事ではあるが、アルバートのために策をめぐらすヒッチ。その甲斐あってアルバートとアレグラは何とかデートにこぎつけた。一方ヒッチは勝気な新聞記者サラ(エヴァ・メンデス)に一目ぼれ。デート・コンサルタントとしての経験を総動員して彼女を口説く。いい感じになった2人だが、ヒッチの職業がサラにバレてしまう。
 とってもライト、というか薄味なラブコメ。予想外のことは何も起きないので安心と言えば安心だ。個人的な好みとしては、ヒッチがアルバートにデート指導して四苦八苦する、コミカルな前半の方が楽しかった。最後までこの軽さを維持してほしかったのだが、ヒッチが自分の恋愛でいっぱいいっぱいになるあたりから、ちょっと流れがもたつく。すっごく普通のラブロマンスになってしまった気が・・・。冒頭、ヒッチが映画の観客に向けて話し掛けるのだが、この構造も冒頭とラストに使われただけで、全然機能していなかったのが勿体無い。
 サラはヒッチがデート・コンサルタントだと知って、「女を騙すなんてサイテー!」と激怒するのだが、そんなに怒るようなことだろうか。自分ひとりでやるか誰かのアドバイスを受けるかの違いで、実際に男性本人がやっていることは、たいして変わらないと思うのだが。友人のアドバイスならOKでデート・コンサルタントはNGというのも妙な話だと思う。ヒッチがクライアントに対して言っていることは、別に卑怯なことではない。むしろいたって真っ当なことだと思う(「相手の話を聞け」とか)。そもそもヒッチが引き受けるのはカップルが成立するまでで、本当の勝負となるその後については、カップル2人の相性と努力にかかっている。破局するとしたら、女性にとってはまあちょっと時間のムダになるかもしれないけど、損するわけでもないと思うが。サラが激怒するのは彼女が基本的にモテ人種だからで、そもそも異性と知り合うこと自体が大変だという非モテの苦労を知らないからと見た。モテない人達の切実さがわかっていないんだろうなーと。そもそもヒッチがデート・コンサルタントを始めたのも、ヒッチ自身が元は非モテ男だったからだ。片思いの相手の気を引く為ならデート・コンサルタントまで雇うなんて、泣かせるじゃないですか(そうか?)。

『ライフ・アクアティック』
 ゆるゆるである。物語にメリハリをつけようとか細緻なものにしようとかいう努力が全く見られない(そのあたりは監督の中では重要なことではないのだろう)にも関らず、何となくいい感じに。ウィス・アンダーソン監督の前作『ロイヤル・テネンバウムス』もどちらかといえばユルい映画だったが、今作ではユルさに拍車がかかっている。
 世界的に有名な海洋探検家にして海洋ドキュメンタリー監督であるスティーブ・ズィスー(ビル・マーレイ)。彼の前に元恋人との間に生まれた(多分)息子だという青年・ネッドが現れた。ズィスーはネッドを伴い、チーム・ズィスーのメンバー達と幻の「ジャガーザメ」を追う航海に出るのだが・・・
 映画全体の雰囲気も、ズィスーが作っているドキュメンタリーも何か(いや明らかに)嘘っぽい。チーム・ズィスーの一昔前の特撮みたいな制服や断面図のまま登場しちゃう舟が相乗効果を起こしている。規模の大きいコントというか、「めちゃイケ」の疑似ドキュメンタリーというか、ハリボテ感いっぱい。もちろんわざとそうしているのだろうが。『ロイヤルテネンバウムス』も、絵ヅラがかなりおかしい(普通そういうアングルでは撮らないんじゃないかとか)映画だったので、監督の好みなのだろう。出てくる海生生物も殆どがアニメーションという徹底振りだ。これがまた、かわいいんだけど・・・
 しかしユルユル映画で終わっていないのは、主人公であるズィスーの悲哀が戯画的ながらも真実味があるからだと思う。ズィスーは人生のピークを過ぎた中年男。映画監督としても今は落ち目だ。妻とは別居する羽目になりつつも、若い女性記者をくどこうとし、しかし全然相手にされない(しかもそれに気付いていないっぽいというイタさ)。ズィスーのじたばた振りは、みっともないのだがどこか憎めない。その落ち目っぷりが、見る人によっては身につまされてしまうかもしれないなと。
 ユルユルでおかしい(キャラクターそれぞれは明らかにおかしい)映画なのに、見た後はほろ苦さが残る。これが監督の持ち味なのだろう。あるインタビューでは、「おかしい話を作ったはずなのに、なぜか悲しくなっちゃうんだ」と言っていた。父と息子の関係が常に悲劇的であると同時に喜劇的なのも、前作と同じだ。作風は今後も変わらなそうだが、次の作品も見てみたい監督だ。
 ちなみに監督、メガネをやめてコンタクトにしたら意外にカッコイイ(笑)。色気を出したわけではなく、メガネに油の汚れがつくのに我慢できなくなったからだとか。そしてなぜか某ファッション関連の賞を受賞したそうだ。本人いわく「理由がわからない」。・・・えーと、ダサとオシャレのギリギリのラインを駆け抜けている感じですよ。

 『オープン・ウォーター』
 こ、恐いよ!もう海には入れない!サンダンス映画祭からやってきた実録風サスペンス映画。実話が元になっているそうだ。
 マリンリゾートに遊びに来たカップル(ブランチャード・ライアン、ダニエル・トラヴィス)。ダイビングツアーに参加したが、人数を数え間違えた船員のせいで、海のまん中に置き去りにされてしまう。
 水中の置き去りという肉体的・精神的極限状態を延々と映す映画なのだが、あまりにも淡々としている為、エンターテイメントのサスペンスとしては今一つ盛り上がらない。徐々に体力を消耗していく様や足元にうじゃうじゃ群がるサメは恐いことはもちろん恐いのだが、生っぽすぎて「キャーッ」と思いきり怖がることが出来ないのだ。恐いの居心地が悪いというか、座りが悪いというか。ホラーやサスペンスとしての爽快感、カタルシスは皆無である。上映終了後の場内が騒然とする程の後味の悪さだ。
 恐い恐いと書いてみたが、意外にも笑いを誘う個所が多かった。リゾートホテルの部屋で、夜中に虫が気になって眠れなくなったり、海中では差し迫った状況なのに(だからこそ?)現状とは関係ないことについて痴話喧嘩を始めてしまうとか。2人の会話には、ユーモアで何とか気分を紛らわそうという姿勢が見られるし、当人にとっては深刻でもはたから見てみるとおかしいとか、その「おかしみ」の挿入の仕方は上手かったんじゃないかと。そして、主人公カップルが苛酷な状況を耐えられたのは、1人じゃなくて2人だったからだとつくづく思った。1人だったらあっという間に脱落していただろう。話せる相手がいるのといないのとじゃ全然違うと思う。カップルの女性が最後に選んだ行動が、それを如実に表していると思う。
 後から知ったのだが、スタント不使用CG一切なしとのこと。足元にうじゃうじゃいるサメも本物か!役者とスタッフの度胸と体力で低予算を埋め合わせている。

『コーヒー&シガレッツ』
 モノクロフィルムの中、コーヒーとタバコを片手にだらだらと繰り広げられる様々な人達のやりとり。11のエピソードを連ねた短編集だが、ジム・ジャームッシュ監督が撮り始めたのは何と1986年(ロベルト・ベニーニとスティーブン・ライトのエピソード「
STRANGE TO MEET YOU」)。これを撮った時にシリーズ化したいと思ったそうだ。その後少しずつ撮り溜め、完成した。しかし全編を通して、時代の流れは殆ど感じない。人の「だべり」はいつの世も同じということか。
  明確な起承転結はなく、なんということのない会話のみ、場所もカフェの中から動かないという、一見全く動きのない映画だ。しかし、そのどうということのない会話のなんと楽しいことか。ジム・ジャームッシュの会話の間合いのセンスが存分に発揮されていると思う。
 キャストが様々で面白い。アカデミー賞受賞俳優であるロベルト・ベニーニやケイト・ブランシェット(何と2役!)。また新アルバムも絶賛されているホワイト・ストライプスのジャック&メグが登場したかと思うと、ウータン・クランのGAZとRAZが「ゴーストバスターズ」「ライフアクアティック」のビル・マーレイと珍妙な会話を交わす。存在感が際立っていたと思うのは、トム・ウェイツとイギー・ポップの組み合わせ。それほど親しくはないけれど仕事やら何やらで面識のある2人の会話という感じのぎこちなさ。イギーがトムに対して微妙に気を遣っているのがかわいいのよ・・・。また、殆どの出演者が本人役で出演しており、多かれ少なかれセルフパロディ的な側面もあると思う。特にアルフレッド・モリナ(『フリーダ』『スパイダーマン2』)とスティーブ・クーガン(『
24Hour Party People』)の『COUSIN?』はその傾向が強い。モリナに「実は僕たちは親戚なんだ!」と呼び出されたクーガンは正直迷惑そう。しかしモリナへ「リー監督」から電話がかかってきたのを見て態度が一変する。日常でも「あるあるこういう瞬間!」とクーガンを指差して笑いたくなるようなおかしさがあった。
 結局、コーヒー飲んでタバコ吸う以外のことは殆どやっていない映画なのだが、まったりとした心地よさがあった。ぼーっと見ていたくなる。途中で居眠りしても、多分ジャームッシュは怒らないと思う。サウンドトラックの選曲はクールでお勧め。

『海を飛ぶ夢』
 実在の人物であるラモン・サンペドロの手記を原作とした映画。彼が暮らしていたスペインは根強いカソリック国であり、尊厳死は未だ認められていない。ラモン(ハビエル・バルデム)は首からが不随となり、28年間ベッドの上で送った。28年目、ラモンは自ら命を絶つことを決意し、弁護士のフリア(ベレン・ルエダ)の協力を仰ぐ。フリア自身も不治の病にかかっており、体の自由が徐々にきかなくなり、記憶も曖昧になっていく。彼女はラモンに共感していた。ラモンとフリアは強く引き合い、フリアはラモンの死を手助けすることを決意するのだが。
 尊厳死という重いテーマを扱った作品だが、陰鬱でも悲劇的でもないし、湿っぽくもないのが良い。「助けてもらうには微笑んでいなければ」とうそぶきユーモアを絶やさないラモンのキャラクターのせいもあるが、人々の会話やそのキャラクターの描き方が不必要に深刻ではなく、深刻な状況の中にぽろっと妙な言動が起きる、深刻な中で日常の行動をしているとどこか笑えるというような(ラモンと神父の家の1階と2階に別れての論争や、ラモンの恋人と義姉の不仲など)おかしみが随所に見られた。また、ラモンが単なる良い人ではなく、女を口説くのが上手く、常に女性に囲まれている人として描いているのが面白い。
  しかし色々と考えさせられる映画だった。私は尊厳死に対して特に反対する気持ちはないのだが、残された家族のことを思うと複雑だ。ラモンは車椅子で生きるのなど、生きている意味がないというが、本当にそうなのか。家族はラモンが生き続けることを願っており、特に兄は尊厳死には大反対だ。ラモンがこれまで生きている状態に我慢できたのは、家族の愛情があったからだろう。家族の願いをかなえてやりたい、でも家族を失いたくないというラモンの兄夫婦の葛藤は見ていて苦しい。が、もっと苦しいのは、家族の愛情もラモンを引き止められない、それでは足りないと思い知らされることだと思う。 また、ラモンの最後の恋人となったロサ(ロラ・ドゥエニャス)は、ラモンの愛情を得る為、彼の死に手を貸すことを決意する。最終的に、ラモンと一番心がつながっていたフリアではなく、今一つかみ合っていないロサが彼の望みをかなえるというのは、皮肉だ。
 フリアはラモンとは別の道を選ぶが、それは彼女が臆病だったということにはならない。それぞれに違った勇敢さをもって、違う戦い方をしたのだと思う。
 ラモン役のバビエル・バルデムの演技は素晴らしい。動かせるの顔だけ、手足を全く動かせない役どころだが、強い説得力があった。また、ラモンの兄夫婦役のセルソ・ブガーリョとマベル・リベラ、普段は抑えている感情がふいに表れるような抑制のきいた演技は胸にささる。
 監督のアレハンドロ・アメナーバルの作品は、『オープン・ユア・アイズ』『アザーズ』と続けてみているのだが、今作がベストだと思う。現実から幻想への移行のさりげなさにはっとさせられた。また、撮影監督は『アザーズ』『トーク・トゥ・ハー』を手掛けたハビエル・アギーレサロベ。映像はすばらしい。

『バットマン・ビギンズ』
 今やヒーローは無邪気に悪人と戦うことはできない。自分がやっていることは自己満足にすぎないのでは?そもそも悪人って誰だ?正義も悪も相対的なものにすぎないのでは?何の為に戦うのか?何より、私的正義は正義たりうるのか?昨今のヒーローは様々な疑念を抱えたまま戦いに赴く。バットマンも例外ではない。というより、正にそのような矛盾を孕んだヒーローとして描かれている。
 バットマン=ブルース・ウェイン(クリスチャン・ベール)が身体を鍛え戦い始めたのは、死んだ両親に対する罪悪感から逃れる為だった。大富豪である彼は私財と自分の会社が抱える技術を駆使してバットマンとなり、父親が愛したゴッサム・シティを腐敗から守る為に奔走する。しかし、それはあくまで彼が満足する為だ。金で力を得、バットマンに対する恐怖でマフィアの動きを封じ込める。ブルースがやっていることとはゴッサム・シティを牛耳るギャングがやっていることとそう変わらないのだ。そして、自分が考える正義、私的正義を行うという点では、ラーズ・アズ・グールの一味とも同じである。この、自身と敵との立場の相違が明確ではないという所が、大ヒットした「スパイダーマン」とは大きく異なる所だ。そういう意味では、ストレートなヒーローとは言いにくいのかもしれない。バットマンは特殊能力を持ったスパイダーマンとは異なり、肉体的にも普通の人間だ。努力と金(笑)の力で作り上げられたヒーローなのだ。
 所で、びっくりするほど女っ気のない映画である。ブルースの幼なじみである女検事は出てくるものの、それほど活躍はしないし、何と最後には自ら舞台から退場してしまう。そしてブルースの母親は父親と比べて存在感(露出時間も)皆無である。その代わりといっては何だが、父性に満ち満ちている。そもそもブルースは重度のファザコンである。彼がゴッサムシティを守ろうとするのも、父親が町を愛していたからに他ならない。そして彼の周りを囲むのは全て父性的な人物だ。しかもキャスティングはびっくりするくらい豪華。師匠であり敵であるリーアム・ニーソン、彼を見守る執事マイケル・ケイン、協力者であるゲイリー・オールドマン。さらに最近は何にでも出ている気がするモーガン・フリーマン。良き父親から悪しき父親まで父親よりどりみどり状態だ。母子関係でなくあくまで父子関係がクローズアップされるのは、やはりアメリカのお国柄なのかと思う。それにしても、私的正義の是非に加えて重度のファザコンとは、何ともアメリカ的な映画。
 面白いことは面白いのだが、見終わった後、具体的なストーリーが何となく思い出せない。山場といえるような山場がなかったような気がする。あと、アクションシーンがいただけない。冒頭のエセ忍者集団(千葉真一が出てくるかと思った)で気分が萎えてしまったというのもあるが、アクションシーンの見せ方が不慣れな監督なのでは。あ、噂の渡辺謙様はちょっとしか出ていない。これを宣伝材料に使うってのはちょっと苦しくないか。妙な迫力はあったが(全然まばたきしないのって恐い)。

『電車男』
 今や説明不必要であろう、2ちゃんねる発のラブストーリー。私はこの話が実話でも創作でもどちらでも良い(よく出来た話だと思うし現象として面白い)と思うのだが、ここまですそ野が広がるとは。正直「また流行にのっただけのトンデモ映画だろー」とナメきって見に行ったのだが、なんと引き込まれるではないか!恋愛ドラマなど殆ど見ない私なのに、いつのまにか電車男の行動にドキドキしやきもきしているではないか!気持ちは既に2ちゃんねらー。スクリーンの大きさに耐えられるネタではないと思ったのに、限りなく2時間ドラマのノリに近いながらも、立派な娯楽映画になっている。まったく奇跡的(素晴らしく出来がいいという意味ではなく、このネタこの期間この予算でよくぞここまで、という意味)と言ってもいい。ラストをTVドラマ版とリンクさせるという商魂ギラギラさがなければ、もっと好感度上がったのに・・・
 「オタクと美女のラブストーリー」と銘打たれているものの、オタクというファクターはそれほどクローズアップされていない。たしかに電車男は百式Tシャツを着ているし、彼の勤務先のPCの上にはガンダムのボトルキャップが置いてある。携帯ストラップはケロロ軍曹だ(ケロロ軍曹はオタアイテムなんですね・・・ちょっとショック・・・)。しかしその行動パターンは、オタクというよりも、極端に人慣れ&世慣れしていない人のそれである。世間知らずだから見ず知らずの2ちゃんねらーのアドバイスに従っちゃうんだよー。多分、真性オタから見たら、電車男のオタ度はそれほど高くないのではないだろうか。更にエルメス(中谷美紀)にしても、美女は美女だが天然というか、やっぱりちょっと変わり者だと思う。というわけで、オタと美女というよりも、「相当内気で世間知らずな男と、割と母性強くて天然な女」の割れ鍋に閉じ蓋的なラブストーリーだと思う。
 思わず電車男を応援したくなるのは、主演の山田孝之の力によるところが大きい。オタク的でありつつ不快感を与えないぎりぎりのラインを維持していたと思う。地顔がかわいいから、そりゃー髪型と服変えればモテるに決まってる!結局人間見た目かよ!と突っ込みたくなるのはご愛敬。エルメス役の中谷美紀は、ちょっと年上すぎるかなと思っていたが、この「年上のお姉様」という雰囲気が、却って良かったと思う(「この女実はやり手なんじゃ・・」と思わせる所も含め)。場数踏んでいる人の方が、珍味(もしくは新鮮素材だが泥だらけ)に手を出してみようという気になるんでないかと。
 ちなみに、電車を応援する2ちゃんねらーとして、引きこもり少年役に瑛太(ウォーターボーイズ繋がりか)、メガネ看護師役に国仲涼子が出演していたのだが、この2人にかなり萌えました。

『ダニー・ザ・ドッグ』
 戦う為だけに、犬のように育てられたダニー(ジェット・リー)。高利貸のバートに連れられ、取りたてに明け暮れていた。ある日、盲目のピアノ調律師サム(モーガン・フリーマン)と出会ったダニーは、ピアノの音色に魅せられる。そんな折、人前で恥をかかされた債務者の差し金で、バートとダニーが乗った自動車にトレーラーが突っ込んできた。危うく逃げ出したダニーは、サムとその娘ヴィクトリアのもとにかくまわれる。
 プロデュースするとろくな映画をつくらないと評番のリュック・ベッソン。しかし彼のプロデュース作品は、アホはアホだがどこか憎めない所がある。少年誌で連載されている挌闘マンガのセンスに似たものがあって、正直言ってベッソン本人が監督した映画よりも、プロデュースした映画の方が好きなくらいだ。彼がプロデュースする映画の常として、フックはいくつかあるのだが、フックとフックの間は全然フォローされていない感じ。設定は穴だらけだし物語のつじつまも合っていない(なぜわざわざ誘拐してきたの?!とか、見ず知らずの人間を家にあげるなよ!とか、挌闘よりも飛び道具使った方が早いと思うとか、各闘技場のエピソードいらないんじゃないかとか、そのオチはなんだよ!そもそも学生がカーネギーホールで演奏って可能なの?!とか)のだが、少なくとも見ている間は飽きない。今作も「闘犬として育てられた人間」というチャンピオンかヤンジャンあたりに連載されていそうな設定だ。犬として育てられているから言葉もよく分からず(途中から喋るようになるけど)、人間社会のことには全く無知。「超強いピュアっ子(過去にトラウマあり)が愛する者の為に戦う」と、文字で書くと身も蓋もない。リュック・ベッソンはこういう身も蓋もないことを、しばしば臆面もなく堂々とやる。照れとかないのかなー。不思議な人だ・・・。彼の臆面のなさは、常に二挺拳銃でハトが飛ぶジョン・ウー監督とちょっと似通った所があると思う。「グランブルー」のことは忘れて、ぜひこのままアホ映画街道を邁進してほしい。
 主演は『キス・オブ・ザ・ドラゴン』で組んだジェット・リー。前作ほどのアクションの派手さはないが、相変わらずよく動いてくれる。ご本人はもう中年なはずなのに、モーガン・フリーマンと並ぶと妙に若々しくて子供の様だ。顔がかっこいいかどうかはかなり微妙だと思うが、動き始めるとやっぱりかっこいいと思う。前作より心なしか英語上手くなってる気がするし・・・
 そして、頼まれれば何にでも出てくれるんじゃないかと思うくらい見掛けることの多いアカデミー俳優モーガン・フリーマン。でもこんなもんにまで出なくていいからさぁ!!この役柄、モーガン・フリーマンである必然性は全くないのだが、彼が出ていると何となく映画のレベルが上がったような気になる。殆ど特殊効果並み。 ヴィクトリア役の女の子は可愛かったと思うんだけど、あんまり男性ウケはしなさそうな可愛さかも。

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