4月
『パーティー・モンスター』
『ホームアローン』で一躍スターになりその後転落、という子役スターのお約束街道を邁進してしまった、マコーレ・カルキン君の9年ぶりの映画復帰作。・・・いきなりこれかよ!メジャーからアンダーグラウンドへ一目散かよ!ともかくお帰りカルキン。
アメリカ中西部からニューヨークに出てきた青年マイケルは、ド派手な格好で毎晩遊び歩く「クラブキッズ」ジェームズ(セス・グリーン)と出会う。ジェームズからクラブで遊ぶ為の秘訣を教わったマイケルは、奇抜な企画でお客を集める伝説のクラブ・キッズとなっていく。マイケルが考える企画は、全員医者か看護婦のコスプレで参加する病院仕様パーティー、トラックのコンテナ(もちろん移動中)の中でのパーティー、ドーナツショップ襲撃パーティーなど、奇抜なものばかりだ。
にぎやかで楽しそうで、派手派手しい生活だが、彼らの様子はどこか空疎。穴を埋める為に大はしゃぎしてドラッグをやりまくって、パーティーのめちゃくちゃさもエスカレートしていくような感じがして、かなり痛々しい。皆将来のことなど分からなくて、今が良ければいい。あまりにも子供で、この人たち結局何がやりたかったの?と思ってしまった。マイケルはたくさんのボーイフレンドやガールフレンドに囲まれているのに、ずっと好きだった本命のボーイフレンドとはすれ違いのままだし、最後には親友だったジェイムズにも裏切られ、心の支えだったガールフレンドも失ってしまう。画面の中は派手なのに、後には物哀しさが漂った。もっともマイケルもジェイムズも、結構しぶとく生きていきそうだけど。
映画としてはちょっと間延びしていて、視点の整理もしきれていない(マイケルやジェイムズが突然観客に語りかけたりする)所が気になった。正直あまり出来がいいとは思わなかったのだが、80年代〜90年代のクラブカルチャーに興味のある人にはオススメ。作品内で使っている衣装は、実際に元・クラブキッズ達が着ていたもので、彼らから寄贈されたのだとか。カルキン君の奇妙なドラッグ・クイーン風衣装は強烈。激ショートパンツとか、なんちゃってチロリアンとか、似合っているあたりが恐ろしい。何と原作はノンフィクションで、実在の人物がモデルとなっている。原作本はオスカー賞候補になったこともあるとか。ちなみにマリリン・マンソンが出演し、怪演を見せている。『オアシス』
『ペパーミントキャンディー』が評判となったイ・チャンドン監督の3作目。今作はヴェネチア映画祭コンペティション部門で、監督賞、マルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞=ムン・ソリ)、国際批評家連盟賞など数多くの賞を受賞した。刑務所を出所したばかりの青年ジョンドゥ(ソル・ギョング)は、重度脳性麻痺の女性コンジュ(ムン・ソリ)と知り合う。最初興味本位で近づいたジョンドゥだが、徐々にコンジュと心が通じ合っていく。
コンジュは重度脳性麻痺で、顔はひきつっているし体も自分が思うようには動かず、立って歩くことはできない。一方ジョンドゥはおそらく軽い知恵遅れがあり、周囲の状況を読めなかったり、集中力を欠いていたりして社会に適応できず、家族からは厄介者扱いされている。しかも彼は前科者(実際は兄が起こした交通事故の罪を自ら被ったのだが)。二人とも、世間一般からは「障害者」「前科者」というフィルターを通して見られている。しかしジョンドゥは最初から、コンジュに対するフィルターが薄かった。いきなりレイプ未遂を起こすとんでもない奴ではあるのだが、少なくとも彼は世間の偏見をいきなり突破する。ジョンドゥと一緒にいる時の彼女からはユーモアや機知が感じられ、これが本当の彼女、という感じがする。彼女がまともにコミュニケーションできる唯一の人がジョンドゥなのだ。そしてジョンドゥにとっても、彼を偏見なしに見てくれる唯一の人がコンジュだ。しかし世間はそうは見てくれない。ジョンドゥはコンジュを自分の家族との会食に連れていくのだが、家族からは「目出度い席になんで」と迷惑がられる。そして世間の無理解が彼らを引き離すことになる。
おそらく監督には、障害者の人達の話を撮ろうという意志はなかったのだろう。監督が撮りたかったのは、人と人がどれだけ偏見なしに関わっていけるかという物語だったのではないかと思う。その典型的な偏見として「障害」「前科者」という設定が使われたのだと思うが、撮るからにはきっちり撮りますよ、という真面目さが感じられた。コンジュ役のムン・ソリは、よくやったとしか言い様がない。顔や体を歪め、無理な姿勢で演技した為に、撮影中は体が痛くてしょうがなかったとか。最初のうちは「障害者の演技をしている女性」に見えて気になっていたのだが、段々それが不自然に見えなくなっていく。役者の気持ちが役柄に入っていっているのが分かるのだ。
コンジュとジョンドゥ2人のシーンでは、突然コンジュの障害がなくなって普通の女性のように立ったり歌ったりする。現実の中にポンとファンタジーを投げ込んでいるのだが、彼ら2人にとってはそれはファンタジーでなくリアルだ。いきなり何故?と思う人もいるかもしれないが、「外部から見るとファンタジーだが当事者にとってはリアル」というのは正に恋愛状態の形なので、映画自体は一見強烈だし見ていて居心地が悪くなるような場面も多々あるのだが、ファンタジー部分こそがこの作品を普遍的なラブストーリーにしているとも言えるだろう。『ネコのミヌース』
オランダからすっごくキュートな映画がやってきましたよ!原作は児童文学者アン・M・G・シュミットの同名小説。日本ではあまり知名度はないが、オランダでは誰もが知っている有名作家だそうだ。
シャイな青年記者ティベ(テオ・マーセン)は小さな町の新聞社で働いている。彼の悩みは、シャイすぎてちゃんとインタビュー出来ないこと。そんな彼の前に、奇妙な女の子ミヌース(カリス・ファン・ハウテン)が現れた。彼女は犬に吼えられて木に登ったきり下りられなくなったり、夜中に屋根に登ったりする。彼女は実は、ネコから人間になってしまった女の子だったのだ。ミヌースがネコたちから聞いた町のニュースを記事にして、ティベは一躍有名記者に。ある日、芳香剤の工場を経営している町の名士・エレメート(ピエール・ボクマ)が動物友の会から表彰を受けることが決まった。しかし彼には裏の顔があったのだ。秘密をかぎつけたミヌースはティベに記事を書かせるのだが・・・
ミヌース役のカリス・ファン・ハウテンがとにかくキュート。仕草の一つ一つが本当にネコっぽくて、ネコが人間に、という荒唐無稽な設定もすんなり受け入れられてしまう。実は彼女、本当はネコアレルギーで撮影は大変だったらしいのだが・・・目がずっとウルウルしているのはアレルギーのせい?その甲斐あってか、本作ではオランダ・アカデミー賞最優秀女優賞を受賞したそうだ。
映画の中の町並みも魅力的。こじんまりとした田舎町で、特におしゃれなわけではないし、建物は古くてペンキがはげていたりするのだが、人がちゃんと暮らしている温かみを感じる。ティベの部屋も散らかっていて決してきれいではないのだが、住み心地が良さそうだ。シャワーカーテンが金魚模様だったりするあたりが可愛い。
そして忘れてはいけないのが、ミヌースの仲間のネコ達。市長の飼い猫「モールチェ伯母様」、気風の良いリーダー格「牧師夫人」を筆頭に、プレイボーイのティヌス、お喋りでちょっとマヌケなシモンなど、姿も性格もまちまちなネコ達はどれも魅力的だ。皆モデル猫のような美形ではないが、それぞれ良い面構えをしている。猫好きは必見。子供向けの映画でストーリーがご都合主義的ではあるが、大人もきちんと楽しめる。ちなみに、パンフレットに漫画家の波津彬子(『雨柳堂夢咄』)が原稿を寄せている。『GOD DIVA』
「ブレードランナー」「フィフス・エレメンツ」に影響を与えたエンキ・ビラルのコミックが原作。ビラル自ら、「ティコ・ムーン」以来6年ぶりに制作した大作映画。主演は、92年ミス・フランスのリンダ・ハーディー、「戦場のピアニスト」のトーマス・クレッチマン、そしてなんと「まぼろし」のシャーロット・ランプリング。
23世紀のニューヨーク。そこは人間とミュータント、エイリアンが暮らす混沌とした都市になっていた。そして上空からは神々が見下ろす。反逆罪として死を宣告された鷹の頭を持つ神・ホルスは、残された時間で自分の子を宿すことができる女性を捜す。一方、医者エルマ・ターナーは、記憶を無くした青い髪の女性・ジルを実験の被験者として手に入れる。彼女の身体の特異性に興味を引かれたのだ。更に同時期、連続殺人事件が起こり、フローブ刑事が捜査を開始していた・・・
原作のビジョンをそのまま映像化しようとしているのか、映像の密度は濃い。主要登場人物以外は、全てCGによるキャラクターで、世界のファンタジー感を高めている。が、映画としては正直どうかという感じがする。見る側が原作世界の設定を把握していることを前提として作られたのか、世界設定やキャラクターの説明が不足していて、初めてこの世界に触れる人には、「え、神?エイリアン?そもそもこれ誰?」ってな感じで何が何やらだ。キャラクターの心情の変化にも無理があって(レイプはまずいだろうよ・・・)、感情移入して見るのも難しい。加えて、ストーリーテリングが致命的に下手。私は試写会で見たのだが、映画が終わった後「どういう話だったの?」「よく分からなかった」と話している客がぼろぼろいた。アート系の映画や実験映画ならともかく、れっきとした娯楽作でこんなに「わからない」と言わせてしまうのはまずい。全体的に作品世界のプロモーションビデオという感じだった。ビジュアルに拘りがあるのは分かるのだが、絵ヅラだけでは映画は成立しない。
それにしても何故ランプリングが出演しているのか謎だ・・・。『ドラムライン』
たまには超体育会系で燃えてみよう!オーッ!スポ根マンガにある全ての要素をぶちこんだ映画。・・・いや、マーチングバンドの話なんですけどね。ともかくスカッと楽しめた。
ドラムの才能がある少年デヴォン(ニック・キャノン)は、奨学金で大学に進学し、さっそくマーチングバンド部に入部するが、スタンドプレイばかりで監督や先輩とは衝突してばかり。とうとうクビになってしまう・・・
アメリカでは、スポーツ試合のハーフタイムに、それぞれのチームを応援するマーチングバンドが技を競い合う。楽器演奏をしながら様々なパフォーマンスを見せる、演奏技術と体力の両方を必要とするショーだ。部活のノリはまさに体育会系。上下関係が厳しく、下級生は徹底的にしごかれる。しかし一糸乱れぬチームプレイが必須とされるマーチングバンドでは、一体感を高める為に必要なのかもしれない。スポ根マンガのようなベタな(笑)しごき方なので、これは映画の中だけのことかと思っていたら、実際に練習風景はこういう感じだそうだ。正に体育会系。
しかし個人に由来する楽器演奏の才能と、チームワークを必要とするマスゲームは相容れないという所が、主人公も陥るジレンマなのだろう。デヴォンはドラムに関しては自他共に認める才能がある。しかし個人の才能が高いだけではドラムラインは成立しない。自分一人でプレイしているのではないことを理解しないといけない。このあたり、サッカーマンガや野球マンガでも出てきそうなエピソードだ。
そして、優れた楽曲を演奏したくても、ショーの要素がある以上、派手に目立たないと注目されない、評価されないというジレンマもある。デヴォンのチームの監督は純粋にバンドを愛しており、オーソドックスな良い曲を演奏したい。しかし校長からは客の人気を得る為に「とにかく派手にやれ」と指示される。ライバルチームはバンドに人気ラッパーを投入するという禁じ手を使ってくる。
これらのハードルを乗り越えて、主人公が成長していく過程は爽快だ。そして監督や、ライバルである先輩も単なる悪役になっていない所が良い。彼らはそれぞれにポリシーを持っており、何よりバンドを、音楽を愛している。ラストのマーチングバトルは圧巻。グルーヴ感に溢れていて、見ていてわくわく、足のあたりがうずうずしてしまう。このシーンの為だけにでも映画を見る価値あり。特に打楽器好きには堪らないと思う。もっと見たい!と思ってしまった。
映画製作総指揮・音楽製作総指揮は、ボーイズUメンやTLCなどを手がけたグラミー賞の常連・ダラス・オースティン。なので、音楽は充実している。アリシア・キーズやセリーナ・ジョンソンも参加する豪華さだ。このストーリー自体、彼の実体験が元になっているそうだ。ストーリーは単純だし荒削りではあるのだが、バンドのパフォーマンスのかっこよさで帳消し。『ヴァンダの部屋』
リスボンのフォンタイーニャス。アフリカからの移民たちが多く住むスラム街だ。建物は老朽化し、取り壊しが進んでいるが、行く当てがなく留まっている住民も多い。若い女性・ヴァンダもその一人だ。彼女は家族と野菜の行商をして暮らしているが、大抵は狭い部屋にこもって、アルミホイルをライターで炙りクスリを吸っている。そのヴァンダの部屋を色々な人々が訪れる。皆極端に貧しく、殆どの人が薬物中毒だ。ヴァンダもクスリのせいか、声がしゃがれひどい咳をしている。
監督のペドロ・コスタは2年間、この町にデジタルカメラを持ち込んで撮影を続けた。膨大な量の映像を編集して3時間にまとめたのがこの映画だ。ヴァンアを初め、出演している人たちは皆実在の人物で、実名で出演しているらしい。いわゆるストーリー(ドラマ)は無く、ドキュメンタリー映画のようだ。かろうじてヴァンダの姉が入院しており、映画最後のシーンでは家族が見舞いに行くらしいということは分かるが、フィルムが編集されている以上、それが実際の時系列と同一であるとは限らない。それに演出がないにしては美しすぎる光と影のコントラスト。フィクションなのかノンフィクションなのか、その境界は曖昧だ。娯楽性は全く無く、セリフも極端に少ない。全編に満ちている音は、建物を取り壊す工事の騒音、ノイズだ。実は3時間見続けるのが苦痛でもあったのだが、それでも光と影の強烈なコントラストを成す映像や、静物画のようなカメラの構図には惹きつけられた。この映画によって監督が何を表現したいのか、正直言って分かったとは言えない。しかし、カメラと情景が格闘し続けているような、妙な気迫を感じた。
ペドロ・コスタはマノエル・デ・オリヴィラやストローブ=ユイレといった巨匠たちが、自らの後継者と断言した鬼才。また小津安二郎に非常に影響を受けており、「小津がいなければ『ヴァンダの部屋』はなかった」と語る。低位置に固定されたカメラ、スタンダードサイズの画面、そして光の質感には確かに小津映画っぽさを感じる。セリフによって何かが物語られるのではなく、情景によって何かが語られている感じがする。『オーシャン・オブ・ファイヤー』
非常にオーソドックスなハリウッド映画という印象を受けた。主演にLOTRのアラゴルン役でブレイクしたヴィゴ・モーテセン、監督は「ジュラシック・パーク3」のジョー・ジョンストン、特殊効果に「スターウォーズ」「ハムナプトラ」を手がけたインダスト・ライト&マジックと、かなり手堅いスタッフで固めている。
カウボーイのフランクは、マスタング(野生馬)ヒダルゴと共に、アラビア半島最南端のアデンから、砂漠を越えてシリアのダマスカスへと至る、全長4800キロのサバイバルレース・「オーシャン・オブ・ファイアー」に出場する。過酷な自然環境のみではなく、レースに裏側で錯綜する人々の思惑が、彼らの邪魔をするのだった。果たしてフランクとヒダルゴはゴール出来るのか?
一番の見所は、やはり騎馬レースシーンだろう。ヒダルゴ以外は美しいアラビア種の馬で、颯爽としている。馬に関してはCGは使用していないそうで、撮影は相当大変だったろうと思う。ヴィゴへのインタビューによれば、レースのスタートシーンは馬が集団で駆け出すため、ぶつかりそうで恐かったとか。そしてヒダルゴの名演技。フランクの無二のパートナーとして、彼を励ましたりおちょくったり、共に戦ってくれる。アラビア馬のような優雅な姿ではないが、茶目っ気を感じさせて可愛くたくましい。更に、砂漠の美しさ、冒頭のアメリカの大平原の美しさも魅力的だ。
主演のヴィゴ・モーテセンはつくづく汚れた格好が似合う(笑)。カウボーイ姿は様になっていて、LOTRで培った乗馬技術が生かされたかなという感じ。ただこの人、基本的にコミカルな演技が下手な気が・・・。また、アラブの族長リヤド(密かに西部劇が大好きで、カウボーイや保安官の世界に憧れているお茶目な人)役として、オマー・シャリフが出演している。
フランクが白人とネイティブアメリカンとのハーフだったり、リヤドやその娘ジャジーラ(ズレイカ・ロビンソン)が西洋文化に憧れていたりと、異文化理解という要素が入っているが、それがテーマなわけではないだろう(フランクがネイティブアメリカンに対して負い目を感じているという所も、ちょっと説明不足)。テーマにするには少々不消化気味だったと思う。あくまで娯楽冒険映画として楽しむのが正解では。ただ、一つ好感を持ったのは、ジャジーラが、自分の国よりは女性が自由に暮らせる白人の世界に憧れつつも、自国に留まる所。そしてフランクも彼女らの文化には無理に立ち入らない所。一昔前の映画(例えば「インディ・ジョーンズ」とか)だったら、フランクとジャジーラがカップルになって一緒にアメリカへ〜というパターンになりそうだが、もうそこまで無邪気には出来ないということだろう。フランクの視点は今までの王道ヒーロー的なものよりも、より客観的でストイックなものだったと思う。『ジャンプ』
警察によれば、日本では年間約10万人がどこかへ失踪している。自分の身近な人が突然いなくなったらどうすればいいのだろう。その人は何故いなくなったのか、どこへ行ったのか、生きているのか死んでいるのか。残された人たちは考え続けるのではないだろうか。あの時ああしていれば、こうしていれば防げたのではないかと。
三谷(原田泰造)の恋人みはる(笛木優子)は、「りんごを買いに行く」と近所のコンビニに行ったまま姿を消した。三谷はわずかな手がかりを追い、みはるの行方を追い続ける。小説家・佐藤正午のベストセラー小説の映画化。監督の竹下昌男は佐藤正午と20年来の友人だそうだ。
映画は概ね原作に忠実(だと思う。私が小説を読んだのは結構前なので、ちょっと記憶に自信が無いのだが)で、一つの謎がまた次の謎へ、というリレー形式で見る側を引っ張っていく。このあたりの面白さは、原作の良さを上手く活かしていたと思う。映画としてはかなり地味なのだが、原作の骨組みがしっかりしている所にかなり助けられている。冷静に考えると出来すぎな話なのだが、それを自然に見せているのは、ディティールの丁寧さと、町の情景の生っぽさ(実は隠し撮りを多用しているとか)だと思う。実在の場所ばかり出てくるので、「あっ、あそこだ!」的な楽しさもあった。
映画では、三谷の仕事の情景や職場の上司との関係も結構描かれていて、彼のキャラクターがより具体的になっていた。仕事はかなり出来るけれど、ちょっと迂闊で優柔不断。上司と揉めて部署移動させられたことに嫌気がさし、勢いで退職しそうになった所を後輩社員の鈴野木早苗(牧瀬理穂)に止められる。演じる原田泰造は映画初主演。発声が悪いのか録音が悪いのか、セリフが聞き取りにくい所が気になったのだが、良くも悪くも普通な、少々情けない男の役にははまっていたと思う(なんとなくいやらしい感じがするのがちょっと気になるのだが・・・)。
最近の日本映画としては悪くないが、個人的にはあまりピンとこない話ではあった。これは原作小説を読んだ時にも思ったのだが、登場人物達の心理が私にとってはよく分からないのだ。そもそも、みはるの失踪する理由というのが、別にわざわざ失踪することなかったんじゃない?という気がしたので。それに、何も告げずにいなくなる(別に言えない状況でもなかったと思う)のは、相手に対してとても失礼なことだと思うのだが。それは「私のことを考え続けろ」という強制か?!と思ってしまった。
そして最後に、ある事実が判明する。これが恐い。いやー人間の妄執って恐い。そこまでやるかよー、と退くことこの上なしでした。正直、こういうタイプの人とは極力お近づきになりたくないなぁ・・・。偶然が重なってこうなったと思っていたのに、実は偶然じゃなかった部分もあったということに気づいてしまった三谷がどうするか。多分どうもせず、今までどおりの日常を受け入れていくのだろう。・・・でも今まで通りに振舞えるものなのかなぁ・・・。『ディボ−ス・ショウ』
愛よりお金・・・なのか?
天下の離婚大国アメリカ。離婚訴訟専門の弁護士マイルズ・マッシー(ジョージ・クルーニー)は百戦錬磨の腕利き。ある日不動産王のレックス・レックスロスが依頼に来る。妻・マリリン(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)が雇った探偵に浮気の現場を押さえられたのだ。しかし彼はショッピング・センターの新築計画の為首まで担保に漬かっており、慰謝料は1セントたりとも払いたくない。これを皮切りにマイルズとマリリンの仁義無き戦いが始まるのだった・・・。
監督・脚本のジョエル・コーエン、製作・脚本のイーサン・コーエンによる、コーエン兄弟としては初のラブコメ。「婚前契約」と言い離婚訴訟と言い、金・金・金でなかなかにえげつない笑いなのだが、今ひとつパワーが感じられなかった。コーエン兄弟にしてはめずらしく、映画としてはかなり演出過剰な感じなのだが、「バーバー」のようなコーエン汁が濃厚な作品に比べると、どうも薄味。しっかり楽しかったのだが、見終わった後にぱっと内容を忘れてしまいそうなライトさだった。もっとも、何度でも反復できそうなラストなので、これは意地が悪いといえば悪い。
何とかして慰謝料をゲットしようとするマリリンとマイルズの、お互いの裏をかきつつも徐々に惹かれていく様がおかしい。特にクルーニーは芝居っ気たっぷりなオーバーアクションで、何をやってもうそ臭い所がたまらない。彼が『オー!ブラザー』で演じたエヴェレットはいつも髪型を気にしていたが、今回演じるマイルズはいつも歯がきれいか気にしている所がコーエン流のギャグなのだろう。とりあえず彼の顔をみていればおかしいかな、という位。ゼタ・ジョーンズは相変わらずビッチ!な役が似合う。清楚ぶるのが全く似合っていないところがすごい。この主演2人の顔がかなり濃くて、2人一緒のショットが少ないのは、もしかしてくどくなりすぎるから?と思ってしまった。
個人的にはゼタ・ジョーンズの衣装に注目。普段は結構グラマラスな服装なのだが、裁判の時は「若奥様」ちっくなピンクのドレス(正直、あまり似合っていないと思う)。テキサスの石油王と登場する時にはウエスタン風味なカジュアルファッションと、ストーリーにあわせて衣装が変わる。しかし、彼女一人でいるときが一番ゴージャスな格好をしている気がするのだが・・・。ちなみに衣装担当は、『バーバー』『オー!ブラザー』でもコーエン兄弟と組んだメアリー・ゾフレス。使われた衣装のブランドはヴェルサーチやフェラガモなどだそう。