1月

『イン・アメリカ 三つの小さな願いごと』
 身近な人の死を乗り越えるのはこんなにも大変なのか。子役姉妹(実際に姉妹だそうです)の可愛らしさが救いになったが、この部分はずっしりと重い。サマンサ・モートンの熱演にも注目。
 アイルランドからニューヨークに移住してきたジョニー(パディ・コンシダイン)とサラ(サマンサ・モートン)夫婦。そして幼い娘・クリスティ(サラ・ボルジャー)とアリエル(エマ・ボルジャー)。ハーレムのボロアパートへ引っ越してきたが、売れない役者のジョニーには仕事がなく、生活は苦しい。そしてジョニーとサラは、幼くして死んだ息子・フランキーのことを忘れられず苦しんでいた。
 一家はフランキーという死者を抱え込んだまま生きている。しかし生きている人間が死んでいる人間とずっと一緒に生活していくのは辛い。ジョニーは今でもフランキーの姿を探し、名を呼んでしまうし、そんなジョニーを必死でサポートするサラも、妊娠をきっかけに情緒不安定になり、新しく宿した命がフランキーだと思い込んだりする。夫妻は娘達の前では、一生懸命楽しそうに振舞うのだが、長女クリスティは両親が無理をしているのに気付いており、それでも家族の為に見て見ぬ振りをする。家族が崩壊直前なのを、何とか繋ぎ止めようとする3人の努力がいじらしくも息苦しかった。クリスティの「私が一家を支えていたのよ」という言葉には、こんなこと言われたら、両親はいたたまれないだろうなぁと思う。自分達の苦しみで精一杯で、娘の苦しみにまでは気がついていなかったのだ。
 そんな一家と関わる様になるのが同じアパートに住むアーティスト・マテオ(ジャイモン・フンスー)。彼もまた苦しみを抱えているのだが、だからこそ一家に対して真摯に接する。ラストのある奇跡は出来過ぎな気もするが、あれがなかったら更に救いのない話になっていただろう。

『イン・ディス・ワールド』
 現在、世界には約1450万人の難民がおり、毎年1000万人が業者に依頼して密入国を試みている。そんな事実を背景に一人の難民少年の旅を描いた、マイケル・ウィンターボトム監督作品。2003年ベルリン国際映画祭金熊賞、エキュメニック賞、ピースフィルム賞受賞。
 パキスタンの難民キャンプで生まれ育ったアフガン人の少年・ジャマール(ジャマール・ウディン・トラビ)と従兄弟のエナヤット。2人は密入国業者に大金を払い、ロンドンへの密入国を試みる。パキスタンからイラン、トルコ、イタリア、フランスを経てイギリスへ、実に6カ国6400キロの旅だ。デジタルカメラを使い、余計なセリフや説明は全くない、ドキュメンタリー風な映画だ。カメラがジャマール少年の視点に寄り添っており、彼にわからない言葉は字幕に出ないし、何が起こっているのか彼にわからない部分は、映画を見ている側にも良く分からないところもある。なので、ジャマールと一緒に見ている側も不安を感じたり恐れたりと、緊張感がある。
 私は難民問題には全く詳しくないので、この映画を見ていて申し訳ないような気持ちになった。彼らが置かれている困難な状況、しかもそれが全く解決されそうもないという問題を感じさせられた。ジャマール少年を追うことで、観客にこの問題に少しでも関心を持ってもらえれば、という監督の思いが伝わる。ジャマールは両親はいないものの、難民キャンプで何とか食っていけていた。しかしそこには将来への希望はない。キャンプ自体、いつ閉鎖されるかわからない。ジャマールが死と隣り合わせの旅を続けるのは、ただただ自分で自分の将来を、生活を掴み取りたいからに他ならないだろう。ジャマールは好奇心旺盛で機転のきく、冗談好きな少年だ。下手をしたら死んでしまう(実際、死んでしまう密入国者の姿も描かれる)旅だが、明るく、強かに乗り越えていく姿はすがすがしい。(ついでに過酷な国境越えということで、「ジャーニー・オブ・ホープ」という映画を思い出した。これは一家がトルコからスイスへアルプスを越えて密入国する話だったが、あまりの過酷さに子供が死んでしまい、全く救いがなかった。)
 ジャマールを演じたジャマール・ウディン・ラビ少年は、実際にパキスタンの難民キャンプに暮らしていたところを、オーディションで採用されたそうだ。彼は映画撮影後、実際にロンドンへ亡命した。イギリスへの難民申告は却下されたが、特例として18歳の誕生日までロンドンで生活することが許されたそうだ。映画撮影で外の世界を見た経験が、本当に彼の人生を変えてしまったのだ。しかし18歳になった彼はどうなるのか。難民問題は解決しそうもない。何とも複雑な気持ちになった。

『ミスティック・リバー』
 「もしあの時〜だったら」と思うことは誰にでもあるだろう。しかし過去に戻ってやり直すことは絶対に出来ない。この映画を貫いているのはその「もしあの時〜だったら」という思いだ。
 ジミー(ショーン・ペン)、デイブ(ティム・ロビンス)、ショーン(ケビン・ベーコン)はボストンの下町で共に育った幼馴染だ。11歳のある時、遊んでいた3人に2人組の警官らしき男が声を掛ける。2人組みはデイブだけを車に乗せて走り去った。4日後、監禁されていたデイブが自力で戻ってくる。彼が何をされたかは言うまでもなかった。その日を境に彼らの少年時代は終わり、離れ離れになった。そして25年後。ジミーの娘が殺され、刑事となったショーンが捜査に当たることになる。そして捜査線上に上がってきた容疑者はデイブだった・・・。
 主演3人の演技はさすがに上手い。特にデイブ役のティム・ロビンスは、まるで普段とは別人のようで、過去に蝕まれていく弱気な男を見事に演じていた。監督はクリント・イーストウッド御大。さすがに上手く、完成度には唸らされる。原作に忠実でありながら、映画としてもストーリーに弛みがない。登場人物の内面に深く迫るというのではなく、彼らの動線、点と点との繋がりを、俯瞰図で捉えるように(実際、上空から見たシーンも多い)距離を置いて描いているので、見る人によっては冷たく硬すぎると感じるかもしれない。しかし冷たさを保たないと、見ていて相当しんどい話ではある。イーストウッドといえば、自分の正義を貫くオレ様的ヒーロー像を連想させるが、この映画ではそんなヒーローが持つ私的正義の限界も考えさせられた。
 もしショーンとジミーがすぐに誰かを呼んでいたら、もし3人で車に乗っていたら、もしデイブが事件の後すぐに町を離れていたら。彼らは毎度、間違った方を選択してしまう。間違いを二度と正せないやるせなさ、繰り返される悔恨は、見ていて息苦しさを感じるくらいだ。そしてそれがラストの悲劇に繋がっていく。ショーンは呟く、「これが全部夢だったら・・・」。しかし一番辛いのは、どんな悲劇が起きても日常は終わってくれないということかもしれない。ジミーとデイブの妻は、夫や子供たちとの日常を終わらせないためにある決断をする。その姿には凄みを感じる。ラストのパレードのシーンは一見明るいが、全く心温まるものではない。それぞれの思惑が交錯し、この後彼らはどうなっていくのだろうという重苦しさ・不安さを感じた。
 完成度の高い映画なのだが、難点は音楽の使い方のセンスが悪いこと。ここぞという盛り上がりそうなシーンで、いかにも盛り上がりそうな音楽を大音量で入れるので、却って白けた。ちなみに作曲はイーストウッド監督自身。餅は餅屋と言うけれどね。

『ハリウッド的殺人事件』
 新旧イイ男(?)がコンビを組んだ刑事ドラマもといコメディ。サスペンスにしては謎解きもカーチェイスも捻りがない。そもそもあまり刑事らしいことはしていないのですよ。
 映画の都でありアメリカ屈指の観光地・ハリウッドのとあるクラブで、人気HIP−HOPグループがライブ中に惨殺されるという事件が起こる。ロス市警のベテラン刑事ジョー・ギャビラン(ハリソン・フォード)と新人刑事K.C.コールデン(ジョシュ・ハートネット)は捜査を開始するが・・・
 この2人、刑事の他に副業(アメリカでは普通らしいです)をもっていて、どちらかというと副業の方にのめり込み気味。ジョーは不動産屋をやっているが、物件の買い手が見つからず、借金で首が回らない。対するK.Cは女の子にモテモテなヨガのインストラクターで実入りも良い。が、実は俳優志望。そういうわけで、ジョーは捜査中でも携帯電話片手で売却交渉にやっきになっているし、K.Cもオーディションの台本(「欲望という名の列車」というあたりが何とも)に夢中。果してジョーは契約を成立させられるのか?!K.Cのオーディションの結果は?!というよりもよく事件が解決したよな・・・
 犯人の動機には無理があるんじゃない?とか結局ジョーの財源って何だったの?とかマッコの罪状って何になるの?とか今時そのスタイルのラッパーはあまりにもそのまんますぎるぞ!とか様々な疑問・突っ込みが頭をよぎるが、まあ楽しい。まったりと時間を潰すには合格点な映画だと思う。予告編を見た時に、音楽といい映像のセンスといい、予告編とはいえダサい・・・と思ったのだが、あらびっくり。映画全体がそんな感じだった。でもそのダサさが可愛らしくて良いんじゃないかと。
 話自体は大味だが、フォードとハートネットのお茶目なやりとりが中々。冒頭の射撃練習シーンを始め、ハンバーガーの中身や携帯電話反復ギャグ等の小ネタで笑わせてくれる。ピンクの自転車で爆走するハリソン・フォードというレア(笑)な絵もある。ハリウッドの名所の数々が出てくるので観光案内のような楽しさもあった。
 ちなみにジョーとK.Cのキャラクターは、実際にロス市警の刑事だった人物が脚色している。だから仕事二股は現実にあり、俳優を目指す若手刑事も大勢いるとか。それでいいのかロス市警!(笑)

『10ミニッツ・オールダー イデアの森』
 16人の監督が10分の短編映画を撮った。’02年ヴェネチア国際映画祭特別招待作品。’03年東京国際映画祭特別招待作品。上映時間の都合上、2部に分けての上映となった。まずは『イデアの森』を。全体的に哲学的な作品が多かった。各短編の間に挟まれる、チェロによるテーマ曲が美しい。

 「水の寓話」
 インドの寓話をベースに、ベルナルド・ベルトリッチ監督が描く男の半生。イタリアに来た異国の青年が、老人に頼まれて水を汲みに行く。途中でイタリア人女性と会いそのまま結婚。やがて時がたち・・・
 モノクロの画面で、若者にとっての数年が老人にとっての数時間であったという不思議な話を描く。映像は美しいが、なぜこの素材で?という物足りなさも。

 「時代×4」
 4分割されたスクリーンのそれぞれのコマで、1人の男の異なる記憶が再生される、マイク・フィキス監督作品。4つの時間は微妙に重なったり離れたりする。記憶の不連続性を表現しているのだろうが、あまり効果的とは思えない。ちょっとアイディア倒れな感じ?

 「老後の一瞬」
 イジー・メンツェル監督が、30年近くの交流があった老優ルドルフ・フルシンスキーの人生を10分に凝縮した。いくつかの映画から抜粋されたフルシンスキーの姿は、青年から中年、老年まで様々。この青年がこのおじいちゃんに・・・と思うと何か感慨深いものが(笑)。生真面目そうな顔と思ったら、通りがかりの女性にキスしてみようとするなど、お茶目な一面も。

 「10分後」
 日本では近年、レイフ・ファインズ主演「太陽の雫」が公開されたイシュヴァント・サボー監督作品。裕福そうな家庭で昼食の準備をしている女性。しかし帰ってきた夫はかなり酔っ払っている・・・。わずか10分で、平凡な主婦の人生ががらりと変わってしまうという皮肉なストーリー。映画内の時間も実際に10分で、スリリングだった。

 「ジャン=リュック・ナンシーとの対話」
 「ガーゴイル」のクレール・ドゥニ監督作品。哲学者であるジャン=リュック・ナンシーと若い女性との電車内での議論。ジャン=リュック・ナンシーは、心臓移植を受け、他人の心臓で生きている自分を省み、他者と自分の関係を模索し続ける、実在の現代フランスを代表する哲学者だそうだ。フランスにおける外国人住民についての会話は、ちょっと難しい。

 「啓示されし者」
 「ブリキの太鼓」でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した、フォルカー・シュレンドルフ監督作品。哲学者アウグスティヌスの「告白」を原典に、キャンプをしている一家を追う。ごく普通の一家だが、妊娠している娘がボーイフレンドを連れてきたものの、仲がしっくりいっておらず、不穏な空気が漂う。他の家族も何かぎこちない。この情景が何と蚊の視点で、蚊のモノローグで綴られる所がユニーク。

 「星に魅せられて」
 マイケル・ラドフォード監督作品は何とSF。80光年の旅を終えて帰還した宇宙飛行士。地球は西暦2146年だが、彼の体は10分間しか年をとっていなかった。SFではよくあるストーリーを、オーソドックスに、しかし丁寧な演出で、父と子の悲しい再会を描く。時間の残酷さ、運命の悲しさを感じさせる、王道的作品。捻りはないが、悲哀に満ちたクールな質感が個人的には好み。

 「時間の闇の中で」
 トリはジャン・リュク・ゴダール監督作品。監督の過去の作品の他、オパゾリーニの「奇跡の丘」や第二次大戦中の映像などのモンタージュで「愛」「歴史」「静寂」等、10のエピソードの「最後の瞬間」を映し出す。・・・やっつけ仕事?・・・とつい思ってしまった(笑)。とりあえずローコストではある。

『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』
 こちらは「イデアの森」よりは、ドラマ性がはっきりとしている作品が多かったように思う。こちらはテーマ曲がトランペットによるジャズ風アレンジ。かっこいい〜。サントラCDが欲しくなった。ただ、やはり10分で作品をまとめるのは難しいのか、「イデア」でも「メビウス」でも、ものすごく面白い作品というのは正直なかった。ただ、この監督はこういう作風なんだなーという様な、見本市的な面白さはあったかなと思う。

 「結婚は10分で決める」
 アキ・カウリスマキ監督が「過去のない男」で組んだカティ・オウティネンとマルク・ベルトラ主演で撮った。留置所から出てきた男がモスクワに行こうと決心し、女にプロポーズしてモスクワ行きの列車に乗る。この間リアルタイムで10分。相変わらずそっけないし皆無表情なのに、何か後を引くものがある。バンド演奏も健在。

 「ライフライン」
 「ミツバチのささやき」のビクトル・エリセ監督が、「マルメロの陽光」以来実に10年ぶりに撮った新作。ベッドで寝ている新生児の腹のあたりに血の染みが滲む。周囲の人々はいつ気付くのか・・・。静かで淡々としているが、第二次大戦前という時代設定と相俟って、徐々に不安が広がっていく。とても静かな作品。

 「失われた一万年」
 昨年「神に選ばれし無敵の男」が公開された、ヴェルナー・ヘルツォーク監督作品。ブラジルとボリビアの国境付近・アマゾンのジャングルに’81年まで住んでいた少数民族・ウルイウ族についてのドキュメンタリーだ。彼らは外の人間が持ち込んだインフルエンザや水疱瘡で、わずか1年で死に絶えた。正直、10分でこの題材は勿体無い。もっとじっくり見たかった。

 「女優のブレイクタイム」
 ジム・ジャームッシュ監督の作品は、いかにも監督らしい。女優(クロエ・セヴィニー)の10分の休憩時間。恋人と電話しながらメイクを直し、打ち合わせし、ゆっくり休む間も無く休憩が終わる。モノクロ画面にレトロな衣装のセヴィニーが現れると、まるで昔のハリウッド映画の様だが、携帯電話の登場で現代の話だと分かる。独特のクールな雰囲気がある。

 「トローナからの12マイル」
 ロードムービーと言えばこの人な、ヴィム・ヴェンダース監督作品。砂漠を車ですっ飛ばす男。ドラッグが入ったクッキーを、間違って大量に食べてしまったらしいのだ。早く胃の洗浄をしないと・・・。やたらと長い10分というシチュエーションを、ドラッグを飲んだような、見ている方の頭がグラグラしそうな映像で描く。映像がやや野暮ったいが、なかなか纏まりは良く、後味もすっきり。

 「ゴアVSブッシュ」
 スパイク・リー監督作品は、’00年11月の大統領選で破れたゴア陣営を取材したドキュメンタリー。あの泥沼戦には、こんな一面もあったのだ。これまた10分ではもったいない面白さ。無理矢理この長さにしたことで、見方が一面的になってしまっているのは残念。

 「夢幻百花」
 名匠チュン・カイコー監督作品。フェン(フェン・ユエンジュン)なる男に呼び止められた引越し屋達は何もない空き地に連れて行かれ、引越しを始めろと言われる。困った彼らは架空の荷物を運ぶ振りをする。男にしか見えない世界が、一瞬アニメーションで描かれる。が、このアニメーションがあまり出来が良くない。作りようによってはもっと幻想的になったのに、勿体無い。が、引越し屋達の荷物を運ぶ振りがユーモラスで、ストーリーもはっきりとしていて楽しい。

『シービスケット』
 大変良い映画です。以上。
 ・・・いやいやいやそれはないだろうよと皆さん思うであろう。が、あまりにまっとうに良い映画なので、他に言うことが見つからないのですよ。久々にハリウッドの良心を見た感がある。  1929年、アメリカは大恐慌時代に突入する。自動車会社で財を成した富豪・ハワード(ジェフ・ブリッジス)は、幼い息子を自動車事故で亡くし、妻にも去られ、失意の日々を送っていた。開拓時代が幕を閉じ、天才的な調教師であるものの時代遅れのカウボーイとなったトム・スミス(クリス・クーバー)。一家離散を経て、草競馬のジョッキーとして生計を立てているレッド(トビー・マグワイア)。この3人と小柄なサラブレッド・シービスケットが奇跡的な出会いをする。
 実話に基づいたストーリーなのだが、出会いの奇跡というものがこの世にあるのかと思わせられた。ハワードの財力と聴衆を引き付ける弁舌、スミスの馬に関する知識、そしてレッドのガッツと才能、そして競走馬としては圧倒的に不利な体格だが負けん気の強いシービスケット。このどれかが欠けても、奇跡的な記録は残らなかっただろう。シービスケットもレッドも怪我でリタイアを余儀なくされたにも関わらず、それを克服してカムバックしてきたということがまた凄い。フィクションとしては出来過ぎなノンフィクションなのだ。
 ハワードは息子を亡くしているし、スミスは自分が時代遅れだと自覚しつつも、次代に迎合する気にはなれない。レッドは騎手としては背が高すぎるし、実は視力にハンデを抱えている。何らかの欠落を抱えた人々が、(ハワードの妻も加えて)次第に疑似家族的な絆を築いていく様子に心が温まった。そしてハワード夫妻とレッドの関係は、失われた親子関係をやりなおそうとするものであるとも言えるだろう。
 登場人物たちの造形が皆良い。ハワードは口が上手く宣伝上手。シービスケットがここまでスターダムになれたのは、時代背景はもちろん、彼の弁舌の上手さが一因だったと思う。そしてレッド。映画の中では詳しくは描かれないが、結構豊かな、教養のある家庭で育ったらしい。少年時代、両親と別れる時に、父親が枕カバーに彼が親しんだ本をぎっしりと詰めて渡す。ディケンズ、シェイクスピア、そしてくまのプーさん。本好きならば涙なくしては見られないシーンだ(このシーンはどうやらフィクションらしいですが)。また、脇を固める人たちも良い。ハワードの後妻や黒人の使用人は、セリフは少ないものの、確かな存在感、温かみがある。そして出てくる度にニヤニヤしてしまう、競馬場のディスクジョッキー。更にレッドの先輩でありライバルである騎手「アイスマン」・ウルフ(ゲイリー・スティーブンス。彼は実際に騎手である)は、ちょい役かと思いきや、最後の最後までかっこいい所を見せてくれる。悪人や嫌な奴が一切出てこない、今時珍しい快作。強いて難点を言うなら、素直に良い話すぎて、尾を引かない所か。
 それにしても、当時の競馬観客の盛り上がり方が凄い。将来に希望がなかった時代に、人々はハンデを抱えつつ勝ち続けた馬に熱狂した。シービスケットは単に走っただけであるのだが、その姿が人々にとっては「負けない」「立ち直った」姿に見えた。そこに「人は(馬も)もう一度やりなおせる」という物語を読み取り、その物語が人々を勇気付けたわけだ。人は物語を求めずにはいられないのだろうか。

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