10月

『ノックアラウンド・ガイズ』
ブルックリンで生まれ育ったマッティー(バリー・ペッパー)は就職活動中だが、どの会社からも不合格通知が。というのも、彼の父親ベニー(デニス・ホッパー)はブルックリンを牛耳るマフィアで、父親の手先だと思い込まれてしまうからだ。それじゃあマフィアとして成功してやる!とばかりに父親を何とか説得し、大金の回収を任される。パイロットの友人ジョニー(セス・グリーン)に金の受け渡しを頼むが、金の入ったバッグが行方不明になってしまう!実はこの金、ベニーが大ボスへ返済する為のものだった。48時間以内に返済しないと父親が殺されてしまう!マッティーは従兄弟のクリス(アンドリュー・ダヴォリ)、幼なじみのテイラー(ヴィン・ディーゼル)と共に、バッグがなくなった場所・モンタナ州の小さな町・ウイボイへ向う。果たして彼らに起死回生のチャンスは?
 大金を追いかけてのドタバタ活劇なのかと思いきや、意外と地味かつシリアス。ギャングものと聞いて想像するような、派手な銃撃戦やアクションは殆どない。マフィアのボスであるベニーも、いかにもマフィア、という感じではない。マフィアの描写が地に足がついている感じというか、実際はこんな感じなのかなーという所をうまく出していると思う。
 そもそも、主人公のマッティー達はごく普通の青年。特別に頭が切れるわけではないし、銃の扱いにも喧嘩にも不馴れだ。テイラーだけは腕っ節が強く、他の3人よりも頭は切れる。しかしそれも超人的なものではなく、ケンカが強くそこそこ度胸があるという程度のもの。この青年立ちの普通な頭の悪さ、小心さが妙にリアルだ。マフィアとは言っても彼らは二世。父親世代の様に肝が据わっていないし、どちらかといえば堅気寄りの生活をしてきた。実はマッティー自身、自分はマフィアには向いていないという自覚があるのだ。しかし父親との関係がある以上、社会的には堅気とは見なされないし、父親の期待にも応えたい。このあたりのジレンマが、二世ってのも大変ね〜と妙に現実的だ。 マフィア映画であると同時に、大人に変わりつつある青年を描いた青春映画とも言えるかもしれない。派手さは全くないし、どう見ても低予算だが、中々面白く後味も悪くない。4人のゆるーい感じの、腐れ縁的絆が良い。
 脇役にデニス・ホッパーやジョン・マルコビッチ(ベニーの右腕・ティディー)とキャストは微妙に豪華。主演であるかのように宣伝されているヴィン・ディーゼルは主演ではない。この映画製作当時、彼はまだブレイクしていなかったんですねー。「トリプルX」はこれの後に作ったらしい。ちなみにブレイク前のディーゼル出演作には、「ピッチブラック」という低予算ながらも良心的なSFスリラーがあるので、こちらもお勧め。

『リーグ・オブ・レジェンド』
 言うなれば後楽園遊園地にレッド大集合。もしくは歴代ライダー夢の共演。そんなショーン・コネリーのアイドル映画である。え?違う?でもそれ以外に見所が見つからなかったよ。コネリー御大、年取ったなー。
 時は1988年、英米の有名小説の主人公が終結し、悪と戦う。探検家、原作はアメコミだそうで、正にマンガ的世界だ。ストーリーも設定も大味この上ない。そもそもあんな大きさの潜水艦では当時のロンドンの港に横付けできるわけない!更にベニスの細い水路に入るなんて無理!つっかえちゃって角曲がれないから!キャデラックで尾道走るようなもんだから!ついでに言っておくと、ベニスのカーニバルの時期は冬だよ!夏じゃないよ!という感じで、突っ込み所は多々ある。
 話の展開がスピーディー(唐突とも言う)なので、それほど退屈はしない。しかしヒーローをそろえた割には、それぞれのキャラクターが掘り下げられていないので勿体無い。所で、透明人間や吸血鬼はともかく、ドリアン・グレイやネモ船長の現在の知名度は、どれくらいなんだろうか・・・。本好きの人にはすぐ分かるだろうが、そうではない人や小さい子どもには分かるのかなぁ。映画自体は結構子供向けを意識していただけに、客層をどのへんに絞っているのか微妙な感じなのだが・・・。ラストは続編を意識した作りになっているが、このネタで2作目作られてもな・・・。

『マッチスティックメン』
 この作品は感想を書くのが難しい。オチが分かってしまうと、見ている間しらけっぱなしになってしまうだろう。
 自称「詐欺アーティスト」ロイ(ニコラス・ケイジ)は、小さい詐欺をこつこつと続ける堅実派(?)犯罪者。そして重度の潔癖症である。見かねた相棒・フランク(サム・ロックウェル)はカウンセラーを紹介する。カウンセリングを受けるうちに、ロイは分かれた妻との間に生まれたはずの、会ったことのない娘・アンジェラ(アリソン・ローマン)のことを思い出し、彼女に会いに行く。生まれて初めての父親気分に戸惑いながらも喜びを感じていくが・・・
 ロイの潔癖症は徹底しており、カーペットの染みや縺れを見て過呼吸を起こす(ロイが口に紙袋を当てているシーンがあるが、あれは多分過呼吸発作を起こしているのだと思う)ほど。それが、アンジェラが自宅に居座るうちに、散らかっていたり汚れたりしていても大丈夫になってくる。普段はツナの缶詰しか食べないのに、慣れない料理をしてみたり、デリバリーのピザを取ってみたり。ロイの潔癖症やチック症状が、アンジェラと過ごすうちに治まっていく様子は微笑ましい。これは父娘の絆の回復を描いたホームドラマなのか・・・と思うものの、そうは問屋がおろさない。ラストまで目を離さぬ様。
 正直、あたふたとして相手のペースに巻き込まれるロイと、わからずやですぐ泣くアンジェラにイライラしていたのだが、オチがこれなら納得。独り者だったオヤジが若い女の子にメロメロになって翻弄される話、というと実も蓋もないのだが。まあ、終わり良ければ全て良し。最後の最後のシーンにはやっとそうなれたか!とちょっと嬉しくなった。
 私、実はリドリー・スコット監督の映画は苦手である。くどいから(笑)。しかし今作はリドリー汁は薄目で、軽快な面白さがあった。「絶対騙される」と宣伝していたが、何となく、どういうふうにどんでん返しになるか(というより、ストーリー上あれ以外の反転は考えにくい)は分かってしまった。しかしとても上手くできた、細部まできちんと詰めた映画を見た感じがした。原作は『さらば愛しき鉤爪』が日本でも好評だったエリック・ガルシア。

『戦場のフォトグラファー ジェームズ・ナクトウェイの世界』
 戦争写真家として、20年にわたって戦地に赴いている写真家・ジェイムズ・ナクトウェイを追ったドキュメンタリー映画。小型デジタルカメラをナクトウェイのカメラに取り付けたことで、より彼の視点に近づいている。ナクトウェイの業績をうたいあげることなく、彼の内面まで掘り下げることに成功した秀作。ぜひ多くの人に見て欲しい。
 ジェームズ・ナクトウェイはロバート・キャパ賞を始め、数々の賞を受賞しているが、ご本人は物静かで、ジャーナリストというよりは大学の先生や哲学者の様。彼の写真を見ると、被写体との距離の近さに驚く。戦争で家族を亡くして泣き崩れる人々や、大怪我をして救急車に運び込まれる人々。状況が状況だけに、写真を撮ろうと近づいたら拒絶されたり、逆上されたりしそうなものだが。しかし映画を見ていると、ナクトウェイと被写体となる人々の間に、きちんと信頼関係があることがわかってくる。ナクトウェイは「私が部外者ではないから写真を撮らせてくれるのだ」と言う。そして、相手に敬意を持つことが一番大切だと言う。そうしないと受け入れてもらえないのだと。
 「何故戦場で冷静でいられるのか」という質問に対しては、「必要だからだ〜冷静でない戦場カメラマンは無用だ〜そのかわり、全ての感情をカメラに注ぎ込む」と答える。彼は、戦場の現実を写真に収め世界に伝えることで、戦争を抑止できると信じていると言う。そして戦場にいる人々も、自分たちが置かれている現実を、外の人達に知って欲しいと願っていると言う。ナクトウェイの戦いはあまりにも道が険しく、理想論の様にも思える。まるでドン・キホーテか苦行僧かという感じだ。しかし、そのオプティミズムが彼の力になっているのだろう。悲惨な状況の写真を撮り続けても、ニヒリズムに陥らずにいるというのはすごいと思う。
 私が一番気になっていたのは、戦争写真を撮り続けることは、同時に誰かの不幸を商売にすることになる。写真家はそのジレンマとどう折り合いをつけているのかということだった。ナクトウェイはこのように話す。「写真家として最も辛いのは、他の誰かの悲劇で得をしていると感じることだ。この考えは常に私につきまとう。個人的な野心を優先すれば、魂を売り渡すことになる。人を思いやれば人から受け入れられる。その心があれば私は私を受け入れられる」。

『ウォー・レクイエム』
 故・デレク・ジャーマン監督の1989年の作品。セリフやはっきりとしたストーリーはなく、作曲家ベンジャミン・ブリテンの曲「戦争レクイエム」と、詩人ウィルフレッド・オーエンの詩の世界をイメージした映像で構成される。イギリスでは「ヴィジュアル・オペラ」と呼ばれており、高い評価を得た。日本では初公開となる。デレク・ジャーマンは画家であり詩人であり舞台美術家だ。独特の映像美の世界を築いたが、1994年にエイズで死亡(享年52歳)。
 本作では、第一次大戦に出征し、若くして死んだ詩人ウィルフレッド・オーエン(ナサニエル・パーカー)、従軍看護婦(ティルダ・スウィントン)を中心に、戦場が描かれる。古今東西の戦争映像がコラージュされており、生々しく死屍累々状態なので、正直、エンターテイメント的には決して面白い映画ではない。が、ジャーマンの力技的演出というか、この映画に込めた情念のようなものに圧倒された。テーマははっきりと「反戦」そして「鎮魂」である。監督自身は、エイズで死んでいく友人達と兵士たちとをダブらせている所もあったという。それはちょっと強引な気もするが、理不尽な死に対する怒り、不本意に死んでしまった人達に対する鎮魂の思いは共通だろう。この映画を見た後は、戦争をしたいという気にはまずならないと思う。
 冒頭、老兵士役で名優ローレンス・オリビエが出演しており、本作が遺作となったことでも評判になった。また、『ロード・オブ・ザ・リング』で知名度の上がったショーン・ビーンがドイツ兵士役で出演している。まだ若くてかっこいいです(いや、今もかっこいいけど!)。

『夕映えの道』
 パリ20区ルトレ通り。会社を経営している中年女性イザベル(マリオン・エルド)は、偶然近所の老女マド(ドミニク・マルカス)と知り合う。一人暮らしのマドをなぜかほおって置けなくなったイザベルは、何かと世話をやく。最初は嫌がっていたマドだが、徐々に二人の間に絆が生まれていく。
 イザベルのマドへの世話の焼き方は、最初はちょっと立ち入りすぎなんじゃないかとも思った。最初に家まで送ってあげるのはともかく、その後もマドの家に通う動機付けが、ちょっと弱いような気がする。なぜ放って置けなかったのだろう。
 原作小説(残念ながら、私は未読です)では、イザベルには年老いた母親がいることになっており、母親の世話をしていない罪悪感から、マドの世話をするようになるという面もあるそうだが、映画ではそういった背景は描いていない。イザベルは多分マドの姿に、自分にも来るであろう老いの姿を見たのかもしれない。マドと付き合うことで、自分の年齢とも向き合っていたのではないだろうか。彼女にとってマドの世話は、最初は自己満足的な行為だったのかもしれないが、次第にマドという人物自体に興味を持ち、理解しあいたいと思うようになったのではないか。
 マドという女性はとても意固地で、イライラさせられる。イザベルが呼んだヘルパーや医者を拒絶してしまうし、イザベルには我が侭ばかり言うし、自分のやり方を頑として変えない。後々分かってくるのだが、マドはずっと一人で暮らしてきていた。誰かを頼ることなど出来なかったのだろう。イザベルは、マドにとって初めての頼っても良い人だったのかもしれない。二人が寄り添って歩いていくラストシーンには、年齢を越えた繋がりを感じる。
 映画は非常に淡々としていて、ともすると眠くなりそうなのだが、全然眠気を感じなかった。マドの生活には「老い」というものがありありと描かれていて、他人事とは思えない切実さがあったのだ。歳を取った時に一人だったら、私もこういうふうになるんだろうかと、ちょっと身にしみるものがある。
 この映画製作には資金難が続き、予算を切りつめての撮影だったそうだ。イザベルの部屋は、イザベル役の女優エルドが実際に生活している部屋だし、サントラを演奏しているのは監督ルネ・フェレの友人。イザベルの年下の恋人役は監督の息子。オーディションで選ばれた役者はマド役のマルカスのみだそうだ。撮影もデジタルカメラで行われた。しかし、チープさを感じさせない、豊潤な作品になっている。監督のセンスはもちろん、舞台にパリを選んだのも勝因か。原作ではロンドンだったのを変更したそうだ(監督の自宅の近所で撮影しているそうだ)。やはり絵になる町だと思う。

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