6月

『めぐり合う時間たち』
 「時間たち」とは妙な言い方だと思っていたが、映画本編を見て納得。原題は「Hours」。どうしても時間「たち」にする必要があるのだ。凹んでいる時にはお薦めできない、重さと密度がある。
 1923年、作家ヴァージニア・ウルフは、小説『ダロウェイ夫人』の執筆に取り掛かっていた。1949年、主婦ローラは夫の誕生日を迎えていた。そして2001年、編集者のクラリッサは詩人チャールズの文学賞受賞パーティーの準備に追われていた。時代も立場も異なる3人の女性の人生が交錯し、絡み合う。
 映画はウルフの入水シーンから始まり、冒頭から畳み掛けるような映像で、更に音楽が緊迫感をあおる。映画全編を通して緊張感があり、息が詰まるような感じがする。3人の女性は皆、人生の岐路に立っており、その不安感が映画を見ている側にも伝わってくる。ウルフは精神のバランスを崩して田舎で療養中。ローラは平凡な主婦として生活しており、幼い長男に続いて二人目の子供を妊娠中。しかし平和な生活に違和感をもっており、言動はどこか不安定だ。クラリッサの友人でありかつての恋人でもあるチャールズはHIVに感染している。クラリッサは彼に「僕は君の為に生きてきた。もう楽になりたい」と言われて動揺する。
 そして彼女達全員に死がまつわりついている。ウルフは周知の通りに入水自殺するし、ローラは今の生活に耐え切れず自殺を考える。そしてクラリッサの目の前でチャールズはアパートの窓から飛び降りる。彼女ら、彼が死へと向かうのを、誰も止めることが出来ない。ウルフには彼女を愛し、尽くしてくれる夫がいる。ローラには幼い子供がいる。この子供が車で去るローラに「ママ!」と叫び続けるシーンは痛々しい。ローラも心を痛めているにも関わらず、そこから立ち去る。夫の愛、子供への愛さえも彼女らを引き止められない所に、人間の難しさを感じた。
 アカデミー賞を取ったウルフ役のニコール・キッドマンは付け鼻を付けての奮闘。しかし一番凄みを感じたのはローラ役のジュリアン・ムーアだった。子供や夫に対してもどこか上の空で、最後にはある決断にいたる。その結果「怪物」とまで言われるのだが、それでもその決断に対して後悔はしていないのだ。世の既婚男性はローラに注目。こういう女性は多いと思う。

『少女の髪どめ』
 「運動靴と赤い金魚」、「太陽は僕の瞳」等の名作を撮った、イランのマジッド・マジディ監督の最新作。 青年ラティフ(ホセイン・アベディニ)は、建築現場で買出しやお茶くみをしている。ある日、アフガン難民の少年ラーマト(ザーラ・バーラミ)が同じ現場で働くことになった。ラティフは楽な仕事をとられてしまって面白くないので、何かと彼につっかかる。しかし、ラーマトは実は女の子だった。怪我をした父親の代わりに、変装して働いていたのだ。
 ラティフは短気で喧嘩っ早く、お調子者でちょっと粗野な所のある青年だ。しかし、ラーマトが女の子だと分かるなり、急にめかしこんでみたり、彼女の姿を遠くから見つめたりと、分かりやすい片思い状態に。あまりに安易なんじゃないの?と普通なら思うところだが、この映画ではそれが不自然ではない。ラティフ自身が自分の感情が何であるかわかっていない所が微笑ましく、この状態を自然なものに見せているのではと思う。
 これは恋愛映画というより、片思い映画と言った方が正しい。ラティフは一途に彼女を思う。アフガン難民であるラーマトが調査官に捕まりそうになると身体をはって助けたり、自分のIDカードを売って作った金を彼女の家族に届けたりと、自分を犠牲にして尽くす。正直、彼の行動は愚直だし、一歩間違えればストーカーだ。第一、彼と彼女の間には全く会話がないのだ。しかし、彼女を思うことで、彼の粗野だった部分が影をひそめ、繊細な、他人を思いやる心が表れてくる。 ラーマトの本名はバラン。雨という意味だ。そしてラーマトとは恵みという意味。彼女はラティフの心に、恵みの雨を降らせてくれたのだ。
 この映画は、あの9.11以降に公開された。イスラムへの誤解と偏見が渦巻く中、この映画は誤解を解き、イランにおけるアフガン難民のイメージを変えもしたそうだ。マジディ監督は「愛にはあらゆる境界線を越える力があります。世界が戦争ではなく、愛によって支配される日を夢見ようではありませんか」(映画パンフレットより)とメッセージを送ってきている。理想論だ。が、愛によって人間は変わることができるのかもしれない。ラティフが変わったように。

『マトリックス・リローテッド』
 まだやるの!?なマトリックスの続編。とりあえず皆さん強すぎ。強さインフレ状態。ド●ゴンボールも北●の拳も真っ青。ネモ(キアヌ・リーブス)はいよいよスーパーマン化してきている。飛行姿もスーパーマン(ちゃんと仲間に突っ込まれていますよ!)。
 ストーリー的には、とりとめもないというか、無駄に長いというか、正直やる気はそれほど感じられないのだが、このシリーズの場合それでOK。監督も、はなっからストーリー展開で盛り上げようていう気はないのでは。「ありえねぇ!」連発の格闘シーンに加え、今回はド派手なカーチェイスをみせてくれる。何と高速道路を実際に作っての撮影だそうだ。そして今回ちょっと拘っているらしいのが、震動の表現。ネモが空を飛ぶ前に離陸するときの足元に大気の波紋ができたり、トラックが正面衝突した時には超スローモーションで荷台部分が衝撃によって蛇腹状になる所まで作り込んでいる。もちろんワイヤーアクションも健在。気体化してあらゆる攻撃をかわすツインや、大量のコピーを投入してくるエージェント・スミスらの敵の戦いっぷりも見もの。 つまりそういう所を楽しむ映画なわけで、話云々という批判にはあまり意味がないと思う。
 監督は、このマトリックスというネタを思いついた時、「これだ!」という感じがあったのでは。この世界の中でなら、どんなに無茶なアクションもメカも設定も、理由づけする必要がないのだから。やりたいことが全部この作品の中で出来るのだ。しかも物語としては枝葉、別バージョンを無数に生み出すことが出来る。DVD発売されたアニマトリックスは、その試みの第一弾では。秋には完結編公開予定で、今回は収束に向けての前フリ段階といった所。様々な伏線やキーワードを残したまま次回へ続く。でも延々と続けられそうな話ではあるのよね。

『NARC』
 トム・クルーズも製作総指揮に名を連ねている、本格刑事ドラマ。監督のジョー・カーナハンはこの作品が認められ、「MI3」の監督に大抜擢されたとか。骨組みのしっかりした作品に仕上がっている。
 麻薬取締りの潜入捜査官・ニック(ジェイソン・パトリック)と殺人課の刑事・ヘンリー(レイ・リオッタ)が、刑事殺しの真相に迫る。冒頭から画面がグラグラするような犯人追跡で始まる。ミステリとしても、かなり見せてくれる(オチが見えつつ、ラストでもう一回転してくれる)が、何よりも、捜査官達の葛藤や情念がきちんと描けている。ニックは追跡中の犯人を狙撃した時に、人質にとられていた妊婦に流れ弾が当たり、流産させてしまう。危険な麻薬取締官の仕事に嫌気がさし、一度は退職を考えるものの、再び事件解決にのめりこんでいく。妻は、そんな彼を心配し、やがて「もうついていけない」と漏らすようになる。2人の間には幼い子供もおり、お互いに確かに愛し合っているのに、理解し合えない。またヘンリーは後輩刑事を殺され、暴走し始める。そして2人は真相に近づいていったかのように見えるが・・・
 刑事ドラマではお約束な、家族と仕事の板ばさみ、上層部との方針の不一致、組織内部の腐敗等の問題がてんこもり。ニックが妊婦に弾丸を当ててしまった件に関して、何度同じ事態になっても、同じ行動を取るだろうと語る所が印象的だった。職務に忠実であるのに(仕事事態は社会正義の側にあるのに)、社会的には非難される。また、家族との絆も失っていく。このもどかしさが何とも言えない。
 硬派な、漢気溢れる作品。脚本の出来が良いので、一部でしか公開されなかった(しかも短期間)のが残念。パンフレットさえ作ってもらえなかったなんて・・・。確かに地味な作品ではあるのだが、秀作。

『メラニーは行く!』(ネタバレです!)
 メラニー(リーズ・ウィザースプーン)は、新進気鋭のファッションデザイナー。世間での評判も上々。しかも恋人はニューヨーク市長の息子アンドリュー(パトリック・デンプシー)で、プロポーズもされてしまった。幸せいっぱいのメラニーだが、一つ問題が。実は彼女、故郷アラバマに未だ離婚の成立していない「夫」ジェイク(ジョルジュ・ルーカス)がいたのだ!
 理想的な恋人がいながら、幼馴染の元カレにも惹かれる、さあどっちにする?!というストーリー。王道ゆえラストも想像通りで、元カレとよりが戻るということになる。しかし個人的には納得いかない!メラニーとジェイクは10代で結婚したが、メラニーは流産したことにショックを受けて家出。婚姻関係はうやむやになっていた。まあこのあたりは、ちゃんと説明されていると思う。しかし、その後2人は7年間会っていないのだ。再会すると、お約束どおり喧嘩しつつも惹かれ合うわけだが、何年も会っていない相手に数日会っただけで、今更心が揺らぐだろうか。揺らいだとしても、それは思い出に引きずられているだけで、今現在の彼が好きということにはならないのでは。結局「あの頃の自分」に戻ってみたいだけのような気がするのだ。
 そしてジェイクが7年間もメラニーを思い続けていたというのには、更に「ありえねぇ!」コール。実は彼は、メラニーの後を追って、一度はニューヨークを訪れている。しかし大都会に圧倒されて、アラバマに帰ってきてしまうのだ。その後、負けてはいられないと一念発起して事業を起こし、そこそこ成功しているのだが、それもメラニーを思っているからこそ。・・・じゃあ最初にニューヨークに来た時に連れ戻せよ!今更何言ってるんだよ!
 更に、現恋人のアンドリューが素敵に良い人過ぎ。優しくて知的で彼女にゾッコン。しかもハンサムでお金持ちで社会的地位もあって、どう考えてもジェイクより条件良いぞ。最後の最後、結婚式中にメラニーに「ごめんなさい」されても怒らないんだよ!許しちゃうんだよ!怒っとけ!結婚式の途中キャンセルってめちゃめちゃお金もったいないぞ!別の見方をすると、愛は育ちの違いを超えられないという話なのか?とすると、妙に現実的ではあるが。
 そんなわけで、久々にむかっ腹の立つ映画だった。・・・単にジェイクが私の好みじゃなかったという話なんですが。何より、故郷を捨ててまでして仕事で成功したのに、何で又「やっぱり故郷がいいよね」ということになるのか。潔くないぞ。

『ホテル・ハイビスカス』
 「ナヴィの恋」が大ヒットした中江祐司監督の、沖縄発・新作。今回の主人公は、小学3年生の少女・美恵子(蔵下穂波)。おてんばどころではないパワフルさで、同級生の男子を連れてキジムナー狩に行ったり、出稼ぎに行った父親を追いかけて大旅行したり。ホテル・ハイビスカスを営む、美恵子の家族もまたパワフルだ。沖縄の伝統を熟知しているおばぁ(「ナヴィの恋」やNHK連ドラ「ちゅらさん」でお馴染み・平良とみ)、ちょっととぼけた父ちゃん(照屋政雄)、夜はバーのママをして一家の家計を支える母ちゃん(余貴美子)、黒人とのハーフのケンジにぃにぃ(ネスミス)、白人とのハーフのサチコねぇねぇ(亀島菜津樹)。
 特に父ちゃんのキャラクターが面白い。ホテルの客を歓迎して沖縄の歌を唄うが、いきなり下半身ネタ。方言なので相手には全然通じていないのだが・・・。普段はゴロゴロしていてイマイチ頼りない感じだが、美恵子が同級生とのケンカで相手に石を投げつけたことを知ると、厳しく叱る(美恵子はそれまで父ちゃんのことを、ちょっとナメている感じだったのだが)。
 美恵子役の蔵下は、監督いわく「ケモノなみ」の元気さ。「美恵子に負けたくない!」と大暴れしている。脚本にないセリフや、間違ったセリフを言っても、本人が美恵子になりきってやっている為、監督がOKを出したそうだ。そして個人的に注目なのが、ケンジにぃにぃ役のネスミス。彼はあのオーディション番組「ASAYAN」で、ケミストリーになりそこねた(笑)人。決して演技は上手くはないが、いい着地点を見つけたなぁという感じがする。ボクサーという役どころだったのだが、走る姿がちゃんと走り慣れている人のものになっていた。
 前作『ナヴィの恋』は本島ではなく島が舞台となっていた為、ちょっとパラダイス的雰囲気が強すぎる所が個人的には気になっていたのだが、今回は沖縄本島での撮影。当然、米軍基地が出てきており、そういうものが既に存在する沖縄が描かれている。そして今回は、少女の幽霊として、あの戦争の死者も出てくる。監督は、死んだ人達と生きていかなくてはならないとういことを描きたかったのだと言う。このあたりはちょっとやりすぎかな、と思うところもあったが、監督の心意気は伝わる。
 この映画は試写会で見たのだが、沖縄と縁が深い宮沢和史(THE BOOM)と監督との対談、父ちゃん役の照屋政雄氏(本業は沖縄民謡界の大御所!)を迎えてのライブがあった。照屋氏、いいキャラでした(笑)。短い時間だったが、最後はお客もスタンディングで踊る盛り上がりだった。

『アバウト・シュミット』
 一人の男がデスクの前に座り、時計を見つめている。秒針が真上に来てPM5:00丁度。男はオフィスを出る。今日はシュミット(ジャック・ニコルソン)の定年退職日だったのだ。しかし退職してもやることがない。会社に顔を出してみても彼の居場所はなく、後釜の若い男には相手にもされない。
 「チャイルドリーチ」(実在する国際NGO団体「フォスタープラン」のアメリカ事務局。途上国の子供の「養父母」となり、月々の援助金を送る)に申し込んでみたが、アフリカの6歳の少年宛の手紙に、日ごろのうっぷんを書いてしまう。そうこうしているうちに妻が急死。今まで家事をやったことがないものだから、家の中は荒れ放題。一人娘の結婚を何とか妨害しようとするが、娘には相手にされない。要するにこの男、さっぱりかっこ良くない。にもかかわらず、少年への手紙では自分は気丈でしっかりしていると虚勢を張ってしまう。傍から見るとこっけいなだけなのだが。
 娘の結婚式までの日々で、シュミットは他者に対する見方を変え、平凡だった自分の人生を受け入れたかのように見える。一面では確かにそうだろう。しかし、彼の家の中は相変わらず荒れているだろうし、食事は冷凍食品だし、娘の結婚相手とその家族は胡散臭いし、第一娘自身だって、シュミットが思っているほど大したものではない。結局何も変わらず、シュミットはしょぼくれた男として余生を送るのだろう。彼が欲しいのは、自分が誰かに必要とされているという実感なのだろう。だからこそラストで、アフリカの少年が描いて送ってくれた絵を見て涙を流す。でもその少年とシュミットを繋いでいるのは、シュミットの援助金のみなのだ。
 中高年には身につまされる内容なのではないだろうか。自分は結局大したことのない人間だったと気付きたくないのに、思い知らされるのは辛い。しかしそれでも生活を続けざるを得ない。映画の予告編や広告では感動作のように描かれているが、何ともシニカルな映画。

『KILLERS』
 5人の監督が「殺し屋」をテーマに短編映画を撮った。ノリとしては「刑事まつり」に近い。作品は「PAY OFF」(きうちかずひろ)、「CANDY」(大川俊道)、「PERFECT PAPARTNER」(辻本貴則)、「KILLER IDOL」(河田秀二)、「’50WOMEN」(押井守)。
 予算の問題もあるだろうが、監督の力量が如実に表れてしまった。正直、見ているのが辛い作品も。それが「’50WOMEN」になると、いきなりレベルが上がる。いい機材を使っているとか、お金がかかっているとかいうこともあるのだろうが、それはあまり問題ではない。カメラの動き、ショットの切替などの映画自体のテンポの良さが、全く違う。これは経験値の差なのか、センスの差なのか。女スナイパーがターゲットがビルから出てくるのを待ちながら、コンビニのパンやおにぎりをパクつくというだけのストーリーなのだが、これが可笑しいのだ。面白い映画には何が必要なのかということを、しみじみ考えさせられる企画だった。ちなみに「’50WOMEN」でスナイパーに狙われるターゲットは、ジブリの鈴木プロデューサー(本人役で出演)。何かあくどいことをしたらしいですよ(笑)。

『D.I』
 ’02年カンヌ映画祭審査員賞、国際映画批評家連盟賞受賞作。イスラエル領のナザレにいる父が心臓発作で倒れ、東エルサレムに住む息子エリアは病院に駆けつける。エリアの恋人マナルはパレスチナ側のラマナの住民で、検問所を通れず、エルサレムに入れない。2人がデートできるのは、イスラエル軍のチェックポイントの駐車場だけ。愛は国境を突破するのか?
 他人の庭にゴミを投げ入れあう住民達や、来ないバスを待ち続ける男、マトリックスもどきのアクションを繰り広げる女性兵士など、シュールな光景が繰り広げられる。コメディなのだろうが、微妙すぎてどうも笑えなかった。しかもパレスチナ事情をちゃんと知っていないと、主人公達が置かれている状況がよくわからない。
 監督のエリア・スレイマン(主演もこなしている)は「パレスチナのキートン」と呼ばれてるそうだが・・・。「笑わないとやってられないぜ」的な雰囲気があり、そこにパレスチナ事情のどん詰まり加減が窺われる。

『ギャングスターナンバーワン』
 若きギャングスター(ポール・ベタニー)は、ギャングのボス、フレディ・メイズ(デヴィッド・シューリス)に拾われ、彼の部下となる。やがてフレディの右腕と呼ばれるまでになる。しかしある時、フレディはカレン(サフロン・バロウズ)という女性に惹かれ、彼女と付き合うようになる。フレディのクールさが崩れるのを目の当たりにして、彼への憧れは狂気じみたものになっていく。そして対抗組織を利用し、フレディを蹴落とし、自分がトップに立つ為の罠をしかける・・・
 エリートな友人に愛憎入りまじった感情を抱き、彼と成り代わるというシュチュエーションは、『太陽がいっぱい』や『リプリー』と似ている。が、ギャングスターはフレディそのものというより、彼が持つ権力や地位に憧れていたように思う。というよりも、彼が「こう」だと思っているフレディに惹かれていたのか。彼が見ていたのはフレディの外面的な冨と権力のみ。フレディが実際はどのような人間であるかは、彼は理解していないし理解しようともしなかった。
 フレディを蹴落としてトップに立っても、ギャングスターは満たされない。外面をどんなに真似ても、ギャングスターはフレディのようにはなれない。彼の中身はからっぽだからだ。からっぽな人間が何を得ても虚しいだけ。上っ面だけの王者は、本当の王にはなれないということか。そして優雅さや品性は、生まれつきのものなのか。このあたり、さすが階級社会が残るイギリスという感じだ。
 時代背景が’60年代ということで、モッズ好きが泣いて喜びそうなファッションの数々。フレディが着ているスーツや靴は明らかにモノが良いし、ギャングスターのスーツ(オズワルド・ボーデングのものだとのこと)はぴっちりとした細身でクール。そしてカフスとネクタイピン。うーん、かっこいい。ネクタイピンなどのアクセサリーは、衣装担当がアンティークショップを巡り巡って捜し求めたものだとか。
 老いたギャングスター役は、かの「ぜんまい仕掛けのオレンジ」で主演していたマルコム・マクダウェル。当然のことながらオジサンなのだが、目に狂気が・・・。若いギャングスター役のポール・ベタニーも目がいっちゃっている感じが役柄にぴったり。今後の注目株だろう。

『神に選ばれし無敵の男』
 ヴェルナー・ヘルツォーク監督の、ドキュメンタリー以外では実に10年ぶりの新作。’32年、ナチス台頭下のベルリンで、ヒトラーの千里眼として頭角をあらわしたハヌッセン(ティム・ロス)と、現代のサムソンと呼ばれたユダヤ人鍛冶屋の青年ジシェ(ヨウコ・アホラ)が出会う。ハヌッセンはジシェにゲルマン民族風の衣装と芸名を与え、自分の劇場の「出し物」として怪力を披露させる。しかしジシェは、徐々にユダヤ民族としてのアイデンティティに目覚めていく・・・
 この時代を背景にした小説や映画を見る(読む)と、気が重くなる。時代が悪い方、悪い方へと進んでいくのに、誰もそれを止められず、流されていってしまう。それがやりきれなく、見ていて辛い。ここを優しくて力持ちな青年・ジシェは、「何か恐ろしいことが起きる」と予見し、ユダヤ人の村人達に警告するが、誰もまともに取り合ってくれない。まるでギリシャ悲劇の王女・カッサンドラの様に。また、「千里眼」ハヌッセンは予言のインチキがばれ、更にユダヤ人であることがバレ、ナチスに殺される。ジシェとハヌッセンは、表と裏のような関係だった。ナチスに連行される直前、ジシェとハヌッセンは初めて対等に話す。ハヌッセンはジシェに「君と友達になりたかった」と告げ、ナチスに連行される。
 ジシェの幼い弟の純粋さだけが救いになった。しかしこの少年も、ホロコーストによって殺されるだろう。ジシェの夢の中で、地面を這いずり回る蟹の群から逃れ、弟は空に舞う。自由へと飛び立ったかのように見える。しかし彼が天に召される予兆のようにも見えるのだ。

『リベリオン』
 映画サービスデーに見ようと思っていたら、いつの間にか終了していやがったこの作品。2番館に下りて来たので「ちっ、1300円かよ(サービスデーは1000円)」と毒づきつつリベンジ。・・・面白かったよ!ケチなこと言ってごめん!
 第三次世界大戦の為、廃墟と化した世界。戦争を防ぐ為、人類は残虐性を根絶し、感情を捨てる道を選ぶ。欲望・情熱・怒り・楽しみ、全ての感情は罪悪とされ、人々は感情を抑制する薬を定期的に投与されていた。人間の感情を揺さぶる絵画・音楽・文学等の芸術も禁止された。これらを取り締まるのがクラリック(聖職者)と呼ばれる管理官たち。そのトップに立つジョン・ブレストン(クリスチャン・ベール)はガン・カタと呼ばれる銃を用いた武道を操り、反乱分子を抹殺する。仕事のパートナー・パートリッジ(ショーン・ビーン)が詩集を隠し持っていることに気付いた時も、躊躇なく抹殺。しかし薬の投与を拒否する女性メアリー・オブライエン(エミリー・ワトソン)との出会いで、彼の価値観は揺るいでいく。
 感情を捨て、芸術を放棄した人類に価値はあるのか。しかし、人間が激情・衝動に駆られて犯罪を犯すのも事実。民衆を力で押さえつけるのはある種の暴力だが、それを覆そうとする革命も同じく暴力だ。このジレンマが全編に漂う。SFの設定としてはありがちだし、決してお金がかかっているような雰囲気でもない。ストーリーにも結構無理がある(ブレストンが5日で反体制側に立つというのは苦しいし、ラストもご都合主義的)。
 しかし、予算が限られている中で、作りたいものをきちんと作ろうとする、製作側の姿勢が好ましい。町並みの多くはCGだと思うが、あまり凝った感じではない。室内もシンプルそのもの。町並みは近未来風なのに自動車は普通のフォード車など、「予算ないんで、使えるものは現行のままいきまーす」的、妙ないい加減さがある。
 アクションシーンも、例えばマトリックスに比べるとぎこちないし、粗さがある。しかし狭い範囲内でかっこよく見せる為、独特な手法をあみだしている。これを神父風衣装のクリスチャン・ベールがこなすのだから、かっこ良くないはずがない。例によって、なんちゃってジャパニズムも見せてくれる。一見B級だが、実はしっかりと面白い、掘り出し物的作品。ちゃんとプロモ−ションされなかったのが残念。

『NOVO』
 5分毎に記憶をなくしてしまう男・グラアム(エドゥアルド・ノリエガ)は、会社のコピー係として働いていた。派遣社員として入社したイレーヌ(アナ・ヌグラリス)は、彼と一目ぼれの恋に落ちる。しかし彼には、パブロというもう一つの名前があった。彼は何者なのか。そして二人の関係はどうなるのか。
 グラアムは5分間しか記憶が持てない為、そのときどきのことをノートにメモする。また、周囲の人々に自分の記憶を委ねる。イレーヌが恋人の様に振る舞えば恋人として扱うし、会社の上司(ナタリー・リシャーム)が当然の様にオフィスでのセックスに誘えば、拒まず彼女に付き合う。自分の一部を自分では保有できず、他者に委ねなければならないというのは、非常に不安な状態ではないだろうか。イレーヌが彼のノートをそれとなく手にとると、グラアムはぎょっとしたような顔をする。ノートが彼のアイデンティティなのだ。しかしそのメモも、他者によって書き加えられ、改ざんされ、摩り替えられている可能性もある。そして唐突に彼の「過去」も現れる。しかし彼は、「過去」に出会っても、それが自分にとって何なのか分からないのだ。
 一見ミステリのような、また記憶喪失の特性に深く関わる(「メメント」のような)ストーリーに見える。が、ミステリアスではあるものの、この映画の中で記憶喪失そのものの特性はさほど大きい要素ではない。イレーヌとグラアムの、疾走するラブストーリーなのだ。イレーヌとグラアムは5分毎に出会い、恋に落ちる。何度も何度もやりなおす。監督のジャン・ピエール・リモザンは、『TOKYO EYES』でも都市を舞台にした、ミステリアスな御伽噺のようなラブストーリーを描いたが、今作もファンタジック。主演のアナ・ヌグラリスはシャネルのモデルだが、瑞々しく美しい。女性陣の衣装もシンプルだがお洒落(イレーヌの服はアニエス・ベーではないかな)。ちなみにグラアムとイレーヌの上司役のナタリー・リシャームは、『トーク・トゥー・ハー』の劇中映画に出演していた。
 正直、5分毎に記憶を失うグレアムがちょっと羨ましくもあった。過去を保存しなくてすむ、何度でもリロードできるというのは、ある種の自由であると思う。周囲が自分のことを忘れてくれたら、もっと気が楽になるんだろうなぁ・・・。ちなみにタイトルの「NOVO」とは新しい人間のこと。

 

 

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