3月

『007 ダイアナザーデイ』
 007シリーズ誕生40周年にして、シリーズ20作目という記念すべき1本。ジェームズ・ボンド役のピアーズ・ブロスナンは今作でボンド引退(笑)だそうだ。
 007の醍醐味は、何と言っても「んなアホな!」「ありえねぇ!」的ストーリー展開と数々のアイテムだろう。今回はいつにも増して荒唐無稽かつ突っ込みどころ満載。何しろ北朝鮮にサーフィンで乗り込んだり、DNA入れ替えで人間の姿が変わっちゃったり、1年間以上拷問にあっていたはずのボンドが全く痩せていなかったりするのだから。ボンドカーも大活躍で、敵の車(ジャガーからミサイルが発射される!)と氷上のカーチェイスを繰り広げてくれる。今回のボンドカーは何と姿を消すことが出来る。まるで日本の某コミックのようだ。歴代の小道具がちょろっと出演するシーンもあり、ファンへのサービス満点。20周年をネタにして、「その腕時計、これで20個目だけど今回は壊さず返して欲しいね」とQにイヤミを言われるシーンも。
 正直、ストーリーは穴だらけだし、かなり強引な展開だ。でもそれをものともしない力技で話を引っ張ってくれる。製作側が見せたい場面をぎゅうぎゅうに詰め込んだ、言わばジャ●プやサ●デーのような、少年マンガ的楽しみに満ちた娯楽作。マンガと割り切って、キャーキャー騒いで見ることをお勧めする。
 ちなみに今作、ボンドはかなりオヤジ風味。オヤジギャグ(全て下半身系)を連発してくれる。これで何で美女を落とせるのかが今回最大謎か?(笑)。ブロスナンは「エロおやじ系」という自分の適性を、ものすごくよく分かっているなぁ。ボンドガールのハル・ベリーはキュートかつセクシーで素敵。しかも強くてかっこいい。ある意味ボンドよりもかっこよかった。

『呪怨』
 予告編が超恐かった、噂のホラー映画。じゃあ本編はどのくらい恐いの?!と楽しみにしていたのだが、あれ?予告編ほど恐くない・・・
 あまり恐くなかったことの一因は、怨霊の姿が最初から見えていて、映画を見ている側には何で怨霊になったのかも大体分かってしまっている所にある。小細工なしで怨霊の姿をいきなり出してしまう所は、潔いといえば潔いのだが。ただ、正体が分かっているものよりも、正体がわからないものの方が恐いと思う。恐いことは恐いのだが、あまり後をひく恐さではないんだよなぁ。怨霊の造形も、最後のほうは笑えてきてしまった。
 第二に、役者陣があまりお上手ではない(笑)。これが致命的な気がする。予告編で一番良いところを全部放映してしまった感じで、惜しい。

『キャッチミー・イフユーキャン』
 スピルバーグ作品は面白いけれど、割ともっさりした、良くも悪くも洗練されきっていない感じだと思っていた。何より最近は『AI』といい『マイノリティリポート』といい、映像・ストーリー共にややダークな感じで(しかもそれが中途半端で)、今ひとつだった。しかし今回は軽快なストーリーテリングで、スピルバーグ監督がこんなにも軽やかな映画を撮るとは!と正直びっくり。冒頭のタイトルロールからして、今までのスピルバーグ映画にはなかったポップ&懐かしテイストなスタイリッシュさだ。このタイトルロールだけで結構満足してしまったかもしれない(笑)
 高校生のフランク(レオナルド・デカプリオ)は両親の離婚にショックを受け家出。生活費稼ぎの為、小切手偽造を始めるが、どんどん詐欺師の才能を発揮させ、果てはパイロット、医者、弁護士になりすまし、詐称した身分のまま結婚話までもちあがってしまう。一方FBIのカール(トム・ハンクス)はフランクを容疑者として追いかけるものの、いつも後一歩で逃げられてしまう(二人が初対面する場面は必見)。この2人がの間に妙な絆が生まれていく。ラストでカールが見せる表情は、息子を見守る父親のようだ。
 それにしても、制服を変えるだけで相手を騙せるなんて、60年代ってなんて平和だったんだろう(笑)。「ヤンキーズが強いのは、相手の目がピンストライプに釘付けだから」というわけだ。デカプリオが繰り広げてくれる60年代ファッションが楽しい(「イタリア製ニット」は微妙だけど)。正にデカプリオ・コスプレ映画。高校の制服まで着てくれるのには恐れ入った。ちゃんと高校生(しかもかわいい)に見えるんだもんなぁ。
 これが一番凄い所なのだが、実はこの話、実話に基づいている。なので映画冒頭から、フランクが逮捕され、更正することは観客には分かっている。でも最後までわくわくしながら見られたという所が、さすがスピルバーグという感じだ。
 ・・・しかしこのタイトルは何とかならないものか。『ロードトゥパーディション』も相当ひどかったが。かっこいい日本語タイトルを考えてほしいものだ。

『ブラッディ・マロリー』
 夜道を白いドレスの花嫁が、おびえた形相で走ってくる。そして悠然と歩くタキシードの花婿。しかし花婿の目は赤く輝き、口もとは怪しく微笑んでいる。これはもしや吸血鬼?!可憐な花嫁はモンスターの毒牙に?!
 ・・・と思いきや、スローモーションで振りかぶった花嫁の手には斧。花婿の後頭部にクリティカルに直撃。・・・追ってたのかよ・・・。
 てな感じで、夫を惨殺してしまった花嫁=マロリーは一生悪と闘うことを誓う。仲間は青髪のドラッグクイーン、ヴェナ・カヴァ(ジェフ・リビエ)と口がきけない超能力少女トーキング・ティナ。ピンクのキャデラックで今日も出動!
 監督・脚本のジュリアン・マニアは、日本のアニメやマンガのファンだそうだ。その影響は至る所に見られる。冒頭で登場人物が紹介される時の手法は、合体ロボットアニメの「図解!これが必殺★ロボだ!」的構図だし、マロリーのへそ出しコスチュームやグローブ、ヴェナ・カヴァのボンテージルックももろにアニメやゲームのキャラクター。そして敵役にいたっては正に戦隊モノ系特撮。「リーダー、セクシー美女、クリーチャー」というお約束を踏まえている。何これデジャヴ?!と言いたくなるくらい日本人にとっては馴染み深げな内容だ(自分を基本に日本人全般を規定しないように)。監督はこの映画のアイディアを「イマジネーションの中からいきなりやってきた」と話しているが、嘘つけー。ホラー映画とジャパニメーションが好きで好きでしょうがないんだろうが!自分でやってみたかったんだろうが!
 そういうわけで、金はないけど愛はあります、的に映像は極めてチープ。日曜朝の●●戦隊なノリだ。モンスターの顔と手足先だけ映すのは体を作る予算がなかったからね、とか、アクションシーンのカット数がやたらと多いのは流れるようなアクションが出来ないからキメポーズだけ繋げたのね、とか言出したらきりがない。でもそれさえもウリになる、B級映画の悦びに満ちている。
 ちなみにこの映画の極めつけな所は、音楽が川井憲次な所。あーもーどっかで聴いた音だとおもったんだよー。わざわざ国境を越えて依頼するあたり、この監督、筋金入りですね。

『北京ヴァイオリン』
 13歳の少年チュン(タン・ユン)は、ヴァイオリンの才能がある。父リウ(リウ・ペイチー)は息子の才能を伸ばしてやることだけが望みだ。貧乏だが、チュンを良い先生につけるため、無理して北京に出てくる。
 リウはとにかく一生懸命。息子の才能を信じており、息子が愛しくてしょうがない。息子チュンは結構大人で、そんな父親を愛し、しょうがないなぁと容認している感じもする。しかし、田舎者でダサい父親をうとましく思う気持ちもある。このあたりの感覚は万国共通らしい。
 そんなチュンを父親とは違う形でサポートしてくれるのがピアノ教師チアン先生。リウはチュンを愛しても、彼の音楽の世界までは共有できない。チアン先生がチュンの授業そっちのけで猫の世話を手伝わせたり、先生の部屋をチュンが勝手に片付けたことで口論になったりと、2人の関係が微笑ましい。チュンのご近所の住民で、彼が一目ぼれしてしまう美女リリ(チェン・ホン)はチュンのお姉さん的存在になり、彼のピンチには心意気のある所を見せてくれる。
 リウは愛情溢れる父親だが、実際こういう人が親だったら、ちょっと勘弁してほしいと思う。過剰な愛情は子供にとって負担だ。チュンは本当に才能があったからいいものの、大して才能のない子供に対して一生懸命になっちゃう親は多いんだろうなー、そんなんじゃ期待に添い切れない子供も大変だよなー。そういうわけで、「これぞ親の愛情」的に観客に誤解されかねない(というか、されるであろう)この映画、ちょっと罪作りでもある。
 最近は新作ごとにスベっている感のあったチェン・カイコー監督。今回は大河ドラマ路線から、現代を舞台とした親子モノへと大きく方向転換した。題材としては全く新鮮味のない話を、抑え目の演出でうまくアレンジした感じだ。しかしラストは「感動しやがれ」と言わんばかりの演出過剰で正直引いた。あそこまでチュン親子の過去を見せると、あまりに説明的すぎる。更にラストのチュンの選択は、個人的に納得いかない。やはり息子は父親から去っていくものだと思うから。

『わたしのグランパ』
 筒井康隆の同タイトル小説を、「絵の中の僕の村」「橋のない川」の東陽一監督が映画化した。原作は筒井らしからぬほのぼのメルヘンだったが、映画も東テイストのファミリー向けファンタジーにしあがっている。
 珠子(石原さとみ)の家に、突然ムショ帰りの祖父・謙三(菅原文太)が同居するようになる。謙三は何故か地元の人たちには一目置かれており、彼が帰ってきたらイジメは止むし不良は更正するし、ぎくしゃくしていた珠子の両親の仲までよくなってしまう。
 謙三はまっすぐな人柄で、喧嘩が強くてヤクザにも屈せず、しかも大金を隠し持っていて、とお話とはいってもちょとやりすぎな感じが。いくらファンタジーとはいっても、ここまでくると説得力がない。あれくらいでイジメがなくなるかー?。しかし、それでも菅原文太だし・・・と許してしまう部分もある。正に文太マジック。この映画の文さんはエンジェルなんだね!妖精さんなんだね!と勝手に納得。実際、菅原だけが生身の人間ぽさが薄いのだ。
 主演の石原さとみはホリプロ・スカウトキャラバンでグランプリを獲得したそうだが、かつての石田ひかりのような、大化けしそうな気配がある。バーのマスター役の浅野忠信と菅原文太の芝居の質(良し悪しではなく)が違いすぎて、この2人が会話しているシーンが可笑しくてしょうがなかった。

『帰ってきた刑事(でか)祭り』
 若手監督達が、決められたルールのもとショートフィルムを撮るオムニバス『刑事まつり』。今回はその第2弾。エロスとバイオレンス(?)な女刑事特集だ。残念ながら第一弾は見逃してしまった。くっ。それにしてもバカバカしいですよ〜。
 今回のルールは3つ。@主人公は女刑事であること、A完成尺は10分を1秒でも越えてはいけない、B本編中に最低でも5回ギャグを入れること。今回のメンバーは、安里麻里、井口昇、是枝裕和、塩田明彦、新藤風、鈴木浩介、瀬々敬介、本田隆一、松梨智子、吉行由美。比較的有名なのは『ワンダフルライフ』でブレイクした是枝と、『黄泉がえり』が快進撃を続けている塩田だろう。しかし、個人的にはこの2人の作品はいまひとつ。ギャグ映画でなければならないところがネックになったか?
 作品ごとのレベルにかなりバラつきがあるが、比較的完成度が高いのは、安里の『子連れ刑事』と井口の『アトピー刑事』。特に『アトピー刑事』は10本中で一番客が笑っていた。『子連れ〜』はアクションに力が入っており、個人的にビジュアルが好きだ(これ、あるB級ホラー映画を彷彿とさせるのだが・・・)。
 それにしてもこの企画、タイトルも中身も実にバカバカしい。それを楽しげに(確実に金にはならないのに)撮っている監督達。いい人たちだ!(笑)。実は第三弾の予定もあるらしい。次回は「最も危険な刑事祭り」だ!ビデオ化は殆ど無理なので、見たい人は今すぐ劇場へ。損はさせませんと言えない所がイタいけどね!

『エルミタージュ幻想』
 エルミタージュ宮殿でオールロケ。90分ワンカット。更にエキストラ、キャスト合わせて2000人あまり。よくこんな企画が通ったものだ。本物の凄みという所か、エルミタージュ宮殿の中は圧巻。数々の名画も登場する。作家名と題名を覚えているのに出てこないのがもどかしかった。語り手(カメラはこの人物の視点になる)とフランス人と思しき黒衣の男が観客の案内人となり、ロシアの歴史を辿る。この2人は亡霊なのだろうか。それぞれの時代の人物からは、この2人は見えたり見えなかったりする。ロシア史に詳しければもっと面白かったのだろうが、それほど知らなくてもエルミタージュの美しさを堪能できる。老いたエカテリーナ大帝が雪の降る中庭を走り去っていくシーンと、現在のエルミタージュ館長・ミハイル・ピオトロスキー自身が登場する場面が印象的だった。この栄華が失われるものだと観客には分かっているだけに、ラストの大舞踏会のシーンでも物悲しさが漂う。
 それにしても、ワンカットというのはカメラが流れるように移動し、途切れない為、途中で眠くなってしまった。カットが入るというのは、ちゃんと意味があるのね・・・と納得してしまった。ちなみにミニシアターとは言えほぼ満席だった。ソクーロフ監督の映画にこんなに客が入ることは、後にも先にもなさそうだ。

『24Hour Party People』
 ’76年、私が生まれた年にセックスピストルズの初ライブが行われた。集まった客は42人。しかしここから音楽の一台ムーブメントが始まる。80年代から90年代後半、マンチェスターの伝説的なクラブ、「ハシエンダ」から起こった、マンチェスター・ムーブメントだ。火付け役はテレビリポーター、トニーウィルソン(スティーブ・クーガン)。セックスピストルズのライブを見た彼は、自分でレーベル「ファクトリー・レコード」を発足。ジョイ・デビジョン(後のニューオーダー)やハッピーマンデーズを世に送り出し、一時期は確かにミュージックシーンの頂点に立った。しかしこれは彼の映画ではない。彼はあくまで傍観者だ。彼の本業がレポーターだというのは極めて象徴的だ。そしてこれはニューオーダーやハッピーマンデーやその他のミュージシャンの映画でもない。これはあの頃のミュージックシーンの空気、熱気、エネルギーの映画だ。
 映画が擬似ドキュメントであるということを強調する演出が、至るところで見られる。ウィルソンは映画を見ている観客に度々話し掛けるし、「役者じゃなくて本物も出ている」と自分役で出演してくれた人たちを紹介したりする。こういった演出が、客と映画の間に程よい距離感を作って、映画がヒートアップしすぎること、観客が感情移入しすぎることを防いでいる。これは、映画の中に出ている人たちの大半が現在も健在で、活動を続けていることにも配慮しているのだろう。監督のマイケル・ウィンターボトムは作品ごとに作風をコロコロと変えるカメレオン監督。今回もその器用さを発揮し、熱気をはらみつつもクールな映画に仕上げている。
 とにかく音楽好きは必見。ミュージシャン役の役者が本当に本人に似ているところがすごい。特にイアン・カーティス役のショーン・ハリスはいい味を出していた。イアンが自殺するシーンはその唐突さが本当に辛い(自殺の前に家族の写真を伏せたりする所がリアルで、いっそう辛い)。音楽への愛だけで突っ走っり、頂点を見、やがて墜落したが一向に懲りないバカな男たちの映画。彼らがいなかったら、私たちが今聞いている数々の音楽は存在しなかった。オアシスもケミカルブラザーズも。彼らと彼らの音楽に愛と感謝を。
 ちなみにニューオーダーは長い沈黙を経て、’01年に大復活した。映画のラストに流れるのは彼らの新曲「Here to Stay」。美しい。思わず涙が(泣)。

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