1月

『シャーロット・グレイ』
 第二次世界大戦下、イギリスの諜報員として名前、国籍、身分を変えてフランスへ潜入した女性、シャーロット・グレイ(ケイト・ブランシェット)。彼女は恋人であるイギリス空軍のパイロットがフランスのある地方で行方不明になった為、彼を捜す為に看護婦から諜報員へ転身したのだ。しかし彼に関する情報を得ようと焦るあまり、赴任早々仲間の諜報員を窮地に陥れてしまったり、イギリス諜報員と協力している共産主義者達を、それとは知らずに悲劇に追い込んでしまったりする。彼女は徐々に、自分の為だけでなく、自分が身を寄せる家の老人や、共産党員の青年や彼がかくまう幼いユダヤ人兄弟の為に奮闘し、強くなっていく。
 しかし強く心に残ったのは、国家間の戦争の中での個人の無力さ。シャーロットは結局、誰一人助けることが出来なかった。ヒロインが強くなっていく過程を描く映画でありながら、その無力さが最後に残るというのは皮肉だ。彼女は世話をしていたユダヤ人兄弟の為、最後にドイツ軍に捕らえられる危険を冒してまで、ある行為をする。この行為には?と思う人もいるかもしれない。しかし、「信頼・希望・愛の中でどれが一番大切か」と問われて「希望」と答えた彼女ならではの行動だったと思う。あの状況では、確かにこんなことくらいしかできなかっただろうと思う。そこにまた、無力感を感じる。
 シャーロット役のケイト・ブランシェットが美しく、「ヒロイン映画」とでもいうべき映画だった。

『ダーク・ブルー』
 この映画も第二次世界大戦下の物語。チェコスロバキアがドイツ軍に侵略された時、イギリスに渡り、英国空軍のパイロットとして活躍したチェコスロバキア人の男達がいた。フランタ(オンジェイ・ヴィトヒー)とカレル(クリシュトフ・ヴェトヒー)もその一員。フランタはチェコ空軍でのカレルの上官だった。兄弟のように年齢差がある2人だが、強い友情で結ばれていく。カレルがフランタを慕う様子が微笑ましい。
 しかし、男の友情を壊すのは、いつの世も女と相場が決まっているらしい(笑)。カレルはイギリス人女性スーザン(タラ・フィッツジェラルド)に一目ぼれしてしまうが、スーザンはフランタに一目ぼれしてしまうのだ。フランタもスーザンに惚れてしまい、三角関係に。このスーザン、しっかりとしていて同性からも好かれそうな女性なのだが、一目ぼれするほどの美人にはどうも見えない。その気がないならカレルを拒めばいいのに、あっさり受け入れてしまうし、カレルの気持ちをしっていながらフランタに告白しに行ってしまうし・・・案の定、フランタはカレルの友情を失う。もう、友人関係を壊すなよ!と突っ込みを入れたくなってしまった(笑)。
 戦争映画である以上に、青春映画。戦争中だから飛行機は落ちるし、同僚が死んだりするのだが、あまり悲壮感はなく、飛行シーンの美しさの方が印象的だった(さすがスタジオジブリ配給だ)。悲惨なのは、むしろ戦後。フランタは帰国後、共産主義体制となった祖国では、イギリス軍人として強制収容所に入れられてしまうのだ。実はこの映画は、強制労働所に収容された彼の、回想なのだ。実際、大戦後のチェコでは、このように強制労働所に収容され、死んでいった軍人達が大勢おり、生き残った人たちについても、名誉を回復しようという動きがあったのは近年のことであると言う。祖国の為に闘ったのに、祖国によってこんな目に合わされるなんてと、理不尽さに腹が立ってしょうがなかった。
 私はチェコ、チェコスロバキアの歴史については詳しくはないのだが、監督のヤン・スヴィエラークは前作『コーリャ・愛のプラハ』でも、自分の国に対するこだわり、わだかまりのようなものを見せていた。今作でも、自国の歴史を(今まで光が当てられなかった人たちを通して)語り継ぎたいという心意気があったのでは。でもそれ以上に、とにかく美しい飛行シーンが撮りたかったんじゃないかなーという感じも濃厚だが(笑)。

『翼をください』
 中高生女子というと、得てして自分の感情で暴走しがちというイメージがあるが、この映画もそんな感じだ。舞台は全寮制女子高。転校生メアリーと同室になったポーリーとトリーは、実は恋人同士。しかし保守的な両親を持つ優等生トリーは、ポーリーとの関係を隠そうと自分の妹に嘘をついたことから、自体は悲劇へ向かっていく。’78年にカナダ・トロントで実際に起きた事件を元にしたそうだ。
 前半はガールズ・ムービーっぽく可愛いが、トリーとの仲が壊れ、ポーリーが精神のバランスを崩していく後半は、シェイクスピアからの引用をしまくったり、ベタな挿入歌が入ったりと、演出過剰で妙なテンションになっていって、見ているこっちが気恥ずかしい。トリーにしてもポーリーにしても、何でもっと上手くやれないのかーというイライラ感も。トリーはポーリーとの関係を隠す為の嘘が下手すぎ。また、母親がいないポーリーは、トリーが嫌いだといいつつも家族を捨てられない気持ちが分からず、周りが見えなさすぎだ。若いって恥ずかしいなぁとしみじみすると同時に、上手くやれない彼女達が痛々しかった。

『AIKI』
 交通事故で下半身不随・車椅子生活となった為やさぐれていた青年が、合気道と出会って立ち直っていく話・・・というと、一歩間違うとベタなお涙頂戴になりがちだが、この映画はそこのところを上手くクリアしている。これは主人公大・太一役の加藤晴彦の、いわゆる「今時の若者」的普通さと微妙なダメっぽさ加減に助けられているところが大きいと思う。私は加藤晴彦は特に好きな俳優ではなかったのだが、この映画で見直した。合気道に出会うまでの太一は、プロボクサーへの夢が絶たれたせいで、恋人とも友人とも別れ、自暴自棄でいじけた、イヤな奴になってしまっている。加藤のやさぐれっぷりが見事。
 主人公が車椅子にのっていることで、障害者モノと見られる映画かもしれないが、何よりもこれは、合気道と出会って成長していく青年のスポ根モノである。もちろん、身体障害の為、自分の体がままならないもどかしさや不便さ、合気道が上達したとはいっても、車椅子から下ろされてしまっては何も出来ないというくやしさ、また、下半身不随となった為に好きな女性がいてもセックス出来ないという問題も描かれている。しかし、こういった要素を重くなく、さらりと描いた所が、この映画の成功点だと思う。
 師範役の石橋陵が良い。本職サラリーマンの師範を穏やかに演じており、品のよさがある。また、色々な俳優やタレントがカメオ出演しているので、それも楽しい。ラストはちょっとやりすぎな感じはあるが、爽やかかつ愉快な青春スポ根映画だった。ちなみに私、普段こういったジャンルの映画を見ることは滅多にない。半年振りくらいに爽やかな映画を見たような(普段見ている映画が血みどろすぎるだけかもしれない・・・)。
 実在の車椅子合気道家をモデルにしているそうだ。エンドロールではモデルになった方の映像も流れる。

『8人の女たち』
 たっのしーぃーっ!!なんてゴージャスかつ楽しい映画なのだ。「もはや事件」という宣伝文句は伊達じゃなかった。 雪に閉ざされた屋敷で、一家の主が殺される。残されたのは妻、妻の妹、義母、長女、次女、主の妹、家政婦にメイドだ。もちろん全員が容疑者。犯人探しをするうちに、この一家の秘密が次々と暴かれる・・・
 と書くとまるで本格ミステリみたいだが、ミステリを期待すると拍子抜けするかも。サスペンスかと思いきや、女たちはいきなり歌うし(吹き替えなしですよ!)踊るし衣装はバービーちっくだし、どちらかというと突拍子もない。バービーハウスでの女たちの丁々発止といったところだろうか。そういえばオゾン監督は、『焼け石に水』でも変なダンスを挿入していた。ダンス好き?
 元々は舞台用だった脚本だそうで、映画というより、舞台演劇を見ているみたいだ。演出も演劇的で、カメラも正面から撮ったアングルが多い。登場人物の衣装がずっと同じなのも、衣装で性格付けをする演劇風だ。役者の演技もオーバーアクション気味でコミカル。そして、過去の様々な映画へのオマージュに満ちている。昔の映画を見ていれば見ているほど楽しめる映画だ。この映画の画質自体、1950年代のハリウッド映画で用いられていたテクニカラー(青・緑・赤の三原色に分解して撮影した3本のフィルムから1本のプリントを作るもの)を再現しようとしたものだそうだ。衣装やセットも昔のハリウッド風で素敵。
 それにしても、よくこの面子が集まったと思う。カトリーヌ・ドヌーブ、ファニー・アルダン、ダニエル・ダリュー、イザベル・ユペール、エマニュエル・ベアールの共演が見られるとは!ドヌーブはもちろんだが、ファニー・アルダンってこんなに魅力的(声が低くてステキ)だったんだなー。ユペールの怪演技ぶりと、メイド服姿のベアールも見もの。若手のヴィルジニー・ルドワイヤン(彼女、ノーブラな気がしてしょうがなかったのだが・・・)もキュート。
 とにかく必見。家族の秘密に爆笑、オチはそこはかとなくブラックで、オゾン監督秘蔵のおもちゃ箱といった感じ。「女の生き方は様々よ」って、様々すぎるっちゅーの(笑)。

『スコルピオンの恋まじない』
 ニューヨークと言えばこの人、ウッディ・アレン主演監督の新作。この人ほど、「冴えない中年男」役が似合う人もいないだろう。もはやお家芸の域に達している。この冴えないけれど口が減らなくて憎めないキャラが浸透しているからこそ、私生活がスキャンダラスでも許されてしまっているのね。得なキャラクターだなぁ。それともこれも人徳ってやつか。
 今回のウッディは腕利き保険調査員ブリッグス。社内合理化の為に入社してきたキャリアウーマン・フィッツジェラルド(ヘレン・ハント)が天敵で、しょっちゅう喧嘩している。このフィッツジェラルド、結構な毒舌家で、ブイリッグスを「去勢するわよ!」と脅すシーンも。ヘレン・ハントって正直すごい美人ってわけではないが、言動は豪快かつ辛辣でも実はロマンチストな所もある女性を好演している。で、この2人が、ひょんなことからお互いに恋をする催眠術をかけられてしまう。しかもこの催眠術によってブリッグスは泥棒になってしまう。果たして事態の収拾はつくのか?
 物語の舞台は1940年代で、レトロな衣装やインタリアがキュート。正直、ベタだし意外性は殆どないストーリーなのだが、幸せな気分になれる。ラストのほうで「まるでおとぎ話ね」というセリフがあるのだが、正に大人のおとぎ話。おとぎ話にはノスタルジックな舞台が似合うってこと?ウッディ・アレンによる、古きよきニューヨークに対する愛情表明と取れなくもない。

『たそがれ清兵衛』
 山田洋二監督、真田広之主演の時代劇。といっても、あまり時代劇っぽくはない。むしろ時代劇の「型」を極力避け、リアルに描こうとしたように見える。清兵衛は貧乏侍なのだが、この貧乏さが妙に具体的。着物はよれよれでほつけているし、内職しまくっているし、髪の毛ボサボサだし。髷の剃っている部分が、五部がり状態(まめに剃ることができないので、伸びてきてしまっているわけですね)なのには恐れ入った。そして室内が暗い。冒頭の清兵衛の妻が亡くなったシーンなど、何が起きているのかよく見えないくらいに光量が少ない。当時は確かに室内が暗かったのだろうが、映画としてはちょっと異例ではないだろうか。
 清兵衛は実は剣の腕がたつのだが、剣を振るうことや立身出世は望んでいない。貧乏でも家族と一緒に暮らすことに、ささやかな幸せを見出している。でも、上司の命令で人を切ることになってしまう。このあたり、まんま現代のサラリーマン生活。「ささやかな幸せでいいんだよ」という、不況下のサラリーマン達へのエールなのか。それにしても、ちょっと辛気臭いエールではあるが(笑)。
 清兵衛が自分の娘に、学問をやっておけと話すシーンが良かった。学問ではお金を稼いで食べることはできないが、「学問をしておけば、自分で考えて自分で道を選ぶことができる」。実際はそんな素朴にはいかないだろうけど、学問というのは本来そういうものだろう。『学校』シリーズを撮った山田監督ならではのメッセージか。微妙に説教臭さは残るものの、良い映画だった。
 真田広之は上手い役者だと思うが、今まで今ひとつ主演映画に恵まれなかった。主演作はあるが、いまいちヒットしなかった。今回はようやくヒット作に巡りあえたかなという感がある。この人、身体能力が高い。剣を振るう時、止まるべき所でびしっと動きが止まる。そして共演の宮沢りえが綺麗かつ可愛かった。子役の女の子たちも可愛い。

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