10月

『彼女(たち)について私の知っているニ、三の事情』
  金井美恵子著

 
金井美恵子の「目白シリーズ」と呼ばれる小説群の中に、『小春日和』というものがある。女子大生桃子と花子、作家である桃子のおばさんを中心とした話なのだが、この『彼女(たち)〜』はその続編。桃子と花子は30歳代になっている。30過ぎて独身、彼氏なし、定職なしでどこかフラフラしている桃子が自分の数年後を見ているようで(いや、確実にこうなるだろうなと思って)、読んでいて嫌な汗をかいた。でも「働かざるもの喰うべからず。なんて凄くや」という彼女たちにはとてもシンパシーを感じ、握手でもしたくなる。相変わらずシニカルな金井美恵子だが、桃子や花子に対しては、他の作品のキャラクターに対してよりも愛情を感じるのは気のせいか。

『雨に祈りを』
  デニス・レヘイン著、蒲田三平訳

 私立探偵パトリック&アンジーシリーズ第5弾。このシリーズは2作目以降急激に面白さレベルがアップしている。今回も敵は凶悪で、ハラハラドキドキとラストまでどんでん返しを交えつつ引っ張ってくれた。ああ、面白かった!現代ハードボイルドの名シリーズと言ってもいいかも。今作は私のお気に入りキャラ、ブッパが大活躍するので嬉しい。もうブッパったら!って感じで。
 名ゼリフ名場面満載で、キザく泣かせます。特に車椅子の男が映画について語る場面は涙モノだった。映画ネタが多い小説なので、その点でも楽しめた。

『愛のゆくえ』
  リチャード・ブローディガン著、青木日出夫訳

 様々な人達が自作の本を持ち込む(持ち込まれる本のタイトルにはそそられる。ちょっかりとブローディガン自身も持ち込んでいる)、世界でたったひとつの図書館で働いている「私」が、ある日絶世の美女・ヴァイダと恋に落ちる。彼女はただ立っているだけで周囲を翻弄する魅力の持ち主で、「私」と外を出歩いても一騒動だ。ちょっと風変わりな恋愛小説だった。「私」は図書館以外の世界を殆ど知らないが、ヴァイダと出会うことで外に出ざるを得なくなる。図書館はある意味、彼のシェルターのようなものだ。男を引っ張り出すのはいつも女だということなのか(笑)。

『花嫁誘拐記念日』
  クリス・ネリ著、高瀬素子訳

 ミステリー作家のトレイシーは才色兼備でチャーミングな夫もいる。が、彼女は口が悪い(笑)。ヒロインの魅力で読者を引っ張っていく、軽い口当たりのミステリ。義妹が誘拐され、トレイシーは独自の捜査を開始する。ミステリーとしてはちょっと苦しいが、かわいらしい感じなので良しとする。トレイシーの夫の家族がクセ者ぞろいで、こんな姑はいやだなぁと苦笑させられた。

『風化水脈 新宿鮫[』
  大沢在昌著
 
新宿鮫シリーズ第8弾。もっとも、新宿が舞台となるのは久しぶりな気がする。今回は新宿という町の歴史等、豆知識が満載で、近隣の住民としては、知っている場所が色々と出てきて楽しめた。しかし、物語自体はいまいち盛り上がりに欠ける。最盛期ようなのテンションや、初期の哀切さは感じられなかった。このシリーズもそろそろ潮時か。
 雑誌連載だからか、地の文がやたらと説明調な所が気になった。「鮫島は〜だからだ」「鮫島は〜と思った」って、そんなに逐一説明せんでもなぁ。それを説明せずに表現するのが表現力ってものじゃないの。

『私達がやったこと』
  レベッカ・ブラウン著、柴田元幸訳

 幻想的な恋愛小説集という触込みだが、シュールかつシニカルなものから、切ないものまで色々。しかしどれも愛の一面を描いている。個人的にはゲイの男女の友情を描いた『よき友』が印象的だった。HIVに感染して死に向かいつつある友人に寄り添う話は、同著者の『体の贈り物』と通ずるものがある。この話は本当に切ない。抑え目の文体が、かえって切実なものを感じさせる。近しい人が死ぬというのがどういうことなのかが、ひしひしと染みてくる。

『定本 物語消費論』
  大塚英志著

 
’89年に発行された『物語消費論』の改定文庫版。表題批評は当時大流行していた「ビックリマンシール」現象に関する考察だ。初版発行当時は珍しかったサブカルチャー批評だが、現代では既に古典になってしまった1冊。著者自身もこの本が長く読まれるとは思っていなかった(時事ネタが多いし、一過性の現象だと思っていたそうだ)とのことで、絶版状態が続いていた。が、現代において「物語消費」システムはより強化され飽和状態とも言える。著者はこれに「困惑」し、この本の文庫化・改訂に踏み切ったそうだ。
 初版から10年以上経過しても、現代の状況に当てはまる著者の論は興味深い。元々企画編集をやっていた(今でもやっているが)人なので、商業的にこの先何が当たるかという先見性があるのだろう。文庫版として最近の文章も混じっており、興味深かった。サブカルチャーを考える上では、外せない1冊だろう。

『郵便的不安たち♯』
  東浩紀著

 著者はポストモダン社会についての考察を続けている評論家だが、この本ではその評論対象は多岐に渡っている。
 著者によれば、郵便的不安とは、自分が発信したメッセージの受け手が不明瞭で、正しく届いているかどうか判然としない状況を指す。著者は常にこの不安と向き合っているらしい。著者はテクストをテクストとして読める(修辞に頼らない)批評を目指しているが、日本の批評界ではこういった姿勢は中々理解されないとのこと。このあたりの事情は本書の「1.状況論」に詳しい。特に「郵便的不安たち―『存在論的郵便的』からより遠くへ」という、講演内容を書き下ろしたものからは、彼の取る立場が良く分かって、この本の中では一番と言って良いくらい面白く、理解できた。
 「コンスタティブな詞だけが、辞の支えも象徴界の配達もなしに、ただヒュンヒュンと発送されていくようなテクスト」を書きたいという著者の言葉が印象的だった。著者の「郵便」を今後も読んでみたい。誤読している可能性も多々あるのだが(笑)。

『働くことがイヤな人のための本 仕事とは何だろうか』
  
中島義道著
 
哲学入門書の様な本。「仕事が嫌な人のため」というタイトルは出版社が付けたのだろうか、ちょっとミスマッチだと思う。正直、「このくらいのことなら分かってるんですけど」という内容が多く、物足りなかった。文章も何だか気取っていて、この著者、結構嫌な性格なんじゃないかと思ってしまった。何というか、ちょっと子供っぽい所が引っかかるんだよなぁ。

『家庭の医学』
  レベッカ・ブラウン著、柴田元幸訳

 
著者の実母が死に至るまでのノンフィクション。多分、これを書くまでの過程が大変だったろうなぁと思う。身近な人の死を客観的に語れるようになるのは難しい。癌が進行していく過程が、淡々と(冷酷なくらいに)描かれており、正直、読み進めるのが途中で苦しくなった。母の癌を医者に告知され、「母にはすでにわかっていたことが、私にはまだわかっていなかった」と言う文があるが、本当にこういう感じだと思う。そして「母に生きつづけて欲しいという望みを、自分がいつ抱かなくなったのかは思い出せない」「自分がやっている手配が母の回復のためでなく最期の出来事のためであることを」と著者は語る。静かなのに胸に突き刺さる本だった。

『クラバート』
  オルフリート=プロイスラー著、中村浩三訳

 
ドイツの民話を元にした、少年クラバートの成長物語。著者は「大どろぼう ホッツェンプロッツ」シリーズで有名な、児童文学者だ。私は子供の頃「ホッツェンプロッツ」が大好きで、何度も繰り返し読んだ。しかし、本著はちょっと独特な挿画と、「クラバート」というどこか神秘的な名前のせいか、何だか恐い物語のような気がして、今にいたるまで読みそびれていた。
 今回ようやく読んだのだが、神話的な趣のある小説だと思った。元々民話なのだから当然だろうが。弟子(息子)が師(父)を打ち倒す、という典型的な物語ではあるが、典型だからこその力強さがあると思う。

『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』
  東浩紀著

 サブタイトルの通り、オタク系文化をポストモダンという観点から見た批評書。現代のオタク系文化を扱った批評としては非常に的確だと思う。著者は大塚英志の「物語消費論」を踏まえて「データベース型世界」という論を提唱しているのだが、オタク系文化の恩恵に与っている身として、このシステムは実感として分かる。「あー、なるほど」と納得させられた。
 実はある書評で、佐藤友哉の小説は本書をそのまま体現しているというコメントを読んだので手に取ってみたのだが、本当にその通りだった(笑)
 ただ、本書は2001年発行なのだが、現時点では既に古さを感じさせる部分もある。変化の激しい文化を批評する際の難しさを感じた。発行時期としては前になる、同著者の『郵便的不安たち♯』の方が、かえって古さを感じさせなかった。

『火蛾』
  古泉迦十著

 第17回メフィスト賞受賞作。全ての要素が論理のパーツとなる、本格の極北とでもいうべき作品。イスラム教に関する薀蓄のごとき記述は、全て本筋そのものなのだ。
 間口はとんでもなく狭いが、美しい本格。私にとっては、本格ミステリの一つの理想形と言ってもいい。

『熊の場所』
  舞城王太郎著

 
帯に「圧倒的文圧」とあったが、この人の文は正に「文圧」とでも言うべき勢いがある。Gかかってます!という感じだ。表題作と『バット男』、『ピコーン!』の3作が収録されている。タイトルは主人公の父親の体験談から。恐怖の対象の比喩なのだが、恐怖を克服するにはその大元(主人公の父親にとっては「熊の場所」)へ立ち戻らなくてはならないと言う。
 著者初の短編集で、文芸誌に発表したものが2本と書き下ろしが1本。ミステリではないはずなのだが、何故か無理矢理ミステリ的オチが(笑)。必然性はあまりない(むしろ、表題作に限っては蛇足のような気さえする)のにミステリにするのは、著者の意地なのか照れなのか。それとも純文学もミステリもバカにしているのか。
 舞城の小説は、全て主人公の一人称語り。暴走しつつも、頭のどこかは冷えているような客観性があり、その冷静さがこの作品を「読める」ものにしていると思う。

 
それにしても、暴力的でエグい描写が多いにも関わらず、読後切なさが残り、あまつさえ感動してしまうのが不思議だ。表題作では何とも言えない官能性、『バット男』では愛の食い違いによるディスコミュニケーション(これはかなり痛々しい)が印象に残った。

『唇を閉ざせ 上・下』
  ハーラン・コーベン著、佐藤耕士訳

 日本では初のコーベン単発もの。軽快なマイロン・ボライターシリーズとは一線を画している。とにかく話の展開が速く、一気に読める。死んだはずの妻からメッセージが届く、という夫婦愛・親子愛を軸としたサスペンスなのだが、上巻では謎の全容が見えず、「どういうこと?!」とハラハラしながら、下巻では「結局どうなる?!」とドキドキしながら読んだ。最後の最後に更にどんでん返しを持ってくる著者の手腕はお見事。大満足なエンターテイメント小説だった。脇役キャラが魅力的なのも効いている。

 

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