6月

『目眩まし』
  W・G・ゼーバルト著、鈴木仁子訳
 4つの旅にまつわる物語、とも随筆ともつかない中編集。カフカをはじめ様々な文学からの引用があるそうだが、不勉強なもので私は殆どわからなかった。著者は特にカフカには思い入れがあるらしく、「ドクターKのリーヴァ湯治旅」はカフカその人の物語だそうだ。といっても、カフカについて詳しく知っている人じゃないと気付かないんだけど・・・。史実とフィクションとを細かく織り交ぜていて、だんだんその境目は曖昧になる。そもそも何の話だったかわからなくなってくる、他の中篇についても同様で、目指すべき目印をすっとすり替えられるような、それこそ目眩ましされているように、「そういえば何の話だったっけ?」と見失いそうになった。それぞれの話のパーツがリンクしていく、不思議な作品だった。

『こんにゃくの中の日本史』
  武内孝夫著
 産業の変遷の向こうに日本史が見える。一つの産業の興亡史としても面白いのだが、近代産業全体の歴史の面白さもあった。こんにゃく作りは、農業の中でもかなりギャンブル性が高い、投機性の高いものだとは初めて知った。現在ではそんなこともないのだが、一時はこんにゃくで一攫千金も可能だったと言う。いやー、こんなにドラマチックな食品だったとは・・・。近代の品種改良と機械化によって生産性が安定したことが、かえって業界を下向きにさせてしまったという点が興味深い。

『松浦純菜の静かな世界』
  浦賀和宏著
 大怪我をして療養生活をしていた高校生・松浦純菜は、友人・貴子が行方不明になっていることを知る。市内では女子高生連続殺人事件が起きていた。純菜は超強運だが冴えない高校生・八木剛士と真相を追う。ミステリとしてはもちろん、非さわやかな青春小説としてかなり良い線いっている。心ならずも共感しまくりです。特に八木剛士の造型が良い。「何で俺ばかり」「皆俺のことバカにしやがって」という自意識過剰さ、周囲の目を気にせずにはおれないナイーブさや、相手と喋りたくてもとっさに上手く対処できない(そして後で後悔しまくる)所の生々しさは尋常ではない。著者は高校時代にいい思い出がなかったんだろうなとしみじみとしてしまった。シリーズものだそうなので、続きも読みたい。

『ぼくは行くよ』
  ジャン・エシュノーズ著、青木真紀子訳
 美術商フェレール、謎の男ボムガルトネールという2人の男のエピソードが、時系列はバラバラに交互に語られる。で、この2人のどこに接点があるのか?もしくは全然接点はないのか?ミステリ仕立てで読みやすいのだが、どことなく人を食った作風。話が盛り上がってくると、作者がいきなり読者に語りかけてきて話の腰を折ったり茶化したりと、照れているのか読者の邪魔をしたいのか分からない。何とも言えずユーモラス。フェレールのモテ男ぶり(ある女性にたいしては何故かぎこちなくなってしまうのだが)もおかしい。

『スクールボーイ閣下(上、下)』
  ジョン・ル・カレ著、村上博基訳
 ル・カレの描くスパイは職業人でありながら、その職業と生き方とが分かち難くなってしまっている人が多い気がする。あーこの仕事嫌だなーと思いつつ、考え方や行動パターンはスパイそのもの。故に、仕事に疲れて逃げ出したくなってしまった時の越脱ぶりが大きいのかもしれない。ベトナムに派遣されていた「サーカス」の工作員ウェスタビーは、ソ連諜報部の工作指揮官カーラと繋がりのある中国人実業家の愛人に一目ぼれし、独自に行動を始めてしまう。このウェスタビーのちょっと人生に疲れた様、落ちていく様がやるせない。そんなの上手くいくはずないとわかっていてもやってしまうというのがなー。やるせないと言えば、「サーカス」チーフであるスマイリーのお疲れぶりもやるせない。そしてスマイリーを守ろうとするギラムとフォーンがいじらしい。この2人の微妙な小競り合いもかわいいのだった。

『死の笑話集』
  レジナルド・ヒル著、松下祥子訳

 根性悪な巨漢・ダルジール警視シリーズ。「死者との対話」の続編となるので、前作を未読の方は要注意。犯人の正体に触れています。今回、パスコーは宿敵?ルートからのストーカーまがいな手紙に悩まされ、ピリピリしている。一方、心優しきフランケンシュタインなウィールドは、少年男娼を助けたことがきっかけで、ギャング達が大きな犯罪を計画しているという情報を得る。全くバラバラだったエピソードが急速に収束していく様がスリリングで、終盤は一気読みだった。ミステリとしての完成度は前作の方が高いが、リーダビリティは本作の方が高いかも。ともあれ今回はウィールドに泣かされた!相変わらずキャラの立て方が上手いのも、このシリーズの魅力。所で、パスコーの奥さんは溌剌としていていい人なんだろうが、一緒に暮らしていたら激しく疲れそうです。

『バッテリーX』
  あさのあつこ著

 横手二中との試合に向け、ぎこちなくも動き出す巧と豪。今回、本編でも書き下ろしの番外編でも、「あいつ思っていたより頭良かった」という、周囲を舐めてたら不意打ちくらいました的な展開ばかりで微笑ましい。中高生くらいの時って、自分ばかりが悩んで考えていると思っていたなと。あー恥かしい。所でそれはともかく、今巻はとにかく瑞垣につきる。ちょっと頭よく当て自分の限界が見えちゃっている、しかも目の前に天才がいちゃったりする子は難儀だなぁと。もうねー、奴が私の嗜虐癖を刺激しまくりですよ!あさの先生怖いよ!(せっかく真面目に感想書いたのに最後で台無し)

『青の幻影』
  川本三郎著

 ジェントルな文芸評論集。対象に対する愛と敬意が感じられ、嫌な感じがしない。著者が好きなものを取上げているということもあるだろうが、多分著者の人柄に寄る所が大きいのだろう。大江健三郎論には熱が入っている。また、映画やエドワード・ホッパー等の絵画も取上げている。評論等で取り上げられる機会が少ない、村田喜世子作品を扱っているのがとても嬉しかった。著者が村田作品を論じるのを読んでいるうちに、私は村田作品のこういうところが好きだったんだ、と改めて認識した。自分が漠然と思っていたことを明確にされたみたいで気持ちがいい。もっとも、私はこの作家の作品のこういう所が苦手なんだなーと確認するという、逆パターンもあったのだが。

『乱鴉の島』
  有栖川有栖著
 著者初の孤島もの。鴉舞う孤島に、館の主である異才の詩人等、舞台や周囲の設定は華やか(?)なのに、中心となる殺人事件自体は至って地味な所が著者ならではか。現場の状況がいかにして発生したのか、犯人は誰なのかは丹念に検証するが、殺人の動機は取って付けた様なのがいいなー(笑)。人間の振る舞いについて「過度に合理的・理論的であろうとすることは、狂気に至る道」と触れられているのだが、これはそのまま本格ミステリを指している様にも見える。狂気というのは大袈裟だが、ミステリとしての論理的整合を追求すると、小説としては何だか変なことになってくる。そこが本格ミステリの面白さであるとも思うが。本格ミステリというジャンルについての言及が多く、作品内で優先すべき要素の、一般的な小説との差異について考えさせられた。やっぱり要求されるものが違うんだと。今作では珍しく、各章の始めに色々な作品からの引用が載せられているが、こういう方面の素養のある人だとは思わなかったのでちょっと意外だった。ところで、○○○○技術なぞを持ち出してきたのでこれは島田●司へ続く道を歩き出してしまったの!?とハラハラしたが、杞憂に終わった。ふー。

『高貴なる殺人』
  ジョン・ル・カレ著、宇野利泰訳
 名門パブリックスクールを擁する田舎町で殺人事件が起きた。被害者の女性は「夫に殺される」という相談を雑誌に投稿していた。雑誌編集長と旧友であったスマイリーは、彼女の頼みで調査を開始する。著者唯一の本格ミステリだそうだ。グラマースクール出の教師があからさまにバカにされていたりする所や、名門出身の妻と不仲なことでスマイリーが嫌味を言われたりする所に、階級社会が確固としてある当時(’62年)のイギリス社会の様子が垣間見える。スマイリーという人物に関する描写が多いが、彼が何を考え何を思うかということより、彼の癖や表情、外見等の細かい描写の積み重ねでキャラクターが立ち上がってくる所が面白い。

『寒い国から帰ってきたスパイ』
  
ジョン・ル・カレ著、宇野利泰訳
 任務失敗の為英国諜報部を追われたリーマン。東ドイツ諜報部副長官ムントの失脚を計る為、再び東ベルリンに潜入する。いわゆる二重スパイものなので、どっちがどっちを騙しているのか、本当の狙いが何なのかなかなかわからず、最後まで引っ張られた。しかしそれ以上に、西であれ東であれ、組織が孕む醜さ、残酷さと、その中で消費されていく個人の悲しさ、哀れさが胸を打つ。著者の作品を何作か読んだが、常にこういう要素が作品の中核にあるように思う。最初と最後のリンクの指させ方が印象的だった。が、このラストはあまりに痛切だ。

 

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